2012-03-31

Easter party


今日は妻の英語クラスのEaster partyだ。子供達が色とりどりに卵を染めて絵を描いてゆく。小さい子も大きい子もじっと集中して取り組む姿がかわいらしい。卵の絵が完成すると今度はEaster eggを入れるバスケットを飾りづける。カラフルな紐や造花を使ってこれも自分だけのオリジナルを作り上げてゆく。お母さん方もヘルパーとして参加しているが、時に子供以上に熱中し、『そうじゃないよ!』と注意される様子もまたおかし。
そしてこれらが終わるといよいよお楽しみのEaster egg huntだ。各自が計7色のeggを見つけるのだが、それ以外に黄金の大卵と特大のバスケットが庭のどこかに隠されており、それらを誰が見つけるのか?で大いに盛り上がるのだ。みな7個の卵を見つけることはできたが、黄金卵は見つからず苦戦している模様。なのでヒントをあげるとしばらく経ってから黄金卵とバスケットがようやく発見された。
毎年恒例となったEaster partyだが、子供達は飽きることなく楽しんでいるようだ。
午前中激しく叩き付けていた雨も午後には天気が急速に回復し、なんとかpartyを開くことが出来てホッとしたよ。

義母ダウン


昨夜の義母の咳の様子から心配していたが、やはり朝になると症状がかなり悪化してベッドから起きるのも辛く、もはや市販薬での快復は難しくなって来た。そこで午後から少し英語の分かる女医さんがいる近所の病院へ行って診察してもらうことにした。ただ、義母はアメリカ人ゆえ健康保険が無い、診療代や薬代はすべて自己負担なのである程度の金額を持って行かなければならない。この辺はやはり健康保険の意義を感じる所だ。
3時半に妻が義母に付き添って病院へ行き、僕が春休みで家に居る長女と次女それに三女のお守りをすることに。1時間ほどして2人は帰って来たが案の定義母は『肺炎』と診断され、吸入器による治療と何種類かの抗生物質を処方されていた。妻によると病院は空いていて、年配の女医さんもとても親切だったそうだ。心配していた診療代も3千円ちょっと、薬代も同じく3千円ちょっとで計7千円ほどだったという。全額負担にしては『なんだ、意外と安いな・・』と言うのが僕の印象だ。もしこれが逆の立場で、僕がアメリカの病院で同じことになったら10倍では済まない額を請求されるだろうね。

義母は普段健康そのもので、ここまで体調を崩したのは初めて見た。妻もとてもめずらしいと言っている。そして当の本人が自分の腑甲斐なさに憤っているというから、これもまた義母らしいと言える。しかしいくら日系とはいえ、環境の違う所へ来て子供達のばらまく強力なウイルスに終日曝されていれば、体調を崩してしまうのがむしろ当然じゃないだろうか。年齢も年齢だしね。
とにかく処方された薬が効き、早く咳が治まることを祈る。

2012-03-29

赤子が通る


義母の風邪がひどくなって来た。咳き込む回数も格段に増え、その咳もだんだん深くなり肺に近付いている感じがする。普段元気な義母とは言え70を越える歳だし、子供からうつされる強力な風邪には慣れていないだろう。慣れているはずの僕でも引いてしまったらかなりキツくて大変だ。なので風邪が悪化して肺炎にでもならないか心配なんだ。その一方で風邪をうつした当の三女はまだ鼻を垂らしているものの元気一杯で、まあよく食べること。この小さい身体のどこにそんなに入るんや?と不思議になるほどによく食べる。超でぶでぶだった長女を上回る量を食べているのに、その分よく動いているせいかあんまり太って来ない。よく動くと言えば日々歩きが上達しているので、今では各部屋の引き戸を勝手に開けてどっかへ行ってしまう。さすがに階段を上ることはできないが、例えば2階でお姉ちゃん達と遊んでいてちょっと目を離した隙に階段から転げ落ちないとも限らないので、ここは早めに手を打ってゲートを設置しリスクを減らしておこうと思う。そのゲートも次女の時に使って以来、物置に突っ込んだまま埃まみれだ。出すのは何年ぶりだろうか・・。ゲートの設置は1階と2階の計2箇所だ。手摺を掴みながら自分で上り下りできるようになるまではずっと設置したままになる。
もうそういう時期になったんだね・・

2012-03-28

せめぎ合い


現在稼働中の原発が1基だけとなり、いよいよ原発再開の是非を問う議論が盛んになって来た。政府の本音は『一刻も早い原発再開』であるので、もちろんストレステストなんて文字通りストレスフリーで押し通してしまうつもりだし、安全性の話なんか原発事故以前と同様まず第一は何が何でも原発再稼働であるので真剣に考えてなんかいない。電気業界や経済界は収益率が何よりも大事なのでタラレバ論で原発を止め、競争力や利益が損なわれることを最も恐れ、放射能が再びまき散らされることなんて『たぶんもう大丈夫だろう』程度にしか考えていないはずだ。そして彼らが主体となって行っている『このままじゃ電気が足りなくなる』類いの脅し文句のような言い回しは、まったく腹立たしくて反吐が出る。これらは完全なプロパガンダで、原発再開という事実を作り上げたい輩の言い分でしかない。

僕は福島の事故があろうが無かろうがずっと昔から原発反対だ。よもや原発が爆発するとは皆と同じく思っていなかったが、天変地異からの安全性以前に、核汚染廃棄物の処理の方法や場所さえも決まっていない中での原発稼働は、必ず子供達の世代へ『ツケ』を回すことになり未来に対する裏切り行為そのものだ。原発推進派からお金をもらっている専門家は言う『安全だ』と。しかし福島のような事故が起こらなくとも原発が稼働する以上核汚染物質は増え続けるし、それを無害化する手段も無い。その核心を国民から覆い隠し原発再稼働の既成事実化を目指す動きは到底受け入れ難い。政府が言う『政治判断』が原発の停止もしくは放棄ならば、この国も新たな未来に向けての第一歩を踏み出せるだろうが、原発の再稼働であれば僕が期待するような未来が訪れることは無いだろう。

電気が足りないなら作れば良い。再生可能エネルギーでは不安定と言うならそれに代わるものを見つけ出さなければならない。我々にはそれが出来る。僕はそう信じている。

2012-03-27

でろでろモンスター


朝になったが次女の熱はまだ下がらない。38度台をキープしたままで昨日ほどではないにしろまだ元気が無い。もしこのまま夕方まで熱が下がらないようだったら医者に連れてゆくから・・と言い残し仕事へ向かう。今日は昨日と比べずいぶんと暖かく、外で仕事をするには気持ちの良いお天気だった。せっかくの春休みなのにこんな天気のもとで遊べない次女は悲しいだろう。帰宅するとソファーに横になってiPadでアニメを見ていたよ。まだ熱はあるものの38度台前半で落ち着いて来ているようだ。夕食時にもいくらかは食べてくれて快復に向かっているのは確かだ。
そんな次女の様子をよそに、三女は相変わらず鼻水・よだれででろでろの顔を様々なものにこすりつけつつヨチヨチと歩き回り、感染者の拡大に努めているようだ。咳・鼻水のひどかった頃はさすがに食欲も減退してご機嫌斜めだったが、今晩辺りは食欲も旺盛でお腹いっぱいになると機嫌良く遊び、とびきりの笑顔を振りまいていた。しかしそのでろでろの笑顔に感染して次女は発熱し、義母も何となく調子悪く、そして僕も喉が痛いし胸のムカつきを憶えるなどなかなかに強力なウイルスをまき散らしており、そのモンスターぶりの破壊力も見かけとはうらはらに大したものですわい。

2012-03-26

次女発熱


夜、トイレに起きると隣で寝ている次女の寝息が荒い。『これは・・』と思い額に手をやると『やっぱりな・・』熱がある。それも触った感じでは38度後半は間違いない。取りあえずそのまま朝まで寝かせることにしたが、いかにも辛そうで心配だ。そして朝、いつもより少し早めに起きて来た次女は元気無く、すぐソファーに横になってしまった。熱を計ると38度7分。いつもはこれくらいならもう少し元気なのに今回はどうもダメなようで、しゅんとしている。そのまま日中も熱が38度から39度の間を行ったり来たりしてぐったりしていたようだ。午前中には一度吐いたという。帰宅後まだ熱が下がらないようなので念のため僕が医者に連れて行くことにして掛かり付けの小児科に向かう。予約も無しの飛び込みなのでさぞや待たされるだろうと思っていたが、案の定あと45分は待たないといけないらしい。それならばといったん家に帰り腹ごしらえをすることに。するとそれまで何も食べたがらなかった次女が少し食べたいという。そこでうどんを作ってあげるとつるつると食べてくれた。さすが僕に似て麺好きなのでこんな時でも麺だけは食べれるようだ。ちょっと腹にものが入り落ち着いたからか、少し調子は快復して熱も38度前半まで下がって来た。『これなら大丈夫だろう』と、医者に行くことはやめ次女を連れて寝室に上がり、寝付くまで添い寝してあげた。思いのほかすんなり寝付いてくれて寝息も荒くはない。枕元には水筒と気持ち悪くなった時のためのボウルを用意し、これで抜かりは無いだろう。
明朝には熱が下がっていることを祈って、次女の小さな額にそっと手をやるのだった・・

2012-03-25

さぶっ!


寒くなるとは言っていたけど、ちょっと寒過ぎやしませんか?
朝から終日時雨れていてほとんど陽は差さず、午前中には霰が降ったくらいだ。その後も霙のような雨が降り続き、北西の冷たい風も強く外に設置してある気温計を見ると6℃ほどしか無い。これだけ天気も悪く寒いとなると、外に出て庭仕事をしようという気にもならない。何とも不完全燃焼なことでじりじりしてしまう。そこで同じく外で遊べず『ぎゃあぎゃあ』と騒ぎ立てている娘達を2階の寝室に追い込んでこそぐりまくる。『うぎゃーっ!』と叫びながらのたうち回る活きのいい娘達を引っ掴んでは布団の上に放り投げ、首や脇を攻め立てる。そんなことを1時間近く繰り返してへとへとになったところに、今度は三女が鼻水と唾液ででろでろになった顔をニコニコさせて登場。三女もお姉ちゃん達と騒ぐのが楽しいらしく、『きゃーっ』と甲高い奇声を発しながらヨチヨチ歩いてくると、そのまま頭からダイビングしてでろでろ攻撃を仕掛けてくる。
そんな調子にドタバタワイワイやること更に1時間。ええ加減疲れて勘弁してもらいましたとさ。

2012-03-24

次女走る走る


三女が歩き始めたタイミングと同じくして次女が自転車を補助輪無しで乗り始めた。と言ってもまだトレーニング段階で直進はなんとか大丈夫なものの、曲がるのは更なる修行が必要だ。次女は幼稚園のクラスでも一番背が低いくらい小柄で、トレーニングに使う自転車も12インチの幼児用のものの補助輪を外して走る練習をしていたが、この自転車では一つ問題が出て来た。それは幼児用の自転車のためペダルの位置が極めて低く、重心を傾けて曲がろうとするとペダルが地面と接触して転倒してしまうのだ。そもそもこの自転車は一人で乗り回すような設計になっていないため仕方ないことで、もう一回り大きい16インチの自転車で挑戦することにした。しかし16インチともなると自転車自体の重量も増し、サドルを一番低く設定しても重さがあるため直進することもままならない。なんどもなんども転倒しながら練習を繰り返しているうちになんとか直進できるようにはなったが、安定するには練習を繰り返す必要がある。曲がることに関してはペダルの接触などの問題は解消されたが、16インチサイズの自転車でさえ次女の身体には大きすぎるので慣れが必要だ。一番良いのは14インチ自転車を用意することだろうが、『わざわざ買ってまでも・・』という思いもある。まあ、とにかく慣れることだ。次女は運動神経が良いのでしばらく練習していれば乗れるようになるだろう。季節も練習するのにちょうどいいしね。

2012-03-23

ラミネーターその後


そう言えば書くのを忘れていたが、以前ネットで購入したラミネーターが不良品だった件について製造元のオーム電機より、その商品についての『お詫び』と詳細な報告が送られて来た。そのメールによれば僕が返品したラミネーターを調べた所、確かに上下カバーを固定するネジは無く、しかも一度締められた後に抜き取られていること、製品自体を分解チェックした所使用したラミネーターフィルムの切れ端が中に残っていたことなどから、間違いなく一度使用されたものと確認された。しかしオーム電機の国内流通経路では新品のものしか扱っていないため、一度使用されたものや返品されたものが混入することは考えられず、可能性としてオーム電機が製造委託している中国の工場に於いて何らかのミスがあったことが考えられるという。製品自体は中国の工場で全量検査されているため、僕が買った商品はその検査をかいくぐって国内に入って来たことになるが、オーム電機によるとあくまでも推測でしかないが中国の工場での全量検査に不良として引っ掛かり一度は抜き取られたものの(残っていたラミネーターフィルムは製品状態を確かめるために使われた)、その後人的ミスで再び合格品として扱われ出荷されてしまったのでは?という。オーム電機の品質管理部門では今回の件を重く受け止めて、事の詳細を中国の工場に伝え、さらに社員を派遣して製品の品質管理をもう一度見直す対策をとるという。その文面からは真摯さが伝わり、口だけではなく実際に行動するという意思が感じられた。不良品の代わりに送られて来た代替品も品質部門で開封し、一度通電した後実際にラミネートテストをしてから出荷するという徹底ぶりで、不具合後の対応としてはよかったと思う。
どんなに気をつけていても不良品は必ず出る。問題は不良品が出た時にどう対応するかだ。すべてはそこにかかっている。

2012-03-22

三女歩く歩く


ここ1週間ばかりの間に三女が劇的な変化を見せている。
生後10ヶ月目を迎えたその日に3歩ばかり歩いてみせたかと思うと、今では2mくらいの移動はまだまだ不安定ながらも自分からどんどん歩いて、そうやって手を使わずに歩けることが楽しくって仕方が無い様子だ。初めて歩いてから僅か1週間でそんな調子だから、桜の花が咲く頃には外でもヨチヨチと歩いてゆくことだろう。
三女が歩けるようになったことは親としてその成長ぶりを頼もしく思う反面、今までとは比べ物にならないくらい機動力が増したので誤飲や転落といった事故のリスクも高まり、増々気の置けない日々が続くようになっている。しかし、長女や次女の時もそうだったが赤ちゃんとは実に不思議なもので、ある日を境に突然変わってしまうことが多い。『歩く』ことなどもそうで、不意に歩き出したかと思うとそのままどんどんと歩けるようになってしまう。まるで忘れていた『歩き方』を突如思い出したかのような、そんな感じだ。
歩けるようになったら次は『いつ話せるようになるか?』かな。あ〜、う〜、とはよく喋っているが、まだはっきりと何かを話したことは無い。しかしこれも時間の問題と言った所。いつ話すようになってもおかしくない状況で、あとはスイッチが『オン』になるタイミングを待つばかり。とにかく子供というものは何かが出来るようになることで扉が開き、あとはドミノが倒れるように縦横無尽に能力が展開してゆくような、そんな秘めた力を持っているようだ。

2012-03-21

青と白


毎朝、Jackieを連れて家の前を流れる川の堤防を散歩する。川にはこの季節多くの鷺が舞い降り、水面をじっと見つめては『バシュッ!』と素早く小魚を捕まえ、その技のキレには惚れ惚れする。水面を激しく揺らしながら潜水し、小魚を大量に丸呑みしてしまう鵜に比べると鷺は要領が悪いようにも見えるが、その立ち振る舞いは至って上品な感じがして僕は好きだな。そんな鷺達にもいろいろ種類がいて、シラサギだけでも大サギ・中サギ・小サギといったような分け方をすることも出来る。そんな鷺達についてちょっと不思議に思っていることがある。それはほぼ毎朝見かける光景だが、大サギクラスのシラサギとアオサギがいつも決まって付かず離れずの距離感を持ってペアでいるのだ。始めは偶然かと思っていたが、時間が経ってもその様子に変わりは無く必ずと言ってよいほどその2羽は一緒にいるのだ。自然界で果たしてそういう事例があるのかどうか知らないが、鷺も異種間でつがいになるのだろうか?それとも単に縄張り争いの関係でお互いに牽制し合っているだけなのかも?
いすれにせよちょっと奇妙なこの光景がいつまで続くか見守って行こうと思う。

2012-03-20

春分の青空のもとで


今朝もまた零下の冷え込みでメダカ火鉢の水が凍り付いていた。ようやっと梅が咲きそろった所だが、サクラの蕾を見ると開花はまだまだ先のようだね。名古屋の開花予想は29日となっているが、週末から来週にかけ気温が低いようだから本格的な開花は4月に入ってからと考えた方が良さそうだ。そうなるとちょうど入学式にサクラの満開が重なるね。

さて、実は今日も現場は追い込みで稼働中だが、僕は抜けて家族サービスに精を出す。なにせずいぶん長いこと子供達を公園に連れて行っていないので、久しぶりの休日の晴れ間を最大限利用して一路木曽三川公園へと向かう。この公園にも長いこと来ておらず、何年かぶりと言った所。特に変わった所もなく、巨大遊具は健在で驚くほど多くのちびっ子達が帆布の上でびょんびょんと飛び跳ねている。その振動は巨大遊具全体を揺らし、僕は狂ったように飛び跳ねる子供達を眺めながら『この振動が金属疲労を引き起こして、いつかこの遊具全体が倒壊しないのだろうか・・』などと、毎度来る度に同じことを考える始末。それにしても子供達の数は凄かったね。この公園の様子だけを見ていたら『少子化』なんて想像もできないほどにわんさか子供達で溢れている。おそらくどの家庭も同じで、ずっと週末が雨続きだったのでスッキリ晴れた今日は子供達のガス抜きも兼ねて公園に繰り出しているのだろう。我が家もそれで、いくら庭や堤防に遊び場があっても子供たるもの、やっぱりたまには遊具のある公園で遊びたいのだろう。自分自身も子供の頃そうだったからね。
青空のもと大いに遊び、皆で弁当を食べ、そして心地良く疲れて家に帰る。頬は日に焼けて紅く色づきピリピリと痛む。娘達はいつもと同じ時刻に寝床に入ったが、今日はさすがにすーっと寝入ったよ。よほど疲れてたんだね。よい春分の日だったな。

2012-03-19

健診してから種蒔いた


今日は年一回の健康診断の日。配偶者も無料で受けられるので三女を義母に託し、妻と朝一番で赤十字に向かう。ここ数年の健診は赤十字で受けているので要領は心得たもの。いつものように病院のスタッフもてきぱきと対応してくれ、ストレス無く健診は進行してゆく。健診メニューの中で肺活量の検査があるが、実はこれが僕の密かな楽しみでもあって『前年の記録を超えてやる!』と、静かな闘志を燃やしていたのだ。それなのにだ、胸一杯に息を吸い込む段になってちょっとしたタイミングのずれから吸い込みきれず、結果は昨年を下回ってしまった・・『失敗した!』と悔しがっている僕にスタッフが『それでも平均より上ですよ』と慰めてくれたが、悔しいことには変わりない。来年は必ず越えてやる。
相変わらずバリウムを飲んでの検査では、撮影台の上で『まな板の上の鯉』よろしくX線技師の命令に従ってぐるぐると回されたり、奇妙なポーズを何度もとらされたりと、まったくもってやるせない気分。X線技師の真剣さだけが救いだよな。
すべての検査を終えて家に帰るともう昼だ。腹はバリウムを飲んだ影響でど〜んと重たく、おまけに下剤が効き始めていて怪しい雲行きだ。これではとても現場仕事など出来んのでトマトなどの種を蒔くことにした。時折トイレに駆け込みながら育苗ポットに種蒔き培養土を入れ、指先で軽く穴を開け小さな小さなトマトの種を蒔いてゆく。トマトだけでも7種類もの品種を蒔いたのでかなりの数になったさ。あとはズッキーニとタイの唐辛子。簡易温室内での育苗だがちゃんと発芽するだろうか・・これからが楽しみでもあり気を揉む期間でもある。

2012-03-18

週末風情


終日陽差しはなかったものの気温高く過ごし良い一日に。しかし夜半に入るとこれが一転、北西風が家を軋ませるほどの圧力で吹き付け気温は急降下、春はまだまだ勢力弱く、冬もそう簡単には引き下がってくれそうにないようだ。そんな中、娘達と散歩をし、娘達と草をむしり、娘達と竹を採りに出かけるなど、ほぼ一日中娘達と過ごした週末だった。庭の芝生に生えた雑草はかなりのもので、雨上がりのまだ土が湿って柔らかいうちにむしらないと根っこまでうまく引き抜けない。そこで長女と次女の小さな手を借りて3人で地べたに張り付き、ひたすら草をむしる。ずっと下を向いて草をむしっていると頭に血が上り、膝や腰が痛くなってくる。こんな地味な作業にもかかわらず娘達は非常に協力的で、夕方まで自分たちの遊びもせずにひたすら草むしりを手伝ってくれた。ありがたいことだ。
あんまり下ばかり向いていてもつまらなくなって来るので、気分転換も兼ねて河川敷にある竹林へ畑で使用する竹を採りに出かける。娘達はこの竹林へ行くのが大好きで、僕が頃合いの竹を伐り枝を払っていると、曲がった竹の半端部分を拾って来てはそこら中の竹を叩きまくって『音が違う!』と不思議がってみたり、人の手があまり入らず太い竹が折り重なるように倒れて荒れ放題の上に登って『おーい!』とはしゃいでみたりと、自分達で遊びを見つけては楽しんでいる。それが大事なことなんだ。

これからは徐々に暖かくなって行くことだろう。例年よりかなり遅めだが、そろそろトマトやズッキーニの種を蒔くとしよう。

2012-03-17

雨のち・・


一日中雨が降り続き、この季節としては驚くほどの雨量だった。予報によると明日の気温はぐっと上がるそうだから、春を待ちわびている草花や木々は今日の雨を糧として一気に生長を早めることだろう。そうなってくると厄介なのが雑草の類いで、冬の間ほかって置いた畝などはびっしりと雑草が生え、むしるのが大変な状況だ。どうもこの冬は週末ごとに雨が降るのでなかなか畑をやる時間が取れず、どうしても草むしりなどが後回しにされて来た結果がこの有様だ。明日、雨が降らなければ作業をしてひとつひとつ溜まった仕事を片付けて行く予定。
さあ、雑草との闘いの始まりだ。

2012-03-16

来日


昨夜、義母が来日した。今回の滞在は4月下旬までの予定で、毎度のごとくいろいろなことを助けてくれるはずだ。なんたって現状では三女に手がかかるため、やらねばならぬことがまったく出来ない状態が続き、多忙な割には何も物事が進んで行かない有様にて困り果てていたのだ。なので義母の来日はある意味救世主的な面もあって、娘達も喜ぶし僕達も助かるといったように今や必須となっている。義母は70を越えているが飛行機の旅をまったく苦にしないので、日本に来ること自体は問題無し。ありがたいことだね。

2012-03-15

遠き島より


強風吹きすさび、砂埃の舞う現場での作業を終了し、なかば呆然として弛緩していると、遠き島に住む友人より久しぶりに、本当に久しぶりに連絡があった。いや連絡を取り合っていなくても友人は僕のブログを読んでいるし、僕は僕でこの時期になると脳の半分は離島のことしか考えていないので、自然と島に住む友人の消息を気にしてはいたのだ。僕は友人の声からしか判断できないが以前よりもとても元気そうに思えた。声にも張りがあって活きいきしていてとても印象が良かったな。なんか会話をした後すっきりとした余韻が残ったよ。
さあ、新しい目標に向けて徐々に加速して行くとしよう。

2012-03-14

大地揺れし


夕方、TVをつけると津波注意報に関する報道を繰り返し行っていた。『また地震があったのか・・』と各地に到達した津波の高さを見ていると、20時ちょっと前にまた同じ所で震度3程度の地震があったと言う。『ほんと地震が多いね』と娘達と風呂に入りながら話し、またぞろつまらぬことでケンカを始めた長女・次女をせかして21時に床につかせ、NHKニュース9を見始めてすぐに緊急地震速報が・・関東だ。
NHKのスタジオが揺れ、震度は強い所で5強程度とのこと。すぐに千葉県に住む弟夫婦に電話するも繋がらず、メールを打つとしばらくして『大丈夫やった』との返信。あとになって出された気象庁のデータでは同じ千葉県でも弟夫婦の住む地区は震度3程度だったようだ。
それにしても地震が多いよね。いつ何時巨大地震が起きてもおかしくないと言うのだから、東北大震災以来活発になっている地震活動はまったくもって不気味だ。来るべき日のための備えを急がねばならない。

2012-03-13

アフリカ便り


夜、電話がかかって来た。出てみると声が遠く、ノイズもあって聞きとりにくい。『もしもーし!』と、そんなやり取りをしていてその声の主が我が友、鉄人KT氏であることが判明した。いまはケニアに戻って来ているとのことでナイロビからの遠距離電話だ。声の様子からすると達者のようで安心した。今回の電話は彼からの頼まれ事だったが、そんなことはお易い御用さ。無事な声が聞けて何よりだ。
これからの予定を尋ねると1〜2週間ばかりソマリアヘ行くという。そしてその後はルワンダ・ブルンジに潜入するつもりだそうだ。相変わらずの行動力には感服するが、そのどの国も危険と隣り合わせの状況なので、とにかく彼の無事を祈りつつ、6月の帰国と土産話を楽しみに待つとしよう。その時はチェンラ組結集して彼の労をねぎらおうと思う。

KT氏がアフリカ各地で撮った写真です。ぜひご覧下さい。
http://takeshikuno.com/

2012-03-12

ジャガイモ植えたら、雪降った


朝、少し寝坊して妻に起こされた。起きたタイミングが悪く、『寒いな〜』とぼんやりしながら雨戸を開けて驚いた『真っ白やんけ!』
確かに予報では降るようなことを言っていたが、よもや積もるなんて考えてもいなかった。積雪は約5cm。ただ気温が高めなので道路に積もった雪はすぐに融けて通行に支障は無さそうだ。とは言っても送り迎えの車が増えるのであちこちで渋滞が発生するだろうと予測して、いつもより15分程度遅れて出勤する。空はまだどす黒く、時折雪が激しく吹き付けてくる。
案の定、出発を少し送らせた効果は絶大で、ほとんど渋滞にも捕まらずスイスイとテンポよく走り抜けてゆく。最終的に現場に着いたのが9時ちょっと過ぎだったので思ったよりも早かった。そして外仕事の一日が始まった。

朝に続き日中も日差し無く、西風強く、とても寒い一日に。特に風の強さと言ったら尋常ではなく、あらゆるものが飛ばされるようなそんな強力な風。これが春一番だったらさぞかし暖かかっただろうな・・などと雪ちらつく中でひたすら身体を動かし作業をする。そうしていないと西風がどんどん僕の体温を奪い、寒くてたまらないのだ。
明日も引き続き気温10℃前後と寒い一日になりそう、さあ、気を引き締めてやるとしよう。

2012-03-11

復興の道、未だ遠く


あれから一年、言いたきことはあるし、やらねばならぬことも山とある。しかし今日はただただ黙祷す。

何度見ても、どれだけ経ってもあの光景は信じ難い。被災された方々の痛みはどれほどのものだろうか・・想像だにできぬ。

暖かな日差しが降り注いだ今日、僕はいつもと変わらず娘達を連れちょっと長めの散歩をし、そして村の辻にあるお地蔵さんに三人して手を合わせる。
午後、娘達が砂まみれになりながら庭の砂場に大穴を掘っている頃、黙祷を告げるサイレンが町内に鳴り響いた。僕は作業していた手を止め、砂場に行き娘達とともに黙祷を捧げた。
子供達は今回の震災を、大人が思っているよりも深く、敏感に感じているようだった・・

2012-03-10

懇親会


朝9時、子供会の輪番で公園の掃除に向かう。妻は英語のクラスがあるため長女と三女を連れての掃除当番だ。そして掃除が終わるとすぐさま家に帰り2人を連れて買い物へ。11時頃買い物から帰ると、ちゃちゃっと昼食の用意をして食べさせ、子供会主催の『6年生を送る会』に送り出す。
夕方、今度は自治会の懇親会に出席し、普段あまり見かけないもの同士が『今後ともよろしくお願いします』と頭を下げ合う。ここのところ我が町内では田んぼが埋められ、新しい家がバンバン建てられている。そのため毎年自治会の加入者が増えて結構な人数となっている。今日の懇親会も欠席者が多かったが、もし自治会の会員が全員参加したなら相当な人数になるだろうね。
思えば昨年の懇親会は原発が爆発した直後に行われていたのだ。僕は固唾の飲んでその推移を見守っていたので送迎バスの集合時間に遅れてしまい、ロードスターぶっ飛ばして料亭に馳せ参じたのも、まだ生々しい記憶だ。あれから1年か・・
帰宅後、まだ寝ていなかった娘達に『おやすみ』をしてから風呂に入り、バリカン持ち出して頭を丸めてやった。6mmで刈ったった。

2012-03-09

言の葉


唐突にだが、毎日いったい何人の人と会話するのだろう?と考えてしまった。
当然平日であれば仕事関係の人との会話がその大半を占めるが、それでも電話で仕事関係以外の人と話したりという機会も多い。特に『人と話している』という意識はしないものの、妻や娘達との会話もある意味『人との会話』となるのだろう。人と話しをするのが好きな僕にとっては『会話する』こと自体が自分にとっての大切な栄養分で、これが無いということはちょっと想像できないことでもある。人と話すことでその人を知り、自分を知ることが出来る。自分では考えもしなかったことを人は教えてくれ、悩んでいた扉を開いてくれる。時に慢心し、独りよがりになりがちな自分を修正してくれるのも人だし、心にしみる言葉を投げかけてくれるのも人だ。

昔こんなことがあった。
インドネシア・スマトラ島の北に浮かぶ小さな島に滞在していた時のことだ。その島では片言の英語が通じるだけで島の人のほとんどはインドネシア語しか話せなかった。ある日僕は小さな食堂で一人夕食を食べていると、向かいにインドネシア人のおばさんが腰掛けて来て僕に語り始めたのだ。僕はちょっと戸惑いながらも少しはインドネシア語が話せたので『へ〜』とか『ほ〜』とか言ったりして適当に相づちを打っていたのだが、彼女の語りは徐々に『あーなのさ』『こーなのさ』ってな具合に熱を帯び始め、結局1時間近くも話し相手になっていたのだが、話しの内容は何かの愚痴であること以外はさっぱり分からなかった。でも不思議なことに彼女の気持ちだけは十分僕に伝わったし、彼女も相づちを打ちながら聞いていた僕に満足して去って行ったようだった。このとき『言語』ではない『言の葉』の意味をうまく説明できないが直感的に理解できた気がしたのだ。
日々の生活の中でありきたりな存在になりがちな『言の葉』を僕は大切にしたいと思う。それは何もしゃべり言葉だけではない。メールにしろ何にしろ、自分の気持ちを発するものそのすべてが『言の葉』であり、自分自身でもあるのだ。

2012-03-08

経験


三女がグズっている。9時前に寝ていま11時だから夜泣きになるのだろう。何がそんなに悲しいのか、何がそんなに不満なのか分からないが大声で泣き叫び、妻を手こずらせている。昨日は10ヶ月健診も済ませ、至って健康まったく問題無しだった。子供も3人目ともなると保健師さんからのアドバイスや指導といったこともほとんど無く、『ご飯食べてますか?』『おっぱい飲んでますか?』程度の軽い質問で終わり、ほとんどスルーだという。それもそのはずでベテランの保健師さんはさておき、若い保健師さんともなると3人もの子供を育てたことがある人はまず居らず、経験してない者が経験者に対して何をや言わんだ。何年か前、次女の健診に僕も一緒に行ったことがあるが、その時の保健師さんも若い人でとても子育てをしたことがありそうには見えなかったし、まだ独身だろうと思われた。そんな人が2人の子供の母親に対してマニュアル通りの質問を繰り返し、指導も行うという実に奇妙なことがあった。妻もそれには『どっちが経験者やと思っとるの、知らんくせに偉そうに言って!』と気分を害していたのを憶えている。いかにも行政がやりそうなことでお粗末だよね。

2012-03-07

対応


朝9時過ぎ、昨夜メールを送っておいたオーム電機の担当者から不良品に対する詫びの電話がかかって来た。不良品の状態についてはメールで大まかなことは書き込んでいたが、実際に担当者と話した方が分かり易い。そしてそれを聞いた担当者は非常に驚いているようで『こんな状態で出荷されたとは信じ難いが、事実起きてしまったことなのでしっかり検証したい』という。すでに社内の品質担当部署へも僕からのメールを転送しているようで、結構な大事になっているらしい。そりゃそうだよね、オーム電機と言えば大手ではないにしてもある程度名の通った会社だ。それがあんなものを出荷したとなったら大事になるさね。初期不良というレベルの話では無くて完全な不良品だからね。
オーム電機側の返品交換に対する手配は迅速で大変良かったよ。まず、我が家へ配送された不良品は三重県にある配送センターから送られたもので、埼玉県にある本社では中身を把握できないため交換品は本社の在庫から送ることとして、発送前には本社品質管理部が開梱して中身を確認し、さらに通電テストと実際にラミネートして正常に動くことを確認してから発送するという徹底ぶり。すでに発送も完了して明日には到着するということだ。僕はメールで結構厳しいことを書いたが、それはあたりまえのことで問題は『起きてしまったらどうするか?』ということだ。その点についてはオーム電機の反応を見ていると、これもあたりまえのことだが『しっかりやっているな・・』という印象を受ける。しかしなんであんな不良品が発生したんだろうね?個人的にすごく気になる。だから担当者には『分かったら教えて』と、メールしといたけどね。

2012-03-06

ナンナンダコレハ?


宝くじや懸賞にはほとんど当たったことが無いが、初期不良にはかなりの確立で当選する。
つい先日はこのブログでも書いたが、初期不良ではないものの商品の扱いの粗雑さによって小麦粉の大袋が破れて届き、いまも代替品の到着待ちの状態だ。
そして今日、おととい楽天で購入したA3ラミネーターが時間通りに届き、今回は警戒して受け取り時に梱包の箱を確かめると破れも無く大丈夫そう。梱包も丁寧だ。続いて中身を確認しようと箱を開けてゆく、するとどうもおかしい。新品のはずなのに箱の内側にはシールを剥がした跡ような破れが見られ、本体を包んであるビニール袋もくしゃくしゃだ。電源コードも束ねてあるとはいえどうも違和感のある束ね方で、本体自体には何かに擦って出来た白い跡が数カ所あるし、使用感さえ感じる。どう見ても展示品もしくは返品されたものを再梱包したものだ。もちろん僕は新品として購入しているので『おかしいな・・』と思いつつ本体を持つと、『バコッ!』とまるで弁当箱でも開けるかのように上部簡体が外れ中身がむき出しになってしまった。『うわっ!!』と驚いて確認してみると、信じ難いことに上下簡体を締め付けるネジが1本も無いやんけ!よ〜く観察するとネジを一度は締め込んだ跡はあるので、何かの理由でバラしたもののようだ。しかしだ、何でこんな物が送られてくるんや?
妻はラミネーターのヘビーユーザーなので今回は一番安いものではなく、中間クラスのものを購入したつもりだったのにこの結果だ。物はオーム電機のLAM-3BFというもので、楽天のオーム電機直営店(e-price)から購入した物なのにとんでもないジャンク品だった。もちろん返品交換するつもりだが、何でこんな物を送って来たのか?という説明をしてもらわんとね。
こういうことは鬱陶しいことでもあるけれど、向こうの対応次第でクレジットカードの決済を止めることも出来るし、打つ手はたくさんある。でもまずは先方の良心を信じようと思う。

2012-03-05

タミフルの効能


先週木曜夜にインフルエンザを発症した長女と次女は今もタミフルを服用している。熱自体はタミフルを服用後に劇的に治まり、今はもちろん熱などなく元気そのものだ。しかし医者からは『回復後もちゃんと5日間は服用させて下さい』との厳命が下り、それを忠実に守っている。ただ明らかに長女の場合はタミフルを服用すると精神的に苛立つようで、服用開始から何かと次女にいちゃもんをつけては嫌がらせを繰り返し、僕や妻がいくら注意しようがやめられないようなのだ。ただし、これはタミフルに限ったことではなく、今までも特定の薬に対しては同じような反応があったし、長女ではなく次女に現れたこともあった。ようは合うか合わんかの違いだけだ。なぜそうなるのか?と問われてもよく分からないが、その原因が薬であることは間違いない。だってあまりに反応がひどい時は薬を飲ませるのを止めると元に戻るからね。何が原因なんだろうね。
結局寝る前の歯磨きの時に長女が次女の邪魔をしたことが原因で大げんかに発展し、そこへ僕や妻が鋭く介入したものだから長女は大声で泣き出し手に負えぬ始末。普段から月曜日はスイミングがあって疲れているのでご機嫌斜めだが、今晩はさらにタミフルも加わってかなり強力だ。しかしいつまでも泣きじゃくっていては寝るのも遅くなりそれこそ悪循環なので、ここはひとつ抱っこして寝室まで連れてゆき、一緒に布団に入ってなだめたりすかしたりして落ち着かせ、そのうち疲れと薬の効能から眠りに落ちていったようだ。
まあ、我が家にとってはこれが日常で、大変かも知れないけど面白いところでもあるのさ。

2012-03-04

気は心


我が家では毎朝1.5斤のパンを焼いている。なので一般的に市販されている1kg程度の小麦粉ではすぐに無くなってしまうし、半分は全粒粉を使っているのでそれもスーパーなどで買っていたら高く付く。そこで小麦粉・全粒粉ともに北海道産のものを25kgずつの大袋で購入しているが、昨日届いたものはいけなかった。というのも袋が3箇所破れており、小麦粉がこぼれ出していたのだ。夜間配達指定で、しかも気を効かせて僕が外まで受け取りに行ったのが裏目に出てすぐには袋の破れには気付かず、あとで床にこぼれている小麦粉を見て『おかしいな?』と思い袋をチェックすると、底の部分の両端が破れていてしかもその一方にはガムテープが貼ってあった!これはヤマト運輸側の確信犯じゃないか。残念なことに商品自体には梱包もされておらず、25kgの大袋そのままに荷札が貼付けてあるようなずさんなものだったために、何かに引っ掛かって簡単に破れてしまったのだろう。しかしあくまでも中身は小麦粉であり食品だ。僕としてはもちろん納得がいかないためすぐさま店側に抗議すると、梱包の不手際を詫びすぐに代替品を送るとのこと。そしてそのあとしばらくして北海道のヤマト運輸から連絡があって、こちらは配送の不手際を詫びて代替品を迅速に送り届けるとのことだった。特にヤマト運輸に関しては、客の商品を破った挙げ句にガムテープを貼ってごまかし、それを知らん顔して配達するその悪質さを厳しく抗議しといてやった。配達業者としては失格だね。
さあて、代替品がどうやって配送されてくるか見物だよ。

2012-03-03

ひな祭り


今日はひな祭り。風は強いもののお天気は良く日差しが暖かい。2階で布団を干していると娘達が『きゃあきゃあ』言いながら庭を走り回っている。もうすっかり熱は引き、普段の娘達に戻ったようだ。いやはやなんと早いサイクルだろうか、圧倒されちゃうよね。
熱が引いたとは言えまだまだ移す可能性もあるため、日中は妻の英語クラスに来る友達との接触は避けなるべく大人しくして家で過ごす。それでもこんな天気のいい日に缶詰ではイライラするのだろうね、つまらんことでやたらとケンカをしてうるさいことこの上ない。おまけに三女までご機嫌斜めでずっと抱っこしてないと泣いて泣いて仕方が無い。おかげでなんもできんかった。
恒例の買い物には午前中の早い時刻に三女を連れて行ったが、ちらし寿司用の食材が多く出ていて美味そうだ。今日は僕の料理担当でもあるので『そうだ、ちらし寿司にしよう』と、食材を買い込む。作ると言ったって僕の場合永谷園のちらし寿司の素を使い、その上に各食材を盛りつけて終わりと言う簡素なもの。それでもみんな『おししいおいしい』と言って喜んでくれたね。永谷園様々だ。
食事の後は実家の母が孫達のために買って来てくれたお菓子や団子・甘酒を、お雛さんの前で『めっちゃ甘ーい』って言いながらワイワイと楽しく盛り上がる。娘達はお雛さんよりもお菓子に夢中のようで、とくに綿菓子は大のお気に入りだったようだ。
先月は寒い日が続き、お雛さんの置いてある和室は寒くてそこであそぶ機会も少なかった。お雛さん達もさぞや寂しい思いをしていただろう。今日はずいぶん賑やかにやっていたけど喜んでくれただろうか・・娘達は3人とも大はしゃぎだったけどね。

2012-03-02

インフル2日目


やはりタミフルの効果は絶大で、昨晩一度飲んだだけなのに今朝には2人とも37℃台前半にまで熱は下がり、ずいぶん楽になったみたいだ。長女は少量ながらもいつもと同じような朝食を摂るなど、相変わらずのタフさを発揮して親を安心させ、次女もなんとかして少しは食べようと努力していていじらしい。朝にはご覧の通りの快復ぶりを見せているものの、夜中には2人ともいろいろあって何度も起こされ寝た気がしなかった。長女は『鼻血が出た』と言って僕を揺り起こし、見ると枕にべったりと血が付いている。服にも布団にも少しずつ付いておりまだ鼻血も止まっていない。そこでティッシュを半分に裂き丸めて鼻に突っ込んでやり、しばらく上を向いて大人しくしているように言って再び寝かせ、そして僕もまた眠りについた頃に今度は次女が『Daddy、トイレ行ってもいい?』と言いながら揺さぶってくるではないか!当然いいに決まっている、と言うか行かなあかん。僕も起き上がって次女をトイレに促ししばしぼーっとする。次女もすぐに寝付いたがそのうち寝言を言い始めてうるさかった。
まあ、熱が下がればそれで良し。すぐに元気になるだろう。

2012-03-01

synchronize


帰宅後、長女・次女を連れて掛かり付けの小児科を訪れる。今朝早くに予約の電話を入れたにもかかわらず空いている時間は18時45分以降というほどの混み様で、待合室には予約客の他に飛び込み客も多く順番が回って来たのは19時頃。次女から問診と触診を受け、そしてインフルエンザの検査をすると案の定A型に罹患していた。つづいて長女も診察を受けたがこちらも症状はほぼ同じで、『検査するまでもなくインフルエンザでしょう』ということでタミフルはじめ解熱剤に咳・鼻水の薬までもらって帰宅。何でもいいから少しでも腹に詰め込んでタミフルを服用し、すぐに寝床へ。先ほど次女がトイレに起きて来たので額を触るとまだかなり熱かった。あの感じでは39℃はあるだろう。これで丸一日以上38〜39℃の間を行ったり来たりしている。長女はこの状況下でも食欲があるようで、比較的消化が良く栄養のあるものを摂っているのでまったく大丈夫そうだ。ほぼ同じ熱が出ている次女は反対に気持ち悪さに襲われているようで食欲無く、そのため体力が落ちて来ているように感じる。朝になれば状況も変わるだろうが、これ以上悪くなることは無いだろう。ただし、三女や妻、それに僕が発症する可能性もかなり高いわけで、今しばらくは予断を許さない状況が続くことになる。