2011-05-31

タマネギ収穫


貴重な梅雨の晴れ間の今日、朝5時に起きてタマネギを収穫し、乾燥させるために地面の上に並べてゆく。今年もタマネギのできばえは上々でびっくりするほどの大玉も何個か収穫でき、実に嬉しい限り。特に今年始めて挑戦した紫タマネギは最高のできばえで、サラダにしたらさぞ美味しいことだろう。
そしてお次ぎはニンニクだ。これも始めて挑戦したがなかなか良かったんじゃないかな。ただ窒素分の多い肥料を与え過ぎたようで、葉や茎ばかりが成長し肝心のニンニク自体が小さいものも何本もあった。やはりこの辺りは経験で次回からはもっとうまく作ることが出来るだろう。 何事も経験なり。

干しておいたタマネギとニンニクは明朝片付ける予定だったが、夜に雨が降る確立も上がって来たので夕方には片付けねばならぬことに。帰宅後長女の助けを借りて7時過ぎまでかかって作業終了。ほんと今日は早朝から日の入りまでほぼフルで働いたことになり、ちと疲れました。でもやるべきことはやれたのでひと安心だな。

2011-05-30

台風一過


今朝方は警報級の土砂降りだったのに、その僅か1時間後には青空が広がり陽の差すお天気に。
いやあ、台風が過ぎ去った後のなんと清々しきことよ!遠くの山々はその木々の1本1本が判別できそうなほど輪郭が際立ち、いつもよりも大きく近く見える。空気もすべての塵や埃がきれいさっぱり洗い流されたようで実にうまい。
大雨は川をかなり増水させ河川敷をも水没させたが、よく見ると多くのコイ達が水に浸かった部分にまで乗り込んで来て盛んに何かを漁っているようだし、鴨や鵜といった水鳥達も水場の広がりが嬉しいようでせっせと餌取りに励んでいる。
ただ、毎度のことだが大水になると大量のゴミが上流から流れて来て、僕が管理する河川敷に残されてゆく。今回もかなりの量のゴミが流れ着いており、いずれ娘達とゴミ拾いをしようと考えている。

いったん気温が上がったものの今は涼しくなって来て過ごし易い。この快適さがいつまで続くか分からないが、出来るだけ長く、涼しくあって欲しい。

2011-05-29


あいにくというか、予報通り朝から大雨。断続的に雨は降り続き、表の川はみるみる水位を上げ濁流となってあらゆるものを押し流してゆく。そんな強い流れの中でもカモ達は巧みに水の流れを読み、驚くほどの早さで川上へと移動してゆく。『やっぱ本職は違うわ・・』と娘達とともに感心する窓辺なり。

夕方、ますます風は強くなり時折突風となって木々を激しく振り回す。雨脚は強く降ったり小雨になったりと乱れ始め、一時雨が止んだチャンスを逃さずにJackieの散歩に出る。増水している川の様子を確認しながら堤防を歩き、どっと押し寄せる風にへこたれることなくモリモリと歩いてゆく。頭上を重く湿った雲が飛ぶように流れてゆき、頬をなでるなま暖かい風が台風の気配を感じさせる。
散歩かから帰ると畑を見回り、問題のあった箇所を養生し直したり排水路につまった草を取り除いたり、蚊に刺されながら汗だくになって作業をする。そのうち雨も降り出し、結局今日もずぶ濡れになってしまった。

台風も熱低となり、明朝にはその影響もだいぶ収まることだろう。
その強い風で我が畑の天敵ウリハムシを海の彼方にまで吹き飛ばしてくれるとありがたいんだけどね・・

2011-05-28

台風養生


朝から雨だろうと思いきや降っていない。これはチャンス!とJackieを連れて散歩に出る。なるほど空はまさに梅雨模様、いつ降り出してもおかしくない状況だ。それでも降ってなければ畑仕事が出来る。台風も近付いていることだし、せめてトマトの支柱をもっとしっかりしたものに換えて縛りなおしておきたい。そこで近所の竹林へ頃合いの竹を伐りに出かけ、一束担いで持って帰りさっそく支柱を立て直す。
トマトの苗も20本以上あると作業に時間がかかるもので、もたもたしているうちに雨が降り出した。それでもこれくらいの雨ならかえって気持ちいいくらいだ。そのまま気にせず夕方まで作業を続け、一応の台風養生をすることが出来た。
実際に台風が接近した場合どれくらいの風が吹くかは分からないが、対策をしておいてもダメだったら諦めがつくというものさ。
さあ、明日はどうだろう?もし明日も雨が止むタイミングがあれば畑に出て少しでも作業を進めておきたいと思っている。

2011-05-27

梅雨入り


もう梅雨入りかい。ちょっと早過ぎやしないかね。だって、まだタマネギを収穫してないし、ジャガイモなんてまだまだだよ。こんなにじゃんじゃか雨が降っちゃー穫ったタマネギを乾かせないし、ジャガイモが土中で腐っちゃうよ。
どうも今年もなんかうまくいかんね。ま、反対に言えばこうやって天候に左右されるからこそ、難しくもあり楽しいんだけど。

台風の動向も気になるね。おそらくこちらを直撃するようなことにはならないと思うけど、心配なのは雨よりも風なのさ。なんせトマトもキュウリもナスもピーマンもその他諸々もまだ十分に成長していないから、強風に曝されるとポッキリ折れてしまう可能性が高い。ここはひとつ無駄とは分かっていても南海上に逸れて行くように願わざるを得ないのだ。

2011-05-26

赤白帽の結末


仕事を早めに切り上げマツダへと向かう。先日義母がぶつけた箇所の見積もりをもらうためだ。
そして懇意にしているサービスマンが提示した額はやはり予想通りの15万円だった・・しかもそれはあくまで最低予想価格で、板金工場に持ち込んで各部詳細にチェックした結果次第ではそれより増額になるという。その原因の一つがヘッドライトで、割れはしていないものの衝突によって下から押し上げられるかたちになっていて、ひょっとしたら取り付け部分が破損し再固定できなくなっているかも知れない。その場合HIDヘッドライトは4万円もし、工賃やらも入れると合計額が20万円を超えて来る。恐ろしいことだがこれも現実だ。バンパーも再利用可能ならその分安く済むが、これもおそらく衝突によって変形してしまっているだろう。ま、交換だな・・

ううむ、なんと言っていいか、そもそもこの事故のきっかけは長女が赤白帽を忘れたことで、それを思うとなんと高くついた赤白帽だったことだろう!しょせんすべてはこんなものさ。修理には1週間ほど見てほしいということなので空いていると言う6月に入ったら出すとしよう。

2011-05-25


毎年この頃になると我が家の周辺ではよく亀が目撃される。それらは生まれたばかりの子亀からずいぶん大きな親亀まで様々だ。つい先日もJackieを連れて堤防を駆け上がると、堤防上に大きな石が転がっていた。当然それは石ではなくて亀だったのだが、甲羅が約30cmにもなる大きなクサガメで、どうしてそこなのかは分からないがわざわざ堅い堤防上の地面に穴を掘って産卵の準備をしているようだった。
僕やJackieが近付いたものだからこの亀は警戒してかその場で産卵するのを止め、堤防脇の草むらへと隠れてしまった。それにしても何で車で踏みつけられる恐れのある堤防上を産卵の場に選んだのか?よっぽど草むらの中に穴を掘って産んだ方が安全だと思うのに、こればっかりは毎年不思議に思うことの一つだ。まあ、亀なりの思惑があってのことなんだろうね。

2011-05-24


朝方はザザ降りの雨だったのに、昼頃には一転陽が射して爽やかな陽気に。それが夕方になると肌寒さを感じるほど気温が下がり始め、まったくコロコロと変わる妙なお天気だ。
今回ふたたびどっと雨が降ってくれたおかげでカラカラに乾いていた畑もずいぶん潤い、野菜達も嬉しそうだ。タマネギとニンニクはそろそろ収穫時期を迎え、エンドウが終わる頃そら豆が収穫され始めた。ことしはひときわそら豆が豊作で、ちょっと出来過ぎと思うくらいサヤがたわわに実っている。香りのよいそら豆ご飯もいいし、そのまま生で塩をつけて食べてもよいスナックになる。
こうやって自分で育てたものを食せる喜びは大したもので、生きる糧とはまさにこのことを言うと思う。東北大震災や原発事故によりその地を追われることになった人々の苦しみは如何ばかりだろう。丹精こめて耕して来た畑を突然奪われ、生きる糧を失った人々に何を頑張れと言うのだろう。
震災や津波、原発事故が奪ったものは、人々が長年かかって培って来たそれぞれの生き様そのものだった。それはお金では決して購えないものなのだ・・

2011-05-23

続怒濤記


本日、出生届を出して来た。これで戸籍にも住民票にも住基ネットにも『K』の名前が登録されることになる。
この手続きには意外と時間がかかり、様々な書類の記入などで1時間近くもかかってしまった。しかしこれをしないと子供手当も支給されないし、医療費の免除も受けれないので致し方なし。取りあえず手続きの第一弾は済んだが、これからはアメリカ領事館へ行ってアメリカ国籍を取得するための手続きと同時にパスポートの申請も行い、それと平行して日本パスポートの申請も行わねばならず、しばらくは書類に囲まれた日々が続くことになる。

そんなこんなでバタバタしている矢先、義母が長女に忘れ物(赤白帽)を届けようとプレマシーを運転中に電柱か標識に左前方側面をぶつけ、土曜に修理から戻ったばかりの車が無惨にもベコベコに凹んでしまった・・おそらくバンパー交換やらフェンダーの修理やらで最低でも15万コースだろう。僕達を助けてくれるためにやってくれた結果なので怒るわけにもいかず、まして義母に対して怒ることなぞ出来ずただ凹んだ車を見て絶句するのみ。幸いなのは他車や人にぶつからなかったことだ。車の保険は夫婦限定なので僕としては緊急事以外は車の運転を避けるようにと妻に言ってあったのだが、その点油断があったのだろう・・まあ済んだことは仕方が無い。
車は車両保険に入ってないので自費修理だが、義母が修理代を払うと言う。いずれにしても悔しい出費には変わりがない。つぎに車を換えた時は妻が乗る車は車両に加入するつもり。だってもう5回ほどもいろんなとこぶつけて満身創痍だからね。車両に入っといた方が確実に安く済む。

しかし後になって思うと、こんな時は車が凹んでようが『大丈夫、大丈夫。大したことない。心配しないで』くらいのことを義母に言えるようじゃないとダメだな。マジかよ!てな感じでむっつり黙り込んでいるようじゃ器が小さ過ぎる。大いに反省すべし。

2011-05-22

決めたよ


いろいろ悩んだ末、赤ちゃんの名前を決めた。ここでは『K』としておこう。
あまり聞かない名前だが、妻によると国際結婚の夫婦の子には結構いるそうだ。やはりどの家庭も同じで双方の国で通用する(問題無い)呼び名を決め、それから漢字を当てるという手順のようだ。そこで僕も漢字を決めたが、次女の名前と同じようにかなり無理矢理な当て方で、まずすんなり読める人はいないだろう。別にそれを狙ったわけでもないが結果的にそうなったというだけのこと。この子はこれでいく。

Kちゃんはよく眠ってくれる。特に昼間はほとんど寝てるんじゃないかというほど眠り続けていて、あまりにも静かなので『生きとるんやろか?』と心配になってのぞき込むほどだ。この点まったく寝なかった長女とは正反対で、なんでこうも違うんだろう?と不思議になる。
最近は目を開けている時間も徐々に長くなり、時々『にやり』と赤ちゃん特有の笑いも見せてくれるようになった。この時の赤ちゃんほどいじらしいものは無いな。

2011-05-21

怒濤の一日


急に蒸し暑くなって来た。いまは風も無くただ座っているだけでじっとりと汗が滲んで来る。もう汗疹が発生しそうな予感だ。
日中も30℃を越えて来たが、やらねばならんことが山ほどあるため暑い中を大汗かいて動き回る。特に明日は雨の予報なので仕事に優先順位を付けて1つずつ片付けてゆくが、やればやるほど仕事が増えるようで一向に減ってゆかない。
そして今日はロードスターとプレマシーの2台とも修理に出す日でもあるので、更に予定は過密してんてこ舞いだ。それでもなんとか最低限の仕事は片付け、車も段取り良く修理完了することが出来た。
明日は明日でやり残したことがこれまたたくさんある。さあ、雨が降り始めるまでにどれくらいできるだろうか・・

2011-05-20

ある夕暮れの出来事


ジリジリと照りつける太陽。いよいよ夏が近付いて来た。
それでも空気はからりと乾燥し、日陰に入れば実に心地良い気候だ。こんな夏だったらさぞや過ごし良いだろうに・・と毎年思うことだが、そう思えば思うほど夏は暑さを増すようでもある。
そんな気持ちのよいお天気に車をオープンにして走るとその爽快さは格別で、特に仕事帰りには一日の疲れもすっ飛ぶような充足感を得られる。そして今日も当然のようにオープンで走行していると、前方を走っていたイタリア車フィアットの新型パンダが窓を開けて何の躊躇も無くタバコをポイッと投げ捨てよった!そのタバコはトンットトットンと転がり跳ねながら後ろを走る僕の方に飛んで来たわな。
次の信号で止まるとすかさず降りて行ってパンダのドアを開け『タバコを外に捨てんじゃねーよ、わかったか!』と怒鳴りつけてやったが、30代と思われる女性ドライバーはお菓子を頬張ったままあっけにとられて『あ、はいっ、すいません』なんて言っておったわ。
いかにシャレた車に乗ろうが、心がそんなんじゃまったくダメだ。ブタに真珠とはこういうことを言う。いや、そう言うとブタがかわいそうだな・・。とまれ、こんな醜い心では何をしてもダメだろう。うわべだけ装っていてもいつか必ずボロが出て報いを受けることになるはずだ。
こんなたわけたヤツと関わるのはこれくらいにして、黄昏れ時の風景のなか堤防を疾走する。
帰宅すると赤ちゃんが両目を開けじっと、じい〜っと僕を見つめて出迎えてくれた。さて、何を思っているんでしょうね?チビちゃんは。

2011-05-19

本番開始


いま赤ちゃんが僕の肩の上で寝息を立てながらすやすやと眠っている。一体どんな夢を見ているのだろうか?
しかしなんて小さいんだろう・・いや〜こうやって眠っていると実にかわいいもんだよ。顔や身体には湿疹が出ており、外の世界に出て来ていろいろなものと闘っているのがよく分かる。まだあまり見えないであろう目をぱっちりと開いて必死に認識しようとしている。ああ!いまおならをした、しかも臭いぞ!
小さな身体だが、その存在感は圧倒的だ。我が家族の主導権はこの子が握り、皆がそれに合わせるように動いている。僕も妻から次々に命令を出され休む間もない。風呂に入れてあげると小さな湯船の中で気持ち良さそうに眠ってしまった。母親のお腹の中を思い出していたのかも知れないね。
いよいよこれからが本番だ。夜泣きも相当するだろうが、なるべくイラつかないよう、やさしく接して行こうと思う。

2011-05-18

再会


朝、Jackieの散歩から戻って来ると、橋の下で空き缶を潰している人物が居た。『またホームレスの人が住み着いたか?』と、様子を見に行き声をかけて驚いた。『あれ、Sさんやんか!』本人はちょっと気まずそうな顔をしたあと、まくしたてるように話し始めた。
彼曰く『生活保護はまだもらっているが、役所の人間が「なぜ働かないのか?」と厳しく問いただしてくるのでたまらない。もちろん働く意思はあるが体調があまりよくないため雇ってくれるところも無い。なのでまた空き缶集めをして僅かなお金だけど国に返して行こうと思っている。役所の担当者もそれでいいと言っていた』と、どこまでが真実かは分からないが、彼が相当精神的に追いつめられているのだけは確かだった。47歳だという彼は口調もハキハキとしたカラッとしたタイプの人で、仕事をすれば何でも出来そうな人だがどうやら目眩が絶えず襲ってくるようで、それがもとで仕事を失い家族も無くしてしまったという人物だ。一昨年の初夏から晩秋にかけて橋の下で生活しており、その後生活保護支給を認められてアパートに移り住んだとは聞いていた。
おそらく様々なことが彼を苛み、そしていたたまれなくなって空き缶集めを再開したのだろう。『何かをしていないとおかしくなってしまう・・』とも彼は言っていた。怯えを孕んだ彼の表情が気にはなったが、彼を救うのは彼しかいないのだ。僕はちょっと離れたところから様子だけ見ていようと思う。

2011-05-17

寝ん子は困る


今夕、皆を連れて妻の居る病院を訪ねると、夕食が配膳される時間にもかかわらず妻は眠ってしまっていた。僕達が来た気配に気付いてすぐに起きたがかなり疲れた様子で、聞くと赤ちゃんが夜中にまったく寝てくれないそうなのだ。ずっとおっぱいを欲しがったり、おむつを替えたりとそれが夜中じゅう続いて結局寝れたのは1時間ほどしか無かったらしい。そして昼間は医者の回診やらお客やらでこれまた忙しく、一方赤ちゃんはすやすやとよく眠り夜中へと備えているようで、この昼夜逆転の状態をなんとかしたいという思いだけが空回りしているようなそんな状況だ。

赤ちゃんはかわいいが、やっぱりいろいろと大変なのだ。さあて、これからどうなってゆくのか分からないが、なに大丈夫さ。今は頼りがいのある長女も助けてくれるし、次女もそこそこ頑張るだろう。やっぱ子供が多いのはいい。大変だけど愉快だから・・

2011-05-16

草刈機登場


今日は午前中時間をもらい、家周辺の草刈りを行う。今期初の草刈機の使用なので刃を交換したり、駆動部に油を注したり、オイルを交換したり(4サイクルなので)と、メンテナンスから始めていざエンジン始動!約半年間ほったらかしだったのに、コイルを引くとヴォヴォンッと小気味よくかかり調子も良さそうだ。そしていよいよ先日の大雨で伸び放題になった草を片っ端から薙ぎ払ってゆく。堤防上面から両斜面、そして河川敷までと、かなりの面積を刈ってゆくので時間がかかる。しかも草が50cm以上に伸びているため何度も刃に草が絡み付きなかなか厄介だ。それでも3時間ぶっ通しで作業を続け、なんとか必要最小限の面積を刈ることが出来た。
久しぶりの草刈り作業は身体にこたえ腰が痛い。特に斜面部を刈り払う時は腰に負担がかかるのでなおさらだ。しかし今日がシーズン開始日。もっと身体を鍛えておかねばそのうち草に呑み込まれてしまうだろうよ・・

2011-05-15

name


赤ちゃんの名前だが、まだ決まっていない。
ほぼ決まったと言ってもいいが、漢字がまだなのだ。
我が家の場合、『音は決まった、じゃあどんな漢字をあてようか・・』といったところ。
これがまた悩ましい。この部分は完全に僕の担当だからいろいろ考えるが、考え過ぎておかしくなる。
でも、ずっと考えていた名前も、赤ちゃんが生まれその仕草を見ていたら『やっぱ◯◯って感じだよなあ〜』なんてふうに自ずからしぼられて来て、結局赤ちゃん自身が決めたことになるようだ。
それでいいんだよね。そういうふうになってるんだよ。

2011-05-14

母子順調


バタバタした一夜が明け、平穏な朝を迎えた。
長女・次女の時は産院に泊まり込みもしたが昨夜は運悪く産院の部屋がいっぱいで、普段は超音波エコー検査を行っている部屋を急遽あけて妻と赤ちゃんのための部屋としたものの、基本的にはベッドはあるがそれ以外は何も無く広さも4畳半ほどしか無いのでかなり窮屈だ。おまけにエコー検査が無い時は子供のプレイルームも兼ねているので、妻が居ることを知らない子供達が入れ替わり立ち替わり入って来てはガタガタやってちっとも落ち着かないと言う。そこでいつになったら正規の部屋が空くか尋ねると、日曜の午前中には部屋を移れることになった。これでやっとこさプライバシーも確保され、赤ちゃんと2人で過ごし易くなっただろう。
しかしどういう理由で出産がそんなに集中するんだろうね。月の満ち欠けとの関連が言われているが、実際のところはどうなのかな。

2011-05-13

産まれたよ!


豊橋の現場に電話がかかったのが午後4時半頃。『もうそろそろ帰って来た方がいいよ』と妻が言うので、高速をぶっ飛ばして6時頃帰宅すると、皆揃って早めの晩ご飯を食べている。『今度は本物みたい・・』とのことで、僕も急いで飯を喰い準備を整える。
陣痛に襲われながらも長女と30分ほども散歩に出て、すぐに風呂に入ると言う。そして風呂に入っていた妻が『破水したみたい!』と言うじゃないか。それからはバタバタだ。すぐに産院に電話してこれから向かう旨を伝え、みな車に乗り込んで出発だ。その間も水はダダ漏れでシートにビニールとタオルを敷いてなんとかし、ラッシュで混雑する中を突っ走ってゆく。妻は落ち着いたもので陣痛の間隔を計ったり、上の子達が産まれた時のことを思い出しながらあーだった、こーだったと、実ににぎやかに産院へ向かう。
産院についたのは午後8時で、すぐに分娩室に入って出産の準備に取りかかる。すぐに陣痛が長く強くなり始め、激痛に変わって僕の手をもの凄い力で鷲掴みにして来る。相当叫んだ後、8時39分無事3女が誕生した。
出産ぎりぎりまで自宅で粘りたいと言う妻の計画は見事に成功し、僅かな時間での出産へと繋がった。その手際には驚きもし、ほんと感心する。そして出産を終えると、何事も無かったかのように『のど乾いた』とか『お腹すいた』と言って、ぐびぐび飲んで食べてと元気一杯だ。『そら、女の人は強くなるわけだよ・・』

赤ちゃんはよくおっぱいを飲み、ついさっきまでお腹の中に居たことが信じられない。
家族がもう1人増え、さぞやにぎやかなことになるだろう。
とにかく無事の出産おめでとう。そしてお疲れさま。

2011-05-12

まだやった


不定期の陣痛?は未だに続き、まだ産まれていない。
昨夜はいよいよ病院行きか?と心の準備をしていたが、相変わらず陣痛は襲ってくるものの赤ちゃんが産まれるまでの域には達せず、結局妻の眠りを妨げただけで今に至っている。妻によると夕方になると何分かおきの陣痛に襲われ、それが朝まで続くそうで『これがあるとまったく眠れないからいい加減産まれてほしい』と、かなりまいってしまっている。ついさっきも一番痛い陣痛が来たと言うが、産まれるにはまだほど遠い感じ、ということだ。本人曰く『わたしは赤ちゃんをポンと産むようなタイプじゃないと分かっているから、この程度だとぜんぜん』だって。今の妻の様子は出産を間近に控えた緊張感より、いい加減産まれてほしいという気持ちの方が強いようで、その辺は経産婦ならではということかな。
いずれにしても出産が近いことだけは確かなので、準備だけは怠らないようバックアップしたい。

2011-05-11

始まり


いよいよかも知れない。
帰宅すると妻が『痛みが数分おきに来る』という。『陣痛か?』と聞くと『そうかも知れないけど、(出産まで)まだまだだと思う。だましかも知れんしね』と、さすがに3人目ともなると実に冷静に状況観察を行っている。痛みが来る間隔もしっかりチェックしその点抜かりが無い。
一時は5分間隔で来た痛みもそのうちなぜか治まってしまい、そしてまた15分間隔で来るようになったという。妻は長女のときも次女のときも破水しなかったので明確に『いまから産まれる!』というふうには分からなかったこともあり、じっくり様子を見るしか方法が無い。それにあわてて病院へ行っても結局そこで待つことになるので、どうせ待つなら我が家でぎりぎりまで待つことにしたいと言っている。
すでに病院へ持って行くものは大きなバッグにまとめられており、いよいよとなったらそれを車に投げ込んで突っ走ればいいわけだ。その辺の用意周到さにはほんと頭が下がるね。
まあ、そういうわけだから今晩はさっさと寝といていざという時のために備えておこうと思う。
今晩でなくとも『その日』が近いのは間違いないだろう。

2011-05-10

蒸し暑き夜に


そういえば今回のGWには毎年恒例となっていた陶器祭りには行かんかった。
妻が臨月ということもあり、あの大きなお腹を抱えて広い陶器祭り会場を歩き回るわけにもいかず、ましてやカゴの中をのぞき込んで掘り出し物を探すことなぞ不可能で、本人もかなり残念がっていたがこればかりは致し方なし。来年は赤ちゃん連れて行ったろうと思っている。

ふとカレンダーを見れば明日は11日。震災から2ヶ月だ。早かったような・・まだ2ヶ月か・・というような曖昧な感じ。余震の数は徐々に減りつつあるもののまだまだ油断は出来ず、原発はなお不安定で被災者の心に平安が訪れるのは一体いつのことか・・

2011-05-09

慈雨


もう雨が降って来た。予報よりだいぶ早いし、しかも結構な雨量だ。週間予報では金曜まで全部傘マークがついており、外仕事の予定がまったく立たない状態だ・・と、仕事方面では心配事があるが、一方低温で成長が遅れていた野菜苗にとってはまさに恵みの雨。ここ数日の汗ばむような陽気とこの雨のおかげで、遅れていた分をかなり取り戻せそうだ。今週の雨がこの夏の収穫に大きな影響を及ぼすことになるのだろう。
そして当然、野菜が育てばその何倍も草が伸びるわけで、GW中に出来なかった堤防の草刈りもいよいよ気合いを入れて片付けないといけない。
そんなふうにバタバタしていると妻が産気づき、第3子が誕生するのだろう。
さあ、残された時間はあと僅か、名前をどうしようかな・・

2011-05-08

地デジ化完了


書き忘れていたが我が家もとうとう地デジに移行した。
結局DXアンテナ製のUAH900という平面型アンテナを採用し、それを家の外壁ではなく2階屋根裏に取り付け受信することにした。電波発信源の瀬戸タワーまでは直線距離で35kmほど、障害物は無く5C-FBケーブルでテレビと直結すると各局受信良好で問題なし。ただし屋根裏設置後既設配線(40年近く前の5C-2Vケーブル)に繋ぐと、受信レベルがかなり落ちてテレビ愛知が30をきってしまい映らない。このテレビでは受信レベル45以上が目安となっているのでかなり厳しい。そこで何度も屋根裏に潜り込みアンテナの位置をいろいろ変えてみたら、アンテナ取り付け金具を使わずに直接家の東側面の内壁にピッタリ押し当てると、一番受信感度が良いようだ。ちなみに瀬戸タワーは東南東方向なのでかなり方向がずれるが、まあ良いとしておこう。これで受信レベルが10以上あがったのだがやはりテレビ愛知だけは35程度と、一応ちゃんと映ってはいるがもう少し上げたいところ。もちろんアンテナを屋根裏から出して家の外壁へ取り付ければ受信レベルは大幅に改善し問題無いだろうが、いまさらそうするのは悔しい。古い同軸ケーブルを新しいものと交換しようかと思ったが、壁にがっちり固定されていて交換できず、ならばアンテナ端子を交換するか・・と思っていたところ、会社の先輩から使わなくなった簡易ブースターを頂戴し、それを取り付けてみると各局が概ね受信レベル70程度とまったく問題なし。そして問題のテレビ愛知も45以上のレベルを確保して、これで地デジ化が完了した。ちなみにかかった費用は平面アンテナに同軸ケーブル、それにF型接栓など小物代などで約1万円。結構楽しみながらやれて、しかも安く上がったので満足いく結果だった。

2011-05-07

不具合


不具合というものは続けざまに起こるもので、今までに2度調整したものの再び効かなくなったロードスターのサイドブレーキの、再々メンテナンスに持ち込むべくマツダに予約の電話を入れた矢先、プレマシーがオイル漏れを起こしているのを発見してこちらを優先して見てもらうと、意外なことにエンジン本体を支えるマウント部に密封してある振動吸収用のオイルが漏れているという。ただちに深刻な問題が出るわけでもないが、長期的にはエンジンの振動が大きくなって異音も発生するらしい。部品交換と工賃で2万円ほどの見積もりが出たが、そもそも4万kmしか走行してないし、車もまだ6年目なのにそんな所が壊れるようじゃ『ダメだ!』ということで値引きしてもらって1万2千円ほどまで下がった。まあ、これくらいなら交換しようかと思う。

そして午後からはロードスターだ。もう一度詳しく状態を見てもらうと、どうやらサイドブレーキワイヤ自体が劣化していてワイヤの調整しろの限界まで来ているそうで、これはもう交換するしか無いようだ。そしてワイヤの部品代はフロント・リア合わせて8千円ほどで済むが、工賃が高くて2万円とある。『それはないだろ』ということでこれも値引きしてもらって2万3千円なり。サイドブレーキ自体効かなくてもギアを入れて駐車すればそんなに問題無いが、車検が通らないのでこれも要交換だな。

プレマシーと合わせて3万5千円かあ〜、痛い出費だが長く乗るためには仕方がない。

2011-05-06

大いに畏れよ!


先日の夜のことだ。
いつものようにブログをアップし、『さあ、寝よまい』と歯磨きをするため階下に降り、携帯をキッチンに置き忘れていたのを思い出して取りに入ったのだが、なにやら部屋の隅の方で動く気配がした。さてはゴキブリが出現したか?と電気を点けて思わず『おおっ!』と叫んでしまった。ゴキブリなぞはなんら怖くもなく、見つけたら秒速でゴキジェットスプレーを浴びせかけ、ひるんだところを捕らえて退治してやるのだが、見つけたのは10cm級の大ムカデでゴキブリ用のスプレーなぞは効きそうにない。そうこうしているうちに食器棚の後ろにでも逃げ込まれると厄介なので、菜箸を持って来てそれでつまみ上げ小瓶の中に封印し、熱湯を注ぎ込んで退治は完了した。

これからの季節、ムカデなどは活動を活発化させ時折屋内でも見かけるが、10cm級の大物がよもや室内に居ようとは思いもしなかった。
もしこんなものが寝床を這っていたら・・と思うとゾッとする。噛まれたらそれはそれは痛いだろうな。
今年も退治したムカデを娘達に見せ、『ぜったいにさわっちゃいかん!』と教え込んでおきましたとさ。

2011-05-05

植えたった


買ったままでなかなか植え付けることができなかった野菜苗をようやく片付け、これでちょっとは安心することが出来た。
ずっと続いて来た低温状態も5月に入ってからは上昇傾向になり、日中は汗ばむほどの陽気だ。この調子なら苗達もさぞや嬉しいことだろう。いくら待てども芽が出なかったものも今頃になって『ちょん』と発芽し始め、改めてお天道様のありがたみを噛みしめているところだ。

そんなこんなで忙しく立ち回っているところに親父殿が我が畑を偵察に訪れ、苗の数をかぞえたりと不穏な動きをしていると思ったら、
『ナスは何本植えたん?』と聞いて来る。そこで
『3本やけど・・』と答えると、
『ワシは13本植えたで』と言う。そして『ナスはもっと植えといたほうがええぞ』と言うじゃないか。
『13本も植えて食べきれるんか?無理やろう。だからこっちは3本で十分なんやわ、そっちで出来る分もちゃんと勘定しとるで』
とまあ、こんなたわいもない会話をしながら畑仕事をするも楽し。親父殿はここ2年ばかりナスの病気に悩まされており、それへの心配もあって年々買う数が増えて来ている。そうしてたくさん植えた時にどっと豊作になるんやろね。そんなときは我が家の玄関にナスを置き逃げするので困ったもんだ。だからこちらもある程度の受け入れ態勢を整えておかねばならんのよね。

2011-05-04

連休の一日


久しぶりにスカンと晴れた今日、買って来たままほかってある野菜苗を植え付けたり草刈りをしたりせねばと思っていたが、娘達が『公園に行きたいよう』と言うので予定を変更しファミリーパークへと向かう。さすがに連休中ということもあって驚くべき人出で、車を停めるところも無いような有様。園内に入れば各種乗り物の前には長蛇の列が出来ており、池に浮かぶ足漕ぎ舟に乗るだけでも1時間近くも待たされる。こうやって列に並んでいる時間ほど無駄なものはないと思える僕にとっては苦痛でしかないが、これも子供達のため、また自分自身の修行のためと心得てイライラしながらも辛抱し続ける。結局4つばかりの乗り物に乗っただけで昼ご飯の時間になり、木陰でジャスコの弁当(あまり美味くなかったな・・)をつつきながら次の作戦を練る。
午後は広大な芝生広場に新設された巨大遊具に挑戦すべく娘達を引き連れて場所を変え、これまた多くのちびっ子が群がる遊具を見上げながらビデオ撮ったり写真撮ったりして父親ぶりを遺憾なく発揮する。妻と義母が木陰で寝そべってリラックスしている一方で、僕は娘達に連れ回されてすべての遊具を制覇することに成功した。おかげでしっかり日焼けして首筋がヒリヒリするよ。

連休中は大したことはできないけれど、これでなんとか親らしいことはできたのかな?そんなことを考えながら娘達の手を引いて歩き回った一日だった。

2011-05-03

大義名分とは


個人的には殺人が正当な行為、または正義とされることに強い違和感を感じる。人を殺した日が『良き日』と言ってはばからないことにも驚きを感じる。
今回のビンラディン暗殺はアメリカ式の勧善懲悪的単純思考回路にはぴったり来るのかも知れないが、そもそもよその国に隠れていた者をその国の許可も得ずに、勝手に自国の軍隊を送り込んで殺してしまうというやり方が国際法上許されることなのだろうか?これを是とするならばイスラエルような国はお墨付きを得たものとして更に大っぴらに暗殺作戦を繰り返し、他国との摩擦を深めることは確実だ。それに問答無用ともいえる暗殺作戦は、ひとたびその国のターゲットになってしまったら弁解する余地もなく殺されてしまうということで、その点に於いてアメリカが人権どーのこーのと中国などに対し言う資格は全く無い。
一人で行えば犯罪行為とされることも、国もしくは政府が主導してやれば罪に問われることは無い。『赤信号、みんなで渡れば怖くない』ということだ。
それを正義と言えるのか?

2011-05-02

新たなる展開


オサマ・ビン・ラディンが殺害されたことについて妻や義母の反応は至って冷静で、ニュースで放映されたようなホワイトハウス前での馬鹿騒ぎには顔をしかめて、『ワシントンではこんなんだけど、ニューヨークの人達の反応はもっと冷静だと思う。それに今騒いでる連中の多くは若者で、9.11当時はまだ子供だったから何も分かっていない。』と、なかなか手厳しい。
いまさらビンラディンが死んだとて、すでに多くのビンラディンが誕生しており、今後もテロを続けて行くだろう。確かにアルカイダは弱体化すると思う。しかし消滅はせず様々なものにかたちを変えたりして自分たちの存在を誇示しようとするに違いない。それを果たして見逃さずに押さえ込むことが出来るかどうか?ということだ。ビンラディンは死んだ。しかしそれは未来に対してそう重要なことではなく、あくまでも過去の清算という話だ。彼はもはや司令塔では無くシンボル的存在だった、突き詰めてゆけば殺したとして大きな変化は無いだろうということ。
これで『終わり』では無く、むしろ『始まり』として覚悟すべきだ。

2011-05-01

お喰い初め


弟夫婦が千葉から実家にやって来て、11月に産まれた姪っ子との始めての顔合わせを果たすことが出来た。
先の震災では液状化の被害を受け電気・水道の復旧に時間がかかったり、福島原発の放射能が一時水道水から検出されたりと、乳児を持つ身には心労と苦労が耐えないここ数ヶ月間だったが、ようやくここに来て生活が平常に戻りつつあり落ち着いて来たということだ。
そして今日はその姪っ子の『お喰い初め』をすることになり、かたちばかりを整えて簡素・簡潔に執り行った。家によっては鯛などを用意するらしいが、我が一家はあまりそういうことはしない(長女・次女のときはなにもやってない)ので、赤飯以外はごく普通に出される晩ご飯から少しずつ取り盛って『お喰い初め』とした。

お喰い初めが終わり次はひとり座りに掴まり立ちと、当分は目が離せない日が続くだろう。