2014-08-31

旅立ち














卵から孵化させて育てて来たクサガメ3匹のうちの1匹を川に放すことにした。
生まれたての頃は3cmに満たない大きさだったのに、今では15cmほどになりその成長の早さには驚かされる。今回放すことにしたのも、今かっている睡蓮鉢(直径50cm)に3匹では手狭になったからで、冬に越冬させるにも45cmの水槽ではなおさら無理だろうと言うことになり、川に放すにしても水温がまだ高く、食べ物が豊富なうちに慣れさす方が良いだろうと思い、今日のタイミングとなった。
3匹の内で一番大きなカメを選び、家族みんなで川端に集まり『ポチャン!』とカメを放す。水に潜ったクサガメは早速何かを食べていたが、その様子を見ながら『コイツ、ミドリガメ達との生き残り競争に果たして勝てるかな・・』と思う次第。このクサガメの親も同じ川から上がって来て産卵したが、生息数では絶対的にミドリガメの方が多い。泳ぎが上手いミドリガメに比べ、クサガメはどうしても鈍い分、出遅れてしまう。
そんなクサガメでも何とかして生き残ってもらいたいものだ。おそらくここまで大きくなったからそう簡単に死ぬことは無いだろう。ぜひ30cm超級の大ガメになって、自分より長生きしてもらいたいものだな。

2014-08-30

困った隣人














我が家の両隣は東側が畑で、西側が空き地だ。
その西側の100坪ほどの空き地の管理をすると言う条件で、地主さんから畑をする許可をもらっている。その空き地のさらに西側にはまた畑があるのだが、ここのオッサンが困った人なのだ。人当たりは普通なのだが素行が悪い。自分の畑を耕していて出た石をすべて空き地に投げ込むため、ここに生えた草を草刈機で払っているとその石が刃に当たって飛んでくるので危険だ。なので頻繁に石を拾っているが、僕の居ない時にどんどんと投げ込んでくるのでキリが無い。
それとこのオッサン、とにかくやたらと草やら枯れ枝やらを燃やすのだ。しかもわざわざ自宅からここまで持って来て燃やすものだから迷惑千万。ほんと鬱陶しい。僕も年に2回ほどは伐採した枝などを燃やすが、それは河川敷で風の無い日を選んで行い、しかも洗濯物の干していない時間帯にしか燃やさないようにしている。しかるにこのオッサン、今日は久しぶりに晴れたので布団を干してあると言うのに、何の気兼ねもなく燃やし始めるではないか!すかさず消してやろうとバケツふたつを引っさげて出てゆくと、たまたま風向きが北西向きで我が家の方に煙が流れて来なかったため、バケツだけを目立つところに置いておき警告としておいた。
その後オッサンは火を消すこともせずそのまま行ってしまったが、火の様子を近くまで行ってみて見ると、枯れたカボチャの蔓と一緒にマルチ(畝を覆うビニール製のもの)まで燃やしとるやんか!どうりで臭い訳だ。すかさずバケツの水をぶっかけて消しておいたが、さらに腹立つことに彼は自分の畑で燃やしていたのではなく、わざわざ僕が管理する空き地で燃やしとったのだ。人様の土地でゴミ燃やすとは一体どういう神経しとるんやろ?
この土地を使わせてもらうために地主のおばさんに挨拶に行った時、そのおばさんは隣人たるオッサン一族ともめ事があって『そこに家を建てるつもりだったが嫌になってしまってね・・』と言っていたが、今はそのことに合点がいく。
残念ながらこの素行の悪さは変わらんやろな・・まったく困ったもんだよ。

2014-08-29

捕獲














ヤツが再び現れたのは、台風11号による大雨で表の川が大増水した時だった。
朝、Jackieの散歩のついでに川の様子を見ていると、川に面した堤防の斜面の草がまるで誰かが歩いたように踏み倒されている。その跡を辿ってゆくと、食い荒らされたカボチャが転がっていた・・そう、ヤツだ。ヌートリアだ。
冬の間にだいぶやっつけたのでもう大丈夫かと思っていたが、甘かったね。すぐに罠を仕掛けておいたが掛らず、別のまだ青いカボチャまでやられてしまった。
それから数日経った今朝、ヤツが掛っていたよ。
近付くと飴色の牙をむいてこちらを威嚇して来る。まあ、いい度胸だ。
この夏は天候不順の影響でカボチャの出来が悪く、毎年幾つも穫れるお化けカボチャがひとつも出来なかった。小振りだがハロウィーン用にと思っていたカボチャをヌートリアに食われてしまったので、カボチャ無しのハロウィーンになるかも知れない。
いずれにせよ作物を荒らすヌートリアに容赦はしない。

2014-08-28

愚かなる者たち














ウクライナとロシア、イスラエルとハマス、それに急速に勢力を伸ばしつつあるイスラム国など、毎日必ずニュースに登場するのに、それらについての報道の質は非常に悪い。特に日本のメディアは海外のメディアが流したものをそのまま流用することが多いため、その内容を検討することもなく右から左状態で、もはや報道機関とは言えないレベルにまで落ちている。
まあ、そんな報道機関への失望はさておき、ウクライナとロシアは相変わらず小競り合いを続け、ロシア兵がウクライナ国境を越えて侵入して来たなどということも日常茶飯事で、その度に国連では大騒ぎするわりにしたたかなロシアに対しては何も出来ないと言う無能な状態が続いている。
イスラエルとハマスの衝突に関しても2000人以上の死者が出たにもかかわらず、国連は終始何の手も打てずその無能ぶりをさらけ出しただけだ。更に醜悪なのはイスラエルとハマスの双方が『圧勝』宣言していることで、一体何に『圧勝』したのか説明してみろ!と強く言いたい。ほんとバカどもばかりだ。
世界中で一体何を守るために、何を為さんがために殺し合いを続けるのか?
そんなことでそもそも殺しあう必要があるのか?
なんでこう人は愚かなのか?
日本で起きていることではないにしても、道理にかなわぬことが多過ぎる。
人の命があまりにも軽過ぎる・・

2014-08-27

デング熱














埼玉県でデング熱国内感染患者が見つかったそうな。
国内感染者の発見は1945年以来とか。そうか1945年と言えば太平洋戦争が終わった年でもあるので、おそらく南方の戦線からの多数の引揚者の中に感染者がいて、その血を吸った蚊から他の人に伝染したのだろう。今回のケースも10代の患者は海外渡航経験が無いと言うから同じような状況で感染したようだ。と言うことならば、デング熱ウイルスを持つ蚊が蔓延している訳ではないので国内感染者が激増する怖れはないが、将来的には地球温暖化の影響などでマラリアやデング熱の感染者が増加する傾向にあるのかも知れない。
僕がデング熱を発病したのはインドネシア・スマトラ島のブキティンギでのことだったが、確かに40度近い熱があったと思う。今思えば田舎のディスコ裏の半地下の小部屋で、夜通し『ズン!ズン!』と響く最悪の環境の中でも、特にへこたれることなく朝になれば自分で歩いて市場に行き、顔なじみになったオバちゃんのお惣菜を買って帰り、一人寂しくむさぼるように食べてたことを思い出す。あの時はとにかく『食べていれば大丈夫だ!』と信じ込んで、と言うか自分にそう信じ込ませて何とか乗り切ることが出来た。今でも当時、僕の体調を気遣いながら笑顔でお惣菜とご飯をバナナの葉に包んでくれたオバちゃんに感謝している。あの食事がなかったらとても一人では乗り切れなかったと思う。
約ひと月後、マレーシアで妻と再会し再びこの町を訪れた時も僕はオバちゃんのお惣菜を買いに行ったが 、今度は妻がデング熱にやられてしまってね。しかも症状がひどかったのでほんとまいったよ。
そんなわけでデング熱にはひとかたならぬ強い思いがあるのだよ。

2014-08-26

激動の日














今日はなんだか朝からツイていないことが多かった。
それが昼頃にかけて安定しかけたと思った途端妻から電話が・・
これは・・と、出てみると案の定『車がパンクした!保育園に迎えに行けへん!』というものだった。
パンクしたところ(というよりパンクしていることに気付いたところ)が自宅からそう遠くない場所だったので、ハザードランプをつけてゆっくり帰宅するように指示を出し、自分は速攻出先の現場から取って返し自宅へと急ぐ。
自宅の駐車場には左後輪がぺったんこになったプレマシーが停まっており、さっそくスペアタイヤを出してタイヤ交換に取りかかる。その様子を見ていた妻が怒りながら言うには、保育園にタイヤがパンクしたのでお迎えが遅くなると電話したら、いかにも嫌な感じのオッサンが電話に出て『パンクってホントなの?だったらいいんだけど』みたいな嫌みを言われたらしい。僕もただでさえ気が立っている時にそんなことを言われたもんだから、これまた速攻で保育園に電話して、当のオッサンに事実を確認すると『そんな言い方はしていない』といい訳を言う。しかし話した感じではいかにもそんなことを言いそうな野郎だったので、激烈に注意しといたった。
妻はスペアタイヤに履き替えた車で三女を迎えに行き、僕はパンクしたタイヤをロードスターに無理矢理詰め込んで友人のスタンドへ。前もって連絡しておいたからタイヤのパンク修理もスムーズで、まあ見事にトタン釘がぶっ刺さっておりました。ついでにロードスターのオイルとフィルターも交換し、久しぶりに会った同じロードスター乗りの友人とも話が弾み楽しかったな。
家に帰ると暗い中、修理したタイヤを取り付けてミッション完了。
妻も僕も今日はくたびれ果てて晩ご飯を作る元気なく。娘達の希望に添って回転寿しに行きましたとさ。

2014-08-25

空気晴れず














朝5時過ぎ、ぱらぱらと小雨が降っている。
これだと今朝のラジオ体操は微妙だな・・と思っていたら、6時過ぎには雨は止み予定通りラジオ体操を行うことが出来た。こんな天気のせいもあって子供達の参加率は悪かったがそれでも50名以上は居て、いつもの面々は元気よくやってくれました。
明日はラジオ体操最終日。天気は怪しいところだが、何とかできることを願いたい。じゃないとラジオ体操のカードを回収できないからね。子供会の役員は子供達からカードを回収し、皆勤賞の子らを抽出せねばならず、もし雨が降って中止になると役員が各家庭を訪問してカードを回収せねばならんのだ。これが凄い手間なんだよな。だいたい皆仕事に出ていて留守だからね。雨が降らぬよう祈るしかない。

今晩も相変わらずのベタベタ湿気。 早くこの高湿度の環境から抜け出たいものだ。

2014-08-24

地蔵祭り

心配していた雨が案の定降って来た。でもこれくらいならなんとかやれる!ということで夕方5時前に出動し、提灯お化け型ピニャタを竹にぶら下げセットする。6時の開始と同時に4カ所に分かれて激しくピニャタをひっぱたく。雨が少し強くなり、ピニャタのノリが融け始めたせいか予想より早く壊れ、やんちゃな小学生ボーイ達は不満だったかも知れないな。まあやれただけ良しとしよう。全体的な感じでは楽しんでくれたと思っている。

そのあとが大変だったのさ。突然自治会のオヤジ達にビンゴゲームの進行をやってくれと言われ、雨なので狭い公民館の中に子供達80名ちかくを押し込んでゲームをやるが、そのうるさいことよ!黙らせるだけでも一苦労。しかしゲームが進行するにつれ子供達もヒートアップしてなかなか良い雰囲気に。百枚用意した図書カードをすべて捌いてゲーム終了。参加してくれた大人や子供達にお菓子を配りすべて終わったと思ったら、それから自治会の反省会。結局解放されたのは9時近く。なんだか気疲れしましたよ。
明朝からは再びラジオ体操で6時20分までに公園に行かねばならない。まあほんと忙しいことよ。
それでも今日は怪我もなく無事終えることができてホッとしました。

2014-08-23

雨の中の花火大会














雨の降る中、傘の下から見上げる花火もなかなかいいもんだ。
今晩は毎年恒例の近所の花火大会。規模は小さいが花火の打ち上げ会場のすぐ近くにまで行けるので、花火の弾ける音も衝撃波も大迫力でかなり圧倒される。しかし今日も午後から次々と雷雲通り抜け、雨量もかなりのもの。『こんな天気ではとてもできんだろう』と思っていたら午後7時に花火大会を強行する合図の花火が打ち上げられ、実際に15分前倒しだったが最後までやり切りよった。
なんだかやけっぱちのような勢いでどんどん打ち上げていたが、雨の中の花火も乙なもんだね。何より音がよく伝わるものだから花火の炸裂とほぼ同時に『ズドーン!』とくる。いつもは聞こえない矢のように流れる流星風の花火の空気を引き裂く『シュシュシュシュッー!』という音まで聞こえて凄い迫力だった。心配していた雨も小雨程度に収まっていたので花火観賞には問題無く、ほんと中止にならなくて良かったよ。中止だったら明日の地蔵祭りと重なっちゃうからね。
三女は怖がって大泣きだったけど、長女と次女は大興奮でした。

2014-08-22

準備中















週末の日曜は地蔵盆だ。
我が町内でも毎年自治会主催で地蔵さん祭りをやるだが、余興として子供会でも例年ちょっとしたゲームをしたりしてきた。しかしそれらゲームが魚釣りゲームやら輪投げといったもので、あまりにもこじんまりとして子供達にもつまらないものになっていた。自治会のおじい達もその空気を感じて『今年は違うものをやってくれ』と偉そうに言って来たので提灯お化け型ピニャタを皆で叩き割るという、とことん違ったゲームをやったることにしたよ。
ピニャタとはメキシコで広く行われている恒例ゲーム?で、飾り付けられた張りぼての中にお菓子を仕込み、それを棒で叩き割って出て来たお菓子を拾うといったものだ。すでに妻が作った提灯お化け型ピニャタは完成し、お菓子の注入も済ませてある。あとは祭り当日を待つだけだ。これは昨年のハロウィーンで一度やったことがあって、子供達には非常に好評だった。しかし今回はおそらく100名近くの子供達が来ると思うので、果たして時間内に終れるかどうか心配なところ。ピニャタも簡単に割れてはいけないし、かといってなかなか割れなくても困ってしまうので、その辺りの加減が非常に難しい。
とりあえずやるべきことはやったと思うので、あとは成功を祈るだけだな。

2014-08-21

教訓














信じ難い数字だ。
広島市の土砂災害による死者数は現時点で39人、行方不明者が43人となっている。
よもやそこまでの被害とは、まったく思いもよらぬことだった。
今回も行政側の避難指示が遅れたとやっていたが、何度も言うように『逃げろ!』と言われてから逃げるもんじゃないやろに。そういう結果論でものを言うような行為は責任転嫁にほかならないと僕は思う。地震とは違い土石流に関しても何の前触れも無く襲ってくるものではない。尋常でない雨が降ってこそ土石流は起こるもので、いかにその前兆をとらえ行動するかで生死を分けるが、昨日も書いたように例えその前兆をとらえることが出来たとしても、すでに身動きが取れない状態に陥っている可能性が高いということも教訓として得られたことの一つと言える。
しかしそうなると如何にして自分や家族の身を守るか?というところに戻ってくるわけで、正直自分もどうすべきなのか見えて来ない。『運を天に任す』と開き直るしかないのだろうか?

2014-08-20

生と死














何とも痛ましい災害だ。
夜中に降る豪雨に対しては『ここに留まる方が安全だ』と信じて家の中に籠るしか無いだろう。そこをあんな土石流が襲うとは・・自然とは無慈悲なものだ。
被災した人達に選択肢などあったろうか?昼間であっても時間降水量100mmを越えるような雨だと視界はほとんど無い。それが暗闇であったらなおさらで、その状況下で外に出て避難しようなどと考える人はほとんど居ないはずだ。明らかに家から出る方がリスクが高いと考えるからね。その家を襲われてはどうしようもない。
なんとお悔やみを申し上げたらいいか言葉が見つからない。
たまたま住んでいたところに、たまたま猛烈な雨が降り、そして家が埋もれてしまった。
日本に住む以上、誰にしも大規模な自然災害に見舞われる可能性は少なからずある。
今回はたまたま自分ではなかっただけだ。常にその覚悟を持っているつもりでも、その時になったらただ自然の猛威に翻弄されるしかないのだろう。

2014-08-19

ほどほどがいい














今日も朝から雨。
ちょうどトウモロコシの苗を植え始めようとしていたところで、『なんのこれしきの雨!』と一本目を植えたとたんに土砂降りとなりあえなく退散。一体この天候不順と日照不足はいつまで続くんだろうね・・
相変わらず湿度も高く、井戸水の我が家はトイレの水タンクが結露して水が滴り落ち、水たまりが出来ている状態で非常によろしくない。新聞紙を敷いて対策しても原因が無くならぬ以上ベタベタのままだ。例年こんなことは数日で終わるのだが、今夏はすでに2週間が経つ。和室などもカビ臭く、何とかこの湿気だけでも収まらぬものかと願っておるところ。
こんな高温多湿だから菌類は多いに繁殖し、堤防ではあちこちに奇妙なキノコが出現している。
ああ、カラッとした夏が恋しいな。でも猛烈な残暑もちょっと・・ね。程々を望む。

2014-08-18

帰国














娘達が帰国した。
姉妹二人だけでの帰国だったが、ANAスタッフの助けもあって問題無く楽しく旅が出来たようだ。でもさすがに疲れたようで帰宅途中の車の中では二人とも眠ってしまったよ。そりゃいくら大丈夫と言ったって自分達だけでの旅ではそれ相応のストレスもあるだろう。
帰宅後はさっそく我が家で穫れた野菜を食べてひと息ついていたさ。長女と次女が帰宅するとそれまで38℃を越える熱を出して『うにゃうにゃ』言ってた三女が急に元気になって、走り回ったり奇声を発したりと全身で嬉しさを表現していた。なんか面白いものだね。幼児は特に環境の変化を嫌うと言うが、三女もそれなりのストレスを抱えていたのかも知れない。親は勝手に三女が『ひとりっ子』扱いになって喜んでいるのでは?と思っていたが、実際は違ったのかもね。やはり姉妹は姉妹ということかな。
シアトルは涼しかっただけに空港に着くなり『暑い〜』とこぼしていた長女だが、暑さの洗礼を受けるのはこれからだぞ。覚悟せよ!

2014-08-17

大増水














 友人を駅に送った後、大雨となった。土砂降りもいいとこで、このまま雨脚が衰えねば『ヤバいことになる』と感じるほどだ。案の定しばらくするとスマホに緊急通報が入り、市の南東部に避難勧告が発令されたと言う。その後も雨脚は衰えず、スマホが何度も避難勧告エリアが広がりつつあることをけたたましく知らせて来た。午後はほぼ雷鳴がどこかで轟く状態が続き、雨も強弱を繰り返しながら断続的に降り続いた。
夕方、いったん雨が上がった隙をついて表の川の様子を見に行くと、堤防の裾が1mほど沈むくらいに増水していた。河川敷は完全に沈み、僕が植えた木々がポツリポツリと水の中に立っているような状態。それもそのはず、長良川の本流が氾濫注意水位に迫る増水を見せているので表の川の水も出口を失い、一方的に増水するしか無いような状態なのだ。
また今も再び雨脚が強くなって来たが、これが夜中も続くようだと我が地区にも避難勧告が出されるだろう。まだ少し川に許容量があるとは言え、近頃の降り方は尋常じゃないため油断は出来ぬ。眠れぬ夜になるかも知れんな・・

2014-08-16

旅友














彼と会うのは9年ぶりとなる。
彼と初めて会ったのは中国雲南省とチベット自治区の境界に近い辺境だった。
妻と僕は次の町へ移動するためバスのチケットを買いに行ったのだが、そこのオバちゃんが意地悪な人で、ちゃんと並んでいても外国人にはチケットを売ってくれないのだ。そこで出会ったのが彼で彼は上手いこと地元の中国人に頼み込んでチケットを入手していた。僕達に先行して出発した彼だったが、バスのトラブルで次の日のバスを何とか予約できた僕達に追いつかれることになり、その後一緒に旅をしたのが始まりだ。
それから彼は帰国して林業の世界に入り、そのキツイ仕事の合間に時間を作っては短期のバックパッカー旅行を続けて来た。
今回も香港・マカオ旅行の帰りに寄ってくれたもので、深夜まで語り合えども語り尽くせず、思い出話など懐かしい話題はいくらでも出て来る。林業の今後についてもあれこれ議論し、とても勉強になることが多かった。
やはり旅の友はいい。最高だ。自分の大切な時間を共に過ごし、同じ感動に浸れた連帯感はかけがえのないものだ。たとえ何年会っていなくとも、通ずるものは同じでそこに時間のギャップを感じることは無い。
友よ、ぜひまた寄ってくれたまえ。そして旅の話で盛り上がろうじゃないか。

2014-08-15

終戦69年


尋常ならざる蒸し暑さの中、終戦の日を迎えた。

朝から大気は重く、息苦しいほどの湿気に満ち満ちている。
南方の小島に守備隊として派遣されていた祖父もこのような暑さの中、米軍の猛攻に耐えていたのだろうか・・
祖父は生きて帰って来て母を授かり、そして僕が生まれた。思えば生と死の境は限りなく薄く、今ある僕の存在もきわどいものだ。
そんなきわどい僕から新たに命が繋がってゆくなんて、ヤシの木の陰に隠れて米軍の爆撃をやり過ごす日々を送っていた祖父は想像もできなかったはずだ。というかその日生き残ることで精一杯だったのだろう。

靖国に参拝する・しないなんてどうでもいいことだ。
二度とあのような愚かしい戦争を繰り返さない、そう心に刻むことが何より大切だと思う。

2014-08-14

もうウンザリ














ちょっとこの湿気たまんないね。不快なことこの上ない。
湿度計は80%超!気温はそんなに高くないんだけどベタベタむしむしで、じとーっと汗が滲んで来る。こんな高温多湿だからカビも繁殖し易く、雨で外仕事ができない間に先手を打って風呂場を入念にカビキラーしといたよ。
ニュースで野菜高騰のことをやっていたけど、それも分かるわな。台風に日照不足に大雨と畑には辛いことばかり。それでも我が畑はそれなりの収穫があって野菜には困らない。まったくありがたいことだ。
今日は秋キュウリの種を蒔いたり、何回目かのトウモロコシの種も蒔いたりした。これからが台風の本格的シーズンとなる以上、これらが無事に育つ保障はどこにも無い。でも無事育ったら嬉しいから種を蒔く。家庭菜園なんて生産性度外視の趣味の世界と思われているかも知れないが、すべてに通じるものがここにはあるのだ。

2014-08-13

疲労困憊盆初日














長らくの日照りで草の生長は抑えられて来たが、台風前後の大雨によって草は生気を取り戻し爆発的に伸びている。盆休みの初日はこの草刈り作業から始まった。
午後2時、まだ暑い時間帯ではあるが曇り模様のため作業するには問題無い。まずは堤防の天場から草刈り作業を開始し、徐々にその範囲を広げてゆく。1回の満タン給油で1時間半ほど作業できるのでガソリンが無くなるまでなんとか頑張り、給水休憩を挟む。
再び満タンにして西の空き地を薙ぎ払い、作業を終えた頃には5時になっていた。都合3時間も草刈りをしていたものだから腰は痛いし、肩はずっしりとした重みを感じ、手の握力は無くなっている。ほんと疲れました。
どうやらこの先天気が悪いらしいが、やることはまだまだある。ひとつひとつ片付けてゆくだけだ。

2014-08-12

旅の時間














今の生活に不満が無いことはないがまあ満足している。
でもやはり旅に出たい。
国内でもいい。そんな遠くでなくてもいいから、なんの気兼ねもなくふらっと旅立ちたい。こう何年も同じ所に停滞していると自分が腐ってくるような気がしてならない。まず感覚が鈍くなる。特に日本のような単一民族国家の中に居ると、居れば居るだけその色に染まり最後には自分が染まっていることさえ気付かぬほど完璧に染まってしまって、障子の穴から外の世界を覗くような、そんな偏狭なことになりかねない。やはり数年に1回は国を出て違う価値観の中をさまようことが必要だろうと思う。それはアメリカでもいいのだが、やっぱ東南アジア方面か南アジア、中東は荒れているのでトルコのイスタンブールに入りそこから東を目指すのも面白い。いやいや、タイのバンコクからマレー半島を一路南下してマレーシアを経由しインドネシアに入るルートも久しぶりに見てみたい。
ああ、行きたいところは山とあるのに時間が無い。行けない鬱憤を畑仕事や草刈りなどで体力を消耗して誤摩化しているが、それでも誤摩化しきれないほどの衝動に駆られるときがある。
行くと決めたら何があっても必ず行く。ただ、いまはまだその時ではないだけだ。


2014-08-11

メソポタミアの末裔














イラクの混迷極まれり。
政治家は権力争いに明け暮れ、統治行政に空白を生み、そこを根城に武装勢力が蔓延る。
狭量な考えしか持たぬ『イスラム国』なる武装勢力は他の宗教を許さず、剣とコーランを以て二者択一を迫る。つまりイスラム教に改宗するか死かだ。そんな彼らの迫害から逃れようと灼熱の山岳地帯へ逃れたヤジディ教徒5万人を人道の危機から守るという名目でアメリカは限定的な空爆を開始したが、 それがどれほどの効果を生むかは未知数だ。
バグダッド周辺ではシーア派を中心としたマリキ首相派が勢力を広げ、北部方面ではクルド人が強力な自治権を行使し、主要油田を含む支配を確立している。一方シリアとの国境地帯には広範に『イスラム国』が展開し、シリアの内戦を通じて実戦経験豊富な戦闘員が多数参加して指揮を執っている。この三つ巴とも言える闘いに三たびアメリカが介入し始めたのだ。
アメリカの参戦でとても状況が改善されるとは思わない。空爆によって『イスラム国』の行動はかなり抑制されるだろう。しかしアフガニスタンの『タリバン』同様その時は一時的に弱体化するかも知れないが、決して滅びることは無い。彼らが自滅する以外はね。

2014-08-10

思った以上だわ














ここ最近の台風は肩すかしを食らうことが多く、行ってまったあとで『な〜んだこんなもんか』というケースが多かったが、今回の台風11号の風は凄かった。
暴風圏にギリギリ入ったということもあるけど、10時過ぎから風強まり午後4時まで唸りをあげて家を圧迫し、今日も三女の昼寝に付き合っていたが風圧で家が揺れるのを感じれるほどだった。時折ゴーっという音とともに衝撃波が来て、庭の木々は為す術も無く翻弄されていた。風雨が強まる前にある程度追加的な風対策をしておいたがこれほどの風ではほとんど効果無く、さっき畑を見回って来た時は完全にトウモロコシは倒れぺしゃんこになっていた。黒豆なども同様で果たしてここから回復するかどうか、しばらくは様子見だな。軒先に避難させておいた発芽したばかりのトウモロコシも容赦なく風の襲われ、そのほとんどが根元から折れてダメになってしまった。残念なことだが自然のこと仕方なし。ま、もう一度気を取り直して種を蒔くさね。
念のためと思ってニワトリ小屋には厳重にロープを張っておいたが、これは正解だった。もしやってなかったら東からの突風に煽られて倒れていたかも知れない。結果的に見てこれくらいの被害で済んだのだから良しとしよう。
まだまだ台風の季節は続く。侮ることなく備えをし、その結果を受け入れたいと思う。

2014-08-09

接近中














台風11号が相変わらずのゆっくりとしたスピードで北上中だ。進路予報から見ると高知県に上陸するのは間違いないだろう。その後北東に進路を取り日本海に抜ける予報だが、気になる所は進路が徐々に東に寄りつつあるところだ。今回は暴風圏に入らないだろうと思っていたが、上陸後更に進路を東寄りに取れば暴風圏に入る可能性も高まる。ある程度の風の備えはしてあるが、暴風クラスが吹けば畑などの被害も相当なものだろう。だがこればかりは天まかせ、僕らは祈るしか無い。

今日は断続的に終日雨。台風接近に備えて雨の中で野菜の収穫を行ったが、まだ小さめでも風の抵抗を少しでも減らすために敢えて取っておいた。2時間くらい作業していたおかげで朝からずぶ濡れさ。その後三女と一緒に買い物に出かけ、昼食後はこれまた三女と一緒に3時間も昼寝をしたさ。自分的にはなんかダラダラした休日だが、たまにはこんなほんとの意味での『休む日』があってもいいかなと思う。
明日は台風接近で大荒れの天気となるだろう。Jackieもニワトリ達もずぶ濡れになりはしないかと心配だ。横なぐりの雨だと小屋の中にいてもどうしようもないからね。まあ、その都度対策は考えるとしよう。まずは早く寝て明日に備えることだな。

2014-08-08

妻子帰国















豪雨をもたらす厚い雲の中から着陸灯を煌めかせつつ、妻と三女を乗せたANA機が下りて来た。悪天候の中での着陸になるかと心配していたが未だ雨は降らず、良い状態の中で着陸することが出来ホッとした。それから20分ほどで到着ゲートに姿を現した妻は毎度のことながら疲れた表情で、三女は案の定少しはにかんだ表情をして目を合わせなかったな。
長女と次女はもう十日ばかりシアトルに滞在したのち自分達だけで帰国する予定。
帰宅すると荷解きも程々に妻は『倒れそうなくらい疲れた』と言って僕に三女を託して床に就き、その三女もしばらくおもちゃで遊んでいたいたと思ったら、いつのまにか寝てしまっていた。そりゃ疲れてるよね。

冷蔵庫の中はからっぽのため、明日は台風の雨が降り出す前に買い物に行かねばならぬ。
またいつもの日常が戻って来たよ。

2014-08-07

立秋














日中35℃を越える酷暑というのに立秋とは違和感がある。
個人的には9月半ばまでは『夏だろう』という感覚だな。
それにしても年々夏の暑さが厳しくなっている気がするけど、実際はどうなんだろう?
今夏も当初はエルニーニョ発生に伴い冷夏になるとの予報だったが、エルニーニョが発生する可能性も低くなり冷夏どころかとんでもない暑さの夏になりつつある。そんな暑い毎日なので徐々に疲れが溜まっており、それがなかなか抜けないでいる。
やっぱもっと早よ寝なあかんな・・がんばろ。

2014-08-06

トマトと被爆者













今日も夕方頃に雷雨に見舞われた。
いかにも『にわか雨』といった降り様で、ザアーッと来たかと思えばすぐに止み、日が差してくるような案配だ。台風11号が通過するまではこんな天気が続くのだろう。

今晩も再びトマトソースを作ったのだが、トマトをサッと湯煎して皮をむく際、そのズルリとむけた皮を見て、69年前の広島ではこんな風に皮膚がむけて垂れ下がった無数の人々がさまよい歩く地獄のような風景が広がっていたのだと思うと、ほんとうに心が痛む。
世界はいまだ核廃絶への意識にはほど遠く、全体としては核武装を目指す向きの方が多いくらいだろう。人のエゴ、国家のエゴとは恐ろしいものだ。
日本は唯一の戦争被爆国として『言うべきことは言う』強さを今さらながら備えねばならない。小声でささやいているだけでは誰も耳を貸すことは無いのだから・・

2014-08-05

雷雨














夕方、突然の雷雨に襲われた。
長らくまとまった雨が降らなかったこの地方には恵みの雨となったが、それが土砂降りの雨とは極端だ。雷雨は3波に分けてやって来て、そのどれもが中心部から外れていたもののどえらい降り様だった。こういった土砂降りだと雨水が十分地中にしみ込まず表面を流れてしまう。少し土を掘ってみるとよく分かるが、あれだけ降ったのに地中はカラカラだ。願わくば一日中シトシトと降り続くような雨が欲しいが、この季節それはないな。
そんなこと言っとったら台風11号でめちゃめちゃ雨降ったりして。
たぶんこの雨でまた小玉スイカがいくつか爆発しとるやろな・・

2014-08-04

おいしいおいしいトマトソース














そういえば昨日はトマトソースを作ったよ。
トマトソース用に作っていた大玉トマトが実ったからね。でも今年の出来はあんまりよくない。梅雨時期の雨が少なかったためにトマトの木の生長が悪く、おまけに例年よりも虫の害が多い。虫は青虫だがコイツらまだトマトが青いうちから実に穴を開けて中を喰ってゆく。しかも1個を完食せずちょっと食べては隣のに移ってゆく嫌らしさ。もちろんその大玉トマトもターゲットに入り幾つもやられたな。それに追い討ちをかけるように青枯れ病の連発だ。
そんな厳しい状況でも出来上がったトマトソースは上出来で美味。早速スパゲッティを茹で、トマトソースをサッとかけて頂く。贅沢なひとときだね。あと3回くらいはソース作りが出来そうなので、凍らせてストックしておくのだ。そうすれば冬でも美味しいパスタ料理が楽しめる。

2014-08-03

急遽ミソカツ














近所に住む友人が『美味いミソカツの店があるから食べに行こう』と言うことになって、これまたついでにお隣さんを巻き込んで皆でミソカツ屋へ。久しぶりに食べるミソカツはほんとに美味かったな〜。普段は豚肉を食べないので数倍美味しく感じました。食後はその友人の家に転がり込んで、飲みもの片手に様々なことを語り合い、結局23時過ぎまでだべっておりました。明日仕事が無ければ朝までしゃべっていたかも知れないな。取り留めの無い話だが、やっぱ皆で語り合うのは楽しいね。
こういった機会を作ってくれた友人に感謝!またお邪魔します。

2014-08-02

花火の夜














外でボンボン音がすると思ったら今日は長良川の花火大会の日だった。そりゃ近くで見たら迫力満天でさぞかし楽しいだろうが、1人で行ってもなんか楽しさ半減なので最近は行ってないな。もったいない話だよ。そのかわりみんなが戻って来たら近所であるもっと小規模な花火大会を見に行くのだ。昨年は長女がアメリカに短期留学してたので彼女だけ花火を見られずとても悔しがっていた。なので『今年こそは!』と意気込んでいる。

台風12号の影響で西日本では激しい雨が降っているようだが、ここらは夕方にしとしとと地表が濡れるくらいの雨しか降っていない。西日本に降る雨を減らしてもっとこっちにまわしてくれたらお互いが助かっていいんだけど、なかなかそう上手くはいかないもんだね。明日に期待するかな・・

2014-08-01

あー痒い














 毎日毎日ほんと蒸し暑い。なのに雨は一向に降らん!
こう毎日蒸し暑い日が続くと、治まっていた汗疹が再び悪化してきて痒い痒い。先月中旬に三女にうつされた風邪もいまだに咳だけが残り、夜中に激しく咳き込んで起きてしまうことも度々だ。今日で町内のラジオ体操前半が終了し、明日からは5時半までは寝ていられそうなのでその分疲れがとれるかな?そんなに疲れが溜まっている感じはしないが、でも溜まっているんだろうな・・