2018-12-31

日本へ
















10日間のアメリカ滞在を終え、日本に帰国する日がやってきた。本当にあっという間だった。毎日なんらかのイベントがあり、1日ものんびりする日が無いままの帰国だ。
まだまだやりたいこと、やらねばならないこともあったが、今回はここまでだ。妻もやることが山ほどあるので、自分たちより数日遅れて帰国する予定だ。
今度はもう少しのんびりと滞在したいな。

2018-12-30

シアトルへ

















Leavenworth最後の朝は快晴だった。
周囲を高い山に囲まれているため太陽はまだ現れていないが、空は青く雲ひとつない。昨夜降り続いた雨のあとに冷え込んだものだから、道路はツルツルに凍っていてかなり危険だ。朝食を食べ終えた頃には太陽も顔を出してきたが、気温が上昇したことで霧が発生し、周辺は幻想的な様相を呈している。
まだ道路が凍結していることを考慮して、行きに来た道を通るか、それとも別の道を試すか悩んだが、状況とかかる時間が同じならば行ったことのない道を行こうと、帰りも僕が運転することにした。
Leavenworthの街を出ると案の定道路は完全に凍結しており、慎重な運転が求められる。それでもこちらのルートは谷が浅く、日当たりが良いので比較的早く氷が溶けて安心して運転できるようになった。それにしてもアメリカの道路は広くて走りやすい。日本で言うなら県道クラスの道でもほぼ高速道路と同様で信号は全く無く、100〜120kmでの走行が当たり前だ。山間を通る道ですらそれくらいの速度で走ることを前提に道が作ってあるので、ビュンビュン飛ばせるってわけ。大したものだよ。
約200kmの行程を2時間弱。この間ノンストップだ。そしてインターステイトと呼ばれる片側4車線もある高速国道も走るが一切高速料金はかからない。ガソリン代も4リットルで360円だから、以前より高くなったと言えどもまだまだ安いよね。ほんとここは自動車大国だよ。
ちょうど昼過ぎにシアトルに着き、昼食を摂るとすぐに明日飛ぶためのパッキングに取り掛かった。そして夕方にはまた義理の叔母の家に行き、皆でディナーを楽しみました。
別れ際、皆が「また来てね」と言うものだから、近いうちに必ずまた来る、と心に誓うのだった。

2018-12-29

義母の願い

















天気予報では昨夜から雨となっていたので、朝起きた時はザアザア降りだとばかり思っていたら、カーテンを開けると日が指しているではないか!夜中のうちに新たに5cmほど雪が積もっており、気温は−3℃。すぐに皆を起こし、朝食を食べ、外に飛び出したよ。
予報を改めて見ると日中は50%ほどで推移し、夕方からは100%となっていた。ならば可能なうちに思いっきり遊んでおこうとソリ滑りができる所に行くと、まだ誰もおらず貸し切り状態。ここでさんざソリ滑りを楽しんだあとドイツ風料理の店でランチをして、だいぶ山に雲が掛かって来たもののまだ雨は降り出していなかったので、川べりにあるトレッキングルートを次女と三女をソリに乗せ長女と一緒に引っ張りながら周遊したよ。
気温が上昇したので昨日はパサパサで作れなかった雪ダルマを皆でワイワイしながら作り、その出来栄えに一番うるさい次女が納得できるものを残すことができた。
午後3時過ぎには雨が本格的に降り出してきたのでホテルに戻り、皆でボードゲームを楽しんだが、娘たちによると今までで一番雪遊びができたんだそうな。そりゃこの二日間、外で遊び疲れるまで遊んでいたからね。当初は雨で全然ダメだと思っていたけど、結果的には最高の状態で楽しむことが出来たわけだ。
今回、いつも泊まっていた街の中心部から少し離れたホテルを予約出来ず、唯一空いていた街中のホテルに泊まったが、部屋は若干狭かったものの何をするにも至極便利な立地であったことが幸いして、楽をする事ができた。
「自分が居なくても楽しんで来てほしい」という亡き義母の願いが、この幸運を導いてくれたに違いない。

2018-12-28

Leavenworth

今はシアトルから2時間ほど東へ車を走らせた、深い山の中にあるLeavenworthというリゾート地に来ている。ここは日本風に言うならばドイツ村といった感じで、小さな街全体がドイツの田舎風に作られたこの辺りでは有名な観光地だ。
ここ数年、妻や娘達がクリスマスにアメリカに帰国すると、亡くなった義母と一緒に訪れ雪遊びをする流れが出来ていた。今回は亡くなった義母の遺志を汲むために訪れ、大いに楽しんでいる。
雪は例年に比べ少なく、ここに至る道も例年ならチェーンを履かねばならないが、今回は零下の環境で凍結していたもののチェーン無しでスリップせずに来ることが出来た。スバル車で雪道を走るのは初めてだったが、やはり四駆の走破性の良さには関心させられたよ。
Leavenworthに到着すると小雪が舞っており氷点下3℃、それでもそんなに寒さは感じない。積雪量は15cmほど。気温が低いため雪合戦のための雪玉を作ろうとしても、雪がパサパサで固まらず、雪ダルマも作れない。それでもソリ滑りは最高で、街外れの空地にある坂などで大いに滑り、びたびたになって帰って来たよ。
夕食は賑やかなメインストリートから外れた地元の人も来る家族経営の小さなレストランで食べ、ここで出たクラムチャウダーは最高に美味かった。
明日も泊まる予定だが、あいにく一日中雨の予報。普通は雪で、この時期雨なんか降るのは稀とのこと、これも雨男の自分の仕業か・・と思わぬでもないが、致し方無し。
雨なら雨なりの楽しみ方もあるはずだ。

2018-12-27

有能なる人

















シアトル随一の観光地であるフィッシュ・マーケットを見下ろす眺望抜群のオフィスにその人は居た。年頃は自分とほぼ同じくらいの日本人女性AKIKOだ。なぜここに来たかというと妻の相続の関係で日米両国の相続問題に詳しい弁護士だからだ。
妻は数ヶ月前からいろいろ相談していてとても助けられている。今回はせっかくシアトルに来たのだから今までの流れを日本語でも詳しく説明してもらい、僕が分からないことがあれば直接質問して聞く機会を得るためでもある。
初対面した彼女の印象はいかにもやり手といった感じでもなく、それでいて話すことは端的かつ的確で無駄がなく、こちらの質問にも丁寧に答えてくれ、とても良い感じを受けた。確かにこういった女性に依頼できるなら安心だと思ったね。
今は米国人と結婚して子供も居るというが、こんなシアトルの一等地に自分のオフィスを持つなんて相当仕事ができるということに他ならない。ロースクール時代の彼女を知る他の弁護士は彼女をずば抜けた才能の持ち主だと言っていた。地元の雑誌に特集記事が組まれるくらい彼女活躍は目覚ましいが、もし彼女が日本に居たならば果たしてこんな風に活躍できる場があっただろうかと考える時、最近の医大等による男女差別を見て分かる通り、おそらく芽を潰されただろうと思う。
言い換えればこれほどの才能が日本から失われたということなのに・・

2018-12-26

The Lion King























今日は昼食をDowntown Seattleにあるレストランで摂り、そのまま近くにあるパラマウント・シアターに行ってライオン・キングのミュージカルを観てきた。クリスマスの次の日ともあって会場は超満員。我が家のように多くの子供達も居て、クリスマスプレゼントとしてこのミュージカル鑑賞に連れてきてもらった子が多いことを窺わせる。
ミュージカルは初めからどんどんと観客を惹き込み、とても素晴らしいものだった。また観客の反応も面白く、自分にとってはミュージカルとそれに対する観客の反応の二本立てのショウを観ているようなもので、実に興味深いものだった。やっぱりアメリカ人は物事を楽しむのが上手い人たちだと思ったね。
役者はユーモアを随所に散りばめて観客を沸かし、観客は役者の期待に応えて大いに盛り上がるといった感じ。ここに一体感が生まれ、その余韻に浸りながら劇場を後にするという恍惚の時間。
なかなかチケットが取れないものだけに、上手いこと予約を入れてくれた妻とそのアイデアをくれた義理の叔母らに感謝したい。
今晩もディナーは叔母の家に招待されている。タラを使った料理だと聞いているが、鍋でないのだけは確かだ。どんなものが出てくるのか楽しみだな。
連日食べ過ぎだけどね・・

2018-12-25

クリスマス・デイ

















今日はクリスマス。
日本でいうなら元旦で、店はどこも閉まり、人通りもほとんどない。
今朝はサンタからのプレゼントを早く確かめたくてハイパーになっている三女に起こされた。それぞれの名前が刺繍されたかなり大きめのソックスにはあふれんばかりのプレゼントが詰め込まれており、それを3人の娘たちが順に開けてゆく。
プレゼントを開け終わると我が家伝統のクリスマス・ブレックファーストであるフラッフィーパンケーキを皆で食べクリスマスを祝う。
昼食は叔母の家に招待されていたので、そこでまた皆で食卓を囲んで楽しいひと時を過ごし、ディナーは従姉妹の家に招待されて、初めて会う従姉妹の親戚とこれまた本当に愉快な時を過ごすことができた。
どこへ行っても話には「あの時はこうだった、ああだった」と亡き義母が登場してきて皆を笑わせ、しんみりとした後に「義母に乾杯!」と杯を上げる。こんなファミリーはそうそう無いんじゃないかな。こういった繋がりが末永く続くことを願わずにはいられない。

2018-12-24

クリスマス・イブ

















クリスマスをシアトルで迎えるのは何年ぶりだろう。
ただただ妻のファミリーのクリスマスパーティーの賑やかさだけを憶えている。

今朝はゆっくりと起きて食事をし、まずは銀行に行って所用を済ませ(銀行がやっていたこと自体驚いたが・・)それから晩のパーティーのための買出しを行い、午後は冬のシアトルでは珍しく快晴になったので、娘たちを連れて近くの公園へ行き縄跳びの練習などをして汗を流したよ。まだ二重跳びを連続40回跳べたので、これは嬉しかったな。

晩のパーティーには親戚一同が集まり、プレゼントを開けたり、飲んだり、食べたり、歌ったりで、もう大騒ぎ。皆のリクエストで長女がクリスマス・キャロルをピアノ伴奏し、義母の3人の妹たちを中心に全員で合唱をする盛り上がりようだ。これぞ我がファミリーのクリスマスと言わんばかりの暖かな雰囲気の中に、残念ながら筆頭だった義母の姿は無く、妻は涙を流していたが、その気持ちはそこに居た誰もが共有していたものだろう。
この一体感こそが何ものにも代え難いファミリーの絆だと思う。

2018-12-23

埋葬の日

















夜中、激しい雨音で目が覚めた。
冬のシアトルは日本海側の気候に似て雨が多く、ほとんど晴れる日がない。「この分だと雨の中での埋葬となるかも・・」と、再び眠りにつく。
明るくなってからも雨は降り続いていたが、シアトル北郊にある墓地に着く頃には雨も上がり、雲間から青空も見え始めた。
墓地に来るのはこれで3度目になる。海を望む広大な緩斜面に芝生が広がり、墓碑や石板が規則正しく並んでいる。この一帯は主に日系人によって占められ、その中に妻の一族の墓もある。
その一族の墓には雨の多いシアトルならではの配慮で移動式の仮屋根が設置されており、雨天の葬儀にも対応できるようになっていた。
親戚一同20余名が集まったところで葬儀が始まったが、儀式的なものは何一つなく、義母の3人の妹たちや妻それに長女と次女が義母との思い出や詩などを読み上げ、骨壷を埋葬し、参列者皆で長女の折った折鶴と花を手向けて埋葬の儀は終わった。
わずか30分ほどのことだったが、葬儀とはこうあるべきものだと感じさせる愛のこもった感動的なものだった。
その後、皆でダウンタウン・シアトルに面したエリオット湾を見晴らせる、眺望最高のレストランで食事をしながら義母の思い出話をし、笑ったり、涙ぐんだりと、とても充実したひと時を過ごすことができた。その後は叔母の家に場所を変え、そこでまたディナーを共にしながら義母を偲んでいた。
こういうのって素敵だな・・と心から思ったね。
パーティー好きだった義母が生前望んでいたかたちの葬儀を無事終えることができて、妻もほっとしていた。
さあ、明日はクリスマスイブ。
イブは妻のいとこの家でクリスマスパーティーだ。

2018-12-22

主人の居ない部屋

















スーツケース6個という大量の荷物を抱えて義母の家に着き、玄関を開けるも人の気配がない。義母は亡くなったので当然のことなのだが、この違和感に家族皆がなんとも言えぬ寂しさに襲われた。介護用のベッッドなどはすでに片付けられて、それに伴い部屋のレイアウトは若干変更されたもののほぼ全てが義母が生活していたままであり、そういった意味での気配は色濃く残されている。にもかかわらず本人が居ないというのは不思議な感じがするというのが一番近い感想だろう。
お腹が空いたので何か食べようと戸棚を開けると、義母の好きだったものがまだ多く残っているし、冷凍庫には義母のために妻が作ったスープなどが冷凍されたままになっている。これから少しづつ変わっていくのだろうが、まだまだ時間がかかるだろう。急ぐ必要はないのでゆっくりといけばいいさ。自然にそうなっていくと思うしね。

2018-12-21

空へ

















空港に行くまでのバタバタはいつものこと。さっさと動かない娘たちを叱咤しながら勢いに任せて家を出る。ただ、空港に着いてしまえばあとは流れに乗って行くだけなので、とにかく空港に着くまでが肝心だ。
成田行きは飛んでいる時間が1時間ほどと短く、なんら問題はない。快晴だったおかげで眼下に雪をかぶった富士山がはっきりと見えて嬉しかった。
成田からシアトルへのフライトも最新ではないが結構多くの映画が観れるので、以前よりは時間を潰し易くなったと思う。自分はハン・ソロとミッションインポッシブルの軽い映画2本だけを見てあとはほとんど寝ていたね。すぐ隣の席が空席だったのがほんとありがたかった。
いつも緊張するアメリカ入国もすんなりと通り問題なし、空港からはリフト(ウーバーと同じ)を利用してお得に家まで直行だ。
無事到着後はさすがに疲れたので昼寝したよ。まずはよかったよかった。

2018-12-20

離日前夜

















今日は早めに帰宅してアメリカ行きの準備をし始めたが、もうバタバタだ。
冬は服もかさばるので荷物の量が多くなるし、今回葬儀のためのスーツなども持参するため余計荷物が多くなる。スーツケースも現状7個で、その中身のほとんどはやはり服だ。
妻も荷物のパッキングに加え、葬儀を無事執り行うことへのプレッシャーなどから終始気が立っていて、些細なことでも突然怒り出したり、かと思うと母親のことを思い出して悲しみ始めたりと、精神的な振れ幅が大きいようだ。明日に備え21時過ぎには床に入ったが、本人曰く『早く寝てもいろいろ考えてしまって全然寝れないかも・・』とのこと。もともと不眠傾向が強いので一睡もできずに朝を迎えることになるかも知れない。
さあ、明日は10時間に及ぶフライトが待っている。心して行かねばな。

2018-12-19

喉イガイガ
















仕事中、突然喉がイガイガしてきて咳き込み始め、水を飲んで落ち着いたもののその後も違和感が残っている。『これは風邪のひき始めだな・・』と思い、いつも持ち歩いている葛根湯を飲んでおいた。
今朝は長女も喉をやられほとんど声が出ない状態だったので、おそらくは同じ風邪を拾ったのだろう。次女も風邪気味ときているから家族全体の傾向としては良くないな。
学校でもインフルエンザ始め各種ウイルスが蔓延しているのでこれらを完全に防ぐのは難しく、まだ風邪くらいで済めばいい方だと思う。ただ、今週金曜の渡米を控える身にとっては何とかしてこれ以上悪化させないような努力が必要だ。義母の葬儀もあるし、その他やらねばならないことがたくさんあるので、調子を崩してなんぞいられないのだ。

2018-12-18

そんなこともあるんだね
















人体には時に奇妙なことが起こるものだ。
日曜に次女が『耳が痛い』と言い出し、風邪の影響かもしくは中耳炎と思ったが日曜なので病院はどこも休み。症状もそれほどひどくなく熱もないのでひとまず鎮痛剤を飲ませ様子を見ることにした。それから2日過ぎた今朝になってもまだ痛いというので、渡米する前に治療しておこうと近所の耳鼻科に連れていったらしいが、診察を受けると中耳炎でもなんでもなく、大きな『耳あか』の塊が奥の方に引っ掛かっており、それが顎を動かすたびに周りに接触して痛みを発生させているという。
耳鼻科医が特殊なピンセットなどを用いてなんとか取り出したところ、驚くべき大きさだったという。妻が記念に持ち帰りたいと思ったほどというから一度見てみたかったよ。
それにしてもどうやってそんな大きな耳あかが奥にスタックするような事態になったのだろう。
娘たちは小さな頃から耳掃除が好きなので、ときおり膝枕して耳掃除してあげるのだが、長女・次女はほとんど耳あかがなく掃除しがいが無いくらい耳の中がきれいに見えていたほどだ。それなのに奥にそんな大物が隠れていようとはね。ほんと不思議だな。
でも耳鼻科に行っておいてよかったよ。そんなことになっとるとは想像だにできんでね。

2018-12-17

寒暖
















雨の後、北西風強まり寒くなると思いきや、一転随分と暖かくなってきている。明朝の予想気温も6℃と、氷点下だった数日前と比べても高く、これで12月も半ば過ぎかと驚くばかり。しかも渡米する週末にかけて気温もさらに上がるらしく17℃と言うから呆れてしまう。この調子では年内に雪が降ることはないだろう。
先日の冷え込みで一度は雪で真っ白になった伊吹山も、昨日の雨で随分雪が溶けて黒い地表の部分が多くなっている。このまま雪があまり降らず暖冬となってしまえば過ごし良い冬になるのだろうが、雪があまり降らなければ夏場に水不足となるやも知れず、一概に雪が降らないことがいいとも言えない難しさ。何事もバランスが大事で、この冬もバランスの乱れが原因なのだろう。おそらくその揺り戻しも必ず来るはずだ。
こいった乱れが顕著に現れる流動期に入ったのだけは間違いないことだろう。

2018-12-16

ひとり居残り
















いま妻と娘たちは知り合いに招待されてクリスマスパーティーに出かけている。
自分も来るよう誘われたが今回は渡米を控えてやっておかねばならぬことが山とあるので、割愛することにした。集まるのはどちらかが外国籍の夫婦とその家族ばかりなので、基本的に夫婦揃って出るのが普通であり妻としては僕が欠席することに不満なようだが、
自分としてもこのところ多忙な日が続いているので、せめて休日くらいは自分の仕事に没頭したいわけだ。そうでもしないとバランスが崩れて、結果いろいろなことが上手くいかなくなると思うのだ。それに実際庭木の剪定に畑の手入れなど、10日間留守することを前提に準備しておかないといけないことが割と多く、それらを僕以外の誰かがやってくれることはないので時間を惜しんで作業しているのであり、とてもパーティーという気にはなれない。
今日はなんとか雨も持ってくれたので、みかんを収穫し終え、庭木の剪定も完了することができた。日没と同時に雨が降り始め、疲れもどっと出てきたよ。ほんとぐったりだ。
ここまで済ませておけばひとまず安心して渡米できる。
こんな苦労、妻や娘たちには分からないだろうな・・

2018-12-15

今夜もチャレンジ
















昨夜に引き続き今夜もふたご座流星群を見るため夜空を仰ぐことにした。というのも昨夜は先に寝てしまっていた三女だけが流れ星を見ていなかったので、今夜見ることができたらと思いチャレンジすることにした。
さすがに夜になるとぐっと気温が下がってきてかなりの冷え込みだ。始めは庭の芝生の上にマットを敷いてその上に寝転んで見ていたが、じわじわと地面の冷たさが身体に伝わってきて凍えそうになってきた。そこで地面に寝転ぶのをやめて大きめの折りたたみ椅子を出し、毛布をかぶって見ることにした。
やはりピークを過ぎているからか、じっと空を仰いでいてもなかなか流れ星が現れてくれない。一緒に眺めていた三女もつまらなくなったからか縄跳びを出してきてぴょんぴょん跳びはじめるじゃないか。そんな時スーッと夜空を流れていった。それを三女もたまたま見ていたので『ああっ、見えた!』と大喜びだ。その後も昨夜よりは少ないもののいく条かの流れ星を見ることができたよ。すっかり身体は冷えてしまったがね。

2018-12-14

ふたご座流星群
















夜9時ごろがふたご座流星群のピークと言うので、長女・次女とともに寒空のもと先ほどまで空を見上げておったよ。
はじめ目が慣れるまでは星すらもはっきり見えなんだが、しばらくするとだんだん目が慣れてきて星の瞬きが見え始めた。
寒気の影響で雲が北西から絶えず流れてくるので、全天を眺めることができず雲の合間から流れ星を待つことなり、待てどもなかなか見ることができなかった。空を見上げ続けて首が痛くなった頃、スーッと薄っすらとだが星が流れた気がした。一瞬のことなので本当に流れ星だったのか判然としないが、多分そうだろうと思っていた矢先に2連発ではっきりと青白い光を放ちながら星が流れたよ。これを娘たちも見て大興奮さ。今まで何ども流星群を見るチャンスはあったが実際に空を見上げたのは今回が初めてと言うから、もっと早くに見せてあげるべきだったな。でも30分くらいの間で5回ほどは流れ星を見ることができたのでほんと良かったよ。友達にも自慢するそうだ。ただ、今日は三女が早く寝て見ることができなかったので、明日もチャレンジすることになりそうだな。雲が無いといいけどね。

2018-12-13

長女・次女のぐちぐち口撃
















最近、夕食の席で長女と次女によるぐちぐち口撃が激しさを増している。
その内容のほとんどは学校での出来事についてで、ムカつく男子のことや女友達同士の複雑さ、それに学校に対する文句など実に様々だ。日に日に雄弁さを増している次女などは一旦話し始めると、よくもまあそんだけしゃべれるもんだと感心するくらい止まらない。それに負けじと長女も、あこがれの先輩の追っかけに全霊を掛ける友人のことを滔々と話し、その飛び交う会話の下で三女が黙々とご飯を食べている構図。
長女・次女の主張に耳を傾けている妻も僕も時折食傷気味になって『まあ、話題変えやあ』と遮ることもある。
でもね、こうやって学校での出来事などをちゃんと話してくれるからありがたいことだ。おそらく本人たちも様々なストレスを抱えているはずで、それらを話すことによって解放しているのだろう。当たり前のことかもしれないが、こういった聞く機会、話す機会をこれからも大切にしていきたい。まったく残業なんかしとる場合ではないのだよ。それより大事なことは何かをもっと考えるべきだね。

2018-12-12

師走大忙し
















ううむ、ここにきて仕事が山積みになってきている。
一つ片付けても次から次へと増えてゆき、際限が無い感じ。
来週末の渡米を控え、なるべく減らしておきたいのだが、この調子だとなかなかそうもいかなさそうだ。こんだけやっても減らんということは、そもそも人手が足りなさ過ぎるということだから、無理してまでやる気はさらさら無いが、まあ、人に迷惑かけん程度にやっておこうと思っている。
でもこの分だと会社のPCをアメリカにまで持って行くことになりそうだな・・なるべくそれは避けたいけどね。

2018-12-11

初氷
















昨日の初霜に引き続いて今朝は初氷を観測した。
凍てつく冷え込みは慣れていない身体にはかなりのもので、手袋無しでは手がかじかんで痛くてたまらない。あまりに寒いもんだから凍てつくと書いたが、実際これくらいの寒さならまだ冷え込みレベルと言える。凍てつくとなるとー2℃以下の寒さで、外にある何もかもが凍りつくほどの厳しい冷え込みといった感じ。
初氷とはいうものの氷はまだ薄くて壊れやすく、この冬の暖かさを物語っている。
堤防上も全体的に霜が降りて真っ白に化粧されていた。
これからはこの夜明け時の張り詰めた緊張感の中を、シャリシャリと霜を踏みしめながら散歩するひと時がたまらなくいいんだよね。特に快晴を迎える朝の清々しさは格別のものがある。

2018-12-10

初霜
















今冬一番の冷え込みとなった今朝、堤防上にはうっすらと霜が降りていた。
12月も半ばにさしかかろうかという時期なので初霜としては遅いくらいだ。このところずっと季節外れの暖かさの中にいたので、10℃を下回る気温だと随分寒く感じる。
今後は日に日に寒さを増してゆくだろう。寒いのが苦手な自分にとってはこれからの数ヶ月が修行の場となる。その分春が待ち遠しいのだけどね。

2018-12-09

冬支度第2弾ミシュラン再び
















昨日のプレマシースタッドレス化に続いて今度はロードスターのタイヤ交換を敢行した。タイヤ交換といってもスタッドレスにではなく、酔狂なことにそろそろ雪がちらつきそうなこのタイミングで新品夏タイヤへの交換だ。雪道を走ることは極力避けるが、走らないかんなら磨り減った夏タイヤよりはマシだろうといういい加減な考え方。どのみちロードスターにスタッドレス履いても結構滑るから始めっから雪道走行は想定していないということ。
新品夏タイヤはミシュランPS3からヨコハマのフレバにしようと思ったが、一本当たりの単価が2千円の差があったので現行と同じPS3にしたよ。ロードスターの走行距離は19万8千kmなのでおそらくこのタイヤが最後になると思う。
さあ、新品タイヤになったことだし、日々の走行を楽しむとしよう。

2018-12-08

冬支度
















寒気の南下に伴い北陸地方では結構な雪が降っているらしい。
この辺りも日中の気温が10℃ほどと今まで暖かかったせいで随分と寒く感じる。夜に入りさらに気温は低下しているようで明朝は霜が降りるかもしれない。
こうなってくるといつ雪が降ってもいいような準備をし始める時期だ。そこでまずはプレマシーをスタッドレスに履き替えることにした。
スタッドレスといってももうほとんど山が残っておらず、スタッドレスとしての効果はいまひとつだろうが、おそらく雪が何度も積もるようなことはないと思うのでこれで十分だろう。もし大雪が降ったとしてもプレマシーでの外出を控えるので大丈夫だ。
スタッドレスへの交換は1時間もかからずに終了。
明日はロードスターのタイヤ交換だ。

2018-12-07

三女体調不良
















今日は用事があったので家に早めに帰ると、まだ学校にいるはずの三女がソファーで寝ているではないか。妻に聞くと頭痛を伴う体調不良で学校から呼び出しがあったそうな。
本人はソファーでぐっすり寝ていて、その上にバニーとハニーの2匹が乗っかっていた。
先生によるとインフルエンザもぼちぼち流行りだしているとのこと。熱がありそうな感じはしないが、このところ顔色が優れなかったので心配していたこともあり、今後の動向には注意が必要だな。
夕方、目を覚ました三女は顔色は優れないものの元気をかなり取り戻し、晩ご飯もいつもと変わらぬ量を食べていた。その後気持ち悪くなったとかはなく、熱もなかったので安心しているところ。
ただ、そうやって身体が弱っているところにインフルエンザなどが入り込んでくるので警戒は怠れない。

2018-12-06

三女の悲しみ
















三女は時々祖母が亡くなったことを思い出し、泣くことがある。
今晩もひとりでお風呂に入っていて、出てきたら急にしくしく泣き出し、『グランマが居ないから寂しい』と言う。そんな三女を妻が抱きしめながら『そうだね・・』と慰めていた。
もうじき義母の葬儀とクリスマスのためシアトルに渡米するが、いつも大喜びで迎えてくれるはずの祖母の姿は無く、娘たちにとってもつらい経験になるだろう。それは妻にとっても同じで、受け入れがたい現実を突きつけられることになる。
義母が最後の時を過ごした家で、我々家族はそれぞれの記憶の中にある義母の面影と向き合い、その思い出話をしながらクリスマスの休日を過ごすことだろう。

2018-12-05

冬はやっぱり鍋だよな
















寒い冬には鍋がぴったり、と言いたいところだが今のところ全然寒くない冬だ。先日から書いている通り、むしろ天候に恵まれて野菜が生長し過ぎているくらいなので、どんどん消費しないと白菜も大根もブロッコリーもでかくなって困ってしまう。かといって毎日大量に食べるわけにもいかず、そんな時にうってつけなのがやっぱり鍋なのだ。
その時ある野菜をザクザク切って鍋に放り込み、あとはグツグツ煮るだけだ。鍋にするとほんとびっくりするくらいの量の野菜を摂れるのでありがたい。腹一杯食べても消化がいいのでもたれることもなく、身体も温まる。
娘たちが小さい頃は鍋を嫌がったものだが、最近では長女・次女も鍋を喜んで食べている。三女はまだちょっと不服顔だけど・・でもうどんを入れるとOKさ。
鍋だとご飯の用意も楽だし、後片付けも簡単だ。
冬は1週間に一度は鍋とカレーが入れていきたいね。

2018-12-04

暖気霧中
















昨日にも増して暖かい朝を迎えた今日、いつもの川沿いの散歩コースは霧に包まれていた。
長良川の堤防も霧に覆われ、ライトを点けて走らないと霧に紛れてしまい危険だ。
日中は雨は止み曇り続きだったが、退社する頃には再び雨脚が強くなってきた。すでに闇の中となった堤防も朝と同様霧に包まれ、対向車のライトも拡散して光の輪を伴って走ってくる。
すっかり日が暮れると雨脚はさらに強くなり、時折雷も鳴っていた。
どうやら明日は晴れて20℃近くになる予報だ。12月だというのにほんとおかしな天気だな。

2018-12-03

シトシトと
















このところの続いていた好天でカラカラに乾いた大地には恵みの雨だ。
気温も平年より高く頬を撫でる風もどことなく生暖かい。
この雨と暖かさによって野菜はさらに生長するだろう。白菜なんて今までで一番出来が良いからね。ちょっと大きすぎるくらいだよ。
反面、冷え込みがないからアブラムシどもはどんどん繁殖して、白菜の一番外の葉が黒くなるくらいびっしりと張り付いている。これらは40度くらいのお湯につければザッと洗い流せるが、気分がいいものではない。オーガニック専用の農薬も持っているが使う気は無い。無農薬にはこだわりたいからね。
ありがたいことに当分野菜に困ることはないな。

2018-12-02

天ぷら美味し
















3株分だけ残っていたサツマイモを掘ったのだが、どういうわけか最後の株だけはサツマイモがずいぶん離れたところで大きくなっていて、そうとは知らずに打ち込んだスコップに切られるイモが続出した。収穫したイモは全て綺麗に水洗いしてから干して段ボール箱にしまうが、これから零下の寒さになってくると家の中で保存していても、どんどんイモが腐ってゆくので冷え込む前に食べてしまうのがベストだ。
収穫の際に傷つけてしまったイモはそこから腐りやすいので優先的に食べることにしているが、今日はヘマが多かったので傷つけてしまったイモも多く『さあ、どうしよう?』と言うことでまずは大学芋を作ることにした。油で揚げないレシピを参考にして作ってみたが、娘たちは『おいしい』と褒めてくれた。
大学芋を作ってもまだかなり余っていたので残りは天ぷらにすると、これが大好評!
もともとみな天ぷら好きなのに最近は家で揚げ物をほとんどしておらず、娘たちにとっては僕が揚げる天ぷらを食べるのは初めてだ。自分自身天ぷらを作るのは数年ぶりなのでうまくやれるか心配だったが、なんとなくそれなりの天ぷらには仕上がり、たくさん揚げすぎたくらいだったのにすべて食べてくれた。
こんなに好評だったらまた天ぷらを揚げようと思うが、片付けが多いのが難点かな。

2018-12-01

行事のない週末


今週末は久しぶりにというか何ヶ月ぶりかで行事の無い穏やかな週末だ。
例年夏過ぎから11月いっぱいまでは学校や地域の行事が毎週末組まれており、必ず1日もしくは半日はそれに従事しなければならない。そんな行事が無い週末なんて久しぶりなものだからかえって『何か忘れているんじゃないか?』と不安になる。
ただ、行事が無いからやることが無いかというと、やることはほんと山ほどある。今日も1日かけてそれらを一つずつ片付けていったが、とても数日でやりきれる量ではない。
12月も終盤には渡米する予定なので効率よくやっていかないといけないな。
明日は晴れそうなので仕事もはかどりそうだよ。