2008-12-31

工作的大晦日


あちこちから除夜の鐘の音が響いて来る。今年ももう終わりだな・・

そんな大晦日の今日も我が家では掃除など一切せずに、朝天気がいいと見るや砂場の砂を補充する大作戦を決行することにし、さっさと朝食を済ませると近所のホームセンターに行き川砂0.5立方メートルを注文する。もちろん1t近くにもなるのでホームセンターの1t車を借りて砂の積み込み場に乗り付けると、小型ホイールローダーに乗った担当者が来て『砂の量は多めでもいいですか?』と言う。『もちろん多ければ多いほど良い』と答えると、担当者曰く『ちょっきりじゃないと困る、と言うお客さんもいるもんで・・』と彼らなりに苦労しているようだ。いよいよ積み込みが始まりまずはバケット一杯分がドサッと積み込まれたが、そこで担当者が『通常このバケット一杯で約0.5立方メートルなんですが、もうちょっと入れときます』と、さらにもう一杯追加しトラックの荷台はほぼ満杯に。それを見て担当者が『いや〜これなら0.8か0.9はありますね〜アハハッ』と、実に気前が良い。川砂0.5立方メートルで3960円と一応なってはいるが、なんだかとてもaboutな値段設定でちょっと得した気分だな。
砂満載のトラックを自宅庭のフェンス越しに乗り付け、妻が一輪車で待ち構えているところにどんどん砂を放り込んでゆく。先回やった時はすべて一人でやったのでかなりキツかったが、今回は妻の助けもあり格段に楽で効率がいい。子供達もそれぞれ小さいバケツを持って来ては砂を入れて運んでくれる。ただし、邪魔しとるんか手伝っとるんかは??だが・・。結局1t近くあった砂も1時間ほどで運び終わり、砂場はてんこもり状態に。子供達はよほどうれしいらしく、かなり長い間砂まみれになって遊んでいたな。
砂場の改修はこれで完了。しばらくは砂が足りないことはないだろう。

2008-12-30

子供達よ


3週間ほどの平穏は破られ時差ぼけもなんのその、今日は朝から全開で毎度思うことだが『こんなに凄かったのか・・』と改めて思い知らされる。一人の時だと何もないリビングのフロアも、ものの数分で足の踏み場も無いほどに散らかされ、それを片付けさせるのにまた一苦労。終始『あ〜!』とか『ぎゃー!』とか叫びっぱなしで、何をやっとるのか分からぬまま一日が過ぎてゆくようだ。それも元通りの日々に戻っただけのことなのだが、にわか独身でぬくぬくだらだらしとった分反動も大きく、戸惑いを隠せない。
朝は陽が差し暖かさが漂っていたが、午後になり陽は陰り冷たい西風が勢力を増し寒くなって来た。それでも滞在していたシアトルよりは大分暖かいそうで、子供達も日が落ちるまで砂場で遊んだり、僕の草取りを手伝ったりしてずっと外に居たな。やっぱり自分の家は良いようで外で遊んでいる時は終始ご機嫌でした。
妻も朝起きるとすぐにパジャマのまま庭に出て、自分で植えた花などをいろいろチェックして安心したようだ。晩になって畑で穫れた法蓮草のおひたしを口にすると感動したように『美味しい!』と喜んで、『アメリカでも法蓮草をスーパーで購入しておひたしにしたが、ウチのものとは全然違う!』と驚いていた。こう言ってくれると畑をやる身にとってはうれしいもので、耕しがいがあったというもの。皆には新鮮な野菜を食べてもらいたいからね。

2008-12-29

妻子帰国


シアトルでの3週間に渡る滞在を終え、妻子が無事帰国した。今回はシアトルが何十年ぶりと言う大寒波に見舞われ、普段は積もらぬ雪が4〜50cmも積もり、ソリ遊びなどができたのは良かったが、何せ積雪に慣れていない都市のことゆえ除雪車はないわ、融雪剤も撒かないわで坂道の多くが全面凍結して何日も融けず、結局皆外出できず家に缶詰め状態だったそうな。例年ならお互いの家を行き来したりして子供達同士が仲良く遊ぶ貴重な時間だったのに、今回はそれがほとんどできなかったらしい。まあ、クリスマスだというのに何日も郵便が来なかったり、スーパーの店頭から卵が消えてまったく入荷しなかったりと、相当な混乱ぶりだったようだから仕方が無いけどね。

空港から列車での帰り道、子供達はそれはそれは元気で少しもじっとせず、時折奇声を発したりして押さえ込むのに一苦労。わずか1時間ほどだというのにこれほど大変なら、何時間ものあいだ飛行機の中で妻は一体どうしているのだろう?めちゃめちゃ疲れたとは言いながらもそれをやってのける妻は大したものだ。自分だったら必ず発狂して緊急脱出装置を作動させようとするに違いない。

母とは偉大なり。

2008-12-28

シオンの民よ


イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区に対する無差別攻撃で、死者は300人に迫る大量殺戮の様相を呈して来た。今月19日にイスラエルとガザ地区を実行支配するハマスとの間で結ばれていた停戦協定が失効し、ハマス側がイスラエル領内に向けロケット弾攻撃を開始したことがイスラエル側の空爆開始の根拠となっているそうだが、事はそんなに単純ではない。どちらかというとイスラエルによる巧妙かつ陰湿な策略にまんまとイスラム過激派が乗ってしまい、今回の猛烈な攻撃の大義名分を与えてしまったと見る方が真実に近いのではないか?当然イスラエル政府は『テロリストに対する反撃』と攻撃を正当化し、死者のすべてが『イスラム過激派』であると言い切るだろう。それに対するアメリカの反応は予想通りで、まずはライスさんが『今回の事はハマスのせいだ』と一方的に決めつけ、毎回反吐が出るがイスラエル一辺倒の反応しか見せない。そんな理不尽さを見せつけられて世界中の人々はどう思うだろうか?ガザ地区で今回の攻撃を受け亡くなった人々は皆がイスラム過激派だったと証明できるのか?彼らとは距離を置き、普通に生活していた人々がほとんどではないのか?
イスラエルに対して無差別にロケット弾攻撃を繰り返す過激派をはじめ、それらを止める事ができなかったハマスには無論責任と非がある。だからと言って何百人もの関係ない人々を殺していいはずが無い。今までもこんな事が繰り返され、憎悪が再び憎悪を生み、次々と反イスラエル闘争の過激派が増えていったのだ。そんなことを百も解りきって今回の行動に出るイスラエルは一体何を望むのか?じきに行なわれる総選挙を有利に闘い抜くためか?そんなくだらぬ事で多くの人々が粉々に砕け散り、一片の肉片となったというのか?自分達の都合のために幼き子供達がその柔らかな頬に血を滴らせ、息を引き取らねばならぬというのか?

即刻殺戮を中止せよ!
双方の愚かさに世界はうんざりしているのだよ。

シオンの民よ。こんな事を続けていては、いつかきっと先祖がたどった苦難の道をふたたび歩むことになるだろう。

2008-12-27

掘って運べよ!


仕事納めをし連休に入った初日、いつもよりゆっくりと起き、まずはJackieの散歩に出る。今朝方は大分冷え込んだのだろう、9時過ぎというのに日陰は霜で真っ白のままだ。確かに夜中寒くて何度も目が覚めたが、あながち布団を蹴ってしまう僕のせいばかりでもなかったようだ。
散歩から帰り、しばらく庭で呆うけた後簡単な朝食をとって庭に出ると、燃料が残ったままの草刈り機を装着して堤防へ。燃料を残したままだと故障の原因となるので、使い切るまで適当にそこら辺の枯れススキを薙ぎ払う。ほんの僅かしか燃料が残ってないはずなのにさすがは4サイクル、燃費が非常に良く刈っても刈っても無くならない、おかげで一汗かくはめに・・
さあ、草刈りの後は砂場の改修工事に取りかかる。理由は簡単、子供達が砂遊びをするときすぐに底にあたるので、もっと深くして欲しいと妻に頼まれたのだ。そうは簡単に言っても現況砂があるのに底を掘り下げるのはなかなか手間がかかる。そこで半分掘削して打って返しをする工法で作業を進めてゆく。まずは砂を片側に寄せ掘削開始。底は砕石が敷き詰めてあるので掘りにくく、石と土を分けながら掘り進む。日頃からこういう作業に従事しているのでお手のもの、粘土層まで掘抜きこれで砂場の深さは40cmとなった。ちびっ子にはこれだけあったら十分だろう。すぐに打って返しを行ない残り半分の掘削に取りかかる。ここで問題になったのが掘削で出た赤土の処理だ。畑にはもちろん適さないので置き場所が無い。そこで酸性土壌の好きなイチゴやブルーベリーの周辺に高く盛って仮置きとした。これはまた次回の作業だな。
残り半分もじきに掘りきり掘削完了。後は砂を補充すれば改修完成となるが、砂を運ぶのがこれまた大変なんだよな。なので妻や子らが帰って来てからファミリーイベントとして一家総出で砂を運ぼうと考えている。その方が子供達の思い出になるだろうしね。
休みなのに土を掘り、箕で運ぶ姿は仕事となんら変わらない。でも、土をなぶることはほんと楽しいな。自分がいずれ還る場所でもあるしね・・

2008-12-26

仕事納め


今年も多くの物件を抱えたまま仕事納めをし、その後のお気楽な納会でお互いの苦労をねぎらい、新年に向けての筋道をいくらかはつけることができた。と言ってもそれは茨の道で年明け早々納品を控えた案件が次々と波状攻撃的に襲いかかり、尚かつ現在進行形の現場もいくつかあるわけで、さてはてどうやってこの急場を乗り切ろうか?と思案中。1月・2月をなんとか踏ん張れば3月には一息つけそうな気もするが、その時はその時で別の案件が発生し僕らの淡い期待なぞ一瞬にして吹っ飛んでしまうんだろな・・。

ま、とにかくこの一年、事故無くやって来れたことを皆に感謝して新しい年を迎えようと思う。

みなさん、お疲れ様でした。

2008-12-25

クリスマス寒気団


日中の暖かさが北西から押し寄せる黒々とした寒気団によって吹き飛ばされ、冷たい雨とともにしみるような風が吹き荒れ始めた。明日は平野部でも雪がちらつくという。しかし考えてみればこの時期雪が降るのは当然のことで、むしろ年々顕著になって来る冬の暖冬化に慣れて来てしまっているのではないだろうか。今冬はまだスタッドレスタイヤに換えてない人がこの地方ではほとんどじゃないかと思う。明日で仕事納めの人も多いゆえ、この寒気の襲来と相まってみな一斉にタイヤ交換するんだろうな。自分はしないけどね。まだ一度もロードスターで雪道を走ったことがないので一体どれほど滑るのか解らないが、推して知るべし、濡れた路面でも簡単にリアを流すことができるので真央ちゃんに負けないくらいのスピンを体験できることと思う。
さてほんとに雪道になった場合どうすべえ〜か?スタッドレスの選択肢は無い。年数回のために10万近く投資する気は毛頭なく、基本的にこの平野部では必要ないと考えている。ではチェーンはどうか?もともとチェーン派の僕ではあるが以前乗っていたミニカと比べロードスターのサスペンションは堅く、チェーンはいて走ろうもんならその凄まじき振動にて僕、車ともに分解してしまうだろう。そんなのはごめんだ。そうなると最良の道はロードスターでの外出を控え、朝はゆっくり寝て家族と朝食を共にし、外に雪があるならば雪遊びが大好きな子供達と一緒にソリで滑ったり(家の前が堤防だからね!)、雪だるまを作ったりして特別な日を一緒に過ごすことだろうな。
よし!これでいこう。でもほんとにこの冬は雪積もるんやろか?

2008-12-24

掘って掘って掘りまくれ!


今年度は今までのところ一つの現場に張り付くことなく、その時々の状況に応じて各現場を回ることが多く、調査区内にいる時間よりもむしろ車での移動時間の方が長いといった珍現象も何度か経験し、ために常に運動不足気味で我が肉体がムズムズして仕方がなかった。畑仕事がある時はその不完全燃焼の鬱憤を爆発させ、くたくたになるまで作業し自分を慰めていたが今の時期は作付けもなく、土を耕すのにもまだ早い。そんな折、ある現場からの要請で終日張り付くことになり、自分の仕事の合間に久しぶりにスコップ持って大いに掘ることを許可された。いざ掘り始めると実に気持ちいい。朝は寒さが厳しかったが身体を動かしているとジャンパーを脱いだくらいでちょうど良く、汗もかかずにざっくざっくと掘ってゆける。きょう一日で一体どれくらいの土を運んだことだろう。久しぶりなのにいきなりそんな重労働をしたので腰がわずかに痛いが、自分にとってはこれくらいがちょうどいい。身体を動かせば腹も減る。腹が減れば飯も美味い。こんな感覚忘れていたよな〜と、しみじみ思いながらやはり自分は現場の人間だなと、再認識させられた。各現場間や下請けさんとの調整も重要な仕事ではあるが、たまにはこうやって現場内で激しく働き現場の空気を感じることは精神的にも肉体的にも必要なことだと僕は思う。
明日もまた続きを掘れる。楽しくてたまんないや。

2008-12-23

違和感


冷蔵庫を開けると見事に何もない。畑に出ればおおよそひと月は生き延びれるであろう(それ以上かも・・)豊富な野菜達が僕を待っててくれるが、菜っ葉ばかり食べていてはほんとにアオムシになってしまいそうなので近所の超巨大市場へと足を伸ばす。店の中はクリスマス直前ということもあり、家族連れで大賑わい。おもちゃ売り場前には臨時のプレゼント梱包コーナーまで併設され、アンパンマンなどの様々なおもちゃが次から次へとかわいらしい包装紙に包まれてゆく。それを見ながら『ああ、自分にもこの時期をワクワクして待っていた時代があったんだな・・』と、妙にセンチになりながら買物カートを押してその場を離れ食品コーナーへ行くと、普段はあまり人のいない酒類の売り場も大盛況だ。ははあ、なるほど。みなシャンペンやワインを購入しているのだな。ここもクリスマス一色だ。一人だけだと必要なものは驚くほど少なく、どうも何か買い忘れているような気がしてならない。それを補うように大して必要でないものまでカゴに放り込んでレジへと向かう。僕の前は子供2人とお父さんの親子連れ、その買物カゴを見ると出来合いのオードブルセットにシャンペンが入れてあった。その子供達も喜々として大層うれしそうだ。今から帰ってクリスマスパーティーでもするのだろう。
まあ、ここまでクリスマスにあてられるとさすがにひとりぼっちなのが寂しくなるな。う〜ん、寂しいと言うよりいつも自分が子供達を連れて買物に来ているのに、それが今は一人であることに違和感を感じる。その違和感は毎度同じことを書くかも知れないが、自分に子供がいることが実は自分が勝手に作り出した虚構なのではないか?という疑念に取って代わり、たちどころに僕の精神状態を不安定にする。バカげたことだが事実なのだからしょうがない。そんな状況に置かれたとき、あなたはどれだけ自分の記憶を信じれますか?

2008-12-22

世界企業としての品格


今日の発表でトヨタの営業損益が初めて赤字になるとやっていた。去年の同時期の実績から見るととんでもない落ち込み様だが、これも米国発の金融危機による販売不振と急激な円高が原因ということだ。ただし、大企業に対しては常に疑り深い僕から見れば、トヨタのしたたかさが見え隠れして、とても言葉通りにその業績予想を受け取ることができない。なぜなら今日発表の業績予想はあくまでも減少する売上高や為替差損をおそらく相当ネガティブに見積もった上での営業赤字であり、それ以上の減益の可能性もあるとはいえある意味安全パイ、つまりこの際赤字額を上乗せしといた方が得策だと踏んだ上での数字のようにみえるのだ。もちろん営業赤字転落となれば株価も下がるがそれを理由に株主に対しての配当を減らすこともできるし、昨今風当たりが厳しくなって来た非正規雇用者の解雇に対する企業としての道義的責任に於いても、『トヨタ初の赤字!』と大きく報道されれば、それほど業績が悪いのならば仕方がないか・・との同情を勝ち取ることもできる。それに加えもし予想よりも赤字幅を圧縮できたとしたら、『さすがトヨタさん、よくやりました』と再評価を受けるだろう。そう、そうなのだ、いまは社会的情勢としていかに会社が困窮しているかを見せる時なのだ。
考えても見よ、いくら昨年同時期と比べ営業利益がグンと落ちたと言えども、その『昨年同時期』が過去最高の利益をトヨタにもたらしており、じゃあその利益は一体どこに消えたん?と思わざるをえない。そりゃ〜当然温存しとるわさ。そこに国民の目が向けられるようになったから今日のような発表があったと僕は思っている。
そんな会社がつい最近まで世界一などと豪語しておったのだからね、所詮その程度のレベルだよトヨタなんて。

2008-12-21

冬至と磯部巻き


昨夜は9時前に寝たというのに、夜中何度も目を覚ましたとはいえ結局朝の9時まで12時間も寝通して寝疲れする有様。普段はその半分も寝ていないことを思えば僕にとっては異常なことで、よくもまあそんなに寝れたもんだと呆れるとともに、PANALI氏に対しては面目無い次第。でもこれで大いにリフレッシュし、充電満タン、気力も充実、このままの勢いで一気に年を越せそうです。
2人でパンをむしゃむしゃと喰いながら様々なことを話し、話題はあらゆる方向へと広がりを見せ、それでいて繋がってゆく。話しながらも手や口は休まることを知らず、近くにある袋という袋はすべて封を切られ中を抜かれてゆく。あれほどあったミカンもいつの間にか数個を残すのみだ。そこにダメ押しのように焼きもちが登場し、香り高きパリパリの海苔を巻いて磯辺焼きとして頂戴する。その美味いことと言ったら!3個の切り餅を平らげ『ふう〜』っと満足していると、なんともう4時近くだ。我が家では猫も犬も待っている。お暇を告げ『これっ、うまいっすね!』と評判のわれせんをお土産にいただいて帰路に着く。高速移動をしていると雨が降り出して来た。前線の雨のようだ。家に着くと猫が待ちわび、Jackieが半狂乱になって散歩に連れて行けと喚きはじめた。小雨の中とぼとぼと歩きながらこの2日間のことを振り返る。PANALI邸へは何度訪れたことがあるだろう?不思議なことに何度訪れてもその度に新鮮な気持ちになって帰って来ることができる。まるで何か自分自身の定点観測をしているような、そんな感じがするんだよな・・

次回はサウジアラビア帰りの久野氏との再会ですね。こりゃーまた楽しみです。


本日、冬至。これより復活が始まる

2008-12-20

二重環状螺旋


再びPANALI邸を訪れ、さっそく道具一式揃えて先回の現場へと向かう。雑木が茂る中、道を切り開きながら現場へと到着し、秘密工作に着手する。静寂の中での作業と言いたいところだが、谷向こうからは伐採作業員達だろうか?かなりはっきりと話し声が響いて来る。そんな人の気配を感じながら粛々と作業を続け、新たなる道を発見しここもまた切り開いてゆく。そうしてガレ沢へと下りきったところであるモノを発見し、事の次第を急いで尾根上へ引き返しPANALI氏に報告すると、驚いたことにそれはPANALI氏本人が20年前に仕掛けた『罠』だということが判明した。これで先回『環』を成したと同様に今回も新たなる『環』を成し、それが一気に時空を超えて20年前の『あの時』と結ばれて完結を果たした・・。この奇妙な体験を共有することができたことにある宿命的なものを感ぜずにはいられない。その場に居合わせ、そのモノを僕が見つけたことが必然とするなら、僕もまたその『環』を形成する要素の一つであり、すなわちそれはPANALI氏の『環』と僕自身の『環』が交わった交点でもある。その運動は銀河に似て、宇宙の法則そのものなのだ・・

そんなことを考えながらタラ鍋をつついていたら、脳の回路がショートしてとてつもない眠気に襲われてきた。PANALI氏に促されて9時前だというのに床に入ると、そのまんまぐっすりと眠っちまった。知らぬうちに疲れが溜まっていたようだな。

2008-12-19

はいむるぶし


忘年会で家に遅く帰ると、待ちわびたように猫が足元にやって来て家の中に入れてくれと盛んに頭を擦り付けて来る。ドアを開けると一目散にごはんを食べに行き、がっついている。それを見届けてからすぐに外へ出て今度はJackieの散歩だ。例年より暖かいとはいえこの時間になると冷え込みも厳しくなり、吐く息も真っ白だ。ふと空を見上げると真上にオリオン座がきらめき、まるで僕らを見下ろしているかのようだ。
10年以上前、一時期住んでいた波照間島で見上げる夜空は息を呑む美しさだった。星が空一面をざらざらと覆い、星座を見分けるのが困難なくらいだった。そんな夜空をしばらく見ていないな・・。どうも忙しさにかまけて下ばかりを見ているようだ。たまには姿勢を正して夜空を見上げようじゃないか。それくらいの余裕は常に持っていたいものだね。

2008-12-18

これもまた転機


これだけ毎日のように大企業の業務縮小のニュースを見ていれば、今のそしてこれから先の世界情勢の行く末が見えて来るようで、その予想される衝撃の大きさを思うと不安を感ぜずにはいられない。こういった守りの思考を持つことは僕自身がしがらみによってがんじがらめにされている証拠でもあり、また、守るべきものを持つ幸せ者であるということだ。これが独り身であったり、子供達が生まれる前の僕ら夫婦であったなら、たとえ派遣切りに遭おうとも円高をこれ幸いとすぐに海外へ逃亡し、景気が上向くまでの数年間を気の向くままにあっち行ったりこっち行ったりしながら、たとえば中米でスペイン語を勉強したり、忘れてしまったインドネシア語を再度習得したりと考えられるオプションは様々で、それこそ不況になんか構っちゃいられない!と意気揚々としていることだろう。
バックパッカーとして海外をふらついていた時よく思ったことだが、こういった不況で仕事を失ったらそれをチャンスとばかりに海外へ出ればいいのさ、国内に留まって仕事を探したところで簡単には見つからないだろうし、どこかで生活するにしても出費は嵩み結果的に自分を追い込み続けることになってしまう。ならば身の回りのものを整理して滞在費の安い国、もしくは外国語を身につけるなどの目的を持った国へ行き、そこで異国の風に吹かれながら人生のひと時を過ごすのも悪くはないと思う。と言うか自分なら必ずそうするだろう。
これだけ世界的に不況が深刻化して来ると、フランスはじめドイツ・オランダなど失業保険の充実した国の若者らがこぞって東南アジアの滞在費の安い国に集まり、例えばタイのビーチがにわかに国際色豊かなサロンと化す。そういう所を狙って長期滞在し、各国出身者と友達になりながら様々な言語を授業料無しで学んでいた人に出会ったこともある。自分も旅をしながら風光明媚な観光地で授業料も無く、おまけに友達になってその人のアドレスまで手に入るなんて最高だよね。そこから輪がどんどん広がり、自分の人生を大きく変えることになるだろう。
とにかく国内で疲れたら海外へ目を向ければいいさ。海外から日本を見て、そして『やってやろう!』と勇気が湧いたら帰って来ればいい。あまりにも狭く小さなところで悩んでいるよりは、その悩みをだだっ広いところでドカンと放出させて見ようじゃないか。

2008-12-17

非正規雇用切りの結末


昨今相次ぐ派遣切りに関しては、年末正月休みをいかに乗り切るか?という近々の問題に話が集中して、その後の展望については『ええい!なるがままよ』的なことになっているが、一つ僕が疑問に思うのは例えば今盛んに首を切られている自動車産業に関わる非正規雇用者の大量解雇によって、それまで受け継がれて来た世界に誇る技術力に影響は無いのか?ということだ。工場における非正規雇用者の配置は大抵の場合単純作業の繰り返しを行なう部署が多いが、じゃあそれがすぐに誰にでもできることかと言うとそうではないはずだ。自分の経験からしてもその単純作業の中で自分なりにもっと効率の良い仕事のやり方を模索し、組み立てなどの作業に於いてもこだわりを持って行なっていた。なので人が代われば人それぞれのやり方や、できばえのばらつきができるのは人間がやる以上当然のことだ。それは徹底した作業管理を行なうトヨタのラインでも同じことだろう。だからこそこの景気悪化で組み立てラインを停止しそこで働く人々を切った場合、景気回復後に再びラインを再開したとしてもすぐには以前の品質を取り戻すことはできないのではないか?と思うのだ。現在、インフルエンザ以上に猛威を振るっている非正規雇用切りの嵐は、人々の生活を奪うとともに今まで培われて来た技術力をも失う恐れがあることを危惧している経営者がどれほど居るだろうか?彼らの多くはただただ数字に踊らされ、数字の虜になってはいまいか?人を切ることで望む数字になるかも知れない。しかし、数字は人を生まず、人を育てない。
今各地で吹き荒れている嵐は多くの技術者から職を奪い、技術の喪失をも招いている。経済的にも技術的にも、更には人的にも力を失いつつある我が国に、誰が希望を見い出せようか?

2008-12-16

シティバンクの罠


昨夜のこと、帰宅して郵便受けを見ると日本郵政公社からの不在票が入っていた。『なんだろう?』と差出人を見るとシティバンクジャパンとあり、配達記録とある。大抵この組み合わせならクレジットカードが送られて来たことを意味するが、『おかしいな?』シティバンクとAmazonが提携して出していたAmazonカードは何が原因か知らないが、両社の提携関係が解消されたことにより今年いっぱいで廃止されるという一方的な案内があったばかりなのだ。Amazonカードはポイント還元率がよく使い出があったので廃止されるのは残念だが、そういうことなら仕方が無い。案内ではシティーカードとして続けたいなら連絡するようにとあったが、いらないのでそのままほかって置いたのだ。そして今晩再送されて来た封筒を開けると、なんと!新しいシティーカードが妻の分も含めて同封されていた。『なんでだろう?』と説明を見るとAmazonカードが廃止されたので新しいカードを送るとのこと、初年度年会費は無料だが、次の年からは本会員3150円、家族会員1575円払えとのこと。そしてカードが要らんかったら連絡せよ、と書いてあった。誰もカードが欲しいなんて言ってないのに勝手に送りつけといて、年会費を払えとは一体どういうつもりか?腹がたったのですぐさまカスタマーセンターに電話し、猛烈に抗議してカードを無効にしてもらったが、このやり方は悪質だ。天下のシティバンクがこんなもんだから、ここもそう長くは続かないだろう。
実は以前にもシティバンクとはもめたことがあって、その時もカード会員をやめたいと連絡したら、担当者があーだこーだ言って脱退を阻止しようとして、あげくの果ては年会費を特別に無料にしてあげるから・・と言って来た。このひと言で僕の不信感は大いに膨らみ結局キャンセルしたことがある。なのでシティバンクとのお付き合いは極力避けたかったが、Amazonカードにつられて会員になったらこんな結末さ。ま、懲りない自分が悪いんだろうけど・・

2008-12-15

携帯復活!


息もたえだえの我が携帯が復活を果たしたぞ!
最近では僅か2通話程度のごく短い会話をしただけでバッテリーがレッドゾーンに突入し、いろいろな局面で支障を来し始めていた。かと言ってショップに出かけて様々な最新機種を見比べてみても欲しいと思うものは無く、じゃあ消去法的ネガティブな選択方法で選ぶにしては価格が5万円近くもしてアホらしい。僕にとって携帯電話はあくまでも電話として使うのみでその他の機能はほとんどが必要ないものだ。じゃあベーシック携帯を買うか?となるがそれだったら現行の機種とほとんど機能は変わらず、だったら機種変更しなくていいやん!と話は振り出しに戻ってしまう。とどのつまりはバッテリーが問題なので試しにネットで同じ型番のバッテリーを探してみると、出るわ出るわ中古品から新品までずらりと表示されしかも値段は新品送料込みで千円程度と格安だ。さっそく注文したバッテリーが昨日届きフル充電して使い始めたが、日中少し長めの電話を2回ほどしたのにバッテリー表示はまだ満タンで実に頼もしい。
皆たいていの場合携帯のバッテリーがへたって来ると本体ごと交換しようとするが、意外とバッテリーだけ探すのも安上がりで良いかもね。

2008-12-14

遊びのフィールド


予報では雨降りのようなことを言っていたが明け方には雨は上がり、今日も一日外に居てあれやこれやとどうでもいいようなことを喜々としながら片付けてゆく。まずは草刈りの完了した河川敷のメンテから始め、刈り倒した草を満遍なく広げては枯れ草に混じっている野茨や葛など足元に絡まり付いて来るものを取り除き、同時にまだまだ出て来るゴミを拾い集めてはゴミ袋に放り込んでゆく。ある程度片がついたところで堤防の斜面に穴を掘り、我が家の庭で手が付けられなくなったブラックベリー、ラズベリーを移植する。堤防や河川敷の土は長年薮のまま放置されて来たおかげで腐葉土が多く堆積し、なかなか良い土なのだ。ベリー類を移植後は平地に進出してドングリから育てたアベマキを移植してゆく。アベマキの苗木は生育旺盛で根は植木鉢を突き抜けてじかに地中に達し、動かすことさえ困難なものも多い。そういうものは仕方なしにはみ出た根を切り植え付ける。ただ、河川敷の土はいつも水分を多く含みアベマキには適さないかも知れない。河川敷にもとから生えている木もヤナギ科のものばかりなのでアベマキが根腐れを起こす可能性も高いが、もはや植木鉢ではどのみち生きてゆけないだろう。ならば十分成長できるフィールドで挑戦させてやる方が良いと思ったのさ。結局河川敷に植えたアベマキは10本で(まだ庭には10本以上あるぞ!)その他にムクゲも植えて今日のところは完了とした。もしアベマキやムクゲが順調に大きくなったとしても、夏に台風などの大雨で水嵩が増せば押し流されてしまうだろう。そこを生き抜くのは過酷なことだ。
さあて、我が子らはこの試練に打ち勝つことができるだろうか?

2008-12-13

それぞれの心


休みなのに朝7時には起きJackieの散歩し、そのまま朝食も食べずに庭仕事をあれこれ片付けていると、我が家の敷地の前にある堤防の上をシャベルを持った人が歩いて来た。よく見るとその人物はすぐそこの橋の下に住むホームレスのおっさんで、僕が草刈りをした堤防の斜面まで来るといきなりガツガツと穴を掘り始めた。『何しとんのやろ?』と僕が庭から眺めていると、ようやく僕が見ていることに気づいたのか掘るのを止めてもそもそとねぐらへ帰って行った。結局何をしていたのか分からないまま、ようやく遅い朝ご飯を食べて再び庭仕事をしていると、近くの県道上に冷凍庫付きの軽自動車が止まり、白衣を着たこれまたおっさん2人が降りて来て何かを探している。『あっ、そういうことか!』ここで彼の穴掘りの理由が解った。白衣のおっさんらに『なに探しとるん?』と聞くと案の定『猫を轢いたという人から連絡があってね、それで引き取りに来たんやけど無いんやわ』と言う。『それならさっきホームレスの人が穴掘ろうとしとったから、そこに埋めたらへんやろか?』とその場所を見に行くと、白い毛が地表に現れた無造作な埋めかたで彼が飼っていたであろう白猫が埋葬されていた。だからといって市から派遣された人らも連絡があった以上手ぶらでは帰れず、さりとて掘る道具も持っていなかったので僕が掘り出して彼らに骸を託し作業は終了した。
その白猫を僕はよく知っている。なにせ我が家の猫の最大のライバルでしょっちゅうケンカしてたからね。行動力があってあっちこっちに出没していたから、いつかこんな日が来るような気がしていた。確か白猫の兄弟分も半年程前にやはり同じ場所で轢かれているし・・。それにしてもその猫を轢いた本人が市に連絡して処分を依頼するなんて、現場には小さなブルーシートが残されていたところを見ると、ひき逃げしたのではなく引き返して来てそれなりの対応をとったのだろう。骸にはかなりの出血痕があったので車に乗せるというわけにはいかなかったのかも知れない。そしてホームレスの彼もどれだけ白猫をかわいがっていたのかは知らないが、無造作だけどちゃんと埋葬してあげようとした彼の『心』を僕は感じることができた。無造作に埋葬してあったのも人目を避けたいがために急いでやったからそうなっただけのことだろう。いつも人目を避け、人との接触を極端に嫌っている彼にとってはそれが白猫にやってあげれる最大限のことだったのかも知れない。
彼は愛すべきものを失ってしまった・・

合掌

2008-12-12

Gパンランナー



Jackieを散歩する時間は毎朝大体6時から6時半の間で、この季節ちょうど朝日の昇り始める頃と重なり川面に映る朝焼けはそれはそれは美しい。ここのところ暖かかったりそう思うと急に冷え込んだりと気温の変化が著しいが、厳しく冷え込んだ朝などは川面から水蒸気が立ち上り、そのぼんやりとした中でシラサギやアオサギが朝ご飯を獲っている様子もまた風情があって心和まされる。
そんな散歩の道中いろいろな人とすれ違うが、そのメンバーに最近Gパンランナーが加わった。まだ二十歳代と思われる彼女はある朝から突然現れ、意表を突いてGパンにジャケットという身なりでランニングしていたのだ。普通ランニングをする人はジャージかウィンドブレーカー姿というのが相場だし、彼女の走る様子はどう見ても『ちょっと走ってみようと思いました』てな感じだったので、余計なお世話だけど『長続きせんやろな・・』と僕は踏んでいたが、もうひと月近く経つが彼女はまだ頑張っているのだ。しかも相変わらずGパンのままで走りかたも軽快じゃないのが微笑ましい。僕も上下黒のウィンドブレーカーにネックウォーマーをしてニット帽を目深にかぶっているので、かなり怪しい人間にしか見えず人のことをとやかく言えないが、最初はそんな僕を警戒していた彼女も何回か会うようになってからは向こうから『おはようございます』と挨拶をしてくれるようになった。ただし、たいていJackieの糞を処理しているタイミングですれ違うのでなんか格好が悪く、彼女に『この人犬のウンコばっか触っとる』と思われていないか内心気にはなっている。
さあて、一体いつまでGパンランナーは走り続けることができるだろうかね?

2008-12-11

キャッチボール


最近は毎日のように大企業の人員削減を報道し、それに伴って解雇された派遣労働者の動向についても詳しく紹介しているが、今朝のニュースの中で大分県にある大分Canonでの派遣切りについての報道では、解雇通告を受けた派遣労働者3人が労働組合を結成し会社側に解雇通告の撤回を求める『申し入れ書』を手渡そうとしたが、会社側の人間が『解雇通告は大分Canonが直接行なったことではなく、労働者を派遣している業務請負会社が行なったことで、預かり知らぬ』と受け取りを拒否していた。これを見たときは怒りが込み上げたね。解雇通告を直接していないと言うけれど、業務請負会社に人員を減らすようにと言ったのはCanon側であり、事実上の解雇通告にほかならず屁理屈を並べた逃げ口上にほかならない。しかも3人とはいえ組合側が提出しようとした申し入れ書を受け取りさえしないとは、どれだけ人を軽視していることか!職を失う労働者は必死の思いで訴えているのにそれに耳を傾けようとすらしないなんて!Canonよ、お前達の未来はもはや無い。
申し入れ書を提出した3人は解雇通告が撤回されるとは思っていないだろう、彼らはただ今回のことに納得がいかずその気持ちを訴えたかった、聞いて欲しかっただけだろう。そんな気持ちを踏みにじるなんてなんと器の小さきことよ。投げたボールが返されないことほど惨めなものは無い。彼らは自分が投げたボールを探しながら何を考えているだろうか?行き場を失った彼らの思いはどこを彷徨い、どこへ向かうのか?
ギリシャでの混乱を見よ!若者らの不満はちょっとしたきっかけで爆発し、一度その力が解放されるとしばらくは誰にも止めることができないだろう。年収1800万以上だけが金持ちだと公言する、そんな愚かな認識を持った政治家らに低所得者の気持ちなど解ろうはずが無いし、興味さえ無いだろう。
いま、不満や怒りが沸々と水面下に満ちつつあるのをあなたは感じることができるか?
その力を一気に解放することなぞ容易なことなのだ。一つのスイッチ、それを押すだけで社会は大混乱に陥ってしまうだろう。それを止める者がはたして現れるのだろうか?

2008-12-10

同調


先日、知人と話していたら話題が彼の息子さんのことになり、中学の途中から学校に行かず家に引きこもるようになってしまったという。今はちょうど高校生にあたる年齢だそうだが、やはり自宅からあまり出ることはせずゲームをしている時間が長いらしい。引きこもりになった直接の原因はいじめということで学校側にも何度かいじめの有無を確認したそうだが、当然のごとく学校側は『いじめはありません』の一点張りで話にならなかったとのこと。彼曰く、引きこもりの原因はいじめだとは思うがそれ以外にも何かあったかも知れない・・実は息子のことがよく分からない・・と。
この忙しなき現代社会に於いて、いじめ以外にも日々の様々な事象の移ろいの早さについてゆくことができず、それが大きなストレスとなって引きこもりのきっかけをつくっていることも否めないだろう。一度引きこもってしまうとなおさら周りのペースについてゆけず、それが疎外感を生み負の連鎖に陥るのは明白だ。しかし、待てよ?と思う。僕達はこの現代社会に一見平気な顔をしてのさばっているが、それをもって『正常である』と言えるだろうか?むしろこの移ろいの早さについてゆけない方が普通のような気もする。こんなこと仮定しても意味は無いが、もし200年前の世界に現代人が現れたならそのせせこましさに間違いなく異常者として扱われただろう。
そう思うと何が正常で何が異常なのかなんて分かりっこしない。むしろこの現代社会の中で平気な顔をしてやり過ごせる人の方が異常と言えるかも知れんな。

2008-12-09

Ring


会社に行く途中に小さな資材置き場がある。その前を通る時間によっては南アジア系の男性作用員をみかけるのだが、どうやら資材を運ぶ2tダンプを運転しどこかの現場に通っているらしい。彼を見かけるようになってからもう大分経つので日本に滞在している期間も相当長いのではないかな?
なぜ彼がそんなに気になるかと言うと、彼を見ていると若い頃一緒に測量のバイトをしていたスリランカ人のビッキーさんとセナさんを思い出すからだ。その頃僕はまだ二十歳にもなっていない青二才で外国のことも知らず、彼らと仕事をしながらスリランカのことなどを聞くのが楽しくて仕方がなかった。特にビッキーさんは30歳くらいで実は小乗仏教寺院の僧侶でもあり、お寺のことや実は好きな人がいることなど話題が豊富で話が尽きず、『それならウチに遊びにおいで』と何度かお邪魔しては手作りのスリランカカレーをご馳走になったものだ。その味は絶品でそれが僕の南アジアのカレーに対する評価を押し上げてもいる。この時だったな初めて手でカレーを食べたのは。
ただ、仕事をしながらいつも疑問に思っていたことは僕が当時時給900円だったのに、彼らは確か700円にも満たない賃金で働かされていたことだ。この時の違和感は今もはっきり憶えていて、それが何かしら今の僕のベースにもなっているとは思うが、なぜまったく同じ作業をしているのに差別するのだろう?僕と彼らとは一体何が違うんだ?彼らの方が年上であり、生まれた国と肌の色が違うだけで同じ人間だ。言葉も英語と日本語を入り混ぜて話せば意思の疎通も問題ない。なのになぜ?なぜ差別する?
この時僕らを雇っていた男はとてつもないケチ男で、彼らから何かにつけて搾取を試み文句でも言おうもんなら『クビだ!』と脅すような最低のヤツだった。もちろん人件費が安く済むから違法で彼らを働かせ、日本人との差額で利益を出していたようだ。そこには平等などと言うものは無かった。その点では一緒に働いているのに待遇の差があって申し訳ないと思っていた。
寒さ厳しき中での測量作業はスリランカ人の2人にとってはかなりこたえるようで、もこもこに着膨れして作業していたが聞くと雪を見たことがないと言うので『それなら峠に行こう!あそこは降ってそうだ』と、仕事をほっぽり出して峠道をグングン登ると辺りは急に暗くなり、峠に出た頃には吹雪になっていた。そこは一面真っ白であの時の2人のはしゃぎ様はほんと子供のようだったな。2人はたいそう喜んでくれたが後になって仕事をさぼっていたことが発覚し、ケチケチ男は僕らの給料を削ったわさ。
それから何年か経ち、海外での長い旅の途中スリランカへ寄ろうとビッキーさんの住所や写真を常に持ち歩いていたのだが、南インドに辿り着きトリヴァンドラムから空路コロンボへと思っていた矢先、A型肝炎に倒れ2週間の絶対安静を余儀なくされ、その後マドゥライにて試みたインドビザの延長も叶わず、時間切れでとうとう行くことができなかった。
彼らと再び会うことはできなかったが、彼らとの出会いが海外とりわけ南アジア圏に対する僕の興味を引き、日本を飛び出す一つの原動力となったのも確かだ。そう思うと、今こうしてアメリカ人の妻を持ち娘2人を授かったことも、その旅の途中で妻と出会っていることからして彼ら2人の存在が大きく関係していたわけで、とても不思議な縁を感じる。

いろいろな人と出会い、それぞれの環が形成され、その環がお互いに融合し更に大きな環を形作ってゆく・・
誰がその不可思議な作用を知ろうか?結果を予想できようか?
だから、生きることはおもしろい。

2008-12-08

ノルマ


ノルマと言っても僕の場合仕事とはまったく関係がない。この夏僕に課せられた大きなノルマは毎日10本近くもなるキュウリを必死に食べ、大地の恩恵を余すところなくこの身に受けることだった。結局いくらかは人にお譲りしてご協力頂いたが・・。そしてこの冬、再びノルマが課せられ一昨日から取り組んではいるが、これがなかなか大変だ。その冬のノルマとは・・秋口に僕が何も考えずに大量にばらまいた菜っ葉群、これらが僕の予想に反して大いに成長し穫っても穫っても一向に減らず、かえって適度にすぐられさらに成長を続けている。これをじゃんじゃん食べて減らさねばならんのだ。その菜っ葉もほうれん草程度ならいざ知らず親父殿からもらった野沢菜なぞは1m近くもの背丈になり、一把調理するだけでとてつもない量になる。それ以外にも水菜、春菊、名前を忘れたダイコン葉のような菜っ葉など仰山あり、これらを大量に消費するにはやっぱり鍋ということで3〜4人用鍋に山盛りに野菜を突っ込み、あとは蓋でぎゅうぎゅうと押さえつけて高密度の野菜鍋の出来上がり。これを修行と心得て何とかして平らげるとまるで自分が草食動物になってしまったかのよう。これだけ野菜を食べている人間もそうはいないだろう、と自慢できるくらいの消費量だが如何せん畑の野菜はちィ〜とも減っとらず、更なる修行が求められる。

2008-12-07

ゴミ拾うなり


昨日、この平野を侵した寒気も今日は勢力を弱めたようで、気温は低いが朝からすっきりと晴れ絶好の外仕事日和。まずは放り込み部屋と化している物置の整理から取りかかるが、中に無造作に堆積しているモノモノを外に出してみると、よくぞまあこんなに入っとったな!と思うくらい雑多なものが入り乱れている。要らんモノを片っ端から捨てて整理し直すとどうにかスペースもできて、またぞろ放り込む余地ができたというもの。これでしばらくは持つだろう。
物置をやっつけるとすぐさま草刈り機を装着して、飽きもせずに河川敷にて大車輪の働きを見せ勢力圏を拡大する。冬になりススキも葛も大分枯れ込み刈り払うのもいくぶん楽にはなったが、野茨は相変わらず手強く切れ味の鈍った刃では疲労も倍増する。それでも今日の目標分は達成して草刈りは終了したが、ゴミが大量に出現し火ばさみで挟んではゴミ袋に入れてゆく。ゴミを拾いながら『どうせ今拾っても大雨が降れば河川敷が水没し、大量のゴミが残されるだろうな・・』と思いはするが、そう言って拾わねば一事が万事、生きとる意味が無いというもの。今やれることを粛々とこなしてゆくだけさね。

2008-12-06

初雪


どこか寒さを孕んだ日差しの中、バタバタと大型の旅行鞄を車に詰め込んでいざ出発!いつもなら空港まで見送るのだが今回は義母が同行することもあり最寄りのJR駅までということに。土曜の朝は市内を走る車もまばらで『間に合うか?』とヒヤヒヤすることもなく余裕を持って到着し、発車の時刻まで子供達と戯れる。すぐにベルが鳴り響き『じゃあねー』と手を振ると、長女が少し寂しそうな顔をして『バイバーイ』と手を振ってくれた。去ってゆく列車に背を向けながら、いつもこの瞬間の気持ちだけは慣れるものではないな・・と改めて感じる。『心にぽっかりと穴があく』とはよく言われることだが、まさにその言葉通りに何か大切なものが僕の心から抜け落ちてしまったような印象を受けるのだ。家に一人でいるととても静かで何でもてきぱきとこなすことができるが、反対に言うと常に何かをしていないと寂しくてたまらないのだ。そんな調子で風が強まりつつあるなか物置を片付けていると、ちらほらと雪が舞って来た。遠く西方に目をやると巨大な雪雲が山嶺を越え、白いカーテンを引きずりながらこちらに迫りつつあった。そうだよな・・12月だもんな。

2008-12-05

年金特別便その2


社会保険庁に年金特別便が妻の分も含めて届いてない旨電話して調べてもらうと、なんのことはない引っ越す前の住所に送られていたようで受け取ることができなかったのだ。どうやら住所が変わった後に会社に対して住所変更届を提出したにも拘らず、それが社会保険に関しては反映されなかったようで旧住所のままとなっていた。そこで早急に担当部署に連絡し改めて住所変更届を提出したので、ふたたび社会保険庁に連絡して年金特別便を送る手続きを進めてくれと言ったら、『いつ住所変更届を出されました?』と問う。
そこで『数日前ですけど』と答えると、『それならひと月か、ひと月半経ってからまた連絡して下さい。社会保険の住所変更が確認され次第発送の手続きに移りますが、お手元に届くのにはそれからふた月ほどかかります』と平気で言う。『じゃあ、全部で最低3ヶ月はかかるということですね。それって、真面目にやれば1日か2日でできることじゃないの』と言ってやると、『さあ、そういう詳しいことは社会保険庁に聞いて頂かないと分かりません』と言う。『あのさ、この番号社会保険庁の年金特別便専用ダイアルのはずなんやけど、それで社会保険庁に聞けとはどういう意味やねん?』と噛み付くと、『私どもは委託を受けている業者でして・・』あまりのアホらしさにただただ気分を害するのみ。この瞬間自分は年金がもらえないことを確信した。いままでも十二分にいい加減だったが、あれだけ叩かれたあとでもこんな状態ならこの先年金制度がまともに運用されるとは考えにくく、破綻するのは目に見えている。制度自体が無くならなくてももらえる年金が減額されるのは確実だろう。前々から年金がもらえるなどとは考えてなかったが、今回のことではっきりしたな。
まあ、それにしても久しぶりに怒りを発した出来事でした。後味悪し救い無し。

2008-12-04

派遣切り


今晩のニュースを見ていたら非正規雇用者に対する契約の打ち切りや解雇について大きく取り上げ、このままだと今後更に多くの失業者が出て来るだろうと誰が考えても分かることを言っていたが、その中で派遣で働く、働いていた人々に密着したリポートには理解はできるが疑問を感じるところも多々あった。例えば解雇は違法だとする主張などがそうで、契約満了前にも関わらず企業側が業績不振を理由に一方的に解雇するやり方は確かに違法と思うし、法律的にはOKだとしても許されないことなので断固闘うべし!と思う。しかし、契約満了後の更改がなされなかったとして異議を唱えるのは、その気持ちは十分に分かるが致し方がないことだと思う。だって、派遣で働くということはそういう可能性があるということを十分認識しているはずだからだ。かといって『もう要らん』と言われたときの空しさは、そうなると分かっていても言葉では言い表せないくらい辛いものだ。
もう一つ、解雇は無効だと裁判している人もいるらしいが、もし裁判に勝って解雇が取り消しになった(可能性は低いが・・)としても、この時期は会社の業績が不振だから解雇したのであってその人々が裁判に勝って戻って来ても、会社が採算が取れなかったら結局倒産してしまうわけで、なにか的外れな印象を受けてしまう。しかも大抵の場合その攻撃対象は大企業など雇用側で確かに彼らにも大きな責任はあるが、雇用側有利の現行派遣法を制定し運用している政府側には、派遣法改正を求める意見より雇用対策や財政的な支援を求める声ばかりが強く、どうも目先のことだけに捕われている感がしてならない。そりゃ家族を食べさせなければならない人にとっては、目先のことが最重要課題なのでそう主張するのが当然だと思うが、そうでない人までがただ『助けろ、助けろ』騒ぎ立てるのは如何なものか?と、思うのだ。

2008-12-03

更新


我が家のMacはOSX10.3なのだがここに来ていろいろ不具合が出始めている。その主な原因は機械的なものではなくすでにOSX10.5まで進化したプログラムに合わせた環境を整えつつある、様々なアプリケーションとの整合性が取れなくなっているためだ。最近よくあるパターンはいつも使用しているアプリケーションからアップデートの案内が来て、そこでアップデートしようとしてもいざインストールする段になると『あなたのOSのバージョンが低すぎる』と出て実行できないのだ。そんなんだと当然不具合ばかりが溜まり使い物にならなくなる。かと言って現状今のスペックで十分なのに使えなくなるなんて理不尽じゃないか?もちろんOSだけを購入し、更新することは可能だがそうすると今使っているソフトの大半が使えなくなるのでいまいち踏み切れないでいるのだ。
こうなって来るとMacに始まり、携帯、デジカメといったようにデジタル家電が一斉に更新時期を迎え、そのどれ一つをとっても予算的なインパクトは相当でかい。そのでかさに比べて使用期間の短かいことよ!これらすべてのモノを手放せば気分的にも予算的にも大いにスッキリすることだろうが、そこは罪深きことにそれらの恩恵にどっぷりと浸かり、現状手放せそうに無いな。困ったもんだね。

2008-12-02

年金特別便


10月に発送を終えたという年金特別便だが、11月いっぱい待ってもまだ僕や妻の分が届いていない。家族や会社の同僚に聞くと皆届いているというので、まだもらっていないのは何かがおかしいということになる。そこで昨夜年金手帳をコピーして管轄の社会保険事務所に問い合わせるべく備えていたところ、先ほどのニュースで4万5千通もの特別便が配達されずコンテナの中で2ヶ月間も放置されていたという。近畿方面に向けというので僕達のが紛れているとは思わないが、何かの原因で届いていない可能性が高く明日にでも確認することにした。

昔からこういうケースでは貧乏くじを引く運命にあるので、慣れっ子とはいえ鬱陶しいことでもある。それだけ稀なケースで選ばれるのだから宝くじでも買ったら当たる確率も高いのでは?と思い、何度も買ったことはあるが未だ300円以上は当たったことがないていたらくなり。妻にもお金を捨てるようなもんだと一刀両断され、取りつく島もなし。

2008-12-01

夢遊


今日はダメな一日だった。と言って大失敗をやらかしたわけでもない、ただ何やら頭がボーッとしていて歯車が噛み合わないような、車を運転していても『今日はちょっと事故りそうな日だな・・』なんて、根拠のない予感に晒されて戸惑っている自分を同じ自分が冷静に分析していたりと、まったくもって何がなんだか分かりゃしない。
今朝起きたときは至って普通の朝でそんなもやもやした感じもしなかったが、通勤の道すがら僕の前を砂利を満載したダンプが時速40km以下という速度で走っていて、そのあまりの遅さにイライラしていたのだ。それがふと気づくとダンプの姿は消え軽自動車が前を走っていた。このとき一瞬わけが分からずダンプの行方を思い出そうとしたにも拘らず、さっきの信号で右折したのかな?という程度しか心当たりがなかった。確かに自分はダンプの行方を見ていたはずだが、その実何も見ていなかったのだろう。そんなことは僕にとってはたまにあることで恐ろしいことに赤信号を見落としたこともあるぞ。何が原因でそんな脳内作用が起こるのか不思議だが、モノをなくしたりするときはたいていそんな時なんだろうね。

ま、ダメなわりには良くできた方だということにして、今日は寝るとしよう。

2008-11-30

円環


ある重要なプロジェクトを抱えてPANALI邸にやって来たはずが、毎度のことながら大きく脱線して手を掛けることもなく、今日も山の中の人となる。とはいえ昨日よりは風強く空気はひんやりとしているが、山中にあっては巨大な樫や椎の枝葉の間から陽が所々に差し込み、心は癒され疲れも知らず、沢を登り尾根上を探索し、崖上に出てはPANALI氏の指し示す山の峰々を遠望し、再びウバメガシの多い極相林へと分け入り、いにしへ人らの痕跡を尋ね歩く。森の中を彷徨い歩けば縦横に走るもののけ達の道を見付けることができ、それらをトレースして尾根上の平場に出ると、そこには遥か昔に埋もれし人々の想いが広がっていた・・。
少し昂奮気味になりながら尾根を巻き、沢に下ると、我らが歩き始めし地点に戻り、これで大きな円環を成したことになる。
何か暗示的とも言えるきょう一日は、未だに残るもやもやとした釈然としない感覚を僕に残したまま、もうすぐ日を改めようとしている。
そうだ、円を閉じたときからもう次の行動は決まっていたのだ。
僕は再び此処に戻らねばならない・・

2008-11-29

石巻山


天気快晴にてこれ以上にないというほどの絶好の登山日和。PANALI氏と再合流して一路山上を目指す。途中子供らの大群とすれ違い『なんの騒ぎか?』と問えば、『幼稚園のOB会』とさ。今どきは幼稚園でもOB会なんてやるんだね。子供達も次から次へと大人達が仕組んだ行事に参加させられ、さぞや忙しいことだろうな。思えば自分が小さい頃は山ばかり行って遊んでいたものだ。それが今になって大きく僕に影響しているなんて、毎週末のように僕ら兄弟を山へ連れ出していた当の親父殿は気づいてはおらんやろな・・。そしてそれをいま僕が感謝していることも親父殿はまだ知らない。なんか照れくさくて、言いにくいさね。

2008-11-28

諸人集いて・・


一足早い忘年会をば、下界を見下ろす山上にて行なう。
温泉に入り大弛緩して、足をう〜んと伸ばすなり。
久しぶりに顔を合わす者とあれこれ語らい、お互いの労をねぎらう。
一時の混乱は山場を越えたようだ。
これから、やっとこれから大きく動き出すのだ。

2008-11-27

Heritage Seed


「大地は親からゆずり受けたものではない。子供たちから借りているものである」 ケニアのことわざ

これは最近興味を持っているHeritage Seedについて調べていて見つけた言葉。この簡略な言葉が意味するものは深く、それぞれの人間がこのことわざのような自覚を持っていたら、現代世界に蔓延する諸問題の多くが解決されるのではないか?とさえ思えて来る。

さて、Heritage Seed。要は植物の多様性を無視し、人間様の都合の良いように交配・改良を重ねた種子ばかりがマーケットを占め、個々の植物が持っていたはずの本来の匂いや味、強さを失いつつあることに危機感を持ち、在来種の保護と育成を行なう活動から生まれた在来種子のことを言う。特に野菜を中心とした在来種の保護は西欧諸国で活発に行なわれており、大勢のボランティアがそれぞれの家庭菜園で絶滅の危機にある種子を育て、またお互いに種子交換などをして活動の輪を広げている。
確かにホームセンターなどへ野菜の種を買いに行くと、『タキイ』『サカタ』といった国内大手企業の種子が多く並んでいて、そしてなぜか日本在来種と思っていたものが原産国を見るとアメリカなどとなっていて、国内で生産された種子はほとんど無い。これは世界の種子市場の約20%のシェアを上位3社の巨大企業が牛耳り、あくまでも市場向けに『売れる』種子だけを改良・育成し販売しているからで、このまま行けば『売れない』種子は見放されついには絶滅してしまう。たしかに種子を買うものにとっては耐病性があり、多収穫の改良品種はぜひとも選びたいものだが、そもそもこういった種子は一代交配種であり品種の特性は一代きりのもので、同じ収量を望むならもう一度種子を買うしかない。これこそ種子開発企業の思う壷でこういった負の連鎖から遺伝的に多様性が失われ品種が単調化して、結果的に病気や気候の変化に弱い品種ばかりになってしまう。こうなってからでは在来種を取り戻そうとしても既に絶滅し手遅れなのだ。

いま日本でHeritage Seedにどの程度の関心と活動が行われているのか分からない。これから調べて行こうと思っている。
子供の頃に食べた青くさいトマトの味。そして、どうだ!と言わんばかりの人参やピーマンの味。最近の野菜はどれも味や匂いがあまりしないと思いませんか?我が家庭菜園で穫れたトマトですらおとなしい味だと思う。あのトマトの味をまた探し求めたい。どこかにまだ種はある筈だ。その種を播き、味と香りを繋ぎたいと思う。

2008-11-26

親と子


子はやはり親を真似するもので、最近長女は外でいろいろな植物の種を拾って来ては『Daddy、ねえ、この種一緒に植えてよう〜』とねだって来る。今日拾って来た種は長径1cm弱のラグビーボール型をした濃い茶褐色の種で、始めて見るものだった。拾った場所は2m程の高さに育ったアカメガシの生け垣の下だというから、アカメガシの種かも知れないが昨日も書いた『日本の樹木』にはアカメガシ(レッドロビン)が載っておらず確認の仕様が無い。しかし、他のカシの木々と比べてみてもいわゆる『ドングリ』とは外見が違うのでアカメガシではないような気がする。こういうもどかしさが僕は一番嫌いだな。やはり新たなる図鑑が必要になってきたぞ。

まあ、こんな調子で長女が拾って来た種をいくつも育苗ポットに植え付けて放置してあるのだが、これらの一つでも芽吹けば長女は大喜びだろうな。って、実は自分が一番うれしかったりして・・。なにせ木の種を見かけたらどうにも我慢できずに拾ってるからね。ほんと木を育てるのは楽しいな〜。自分が生きているうちに完結しないのがいいよね。自分が滅んでも木は生き続けるだろうし、誰かに受け継がれてゆくわけだ。種を植えて、ほったらかしにして、ある時気づいたら芽が出ていた!この時のうれしさはたまらないね。
そうじゃない?

2008-11-25

検索図鑑


気になる木を見かけたりすると図鑑を見てその樹種名を調べるのが密かな楽しみでもあるのだが、今持っている図鑑では物足りなさを感じて、新しいものを購入しようかと検討している。今のものは山と渓谷社の『日本の樹木』で、分厚く写真もそれなりにきれいでただ見ているだけでも楽しめるのだが、細かく樹種名を特定しようとすると掲載されている写真が樹木全体を写したものが多く、個々の樹木の特徴をいまいち捉えきれておらず図鑑としては役不足だと感じてしまう。そこで先日樹木調査の専門家が来てくれたのを良い機会に、どんな図鑑がお勧めかを聞いてみたら、彼が『外に出るときはこれを使っています』と言ってみせてくれたのが同じ山と渓谷社の山渓ハンディ図鑑『樹に咲く花』シリーズの計3冊で、一冊の厚みは『日本の樹木』とほぼ互角だがハンディと言うだけあってA5判と持ち運びも便利そうだ。そして中の写真は驚きで新緑、葉、花、夏姿、果実、種子、紅葉、樹皮、冬姿、冬芽というように樹木のライフステージに合わせて一覧で見れるようになっている。これだけ詳細な写真があると樹木の特徴さえ掴めば樹種名の特定は難しくないような感じがするが、専門家でもやはり判断つきかねるものもあるそうで、そこがこの道の奥の深いところ。
『樹に咲く花』は一冊が3780円だから3冊で1万円を超えてしまう・・が、勉強のためには必要だ。

2008-11-24

冷たき雨


朝起きて雨戸を開けると、目がつぶれそうなくらいの日差しを浴び『よう晴れとるやんか!』と呟いたのもつかの間。朝ご飯を食べているうちに徐々に曇り始め、気温がグングン下がって来る。妻も朝の天候を見て『これならいける!』と3回も洗濯したのが裏目に出て、シーツなどは外に干すこと叶わず結局乾燥機で乾かすことに。僕も外仕事がいくらかあったので雨が降り出す前に・・とさっそく作業に取りかかる。さて今日の仕事は相変わらず河川敷の薮の処理で、今までに刈り倒して山のように集積してある草や雑木の内、自然に分解されにくそうな野茨や太めの枝を焼いて処理しようと先だって集めておいたひと山に火を放つ。枯れたススキや葛の葉はよく燃え瞬く間に巨大な炎をあげてすべてを呑み込んでゆく。油分を含む野茨はパチパチと小気味良い音をたて爆ぜながら炎に包まれ白化してゆく。
こんなたき火も今のご時世、地球温暖化の観点からすべきではないのだろうが、逆にこんなことまで禁止するような人間の今の営みとは一体何なんだろうと考えさせられる。
炎がさらに勢いを増して来た頃、空から雨が落ちて来た。火が消えぬ程度に降ってくれると空に舞った灰も遠くまで飛ぶことなく、煙も目立たず都合がよい。ある程度集めておいた草の山を処理した頃、雨脚が強くなり火の勢いも大分衰えて来た。そろそろ潮時だな・・くすぶり続ける灰の山を残して家に引き上げると、雨の降りは一層激しくなりしばらく白い煙を上げていた灰の山もとうとう消えて落ち着いたようだ。まだまだ河川敷一面には刈り倒した草があふれかえっている。その処理をどうするか未だ思案中。燃やすのは簡単だが二酸化炭素をこれ以上発生させるのはやはり気が引けるしな・・

2008-11-23

Thanks giving





この時期毎年恒例のThanks giving partyを行ない、家族や友人など総勢13名でワイワイガヤガヤと楽しく食卓を囲む。アメリカでは感謝祭は七面鳥を焼いて食べるのが習慣だが、日本においては国産七面鳥の入手が困難なのと注文しても結局はアメリカからの冷凍輸入で、家に届く日時を確定できない問題(いくらアメリカ本土に比べて小振りとはいえ、6〜8kgもある七面鳥を調理当日まで冷凍保存するスペースなどない)から今年は鶏を使うことにして、先日近所のスーパーで頼んでおいたものを取りに行くと2羽で大体5千円くらい、1羽あたり2Kgちょいといったところ。去年6kgの七面鳥を使ったことに比べれば大分小さいが、まあなんとか足りるだろうということで調理開始。そうこうしている間に皆が到着し始め、一気に家が賑やかに。そこへ先日連絡のあった10年来の友人KT氏が到着し更に場は盛り上がる。いよいよこんがり焼き上がったローストチキンにナイフを入れ、グレービーソースやクランベリーソースをたっぷりのせてスタッフィングなどと一緒にいただく。んー最高!と叫びたくなるほど美味く、あっという間に2羽のチキンを平らげる。メインディッシュをたらふく食べたあとはパンプキンパイとアップルパイのダブル攻撃でさらに腹は膨らみ大満足。そのうえ宇治抹茶アイスとオーストラリア産マンゴーアイスバーも登場し、もう入らぬと思ったのにアイスは別腹、ぺろりと一本食べてしまいそれで今日の打ち止めとなりました。アフリカから帰ったばかりのKT君も大いに活躍し、その旺盛な食欲と食べっぷりには料理を拵えた義母や妻も感心して大喜び。これからは毎年彼を呼ぶように!と、ご指名まで出まして大団円でございました。

何はともあれ、集まってくれた皆と、感謝祭の料理に腕を振るってくれた義母や妻に、ありがとう。

2008-11-22

予防接種の日


今日は早よから家族揃って近所の医院へ行き、インフルエンザの予防接種を受けて来たのだが、連休ということもあってか8時半の開院時間に行くともう何人も待合室で待っており、案の定注射を打つまで1時間近くも待たされ子供達も待ち疲れてぐにゃぐにゃに。待ち合いにいる他の人の様子は咳き込むような人はおらず、今の時間帯は概ね軽度の人が多いのかな?という印象で僕達と同じくインフルエンザの予防接種に来ている人も多いようだ。
僕達の前に注射を受けに診察室へ入った男の子は大いに暴れ泣き叫んでいるようで、少し静かになったと思うと今度は母親の『信じらんな〜い』の声が・・どうやら抵抗していた男の子が恐怖のあまりオシッコを漏らしてしまったようで大騒ぎに。男の子を膝に乗せて注射に備えていた看護士さんもまともにかけられたようで、他のスタッフが青色の上着を持って右往左往している。落ち着いてからしばらくするといよいよ我が家族の出番だ。長女から注射を打ったがさすがは赤ちゃんの頃より注射をされても一度も泣いたことがないだけあって、全然ヘッチャラの顔をしている。次女は泣くだろうと思っていると自分の目の前で姉が平然と済ましたのを見たせいか驚いたことにこちらも泣かずに終了。大騒ぎをした男の子の後だけに医者や看護士も感心して飴をくれましたとさ、めでたしめでたし。

2008-11-21

野生生物調査人


何となくそんな予感がしてたんだ・・まだ会ったことも話したこともない人だったのに・・

ここ数日あるお寺の樹木調査をして来たが、今日は樹種名を特定するためにその道の専門家に来てもらい、平面図に落とされた樹木分布図をもとに同行する僕が樹種名を書き入れてゆく寸法だ。樹木調査を行うこと自体初めてなので要領が分からないが、とにかく樹種名さえ分かれば何とかなるだろうと軽い気持ちで専門家をお待ちする。時間通りに現れた彼は小柄で物腰の柔らかそうな人だったが、思慮深そうで何か一本通る強さを持った人物に見えた。渡された名刺には『野生生物調査人』と記されており、フリーランスで活動しているのだと言う。主な仕事は山野を切り開く開発前にそのエリアに何が生息するのか?という分布調査などであり、やはり猛禽類の生息域調査が多いという。ただしそんな毎日仕事があるわけでもなくそれだけで食べてゆくのは大変だとも言っていた。
仕事を始めると彼は僕が指し示した樹種名をいとも簡単に答えてゆく。僕も前もって自分なりに樹種名を書き込んでいたが、常緑樹は見分けがつかず成績はいまいちだ。一緒に作業しながら見分けるポイントなどをアドバイスしてもらい、何やら課外授業の様相を呈して来たがそれもまた良かろうと、じゃんじゃん質問を浴びせてゆく。そんな僕の攻勢にも快く丁寧に、しかも3倍くらいにして答えてくれるので、調査後半には僕自身で『これは○○ですよね?』と特定し、彼の所見を待つというペースで仕事を進めてゆく。
仕事をしながら彼と様々なことを話したが、不思議といろいろな点で共通点がありお互いに驚くということになり、自然と会話も弾んでゆく。聞けば彼は僕と同じ同郷の人で、同じような視点で物事を見、感じ、論じている。今まで初対面の人とそんな踏み込んだことまで話したことはあまりないが、彼はそういうことを感じさせないほど何か僕と引き合う点を持っているようだ。そうだな、ひと言でいうなら『話していて楽な人』とでも言おうか?
そんな調子で作業はすこぶる順調に進み、僕にとっても大いに勉強になった充実した一日だった。作業が終わったあとも何となく名残惜しくてお互い寒さに震えながら普段思っていること、思いついたことを話してここは一先ず撤収することに。
そこまで気が合う人は中々いないもんで、今日は貴重な出会いができてほんとうれしき一日だったな。

2008-11-20

インフルエンザワクチンの謎


近年は子供に移すといけないのでインフルエンザの予防接種を受けるようにしているが、毎年ピークが近づいてから思い出したように受けるので、いざ受けようとしてもワクチンが無くなってしまっていたり予防接種を受ける人の予約がいっぱいで、たかが予防接種なれどなかなか苦労させられることが多い。そうやって予防接種が可能な医院などを探している時に当然1回いくらなのか?と聞くのだが、その答えに驚く程ばらつきがあるのでそのばらつきの原因はどこにあるのか?を知りたいとも思っている。例えば今のところの最高値は予防接種1回につき4500円であるのに対して、最安値は1500円とその差は3倍にもなる。じゃあ高い額を払えば予防接種の回数が減るのかと言えばそんなはずもなく、ワクチン自体は同じでやっぱり子供は2回打たねばならない。ちなみにワクチンの価格設定で言えば1回2000〜3000円という医院が多く、その辺りの価格帯で予防接種を受けれるところだったらまずまずではないかと思う。先に書いた1回1500円という医院の情報は娘の通う幼稚園の同級生の親さんが教えてくれたもので、さっそく電話してみると確かに1500円だと言い、完全予約制とのこと。予約をお願いすると『今は大変混んでますので12月29日しか取れませんがよろしいですか?』ときた。それじゃああまりにも遅過ぎるので諦めることにしたが、皆が集中するだけ安いということでもある。しかし、これだけ価格差があると不公平感も出て来るので自治体からの補助は別として全国一律2000円などと政府が決めてしまえばいいと思う。2000円程度ならまだ受け易い価格帯だと思うし、国としてみても皆が予防接種を受けることによりインフルエンザ罹患者数が減少すれば、健康保険費用もグッと下がり結果として国の支出を抑えることにもなるはずだ。そんな簡単な計算式なのに国が実行しないのはやはり製薬会社などからの目に見える働きかけが相当のものだからなのだろう。

2008-11-19

テロテロ言うな!


そりゃ、人が殺されたんだから大騒ぎするのはあたり前だと思うけど、犠牲になったり狙われた人達が元厚生省の事務次官だったというだけで、普通なら『殺傷事件』として取り扱うものを『前例のないテロ事件』として騒ぎ立てるのはいかにも浅はかなことと思わないかい?昨夜NHKのニュースを見ていたときもこの事件を大きく取り上げ、そこに解説として出ていた社会部と思われる人物は昂奮気味に『これは明らかなテロ行為』と断言していた。それ以降のニュース番組ではほとんどが今回の事件を『テロ』と位置づけ『年金テロ』なんて言葉までも出ていたな。しかしさ、何を以て『テロ』とするかは別として、こうたやすく使われる『テロ』という言葉自体に僕は違和感を感じてならないがどうだろう?アメリカで起きた9.11th以来、恐怖の代名詞として『テロ』という言葉は多用され、『テロとの闘い』なんていう利権主義者には便利でたまらない言い回しまで登場し、それこそ世界を恐怖のどん底に突き落として来た。ブッシュ政権はことさらに『テロ、テロ』と言っては国民の恐怖心を煽り、それを利用して自分達のやりたいように物事を動かして来た。もはやそれが破綻して8年間に渡る悪政の結果を皆は知ってしまったのだ。そんな経緯で安易に使われて来たこの『テロ』という言葉を何のためらいもなく発するNHKとそのスタッフの質の低さにはまったく呆れてしまう。
昨夜から今朝にかけそんなテロテロ言葉をあまりに聞かされて来たので、ちょっと食傷気味だな。

2008-11-18

2つの知らせ


西風が強まり気温が急激に下がるなか帰宅すると、義母を中心に妻や娘達が女ばかりでワイワイがやがやと晩ご飯を食べていた。その光景を見て『このままあと10年もしたら自分の居場所は無くなるんやろな・・』と言わば直感として自分の身の振り方を考えていると、妻が『今日は2つのBig Newsがあった』と言う。詳しく聞くと3年前アメリカに帰国した妻の親友から妊娠したと言う知らせが来たらしいのだ。『それは良かった!』と驚きと共に、いま妊娠4ヶ月の双子の女の子の赤ちゃんが無事生まれることを心から願い、祈りたい。というのも、親友のレイチェルは3年前も今回同様双子の赤ちゃんを身ごもっていた。それが突然出血し、死産ということになってしまった・・。死産に至る経緯も妊婦健診にかかっていた産婦人科の拙い対応と措置、加えて産婦人科では手に負えなくなった後に運び込まれた市民病院の更なる拙い措置で『もう子供は生めないでしょう』と突き放されてしまった。彼女は身も心もズタズタに傷ついて、とても日本に留まることはできず帰国することに決めたのだ。当然妻も引き止めることはできず、むしろ帰国を薦めたくらいだった。彼女がアメリカに帰りもう一度病院へ行き精密検査を受けたら、医者は日本での死産に至る経緯を詳しく聞き内視鏡で子宮内を調べ、日本の医者が死産後の後産を掻爬したときに子宮内を大きく傷付けたこと、しかし妊娠はこれからも可能だという答えを聞き、もう一度赤ちゃんを授かる希望が生まれ元気が出て来たということを聞いていた。彼女の夫は日本人で彼の実家が我が家からそう遠くもないところなので、毎年正月には来日し短い時間ながらお互いの近況を語り合っているのだが、きたる新年は妊婦ということもありリスクを避けるため来日しないことに決めたそうだ。それはそうした方がいい、何よりも身体を大事にせねば。でも双子とは生まれてからが大変だな。
さて、もう一つの知らせは一転妻もトーンダウンし、そのレイチェルのお兄さんが急に亡くなったと言うのだ。詳しい死因は聞けなかったそうだがまだ34歳という若さでもあり、ついぞ病気がちということも聞いてなかったので交通事故か何かかもれない。

一方は『生』を、もう一方は『死』を知らせて来るなんて、なんとも皮肉なことじゃないか?しかしそれこそが『命』のすべてであり、人知を越えた『宇宙』のサイクルなのだ。

2008-11-17

寝相


自分も相当寝相が悪いが子供達に比べたらかわいいもんだ。毎日大体8時半前後にはベッドにつかせ、9時までは本などを読んでいても良いことにしている。そして時間が来たらベッドの電気を消して寝ることになっているが、なかなか寝付けないときは10時近くまで起きていることもある。9時を少し過ぎた頃様子を見に行くと長女はたいていちゃんと電気を消し鼾をかいて寝ている。やっぱり幼稚園に行っていると遊び疲れてよく寝れるようだ。これは僕ら夫婦にとっては大変大きなことで、赤ちゃんの頃からあれだけ寝なかった子が自分でちゃんと寝るなんてまるで夢のようなことなのだ。とはいえ、朝まで一人で寝ているかと言うとそうではなく、真夜中辺りにオシッコに起きた後は僕達と一緒に寝ることになっているらしく、そうしないと愚図って大変なことになる。まあ、これからの季節、子供と一緒に寝る方が温かくて気持ちがいいから大歓迎だけどね。
さて、次女はと言うと、いまはちょうど夜泣きがひどい時期なのか真夜中過ぎにうなされては大声で『ママー!』と叫び、その後は大泣きに泣いてこれまたどえらいことになる。ベッドの上でもまず真っすぐになって寝ていた試しがなく、上下逆さはあたり前、寝てしまった後も時折大きく動いてベッドのフレームに頭をぶつけ、それが夜泣きのスタートになることもしばしばだ。様子を見た時は布団を着ていないことがほとんどなので、寝冷えをしては・・と布団をかけてやると、そっと掛けたにも拘らず敏感に感じ取ってこれまた『ママー!』と来る。
子供達にはそれぞれ儀式というものがあって、一見バカげていてもそれらは重要な通過儀礼であって、これを怠ると途端にリズムが崩れて寝つかなくなってしまう。

手は焼けるがとかく興味深いもんだよ、子供というものは。

2008-11-16

草刈り人


こんな所の草を刈って、一体あやつは何をしとるん?という視線を県道に架かる橋上より感じつつも、そんなのお構いなしに今日も雨が上がるとさっそく草刈り機ぶん回して、バッタバッタと刈り倒す。1時間程作業を続け『まあ、これくらいでいいだろう』と言えるところまで刈り終えることができた。どうだろう、この河川敷だけでも200坪近くは刈ったんじゃないかな・・昨日新品で下ろした草刈り機の刃もススキや野茨といった硬めのものを刈り続けたので切れ味は鈍り、夕方にもう一度ダメ押しの草刈りをした時は石に当てたこともあって全然切れなくなってしまった。それくらい激しく刈りまくったということだな。
この薮を切り開いていると、水嵩が増した時に流れて来たペットボトルや発泡スチロールといったゴミがわんさと出て来るが、これが拾っても拾っても切りがなく一体どれくらいの数が流れて来て、この薮に埋もれているのか見当もつかないくらいだ。取り敢えず一カ所に集め始めると、例えば缶やペットボトルのジュースの銘柄でどれくらいの時期のものかが大体分かるが、中にはもう見かけなくなったような古いものまで混じっており、改めてこの薮が相当期間荒れ放題のまま放置されて来たのかがよく分かる。とにかくこれだけ荒れてしまった以上、そう簡単には戻せないが、始めは無理してでも背丈以上に伸びてしまった草を刈っておけば、次年度は大分手入れが楽になると思う。そうであって欲しいと信じたいよ。

2008-11-15

開拓魂


思ったよりも早く降り出した小雨の中、ここ数ヶ月間時間を見つけて続けている河川敷の草刈りを敢行する。今日の作業は安物だが新品の草刈り刃と交換したこともあって切れ味鋭く気持ちが良い。ススキの中に隠れている太めの野茨にも刃が弾かれることなくスパッ!と刈り払うことができ作業効率が格段に上がっているようだ。1時間程の草刈り作業で取り敢えず最初の目的は達成されたが、まだまだ周辺はススキ・野茨・葛の密生地で荒れ放題なのだ。まずはこれらを薙ぎ払わないと木も育たないし、いま生えている木もその枝に葛が覆いかぶさってこのままでは負けてしまうだろう。もちろんここを切り開く理由はあって、ススキや葛を蔓延らせる代わりに我が家の庭にあるラズベリーとブラックベリーを移植することを手始めに、徐々に木などを植えて自分の思うがままに使ってやろうと算段しているが、まとまった雨が降るとこの河川敷はすぐに水没してしまうのでその辺りも勘案しての計画立てをせねばならず、そこがまた面白いのだ。そもそも自分の土地でもないのに好き勝手にできるなんてなかなかのロケーションだとは思わないかい?まだ先は長いが、楽しみも多いということだ。

この時期恒例となった義母来訪。来月始めまで滞在し、妻や子らと一緒にアメリカに帰国予定。義母は柿が好物なのでちょうど良いタイミングだな。

2008-11-14

茶番


給付金に対する政府の混乱ぶりを見ていると、呆れを通り越してほんとつくづくこの国の偽政者は愚か者ばかりで、このままではこの国の行く末が危ぶまれてならない。給付金受給の制限の目安についても1800万以上なんて、一体どれだけの人がいるというのだろう?政府はこんな発表を行なうときは確固とした根拠を示し説明する義務がある筈だが、それがまったく為されていない。所得1800万以上という政府の見解も納得できず、我が市に於いて所得600万以上ある家庭には児童手当が出ない、というのに同調させて給付金も制限を設ければいいと僕は思うがいかがだろう?
いずれにせよいくら給付金が配られたところでこの金融危機・景気減速から抜け出す切り札になろうなんてことは愚かな妄想であって、期待できるはずがないのは分かりきったことだ。この麻生内閣も先の安倍君、福田君と同様に大きな混乱だけを引き起こして『後のことは知らん!』と尻をまくるのは時間の問題だろな。ああ、なさけなや・・

2008-11-13

夢の跡


もののふどもの夢の跡を読み取らんとて今日も1日城山の薮の中に潜伏し、力弱く飛ぶヤブ蚊に時折刺されながら犬走りを行ったり来たり登ったり降りたりと忙しなく、調査探索する斜面は急峻で油断をすれば真っ逆さま、崖に取り付き下を巻きケモノ道をトレースすると辿り着いたは櫓跡、これで2つの櫓が連絡し本丸下の防御網の一端が確認できたことになる。こんな道は江戸時代の古地図にも一切描かれておらず更に古い戦国の世の所産なのだろう。いままでに何度もこの城山に分け入っているが、不思議なことに見る角度が違えば見えて来る遺構の様子も大きく異なり、これまで気づかず見逃して来たいくつか痕跡をメモに取り測量図より大体の位置を特定し、今後の調査計画の立案参考として周辺の様子を撮影したところで次の遺構へと移ってゆく。僕は城の縄張りのことなどよく知らないが、自分の足で歩き現地の様子を確認し、当時のもののふの心情を想い、もし自分がここを守るとしたらどうしただろうか?攻めるとしたらどこを狙うか?などと考えながら探索している。なので僕の頭の中には『この時代の城はこうあるべきだ』や『こんなはずは無い』なんてことはなく、あるがまま残るがままの地形から勝手に想像しているだけで一般論からは大きく逸脱しているのかも知れないが、そこはいにしえと言えども同じ人間のやったこと。其の辺りの想いが共振すれば一人歩きの学術論の罠にはまることもなく、意外と史実を突いていることになるのかもね。