2011-08-31

疲れと睡魔


今日はとことんくたびれた。
帰宅すると膝がガクガク震えるくらいのくたびれ様だ。これほど消耗したのも久しぶりのこと。しかしこの疲労感が心地良い。
台風から供給されるじっとりと湿った空気に包まれたなか、岩盤直上の堅い礫層を岩盤に達するまで掘り下げる作業をしたのだがこれが堅くて全然掘れない。加えて19歳の大学生とそれぞれの穴を競争するように掘り下げていたので、ちょっとオーバーペースで疲れちまったよ。大学生のM君はつるはしを持たせたら大学一番の使い手ということで、その噂通りに掘って掘って掘りまくる。その勢いに負けるか!と、僕も参戦して掘りにかかるが、さすが10代は活きがいい、みるみる掘ってしまいどんどん僕との差が広がってゆく。
結局今日中に岩盤まで達することはできなかったので明日は続きの作業となるが、果たして疲れはとれているだろうか?

まあ、今日はさっさと寝ちまおう。

2011-08-30

タヌキがおった


夕方、Jackieを連れて堤防を駆け上がりなんとなく川面を見つめていると、向こう岸に何かが居る。始めはカモが水際で休んでいるのかな?とも思ったがどうも違うようだ。さらに目を凝らしてじっと見つめていると、どうやらタヌキのようなのだ。そこで持っていたデジカメで最大望遠にして撮影し、さきほどMacで拡大表示して確認してみたら間違いなくタヌキだった。
そうか、タヌキも住み着くようになったか・・と、生息動物の多様さに感心していてふと気がついた。そういえば最近ヌートリアの姿が見えないけど、さっきタヌキが居た場所は確かヌートリアの巣の近くだよな・・ひょっとするとタヌキがヌートリアの巣を占拠したか、空いていた巣に居候しているのかも知れない。いずれにせよタヌキなら畑を荒らすことはあまりしないだろうし、川を泳いで渡れないから我が家への影響はほとんど無いのでヌートリアに取って代わってくれるとありがたいほどだ。
これで冬野菜の食害も少ないだろうな・・と思いつつ散歩から戻って来ると、タヌキは相変わらず同じ場所に居てキョトンとしている。そしてそのすぐ目の前をゆったりと横切るものの姿があった。ヌートリアだ!なんだヤツめまだ居よったか。とするとタヌキとはご近所同士で共生していることになる。果たしてお互いを侵害すること無く暮らしていけるんやろうか?僕としては畑の作物を荒らされんかったら何が住んどろうと構わないのでいいけどね。

ちなみに今の政界を皮肉ってこんなことを書いているわけではない。

2011-08-29

小鳩死すべし


夕食後につけたNHKニュースを見て驚いた。『へ〜、野田かい』
海江田と前原の決選投票になるとばかり思い込んでいたので、まさか野田が出て来るとは思いもしなかった。まあ、誰がなっても同じだが少なくともダークホース的存在だった野田が首相になることは、吉と出るか凶と出るかは別にしてある意味面白いかも知れない。さっそく韓国や中国は野田のことを『極右』だと報道しているが、そんなもんほかって置けば良い。彼らは誰になろうともそう反応したはずだ。
僕は野田を極めて現実主義者だと思っている。聞こえの良いことばかりを連呼して何もしない連中は腐るほど居るが、敢えて一歩踏み込んだ発言をするところは評価している。ただしその手腕は未知数なのでどう化けるかが見どころかな。しばらくは様子見だね。

今回の代表選でも腹立たしいのは小鳩(小沢・鳩山)の存在だ。彼らは一体なんだ?何様のつもりだ?かつてぶっ壊し屋と言われた小沢は、いまやこの日本そのものをぶっ壊しかねないそれほどの悪党だ。小鳩はいつも国民のためなどと言っているが、彼らが一体何をした?何か国民のためになることをしただろうか?今日小沢は言った『これから協力するかどうかは人事を見極めてからだ』と。なんちゅう傲慢さだろう。だから思う。いっそのこと彼に首相をやらせればよい。やらせてみてうまくやるならそれで良し。ダメなら首を叩き切ってやればいいのだ。小鳩の子分どもも同様だ。親分以上に彼らの存在は反吐が出る。こんなヤツらがのさばっているようでは、この国がうまく立ち行かないのも当然だと言える。

2011-08-28

マラリアとデング熱


日本でマラリアやデング熱が発生していなくて本当に良かったと思う。
この時期、毎日のように数カ所蚊に食われているが、これがマラリアやデング熱の流行地域だったら・・と思うと恐ろしい。特に人より蚊に食われる率が高い僕にとっては、もし日本が流行地域だったらひとたまりも無い。実際にインドネシア・スマトラ島のパダンでデング熱に罹った身としては、2度目の罹患は死に直結するためなんとしても避けねばならない。でも日本国内ならば大丈夫なのだ。
地球温暖化の影響でクマゼミの生息域が年々北上するのと同様に、今やマラリアやデング熱の本土上陸も現実味を帯びて来ている。
そうならないことを願ってはいるが、こればかりはどうなるか分からないね。

2011-08-27

赤ちゃんのちから


こんなちっちゃな身体なのに、この存在感はどうだろう。
まだハイハイさえ出来ないのに、ひとつひとつの動作は僕達を引きつけて止まない。
じたばたと動き、盛んに物音を立て、臭いまで発して全身で自己主張している。
いま、我が家はこの小さな子を中心に回っているのだ。
本人はウーウーとかアーアーなどと言いながら僕達の感心を集め、ここぞ!というタイミングでにっこり笑って皆をメロメロにする。

アメリカに渡る前よりずいぶん体重が増えた。むっちむちになった身体は関節の数も増え、しわの間に溜まった埃などを洗い流すのにも一苦労だ。時には大泣きし、手に負えなくなることもあるが夜もよく眠り、すこぶる良い子だよ。

妻は『この子を産んでほんと良かった』と言う。僕も『この子が産まれて来てほんと良かった』と言う。
長女や次女は、時には優しく時には乱暴に妹の世話をあれこれと焼いてくれる。彼女らにとってこの小さな妹はお人形さんみたいなものかも知れないね。

見えぬちからを発し、またそれに包まれて赤子は着実に成長してゆく。

2011-08-26

嘆き


茶番を通り越してもはや醜悪としか言えない民主党の代表選挙だが、その選挙結果でこの国の次期リーダーが決まると言うのだから恐ろしい話だ。ま、誰になろうとも期待も希望も無く、あるのは憤りのみ。いまヤツらが偉そうに国民のため、被災地のためなどと口先だけの物言いをしているが、そう思っていたら今までにだって何か出来ていたはずだ。それを代表になった暁には・・なんて言うのだからチャンチャラおかしいね、ヤツらの頭がさ。
今回もまた話題に上っている『小沢』だけど、もういい加減にしたら?国民のほとんどはうんざりしてるよこの展開を。
気付いて無いのはオマエ達だけだよ。

2011-08-25

責務


最高気温が25℃という冷涼な気候の中に1ヶ月以上も滞在していたため、ようやく涼しくなったこの地の気温でもまだまだ暑く感じるようだ。為に妻子はエアコンをかけて寝ているが僕は今まで通り階下へ降り、ひとり大の字になって惰眠をむさぼっているよ。
妻子が帰って来て僕にまず割り当てられた仕事は、長女の夏休みの宿題をチェックすること。それと工作の手伝いをすることだ。
まずはお馴染み『なつのとも』だが、これはほとんどを長女自身がアメリカで済ませていて、間違い直しだけでほぼ終了。いつも土壇場までほったらかしにしていた僕とは大違い。誰の子だ?と訝しく思うほど。

そして次は工作。これは長女がアイスクリームの棒で家を作りたいと言っていたものをどうやって具現化するかがポイントで、結局一番手っ取り早く済む段ボールの小箱を利用しての方法をとることにした。まずは僕が小箱を切ったり、貼ったり、刳り貫いたりしながら家の骨組みを作り、そこに長女がアイスクリームの棒を1本1本貼付けてゆく。簡単な作業だが棒を少しでも斜めに貼付けると以後の棒がすべて傾いていってしまうため、そのあたりを特にチェックしながら共同作業を進める。屋根から始め外壁を終えると今度は周囲の柵に取りかかる。それらをあらかた済ませた後で色付けに入り、長女自ら色を塗り重ねてゆく。そして夕方やっとこさ色も塗り終え、約9割が完成した。
あとはちょっと手を加えるだけだが、これは長女に任せよう。何しろ今日は頑張ったね。

2011-08-24

妻子帰国


妻子が帰国した。
今回は予定通りの出発で、まずはひと安心。しかし妻が言うにはアメリカの航空会社は本当にサービスが悪いらしい。大きなスーツケースが5つもあるのでスタッフに助けてもらえないかと掛け合えば、『それはわたしの仕事ではない』と素っ気ない答え。それに引き換え成田でのANAの対応は非常に良く、大いに助けられたらしい。そのANAによるヘルプサービスはセントレアでも行われ、荷物の受け渡しも実にスムーズだった。こうでなくっちゃいけないが日本のサービスは世界標準ではないんだよね。

さて、また賑やかになるぞ。
しばし独り身で充電完了したので、明日からは気合いを入れていくとしよう。

2011-08-23

豪雨後


ズドーン!という凄まじい落雷の音で飛び起きた。
昨夜はくたびれ果てて珍しく11時過ぎに寝たのだが、この雷のおかげで目が覚めてしまい、それから朝までうまく寝付くことができなかった。眠っていても激しく降る雨の音が脳を刺激して、本能的な部分が覚醒していたのかも知れないね。
すっきりしぬまま朝を迎えテレビのニュースをつける。すると各地で水が溢れ出している様子が映されていた。『あの雨はそんなにひどかったんや・・』と驚きを持って見ていると、現場の付近も相当量の雨が降り土砂崩れも起きているとやっていた。今日は大雨による現場のコンディション悪化を見越して作業は中止になったが、ニュースを見ていたら心配になったので取りあえず様子を見に行くことにした。
現場への道中何カ所も浸水した後が残り、道路がところどころ土砂で汚れ茶色くなっている。現場のある山へ登る道も側面が数カ所崩れ落ちており、いまだにかなりの量の水が山から滲み出していた。仮設ハウスの周辺や駐車場、作業場へと登る道もすべてが豪雨によって洗われ、一筋の流れが出来ている。昨日、ぬかるんでいた駐車場の一部を補修しておいたのだが、あの雨で幾筋もの流れが新たに作られ、補修したぬかるみは元に戻ってしまっていた。まあ、あれだけの降りだったから致し方無いだろう。
現場はかなり濡れてはいるものの、幸い雨による被害は無くひと安心。さあ、明日から作業再開だ。

2011-08-22

代表選


政治には口出しすまいぞ、と思っていてもあまりの酷さについつい言いたくなる。現時点で公式非公式を問わず名乗りを上げている、もしくは可能性がある面々を見てみると、そのお粗末さに愕然とする。『おいおいマジで、コイツらの中から次期首相を選ぶんかいな』とね。対外的にも恥ずかしくって仕方が無い。今の政治に『人』が居ないのは誰が見ても分かりきったこと。民主党に限らず自民・公明その他諸々すべてダメ。特に今名前がでているような連中は下の下と言える。比較的国民に人気があるという前原だって、見かけが他の連中より誠実そうと言うだけで中身は無い。空っぽなんだ。口を開けば松下政経塾で鍛えた弁を振るうが、よ〜く聞いていると肝心の芯が無い。つまり衣ばかりの海老フライのようなもので、食えねえヤツなんだよ。まあ、小沢の処分を軽くするだのと言って小沢一派にリップサービスするようなクソみたいな輩よりはマシだと言えるがね。
個人的には国民新党の亀井代表に首相やらせてみたいと思っている。自民の石破と同様、まっとうなことを言っていると思うからね。だからいっぺんやらせてみてどうなるか見てみたいね。

2011-08-21

無常雨


ずうーっと雨が降らなかったと思ったら今度は降り通しだね。気温も低く、過ごし易いと言えばそうだけど、もうそろそろ太陽が恋しくなって来たよ。まったく我がままだけどね。
植物は正直なもので雨が降り出すと生気を取り戻し、爆発的な生長を開始する。おかげで盆に草刈りしたばかりというのにもう足元を濡らすほど伸びてしまったよ。
雑草が潤えば畑も潤うということで、いままで害虫に食われまくっていた葉なども新たな芽を出し、これから秋口にかけての収穫に向け順調な生育を見せている。天気とは、季節とはうまく出来ているものだね。というよりそれに順応して来たもの達がすばらしいということ。

この雨が過ぎればいっそう風は秋めいてくることだろう。残暑が如何に厳しくとも、漂う気配はもう秋なのだ。そう思うと暑い暑いと言っていた夏のなんと短きことか。ヒグラシの鳴き声を聞くのももうじきだろう。

季節は絶え間なく移ろい、人も移ろい、常なるものは無し。諸行無常と深く理解すれば、肩の力も抜け身が軽くなるのではなかろうか?ならないかな?

2011-08-20

不愉快な出来事


涼しい朝を迎えたこの日、いつものようにJackieの散歩を終え野菜の収穫をして戻って来ると、ちょうど妻から電話がかかって来た。
『おかしいなこんな時間に・・』と言うのも妻子は今晩帰国予定なのだ。逆算するとすでに飛んでいないといけない時間帯だ。
嫌な予感は的中して、妻によれば帰国は24日にずれ込むとのこと。その詳細はこうだ。
フライトの2時間以上前に娘達を連れて空港を訪れチェックインを済ませて待っていたら、13時半の出発予定が16時頃になるとのアナウンスが流れた。理由は搭乗予定の飛行機に機械的トラブルが見つかり、その部品交換に時間を要するためだと言う。しかも交換部品の調達がうまくできれば16時に出発すると言う答えで、その可能性は5%に過ぎないと言うではないか!
そこで妻は判断した。例えうまいこと部品が調達できて16時に出発できたとしても、成田から中部国際までの便があるかどうかは分からない。むしろ無い可能性が高い。そうなった場合、3人の子供と大きなスーツケースを抱えて成田から東京駅経由で名古屋まで帰ってくるのは無理な話だ。そんなリスクを冒してまで今日飛ぶことはしない、と言うことで別の日のフライトを航空会社に手配させたら、3人分の座席が空いているのは24日しか無いと言われたそうだ。
こればっかりは致し方が無いこととは言え、まるでインドとかで起きるような類いのお粗末なことだ。以前にも同じようなことがあり大迷惑したことがあるので、これがアメリカの航空会社の体質なのだろう。正直『お前らやる気あんのか?』と言いたくなる、無いやろけど・・
今日帰国できないことを知った長女は空港で大泣きしたそうだ。『Daddyに早く会いたい』(おお、我が娘よ!)と。次女はよく分かってないらしい・・
僕もむちゃくちゃ腹が立って、落胆した。妻子を迎える段取りはすでに出来ていた。帰国が24日にずれ込めばいろいろ組んであった予定を変更しなければならず、それも煩わしい。自分たちでどうすることも出来ないことなので、余計に苛立ちが募る。
高額な航空運賃を払っているにもかかわらずこんなお粗末な対応ではまったくダメだ。ああ、この怒りどこにぶつけたらいいんだろう。

いずれにせよ待たねばならない。仕方が無いとは言え、不愉快なことだよね。

2011-08-19

涼雨


雨とともに涼やかな風が吹いている。室温は26℃。この時間帯でここまで下がったのは久しぶりのことだろう。扇風機も要らずすこぶる快適だ。
今朝はいきなり猛烈な雨に見舞われた。ちょうど家を出ようとしていた時でゴミを出そうと思っていたが、ゴーっという音を立てて降ると言うより滝のように落ちて来る雨のあまりの強さに、わずか50m向こうにあるゴミ置き場に行くこと叶わず、玄関の土間にそのまま放置して家を後にした。
車に乗り込んでからも雨脚の激しさは変わらず、ワイパーを最高速にしてもまるで見えやしない。狭い道でのすれ違いはかなりの緊張を伴い、勘で乗っているようなものだ。その猛烈な雨も現場に着く頃には穏やかな降りになっていた。
『こんな雨じゃー現場は中止だろう』と思っていたが、しばらく待機していると雨は止み雨雲もどこかへ去っていった。豪雨に洗われた山道を登り現場へと向かう。
作業を開始すると日差しはないものの、まるで熱帯雨林のような湿気に包まれての作業で汗が噴き出し、体力を消耗する。現場の一同みな水をかぶったようにベタベタになりながらも黙々と作業を続け、網の目のように張った根っこと格闘する。
結局その後雷雨の襲撃も無く、予定以上に作業は進み週末を迎えることが出来た。予報では来週ははっきりしない天気が続きそうだと言う。それでも気温は例年より低めということで、現場仕事をする上ではありがたいことだね。

2011-08-18

功徳


ちょうど僕がJackieの散歩をする同じ時間帯に、ある老人が杖をつきながらこれまた散歩をしている。この老人はいつ見てもくわえ煙草をしていて、煙草をくわえてない時間は食事のときくらいでは?と思えるほどだ。痩せっぽっちで杖をつきながら歩いているが、さすがに毎日かなりの距離を歩いているためか足取りは軽やかで、身のこなしは柔らかい。
この老人は必ずゴミ袋と火ばさみをセットで持ち歩いていて、散歩の途中で落ちているゴミをすべて拾いながら歩いている。ある時などはそのゴミ袋が一杯になっていて、心ない人の多さを表していた。
以前このブログでゴミ拾い老人について触れたが、その時は挨拶しても無視されたと書いたと思う。しかし今回それが僕の思い違いだと言うことが分かった。
ある朝、この老人が川面を見つめながらタバコをふかしていた。僕が挨拶してもやっぱり返事は無い、というか聞こえてないようなのだ。そこで顔をのぞき込んで挨拶すると、ようやく僕がいることに気がついたようで慌てて懐から何かの機械を出して操作し、僕の声が届くようになったらしい。話してみると意外と気さくな老人で、ゴミ拾いを始めたきっかけは空になったタバコの箱に、落ちていた吸い殻を拾い集めたことだという。それからすぐにタバコの空き箱ではなくスーパーのレジ袋に拾い集めるようになり、ゴミの多さに驚いたとのことだ。

毎朝毎夕、ゴミを拾いを続けるなんてなかなか出来ないことだろう。それを老人は何年も続けている。
この点、見習うべきところである。

2011-08-17

うなぎ老人


盆前くらいのことだった。見かけぬ老人が堤防上をうろつき、何やら川を眺めている。そこで『こんちには、おじさん何しとるん?』と問うと、『いや〜、うなぎを釣りに来ようと思ってね、ちょっと川の様子を見に来たけど今日は水がきれい過ぎるからダメだろうな』と言う。
そうなんだ、最近はこの老人のようにうなぎ目当てで夜釣りに来る連中が多い。しかし一回も釣り上げたところを見たことがないので『この川でうなぎ釣ったことあるの?』と聞けば、『一晩で2匹くらいは釣れるよ』とのことだ。意外と確立高いやん、と思いながら『釣ったうなぎはどうするの?食べるの?』と尋ねると、『この川は汚いんでよう食べん』と言うじゃないか。『じゃあ釣ったうなぎはペットとしてでも飼うん?』と、さらに食い下がれば、『友人がぜひ分けてくれと言うもんだから譲っとる』と、ちょっとバツが悪そうな言いぶりだった。
この老人、自分で釣ったうなぎは食わぬが、それを人が食う分には抵抗が無いらしい。そういう考え方をする人もいるんだなあ・・と感じた次第。

2011-08-16

ゴミに思う


河川敷に散乱していた各種ゴミをようやく片付けることが出来た。その量、大きなゴミ袋5つ分ほどにもなる。
ゴミが目立つようになって来たら集めるようにしているが、きれいに集めたそのすぐあとに大水が出たりすると、上流からとんでもない量のゴミが流されて来てまた振り出しに戻ってしまう。僕はそれを黙々と集めるしかない。
ゴミ拾いをしているといろいろなことを考えさせられる。まずはゴミそのものについて考える。次にそのゴミを捨てた者について考える。そしてゴミを拾っている自分について考える。僕は断言する。ゴミを拾うことはまぎれもなく修行であると。
僕はまだ、いろいろなことを考えてしまう。『なんでこんなゴミ捨てやがんだ!』とか、『平気でゴミを捨てるヤツは心が腐ってるんだ』などと怒りながらゴミを拾っているようなところもある。それではダメだ。何も考えず、そうすることが当然のようにただゴミを拾う。
そんな風にできるようになれば、いや、そう出来るように修行を積みたい。

2011-08-15

roots


先日亡くなった妻の祖母に、生前その娘の義母が尋ねたそうだ『何か後悔していることはあるか』と。
祖母は答えたそうだ『日本から出たことだ』と。
この答えにシアトルの皆は驚き、そして複雑な思いを持ったそうだ。もし祖母がシアトルに来なかったら、今のアメリカでの一族18人の生活が無かったことになってしまう・・
祖母は大正7年、移民としてアメリカに入植した両親の元に生まれた。しかし間もなく家族とともに日本に帰国し、広島で育った。そこで女学校に通い、その後祖父と結婚した。この夫の実家での生活は嫁姑問題などもあり、かなり辛かったそうだ。
それから夫とともにシアトルに渡り、アメリカでの生活が再び始まった。太平洋戦争前のことだ。
戦争が始まるとすべての財産を奪われ、アイダホの強制収容所に送られて過酷な生活を強いられた。子供だった義母もここでの生活を憶えている。

時を経て多くの家族に恵まれたが、祖母には家族しか無くいつも独りぼっちだった。親兄弟や友人の多くは日本に居て会う機会もなかなか無かった。
あの言葉は今まで決して漏らさなかった『心の思い』が思わず出てしまったものなのだろう。
まさに激動の時代を生き、多くのものを育んで祖母は逝った。

日系であるという意識はあるものの、いま孫の多くは何の疑いも無く『アメリカ人』として生活している。皮肉なことにいちばん日系ぽく見えない妻が日本人の夫を持ち、3人の娘を日本で産んだ。
『国』とは何か?と思う。
『国境』の、見えない線の深さを知った。

何年経とうが若かりし日の『思い』はずっと生きてゆくことだろう。ひょっとしたら齢を重ねるごとにその『思い』は強くなってゆくのかも知れない。

祖母の魂はこの盆、広島に帰ってゆくのだろう。

2011-08-14

雨恋し


今日は当たるかと思ったが、またスレスレで通り過ぎちまった。
これで何日雨らしい雨が降っていないだろうか?畑もカラカラに乾燥し、さすがに今日少しだけだが水を遣った。
どうだろう、毎日水遣りだけで1時間くらいかかってるんじゃなかろうか。これだけ連日猛暑が続くと、1日水遣りを怠っただけで鉢植えものは途端に枯れてしまう。地植えのものも暑さでだいぶ弱って来ているので、水を遣らねばこちらも枯れてしまうだろう。おまけに芝生もあるのでほんと時間がかかる。しかもそれだけ時間をかけて水を遣っても、濡れたところを少し掘り起こすと表面だけ濡れているだけで下の方にはまったく水が行き届いていない。所詮水遣りと言ってもおしめり程度の効果しか無く、ゆえに毎日水遣りをせねばすぐに枯れてしまうのだ。
ホースでの水遣りに比べたら雷雨の威力は半端じゃない。たとえ10分程度の降りだとしてもそれだけで畑も花壇も鉢植えも十分な水を得られることだろう。30分程も降ればまず3日間は水遣りをしなくてもいいはずだ。

ああ、雷雨よ、なぜこっちに来ないのだ?オレはずっと待ってんのにさ・・

2011-08-13

カーポート設置


38℃に迫る猛暑の中、カーポートの設置工事が完了した。
作業された職人さんには感謝感謝だ。

我が家のカーポートは車のためではなく自転車のため。現在大人用が1台に子供用が2台あり、すでに雨をしのぐ置き場がない状態。長女が帰国したら20インチのものを買う予定なのでこれで4台になる。さらに娘達が成長してゆくと、どんどん増えていくことになる。最低でもこれから常時5台あることになるので、自転車置き場は必須なのだ。そこで自転車用のポートを探してみたが、カーポートに比べ小さい割に値段が高く、なんか損をする気になる。おそらくカーポートに比べ出荷数が格段に少ないので割高になっているのだろう。

職人さんはこまめに休息をとりながらてきぱきと組み立て、その動きに無駄は無い。
『こんな暑い中大変でしょう?』と聞けば、
『まあ、慣れですわ』と、切り返す。
その彼の真っ黒に日焼けした笑顔が頼もしい。

作業開始から7時間後、ようやくカーポートが完成した。
KJMさん、どうもお疲れ様でした。

頭身溶融


PANALI氏の現場を訪ねる。ここの暑さはまた格別で『融けてしまいそう』なくらいジリジリと強烈な日差しが照りつけ、ただ立っているだけで逃げ出したくなるような暑さだ。自分の現場も暑いとは思ったが、ここと比べれば山中でもあり木陰での作業なのでずいぶんマシだ。高齢の作業員さん達もこの暑さのなか、黙々と作業されていて実に頼もしい。齢を重ねて来た『ねばり』の様なものがあるからこそ、こういう過酷な状況でも耐えていけるのだろう。見習わなければならない所だ。

さて、この暑さはまだまだ続きそうだね。来週末に帰国する予定の妻達はシアトルの非常に涼しい環境に慣れてしまっているため、この気温のなか帰国したらショックで倒れてしまうんじゃなかろうか。とは言っても、夏らしい夏を体験しておくのも必要なことだと思うがね。

2011-08-11

筋肉痛し


朝起きると全身に痛みが走った。筋肉痛だ。
昨日は伐木で普段使わない部分の筋肉を酷使したため炎症を起こしているのだろう。筋肉痛だけでなく日中の暑さと夜中の気温の高さで疲れがとれず、体中に気怠さが残っている。かと言ってだらだらもしてられないので、ちゃちゃっと着替えて外に飛び出す。
外気はまだ昨日の暑さの余韻を孕み清々しさは無い。やはり今日も予報通りの暑さがやって来そうな、そんなベッタリとした空気だ。

仕事場は昨日と同じく小高い山の上。時折爆音を立てながら戦闘機が上空を通過してゆくなか、こちらもけたたましいチェーンソーの音を響かせながら、昨日伐り倒した檜などを持ち運び易い大きに伐り分けてゆく。ほぼ一日中チェーンソーを握って枝打ちなどをしていたので、ほとんど握力が無くなってしまった。この調子だとさらにひどい筋肉痛になるのは目に見えているが、盆前までにやっておかねばならぬことなので致し方無し。頑張ったおかげでなんとか盆明けの現場開始に向けて道筋ができ、ひと安心だ。筋肉痛になった甲斐があったというものだな。

2011-08-10

伐木


あーくたびれた。
今日は1日お山の上に居て、木こりでもないのにバッタバッタと木を伐り倒すこと約30本。その多くは檜だったが、檜林の中で『これとこれとこれ』てな具合に指定して伐り倒すものだから全然伐り倒すスペースが無く、何本も掛かり木になってしまい大変だった。それでもなんとか伐り倒し、明日はそれらを適当なサイズに玉切りして終了だ。
しかし残念なのは樹高15mほどもある檜なのに、ただ伐り倒すだけで材として利用されることも無く放置されることだ。なんかこんなに大きく育った檜達に申し訳ないが、林道も無い山の頂上での作業ゆえ致し方のないところでもある。

この地方、37℃を越えてまったくキチガイじみた暑さだが、標高150mほどの小さな山でも頂上に登れば風も抜け気持ちが良い。
明日も相当な暑さになると言うので覚悟して山に登るとしよう。

2011-08-09

雲を眺めながら


今日は風が無い・・
日中雷雨の襲来を恐れて家中の窓を閉め切って仕事に行っているため、7時前頃に帰宅すると2階の室温は35℃、1階は33℃。昨夜は風があったため窓を開け放つと徐々に室温は下がり、寝る頃には28℃ほどまで下がっていた。ところが今晩はなかなか下がらない。今は10時半だがまだ32℃もある。1階は概ね2階よりも2℃ほど低いので今晩も下で寝ることにしよう。しかしそろそろひと雨欲しいね。毎晩のように雷雲が近辺に発生し盛んに雷を落としているようだが、残念ながらこの地方を通らず逸れてゆくばかり。雨が降らんもんだから毎日のように水遣りをせねばならず、これが時間かかるんだよね。かと言って怠ければ花などが枯れてしまうのでやらねばならない。
命を繋ぐというのは簡単なようで手間がかかるもんだよ。

澄んだ青空にモクモクとわき起こる雲を眺めながら思う。『今から66年前のあの日、大きな衝撃波とともにわき起こったきのこ雲は、人々の命を容赦なく吸い上げながら急速に成長したんだな・・』と。
二度と繰り返してはならない。

2011-08-08

生産者の思い


今日、宮城・栃木・千葉の堆肥生産者に直接電話して状況を聞いてみた。堆肥の安全性はともかく、この混乱した状態の中でいったいどういう受け答えをされるのか、それを一番知りたかったというのが本音かな。そしてどの生産者さんも僕の質問に実に丁寧に答えてくれ、その真摯さに感銘を受けた。それはまたこの問題で彼らが非常に困惑困窮している裏返しでもあり、早期の安定化を望まずにはいられない。

宮城のバーク堆肥生産者に問い合わせると、現時点での製品の放射線量は30ベクレルで、国の基準の400ベクレルを大きく下回り問題ないということ。そして僕が購入したものは仕込みから発酵を経て出荷までに1年以上費やしているので、汚染された稲藁を食べた牛の排泄物は一切含まれてないから安心して欲しいということだった。
つぎに栃木。ここは例の高い放射線が観測された腐葉土を生産していた業者と同じ市内にある。そして聞くと現時点で放射性セシウムが140ベクレルほどという。これも基準は下回っているもののやはりやや高めで検出されている。しかし僕の手持ちの堆肥は牛糞の必要発酵期間から逆算するとやはり事故前に生産されたものなので、原材料が汚染されていることは無く、事故後に野天に置かれていたのでなければまず大丈夫だ。
そして千葉。こちらは農水省の対応をかなり厳しく批判していて、品質をしっかり管理している生産者まで十把一絡げに出荷規制をかけるのは我慢ならないと訴えていた。やはり鶏糞は鶏舎の中で採取され、汚染される可能性は無いとのこと。いまのところ独自に放射線測定は行っていないが、これからの状況を見て受けなければならないと判断したら、数値をしっかり公表するとのことだった。

やはり直接生産者と話してみてよかった。ただ単に不安がって堆肥を捨ててしまうことはたやすいことだ。しかし堆肥を生産した人達の思いを考えると、『それでいいのか?』という罪悪感もある。今回話している中で、僕のような質問者が多いことを窺わせる言い回しが何度もあった。それはそうだろう。そのことだけで担当者は振り回されていることになる。彼らはまったくの被害者だ。

長年愛用してきた質の良い堆肥が早くホームセンターの店頭に戻ることを願ってやまない。

2011-08-07

思わぬ影響


この週末、近くのホームセンターで大売り出しをやっていた。この機会に必要なものを買いそろえ、冬野菜用の堆肥も追加で用意しておこうと、いつもの堆肥を探すが見つからない。『おかしいな・・』と売り場をうろついていると、小さな張り紙に気がついた。『東北・関東17都県で生産された堆肥等はすべて撤去しました』とある。ということは・・と、家に在庫してある堆肥を見ると、宮城・栃木・千葉といずれもこの出荷制限区域から生産されたものだ。しかも生産月日を見ると5月とあり原発事故後のもの。いやはや、こんなところで原発事故が自分に影響して来るとは思いもしなかった。
さて、この堆肥をどうしたらよいか・・ここが難しい。堆肥は発酵期間が必要なので堆肥の材料自体は原発事故前のものだと思う。しかし千葉産の鶏糞なら鶏舎の中で採取されるのでおそらくは放射線の影響が無いだろうが、バーク堆肥などとなると外に置かれている例が多いので放射線を含んだ雨を受けてしまったかも知れない。こんなときガイガーカウンターがあればすぐに測定できていいが、いかんせん調べてみたら何万もして高額だ。レンタルもあるが1日借りるだけでも何千円もするので、それならば汚染の可能性のある堆肥は捨ててしまった方が断然安く済む。しかし、そういう対応はちょっと過剰反応のような気もするし、かといって口に入れる野菜類にこの堆肥を使うのは余計抵抗感がある。
悩んでいるのもばからしいので直接生産者に電話して『どうなの?』と聞いてみようかな。
汚染された稲藁の問題もそうだけど、かなり深刻だよ原発事故の影響は・・

2011-08-06

課題


いつものように早く起きてJackieの散歩をし、畑仕事に精を出す。
今期4世代目のトウモロコシの苗を植え付けていると、堤防を歩く人のラジオから慰霊の鐘の音と『黙祷』という言葉が聞こえてきた。
そうだ、今日は広島の日だ。少し手を休めて思いを馳せる。今年は福島原発の事故もあり、何かと『放射能』という言葉が話題になり、そして慰霊祭での文言に原発事故を絡めるかどうか、ずいぶん前から議論されてきた。

『議論』か・・、今まで何度も書いたが、原爆投下について妻と何度も激しい議論を交わし、結論を得られぬまま今まで推移してきている。妻と僕の思いは根本的な所では同じだが、それぞれの立場から意見を述べるとどうしても刺々しいものになりがちだ。始めっから白黒ついた事柄ならなんら問題無いものの、白黒つけがたい、もしくはつけれない事案では特にお互い先鋭化して喧嘩してしまう。
しかし僕達は娘達に伝えねばならない。それぞれの立場や思いは置いといて、事実をねじ曲げず的確に伝えねばならない。あの戦争について日米両国の立場の違いは歴然だ。学校教育もまるで違う。そこを一方の視点からではなく、出来るだけ客観的に捉えて娘達に伝えること。それが僕達親の責任なのだ。
だから妻や僕は一歩踏み込んだ所で話し合わないといけない。難しいことだが、やらねばならない。

2011-08-05

張り番明け


夜が明けて河川敷に向かうと、堤防下ではJackieが嬉しそうに尻尾を振り僕を迎えてくれた。
まずは周囲から様子を伺う。新たにカボチャの蔓や実を食べられた形跡は無いようだし、堤防の斜面を掘り返した痕跡も無い。(Jackieが自分の寝床用に掘った大穴があったけどね・・)とりあえずJackie番犬作戦は成功したようだ。『よくやった!』と、くしゃくしゃに撫でてやり散歩に出る。
雲は多いがその隙間から差し込む陽射しは強烈だ。少し汗ばんで戻ってくると、河川敷に何かいる!そうだ、ヤツだ。そのでっぷりと太ったヌートリアはほぼJackieと同じ大きさにだよ、まったく!そいつが川べりに座ってもしゃもしゃと口を動かしながら余裕の表情だ。ちょっと離れた隙に上陸するなんてヤツらも大したものよ。
しかし見逃すわけにはいかまいぞ!
すぐさまそこら辺の石を何個か拾って、Jackieと共に『鵯越の逆落し』みたく一気に堤防を駆け下り、ヌートリアに一撃を加えんとするも、素っ頓狂な顔のわりに逃げ足は速く、ざぶん!と川に飛び込むとそのまま潜行して姿をくらましてしまった。ううむ、残念。
だが、これでかなりのプレッシャーをかけることが出来たはずだ。今晩もJackieの張り番を続ければいい加減懲りるだろう。そう思いたいね。

2011-08-04

番犬Jackie


今宵Jackieには河川敷で一晩を明かしてもらうことにした。
というのもここ最近、堤防南斜面に植えてあるカボチャをヌートリアが盛んに喰い散らかし、今までは蔓を食べられていただけだったので『まあ、しかたないか・・』と黙認していたが、今朝にはハンドボール大に生長しつつあるもののまだ未熟のえびすカボチャを見事に半分だけ喰って行きよったので、ちょっとここらで懲らしめてやらねば!と思った次第。その先鋒をJackieに担ってもらうわけだ。
河川敷の頃合いの所に杭を打ち、4mあるリードでJackieを繋ぐ。これならかなりの範囲を動き回れるのでJackieも嬉しそう。いつものご飯にボーナスとして犬用スナックも盛り合わせ、たっぷりの水も用意して日が暮れるのを待つ。始めは寂しがって『ヒイヒイ』哭くかと思っていたら、そんなことは全く無くちゃんと番犬しているようだ。通常なら夜の10時頃にはよく何かに向かって吠えていたのに今晩は実に静か。これはJackieがいることでヌートリア達が警戒し、上陸していないことを意味するのだろうか?そうだったら大成功だけど、Jackieはちょっと頼りないからね。どうかな。
明朝、カボチャを見回って無事だったら、1週間ほど夜だけJackieに張り番を続けてもらうとしよう。リードももっと長いものを用意してさらに行動範囲を広げるつもりだ。そうすればヌートリア達も寄り付けなくなるだろう。
まずは明日の結果次第だな。

2011-08-03

ひとり居


ひとりになれば自分の時間を満喫できるものと思いきや、実際はそうではなくて実に多忙。
相変わらず5時半には起きてJackieの散歩をし、それから畑で収穫作業にいそしみ、7時まで外で作業を続ける。
それから朝食を作り、弁当を作り、お茶を用意してから朝食を食べ、なんやかんやしていたらあっという間に8時になってしまう。8時に家を出ていては遅いので少しでも早く準備ができるよう心がけてはいるものの、なんでそんなに時間がかかるのか分からないがいつもギリギリになってしまう。それは家に帰ってからもまったく一緒で、晩飯を作り、ニュースを見ながらひとりぽっちの食事をし、その他諸々の細かいことを片付けているともう10時過ぎだ。それからブログを書いたりしていると、あっという間に0時近くになってしまう。
そういう風に日々同じサイクルを続けながら今日も一日が過ぎてゆく。

2011-08-02

祖母逝く


妻の祖母が急逝した。93歳だった。
その日は夏休みを利用してアメリカ各地から孫やひ孫達がシアトルに集まっていた。例年なら腕を振るって祖母得意のクッキーやらケーキやらを焼き皆を喜ばすのだが、すこし体調も悪かったのとすばらしく良いお天気だったので、ひ孫達のためにアイスクリームを買いに行くことを思いついたらしい。
丘の上にあるアパートメントからスーパーまでは近く、アイスクリームをたくさん買い込んでアパートメントに帰るべく坂を登っている時にバランスを崩して転倒したようで、すぐさま見ていた人達がアンビュランスを呼んでくれ、病院に担ぎ込まれ診察を受けると腰の骨を骨折していて緊急手術が必要ということになった。
ところが最近心臓肥大が顕著になっていた祖母は、血液をサラサラにする投薬を受けていたためにすぐには手術が行えず、薬の効果が落ちるのを待って手術が行われ、そして手術自体は成功したものの麻酔や手術に伴う体力的消耗からついには回復しきれずに、そのまま旅立たれたということだ。
転倒から亡くなるまで僅か3日間のできごとだった。僕も骨折したという連絡は受けたが、よもや亡くなってしまうとは思いもしなかったので衝撃だった。それ以上にシアトルでは皆が激しい喪失感と深い悲しみに包まれている。
妻のファミリーは典型的な女系一族で、歳を取ったといえども祖母はいろいろな面でその頂点に君臨して来た。その要がなくなってしまったのだ。

祖母はずっと前から自分の名を御影石に刻み、墓の用意をしていた。生前一度そこへ連れて行ってもらったことがあるが、遠くにシアトル湾を望む緑豊かな丘の上にその墓地は広がり、『ここならさぞかし気持ちよく眠れるだろうな・・』と、そんなことを思わせるロケーションだった。
そこで祖母は永遠の眠りにつく。
ひょっとしたら祖母のシナリオ通りなのかもしれないね。

ご冥福を祈ります。

合掌

2011-08-01

静夜


静かな夜だ。
陽も落ちてすっかり暗くなると鳴き出すのが『地虫』だが、今晩はこの鳴き声も聞こえない。昼間はあんなにやかましく鳴いている蝉どもも、今はいっせいに黙って大人しくしているようだ。中には夜になっても鳴き続ける困った蝉も居るのだが、ありがたいことに黙ってくれている。聞こえるのはすぐ脇の県道を走る車の音と、時折裏の田んぼから聞こえて来るカエルの鳴き声くらい。実に静かだ。
こんな静かな夜はかえって不気味になり、大きな地震が起こるんじゃないだろうか・・などとついつい考えてしまう。そうかと言って逃げるための臨戦態勢を整えるかといえば、そこまですることも無くグータラして時をいたずらに費やすのみ。

今夕もゴロゴロと雷の音が聞こえたが降ることは無かった。僅かの差で雲が逸れているようだ。しかしそろそろ雨が欲しいね。水遣りも時間がかかるし、ヤブ蚊の大群に襲われるしで大変だからね。