2007-09-30

何もせぬ日曜日


何もせぬとは言うものの、土曜が仕事だったこともあり恒例の買物に上の子と出かけたり、ロードスターのヘッドライトのバルブが切れたのでその替えを探しに行ったりと、そこそこ動いてはいたのだがあいにくの空模様で庭関係の外仕事はできず全くの手つかず状態。おまけに庭の地下を走っている配水管の修理も停滞していて、花壇などを作ることもできず鬱憤は溜まる一方。この時期に植え付けを済ませなければならないものもあり、時間の余裕は思っているほど無いのだよ。そんなジリジリとした心境の中、アイルランドにて工作活動中の朋友より絵はがきが届く。絵はがきをもらったのなんて久しぶりだな。メールが普及した昨今、海外を旅行中の友人とのやり取りも概ねメールで済ませているので絵はがきをもらう機会がほとんど無くなってしまった。唯一送って来るのは旅行好きな妻の母くらいなものだ。自分も旅行中は月一程度だったが書いてはいたな。各地で面白い絵はがきを見つけては買い溜めし、『これはあの人へ、こんなんだったらアイツだよな・・』なんてその人の人柄に合わせて絵を選ぶのが面白かった。もらった絵はがきを見てみるとベルファストの夜景でそのコントラストのドギツさがまた非常によろしい。これしか無い!と言わんばかりの構図も際立っている。やっぱり絵はがきはいいよな。忘れかけていたものを思い出させてくれました。感謝!なお、ベルファストよりは5日で到着しました。
そうだ、来年の年賀状は使い切れずに残っている世界各地の絵はがきをみんなにばらまいて、旅に出れぬ鬱憤を少しでも晴らしてやろうかね?

2007-09-29

抑圧者の勝利・・


ミャンマーの民主化運動も軍事政権の激しい弾圧で残念ながら力を失おうとしている。軍政側は制圧宣言をしたくらいで、民衆側には諦めムードも流れ始めているという。1988年の民主化運動の時は3000人以上の人が軍政側の徹底的な弾圧によって殺されたと言われるが、今回もこのままだと相当な数の人々が連行されたまま行方不明になり秘密裏に殺害されてしまう。軍政は2度の教訓から海外の批判は無視し、抵抗するものは徹底的に痛めつけ抹殺するのが得策と捉えるだろう。ミャンマーでの出来事はまるで中国での天安門事件を見ているようでその類似性は恐ろしいほどだ。なるほど軍事政権は中国政府や人民解放軍から多大な援助を受けており、今回のような件に関してもおそらく中国側が表向きの顔とは裏腹に何らかの助言をしたのであろう。アジアの悲劇は一様に『お上』が強く民衆が大人し過ぎる点にあると思う。日々の不満が爆発し、一時は大きな力となって政権を揺るがすが、結局武力で押さえつけられ黙り込んでしまう。東南アジアの国々を見てみればそんな政権が長年権力を握り、ごく一部の人間らが国民の富を搾取し続けている。これではいくらASEANと言おうが、結束弱く、実力無くただの烏合の衆でしかない。欧米になめられるのが当然だ。『やっぱりアジアは遅れているな』そんな声が聞こえてくる。民主主義もしくは民主化が盲目的に良いとは決して思わない。が、この抑圧された状況から抜け出すことが何よりもまず必要だ。今回押さえつけられようとしている皆の『怒り』は一体どこへ向かい、どうやって開放されるのだろう?

2007-09-28

あるジャーナリストの死


射殺された長井健司さんは『誰も行かない所へは、誰かが行かなくては』と言っていたそうだ。その考えに共感し、彼の死を悔やんでならない。常に虐げられている人々の立場から取材を行ない、抑圧者に対しては大きな怒りを持っていたという。銃撃されカメラを手にしたまま天を仰いだとき、彼は何を思ったのだろう・・残念でならない。
今僕はたまたま結婚をし、2人の子供を授かり、仕事に追われながらも、のほほんとした平穏な日々を過ごしている。タラレバ論を言っても仕方が無いが、おそらく妻に遇わなかったら僕は長井さんのようにカメラを片手にいろいろな国を訪れていただろう。要するに僕が言いたいのは今回射殺されたのはたまたま長井さんであって、ひょっとしたら自分が胸板を撃ち抜かれそこで息絶えていたかも知れないという思いがある。彼は厳しい抑圧の中、必死で生き、抵抗し続けようとする人々の姿を世界に伝えようとして命を落とした。『そこに伝えなければならないもの』があれば果敢に現場に飛び込んでいた彼の生き様は例え彼が死しても共感を生み、新たなジャーナリストを育てて行くことだろう。
一体自分はここで今何をしているのか?身動きの取れぬ自分に対して苛立が募る。伝えねばならぬことが数えきれぬほどあるというのに何一つ伝えようとはしていないのだ・・

2007-09-27

バガンの落日


いまミャンマーが激しく揺れ動き、大きな転機を迎えようとしている。軍事政権は容赦なく僧侶を痛めつけ、市民に向け発砲し、先ほどのニュースではAPF通信の日本人記者が銃撃で死亡したという・・またも熱き血は路上を赤く染め、人々の喚声は銃撃によりかき消され悲鳴だけが残された。10年ほど前ミャンマーを訪れた際も既に軍事政権がすべてを統制し、市民の生活が厳しく制約を受けていたのをよく憶えている。他のアジア諸国が目覚ましい経済発展を遂げる中、ニュースで見るミャンマーの街の様子は僕が滞在していた頃とあまり変わっていないようで、特にバスや乗り合いタクシーなどは当時そのままといった感じだ。それだけ経済的にも停滞し市民生活の改善も為されていないのだろう。皆はスパイの存在を疑りなかなか公言しないが、仲良くなった人のほとんどは軍政に対する不満を口にしていた。
あれはシポーからヤンゴンへ長距離バスで向かっていた時のことだ。何も無い路上で皆バスから降りトイレ休憩をしていると、土煙を上げてトラックが走ってくる。なんだろう?と道路に近づこうとする僕の手を男性が引き寄せ、『ヤツらは危険だ、近寄るな!』と警告してくれた。通り過ぎたのは迷彩服に身を包んだミャンマー軍の精鋭部隊だった。分離独立運動をしているカレン族を掃討しに行くのだろう、と言っていた。兵隊らは皆揃って首に真っ赤なスカーフを巻いており、迷彩服とのコントラストが今でも目に焼き付いている。その兵隊達が今度は首都に集結し、弾圧を行なっている。
ミャンマーの人々はとても信心深く穏やかで、長旅で疲れていた僕を優しく癒してくれた。特に寺院で仏像の前に座り込み、一心に祈りを捧げるでも無く恍惚とした様子で仏陀の顔を眺め続けている様は感動すら覚えたほどだ。だからこそ今回の武力鎮圧で死傷者が出ていることに心が痛む。無辜の人々を傷つけ、死に至らしめた軍政にもう未来は無いだろう。これ以上の血が流されないことを切に願う。

2007-09-26

中秋


秋の夜長と言うけれど、夜は長いどころか短くて
日々の作業は減りもせず、現場の定時は20時で
なのに仕事を処理できず、家に帰ると帰ったで
娘の相手をしながら飯を食べ、その後の僅か1時間
一緒に遊ぶも短くて、当然娘は駄々をこね
うまくいなして寝かしつけ、時計を見るともう10時
風呂を出てから皿洗い、なんだかんだで11時
半分寝ながらブログ書き、さあ寝よまいと床に就く

2007-09-25

passion


ふとした瞬間沸き上がる感情。特に何に対してというわけでもない。それは突然やって来て、まるで火がついたように『ボッ』と燃え上がり、燃え尽き消えてゆく。怒りにも似たその感情はしかし怒りとは一線を画し、心を揺さぶり、高め、ある時は苦しめもする。一体何なんだろうか?人によってその心の高ぶりの扱いは千差万別であろうが、20歳頃の自分にとっては野宿道具を積んだバイクにまたがり気ままにあちこち走り回ることで、むず痒いような感情の高まりを幾分緩和していたように思う。と言っても結局沸き上がるものを押さえきれなくなって沖縄を手始めに海外へと出て行ってしまった。今でもその感情は衰えること無く益々盛んで、かえって親になる前のように思い立ってすぐに実行できる環境も現在失われつつあるので、アイドリング状態と言えなくもないな。さあて、そろそろガス抜きをせねばと思うがそれ自体許されない所が辛いとこ。

2007-09-24

土を作る


そうだ!と、突然思い立ってホームセンターに行きコンポストを購入。少し小さめだがこれでしばらくの間は大丈夫だろう。なにもコンポストを買わなくても庭に掘った穴に、刈った草などと一緒に生ゴミも放り込んでしまえばいいのだが、野菜類ならまだしも魚、肉類といった残飯まで放り込んでは何が寄ってくるか分からず、ゴミを荒らされてしまっては元も子もないので生ゴミとして出していたのだ。ただコンポストには前から興味があったので今回は試験的に導入。発酵促進剤なるものも買って来て早速生ゴミと混ぜて試験開始。これで生ゴミの分解と発酵がうまくいってくれると、痩せた土壌のうちの庭に有機培養土として使用でき大いに助かる。まだまだ先の長い話だが有機土壌ができるまでのプロセスを料理をしながらでも楽しめたら、いいんじゃないの?そんな感じで始めたことさ。

2007-09-23

水攻め


晩ご飯を終え、子供達をお風呂に入れようと準備しに行った妻が何やら叫んでいる。『ああ〜?』と適当にいなしていると妙に落ち着いた様子で戻って来て『水が出ん』と言う。んな馬鹿な・・と蛇口を開いても確かに出ない。庭の蛇口も試したが当然ダメだ。ウチはすべてを井戸水に頼っているので水はモーターで汲み上げているのだが、そのモーターの作動音がしない。『こりゃ、まずいな・・』こんなときに故障したとしたら風呂にも入れんし、トイレを流せんじゃないか!しかも連休の夜中ですぐに来てくれるはずも無い。あれこれ最悪のシナリオを想像しつつ、とにかくモーターの確認が先決だと懐中電灯持って見に行くと・・『なんじゃ、電源コンセント抜けとるやんけ!』と、モーターの陰にウチの猫が『しまった、見られたか!』という顔をして隠れておったわさ。ヤツめいつの間にこんな破壊活動を仕込まれておったのか?敵は身内にありだな・・。とにかくそんなことで水が復活して一安心。だが、今回のことで本当にモーターが壊れた時のことを考えてしまった。上水道はウチの前まで来ているので引くこともできるが、使わないのに基本料を払うのもバカらしい。そうなったら実家に避難するか、隣の畑にある手押しポンプ(ちゃんと水が出る)を使わせてもらうことにしよう。

2007-09-22

土壌改良的休日


今週末もひたすら庭をほじくり返し土作りに励む。庭の土はリフォーム業者が整地をした際部分的に山土を入れたらしく、そのままでは土は痩せ花壇などには適さない。そこでシャベルを使い30cmほどの深さまで掘り返し、土塊を細かく砕き、石を取り除き、苦土石灰や油かすなどを混ぜて土を改良する。それでいいのかどうか?は素人なのでまあ良いだろうということにして作業続行。なるべく化学肥料を使わず有機土壌を作りたいと、鶏糞牛糞を混ぜることも考えたが畑ならまだしも庭土に混ぜて臭いを発するとたまらんので却下。ホームセンターにてその他いろいろな肥料を見て回るもあまりにも種類が多過ぎて、何がなんだか分からず結局一番安い花壇の土なるものを購入し庭土に混ぜたが、一袋12ℓ程度の量を数袋混ぜてみても焼け石に水の様で効果のほどは未知数だ。とにかく最初の年はすべて様子見ということでいろいろ試行錯誤をして見ようと思っている。結構楽しいんだよなこれが。

2007-09-21

不可解な対応


生徒が自殺をする、いじめが原因と疑われるなか学校側が『いじめは無かった』と記者会見し、その後いじめの実態が次々と発覚し学校側が『いじめがあったようだ・・』と認める会見をする。こんな不可解でお粗末な対応を何回繰り返せば分かるというのだろう?そもそもなぜ学校側はろくな調査もせず『いじめは無かった』だの、『自殺の原因がいじめだったとは考えていない』などと、いじめに対して過剰反応を示し隠蔽しようとするのだろうか?いじめがあったことを認めることはそんなにもまずいことなのか?学校側のこういった対応を見ているとあくまでもいじめの存在を認めず、認めざるを得なくなった場合でも口先だけで対応しているようで、いじめがあったという事実を素直に受け入れ、改善してゆこうという姿勢が感じられないのだ。まず隠蔽ありきというお役所式の悪弊を絶たねばならぬ学校が率先してそのような対応では親としては益々心配でならない。

2007-09-20

飢え


僕は『飢え』を知らない。単なる食料的な『飢え』だけでなく、あらゆる意味での『飢え』を感じたことが無い。その点では非常に恵まれた環境に生まれたことを感謝しているが、『飢え』を持つ人々と比べ物事に対する『執着』が希薄だとも思う。『執着を捨てよ!』とはいろいろな宗教が唱えていることだが、『執着』を持たぬことはそれだけ恵まれた(与えられた)環境に居るからだと言えなくもない。明日食べるものが無いような状況ではこんな能書きを垂れてる余裕なんか無く、毎日生きることで精一杯なのだ。
僕はその日を必死で生きたことがあるだろうか?大変な日はあった、辛い日もあった。でも生きることに必死になった日などは無い。安定成長期に入った頃に生まれ、苦労も知らずぬくぬくと育った自分に一番欠けているのは生きることに対する『執着』だろう。

2007-09-19

若き闇


16歳の少女が手斧で父親を殺害した事件は、うまく表現はできないが何かもやもやとした行き場のない暗きものを感じさせる。いくら『嫌いだったから』『憎んでいた』と言っても、なかなか父親を殺害するまではできないはずだ。しかも眠っているその首に手斧を振り下ろすなどできようがないように感じるが、事実はそうではなかった。家族から見ても第三者から見てもごく普通の少女の凶行は、どう説明したらよいのか?警察、マスコミを始めその動機解明に躍起となっているが、現状決定的なものは見つかっていないようだ。いや、少女に決定的な動機など必要なかったのかも知れない。そんなことできるわけないと思っていたことを平気でやってのけてしまう人がいるように、少女が特別残虐だとも狂人だとも決して思わない。多くの人が振り下ろすことを思い留まったであろう手斧を少女には振り下ろすことができてしまった。ただそれだけのことなのだろう。父親殺害の動機をどうこう詮索するより、今回の事件をただ事実として受け止める。それしか無いんじゃないかと思う。当然もやもやとしたものは晴れはしないが・・

2007-09-18

うつろい


まだまだ日中の日差しは厳しく気温も30度を超え、暑さはいましばらく続きそうだが、と言ってもお盆の頃のような『もあーっ』とした殺人的熱気は無く、凌ぎ易くはなって来ている。日が傾いてくると肌に当たる風もスーッと冷えて来て、一昨日、昨日のようなべっとりとした湿気も無く非常に心地良い。日が落ち、月が輝きを増してくる頃空を見上げると、日中の青空を見て感じるよりもずいぶん天が高く思える。星はちらちらと優しく瞬き、月は更に鋭く輝く。つい先日まで暑い暑いと言っていた夏もいつの間にか勢力を弱め着実に季節は移ろいでいるようだ。忙しさに追われる現場でも、ふと脇を見れば萩が可憐な薄紫色の花を咲かせている。不思議だがそういうものを見ると心は落ち着き、身体の力みがとれるようだ。なぜだろう?自分も自然の一部だからだろう。当たり前のことだがな。

2007-09-17

掘って掘って掘りまくるべし


中古住宅というものは住み始めると何かと問題が出て来たりする。先日の大雨の時ふと庭を見てみると水浸しになっているではないか!どうやら排水溝が詰まっているらしい。雨が上がってから早速水詰まり用のワイヤーを通し探ってみると、排水溝から下水に向かって伸びているはずのパイプが完全に詰まっているらしい。試しに水を流してみると逆流して来て全くダメだ。上にコンクリートが打ってあるので確認のしようがないが、どうやらパイプを下水に繋いでないようなのだ。もう一方の庭の下に潜っている配管も流れないのでワイヤーを通してみると4mほど先で止まってしまう。そこを掘ってみるとなんと集水枡が出て来た!ひどいことに完全に埋めてしまってあった。これでは水は流れない。そこでパイプが走る延長線上を探してみると、あったあった敷地の境界線上の擁壁に排水パイプが顔を出している。ならば確実に繋がっているはずだと庭に埋設された配管を掘り起こしながら辿っていくと、見事にパイプが寸断されていた・・そりゃーいくらワイヤー通してもダメなわけだ。業者が庭を整備したときにバックホウで引っ掛けてそのまま埋めてしまったのだろう。寸断地点を確認し排水口に向け作戦を続行すると、また出て来た2箇所目の集水枡。こちらは蓋付きだったが枡の一部は破損し、中にはたっぷり土砂が溜まっていた。結果から見るとこの庭を整備した業者は見てくれだけを繕い、排水機能などは全く無視して作業したとしか思えない。そこで不動産業者に連絡すると詫びと共に施行を請け負った業者を連れて確認に来るとのこと。不動産業者の方は問題があるたびに誠意ある対応をしてくれるのであまり心配はしていない。結局いろいろな行程を業者に請け負わせているので地下埋設物などだと確認のしようがないのが実情だ。そこは業者を信用するしかないのだろう。今回のように問題が出るとそれは業者の手落ちということですべて処理させるらしい。そんなことだったら始めっからきっちり仕事をすれば何の問題も出ずに済むものを・・賢くないな。
見付からなければいいや、という手抜きは断じて許せん!たまたま掘り返して集水枡が出て来たから問題が発覚したが、やらねば全く気づかぬ所だった。そんなにオレは甘くないぞや。

2007-09-16

湿度100%


台風は逸れたものの、そのおまけの影響で今日は湿度が異常に高く、朝から既に100%を越えていた。こうなるとすべてのものがべとつき不快指数も100%にちかい。日差しがないので気温は低いはずなのに汗は吹き出し、何もしていないのに作業服はもうじっとりと濡れて、ただ動くだけでも億劫になる。特に汗疹に弱い自分にとってこんな日はすぐに首筋、肘、膝といった関節部分がむず痒くなって来てたまらない。空気が乾燥してくればスーッと引いてしまうが、数日も蒸し暑い日が続くと爛れてしまって抗生物質を使わないとどうにもならなくなる。この部分はかわいそうなことに下の子が受け継いでしまったようだ。
湿度100%ということは水の中に居ることと一緒なのか?と思ったりするのだが、違うのかな?こんな湿度が我慢できなくてしょうがない妻は『気持ち悪い!』と言ってエアコン部屋に待避中。確かに東海岸の夏は暑い日もあるが湿度は高くなく、今日のようにべとつく日は多くて2〜3日しかない。そりゃー緯度から見ると札幌と同じくらいなので当然と言えば当然かな?今週は天気が良いと言う予報だが、湿度はせめて70%までで押さえて欲しいものだな。

2007-09-15

地に這う日々


今日は久しぶりに時間が取れたので上の子と一緒に庭に座り込んでひたすら草を抜く。何て名の草かは知らんが数えきれぬほどの種類がある。よく見ると小さい可憐な花を咲かせているものもあり抜くのをためらう。夏の厳しい日差しも今はなく、時々小雨がぱらつく今日の天気は庭仕事には最適だ。上の子は飽きてしまったようで流し場で『きゃあきゃあ』言いながらべったべたに濡れたあとシャボン玉を飛ばして遊んでいる。こんなことも庭があればこそだな・・なんて思いながら草を抜く。それにしても雑草というものは凄いな。抜いても抜いても生えて来て、あっという間に伸びてしまう。最近では土地を持つということは雑草との闘いをすることだとさえ思えてくる。ホームセンターに行けばいろんな種類の除草剤が売られているが、こればかりは使わないでただひたすら草を抜いていこうと思っている。ただ、隣の空き地は手入れも全くされずセイタカアワダチソウが生い茂りジャングルのようだ。なのでいくら僕達がせっせと草を抜こうが種が隣から飛んで来てすぐにまた生えてくる。そのうち草刈り機を買って薙ぎ払わんといかんだろうな・・。休みと言ってもやらねばいかんことだらけだ。

2007-09-14

若竹


本当にそうなのか、ただ単に当時のことを忘れてしまっているだけなのかよく分からないが、次女は長女に比べ歩く、しゃべるといった点での成長がかなり早いように感じる。今は10ヶ月だがもう平気で歩いているし、ママ、ダダ(Dadのこと)、長女の名を言えるようになっているし、挙動や素振りを見てももう赤ちゃんのそれではなく幼児そのものだ。つい2ヶ月ほど前、歩き始める前までは全然赤ちゃんだったのが一歩、二歩と歩けるようになってからものすごいスピードで激変し、その成長の様子は一日一日といった単位で変化していった。長女のときもその成長ぶりに驚いたが、次女はその何倍もの早さで成長してゆくようで親の方が戸惑ってしまう。『2人目は上の子に引っ張られるので成長が早い』とはよく聞くが、実際にそれを見ると驚くばかりだ。今なんておもちゃを取り合って姉妹でケンカまでしてるからね・・。あまりにも早く赤ちゃんとおさらばした次女の成長ぶりは頼もしくもあるが、そのスピードについてゆけない親にとってはどことなく『つい先日まで赤ちゃんだったのに・・』という寂しさもある。

2007-09-13

終わり無き鳴動


大地は揺れ、人々は走り、おののき、天を見上げ、成す術無く水平線を見渡す・・またもや大地が怒りを発し、皆が大きく揺さぶられた。世界中で死者30万人以上もの大災害をもたらしたスマトラ島沖大地震から約3年、人々の悪夢を呼び覚ますかのように衝撃波が突き上げ、なおも揺れが続いている。過去に成り始めていた日々はにわかに現実に戻り、まるで終わりが無いような恐怖を人々に植え付けた。あとどれくらい怒りを発すれば大地は落ち着きを取り戻すのだろう?
明日は我が身、今この瞬間に足元の大地が臨界点を越え、激烈な衝撃波となって我々を襲ったとしてもなんら不思議ではないのだ。その時自分は・・・甚だ頼りないな・・

2007-09-12

潮時


驚いた。晋三君がこのタイミングで首相を辞するとは思っても見なかった。所信表明演説を行なったばかりだし、つい昨日も全力で対応すると言っていたのにだ。まあ、去る者のことをあーだこーだ言ってもしゃーないが、いくら何でもタイミングが悪すぎるんじゃないかね?これではすべてを放り出したとしか見えない。どうも晋三君は潮目を見極める力などこれっぽっちも持ち合わせてなかったようだ。あまりにもお粗末な幕引きには唖然とさせられた。
混迷必至の政局はどこへ向かうのだろうか?早々と麻生首相案も出ているそうだが、そんな派閥間の駆け引きや暗闘などどうでもいい。皆はそんなことにうんざりしてるんだ。それにしても年金問題で晋三君が『今年度中にやり終える!』と言いながら振り上げたこぶしはどこへ下ろすんかね?自分が言ったことができへんと分かったから辞めたんやな。尻拭い役はたまらんやろね。

2007-09-11

玉砕ける


来年度の高校の教科書から旧日本軍が沖縄戦において集団自決に直接関与したという記述が削除される。当時の守備隊長が『玉砕命令は出していない』と証言したから、島民の玉砕は政府が関与したものではないと言うのか?じゃあ、島民が血迷って勝手に玉砕したとでも言いたいのか?実際に玉砕命令があったかどうかは別として多数の島民が自ら命を絶ったのは事実だし、島民達をそこまで追い込んでしまったのはまぎれもなく日本政府だ。なのに政府はその責をとらず年々都合の悪いことにフタをするように、特に若年層に対し陰の部分を隠すように情報を操作し『美しい国、日本』などと盛んに言っている。過去の過ちを認めず、謝罪も補償も反省もせず『自分達は美しいのだ』と言うヤカラを一体誰が信用すると言うのか?過去の負の部分を認め正対しそれを踏まえて新たに行動を起こすことが本当の美しい国への第一歩ではないのか?負の部分を覆い隠した美辞麗句の教育なぞ、更なる悲劇を繰り返す破滅の道にほかならない。

2007-09-10

愚か者ども


晋三君には困ったものだ。今日の所信表明演説を聞いても相変わらず抽象的な聞こえの良い言葉を並べ、何一つ具体的な対策を打ち出していない。もう期待も、失望も、呆れもしない。腹立ちさえもとうに通り越した。あるのはこの国の未来に対する憂いだけだ。野党も野党で晋三君の揚げ足取りを繰り返すだけで『オレたちにはこんな妙案がある!』などと一言も言わない。彼らとて自分達のビジョンを持たなければ結局晋三君と同じ道を歩むだけのことだ。
国民にとっては自民も民主もその他もない。それを大バカ者の政治家達は全く分かっていない。多くの人は民主を支持したからと言って状況が劇的に改善するなどとは思っていないはずだ。それを民主は勘違いして『国民は我らの味方、自民と徹底的に争う』などと喚いている。
国民が求めるものは晋三君お気に入りの改革などではない。今の状況からの改善だ。与党と野党との争いなどどうでもよいことだ。
国民が国を造り、政治家がそれを誤らせ滅ぼす。僕はそう思っている。

2007-09-09

とうとう


この夏ちっともあたらなかった夕立がやっとこさ来たのはいいが、そんなときに限って窓を開けっ放しで出かけてるんだよな・・しかも激しいのなんのって、ワイパーを最速にしても見通しが利かずシャワーを浴びながら走っとるようなもの、家に帰って2階に駆け上がると窓の周辺は当然のごとく水浸し、またこんな日に限って布団を敷きっぱなしにしといたので少し濡れてしまった。昼には妻がアメリカから持ち帰ったハロウィーン用のカボチャに農薬を散布したのだが、この激しい雨できれいさっぱり流れてしまっただろうな。自分としては農薬など使いたくはなかったが順調に育っていたカボチャにオレンジ色をしたカメムシとてんとう虫との間の子のような虫が大量にたかり、葉を食い荒らしカボチャが弱って来たため仕方なく散布したのだ。散布はしたがその臭いと益虫であるてんとう虫をも殺してしまうやり方には抵抗があり、散布して後悔した。が、また例の虫が大量にたかるようになればそんなことはすっかり忘れて、平気な顔して撒くことになるのだろう。
バランス・・
この気まぐれを僕は恐れる。

2007-09-08

殺生道


どういうわけか今晩は蚊がやたらと多い。もちろん網戸などで完全に蚊の侵入を防いでおればそんなこともないのだろうが、いかんせんウチの猫は引き戸を自分で開けて出て行ってしまう。おっ、開いてるなと気づいて閉めても何度も何度も腹が立つほど出入りを繰り返すので、夜のうちは開いてる時間の方が長いくらいだ。その隙を突いて蚊が侵入してくるとは分かっているが、ほんと今晩はその数が尋常じゃない。まずはトイレの中で7匹やっつけ、リビングでは20匹以上は葬った。さらに廊下で数匹、二階でも数匹とまるで家の中で湧いてるんとちゃうか?と思うくらい切りがない。家の中で殺虫剤を撒くわけにはいかんのでタオルなどを使いたたき落とす。幸い家の中にノーマットを焚いてあるせいか血を吸いに来ることなく壁にへばりついているが、白い壁に蚊が何匹もとまっていると気味が悪い。先日買った虫除けゲルをよく開けっ放しで放置される玄関に配備してあるにも関わらずこれだけの蚊が侵入していることを思えば虫除けゲルなんて全く効果がないことを証明している。虫除けどころかひょっとしたらこのゲルのせいで余計蚊が寄ってくるのでは?と疑っているくらいだ。とにかくこれ以上の蚊の侵入を防ぐためあらゆる手を尽くさねば。

2007-09-07

日々


ほぼ同じようなことの繰り返しの毎日が続き、ここいらで気持ちのリフレッシュをはかりたいと思うが、現状そんな余裕もなくただ目先の忙しさに追われ何もできぬまま、何もせぬままに時が過ぎてゆくような感じがする。そんな平凡な日々でも今朝は台風一過の空に美しいアーチを描く虹を見ながら通勤することができたし、夕方は今から沈みゆくものとは思えないほどの輝きを放ちながら稜線上に落ち入る夕日を拝むことができた。それだけで今日という日は満足なのだ。
自分が求めること、したいことが何にせよ、それにどれほどの意味があるのか?
いま自分がここにこうしている、それだけで十分じゃないか?

2007-09-06

夢中


なぜだか分からないが陸路で中国国境を越える夢を見た。実際に越えたことは何度かあるが、夢はその時の断片を繋ぎ合わせたものでランダムだが妙なリアルさがあった。陸路で国境を越えるのは空路で入国するのとは違い様々な準備が必要で、まあ大丈夫だろうと高をくくって行くとひどい目に遭うこともしばしばだ。例えば国境を越えてからの交通機関が全くなく途方にくれヒッチハイクしたり、国境に両替所があると思い込み行き先の国の通貨を持たずに越えたのはいいが、実際は両替所などなく、また闇両替もなく、これまた途方に暮れていると見かねた地元の住民がこっそり両替してくれ、近くの街まで何とか移動できたりと、何の問題もなくすんなり国境を越えれることの方が珍しいくらいだ。なので余計印象深いんだろうが・・
夢では国境を越えると路上マーケットがどこまでも続き、その中の一店で茹でたてのトウモロコシを買い、かぶりつき始めた所で夢は覚めた。夢は覚めたが屋台の前でトウモロコシにかぶりついている自分は記憶の中の自分なのか?想像上の自分なのか?判然とせず、しばし何が現実か分からぬ朦朧とした状態の中を彷徨っていた。

2007-09-05

蚊の気持ち


今年になって『虫除けゲル』なるものをホームセンターなどでよく見かけるようになった。読んで字のごとく虫の嫌う植物成分を抽出してゲル状にしたもので、約60日ほど効果が持続するとうたってある。家にはすでにアースノーマットが3基配備されており、これで蚊を防いでいるのだが効果のある分、ピレスロイドなどの殺虫成分がはたして人体に無害なのか?という疑問を常に感じていた。特に子供達も小さいことだし、この際殺虫成分を含まない『虫除けゲル』を試してみるかということで2個購入し、蚊の一番入ってきそうな玄関と子供部屋に置いたのだが、これが全く効果がないようなのだ。実験としてアースノーマットのスイッチを切り寝てみると、すぐに足元が痒くなりボコボコに刺されてしまった。あわててノーマットのスイッチを入れ蚊を撃退したが、確か『虫除けゲル』の説明には蚊の血を吸う気分を減退させるようなことが書いてあり、『んな、バカな』と思った通り余計蚊どもの食欲を増進したんじゃないか?と思うくらいの喰われようだ。それから数日様子を見ているが相変わらず家の中には蚊が何匹も入り込み、人間様の血をばチューチュー吸わんと虎視眈々と狙っている。とても蚊などを寄せ付けない成分が放出されているようには感じられず、『虫除けゲル』はアイデア商品だがアイデア倒れで実際には効果がないことが確認できた。

2007-09-04

ずら〜りウンチ


先週、上の子と妻が図書館へ行き、いつものように借りられるだけの絵本を借りてきたのだが、その中に『ずら〜りウンチ』という本があり、『これを読んで』とせがんでくる。見るといろいろな動物のウンチのどアップ写真が『原寸大か?』と思えるほどの大きさで載せてあり、そのあまりのリアルさに臭いまで漂ってきそうで気分が悪い。本の内容自体は草食動物と肉食動物のウンチの違いを写真で見せ、なぜそうなるのか?を食べるものから説明し、どこをどう通って消化されウンチになるのかまでを図解で表すなどかなり本格的な科学本なのだが、何十種類もの動物のウンチと排泄シーンまで丁寧に押さえてあり『なんもそこまでしなくても・・』とさえ思えるほどだ。困ったのは娘が毎晩その本を読んでくれとせがむことで、帰宅するとまず食事前にずら〜りとウンチを見せられ、おまけに詳しく解説までも読まされる。ただでさえ夏バテ気味で食欲がないのにさらに減退し、これはひょっとしたら妻の謀略か?と疑い『なぜこんな本を選んだのか?』と問いつめると『娘が自分で選んだ』とのこと。う〜ん、それならしゃーない。笑顔で読むかね。

2007-09-03

目覚めるまで眠りたい


月曜の朝だというのに頭がぼーっとして重い。別に仕事に行くのがイヤというわけでもない。単なる睡眠不足だと思う。そうは言っても毎日平均6時間は寝とるので大丈夫そうだが、さすがにここに来て猛暑の疲れが出始めたのか身体と頭がついてゆかない。特に外の作業からエアコンの良く効いたハウスに戻ってくるとまるで冬眠にでも入るように眠気が押し寄せ、ふと気づいたときにはもう眠ってしまっている。とても起きていられない。これじゃ仕事もはかどらんので家に帰ってからさっさと寝れば良いものを、家に帰ったら帰ったで子供達と遊んだり、どうでもよいことをしたりして、あっというまに時間が経ちもう0時を回っている。定時に仕事を上がっていたらへっちゃらなんだろうが、このくそ暑さの中、毎日12時間労働していると疲れはとれず溜まる一方。ここで体調を崩し夏カゼでも引いちゃー大変だ。ううむ、腹の調子も良くないぞ・・今日は早よ寝よ。

2007-09-02

サイクロンとダイソンと


『階段を掃除機持って上がるのは大変だからもう一台買おまい』ということで量販店へ。ま〜あるわあるわ一体何台展示してあるのだろう?価格帯も広く下は5千円ほどから8万というものまである。最近良く聞くサイクロン式も思ったよりも置いてあり、従来の紙パック式と比べても4:6ほどといった所か。どちらにするとも、どのメーカーにするとも、いくらくらいものにするとも決めずに行ったのでたちまち迷ってしまい。どれにしたらいいのか見当もつかない。店員に聞こうにもどうやら東芝からの派遣らしくこちらのスキを見てはしきりに東芝モノを薦めてくる。当然と言えば当然だがそんな者に何を聞いても本当の事を言わないだろうし、いかにも胡散臭げなので無視する事にして片っ端から試してみる。そんな傍らにはダイソンが威容を放っていて、そのデザインはどうもエイリアンぽい。吸引力は凄まじいと聞いていたので早速試してみる。『ヒュイ〜〜〜ン』となるほどすごいパワーだ。が、高い!7万もしちゃー手が出んな。ダイソンの良さはいろいろ聞くがどうもブランド名だけが先走りしているようで、7万も出すならもっと調査が必要だな・・と要らん事を考えながら掃除機をかけまくる。結局サイクロン式を試してみようという事で国産中堅クラスの型落ちモノを購入。2万2千円也。今使っているヤツが1万ちょっとだったのでかなりのレベルアップだ。ヘッドも中でブラシがクルクル回りよる。さあ、どれだけ吸うか楽しみだな。それにしても国産機種は掃除機本来の『吸う』ということ以外の所ばかりに目が奪われているように感じられる。確かに使う方にとっては至れり尽くせりでありがたい面も多いが、普段使わぬ機能ばかりを強化して値段をつり上げるなら、ダイソンのように『強力に吸う』ということを前面に押し出して売り出すほうが分かり易く気持ちもよい。その点ダイソンのマーケティングが秀でていたと言えるな。消費者は何を求めているか?ドングリの背比べ的な違いのない機能にはもう飽きたのだ。求めるのは独自のカラー『オレはこんなんやでー、どや?』と言うことじゃないかな?

2007-09-01

自己責任


『自己責任』この言葉を聞くとイヤな気がするのはイラクでの人質事件があったからだが、よもや今回の韓国人人質事件でもこの言葉を聞くことになろうとは思わなかった。確かに危険な所と重々承知して敢えてそこへ飛び込むのだから『そんなんお前の責任だ』と言われればそれまでだ。目的が個人的利益や興味のために行ったのであれば反論の余地は無いとしても、精神的救いを与えるための宗教活動や慈善活動、その他諸々の、イラク人のために良かれとして行なっている活動の遂行中に起きたことについてまでも一緒くたに『本人達の責任だ』と切り捨ててしまうのは如何なものか?と思う。何か事を成すにはリスクは付きものなのに何もやらない人間が『それ見たことか!』と言わんばかりにあげ足を取り、『自己責任だ!』と攻撃する。人質の救助に多額の税金を投入することは納税者として納得できない面があるのも良く理解できるが、そもそも日韓とも国が行なっているイラク国民のための支援が内実アメリカのための支援か、イラク一般国民の民意からかけ離れた押しつけ的な支援のため、その大きな穴をカバーするためにNGOや慈善団体が活動しているのだ。言い換えれば国がしっかり支援を行なってさえいれば、NGOなどがイラクに入る必要などなかった。結果的に国のイラク支援政策が今回の人質事件のきっかけを作ったとも言える。だったら国の代わりにイラク国民に手を差し伸べてくれた人々をいくら税金を使おうが救いだすのは当たり前の事だろう。人質達は言った『誘拐された時より、いつ殺されるか?と怯えながら監禁されていた時より、帰国してこんなにも多くの人々が自分達を嫌っていると知った時の苦しみの方が遥かに大きかった・・』
どうも我々は出る杭を打たねば気が済まんようだ。
身の危険も顧みず他人のために尽くそうとする人々を助けるどころか痛めつけようとする。今のこんな国からは未来をしょって立つような人間が生まれるはずもない。