2012-08-31

津波遠来


やはり津波は恐ろしい。
今晩9時48分にフィリピン中部サマール島の東方沖146キロで起こったマグニチュード7.9の地震による津波への警戒は広く太平洋地域全般に出され、日本でも高いところで50cmの津波に対する注意報が現在も発令中だ。距離的に言えば相当遠距離にあるフィリピン沖発生のの津波でも影響を確実に受けることに改めて津波の恐ろしさを思い知らされる。もし地震の揺れを感じることが出来たとしたら『津波が来るかも知れない』と警戒することも出来ようが、今回のような遠距離の地震では揺れをまったく感じることはできず、ただ津波だけがじわじわと押し寄せることになり、多くの人は津波の到来を知らぬままに呑み込まれ『わたつみ』となってしまう。情報網が発達した現代に於いては様々な方法で津波の到来を知ることが出来るが、それも時と場合によりけりで確実とは言えない。そして津波自体も到達してみないとその実際の規模が分からないという不気味さを持っていて、なんかこう生き物のようでもある。
我々は直面する東海・東南海・南海地震の直接的な揺れに対する不安に加え、常に遠方の地震による津波の到来にまで心を砕かねばならないことになる。それらはいつ何時襲って来てもおかしくない輩ばかりで、そんなことを常に考えていたら頭がおかしくなってしまうだろう。ただし、心構えだけは重要で『いつかやられる・・』とだけは覚悟しておく方がよさそうだな。

2012-08-30

山場


今日現場で一つ目の大きな山場を無事越えることができた。ここまでは猛暑の中での作業が続き、みな相当疲れが溜まっている中でのひと区切り。気持は高ぶりつつも、今後も続くであろう慎重且つ困難な作業のことや工程のことなどに思いを巡らし、これからもとにかく無事に作業が続くことを願って止まない。特に高齢でありながらも獅子奮迅の働きを見せ、若者達を言葉無しで叱咤するベテランさん達にはほんとうに頭が下がる思いだ。自分も歳取ったらこんな風になりたいな、とさえ思うある種の理想型だ。
こんなまたとない環境で、すばらしいチームを組めて作業できることに、ただただ感謝したい。みなさん、ありがとう。

2012-08-29

記憶無し


帰宅後に堤防の草刈りを1時間したが、その疲れからか娘達を寝かしつけたあとはほとんど記憶がなく、気がついてみればすでに0時をまわり、いつの間にか外では雨が降っていた。ここ最近はこうやって布団ではないところで眠ってしまうことが続き、大体21時のNHKニュースを見ながらそのままソファで眠ってしまうことがほとんどだ。やはりそれだけ疲れが溜まっているのかも知れない。なんとか疲れを溜めないようにしたいものだが、これだけ毎日暑い日が続いているとなかなかね・・それに週末は週末で仕事しているより疲れることが多いから休息をとるという感じでもないし、まあ、ここは辛抱のしどころだと心得て耐えるべし。さ、寝よ。

2012-08-28

アフリカより


夕方、庭木に水を遣っていると、昨日遠くアフリカから無事帰国した友より『渡したいものがあるのでこれからそちらに行く』との電話があった。とにかく元気な声を聞けて良かったがいきなりの訪問とは面食らったね。彼らしくてなんか微笑ましいや。どうせ来るなら晩ご飯でも食べてかん?と聞けば『いや、ちょっと忙しくて駅でほんの数分会うだけでいいんです』と言う。彼がそう言うならばと、駅に着いたという連絡を待ってからロードスターぶっ飛ばして会いに行くと、いつもの彼がニコニコして待っていたよ。『やあ、元気そうだね』と堅く握手を交わすとさっそく『これお土産です!』と大きな袋を2つよこし、『じゃっこれで!また連絡します』と、右手を挙げ爽やかな余韻を残して立ち去って行った・・『相変わらずだなあ』と、完全に彼のペースに呑み込まれつつ、以前よりグッと引き締まり自信に満ちた顔つきを見て、今回の厳しい取材が彼なりにうまくいったことを表しているのでは?と感じた次第。とにかく紛争地よりの無事の帰国、ごくろうさまでした。また落ち着いた頃にでもチェンラ組みなで集まって彼の土産話でも聞こうと思う。
いやあ、友はいいものだね。お土産ありがとう。

2012-08-27

さっそく始まったよ・・


昨夜長女が帰国して家族全員揃ったわけだが、今日はさっそく長女と次女が何かにつけてケンカをする始末。それも大体つまらないことがきっかけとなっていて、ほんと呆れてしまう。長女は時差ボケの残る中いきなり今日が登校日だったので、相当疲れていたようだ。そりゃ毎日25℃前後しかなかった冷涼なシアトルから、気温34℃にもなる猛暑の中をランドセル背負って2km以上も歩くのだもの、大人だってへばってしまうだろうね。そんな疲れがイラつきの原因で、そのとばっちりを次女が受けた面もあるが、まあそればかりでもない。長女は母親に似て寝付きが悪い方だが、今晩はさすがにノックダウン状態だったよ。よく寝て疲れが取れるといいね。
さて、次女はと言うと長女が居ない間じつによく三女の面倒を見たり、いろいろなことを手伝ってくれたりとその『いい子振り』には驚きもし助けられたが、長女が戻って来た途端元の次女に戻ってしまった感がある。長女が居ない時は『自分がお姉ちゃんだ』という責任感からだろう、見違えるように頑張っていたが、長女の帰国で今まで通りの『妹』になってしまったのかな?それとも今はまだ調整期間なのか?しばらく様子を見てみることにしよう。

2012-08-26

長女帰国


長女が無事帰国した。
僕一人いつもより早めに空港に赴き、夜風が涼やかなスカイデッキにて娘の乗る飛行機の着陸を見守る。夜空から現れた光は徐々にその大きさを増し、間もなく轟音とともに滑走路に降り立った。『あんまり気分いいものじゃないな・・』と呟きながら無事の着陸をまずは妻に伝え、急ぎ到着ゲートへと向かう。ゲートからは大勢の搭乗客らがわらわらと出て来て、それぞれ抱き合ったりはしゃぎ回ったりして様々な方法で家族を、友人を迎えていた。飛行機の着陸から20分ほどして長女がANAのお姉さんに付き添われて出て来た。本人は少しはにかむような仕草を見せたが、元気よく飛行機でのことなどを話し始めた。長女によるとやっぱりANAのスタッフはやさしくて、いろいろ面倒を見てくれたようだ。隣の席に乗り合わせた乗客も長女がひとりなのを知ると驚いて、こちらも世話を焼いてくれたようだ。長女曰く『これだったらひとりでも全然大丈夫』とのこと。ホームシックにはならなかったのか?と聞くと、『そりゃ少しは寂しかったけど、楽しいこともいっぱいあったのでまたひとりで残りたい』とのことだ。なかなか逞しいね。やっぱり高校生くらいになったらアメリカに行っちゃうんだろうな・・そんな気がするよ。
明日は小学校の登校日。宿題は出来た分だけをとりあえず持って行くことにして、残りは始業式までにやることにした。
涼しかったシアトルから灼熱の地に戻って来て、いきなり翌朝登校せんならんとは辛い話しだね。それもそのうち慣れてしまうだろうよ。

長女よ、お帰り。

2012-08-25

次女とふたり


長女は明日帰国するがまだアメリカに居て、妻は三女を連れて友人の家に泊まりで遊びに行き、そして僕は次女を自転車後部のチャイルドシートに乗せて近隣の花火大会へ。もちろん車で行けば10分ほどの距離だがおそらく相当の人出で混雑するのは目に見えている。次女も自転車で行きたいと言っているし、『それじゃあ』と久しぶりにペダルをこいで花火会場を目指す。
会場はすでに仰山の人でごった返し、夜店も出て賑やかだ。花火もドンドンと打ち上がり、こんなに近くで花火を見るのが初めての次女は『Daddy、心臓がドキドキする!』なんてかわいらしいことを言っていた。花火がよく見える河川敷はびっしりと人で埋まり、中にはテーブルまで用意して一杯飲みながら見物を決め込む強者もいたさ。そんな人混みの中に小さな隙間を見つけて次女と座り、空を見上げる。クライマックスはスターマインの連続でそれはそれは見事だった。会場全体が『おおおっ!』とどよめき、後は大きな拍手で包まれた。僕自身にとっても久しぶりの花火だったが、大いに楽しめ感動した。やっぱ近くで見るのはいいよね。来年、もし皆で見に来れるなら来たいものだ。
会場からの帰り道、自転車の後ろから次女が『Daddy、すっごい楽しかった!』と言ってくれた。自然とペダルをこぐ足が軽くなるのだった。

2012-08-24

毅然と・・


野田クンが発表した外交方針は『毅然としつつも冷静な態度で』というもので、ここは日本の真骨頂のであるグレーゾーンを存分に発揮したものだったね。しかしだ、その説明を聞いているとなるほど美辞麗句はずらりと並んでいるものの、具体的な内容は一切見られず結局のところ『打つ手無し』というのが見え透いている。その点東京都の石原じいさんのように、都から調査団を出す、10月に予定している再調査には自分も参加する、などと方針をはっきりさせているほうがそれに対する反応は別として気持がいいと感じるね。とどのつまりは政府がやることなぞもはや信じちゃいないし、期待もしていないということだよ。残念なことだがね。
さあ、政府の言う毅然とした態度というものがどう言うものか見せてもらおうじゃないか。

今晩は町内の地蔵盆。ビンゴゲームで大盛況だったよ。

2012-08-23

干涸びそう・・


ちょっと仕事でデジタルビデオカメラが必要になり、さてはて今はどんなものがあるのかと調べていたら見事に吸い込まれてしまったよ。我が家のビデオカメラは確か三女が産まれる直前にそれまでのミニDV記録方式のものから内蔵メモリーもしくはSDカードに記録できるものに買い替えたもので、撮影データのバックアップなどが格段にし易くなり、おまけに手ぶれ防止機能や画質の向上などその性能差に驚いたものだ。しかしあれからすでに2年近くになり、こうして今日最新機種のスペックなどを見比べていると、その性能の向上ぶりにはほんと感心させられる。もちろん我が家のビデオカメラの性能には十分満足しているが、やっぱ新しいものを手に取ってその性能を吟味したいよね。
カメラと言えばデジカメもとっくの昔に更新時期を過ぎたので買い替えねばならないが、こちらはまだ何もアイデアは無し。ぼちぼちと調べながら機種を絞ってゆこうと思う。

2012-08-22

毎日暑いね


暑い日が続く・・立秋を迎えた頃一時的に気温が下がり『このまま秋に向かってゆくのかな』なんて思っていたが甘かった。その後再び湿度が上がり、連日の猛暑日だ。一日中外仕事の身ではいくら暑さに慣れて来たと言ってもなかなか辛い。ただ一つ助けなのは山の上での作業であって、平野部の遮るものが何も無い中での作業に比べたら木陰もあり、見晴らしもよく、風もそこそこ抜けて恵まれている環境なのかも知れない。まあ、そうは言っても連日の作業の疲れは溜まるもので、今回はお盆休みも無く連続して作業しているので身体を休めるような時間も無く、なかなかの修行だと心得ている。普段土日は休日だが、実はその休日の方が畑仕事やら堤防の草刈りやらで忙しいのでほんと休まる時が無いな。これから秋、そして冬へと向かってゆけば自然と時間も空いてくるだろう。その時に休めればそれでいい。
それにしてもこの暑さはいつまで続くんやろか?きっと9月いっぱい暑いんやろね・・

2012-08-21

シリア大乱


シリア北部の主要都市アレッポで女性ジャーナリストの山本美香さんが銃弾に倒れた。戦争の実態、特に戦争弱者である女性や子供達の実状を撮影し続けて来た彼女の生き様には敬意を表し、その早すぎる死を悔やんでならない。

連日、政府軍と反政府軍との激しい戦闘が報道されているアレッポは、オリーブ石けんで有名な都市だった。僕と妻が訪れたのは確か1999年だったと思う。首都のダマスカスから北上し、トルコへ抜ける時に立ち寄ったのだ。商業都市でもあるアレッポはスーク(市場)が至る所にあって、市場好きの僕にはたまらない魅力のある街だった。特に旧市街を見下ろすように聳える古代ローマ時代からのシタデル(城)は圧巻のど迫力で、このシタデルを中心に広がる城壁で囲まれた旧市街の喧噪とスークに漂うスパイスの香り、それと今にも倒れそうなくらいに積み上げられた名物オリーブ石けんの山々など、記憶の風景が次から次へと蘇ってくる。それらがこの内戦によって様変わりしてしまった。今までにも何度か書いているが、シリアの一般の人々は非常に温厚で他のイスラム諸国に比べてもその人の良さは突出していた。しかし彼らの雰囲気にはどこか抑圧されている気配が感じられ、常に秘密警察の存在を恐れてもいた。そう、今突然思い出したが、シリアを列車で移動中にたまたま乗り合わせた身なりのいいおじさんが、『自分はシークレットポリスだ』と言って腰に差した拳銃をひけらかしたこともあった。そのとき『全然シークレットじゃないやんか!』と思ったものだ。おそらくそういった連中が政府軍側として一般市民に発砲しているのだろう。恐ろしいことだ。
アサド大統領の御代もそう長くはないだろう。しかしシリアの混乱はその後も長く続くことになりそうだ。ダマスカス旧市街にサラーフッディーン(サラディン)の勇姿を伝える騎馬像があるが、国際社会が何の手も打てぬ今のシリアの現状では彼のような英雄の出現しか救われる道が無いようにさえ感じてしまう・・

2012-08-20

大馬鹿者ども


先日、尖閣諸島に上陸した香港などの活動家達をよほどの馬鹿者だと思っていたら、今回それ以上の馬鹿者どもが発生して呆れ果てている。日本の地方議員達だと言う連中は、政府へ尖閣諸島上陸の許可を求めたが拒否され上陸を強行したらしい。彼らは上陸を果たすと日本の国旗を各所に縛り付けたり、旗を振るなどして日本領であることを誇示した様子だが、あのさ、そもそも日本領なんでしょ。ならばなんでわざわざ国旗を掲げたり振ったりせなあかんの?その行為そのものがおかしいでしょうに。彼らの行動は単なる自己満足のレベルで日本を利することは何ひとつ無く、かえって中国などに付け入る隙を与えたようなものだ。何より『日本もその程度のものだ』と見せつけてしまった点が一番いただけない。彼らは公職の身でありながら政府の要請に背き、尚かつ国に不利益をもたらした。その罪は遥かに重い。当の本人達は半ば英雄気取りで記者会見に応じていたが、必ず厳罰に処すべし!
ほんの一握りの愚かな連中の行動がどれほど国の利益を損なうかなど、まるで考えずに行動する連中が多過ぎて困る。すべては感情的な行動に短絡し、そこには戦略や打算など微塵も無い。まさに今の日本政府そのものだ。政府があまりにも頼りないから、我慢できなくなった過激派が行動に出てしまう。いつの世にもありがちな構図とは言え、今回は命を賭けた緊張感など無く、単なるパフォーマンスでしかない。
繰り返すが、こんな連中をのさばらせておいては今後のためにならぬ。見せしめも兼ねて厳罰にせよ!

2012-08-19

草との格闘


早朝、雨の音で目を覚ます。シトシトという柔らかい降りだ。『これでは外に出られんな・・』と妙に安心して二度寝に入る。8時前に起きた時はすでに雨も上がり陽が射し始めていた。午前中、曇りがちな空のもと長らくほかってあった畝を耕す。まだ何を植えるか決めてはいないが、そろそろ冬野菜の準備にかからねばならぬ時期なのだ。最近の雷雨と強烈に降り注ぐ陽射しによって雑草の生長も驚くほど早く、少し前にむしったところもすでに相当伸びている。いったん雑草に手を付け始めるとなかなか止められぬもので、そのまま昼までひたすら草をむしり汗だくとなる。昼食後は娘達と戯れるうちに寝てしまい、そのまま3時まで昼寝を決め込み充電完了。再び庭の草むしりから始まり、コンポストの手入れや苗の植え付けなどし、5時からは河川敷の草刈りだ。草刈機のエンジンふかしてススキやクズなどを片っ端から薙ぎ払ってゆく。西日に照らされての作業は暑くまたも汗だくでベタベタだ。1時間半ほど作業を続け河川敷の半分ほどを刈り終わった。続きは明日だな・・
休みと言えどもゆっくりしている暇は無し。いつもやらねばならぬことに追われる日々だが、これらは自分で選んだことなので苦は無い。むしろひとつひとつ仕事をこなしてゆくことが楽しいと感じるよ。

2012-08-18

雷雲去りて


午後3時過ぎ、東の空に巨大な入道雲がモクモクと沸き立ち、辺りはみるみる暗くなって風が強まって来た。『これは間違いなく来るな・・』と、出してあった洗濯物を片付け家中の窓を閉めて回る。やがてドンドンゴロゴロと雷が近付き、稲光が文字通り縦横無尽に空を走り始めた。ちょうど三女を連れて買い物に出るところでもあったので、とにかく土砂降りになる前に店の中に駆け込もうと車を走らせる。まるで黒雲群から逃げるように大型店舗に着くと、店内にまで轟く雷の音に急かされるように店を出る人達も相次ぎレジは大混雑だ。そんな人垣を尻目に僕は三女をカートに乗せゆっくりと買い物をして回る。1時間ほどしてレジに行くとガラガラだ。すんなり会計を済ませ外に出ると驚いたことに雨は降っていなかった。雷雲はギリギリのところでこの地方を逸れて北寄りを西に進んで行ったようだ。現に北の空は真っ暗で相当量の雨が降っているのだろう。
その後も昨日と同様に雷雲の直撃を受けることなく、雨も土砂降りになることはなかった。この点畑には丁度よい降り様でありがたい雨となった。雷雲が去った後、風は心地良い冷気を帯び気温も26℃程度までグッと下がって来た。これだとエアコンも扇風機も無しでよく眠れそうだ。少しずつだが確実に秋は近付いて来ているようだ。

2012-08-17

筋道


『前例の無いことはできない』と言うのが公務員の最も顕著な習性で、前例の無いことへの対応を迫られた時に必ず口にする言い訳が『想定外』ということになる。だとすれば公務員は何が出来るの?と、誰しも思うよね。
この国のリーダーであろうが大臣であろうが税金から給料をもらっているものは皆公僕であり公務員だ。そんな何も出来ない奴らが国を動かそうとしていることすら空恐ろしいが、こと今回のような国の主権にかかわることを奴らに任せなければならないことほど歯痒いものは無い。尖閣諸島上陸組の強制送還決定に至る経緯説明で官房長官は『怪我した人も居ないし、船もこれといった損傷は無い』なんて言っていたが、あの巡視船に残された大きなキズは一体なんなのか?しかもあれらを修理するお金はどこから出ると思ってるんだ?すべて税金だろう。
あの威勢よく雄叫びを上げる連中はそれぞれの国に帰れば英雄扱いだ。見るからに粗雑で単細胞そうな奴らがだ。官房長官の言う方式からすればパトカーにレンガ投げつけて壊したっても公務執行妨害もしくは器物損壊にはあたらないわけだ。ならば日頃の鬱憤をはらすためじゃんじゃんパトカーに石をぶつけてやればよい。
『法に則って厳正に対処した』と言うが、ちっとも法に則っていない。結局事なかれ主義を貫くため『前例』に従っただけでその対応には外交も国益も主権も何も無い。首相はじめ閣僚らの発言はことごとく中身の何も無い定例文句で、ここまでひどいと絶望感しか感じない。
僕は何も竹島・尖閣・北方領土に関して強圧的な態度に出よと言ってるわけではない。通すべき筋を通せと言っているんだ。大局的見地も戦略も無く先の大戦では大敗した。それから何も変わっちゃいない。
これからの日本は間違いなく右傾化してゆくだろう。これからも続くであろう各国の挑発行為は日本人が忘れていた、もしくは押さえ込んで来たものを蘇らせ緊張を高めてゆくに違いない。どうも嫌な流れになって来ているな・・

2012-08-16

残暑


ああ、なんて暑さだろう・・立秋を迎えた頃は朝晩の気温も下がりずいぶん楽になったと感じたが、ここに来てこの暑さ!たまらんね。
この盆は休み無く毎日現場に出て働いているが、仕事自体は楽しいので苦にならないがこの暑さと特にジットリと来る湿気にはうんざりする。いっそのこと雷雨でも降るなら気温も下がり過ごしよくなるだろうが、如何せん雷雨無く風も無く湿度だけは異常に高く、何もせずとも汗はじゃんじゃん流れ不快なことこの上ない。残念ながら明日も35度を超える暑さがやって来るという。もういい加減堪忍して欲しいよな。

2012-08-15

四面楚歌


終戦の日の今日も近隣諸国は日本を挑発し、静かに行うべき黙祷に冷や水を浴びせるのだった。
近隣諸国よ、目的を失って彷徨う日本にそう易々と目的を与えてはいけない。竹島・尖閣諸島の問題ともに日本国民の心の中に少なからず熾火のようなものを作り上げ、それは今後何年にも渡ってくすぶり続けることだろう。ひとたび何かのきっかけさえあればその火は身を解かれ大いに暴れ狂うことになるはずだ。
手遅れにならないよう、僕はただ祈るばかりなり。

多くの犠牲者に、黙祷

2012-08-14

長女を残し、妻子帰国


予定では午後8時到着予定だったので、いつものようにおにぎりや飲料の買い出しに近所のスーパーへと向かう。車で迎えに行こうか電車にしようか迷ったが、盆休みでもあり交通量が多いのと危険な運転の車が目立つこともあり電車で行くことにしたのだ。午後4時頃にスーパーに着くと妻から電話がかかって来た。『さっき成田に着いたが、午後6時中部国際着という便に空きがあるのでそれに乗るが迎えに来れるか?』と言う。すでに10時間の空旅を終え疲れているだろうからなるべく早く家に帰れる方がいいだろうと、『たぶん間に合うと思う』と返事してからが大変だった。速攻でおにぎりなどを買い、家までロードスターぶっ飛ばして帰宅し、すぐさまプレマシーに乗り換えて駅へと向かう。午後5時発の電車に乗らねば6時までに到着できないと焦ったが、なんとか発車3分前にたどり着きひと安心。
空港に着き、到着ゲートで待つこと数十分。妻が次女と三女、それに大きな荷物とともに出て来たよ。無事に帰国、お帰りなさい。
今回長女は本人の希望もあって1人8月後半までシアトルに残り、祖母と一緒に過ごすことになっている。飛行機での帰国も1人だが、これはANAのスタッフが成田での乗り換えなどに付き添ってくれるので大丈夫だと思う。そういう場合に於ける日本の航空会社の対応はおそらく世界一だと思うので安心できるところだ。
さて、ひと月ぶりに逢う次女はなんだかグッと背が伸びたようで、以前はちょっと背伸びしないと届かなかったスイッチにも普通に届くようになりその成長ぶりを本人も喜んでいたし、三女はさらに幼児だけに驚くほど顔立ちも変わり、何より目の輝きに本人の意思が強く感じれるようになっていた。ただ、2人とも出迎えてしばらくははにかんで僕と目を合わせず、そんな所は娘達三人ともまったく同じだな・・と微笑ましかった。
朝になってSkypeで長女と会話したがまったく寂しがっている様子も無く、祖母との2人きりの時間を楽しんでいるようだった。その後長女から英文でメールも送られて来て、何か将来に向けての布石が着々と進められているような、そんな不思議な感覚に浸るのだった・・

2012-08-13

雨に打たれて


今晩は妻子が帰国し、空港からの帰りが遅くなるのでいまブログを書くことにする。
タイトなスケジュールで稼働させる現場ではあったが、作業開始早々猛烈な豪雨に襲われ普段なら雨宿りをして様子を見るところを、この現場は雨の侵入が厳禁でもあるので皆でずぶ濡れになりながら雨対策の養生を行い、小雨を見計らって現場事務所まで下山するも全員が下着から靴の中まで濡れる惨憺たる有様。これではたとえ雨が上がったとしても作業再開は無理な話で、10時過ぎには解散となった。どのみち妻子を迎えに行くため早めに現場を引き揚げるつもりではあったが、こんなかたちで貴重な一日を費やしてしまおうとは思わなんだ。それにしても最近の雷雨の雨脚は驚くほど早いよね。雨の降り出し前に養生にかかったのにあっという間に豪雨に呑み込まれてしまった。こんな時は欠かさずレーダーで雨雲の様子を捉えるべきだが、何も無い山上の現場にて携帯でしょっちゅう確認しているわけにもいかず、こればかりは自分の勘と山上から望む風景の変化により一層気を配るべきだな。

2012-08-12

帰国前夜


明日夜、妻子が帰国する。
今日はその準備(と言っても掃除したり、散らけっぱなしにしている洗濯物を片付けたりするだけのこと)のため、あれこれ忙しく立ち回り、さらには住宅ローンの繰り上げ返済をすべく銀行を訪れたりと、休みというのにのんびり過ごす時間は無かったな。今日も昨日と同様に雷雨があるものと思っていたが、蒸し暑さだけは凄かったのに肝心の雷雨は来てくれんかった。昨日の雷雨はかすっただけで雨量はほとんど無く、相変わらず畑はカラカラに乾燥していよいよ水を遣らねばならない。水の心配などしなくてもよいと思っていた河川敷でさえ相当乾燥しているようで、僕が植えたケヤキはぐったりと萎れその周囲の雑草さえも弱々しく頭を垂れている。これはさすがに見かねてバケツで川の水を汲んではザブザブとたっぷり撒いておいたよ。しかしそんな程度の量じゃすぐに乾燥してしまう。だって試しに土を掘ったら下の方は水が回らず乾燥したまんまだからね。こんな時はしとしとと長時間降り続く雨がほんと恋しい。雷雨は雨量こそあるものの乾いた大地の表面を流れるだけで地中に浸透するものは僅かだ。それでも無いよりはマシだ。明日からも天気が不安定という。現場は日程が詰まっているため雨による遅れは致命的だが、でも畑には雨が欲しいし難しい所。うまいこと現場は降らず、我が家の方面だけ降るような雨だったらいいのにね。そんな我がままなこと言っとると現場は雨で家は晴れなんてことが起きてしまうかも・・

2012-08-11

第三回冷麺大会


今日は毎年夏恒例の大冷麺大会だ。野菜たっぷりのPANALI氏特製冷麺のなんて美味きことよ!それぞれ二人前をたいらげたが、麺好きの僕はまんだ食べれたな。それほどおいしかった。
さて、冷麺大会に先立ち昨夜からPANALI氏とともにあれこれいろいろ話を弾ませる。話はやっぱり旅のことになったりして懐かしくて仕方が無い。お互いに同じ経験を持つことの共有感は何ものにも代え難いものだ。今もPANALI氏からお借りしたエジプト音楽ハキム氏のCDをかけながらこのブログを書いているが、どう言ったらいいんだろう?この感覚を。なんか心というか身体全体に微小な震えが走るほど脳裏にはエジプトの乾燥した大地を疾走するバスから見た風景が広がり、なんか涙が出て来そうになるほどだ。長らく眠っていた感覚がこの音楽によって呼び覚まされ一気に噴出して来ている。ああ、もう一度あの空気の中に戻りたい・・戻らねば・・
生きることは旅することだ。日々是旅であり、旅の中に生きている。ただ、一所に長居すれば旅も単調なものになりがちだ。だからこそたまには違う空気を吸わねばならない。それは実際に旅に出ることもそうだが、今回のように親しき友と旅の話をすることによって新鮮な空気を吸うことも出来るのだ。こんな友人達と奇跡的に出会うことが出来て僕はなんて幸運なヤツなんだろう。幸せ者だな・・と、つくづく思う。

PANALI氏、毎度うまい冷麺ありがとうございました。ご馳走さまでした。

2012-08-10

日本外交の死


何事においても日本のせいにする韓国には常日頃から辟易しているが、今回の竹島上陸は許し難いことだ。正直自分にとっては領土問題などどうでもよい。あまりに日韓両国があの島についていがみ合うなら、いっそのこと爆破して無くしてしまえばいいとさえ思う。しかし日本が怒るのを理解しつつ敢えて自国の内政問題を理由に上陸を強行するとは我がまま勝手な行動であり、このような行為に対して日本として強烈な鉄槌を下してやらねばならない。いっそのこと国交断行をちらつかせるくらいの強い態度で出ないと、彼らのこと『我も我も』と続くに違いない。それこそ竹島が韓国国内の人気取りの総本山と化してしまい、蟻の熊野詣でならぬ竹島詣でとなるに違いない。
悲しいかな近年の日本は首相がバカのようにころころ替わりまさに外交上の隙だらけ、ロシアにしてやられ、中国にもやらせ放題、そしてここに来て韓国にさえやられとる。まったくもって外交力ゼロのお粗末内閣ではこの国の未来は無い。
今またここに来て解散総選挙の気運が高まっている。こんな時こそ他国にとってつけ入る隙なのは当然のこと。僕は国の右傾化を望まない、しかしこんな状況では右派の主張が台頭するのは間違いないことだ。それを最も警戒し、望まないのは韓国なのに自ら後戻りの出来ない挑発行為を行ってしまった。そのツケは彼らに返させなければならない。

2012-08-09

乱心


政治のニュースは心を乱す。奴らは主導権争いを繰り広げているだけで国民のことを考えている者など皆無に等しい。選挙なんていつになろうがそんなこたあ知ったこっちゃ無いね。だって入れるべき人が居ないだろ、どうや?おそらく極端に低い投票率ながら民主・自民のどちらかが勝って『これで国民の信任を得た』などと平気で言うんだろね。やんなるよ、まったく。

今日は長崎の日。黙祷

2012-08-08

日々


仕事から帰り、そのまま庭に出て地べたにへばりついて草をむしる。雑草とはすごいものでつい先日むしったばかりなのに、ひと雨降ればすぐに芽を出し驚くべき早さで生長している。
ひとしきり草をむしったあとはJackieを連れて散歩に出る。大体いつも6時半頃になるがこの頃は『夕まずめ』の時で、川面には小魚の撥ねる姿が目立ち、川を覗き込めばコイやライギョといった大物達も活発に動き回っている。その周辺では何をしているのか大小の亀が、あるものは川の流れに乗り、あるものは流れに逆らいながらあちこちうろついている。
連日の猛暑をもたらしている強烈な陽射しも今は衰え、遠く西に聳える伊吹山の稜線を鮮やかな朱色の背景に際立たせながら、今日一日を終えようとしている。
日々繰り返されるこんな何気ない情景が実に美しく感じる。雲は徐々に朱みを帯び、刻々とその姿を変え美しさを増してゆく。特別な風景ではない、ごく日常の風景なのになぜこんなに美しい・・。空があり雲があり、その下を川が流れ、周りには人々の生活の風景が広がっている。観光地の絶景さなんて微塵も無いが、心から美しいと感じることがある。大げさではなく生きているうちにこんな風景が見れて『良かった・・』と思うことがたまにある。
まだまだ暑い盛りだが、ほぼ一日中外に居ることが楽しくてしょうがない。そこにはすべてがある。

2012-08-07

猛暑と立秋


これから秋に移りゆく頃と言うが、体感的には秋はまだまだ遠い。しかし朝な夕なJackieを連れて散歩していると、其処此処に秋の気配を感じることが出来る。昼間はまさに盛夏と思わせる猛暑だが、夕方5時頃を過ぎるとカラリとした心地良い風が吹き、気温を徐々に押し下げてくれる。朝、目を覚ますと気温は概ね26℃〜28℃ほどで、これくらいなら扇風機で十分。今日の天気図では大陸からの高気圧が日本列島を覆い快晴をもたらしていたそうで、太平洋高気圧とは違い乾燥した空気を運んでくるらしい。そのおかげで気温は高くてもじっとりねっとりした暑さではなく、カラッとした暑さだ。しかも夕方になって吹く風はひんやりとした実に気持ちの良い風で、夕涼みにはもってこいだ。
こうやって身体は秋を感じつつある。

2012-08-06

原爆と原発


原爆と原発
共通しているのはどちらも膨大な放射線を放出すること。
原爆と原発
双方は人の手で生み出されたものであること。
原爆と原発
その災禍は人の手によって引き起こされた。
原爆と原発
『その日』から多くの時間が経過した今でも数多の人々が苦しみの底でもがいている。
原爆と原発
人を殺すために作られたものと、人の生活を豊かにするためにと言うふれこみで作られたものが、爆発すれば同じ結果を生むということ。
原爆と原発
問題は一世代では留まらず、世代を超えて『負の遺産』を引き継がねばならぬ。
原爆と原発
その技術はもはや過去のもの。

2012-08-05

来んかった!


午後にわかに風が立ち、強い西風が洗濯物をはためかす。外に出て風を呼ぶ方角を見上げると東の空には巨大な積乱雲が発生し、もくもくとなおも成長を続けていた。『あの下は相当な雨量だろう・・』と、現場のことを気に掛けながら心の内では『あの雨がこちらに回って来んやろか・・』と期待していた。
今日も畑の草むしりをしたが、土があまりにも乾燥しているため堅くて草をむしれない。それでも力ずくで引っ張ると根元からブチっと切れて根が残ってしまう。夕立でもあると畑が適度に湿り気を含み何をするにも良いのだが、そう上手くいかないもんだね。巨大な積乱雲はこちらには来ず、北西の方角へと流れていったようだ。ここ最近は晴れ間ばかりで夕立の可能性すらない日が続いていたので、少しは降雨の希望を持てた分だけよかったと思う。しかしそれでは乾いた喉を潤すことが出来ない。何とかひと雨来るように祈るばかりなり。

2012-08-04

待てど暮らせど


最近飛騨地方では頻繁に大雨洪水警報が出ているのにこの辺りではさっぱりだ。夕立も無く、近くを雷雲がかすめてゆくことも無い。じつにひと月以上雨が降っていない。これだけ気温が高い日が続くと鉢植えのものはすぐに水切れを起こしてその日のうちに萎れてしまうし、秋に備えて育てている苗も高温で生長が阻害され、梅雨時のような爆発的な生長を見せるものは無いような状況だ。
畑の野菜達も水を求めているだろうが、今しばらく晴れの日が続き雨は降らない予報となっている。ホースを繋げば水を遣ることも可能だが、ここはひとつ野菜達の力を信じてギリギリまで水を遣らないつもりで居る。そうすることで野菜達を鍛えているのだ。

日本柔道にもの申す


いつから柔道がこんなにつまらないものになったのだろう。
近年、オリンピック柔道を見る度にイライラが募り、純粋に『今の取り組みは良かった』と思えるものがほとんど無くなって来た。それは国籍を問わずだ。ポイントを重ねてゆく式の昨今の柔道が柔道なのだ、と言うならばそれはそれで『勝手にやってろ、オレは興味ない』で済むが、本家の日本がそれに追従して、それでも泥臭く勝ちを取るならまだしもモッサリとしたキレの無い試合に終始し、おまけに最後の最後まで不完全燃焼で終わって悔し涙を流す姿ほど醜いものは無い。特に日本男子代表の愚かさと言ったらまったく呆れ果てる。僕個人の意見で言うならメダルはメダルを取るに越したことはないが、それよりも日本らしい柔道を貫いて欲しい。たとえ返し技をくらって1本取られたとしても、こちらが思いっきり行ってやられるなら仕方が無い。一番いかんのは中途半端な取り組みだ。ヨーロッパを中心としたポイント柔道でなければメダルが取れないと言うのであれば彼らにメダルを取らしてやればよい。日本はレスリングのような柔道とは決別して独自の道を歩むべきだ。
このままでは柔道が廃れてゆくのは間違いない。オリンピックのような子供達にも注目される競技の中であんな腑甲斐ない姿をさらしているようでは、誰があれを見て『ぼくも・わたしも柔道やりたい!』などと思うだろうか。金は取れていないが日本チーム一丸となって全力でぶつかっている水泳など見ていると、『ちょっと水泳やってみようかな・・』と思う子供達も多いことだろう。つまり世界選手権などと違ってオリンピックには未来の選手を育てる、もしくはそのきっかけを与えるという意味合いが強いのだ。おそらく今の柔道界にはそんな意識なんざ無いやろね。日本のお家芸としての柔道を守るという、一見大義名分がありそうな小さなことにこだわるあまりに、柔道の楽しさを忘れてしまっているんじゃないの?
正々堂々、日本の柔道はこれを貫かねばならない。でなければもはや『柔の道』では無く単なるレスリングの亜種というつまらぬものとなってしまう。

2012-08-02

サービスマン再び


日立のサービスマンが修理部品を引っさげてやって来た。早速テレビの裏蓋を開け、手際よく部品を交換してゆく。テレビの不具合の原因はおそらく基盤にあるだろう、ということでメイン基盤だけを交換すると思っていたら、大小計4つもの基盤を交換すると言う。そんだけ交換するとあと残るのはハードディスクと映像を制御する小さな基盤、それと液晶パネルだけだ。まあ、中身がほとんど交換されたことになって不具合改善がされたと思う。
サービスマンは帰り際名刺を渡しながら『もしまだ不具合が出るようなら・・』と言ってサッと引き上げていった。そこまで換えるか、と言うほどの部品交換を行ったので、今までの不具合の原因がハードディスクでなかったならもう大丈夫だろう。
いろいろと初期不良率のやたらと高い僕だが、いままでもこうやってなんとか乗り切って来た。今からもそうだろうな・・

2012-08-01

雨恋し


台風接近により灼熱の現場もいくらか風が通り過ごしよい一日に。それでも35℃近くはあったのだろうが、最近はそれくらいの暑さには慣れてしまって、そう特別暑いとは思わない。順応力とは大したものだね。
今日で8月に入り、これからお盆までの期間が最も暑い日が続くことになる。とは言え梅雨時期のようなねっとりとした湿気は薄れ、カラッとした晴天の猛暑なので日陰にさえ居ればまだ凌ぎ易い。しかしここ最近まとまった雨が無いのもちょっと困りものだ。畑はカラカラに渇き、野菜達が水を欲しがっているのがよく分かる。でもここで易々と水を与えてしまってはかえって野菜達が弱る原因ともなる。できるだけ萎れ始めるギリギリまで我慢して水を与える方が野菜が逞しくなるようだ。トマトは雨が降らないことによって日々糖度を増し、実に良い出来映えだ。反対に水を欲しがるナスやキュウリからはヒイヒイ言う声が聞こえて来そう。もうそろそろ夕立の一つでも欲しいが、そんな時に限って当たらないんだよね。さあて、いつ雨が降るのやら?気を揉むね。