2007-03-31

ひとり


アメリカより娘たちの写真が送られて来た。毎回恒例のことでスタジオへ行き撮影したものだが、そこにはおかしな撮影セットの中でおとなしそうな、お澄まし顔をして写っている娘たちがいた。微笑みながら写真を見ていると、ふと不思議な感覚に捕われてくる『この子たちは本当に自分の娘なのか?』『自分に娘がいることは現実なのか?自分の勝手な想像じゃないのか?』と。まったく馬鹿げたことだとはよく分かっている。だが現実に娘たちがここに、自分の身近にいないことで精神的なバランスが崩れて来ているように感じる。昨夏に妻と娘がアメリカに滞在していた時も同じことを感じていた。その時は暑い盛りの外の作業で疲れていたからか?と思っていたがそうではなかった。確実に自分は精神的な支えを失いバランスを崩している。このタイミングで怪我をしたり、事故にあったりするのもおそらく関係があるはずだ。なぜそうなってしまうのかはよく分からない。ひとりは寂しいものだな。

2007-03-30

檸檬


結婚してからは夜の街を徘徊する機会なぞ全くなくなり、子供が生まれてからは夜に外出することさえ無くなってしまった。もともと夜の街をあてどなくさまようのが好きで、学生の頃は駅までの道のりを毎日違う道を通るようにして楽しんでいた。時間を忘れさまよっていて終電に乗れなかったことも一度や二度ではない。冬の場合は寒さに耐えきれず暖かい所を求めて駅周辺を歩き回り、ガード下のほんの僅かだが暖かく感じる所でホームレスの人たちにまぜてもらい段ボールを拾って来て夜を凌いだものだ。今でも夜の街を歩いているとなにか探検をしているような気分になり、あっちの店のネオンサインに『おお!』と笑ってみたり、にぎやかに騒いでいる店をのぞいては『なぜ自分はあの輪の中に居ないのだろうか?』と、まるで視線と意識だけが浮遊しているような不思議な感覚に捕われたりする。もうそろそろ帰らねばと思う一方、このままずっとさまよい続けていたいと望んでもいる。バックパッカーとして海外を旅していたときもそうだった。たまたま自分は帰って来て今ここでこうして生活している。たまたまなのだ。

2007-03-29

母とは?


最高裁の判断は予想した通り向井亜紀を母親と認めなかった。代理母出産そのものについては僕も違和感を感じる所がある。だが、倫理的な面やプロセスの問題を別にすれば、赤ちゃんが生まれその子を我が子と言って愛情をもって育てる者がいる。ならばその者を親と認めれば、母と認めれば良いではないか。事実上の親子ならばそれが親子なのだ。法的解釈だの、実例先例がないだの、血縁じゃないだのという面だけ取り上げて、だから親子とは認めないとはなんと傲慢で消極的な答えだろう。血縁の無い家族が非常に多いアメリカの判断は親子と認めるというものだった。生まれて来た子、またその子を思う親のことを思えば親子と認めて何が悪かろうか?書類上のことばかりに頭を悩ませる今のこの国の姿を見れば、大局的見地など微塵も持ち合わせていないことがよく分かる。

2007-03-28

狭間


2週間ぶりにロードスターが帰って来た。バンパーは新品に交換されピッカピカ。僕がオカマをほって傷ついていた所もきれいさっぱりなくなりました。ダンプの後輪と接触した左前側面のフェンダーはちょっとした歪みは残ると思っていたが、歪みどころかキズのひとつも見つけられないくらい完璧に修理してあった。どうやったらそのように直すことができるのか?きれいに直してくれた喜びよりもそっちの方に興味があるな。一度板金工場を見学したいものだ。
直って来た車を見ながら感じたことは、やっぱり自分は運が良かったんだということかな。確かにダンプに当て逃げされたのはツイていなかったと言えるが、もしあのまま堤防から転落し車が仰向けになっていたとしたら僕はここにはいなかっただろう。生と死の境なんてそんなもんだ。そんなもんなんだね・・

2007-03-27

人と人


人はいがみ合い、けなし合い、貶め合い、そして殺し合いもする。一方で人は慰め合い、励まし合い、助け合い、そして愛し合う。
僕は人が好きだ。時には裏切られ、理不尽な扱いを受けたりもする。だが時には落ち込んだ僕の話を聞いてくれ、なんとかなるさと声を掛けてくれる。ひどいヤツもいるがその何倍も優しい人はいる。僕は理想主義者かもしれないが少なくとも理想を持って生きている。多くの人と出会い、ぶつかり、愛し合って僕は人の親になることができた。今までの何かひとつの出来事が欠けていたとしたら、誰かと出会っていなかったら、今の僕は無かったはずだ。最近になって『生かされている』ということがどういうことなのか何となくわかって来たんだ。

2007-03-26

勘違い


昨日のカメラについては何の問題もなくすんなり返品できた。それにしてもあんな欠陥カメラをニコンブランドで売り出しているとは理解しがたい。動画撮影機能を使わなければきれいな写真も撮れるし、文句はないという人もいるだろうが問題はそこじゃない。そんな未完成なものを堂々と店頭に並べているそのプロ意識に欠けた顧客を無視した振る舞いが許せないのだ。長年ニコンのカメラを愛用しているが今までそんなことはなかった。ゆえに信じていたのに裏切られた気分だ。取りあえずデジカメ選びは振り出しに戻ってしまった。まあ、選ぶ楽しみが増えたと思うことだな。ところで以前D70の撮像素子を清掃しようとしてキズをつけてしまったと書いたが、うれしいことに勘違いだった。拭いたときに撮像素子の保護ガラスを汚してしまっていただけだったようだ。今回ダメもとでもう一度清掃にチャレンジしてみたらなんとキズが落ちるではないか!撮像素子の表面はガラスで覆ってあるという書き込みがヒントだった。ガラスならばちょっとやそっとではキズがつかないはずだと思い、無水アルコールと綿棒でやってみたらきれいになりました。テスト撮影して画像を確認した時はほんとうれしかったな。最近はキズが写真に写り込むのでD70の出番が減っていたがこれで完全復活だ。掃除の仕方もマスターしたしね。

2007-03-25

残念ながら


雨上がりの湿気を帯びた新鮮な空気の中をいざ電気屋へ。交渉はすんなり終わりかなりお安くデジカメを購入することができた。それでええの?というくらいまけてくれたのだ。そのまま夜まで置いといて、にやにやしながらバッテリーなどを用意し、そりゃON!としてみると、あれれ・・変な音がする・・中でモーターが回っているような・・そういえばユーザーの書き込みであったな、と思い出し再度調べてみると書き込みとまったく同じ症状だ。はじめ書き込みを読んだ時は気にし過ぎだろうと思っていたが、ノートパソコンが動いているくらいにうるさい。動画を録画するとマイクが内蔵のためまともにノイズ音を拾ってしまうとも書いてある。そこで自分も試してみると・・こりゃいかん!これでは動画が使い物にならない。動画を撮れないのと同じことだ。長い間使おうと5年保証にまで入ったのにいきなりこれでは残念至極。どうやらこの症状はこのカメラの仕様らしく、新品に交換しても改善されないそうだ。いくらきれいな写真が撮れてもいつも音が気になったり、動画もクリップできないようではなー。明日店に戻って返品してくるつもりだ。つかの間の幸せとはこのことか・・あ〜あ

2007-03-24

逡巡


車の事故もなんとか自己負担無しに片付きそうなので、調子に乗ってコンパクトデジカメをもう一台買おうとさっそく近所のキタムラ、ヤマダ、K'sに行き実機をあれこれといじくってみた。それにしてもなんとまあカメラの種類の多いことか!各メーカーがそれぞれ何機種も出しているので展示する場所がないくらいだ。店によっても置いてあるメーカーはまちまちでその辺からもメーカーと販売店との裏取引が垣間見えてくる。僕が狙っているものはヤマダにしか展示していなかったが、まあひと通り触ってみてどれほどの物かは確認できた。価格についても各店を訪れた際に交渉もしていたので手頃感のある値で落ち着きそうだ。そいつに惚れ込んで買う!といきたい所だが、なかなか自分が望む機能をすべてカバーしているようなものはない。結局はどこで妥協するかになるが、そこが難しいのだ。何種類ものデジカメを前にして時間だけが無意味に過ぎてゆく。だがもう決めた!取りあえずワンクッション置いて・・明日買いに行こ。

2007-03-23

頂き物


くたびれ果てて家に帰り着くと、ドアに紙袋が掛かっていた。誰かが何かを置いていったようだ。さっそく中を確認してみるとアメリカはシアトル産のマフィンミックスが3箱入っていた。しかし、メッセージやカード類は無く、一体誰がくれたものか分からない。ただ、そのマフィンミックスのflavorが僕の好きなワイルドブルーベリーと妻の好きなシナモン、そしてクランベリーオレンジといったようにまったく隙のない選択なのだ。僕にマフィンミックスをくれる人などいないと思うのでおそらく妻の友人なのだろうが、それならば妻がアメリカに帰国中であることを知っているはずだしメモを残しても良さそうなものだが・・そうだなマフィンミックスをくれるということは妻がよくマフィンやケーキを焼くことを知っている人だ。だとすると何となくあの人では?と思うのだが、何で大阪みやげの紙袋に入っていたのだろう?箱にはスーツケースなどに詰め込んだときにできるつぶれたようなあとがあるので、わざわざ運んで来てくれたものらしい。ううむ・・謎は謎を呼び更なる不可解な領域へと導かれてゆく。
ありがとうございました。でも誰がくれたの?

2007-03-22

徘徊


久しぶりに大都会を徘徊した。と言ってもビル群の中を練り歩いたわけでもなく、古き克つ新しき面影の街並を友人と2人であーだこーだ言いながらぐるぐるぐるりとそぞろ歩いた。学生の頃も同じようによくさまよい歩いたものだが、街は変わり人も変わり自分も変わって見るものすべてが新鮮で斬新で意味不明で、それだけで僕の心は解放され刺激され、もう楽しくってしょうがなかったなー。車で移動することが当たり前の地元ではカメラ片手にそぞろ歩く機会などまずない。小さな子供がいる今の状況ではなおさらだ。しかし、人は人の速度で物を見、風を感じ、臭いを嗅ぎそして考えることが必要なのだ。心を病むものが多き昨今、外へ、外へ出ようじゃないか?あとのことはあとになって考えればいいさね。

2007-03-21

第2ラウンドTKO


ゼネコンとの話し合いの結果は相手方の保険会社の示す負担割合がどうであろうと、僕にはいっさいの負担はさせないというものだった。今までの経緯からすると当然のこと、と言えるかもしれないが何かまだすっきりしないしこりのようなものが残っている。それは運転手が吐いた脅しに対する恐怖心ではなく、『本当に自分には非がなかったのか?』という自分のとった態度に対する懐疑心からくるものだと思う。ゼネコン側には僕のとった行動のどこに非があったでしょうか?ということを論理的に説き、理解を得られたわけだが、疑いも無くあの時の僕は『もしかしたらダンプが出てくるかもしれない』と感じていた。そこで思いとどまっていれば事故は起きなかったのだ。僕は正義ヅラして詭弁を弄すことで、まんまと負担を回避することができたにすぎない。僕は被害者に違いないが、加害者でもあるのだ。

2007-03-20

第1ラウンド


事故の相手方の保険会社から正式な問い合わせがあったのが今日の夕方。簡単に事故の状況を説明したがあくまで事務的なもの。賠償の割合などは各社の規定によって定められているのだろうから、いくら熱弁を振るって主張しても無意味なことだろう。当初は自分も保険を使おうと考えて、事実そのように動きもしたが、もうやめた。自分の保険の等級を3等級も落としお金をかけてまで、あんな悪質な運転手に例え2割り、3割りでも賠償責任を負う理由など全くないのだ。こっちの保険は完全に取り下げ、あくまで10対0で押すつもりだ。もちろんそんなことが通るとは思っていないさ。おそらく僕に振り当てられるであろう割合の金額は、ダンプの親会社もしくはゼネコンに負担してもらうつもりだ。それは当て逃げや数々の暴言、家に押し掛けるという脅迫などの代償だ。明日はゼネコン、ダンプの親会社の各責任者と3者会談を行う予定。自分はただ、事実を述べ誠意ある対応を求めるだけだ。

2007-03-19

闘いの始まり


1日待ったが昨日の事故の相手より何の連絡もない。相手方の保険会社が出て来ないことには何も事が進まないので、ダンプが作業していた工事現場の事務所を尋ね事故の報告を受けたか?と確認すると案の定聞いていない。そこで事故の経緯を説明し誠意ある対処を求めると、さすが中堅ゼネコンだけあってすぐに確認し善処しますとの答えを得た。やれやれと思い自宅へ帰るとダンプの運転手より激怒した調子で電話が入り、『お前のせいで仕事を失った!今からダンプで乗り付けるから待ってろ!』などと言う。まったく会話のできぬ状態なので電話を切り、ゼネコンの担当者に状況を話し再び対処してもらうはめに・・一体全体なんでこんな目に遭わないかんのや?それからやっとこさダンプの親会社より連絡があって『なんとかさせますので・・』とのこと。結局本人からはなんの話も無く。保険会社が出て来て話が動き始めたような状況。こちらから動かなかったらそのままにされてただろう。だれが泣き寝入りなどするものか!こちらにはまだ最後のカード、工事の発注者である国土交通省管轄土木事務所への苦情申し立てがあるのだ。覚悟せーよ。

2007-03-18

満身創痍


なぜか妻や娘たちがいなくなると何かが起こる。自分の行動パターンが一気に変わるせいでリスクも増すのだろうが、今日はほんとやばかったな・・。今回もまた長良川の堤防道路でのことだが遥か前方に異常にゆっくり走っている車がいた。みたところ20〜30Kmくらいだったと思う。その後ろを10トンダンプと僕が走っていた。そのダンプが遅い車を抜くであろうと思っていると、そうでもないようなので僕が抜きにかかった。すると突然ダンプがウィンカーも出さずに前の車を追い越しにかかり、ダンプの後輪と僕の車が接触しその反動で右に大きく弾かれた。堤防から転落すると思ったが堤防の肩に立っていた反射板の付いたポールに激突しなんとか転落は免れたのだが、ダンプはそのまま走り去るではないか!すぐに追いかけ追い越し制止させ、なぜ逃げるか!と問いただすと当たったのなんか知らんと言う。知らんも何も当たったのは事実だと言っても逆切れされ話にならない。堤防から危うく転落するところだったと言っても『落ちてしまえば良かったんだ』などと言う。埒があかんので警察呼んで物損事故証明をしてもらった。任意保険は車両には入っていなかったので相手との保険の兼ね合いで自己負担がいくらかはかかるだろう。10万くらいで済めばいいとこだろな。まいったな・・
まったくツイていないとしか言いようがないが、こればかりはしょうがないことだ。ロードスターはバンパーが大きく破損し、左側面が歪んでしまった。それでも、こんなこと言うと変だが・・オカマをほったり、ぶつけられたりそんなことがあればあるほど愛着が増すような気がするのだ。

2007-03-17


妻と娘たち、それに義母がシアトルへ向け飛び立った。ひと月ほど母国で羽をのばし、リフレッシュして帰国(来日?)する予定。空港で飛行機が離陸して行くのを見送ったことは何度もあるが、寂しいばかりでとてもにこやかに手を振れるものではないな。娘らがいなければこんなこともあんなこともできる!と普段は思っているくせに、いざいなくなると途端にほうけた状態になり、考えもまとまらず行動もちぐはぐで、あげくの果ては見たいわけでもないテレビをぼーと見て2時間ばかりも捨ててしまった。どうも娘らがいなくなると一緒にその活力までも失ってしまうようで、おかしな話だがかえって何もできなくなってしまう。多分普段の生活のリズムが大きく崩れるからだと思うが、やらねばならぬことも仰山あるのでいつまでもふにゃふにゃとはしておれんのだ。

2007-03-16

三たび


またまたiPodの調子がおかしくなった。前回さんざん苦労してなんとか直ったものの結局何が悪くて、なぜ直ったのか分からずじまいだった。今日も突然、再起動の無限繰り返しを始めたのだが前回経験しているので何とかなるだろうと思いきや、まったく同じ症状なのになぜか今回はうまくいかんのだ!それでもなんとかディスクモードまでもっていってiPodの復元を実行しようとMacに繋いでみると、人をあざ笑うかのように無限再起動運動を再開しまったく見込み無しだ。その他いろいろやってみたのだがすべて徒労に終わった・・このiPodをコンクリートに思いっきり叩き付けて粉々にしてやったらさぞかし気持ち良いだろうな。今日はもううんざりなので取りあえずほかっておいて、気の向いたときに触るとするかな。

2007-03-15

違い


ボンバルディア社製の全日空機が高知空港に胴体着陸したシーンはしつこいほどニュースで繰り返し流されているが、何度見ても見事な緊急着陸だと感心する。少しでもバランスを崩せば横転して先のインドネシア・ガルーダ機のように大惨事になりかねなかったが、パイロットが落ち着いて機を制御できたようで人的被害は出なかった。よくやった!と拍手を送りたい。さて、その事故に対しての報道姿勢だがNHKでは胴体着陸は成功し、死傷者は出なかったが、あってはならぬ事故で原因究明が求められる。てなニュアンスとともに全日空の謝罪記者会見を流していた。それはあくまでも事故が起きてしまったことに重点を置き、全体としてネガティブな印象を受けた。反対に英国BBCでは同じく胴体着陸シーンを何回も流しつつも、なんて見事な緊急着陸だ!パイロットは日頃の訓練通りに機を操り、危機を逃れることができた。というような、ともあれ無事で良かったね的なポジティブな印象の報道だった。確かに『カイゼン』を至上の命題とする我が国においては、今回の事故の原因を究明し再発防止に努めることが最重要のことだとは理解できる。だが、とにかく何でもかんでもまずは謝ってしまえというこの国の社会的風潮は嫌味に感じる。人為的ミスならぬメカニカルトラブルはどうしても起こり得るものだ。そのトラブルをうまく乗り切ったことを素直に喜んであげたらいいんじゃないのかな?

2007-03-14

ゆくゆくは


自分にしては珍しくここ2年ばかりは長期休暇を取らずに一見まじめに働いている。と言うのもつまらぬ話なのだが、年間でひと月も休もうものならその分収入は減る。減ったところで十分暮らして行けるのだが問題は住宅ローンに飛び火するのだ。家を購入しようと思うと当然ながら住宅ローンを借りねばならない。いくら借りれるのか?それが重要なポイントなのだが、銀行はその額を前年度の源泉徴収票より算出するのだ。よってひと月分収入が減ると借りれる額もグンと下がってしまう。そんなことのために辛抱して働き続けねばならぬのはたわけたことだと思うから余計鬱憤が溜まってしまう。子供たちのことを思えばここらで狭いアパートから脱出せねばならないが、そう簡単に手頃な物件が見つかるはずもない。なんでもいいや!とやけっぱちになる反面、35年ものローンを組んでまで欲しいものなのか?と原点に立ち戻ってしまう。ここに来てようやく目指すべき方向が見えてきたが、まだまだ課題難問山積みで一体どうなることやら?だ。とにかくもう少し辛抱して書類上の体裁を整え、一気に断行してしまうしか手はなさそうだ。
それにしても35年のローンとは!70歳まで借金抱えて生きて行かねばならぬのか・・それだけの価値があるのかや?

2007-03-13

高気密高断熱


新築のモデルハウスなどに行くと必ず聞かされるのが『高気密高断熱』という言葉だ。聞く頻度は『オール電化』とほぼ互角で、今どきの新築には無くてはならぬもののように宣伝している。で、何かと言うと読んで字のごとく気密性、断熱性が高いということで、その分冷暖の光熱費を節約できるらしい。しかしそれには裏があり高気密高断熱の家には24時間強制換気システムを設けなければならないと法律で定められている。木造住宅ならば木も呼吸しているはずで、人間の快適性、経済性ばかりを追求した結果木の存在は忘れ去られ、呼吸さえも機械の手を借りねばできないような状態に陥ってしまった。何かが違って来ていると思う。人によって望むものは違うが僕は換気をする時は窓を開けたい。盲目的に快適さを追求するあまり『無駄な快適さ』を作り出し、その部分でメーカー同士が個性を競い合うという馬鹿げた循環を作り出している。そもそも高気密高断熱、24時間強制換気システム、オール電化などという家が30年以上住み続けられるだろうか?家は保つとしてもそれらの機能はまず使いものにならんだろな。

2007-03-12

寒風


もう降らぬと思っていた雪が降った。先週末にタイヤ交換をした人も多いはずで、朝起きて外を見て仰天したことだろう。幸い道路に残るほどの積雪ではなかったので運転に支障はなかったと思うが・・
それにしても先週は20℃を上回っていたのに今日は8℃と気温差のなんて激しいことか。こうなると体調管理も大変になるが特に一日中外で作業している身にとってはなおさらだ。まわりで体調を崩す人が増え始めているのもこの気温差の影響だろう。今冬に記録的な暖冬をもたらしたエルニーニョ現象が終息したというニュースのすぐあとに寒さが戻るなんて、あまりにもでき過ぎてやしないかい?南米チリ沖の海水温が上昇する現象をエルニーニョと言うのだが、水温の上昇率はたった1℃なんだね。その1℃のおかげで異常気象が発生し、洪水になったり大旱魃を引き起こしたり暖冬になったりする。その1℃のために人々は翻弄され、なす術無く立ち尽くす。自然はそんな微妙なバランスの上にあり、我々はそのバランスを自ら崩し『自然の猛威』などと被害者ぶっている。

2007-03-11

sincerity


住宅展示場にてあるハウスメーカーの担当者に今は中古物件も探していて、明日は家の中を見せてもらう予定だと言ったら『築何年の物件ですか?』と聞いてきた。20年だと言うと。『ああ、それはゴミだ。水回りなんかはボコボコに腐ってダメでしょう。取り壊す費用がかさむので売りに出したんですよ。やっぱ新築がいいね』と、そこまで言うか?とこちらがあきれるほど過激なことを言う。その彼は『ウチの建てた家は他のメーカーと違って百年は大丈夫です!』と自信満々だ。そのメーカーが建てた中古物件も何軒か見たことがあるが、とても百年保つ代物ではなかった。担当者のあまりに度を過ぎたその物言いに辟易して早々に引き上げたのだが、その時に『その20年物の中古物件だけどアンタんとこが建てたものだよ』と言ってやればよかったな。どんな顔しただろうね?

2007-03-10

眠り


困ったことに上の子は夜なかなか寝ようとしてくれない。今は10時半だがまだがんばっている。布団に入ったのは9時過ぎなのにだ。昂奮してなかなか寝つけれない時もあるだろうが、上の子の場合毎晩なのだ。僕が寝かしつけようが妻がしようがまったく変わらない。昼寝をさせないとさすがに疲れて早く寝付いてくれるが、それだと夕飯時に眠たくなってしまってすこぶる機嫌が悪く、これまた手が付けられない。じゃあ、無理に寝かし付けず眠たくなるまで待とうとした時もある。そうしたら11時を過ぎても遊び続け、やっとこさ寝たのが12時前。翌朝は案の定寝起きが悪く、朝からぐずついて手に負えない一日となった。さてはてどうしたものか?成長するにつれ徐々に、ほんとうに僅かずつだが良くなってきているようには感じるが、まだまだ道のりは長そうだ。下の子はどうなるかな?

2007-03-09

hug


父親に抱き締められたことがあっただろうか?おそらくないと思う。母親には抱き締められた記憶がはっきりとある。
以前は人を抱き締めることなぞ恥ずかしく、照れくさく、みっともないことだと思っていた。いまは妻の影響から事あるごとに子供たちを抱き締めてやるようにしている。『している』と言うより抱き締めることが自然になっている。妻は『自分のfamilyはアメリカ人の中ではそんなにhugする方じゃない』と言うが始めてアメリカへ行き、妻のfamilyや友人らと会ったときはhugされるたびに真っ赤に赤面し、you are cute!とからかわれたものだ。
抱き締めたり、握手したり、頭をなでてやったり、そっと肩に手を置いてやったり、おんぶしたり、肩車したりとどんなやり方でもいいから相手の身体のぬくもりを感じることが何よりも大切なことだと思う。

2007-03-08

fate


妻が下の子の4ヶ月検診に行った時の出来事だ。同じ月齢ほどの赤ちゃんが自分の手をしゃぶっていた、それはどの子もすることなので別に気にもならないのだが、その子は手首のあたりまで小さな口に押し込んでしゃぶっていたそうだ。よくそんなとこまで口に入るものだな、と見ているとその子が口から手を離した。その子の腕にはかわいい小さな手はなかったそうだ・・
生けるものみな、母体より生まれいでし時より様々なモノを背負わねばならない。何を背負うかは決して自分では決められない。それを運命と言ってしまえば簡単だ。それを宿命と言ってしまえばそれまでだ。あまりにも大きな荷を背負わされる者、身軽にひょいひょい飛び跳ねて行く者。
なぜそうなるのか?なぜそうなったのか?なぜ?
僕にはわからない。僕にはただ、それに耐えて受け入れようとすることしかできない。

2007-03-07

神鳥墜つ


神鳥は緑鮮やかな田んぼの中で黒煙をもうもうと上げながら無惨な姿をさらしていた。
またか!と言わざるを得ない。昨日は自然災害で今日は人災だが、人の死に変わりはない。ガルーダインドネシア航空が特別悪い航空会社というわけではない。気象条件が悪かったわけでもない。しかし、ガルーダは墜ちた。飛行機が墜ちる確率は車で事故に遭う確率よりも遥かに低い、とはよく聞く話だが飛行機は墜ちたら助かる確率はほとんどない。今回は140人の乗員乗客のうち犠牲になられたのは20名ほどと聞く。あれだけ激しく機体が損傷したわりには多くの人が逃げ延びられたようで、ガルーダの神力がまだ少し残っていたのだろう。それにしても地震に飛行機墜落か・・ひょっとしたら地球規模で磁場のゆがみか何かの、大きな目に見えない動きが既に始まっているのかもしれない。たまたまそれが噴出したのがスマトラ島、ジャワ島周辺だっただけなのかも?そんなたまたまの出来事で命を落とし、家族を失うなんて・・
我々を支配しているモノは一体なんだ?『生』か、『死』か、それとも・・?

2007-03-06

災難


インドネシアで再び強い地震があったようだ。死者も100人に迫るという。最近は大津波や火山の噴火など自然災害が心の落ち着く間もなく繰り返し襲いかかっており、その惨状は見るに耐えないものがある。大津波の最大の被害地バンダ・アチェ、火砕流に飲み込まれたジョグジャ近郊の街、今回の地震の被災地パダン、その前の地震で壊滅したニアス島、10年前そのすべての地に僕は滞在し、様々な経験をさせてもらった。バンダ・アチェからパダンに向かう途中に寄ったムラボーという街ではゲストハウスの親父さんが一生懸命英語を勉強し、バックパッカーを呼び込もうと努力していた。その街も大津波後に撮影された衛星写真で確認すると跡形も無く消え去っていた・・
自然災害のニュースに接するたびに不思議な感情にとらわれる。なぜ自分は被害を免れることができたのか?そこに自分が居るときに起こってもおかしくはなかったのに・・自分はただ運が良かっただけなのか?死せる者と生き残る者、両者の違いは一体なんなのか?東南海地震への備えが叫ばれる昨今、その時自分はどこに居て、そしてどうなるのだろうか?

2007-03-05

事故


ウチのアパートのすぐ南にある十字路では月一回程度の割合で事故が起こる。見通しの悪さが主な事故の原因だ。近所の人の間では危険な交差点として知られており、大回りになってもここは通らないという人が多い。そんな交差点でつい先ほども事故があった。ミニバン同士が激しくぶつかったようで、すごい音がした。一方はかなりのスピードで走ってきて、もう一方は一時停止だがよく見えないので頭を出したところガツン!毎度同じパターンで事故が起こるが死亡事故にならないだけでも幸いだと言える。いままでの事故ではぶつかった弾みで田んぼに転げ落ちたり、電柱にぶつかったりというのが多いが不思議と人身までにはならない。それが返って不安なのだ。近所の子供たちもよく横断する所なのでいつか誰かが犠牲になるのでは?と、子供たちが横断しているのを見かけるたびにヒヤヒヤする。これだけ事故が多発するのだから信号機までとは言わないが、少なくとも両方を一時停止にすべきだ。そんなことは簡単じゃないのか?それともやはりお役所仕事というものは誰かが犠牲にならねば為されぬものなのか?それではあまりにも代償が大きすぎる…

2007-03-04

何故に?


いま住んでいるアパートのすぐ西側には幅2メートルほどの用水路がある。その用水路に向けて周辺地盤高を70センチもかさ上げするという工事が進行中なのだが、それが一体何のための工事なのかさっぱり分からない。この時期はいたるところでわけの分からぬ工事が盛んに行われ大迷惑を被るのだが、いい加減予算を消化するためだけの無駄な工事はやめてもらいたいものだ。べつに悪くもなかった道路を突然めくり上げ、新たに舗装をかけるようなことがそこらじゅうで行われている。もはやそのようなことがこの時期の風物詩のようになっている所が恐ろしい。道路など少々荒れていても構わんので僕たちの大切な税金をもっと公園整備や街の緑化、幼・保育園の整備など、有用なものに活用せよ。どぶ川に税金を捨てるような行為はもうたくさんだ!

2007-03-03

お雛さん


娘が2人ともなるとさすがにお雛さんでも飾ってあげたいな、と思うようになる。特に今年は下の子の初節句でもあるので店頭にお雛さんが飾ってあるのを見るたびに、申し訳ないな…と感じてしまう。買ってあげようか?という話はあるし、なにも買えないわけじゃない。置く場所が無いだけのことだ。狭いアパートの中にお雛さんを置く場所などあろうはずが無い。いや、物をのければなんとか作れぬこともないのだが、無理に置いたところですぐに子供たちの手にかかり壊されてしまうだろう。更には猫どもだ!ヤツらが一番要注意だ。まるまると太った身体でお雛さんを押しのけ、でっぷりと雛壇を占拠するのは明白だ。ならばガラスケース付きは?と思うだろうが、子供がガラスを割り怪我をするやも知れぬし、8キロ超ものデブ猫が飛び乗ろうものなら粉々に砕け散るに違いない。ゆえに、もう少し広いスペースが確保できるまでは待つことにしている。で、いつまで待つの?

2007-03-02

花粉症


ここ数日間は花粉の飛散量が大変多いようだ。幸運なことに自分は花粉症ではないため、いくら花粉が飛んで来ようがへっちゃらで居られるのだが、さすがにここ最近はホコリと排気ガス汚染が特にひどい現場での作業なのでなんとなく喉がイガイガし、鼻もムズムズするようになった。それが花粉と関係があるかどうかは分からないが身体が何かに反応していることは確かだ。花粉症も花粉に対する許容範囲を超えたら何歳であろうが発症するらしく、自分ももうすぐではないのか?という不安が常につきまとう。それにしても花粉症発症者が年々増加傾向にあるのはなぜだろうか?原因としてはTh細胞のバランス、ディーゼル排気ガス、寄生虫感染の減少、都市化などがあるが、どうも推測の域を出ていないように感じる。単純に考えて杉が多すぎるのがそもそもの大原因だろう。どの山を見ても杉の植林されていない山はほとんど無く、なんと国土の12%もの面積を杉林が占めているという。山が荒れたのも無計画な植林の結果だとも言われている。それでもなお花粉の飛散量が少ない杉の新品種を作り出し、植林を続けようとしている。花粉症はいまや国民病だ。国の失策が作り出した公害でもある。それを認めることができないゆえ、国は何もしないのだ。

2007-03-01

missing


しばらく行方不明になっていたモノが出て来た。なんと昨日来日した義母のスーツケースの普段は使わないポケットに密かに仕込まれていたのだ。そりゃーいくら探しても出て来ないわけだ。義母もまったく気づかなかったそうだ。もちろん仕込んだのは言うまでもなく上の子なのだが、うまく隠したもんだな。そのポケットにモノが入っているのを知っていたのは、上の子と空港のX線荷物検査係官くらいのものだろう。とにかく出てきて良かった。今回のような調子で一体どれくらいのものが密かに隠されていることだろうか?まるで密輸してるようだな。