2008-12-09

Ring


会社に行く途中に小さな資材置き場がある。その前を通る時間によっては南アジア系の男性作用員をみかけるのだが、どうやら資材を運ぶ2tダンプを運転しどこかの現場に通っているらしい。彼を見かけるようになってからもう大分経つので日本に滞在している期間も相当長いのではないかな?
なぜ彼がそんなに気になるかと言うと、彼を見ていると若い頃一緒に測量のバイトをしていたスリランカ人のビッキーさんとセナさんを思い出すからだ。その頃僕はまだ二十歳にもなっていない青二才で外国のことも知らず、彼らと仕事をしながらスリランカのことなどを聞くのが楽しくて仕方がなかった。特にビッキーさんは30歳くらいで実は小乗仏教寺院の僧侶でもあり、お寺のことや実は好きな人がいることなど話題が豊富で話が尽きず、『それならウチに遊びにおいで』と何度かお邪魔しては手作りのスリランカカレーをご馳走になったものだ。その味は絶品でそれが僕の南アジアのカレーに対する評価を押し上げてもいる。この時だったな初めて手でカレーを食べたのは。
ただ、仕事をしながらいつも疑問に思っていたことは僕が当時時給900円だったのに、彼らは確か700円にも満たない賃金で働かされていたことだ。この時の違和感は今もはっきり憶えていて、それが何かしら今の僕のベースにもなっているとは思うが、なぜまったく同じ作業をしているのに差別するのだろう?僕と彼らとは一体何が違うんだ?彼らの方が年上であり、生まれた国と肌の色が違うだけで同じ人間だ。言葉も英語と日本語を入り混ぜて話せば意思の疎通も問題ない。なのになぜ?なぜ差別する?
この時僕らを雇っていた男はとてつもないケチ男で、彼らから何かにつけて搾取を試み文句でも言おうもんなら『クビだ!』と脅すような最低のヤツだった。もちろん人件費が安く済むから違法で彼らを働かせ、日本人との差額で利益を出していたようだ。そこには平等などと言うものは無かった。その点では一緒に働いているのに待遇の差があって申し訳ないと思っていた。
寒さ厳しき中での測量作業はスリランカ人の2人にとってはかなりこたえるようで、もこもこに着膨れして作業していたが聞くと雪を見たことがないと言うので『それなら峠に行こう!あそこは降ってそうだ』と、仕事をほっぽり出して峠道をグングン登ると辺りは急に暗くなり、峠に出た頃には吹雪になっていた。そこは一面真っ白であの時の2人のはしゃぎ様はほんと子供のようだったな。2人はたいそう喜んでくれたが後になって仕事をさぼっていたことが発覚し、ケチケチ男は僕らの給料を削ったわさ。
それから何年か経ち、海外での長い旅の途中スリランカへ寄ろうとビッキーさんの住所や写真を常に持ち歩いていたのだが、南インドに辿り着きトリヴァンドラムから空路コロンボへと思っていた矢先、A型肝炎に倒れ2週間の絶対安静を余儀なくされ、その後マドゥライにて試みたインドビザの延長も叶わず、時間切れでとうとう行くことができなかった。
彼らと再び会うことはできなかったが、彼らとの出会いが海外とりわけ南アジア圏に対する僕の興味を引き、日本を飛び出す一つの原動力となったのも確かだ。そう思うと、今こうしてアメリカ人の妻を持ち娘2人を授かったことも、その旅の途中で妻と出会っていることからして彼ら2人の存在が大きく関係していたわけで、とても不思議な縁を感じる。

いろいろな人と出会い、それぞれの環が形成され、その環がお互いに融合し更に大きな環を形作ってゆく・・
誰がその不可思議な作用を知ろうか?結果を予想できようか?
だから、生きることはおもしろい。

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