2007-08-31

少子化対策


少子化対策についての新大臣の意見を聞いてみれば、なるほどそれらしきことは言っているがいつものこと、問題の核心から逸れたところで話をしているような気がしてならない。統計によれば出産を契機に70%もの女性が理由は様々だろうが仕事を続けるのを断念している。ゆえに新大臣は子育てしながら働きたい女性達のために育児休暇の取得を積極的に促すなどの子育て支援を企業側にも一層求めてゆく旨の発言をしていたが、じゃあ仕事を辞める70%のうちのどれくらいが育児休暇、育児手当等を取得できる環境で働いているというのか?パートや派遣では取得が難しいのが現状ではないのか?仮に社会保険などに加入していたとしても、仕事をしながらの子育てに対する夫やパートナーの理解と協力が得られなければ実際のところ無理だ。むしろこの問題があるゆえに仕事に戻りたくても戻れない女性がほとんどだと思う。夫やパートナーは毎晩夜遅くまで働かされて帰宅すると疲れて寝るだけ。それをさせているのは企業だし、それを許しているのは政府だ。共働きをしようにも保育所は満員で入ることさえできない。そんな状況でどうやって仕事を辞めずに子育てできると言うのか?

2007-08-30

テロとの闘い


テロ対策特別措置法を延長することが『テロとの闘い』から逃げないことなのか?ほんとにそう思っとんのかメルケルさんよ?だが、晋三くんは本気でそう思っているらしい。せっせせっせと他国の軍艦などに燃料を補給することが『テロとの闘い』であり、ひいては責任ある主権国家としての立派な国際貢献であると・・。日本がアメリカ、イギリスなどの艦船に燃料を補給していることについて『日本はようやっとる!』と思っている国なんぞは無い。アメリカ、イギリスでさえ『そんなことしかできんのなら、せいぜい満タンにしておくれ』程度にしか思っていないだろう。結局は日本なぞアメリカ、イギリスにとっては犬の尻尾でしかないのさ。そんなことを続けても税金を無駄に捨てているだけで中東の人々に恨まれこそすれ感謝などされはしない。もっと頭を使い日本にしかできない国際貢献の道を模索すべきだ。人を殺さず傷つけず、武器を用いず、そして人々を助けることこそ、世界の人々に貢献することではないのか?アメリカなんぞのご機嫌伺いだけをしている国が何が国連安保理の常任理事国入りを目指すだ!だから日本は世界になめられてんだよ。

2007-08-29

愚かしく、悲しき繰り返し


また妊婦が行政及び病院側のまずい対応の犠牲となり流産してしまった。救急要請をしてから病院で診察を受けるまで3時間以上もかかっては何の為の救急なのか?それだったら自分で急患に駆け込んだ方がよっぽど早いじゃないか。前回妊婦が診療を断られ続け死亡した時と同じで『厄介そうだから断ってしまえ』というのが病院側の本音だろう。こと妊婦に対してはその傾向が強い。妻の親友も産院の処置の悪さが原因で双子を流産し、更に転送された市民病院でもまずい処置を繰り返され一時は命も危ぶまれたほどだった。何とか回復したもののあまりにも散々な目に遭わされ、双子を失ったのに心のケアもされず、結局日本にいると辛くていたたまれないとアメリカに帰国してしまった。その後アメリカの病院で診察してもらったら流産の後処置の際、子宮内に傷を付けられていたことが判明した・・
アメリカでは流産などをした際は医療処置ばかりではなく、セラピストによる心のケアも行なわれるところが多い。
早急な少子化対策を行なうと言うのであればまずは安心して子供を産み、育てる環境を整えることだ。なぜそんな簡単なことが分からないのか?危機感なんぞ持ってないんだろな。

2007-08-28

余裕


狭いアパート(と言っても3DKあったが・・)から一戸建てに引っ越し空間的余裕ができたせいか、妻ともども些細なことでイラつくようなことが大分減ったように思う。今は子供の遊ぶ部屋と食事をする部屋を分けることができ、以前のようにおもちゃでめちゃめちゃに散らかった部屋を片付けないと食事もできないような状況は無くなった。一見くだらないようなこんなことでもこれが毎日毎食事時に繰り返されるとさすがにイラついて来て怒りっぽくなるのもよく分かる。更にはせっかく寝付いた下の子を上の子の大声で起こしてしまい、延々と大泣きが続くようなこともほとんどない。自然と母親の心にも余裕ができてくる。その余裕を作るためにこの家を買ったようなもんだな。

2007-08-27

美しいやら、新しいやら


晋三君は相も変わらず『美しい』だの『新しい』だのと抽象的な言葉を繰り返しているな。改造内閣と言ったところで真の国民のための内閣なんぞとは程遠いものだ。社民党の福島女史は『安倍PTA内閣』などとこれまた訳の分からんことを言っていたが、とどのつまりは従来通りの派閥調整内閣でしかない。大臣の顔ぶれを見ても個人的意見としては文部科学大臣に伊吹が留任したことがすべてを象徴していて、期待できるどころかこの内閣の教育に対する絶望的なまでの姿勢を見せつけられて暗然としている。口先だけで聞こえの良いことばかりを繰り返し、愛想笑いを浮かべるだけしかできないのならそれはそれで良いが、せめて自分の無能さくらいはわきまえよ。

2007-08-26

視点


少しでも手を抜くと庭の雑草は『これぞチャンス!』と言わんばかりに繁茂し、空いたスペースを侵略してゆく。日中これだけ暑く雨も降らなければそのうち枯れてしまうだろうと思いきや、さすがに鍛え方が人間様とは違いお湿り程度の雨でも爆発的に成長し、日照りの時には目に見えぬ地中にて勢力圏を拡大しているようだ。
日はまだ高いものの幾分日差しと暑さが和らいで来た頃を見計らって草をむしり始める。上の子も出て来て『きゃあきゃあ』言いながら草むしりを手伝ってくれる。こんなことはアパート住まいではできなかったことだ。やっぱり地面の上に暮らすのはいいなと思う。
そこら中に好き勝手に広がっている草をむしると、その草の陰の僅かなスペースになんとぎょうさんの虫達が隠れていることだろう!強烈な日差しを避けてのことだと思うが、まるで水中の藻に集う小魚の群れのようだ。今までは草むしりなんぞをしていてもそんなことを気にしたこともなかったし、気づいたこともなかった。おそらく僕の『モノを見る視点』が変わって来たからそういうことに気がつくようになったのだろう。人に言われて草をむしるのと、この暑さの中自分から進んで草をむしるのとではそりゃー気構えが違うわさ。

2007-08-25

再開


朋友が欧州へ向け旅立った。20年ぶりのことだと言う。先日会っていろいろ話していた時も当時のことで盛り上がり大いに楽しむことができたが、驚くべきはその記憶の新鮮さだ。話を聞いているとその情景がまるで映し出されるように想像でき、とても20年前の出来事とは思えず自分もその場にいたような錯覚に捕われる。確かに自分も10年前に旅した時の様子ははっきりと憶えてはいるが、それを瑞々しい言葉に置き換えて人に伝えることができるか?と言うと自信はないな。
とにかく、朋友の20年ぶりの訪問が無事に終わるよう祈るのみだ。

2007-08-24

妻子帰国


猛暑の日本から離れ、アメリカのシアトルにて避暑の快適な日々を送っていた妻子が無事帰国した。そして当然のごとく発した第一声が『暑い〜』である。そりゃー平均気温20〜25℃という羨むばかりの環境にいた者にとってはこの暑さは殺人的だろう。お土産に買って来たチョコレートもあっという間に融けて一つの塊まりになってしまったに違いない。子供達は暑さなどお構い無しに元気いっぱいだが、あせもだらけになってしまうだろう。今週始め寒気が南下して来るので気温が下がるだろうという予報を真に受け、淡い期待を寄せていたのも見事に吹き飛んでしまった。まるで終わり無きがごとき暑さとの闘いにはええかげんうんざりしているが、耐えねばどうしようもないところがこれまた辛いな。ま、とにかく子供達はすこぶる元気で安心した。ちゃんと僕のこと憶えていたしね・・さあて、明日からまた生活リズムがガラッと変わるぞ。父ちゃんの復活だな。

2007-08-23

過去そして未来


未来を旅するのか?それとも過去を旅するのか?現在進行形であるはずの旅は時間軸をゆがめ、未来へと飛び、いつか通った過去へと自分を引き戻す。『デジャ‐ビュ』そうだ知っていたのだ。僕は以前確かにここを旅したことがあるのだ。今歩いているこの街を何年か前も同じように歩いていた。僕が今見ているものは何だ?過去か?未来か?いいや現在のものに違いない。だがその時界は崩れ曖昧ではっきりしないのだ。僕は現在を旅しているはずなのに常に未来の自分を求め、過去の自分を捜している。そこにいるのは過去の自分なのか?未来の自分なのか?
旅は僕を時空間に落とし込み、迷わせる。
僕は時空を彷徨い、現在を見失う。
今いったい僕はどこにいるのだ?そしてどこへ行くのだ?

2007-08-22

虚像


やれやれ、また始まった。バットで祖父を殴り首を絞めて殺した16歳の少年の行動は異常で残忍なものだが、だからと言って彼が何か特別な存在であったかと言うとそうではない。日本全国どこにでもいる普通の高校生なのだ。しかし、世間は彼が普通であることを許さない。人を殺すような人間が我々と同じであるはずがない、あってはならないと言わんばかりに少年の過去を知る者や、ちょっと近所で見かけた様子を語る者がメディアに次々現れては彼が1人で壁を相手にキャッチボールをしていただの、友達はあまりいなかっただの、医者の息子で進路のことでかなりのプレッシャーをかけられていたようだだのと、まったく他人様には関係のない大きなお世話的なことをあげつらっては少年に対するネガティブキャンペーン攻勢を強めている。自分の祖父を殺すような残忍なヤツはオレたちワタシたちとは違う人種なのだと決めつけないと安心して眠れないような、そんな過剰反応を感じてならない。事件を起こした少年の人格はズタズタに破壊され、拒否され、葬られた。残されたのは異常な殺人者としての虚像だけだ。その虚像の姿をいくら追ったところで真の彼に出会うことはできないし、同じような闇を彷徨っている者を救うこともできない。彼はごく普通の高校生なのだ。その彼を異常な行動に追いやったモノは何だったのか?その心の闇を明らかにしなければ、このような少年が次から次へと生まれてくることだろう。

2007-08-21

夕立ち恋し


今日は来るかと思ったが、結局またフラレてしまった。ここ3日ばかりは遠くに稲光は見えるものの雲はこちらに流れて来ず、昼間の厳しい日差しで熱せられたモノはそのままの熱さを保ったまま次の朝を迎える。朝起きて室内温度が30℃を越えている日はこれで何日目だろうか?エアコンがなければあまりの暑さで眠ることもできず、ただでさえ夏バテ気味の身体から体力をどんどん奪ってゆく。いいかげんザーっと一雨来て欲しいものだ。今晩はポツリポツリと降っているものの一瞬にして蒸発し、涼を呼ぶにはほど遠い。思えば今夏は夕立ちらしい夕立ちが1回でも来ただろうか?
熱は冷めず、更なる熱を帯びてエスカレートしてゆく。
夕立ち恋し。熱よ冷めよ・・。

2007-08-20

九死に一生できるか?


那覇空港での中華航空機の爆発炎上事故は160名程の乗員乗客がいたのに死者も出ることなく本当に奇跡的だったと言える。エンジンの火災が飛行中、もしくは離着陸中に起きていたならば大惨事となっていたことだろう。今回の事故は偶発的に起きた機械トラブルだったのかも知れないが、近年同じような事故を繰り返している中華航空のこと故、単なる偶発事故で済ますことはできない。何か組織的な怠慢から来た事故の可能性もある。海外へ行く場合、安い航空チケットを手に入れるのが第一の目的だがそればかりじゃない。今までどれくらいトラブルを起こしているか?なども当然考慮に入れる。たかだか数千円安いだけで自分達の命を天秤にかける訳にはいかない。危険度をマークされている航空会社はたいがい見当がつくので真っ先に選択肢からは外し他の便を探す。そんな努力をしていても落ちるときは落ちちまうからな・・地に足が着いてないゆえ上空で何事か起これば一巻の終わりだな。ああ、恐ろしや。

2007-08-19

蜂をば退治せん


離れに風を通すため雨戸を開けていると数匹のアシナガバチが頭上を横切って行った。イヤな予感がしてよ〜く軒を見てみると瓦と雨樋の隙間に巣が掛けられている。ハチの数は見た目には少ないが巣の全体を確認できないので油断は禁物だ。そこで取りあえずゴキブリ退治用のゴキジェットを吹きかけてみると、何十匹も湧いて出てくるではないか!こりゃいかん、と急いでホームセンターに行きハチ駆除用スプレーと脚立を購入し、いざ作戦開始。まずは至近よりスプレーを噴射しハチを散らす。見えぬところに潜んでいるハチを警戒して水攻めにてダメ押し。反応がないのを見計らって電光石火の勢いで軒にはしごを掛け、ハチの巣をわしづかみにして地面に放り投げる。直径10cm程もあるものだった。この間5分もかからぬ早技で駆除したが、刺されなかっただけでも良しとしよう。
運悪きハチたちに合掌。

2007-08-18

大和


最近は何かと言うと人の欠点ばかりをあげつらい誹謗し貶め、揚げ足を取るような輩ばかりが目について、すこぶる不愉快で心面白からずこの暑さがもたらす体力的な面と別な領域で僕の身体の力を奪ってゆく。
『どうもパッとしないな・・』
おのおのが和をもって事にあたることを心掛ければ波風立つ事なくうまくいきそうなことなのに、どうもその考えが欠如しているようなのだ。誰しも不満はあり、文句も言う。それはいい。だが相手の人格までも全否定するような物言いは受け入れられない。己の何たるかも知ろうとせず、ただ人を攻撃し続ける輩なんぞとは極力関わりたくないものだ。
『大いなる和をもって、大和と為す』
本来の和風とはそういうことじゃないのか?

2007-08-17

反逆


連日の猛暑の中、朝から仮設ハウスのエアコンを最強にしてひたすら作業を進めてゆく。ハウスの中に居る限り温度も湿度も適度とは言えないまでも凌ぎ易いレベルで保たれているので、さぞ作業もはかどるように思うが密室恐怖症の自分にとっては、それはそれで厳しい環境に変わりはない。どうも全部の窓を閉め切られると酸欠になりそうで実際、脳の働きも徐々に鈍くなりふと気づくと眠って(決して仕事がつまらなくて寝てしまうのではないぞ!)しまっている。それに加え15時くらいになると肩の辺りから冷えて来てず〜んと身体がだるくなる。腹までもが同調して下痢ってないのに下痢したようにげっそり感がつきまとう。これ続けてたら必ず身体壊すやろな・・。やっぱ自然の流れには逆らっちゃいかんと言うことだ。暑いときはすべてを投げ出しひたすら耐える。それを無視して機械なんぞに頼っておっては自然の一部である自分の身体にいつか反逆されるだろう。

2007-08-16

蒸発


おいおい、ほんと死んじまうぞ、とうとう猛暑の記録更新だ。なんと74年ぶりということだが40.8℃から40.9℃までわずか0.1℃の記録を破るのに74年もかかったということか。それほどこんな猛暑は珍しいということでもあるな。74年前と言えば昭和8年、その頃はエアコンなんぞ無かったから皆日陰に籠りじっと耐えてたんだろな・・。体温よりも遥かに高い気温の中でも空調があると涼しくて良い面、いつもと変わらず仕事をこなせばならず良し悪しと言える。エアコンの良く効いた部屋から一歩外に出ると熱波の壁に巻き取られ一瞬にして蒸発してしまいそうだ。そんなんじゃ身体にも悪いわな。そのせいで体中にエアコン疲れが残りだるさも取れず、おまけに集中力まで散漫になってすこぶる良くない。こんな日は仕事なんかやめてしまって(実際できんて)暑さに耐えることに集中した方が良さそうだな。

2007-08-15

異邦にて


あれは今と同じような蒸し暑い夏のことだった。僕はマレーシアから船でインドネシア・スマトラ島に渡り北部を旅していた。他の旅行者から離島が面白いと聞き、半日程船に揺られて島に着くともう日も傾き薄暗くなっていた。食事をせねばと小さな町をうろついていると、見知らぬ老婆が突然僕の手を握り涙を流しながら日本人の名を呼び始めた。聞くと老婆が少女の頃この島に駐留していた日本人に『賢い子だ』とよく褒められ、可愛がられていたそうだ。それが今は身寄りも無く一人ぼっちで寂しくてたまらないのだと言う。あの頃が懐かしいと軍歌まで歌い始めた。
戦争は確かに終わった。しかし人々の心の中では戦争は終わること無く今も続いているのだ。海岸線にある破壊された旧日本軍のトーチカに入り、銃眼から遠く水平線を眺めた。60年以上も前、今の僕よりも若かったであろう兵士たちは、毎日この水平線を何を思い見つめていたのだろう。さぞ帰りたかったことだろう。帰りたくても帰れなかった者、自分から帰ることを断った者達の、その無念はいかばかりだったか・・
異邦に埋もれし幾多の魂の為に同じ過ちは命をかけて掛けて繰り返えさせない。

2007-08-14

精霊蝗


昼間はあまりの暑さのため『ぐでーっ』としてほとんど動かぬ猫が、日が落ち少しは凌ぎ易くなると自分で引き戸を開けて外へ出てゆく。しばらくするといつの間にか戻って来ているのだが、今日はちょっと様子が違う。何かしきりに跳ね回っているのだ。よく見ると小さな影が動いている。さてはカエルか?とその影を捕まえてみると10cmもあるショウリョウバッタだった。猫はよく飼い主に自慢するため獲物を持ち込むが、盆のこの時期に無慈悲な殺生を見逃すこともできず、幸いバッタも元気だったので隣の空き地に放してやった。猫も気まぐれ、僕も気まぐれ。そんな気まぐれで猫と人間に捕まってしまったバッタもとんだ迷惑だったろうな。

2007-08-13

ヒグラシの鳴く頃


どこへ行っても仰山の車と人であふれかえり、おまけにこの暑さだ。なのでどこへも外出せず高校野球などをだらだらと観てはいたが、それにもいい加減飽きて来た。ならばと涼しいところを求め実家から比較的近くにある滝へ昨日と同様甥や姪、弟夫婦を連れ立って出かけることに。あまり有名ではないその滝は夕刻近くという時間もあってか訪れる人も少なく、ヒグラシの鳴き声が響く谷間にひっそりとしかし力強く白い筋を刻んでいた。滝壺に近づくと連日の好天にも関わらず水量豊富でその飛沫が風に乗って全身を包み、その涼感と言ったらクーラーなどの人工的なものとは比べるべくも無く、心までも涼やかにしてくれる。皆しばしの間言葉を忘れ、滝の気にのまれていた。ここ最近暑さや疲れを理由にして自然の中へ入ることから離れていたが、それがかえって更なる疲れやどうしようもない停滞感の原因となっていたのかも知れない。谷を渡る一筋の風や郷愁を誘うヒグラシの鳴き声は僕の身体をスーッと通り抜け、赤みを帯び始めた空へと舞い上がって行った。

2007-08-12

夏の夜の華


先ほどまで甥や姪、弟夫婦を連れ立って実家近くの河川敷まで行き盛大に花火をして来たのだが、どうも昨今の花火の質が極端に悪くなっているような気がしてならない。手に持ってやる花火は以前と変わらないと思うが打ち上げ花火や、下に置いて吹き出すタイプの花火はどれも勢いが無くあっという間に終わってしまう。それなのに花火自体を見てみればどれも大仰に箱詰めされ、さもパワーがありそうな見かけになっているのだ。だからこそ実際に火をつけてみたときとのギャップが大きく『しょぼい〜』と落胆してしまう。僕が子供のときは相当の量の花火をやったが、吹き出し式でいえば『ドラゴン』というのがあって勢い凄まじく本体自体も燃え尽きて無くなってしまう程だった。連発花火もロケットも今のようにしけた感じは全くなく、勢い良く爆ぜてはかなり遠くまで飛んで行った。一体なんでこんなにも質が落ちたんだろう?子供の頃も今と同じく中国産だったが、やはり最近の他のモノと同様に本質を削り、見かけと価格だけを最優先にした結果の産物なのだろう。確かに花火には違いないし、楽しくもあるが常に『なんだこんな程度か』というがっかり感がつきまとう。それでは夏の夜の『華』にはなり得ないのだ。

2007-08-11

money game


最近は株価の乱高下のことが紙面を賑わしているようだ。なぜアメリカの低所得者向けの住宅ローンの焦げ付き問題が全世界的な株安を生み、世界経済の根幹を揺るがす事態になっているのか?その因果関係がさっぱり分からなかったが、ここに来て何となく要領を得始めている。そしてここでもまたヘッジファンドが大きな影を落としているようだ。紙面では巨額の損失だのと盛んに伝えているがその額が何十億、何百億の世界だ。そこにはもう人間を介さない数字の取引が残っているだけで、人間臭さなどは皆無だ。もうけ第一主義を貫き通し数々の買収劇にも大きな影響力を誇って来たファンドがひとたび揺れ動けば確かにその影響をもろにかぶるのは我々だ。そんなマネーゲームが世界経済を支配しようとしている。次の世界恐慌は間違いなくヘッジファンドから発せられるだろう。

2007-08-10

蒼き空


うだるような暑さの中、肌を強烈な日差しにジリジリと焼かれながらひたすら仕事を続行する。こんな日こそエアコンの良く効いた涼やかな部屋で内業をすべきなのかも知れないが、こんな日だからこそあえて焼かれようと日中の一番暑い時間帯を外で過ごす。不思議なもので始めは殺人的暑さに感じたものもしばらく経つと慣れてしまい、汗をだらだらな流しながらも手を休めることなく作業する。やはり暑い時は汗を流すものだな・・軽い疲労は清々しさに変わり、腕と顔はみるみる赤くなっていった。

2007-08-09

立場と認識


長崎の街に62回目の鐘が鳴り響いた。日本においては原子爆弾や核の使用は絶対悪として定義されており、自分もそれに同感であるし非核三原則の法制化も『被爆国として為さねばならぬ国是』と言う長崎市の平和宣言の通り必要な課題だと思う。だがその一方で世界においての核に対する認識はどうなのか?と問えば、ひたすら核武装を目指す国や、自国は持っているのに他国が持つのは許さん!というわがまま勝手な国や、核の何たるかも知らずに軍拡競争にひた走りミサイル実験を繰り返す愚かな国など核戦争が起こらなかったことが奇跡と思えるような悪しき状況だ。アメリカにおいては原子爆弾の投下が戦争を早く終わらせ何百万の人の命を救ったのだ、と教科書にも書いてあるし実際そう教えている。妻の立場としてもベースの部分ではその考えにのっとっている。そういう国や人々を相手に核の使用は悪だ!想像を絶する愚かな行為だ!と言ったところで聞く耳を持つものはいないだろう。何年か後に些細なことですべてが灰燼に帰すようなことにならないよう、ただ祈るばかりだ。

2007-08-08

慢心の夏


暑さのせいで気が緩むせいか、はたまた脳みそが液状化してしまったためか分からぬが、どうも夏になると何かにつけて調子に乗ったりいっちょまえの口をきいたりして奢りたかぶり慢心し、自分で制御不能に陥ってしまう傾向にある。自分の思惑で物事は動くと確信し疑うこともなく突き進んでしまったことも一度や二度ではない。その失敗も勉強にはなったがいかんせん同じことを繰り返している。毎年初夏から始まるこの浮ついた気持ちをどうすればよいのか?よく捉えれば果敢に挑戦する原動力ともなるが一方で盲目的に猪突猛進してしまう危険性を孕んでいる。そうは言ってもやっぱり計算ずくで動くことなどできないので、調子に乗ろうがなんだろうが『何とかなるやろ』てなノリでやっていこまい。それが慢心なのかも?

2007-08-07

walking


シアトルに滞在中の妻より動画が送られて来た。下の子が数メートル歩けるようになった様子が録画されており、なんとも微笑ましい。日本にいた時は3歩程が限界で右足をうまく前に出すことができなかったが、それをクリアすると飛躍的に上達したという。今ではちょっと目を離した隙に姿を消し、隣の部屋でいろいろと悪さをしているらしい。上の子が歩き始めたのが1歳だったから下の子の9ヶ月というのはずいぶん早い方だろう。やはり兄弟がいるとそれに引っ張られて何事も上達が早くなるということかな。妻たちが帰国する頃にはへっちゃらで歩くようになっているだろう。さあ、帰国後が大変だぞ!

2007-08-06

広島の日


今日は62回目の広島の日。新聞もとっておらず、テレビも見ず、ラジオも聞かない自分にとってはよほど注意していないと思わず忘れてしまう何気ない一日。同じその一日を62年間ずっと耐えて来た人々にとっては言葉に表しようがない程つらく、重く、大切な一日なのだろう。抜けるような青空からたった一つの爆弾が落ちて来て何十万という人々を焼き尽くし、その心までもを容赦なく焼いてしまった。その爛れた心を更に傷つけることを平気で言う輩が増えて来ているように思う。何十万の人々は何のために焼かれ、傷ついたのか?何のために命を落とさねばならなかったのか?
ご冥福をお祈り致します。

2007-08-05

あてど無く


あてもなく車を操り、何かに流されるように景色から景色へと繋いでゆく。いつもならば大体の行く先は決めて出てゆくが今回はそのアイデアが浮かばなかった。ただ『山へ行こう・・』そう思っただけだった。一人旅もずいぶんしたがやはり連れがいる方が楽しさも増し、例えばすばらしいものを見た時やおかしなものを発見した時などの感動も倍増するように感じる。そして何よりもその経験(良きも悪しきも)を共有する人がいてくれることが自分にとってとても大きなことだと思う。ほんの刹那の人生の、そのまた刹那のひとときを共に分かち合える人がいるなら、それだけで満足じゃないか?
外へ出よう、旅に出よう、そして人を愛そう・・

2007-08-04

庭にありて


仕事しとるよりくたびれた!今日は日中、土を掘り木を植え草を引きと大忙しで、やっとこさ一段落したのが18時頃。14時に作業を始めたから都合4時間もぶっ続けで庭を這いずり回っていたことになる。曇り空だったとはいえ蒸し暑さは格別ですぐに汗で全身ずぶぬれになり現場仕事以上の厳しさに。一息ついた頃には軽い熱中症の症状が出ていた。いくら何でもちょっと無理をし過ぎたようで水分を十分に摂り休んではいたが何となく全身気怠い感じがして力が回復しない、そうだ!塩分を摂るのを忘れていた。急いで梅干し2個を口に放り込みしばらくすると調子が戻って来た。複雑そうな人間の身体も要は水と塩だな。後でチョコレートアイスを身体に注入しておいたのでこれで明日には完全復活だ。さて、明日は何をするかな?気晴らしにどこかへドライブにでも行くとしよう。

2007-08-03

木をや植えん


おそらくは鳥などの糞からの実生のものだろう。現場内にはさまざまな植物に混じって小さな木もちらほらと生えている。その木を採取して自宅の何も生えていない庭に植えようと根を掘りにかかったのだが、これがガレ場に生えているためがっちりと根が張り容易に掘り起こせない。無理に引き抜いても木が痛むだけなので諦め比較的簡単につくと言うムクゲの枝を何本か採取し、挿し木にチャレンジすることに。時期的に植え替えや挿し木には適さない頃だが今じゃないとできないことでもあるのでダメもとでやってみようと思う。うまくいってこの木々たちが日陰を作るようになるには一体どれくらいの時間がかかることだろうな・・

2007-08-02

我ここにあらず


いまだに諦めきれない行方不明になった猫を探すためと、転送手続きをしたのになぜか漏れて前の住所に送られる郵便物の回収のため毎晩以前のアパートに出かけていたが、つい先日訪ねた時は既に別の人が入居したようでオレンジ色の淡い光をカーテン越しに見ながら、おかしなことだが一種の寂しさのようなものを感じていた。7年間を過ごしたその部屋に戻ることは無いと分かっているのに別の人が入ったことで完全にその道を閉ざされたような、自分の中の何かが失われてしまったような不思議な感覚。それは変化に対する不安と過去への郷愁から来るものかもしれない。母体から生まれい出し時より我々には帰るところなど無いのだ。無いがゆえに我々はかえってそれを求め彷徨い、さらに求め続ける。過ぎ去りし過去の光は未来を照らし我々に希望を与えてくれるだろうか?

2007-08-01

駒たち


大失態の続く現場でその失態を回復すべく緊急動員されたのが派遣の女の子たち。確たる計画も見通しも無く、取りあえず投入せよとのことで現場入りしてもらい大いに助けてもらっているが、仕事量としては少なく何ヶ月も続くものではない。当初からひと月程という条件で来てもらっているらしいが、果たしてひと月分も仕事があるのだろうか?そのことが気になって尋ねてみると『派遣だから仕事が無くなれば切ればいい』との答えだ!自分も一時期派遣で働いていたことがあるので企業の勝手な都合で仕事を切られる遣る瀬なさと、腹立たしさはよく理解できる。『それが派遣さ』などと平気で言う輩もいまだ多い。『良いか、オレたちはお前たちと同じくこの仕事に生活がかかっているし、養わねばならぬ家族がいるのだぞ!それを仕事が無くなったら切ればいいなんて軽く言うんじゃねーよ!オレらはなんだ?モノか?使い捨てか?』この怒りは消えること無く僕の中でくすぶり続けている。なぜ人を、その『人』を見ないのか?代わりはいくらでもいるなんて考えは憎むベきものだ。『なにをキレイごとを!』と言う人もいるだろう、なあに、言わせておけばいい。キレイごとだろうが何だろうが僕は『人』が好きだ。だから駒としてではなく『人』として付き合いたいのさ。