2011-03-31

年度末


今日は年度末。だからと言って何か特別なことをするわけでもなく、いつもと変わらぬ平凡な日常が淡々と過ぎてゆくだけ。しかし今はその平凡さこそが如何に貴重で大切なものであるかを知らしめてくれる。
平凡であったはずの日常は強大地震という僅か数分の出来事を境に信じがたい非日常へとすり替わり、そのあまりにも過酷な非日常であるはずの生活が今度は日常化して人々を苦難のどん底に突き落としている。自分を含め『これが夢であったら・・』と思う人は数えきれないだろう。現実は容赦なく我々の目を見開かせ、その心を踏みにじる。
あっという間に二十日間が過ぎたが状況は一向に改善されず、むしろ不安は増大するばかり。新年度を迎えるにあたって何か明るい要素を探したいが、そんなものどこにも転がってなぞいない。
しかし、津波に押し流され壊滅した地域でも梅の花が咲き、やがて桜も美しく咲くことだろう。それだけが人々の心を穏やかだった日常へと戻してくれるはずだ。

2011-03-30

ある顛末


妻曰く、妊娠すると物忘れがひどくなると言う。
それは脳神経学的にそうなのか、それとも妊娠に伴う肉体の疲労などが起因してそうなのか、実際のところは分からない。しかし物忘れがひどくなっているのは確かで、よくそのことが原因で口げんかに発展することもある。

先日もこんなことがあった。夕食後に僕がリンゴを切っていると、妻が「イチゴがあるよ」と言う。しかし冷蔵庫にイチゴなど見かけなかったので「どこにある?」と聞くと、「あれ~」と言いながらしばらく妻が探していたが見つからない。「店で買おうとしたけど買わなかったかも・・」と言うので、「車の中に忘れてないか?」と聞けば、「見てくる」と言ってしばらく探していたがやはり見つからない。レシートをチェックすると確かに購入しているので、どこかに置き忘れて来たようなのだ。しかもそれには前置きがあって、いつも使っている家の鍵を無くしてしまったためホームセンターに鍵を作りに出かけ、その帰りにスーパーに寄って買い物をしてイチゴを忘れてきてしまったという顛末だ。そしてオチは、その無くしてしまったはずの鍵を僕が妻のポーチからいとも簡単に見つけてしまったことだ。
「なにをやっとんのか・・」そのため息にも似た僕の呟きに、妻が阿修羅のごとく怒り狂ったのは言うまでもない。

2011-03-29

心無き者らよ


他人の行動が理解できないことはしばしばあるが、川にゴミを放り込んでゆく者に対しては理解と言うレベルではなく、もはや人として相手をすべきではないと思っている。

毎朝Jackieを散歩するコースにある橋の袂には今まで何度もゴミが不法投棄されてきたが、今朝はゴミ袋にして10袋程度にも及ぶ大量のゴミが川に投げ込まれており、そのあまりの身勝手さには深い憤りを禁じえない。実はその同じ場所に2週間ほど前も洗濯カゴやプラスチック製の大型ゴミ箱が投げ込まれており、状況からすると同一人物の仕業と思われる。しかもだ、今日はこの地区の可燃ゴミ収集日でもあり、不法投棄地点から僅か30Mの所にゴミ集積場があるにも拘らず川に投げ込んでいる。この行動は万死に値する。
川面を見れば鷺や鴨、鵜に鴛鴦などが餌をついばみ、都市近郊にしては自然が残り、野鳥類が多く生息する貴重な地域なのに、水面下には橋から投げ込まれたバイクや自転車、タイヤにその他様々なものが沈んでおり、それら心無い者らの所業に人としての恥ずかしさを感じる。
河川敷のゴミにしたってそうだ。いくら娘たちも動員してゴミを集めようが、大雨が降れば大量のゴミが流されてきてゴミだらけ、それだけゴミを捨てる輩が多いということだ。
ゴミを平気で捨てる連中に「ゴミを捨てるな!」と言った所で理解できないだろう。できることなら不法投棄されたゴミから犯人を割り出し、それ相応の期間ゴミ拾いをさせる社会罰を与えればいいと思う。
そんなことをしたところで捨てる連中は減らないと思うが、少なくともゴミを拾う側はちょっと気が済むかもしれない。

2011-03-28

救援物資


千葉に居る弟夫婦に水と食料を発送した。報道では上水道の放射線レベルは低下し問題無しとのことだが、生後4ヶ月の乳児がいることだし取りあえず送ってあげようと言うことで、我が家の井戸水をペットボトルに詰め込んだものを7リットル分と、あとは向こうのスーパーでは葉もの野菜がほとんど無いそうなので、我が畑に大量にあるほうれん草と今にも花が咲きそうなブロッコリーを、そのままと茹でたものの2種類を詰め込めるだけ詰め込んで送ってやったのだ。
その発送の準備をしていて分かったことだが、水が汚染されているとなると野菜を洗ったり茹でたりすることも出来ない。そこで野菜は前もってきれいに水洗いしてそのまま使えるようにしておき、当初考えていたレタスはアブラムシが発生していて、すべての葉を一枚一枚洗わないと除去できぬため、今回の便では見送ることにした。
詰め込んだブロッコリー・ほうれん草ともに水で茹でなくても電子レンジでチンすれば調理できるし、フライパンで炒めてもおいしく食べれるのである程度の助けにはなると思う。

未だ原発の見通しがつかない状況下では、いつ何時放射線レベルが上がるか分からない。特に母乳を与えている乳児が居れば、この問題に対して神経質になるのもよく理解できる。いよいよとなればこちらに避難するとして、それまでは少しでも安心できるものを送ってあげようと思う。

2011-03-27

足だけなのに手足口病


昨夜、長女が寝る前に『Daddy、足が痛い』と言うので、足の裏を見てみると赤い発疹がポツポツと出来ていた。両足ともちょうどくるぶしくらいの高さまで発疹があって『これはひょっとして・・』と思いつつも、そのまま寝かしつけ朝を迎えた。朝になっても長女は首が痛いと言って相変わらず頭を傾けたままだし、まだ本調子でも無さそうなので体温を計ってみる。37度5分と微熱程度。その後再び足が痛いと言い出したので見てみると、例の発疹の色が昨夜よりはっきり見えるようになっていた。そこで長女の手を見たり、口を大きく開けさせて中を覗き込んだが特にこれといった変化は見られなかったものの、総合的に判断すると『手足口病』に感染した可能性が高いのだ。
ただ、手足口病だったとしても症状はごく軽く、この分だと2〜3日で収まると思う。この点やはり元々丈夫な質かどうかで大きく違ってくるのだろうな。
手足口病の方は心配無いにしても、いつまでも痛がっている首の方が今は心配になって来たよ。

2011-03-26

Easter party


もうこの季節がやって来たか・・という感じ。写真を撮っていてもつい先日同じ様子を撮ったような不思議な感覚に襲われる。歳とともに確実に時間の流れは加速しているのだね。
しかしファインダーを覗けばそこに映る子供達は大きく成長し、今や立派なお姉さんやお兄さんになっている。自分の子でなくても子供達の成長する姿を目の当たりにすることは、なぜか『うれしい』と感じることで、これからの将来彼ら彼女らがどんな人生を歩んでゆくかも楽しみなことだ。

さて、partyは恒例のイースターエッグ作りから始まり、そして子供達が楽しみにしているイースターエッグハント(庭に隠したイースターエッグを皆で探す遊び)で大いに盛り上がり大成功だった。partyが終わったあとも庭ではたくさんの子供達が寒風のなか元気一杯に遊び回り、近隣にはしゃぎ声を響かせていた。やっぱり子供達は多いに越したことはない。こうやって小さい時から知っている子供達の元気な様子を見ていると、なんかこう、ほのぼのとしたような、明るい気持ちになることが出来る。

2011-03-25

突然の発熱


家に帰ると長女の様子がどうもおかしい。首を変に傾けてぎこちない歩き方をし、べそをかいている。『どうしたん?』と尋ねると、首が痛くてたまらないと言う。妻によれば今朝から様子がおかしかったらしい。寝違いでもしたんだろうかと思い、長女の顔をのぞき込むと目がうるうると涙目になっている。ははあ、これは・・と額に手を当てると、確実に熱があるようだ。すぐに熱を計ってみると案の定、37度5分。首の痛みも熱から来る関節通が原因だろう。食欲も無いと言うので早々に晩ご飯を切り上げ寝床に連れてゆく。妻がしばらく寄り添って寝ていたが、結局すぐ寝付くことができずに1時間ほど布団の中で妻と話し、それからやっと寝入ったそうだ。
普段から頑丈な長女だが、年に数回(と言っても2・3回程度)はこんなことがある。長女の体調がおかしい時は今日の様にとても分かり易いので、こちらも早く気付くことが出来その点は助かるな。
明日は妻の英語クラスでイースターパーティーをやる予定なので、長女も参加できるといいのだけれど・・

2011-03-24

女系


妻の出産を5月に控え、産前産後のサポートをするために義母が来日した。
シアトル発バンクーバー経由のJAL機は乗客がほとんど居らずまったく閑散としたもので、いつも定員一杯のことを思うといかに今回の放射能問題が影響しているかがよく分かる。
その義母は70歳を過ぎたというのに疲れをまったく見せず、さっそく娘達と戯れてとても嬉しそうだ。そのタフさにはいつも感心させられるが、本人は飛行機に乗るのが好きでもあるし、フライト中はゆっくり本を読んでいられるのでまったく問題無いそうだ。シアトルには義母の母親も93歳で健在であるし、その歳で今も一人暮らしを続けていることを思えば、義母の元気さがどこから来ているのかがよく分かる。
これから約3ヶ月、我が家はにぎやかになり、女性一色で染まる。義母の参戦と女の子の赤ちゃんがここに加われば最強(最恐?)の女系一家が誕生することになる。しかもJackieまでメスだ!
僕はただ、仰せのままに従い、なるべく怒ること無くこれからの人生を歩んで行くことを、心がけたい・・な。

2011-03-23

資格の裏


とある資格の講習を受けに教習所に出向く。
今日はその一日目で講習は2日間、実技と講義で計16時間みっちり詰め込まれる。受講者は約40名、そうだな・・平均年齢は30代半ばといったところか。思ったよりも若い人が少ないな、といった印象だ。
それにしてもプロジェクターに映し出される画面見ての講習の眠たきことよ!聞いていると勉強になることももちろん多いが、テキストを棒読みするだけでは、そりゃ眠たくもなるさね。いつもこういう講習を受けるとその意義を問いたくなるが、そういう仕組みが堅く出来上がってしまっているのだから、腹立たしくも今日はスルーしておこう。
まあ、それに関係していることだけど、講習の料金が高過ぎやしないかい?何で軒並みこんな高額な値段設定になっているんだろう?
この講習料金の大部分が役人の天下り機関に上納金として納められているのは間違いないことで、まったく憎むべきからくりだ。
資格を細分化し、さらには現場作業における資格保持規定を厳格化することで多くの人が講習を受けざるを得なくなり、そして上納金が増えるという仕組み。詐欺に近いようなことだが、詐欺もお墨付きがあれば詐欺ではなくなるということだね。

2011-03-22

科学者一家


妻の一家は皆科学者だ。妻曰く『自分も科学者を目指せばなれたはずだ』と言う。しかしよくあることで皆がそうだと『自分は決して科学者にはならない』と思うらしい。それで大学も日本風に言うなら『文系』を選び、血のルーツでもある日本について学んでいた。

そんな話はさておいて、ここ数日妻がよくこぼすのだ、『自分の一家が科学者で本当に良かった』と。そのわけは言うまでもなく東北大震災に関してのことで、原発に安定化の兆しが見えて来たにも拘らず野菜や水道水・海水から放射線が検出されたと連日報道され、それに対する海外メディアの騒ぎ立てようは尋常ではない。もちろんそんなキケンな日本に我が子が滞在してるなんてとても受け入れられない!という親心が強烈に働いて、毎日のように『今すぐ帰って来い』攻撃が電話・メール・フェイスブックなどあらゆる手段を使って繰り返され、果ては一族郎党からこぞって催促されるという。そんな状況下で耐えきれなくなって帰国を決断する者も多く出ているようで、今日も妻の友人の一人が一年前に買ったばかりの家を売って、日本人の夫と赤ちゃんを連れて帰国する決断をしたという。
それに対して妻の一家は至って冷静で、人一倍の心配性でもある継母さえ放射能汚染に関してはよく理解し何も言うことはしない。実母などは妻の出産の手助けのため、明後日に来日し、それからビザの許す3ヶ月間いっぱいまで我が家に滞在する予定だ。そこにあるのは長年科学者として培って来た『目』であり、過剰な報道に弄ばれるようなことも無く、淡々と情報分析を行うプロの目だ。

こんな時だからこそ日本に居る我が子の不安を少しでも和らげる心遣いが必要ではないか?ほんとそう思うよ。

2011-03-21

卒園


早くも3年の月日が過ぎ去り、今日長女が卒園式を迎えた。
元気一杯にお別れの歌を唄う長女の姿を見て『大きくなったもんだな・・』と、入園した頃に思いを馳せる。何事においても我々夫婦を助けてくれる長女にはほんと感心し、頭の下がる思いだ。『なんでこんなにいい子に育ったんだろう?』と、妻共々かなり親ばかの部分があるにせよ、まだ小学校にも上がっていないのに頼りにしてしまっている。今後はあまり頼りにし過ぎてそれがかえってプレッシャーとならぬように気をつけてゆこうと思うが、初夏に3女が生まれたらいいお姉さんとなって家族を助けてくれることだろう。その点ばかりは大いに期待しているのだ。
卒園式も終わり、いよいよピカピカの一年生に向けてすべてが動き始めた。なにせ細かいことやら何やらと分からないことが多く、先輩ママさんに教えてもらうことばかり。幼稚園の時もそうだったな・・と懐かしく思い出しながらも準備期間が短くてバタバタと落ち着かない昨今だ。だが、それもすぐに慣れてしまうのだろう。

3年間元気に登園し、見違えるほど大きく成長して卒園の日を迎えた長女に、心からおめでとう。

2011-03-20

まったく平常


土曜日、いつものように近くの巨大スーパーに買い物に出る。
関東・東北方面では様々な物資の買い溜めの影響から品薄状態が続いていると言うが、我が地元を見る限りではその影響は少ないようだ。トイレットぺーパーや紙おむつ、カップ麺に米、それに電池といった他の地方で顕著に品薄となっている物も、このスーパーでは若干いつもよりは少ないように見受けられるものの棚にはまだまだ在庫があり、大都市圏で発生しているような状況には至っていない。これはガソリンスタンドも同様で値段も名古屋近辺よりもずいぶん安く、特別混雑しているという様子も無い。もちろん給油制限などはしておらず好きなだけ入れられる。
スーパーに買い物に出向いたのは夕方だったのでその時点で在庫が豊富にあったのなら、あまり買い溜めをする人がいなかったということにもなる。むしろ食料品や生活必需品がいつもとなんら変わりなく平然と売られているので、被災地で苦労されている方々に対して何か申し訳ない気がして仕方が無かった。特に紙おむつなどは何十枚と入った箱入りのものが山のように積み上げられていたので、こんなにあるんやったら被災地に送ったればいいのに・・とさえ思ったほど。

いまはこんなに恵まれていても、いつか確実に『その時』がやって来る。東北大地震を教訓に我が家も徐々に準備を整えて行こうと思う。

2011-03-19

悪夢


最近よく夢を見る。
その内容は空き巣に入られた夢だったり、車で事故った夢だったりでいい内容ではない。おそらくこんな夢を見るのも東北大地震の悲惨な状況を毎日見ているからで、危機的な原発の動向も相まって不安感が増し、その不安が良からぬ夢となって現れているのだろう。しかしそれはあくまでも夢であって、大抵の場合目が覚める前には『ああ、これは夢なんだな・・』と気がつき、安心することが多い。そう、僕の見る悪夢は覚めるのだ。
一方被災者の方々は僕の見る悪夢よりさらに厳しい現実の中でその日を耐え忍び、命を繋いでいる。
夢は覚めるからいい、しかし現実は・・
いったいどうやってこの苦難を乗り越えろというのだろうか・・



ところでこれをご存じでしょうか?
『おなかがいたくなった原発くん』

2011-03-18

苦難


震災被災地では現在も過酷な状況が続いているが、そんなときふと気にかかったことがあった。
あれだけ多くの住宅が地震を耐えたにもかかわらず大津波に呑み込まれ、破壊された。おそらく多くの人は住宅ローンを組んでいたはずで、そういった災害の場合は残されたローンは一体どうなるのだろうか?
少し調べてみると阪神大震災の時の例があって、やはり住宅が無くなっても住宅ローンだけは残るようなのだ。これは住宅に限らず、例えば車などローンで購入しているもの全般に言えることで、「そのモノ」が無くなってしまってもローンの支払いだけは続けねばならぬという悲劇的なことになる。
住宅に関しては震災被害者向けの低金利融資を受けられるらしいが、例え新たに住宅再建のための融資を受けることができたとしても、震災で失った家のローンがそのまま残っているのでつまりは2重のローンを抱えることになってしまう。加えて震災後に再び仕事に就けるかどうかも分からぬ状況下では、なんと言ってよいか・・あまりにも被災者にとっての未来は厳しすぎる。
もちろん国を始めとする公的機関からの援助が差し伸べられるにしても、それには限度がありとても被災者の負担を取り除くには程遠いものでしかないだろう。

避難している人たちがそれぞれの地へ戻っても、戻れたとしても2重3重の苦難の日々が続き、しかも先が見えない。
いつになったら光が見えるようになるのだろうか?そうするためにはどうすればいいのか?
できることをしようと思う。

2011-03-17

温度差


福島の原発事故の対応は世界各国様々で、その違いにはお国柄も伺える。
妻の国でもあるアメリカは、政府の反応はさすがに非常事態に慣れた国でもあって大人だと感じさせるが、一方一般市民はというと、アメリカメディア特有とも言える危機感・恐怖感を煽る報道に引き込まれ、奇妙なことだがあちらの方がパニックなんじゃないのか?と思わせるような騒ぎ様だ。幸いにも妻のfamilyは日本の地理をある程度心得ているので、『早くそこから逃げよ!』だの『今すぐに帰国せよ!』などといったことを電話やメールで寄こすことをしないが、妻の友人のもとにはそれぞれの家族から『帰国せよ!』メールが相次いでいるという。それがかえってこちらの不安を煽っているなんて気にもしないでね。それも愛情あってのことだから仕方ないかな。

さて、他国はというと、やはり地震の少ないヨーロッパ各国の反応はヒステリック気味と言えなくもない。確かに原発の状況も悪化しているので早いとこ逃げたに越したことはないが、「なんだかなあ~」と思わなくも無いな・・まあ、早いとこ逃げとけや。

パンドラの箱


予想を遥かに上回るような今回の大災害がきっかけだったとしても、原発を造り上げ操業し、その恩恵を受けて来たのは我々人間なのだ。
政府や電力会社は近年『原子力発電はクリーンエネルギーである』と無責任な広告を繰り返し、それをまんまと信じ込む人も多かった。しかし現実はご覧の通りだ。いくら原発の危険性を知っていたとしても、長年に渡ってその電力を享受して来た自分を含む人々もまた今回の事故について厳しく糾弾する資格などは無い。現状ではそんなことは無意味だ。
今はただ、破壊された原子炉が一刻も早く落ち着きを取り戻し、メルトダウンなどの深刻な状況に陥らないのを願うばかりだ。

我々人類が開けてしまったパンドラの箱に、果たして希望は残されているのだろうか・・

2011-03-15

拡散


妻と地震について話していたら緊急地震速報が流れ、そのうちふわふわと揺れだした。
震源は伊豆半島の付け根で震度6強、いよいよ大地は活動期に入ったのかも知れない。

今日一日は原発で次から次に起こるトラブルに振り回され、放射線の恐怖に改めて気付かされた日でもあった。
放射線の測定量は刻々と変化し、一時かなり高い数値を出して人々を恐怖に落とし込んだが、いまはなんとか低レベルで安定しているようだ。その放射線量だが夜のNHKニュースでやっとこさ、例えばCTスキャンを受けた場合と比べてや胸部X線写真を撮影した場合はどれくらいなどと分かり易く具体的に説明していたので、もう少し放射線量に対しては恐怖感が減ったのではないかと思う。
確かにまともに放射線を浴びれば命に関わる問題ではあるものの、現時点に於いてはそこまでには至っていない。そして周辺各県で検出される値も発表の通りであればごく微量のもので健康への被害は無いと言う。
そこで思うのだ、僅かな値に敏感に反応しているが、実際のところ煙草1本吸う方がその値より身体が受ける影響が大きい様に感じる。野菜も然り、放射線量より人体に与える影響は残留農薬の方が高いようにも感じるがどうなのだろう?

とまれ原発の危機的状況に関しては今後も推移を見守り、冷静な判断をせねばならない。

2011-03-14

断水


復興どころか次から次へと深刻な状況が続き、常に崖っぷちなのにどこか開き直っているようにも感じさせる。
あそこまで徹底的に破壊されては、もはやどうのこうの言うようなレベルの話では無いのだろう。『すべてを振り出しから行う』答えは1つだけだ。

原子炉の爆発も1号機の時は驚きを隠せなかったが、今日の3号機では『またか・・』程度の反応で、それこそ感覚が麻痺してしまっているようだ。

千葉に住む弟夫婦と話したが、現状水が出ないので大変な苦労をしていると言う。周辺のスーパーは品薄が続き、皆がそこに集中するのであっという間に何もかもが無くなってしまう。被災地から遠くへ買いだしに出ようにもガソリンは車につき10ℓまでと決められているので、遠出もままならないそうだ。赤ちゃんがいるためきれいな水が無いのが何より困ることで、弟の奥さんの姉さんが車で30分ほど離れたところに住んでおり、そこはライフラインに影響がないとのことで風呂に入らせてもらい、水とおむつをもらって帰ってくることを繰り返していると言う。弟は当然電車が止まっているために出社できず、強制的に休みとのこと。水が出ないのでトイレも使えず、外に設置された仮設トイレで凌いでいるらしい。そして計画停電が明日から始まるそうだ。

遠く離れた千葉でもこんな有様なのだから、今回の地震の規模がいかに強大だったかがよく分かる。

弟夫婦には我が家へ一時的に避難したらどうか?と打診したが、まずこちらに来る手段が無いと言う。そしてもう少しあちらで様子を見て、一向に改善しないようならお世話になりたいとの答えだった。
この先どうなるか予断は許さないが、取りあえず受け入れ態勢だけは整えておこうと思う。

2011-03-13

震災3日目


被害の全容は未だ掴めず、ただ茫漠たる瓦礫の山ばかりが映し出されている。
街ごと津波に押し流されてしまった地域も数カ所に渡り、そこに住んでいた人々の多くと今も連絡が取れないという・・
今日になってマグニチュードの値が9.0に変更され、史上4番目の巨大地震となったようだ。しかし、未曾有の被害を受けたという現実の前にはマグニチュードの値なぞまるで意味をなさず、家などを失った人々にとっては『それほどの地震だったのだから、どうすることもできなかったんだ・・』という諦めの気持ちを起こさせるだけだろう。

震災3日目ともなると被災者の方が撮影された映像が多く報道されるようになって、その瞬間の様子が少しは分かるようになって来た。しかしそのすべてが目を疑うような津波の荒々しさを伝えており、明るい材料など当然のごとく何一つ無い。
ライフライン復旧のめどはまったく立たず、孤立する被災者の救助もままならない状況が今も続く。

皆疲れている。疲労困憊し絶望のどん底にいる。

こんなとき、いったい何に希望を持てというのだろう。現実はあまりにも、厳し過ぎる。

2011-03-12

震災2日目


夜が明けると、信じがたい現実が広がっていた。
津波が押し寄せた地域の木造家屋のほとんどが壊滅し、どす黒く広がる泥土の海にぽつりぽつりとコンクリート製の病院や学校・アパートなどが島のように取り残されている。その屋上では救助を求める人々が必死に布などを振り『ここにいるぞ!』と叫んでいた。
ほぼ全滅してしまった町もあるようだ・・こんなことが現実のこととして信じられるだろうか?
昨夜は地震に遭って倒壊した家に閉じ込められる夢を見た。しかし、その夢よりも現実の方がもっと凄惨だ。午後には原発の爆発事故の報も入って来た。

一体どうなってしまうのだろうか・・

そんな状況の中で自治会の懇親会が予定通り開かれ、僕の前には懐石料理が用意されていた。かたや遠方とは言え、すべてを失った人が居るというのにのんびりと料理をつつきながら談笑し食事を摂るこの違和感。
一体我々の運命はどこでどう分かれてしまったのだろうか・・

2011-03-11

大災


『その時』、僕は現場で測量機器の設置をしていた。
いつもは簡単に設置できる機器が、『その時』は最後に水平を微調整する気泡管がなぜか横に揺れ、なかなか上手く合わせることができなかった。『何だこれ、おかしいな・・』と始めは自分の設置の仕方が拙いのかと思ったが、次の瞬間その気泡管がさらに横に大きく揺れ始め、地震であることを悟った。『その時』現場は発見された中世の巨大井戸跡を重機で断ち割る作業を進行中で、掘削に立ち会っていた誰もが地面の揺れは重機の震動によるものと思い、地震であることに気がついていなかった。
後に公表された現場の震度は4で、幸い地盤がゆるいところにもかかわらず液状化や噴砂などは起きず、その後も作業を続けることができた。

しかし『その時』東北では大津波が押し寄せ、あらゆるものを呑み込み、そして沖へと攫っていってしまったのだ・・
戦慄すべき映像がニュースで流され続け、とても現実の出来事とは思えない有様にただただ驚愕し、恐れおののくほかはない。

なんてことだろう・・なんてことが起きてしまったのか・・家や車がおもちゃのように流されてゆくではないか!

現時点では被害の詳細が明らかになっていないが、相当数の人が命を落とし、傷ついていることだろう。

今はただ、被害に遭われた方々のご冥福と、ご回復を祈るしかない。

2011-03-10

延々と


今朝、いつものようにNHKニュースを見ながら食事をしていると、福島県沖で地震が発生したとの報が入った。マグニチュードや震度的にも大したことは無かったので『大きな被害が出なくてよかったな・・』と思ったが、津波注意報が発令されたという。それが始まりだった。
こういうケースはNHKを見ていると間々あることだけど、同じことを何度も何度もくどいほどに繰り返し、今朝の場合は30分以上にも渡ったのだ。確かに大きな地震が発生した場合は津波来襲の恐れもあり、その情報を的確に伝えるべく何度も繰り返す必要もあろうが、今朝のように地震の規模も小さく、津波の到達予想規模も50cmほどと言う場合にそこまで繰り返す必要があるのか?と疑問に思わざるを得なかった。特にいただけなかったのは現地への電話取材で、先方が『いつもと変わった様子はない』と言っているにも拘らず、『潮位の変化はどうでしょうか?』と聞いてみたり、『現地の特徴は?』など先方が思わず『特徴って?』と聞き直すような曖昧模糊とした質問を繰り返すなど、一体何を伝えたいのか分からぬことばかりの繰り返しで、どうもNHK自身が地震報道のために割いた時間を持て余してしまっているようにしか感ぜず、その質の低さに辟易し『これならば注意情報をテロップで一定時間表示させておくだけで十分ではないか?』と思うのだ。

NHKであるが故にせねばならぬ報道のやり方というものがあると理解しても、昨今のドタバタとしたような拙い展開ではもはや報道としての体を為してないと言われても反論は出来ぬだろうな。繰り返すだけが能じゃないということだよ。

2011-03-09

寒気再び


もうええっちゅうのに寒気が押し寄せて来て寒いこと寒いこと。よもやこの時期に寒さよけのカッパを着て作業をせねばならぬとはね。
陽射しがあれば幾分寒さも緩和され体感的にもずいぶん楽になるのだが、今日は雲が次から次へと流されて来ては陽射しを遮り、なかなかその恩恵を授かることができなかった。陽射しがないのにプラスして午後からは西風が強まり、遥か遠くからは雪雲らしきものが迫り来るようだ。
先日夏野菜の種蒔きをしたばかりだと言うのにこの寒さでは、到底発芽を望めそうにも無い。天気予報で寒気が来るのは分かっていたが、よもやここまで寒くなるとは思わなんだ。まったく難しいものだ。

今週末には気温が上がると言っているが、このぶんじゃもう一回くらい寒気の来襲がありそうだな。

2011-03-08

夜明け


今の日本に政治家なぞ要るのだろうか?
僕は要らんと思うな。昨今の政治の動きを見ていると百害あって一利無しとはこのことだと感じてならない。あっさり辞任した前原にしてもそうだが、一体ヤツらに『覚悟』なるものがあるのだろうか?あるわけないよな。
首相辞めても、閣僚辞めてもその後は恥も外聞も無く、なに喰わぬ顔で議員席にふんぞり返り言いたい放題だ。ヤツらが何を為したっていうんだい?
国民は皆しらけ、国外ではあまりの回転の速さに戸惑い、心配されているありさまだ。

国益なんかどこへやら、馬鹿げた内部闘争と揚げ足取りばかりを繰り返し、見るに耐えない醜態を曝している。
口を開けば『解散、解散』だ。
こんなことをあと何回繰り返すつもりなのか?

いつ夜が明けるのだろうか・・

2011-03-07

やっとこさ


ずいぶん悩んだ挙げ句、やっとこさ実家の地デジ化が完了しそうだ。
先日コミュファの光回線工事が終了し、いつでも地デジでTVを見られる環境にはなったものの、いかんせんTVがアナログのままなので本格移行までには至っていなかったのだ。その後、金銭的負担はなるべく軽くして、尚かつ両親にも分かり易く使い易い環境をといろいろ考えて来たが、ここ最近の液晶TVの値下がり傾向を見てついに購入することとなった。居間用に32インチ、そして母親の部屋用に26インチという案配だ。現在の売れ筋から見ると小さめのTVを購入したことになるが、実家はこれで十分。むしろTVがその存在を主張するような大きさだと邪魔なのだ。それは慣れる慣れないという問題とは別なのさ。
次の週末までにはTVも到着する予定なので、実家に出向いて設定のあれこれをやらねばならない。しかしこれで実家の地デジ化問題は片付くことになり、まずは安心できるというもの。結局液晶TVも2台合わせて10万以下で購入できたので、まずまずじゃないかな。

さあ、次は我が家だ。

2011-03-06

夏野菜に向けて


雨の前の晴れ間を最大限活用して様々な夏野菜の種を蒔き、耕し、そして植え付けた。
種蒔きと言ってもまだ気温が低いので露地に直接蒔きは出来ず、育苗ポットに蒔いて簡易ビニールハウスで発芽を待つことになる。今日蒔いた種はトマトにキュウリ・ズッキーニ、インゲンにオクラ・エンドウにレタスと盛りだくさんで、すぐにハウスは育苗ポットでいっぱいになってしまった。去年や一昨年もほぼ同じタイミングでの種蒔きだったが、今年は寒さが厳しかったこともありいろいろなものの生長が例年より遅れているようで、その点『早いかも知れない・・』と不安になるがダメだったらもう一回蒔き直せばいい、とにかく夏野菜作りが始動したのだ。
各種夏野菜の種蒔きを済ませたあとはジャガイモの植え付けを次女とともに行う。冬の間に耕しておいた畝を整え、頃合いの大きさに切った種芋に草木灰をまぶして1つずつ植えてゆく。この種芋も昨年は植え付け前からじゃんじゃん発芽していたが、今年は僅かに芽が出ている程度なのでここを見ても気温が低かったことを窺い知ることが出来る。
昨年は3kg分を植え付けて妻から『作り過ぎだ!』と顰蹙を買ったので、今年は男爵1kgとメークイン1kgの2kgで辛抱することに。しかし相変わらず植え付けていると『ほんとに発芽してくれるんやろか?』と、心配になってもう1kg追加したくなるんだよね・・

夏野菜第一弾は完了。あとは発芽を楽しみに待つとしよう。

2011-03-05

車のあれこれ


なぜか今日は車屋通いの一日となってしまった。
最近我がロードスターのサイドブレーキの効きが悪く馴染みのショップに持ち込むと、半年ほど前に故障して交換した右リアブレーキがサイドブレーキをかけた状態でも手で回ってしまうほどにまったく効いておらず、とりあえず再調整することに。原因ははっきりと分からなかったが、再調整後には問題無く効くようになり『ま、いいか』ということに。サイドブレーキは駐停車時しか使わないのであまり影響はないし、もちろんメインのブレーキはよく効くので走行時の心配も無い。

ロードスターの方はこれで済んだ。そして今度はプレマシー。今朝方妻が『最近プレマシーがやたらギシギシ言うようになった』というから、さっそくこれまた馴染みのマツダ営業マンに連絡して見てもらうことに。確かにずいぶん前からプレマシー下回りからギシギシ音がして気にはなっていた。でも、致命的な欠陥でもないし『まあ、いいだろう』とほかって置いたのだが、日頃そういう車の調子なぞまったく気にしない妻が言うくらいだから『よほどひどくなったのかも?』と修理を考えながらマツダへと向かう。しかし行く道中、でこぼことしたギャップを走っても、今までと同様程度の音しか聞こえて来ない。『なんだぜんぜん大丈夫じゃん』と思いながらも、ここまで来たから念のためマツダに見てもらおうとピットに車を入れ、メカニックに実走行も含めてチェックしてもらうも特に異常なし。ギシギシ音はリンク部から発生しているようで、これは経年劣化でどうしても発生しやすく走行に影響は無いとのことで、まずは要修理の問題箇所が無かっただけでもひと安心。

なぜ妻が『症状がひどくなった』と言ったのか未だ不明だが、様々な原因でそういうこともあるのだろう。とりあえずどちらの車も修理をせずに済んだので『良し』としよう。

2011-03-04

プロローグ


そう仕事で疲れたという感じはしなかったが、娘達を寝かしつけている最中にまたもや僕が真っ先に寝てしまい、妻に起こされたのはしばらく経ってからのこと。しかしおかげさまで短時間だったけど深く眠ることが出来て頭はすっきりとしている。こんな風にいつでもどこでも眠たい時に寝れたなら幸せだろうし、身体にもいいだろうな。

今日も日中寒い一日だったが快晴で陽は降りそそぎ、相変わらず外に出ずっぱりの身なので帰宅後は顔が日に焼けてヒリヒリとする。いつの間にやらずいぶんと顔も黒くなり、特にほお骨の辺りは酒を飲んだあとのように赤く火照っている。
寒さの峠も今日がピークというから明日からは春本番に向け徐々に躍動し始めるのだろうか。ツクシはすでに所々に顔を見せ始め、畑のブロッコリーもいっせいに開花しようと焦っているようだ。
さあ、これから初夏にかけて忙しい日々が始まるぞ。

2011-03-03

桃寒


桃の花も咲くのをためらうような冷気に包まれた一日、終始北風が吹き付け容赦なく体温を奪ってゆく。昨日と同じ装備で作業を続けるも身体は徐々に冷え、カイロをしていてもあまり効果が無い。陽射しに恵まれていたのが唯一の助けで、もし曇っているような天気だったらこの寒さも一層厳しく感じたことだろう。

そんな寒さの中、娘達とお雛さんの前で桃の節句を祝う。ちらし寿司に甘酒、ひなあられにこんぺいとう、三色団子にひし餅といった娘達の好物ばかりが供されて、今日の主役達は大喜び。口一杯にだんごをほおばって『ふがふが』なんか言っておる。お腹いっぱい食べて、ちょっとシュガーハイ気味だった娘達も風呂に入ったらとたんに眠たくなったようで、早々に寝床にはいるとそのままストンと眠ってしまった。

来年の桃の節句は3人娘で迎えることになる。長らく眠って来たひな人形達もここに来て急に忙しくなりびっくりしていることだろう。シアトルにいる親戚達も妻がひな人形を譲り受けたことについては『やっぱりあなたがもらって正解だった』と喜んでくれているようだ。
まだ当分の間おひなさん達には頑張ってもらわねばね。

2011-03-02

寒の戻り


寒気ぶり返して風おおいに冷たし。
こんな日に限って一日中吹きっさらしで立ちんぼだ。ウィンドブレーカーの上にカッパを着てもまだ寒く、久しぶりにカイロを腰に貼付けての作業となる。
ほんわりとした暖かさに慣れ始めた身体には今日の寒さはことさらこたえ、雪こそ降らなかったものの陽が陰れば寒さいよいよ厳しく、指先はかじかみ、花粉症ではないのに鼻水が垂れてしょうがない。おそらくこの寒さが今冬最後の冷え込みになるのだろう。今週末からは再び気温が上がると言うから、いよいよ春本番に向けてあらゆる生命が活動を始める季節の到来だ。

さあ、ジャガイモを植え付けるかね。

2011-03-01

カレンダーをめくった朝のこと


会社の先輩が亡くなった。まだ60歳という今の時代では若過ぎる死だった。
最後に会ったのはいつだったろうか?確か再度入院する前だから1月中旬頃ではなかったかと思う。その後の経過はたまに人づてで聞いてはいたが、よもや亡くなってしまうとは・・。ちょうど昨晩どうも具合がよく無いようだと聞いたばかりで、そして今朝になって逝ってしまわれた。
生命とは分からぬものだ。いままで居た人がある時を境に突然居なくなってしまう。
『死』は常にそばに居て、虎視眈々と入り込む隙を窺っているというのに、普段はそんなことを意識もせずに平々凡々と過ごしている。
人の死を見ると『明日は我が身・・』とその時は思いもするが、その明日になるとそんなことすっかり忘れて大あくびだ。
でもそれでいいんだ。それでいい。どんなことをしても『死』は去りはせず、いつか必ず入り込んで来る。その時までせいぜい生きてやればいいさ。早く亡くなった皆のためにも出来るだけ、のんべんだらりと生きてやればいいのさ・・