2011-07-31

ハマよ


シリア中部の都市ハマでの虐殺が止まらない。
シリア軍はとうとう戦車まで持ち出して民主化デモ参加者に銃撃や砲撃を加え、問答無用に殺戮しているようだ。AFPによると95人が死亡したという。
いったい命とはなんなんだろう?民主化を求めるデモを行っただけで殺されねばならないことなのか?相手は銃を持たぬ市民なのにそれでも戦車で銃撃を加えねばならないのか?
大きな水車がゆったりと回るあの穏やかなハマに、再びこんな災禍が降り掛かろうとは誰が予想できただろう。1982年にも1万人を越える人々が虐殺された。それを再現するかのような今回の出来事に『もういい加減にやめてくれ!』と、怒りとも悲しみともとれぬ気持ちになる。
僕がシリアを訪れたときもどういう国かはほとんど知らず、ただトルコへ陸路で抜けるための通過点だと思っていた。ところが国家の印象とは裏腹に人々は非常に親切で、特に地方都市の居心地はのんびりしていて最高だった。中部ハマに着いたときも始めは3日ほどの滞在予定だったのが2週間になり、シリアビザの有効期限1ヶ月を越えてしまうのが必至となったためこの地でビザをもう1ヶ月延長して、結局このハマだけでひと月も沈没していたのだ。この間地元の人の結婚式に妻と一緒に参加させてもらったり、『イスラム教徒にならないか?』と仲良くなった友人に聖者廟で誘いを受けたのもこの地だった。
とにかく妻ともどもハマにはかなりの思い入れがあって、再び起こった虐殺行為には言葉がない。
シリア軍の兵士よ、立ち止まりハマのシンボルの水車を見よ。
大きく、そしてゆったりと回る水車をしばし眺めれば、自分たちの行為がいかに愚かで空しいことか、よく分かるだろう。

2011-07-30

豪雨


新潟・福島方面の雨は凄かったね。あんな降りがこちらでも続いたら我が家の前の川も氾濫してしまうだろう。実際昭和51年にはこの辺り一帯が浸水し大きな被害が出たという。それから30年以上が経ち、様々な治水工事が行われて来たようだけど限界があるよね。信濃川は危険水位を超え、堤防のかなり上の方まで水が押し寄せていたにもかかわらず大決壊を免れたようで、その堤防の強さには驚嘆する。あんな満水状態でしかもかなりの濁流であるにもかかわらず決壊せぬとはね。家の前にも堤防があり、そして毎日堤防を走って通勤している身としては、そもそも河川敷全体が水に浸かり、そして堤防の高さギリギリまで水が迫るなんて考えるだに恐ろしいことだ。むかし揖斐川が台風の豪雨で大増水したときがあったが、まさに今回の状況と同じで茶色い濁流がゴーゴーと流れ、増水した水位より低くなった堤防の外側では堤体から水が盛んに漏れ出していて『こりゃーやばいな・・』とその場から急いで離れたことをよく憶えている。
今回信濃川水系のあちこちで堤防が決壊したようだが、こればっかりはどこにでも起こり得ることなので、そのための用心をしっかりせねばならぬと、改めて思い知らされた。

2011-07-29

内向


オレは何のために生きているのか?
そんなことを突然考え始めることがよくある。それは歯を磨いているときだったり、車を運転しているときだったりとまったく唐突で、そしていろいろなことを考えてしまう。
生きている理由を見失ったとき、とにかく自分の存在を消してしまいたいと願っていた。そして自分で持っていた過去の写真はすべて燃やしてしまった。その時の思いは未だに影を引いている。
いまは妻も居り、3人の娘達にも恵まれてそんなことを考える暇なぞ全く無い。まさに毎日が怒濤の勢いですっ飛んでゆく。ところが妻と娘達がアメリカに渡った今、僕の心に歪みが生じ、そこから様々な『思い』が止めどなく溢れ出して、しばし考え込んでしまう。
生きることに理由なんて要らない。そんなことは分かっている。日々の生活に不満はあるか?不満が無いことは無いが、ほぼ満足している。自分が幸せだと思うか?間違いなくそう思う。ならばなんで生きることを問うのか?それがよく分からない。

いろいろ書いたが、いつもこんな風に深刻に考えているわけではない。ただあるとき急に、引き込まれるように内向的になるときがあるというだけのこと。これはひょっとして脳内の自然作用なのかも知れないね。まるでコンピューターがハードディスクを時々スキャンしてエラーチェックを行うのと同じような、そんな自分自身を軌道修正するための保守作業。自分をもう一度見つめ直すことでこれからの自分を創ってゆく、そんな一歩を踏み出すために必要な内向なのだろう。

2011-07-28

旱魃


ソマリアの旱魃は相当深刻らしい。
すでに何万という死者が出ており、人々がケニアなどに毎日千人超という規模で流れて来ているとのことだ。その様子はまさに悲惨だ。何百キロという道のりを満足な食べ物もなくさまよい歩いて、ようやくキャンプに着いたという。しかしキャンプに着いても空腹が満たされることはなく、子供達は徐々に免疫力を無くして感染症などに罹り易い状況になっている。
この不幸を招いた原因の一つが武力抗争を繰り返す愚かな連中の存在だ。長期にわたる内戦状態にようやく終止符が打たれたというのに、一部の過激派たちのために国は他の国のように成長の波に乗ることができず人々を苦難の道に追いやっている。旱魃は確かに天災だが、その災厄に見舞われた人々を助けることも出来ないソマリア政府の状況はまさに人災だとも言える。
国が乱れるとき、人々は飢えに苦しむ。だから我々は決して国を乱れさせてはならず、そうならないよう監視し続けねばならぬ。
いったん国が乱れればソマリアのように未来を担う多くの子供達が命を落とすことになるだろう。これは決してよそ事では無い。地震と同じようにいつ何時起きるかも分からないが、地震と違って人の手で止めることが出来るのだ。

ともかく早く飢餓から逃れれるよう、雨が降るよう、祈り続けたい・・

2011-07-27

被爆


気になることがある。
昨今、汚染された稲藁を食べた肉牛から、国の基準値を超える放射能が検出されたことで各方面大変な騒ぎになっているが、昨日は栃木県の業者から出荷された腐葉土からもかなり高濃度の放射能が検出されたという。これらの状況から東北方面ではやはりかなり広範囲に放射能に汚染されている実態が分かって来る。ニュースなどでは原発爆発後からの放射能拡散エリアを特定するシュミレーション画像が何度も流されているが、これを見ても事態は深刻だ。なんせ静岡県産の茶葉からも放射能が検出されているだけに、汚染の実態は想像を遥かに超える規模なのではないか?と恐怖心が湧いて来る。
そこで気になるのが『稲』だ。周知のごとく東北は米の一大生産地だが、その米の汚染についてはまったく触れられていないのではないか?野菜が汚染されたり、外に乾燥のために置いてあった稲藁が放射能に汚染されたのなら、同様にいま生長中の稲も汚染されているのではないか?そうなれば大変なことになる。爆発以来放射能は田んぼに降りそそぎ、それを吸って稲は生長してゆくのだ。当然放射能も稲の中に取り込まれていると考える方がふつうだろう。国は敢えてその部分に触れないようにしているのでは?と考えるのは僕だけだろうか?
今後、米の産地には激震が走ることになりそうだ。

2011-07-26

狂気


そのニュースを聞いたとき誰もがノルウェーで?と思っただろう。それほどこの国の持つイメージとはかけ離れた凄惨さだ。
逮捕された容疑者は言う『イスラムから欧州を救うため』だと。ノルウェー政府の進める寛容な移民受け入れ政策に反発しての行動らしいが、彼が実際に殺戮したのは自国民の若者達だった。なぜその行動が『イスラムから救うため』なのかまったく理解に苦しむ。むしろイスラムと闘うというのならサウジのメッカあたりに侵入して事を起こす方が理解し易い。

得てしてこういう事を起こす連中は『気が狂っている』と言われるが、もちろん気なんか狂っちゃいない。彼らは大真面目に物事を判断し、行動しているだけだ。ただしその行動や思想は非常に見識が浅く乱暴だ。つまりは彼らが高尚と思っているその思想も高らかに理想は謳っているものの実に狭義なもので、とどのつまりは自分達の都合の良いようにすべし!というただそれだけのこと。その考えに則って邪魔者は消せという結果が76人もの死者なのだ・・・

2011-07-25

臭いものは埋めてしまえ!


いやはやまったく驚きだね。
中国の歴史書を読むと群雄割拠の時代、巨大な溝を掘ってそこに何千何万という人々を押し込め、生き埋めにしたという記録がいくつも見られるが、まさに今回の列車埋葬事件はそれを彷彿とさせる出来事だ。まあ、彼らの持つDNAには始めからそういうスイッチがあるのだから、これがONになったからと言ってさほど驚くべきことではないのかも知れないが、しかし世界中が注目する中で臆面もなく列車を破壊し、埋めてしまうその厚顔無恥さにはやはり驚きを禁じ得ない。さらにはその行為をあらゆる屁理屈を並べて正当化しようとする所に、この国の未来像が垣間見えると言えば大げさだろうか?
とにかく彼らの行動はあらゆる意味で『想定外』であり、現行の世界標準では決して推し量れないものだ。

僕は中国が好きだ。旅をしていると様々なショッキングなことがあるが、他のどの国とも同じで親切な人は居るし、困っていると助けてくれる『お助けマン』も健在だ。屋台のおばちゃんは今思うと『下水油』を使っていたかも知れないが巧みな手さばきでチャチャッと料理して、熱々のひと皿を出してくれるし、列車に乗り合わせたやたら元気な家族連れは、僕や妻が啜る貧相なカップ麺を見て『こっちに来てこれを喰うのだ!』と、どこにそんなに持っていたんだ?とびっくりするような食料を出して来て盛大に振る舞ってくれた。
そう、あらゆる意味で中国は巨大なのだ。それは旅を続けているとひしひしと感じるもので、それは東南アジアに居て感じるような『血が騒ぐ』といった感覚とはまるで違う、圧倒されるような感じだ。一方で同じく大陸国家であるアメリカで感じるものはとてもオープンな感じであり、どこへ行ってもいいし、どこに住んでもいいようなそんなしがらみを感じさせない自由さで、どこまでも楽天的だ。それに対し中国は広い国土にも関わらずどこか土着色の濃い、そのしがらみから抜けきれぬような窮屈さを人々は持っていて、現実問題として政府が人民を著しく制約している。ううむ、何の話か分からなくなったぞ・・

とにかく中国のとる行動をいちいち自分たちの感覚に当てはめて評価するなんてことはまったく無駄なことだ。結果は始めから出ているのさ。

2011-07-24

停波


いよいよアナログ放送が終了だ。まったく視聴者を無視したやりたい放題の暴挙だ。テレビ局や総務省は地デジに移行することによって得られる利点を何度も何度も繰り返すが、いーか、たかがテレビだ。大多数の人はテレビなんて見れりゃ良いって思ってるんじゃないかね。新しいテレビに買い替えたり、アンテナを設置したりと地デジ化のための出費はかなりの額になるだろう。その負担をしてまで地デジに移行したいという人は実際どれくらいだったんだろうね。

昼過ぎ、外で雑用をしていると誰かが訪ねて来た。『はて?」と応対すると、ケーブルテレビ局の人間で停波後の受信状態はどうか?と聞いてまわっているらしい。我が家はすでにケーブルテレビ局のアンテナ線を切ってあるので、その旨を伝えてお引き取り願ったが。担当者がいうには何人かの人が未だにアナログしか対応しておらず困っていたそうだ。そう、そこで登場するのがケーブルテレビで、さすがに計算しているね。困っているなら助けてあげましょう、てな算段だ。でもいかにも露骨すぎる対応で、しかも停波直後にしか来ないあたりははなっから顧客のことより利益優先という考え方なんだろう。まったくなっちゃいないね。

2011-07-23

『おきて』と『さだめ』


数日前のことだった。
堤防から河川敷に降りようとすると、子猫の『みいみい』という鳴き声が橋の方から聞こえて来た。近付いてゆくと橋の土台のコンクリートの上をまだ目も開いてない子猫が這いずり回っていた。『おまえこんな所で何しとるん』と辺りを見回すも親猫の姿は見えず、『誰かが捨てたのだろうか?』と思うも状況からは考えにくい。さあ、どうしようかと思案していると、別の子猫の鳴き声が聞こえて来た。声はコンクリート製の橋の構造体にある間口50cm四方の穴の中から聞こえ、覗いてみると奥行き1mほどの洞穴状の中に茶色の子猫が2匹居た。それで分かった。はじめの子猫はこの穴から落ちて這い回っていたのだ。そこで子猫を穴に戻し、しばらく様子を見ることにした。
それから毎朝、毎夕欠かさず様子を見ていたが、母猫の姿を一度も目にしたことはなかった。『母猫が腹を空かせているかも?』と、キャットフードを買って来て置いてやっても食べた様子はなかった。ただ、我が家の敷地内には毎晩猫が来ていたので、『それが母猫かも?』とこちらでも餌を出して、こちらは毎晩きれいに無くなっていた。
なにぶん薄暗い穴の中に居る子猫達の様子だけではちゃんと育児されているのかどうかよく分からない。変に人間が手を出しても余計母猫が警戒して寄り付かなくなる恐れもあったので細心の注意を払っていたが、やはり育児放棄されたような気配がする。そこでアメリカに居る妻と相談して、取りあえず僕が面倒を見ることに決めた。
そして今朝、子猫を連れて帰ろうと穴を覗くと姿がない。『あれ?母猫が子猫達を連れてどこかへ移動したのかな?』とはじめは考えたが、次の瞬間それはかき消されてしまった・・ふと足下を見ると点々と小さな血痕がある。そして薄暗い辺りをよく凝視すると血に混じって肉片のようなものも僅かに残されていた。『!!!』衝撃だった・・
その恐ろしい結末を僕は受け入れがたかった。しかし事実は事実だ。おそらく子猫達は何者かに襲われ、喰われてしまったのだろう。それが母猫なのか、野良犬なのか分からない。ここにはよくヌートリアが出没するのでヤツらかもしれないが、子猫を襲うだろうか?そして夕方、Jackie散歩をしていたとき堤防でイタチの姿を見て、『たぶんヤツだな・・』と答えが出た。

それが自然界の『おきて』とはいえ、残酷なものだ。とても受け入れがたいやり切れなさが残る。
僕は後悔している。もっと早く子猫達を保護していれば助かったのだ。しかしそれは今となっては『タラレバ論』に過ぎない。
僕は自分の判断ミスを受け入れる。子猫達の死も受け入れる。
今でも這いずり回っていた子猫を拾い上げた時の温もりと柔らかな感触が右手に残っている。なぜ助けられなかったのか?もっとうまい方法はなかったのか?その悔いと自責の念を僕はこれからずっと背負っていかねばならぬ。

2011-07-22

涼夜


今晩も室温24℃と涼しい夜を迎えている。これくらいだと扇風機も要らず、むしろタオルケットを腹にかけて寝ないと肌寒いほど。でも涼しかったおかげで無意識のうちに目覚ましを止めてしまうほどぐっすり眠れたよ。こんな涼しい日が続けば良いのだけど、やっぱりそうはいかないらしいね。予報では週末からぐんぐん気温が上がって猛暑日が続くという。暑い夏は好きだけど、暑過ぎる夏は困ったものだ。

さあて、明日はキュウリの第3世代を植え付けるとするか。そして黒豆もね。それらを植え付け終わったらしばらくは新たな作付けがないな、ようやく一息が付ける。ああ、そうだ。ローズマリーが枯れてしまったのでどこかで苗か種を入手せねば・・なんだかんだ言って今週末もやることが結構あるぞ。

2011-07-21

土用


窓を全開にしてロードスターを走らせる。涼やかな空気とともにうなぎを焼く匂いがどこからともなく漂って来て、僕の胃袋を絡めとってゆく。そうだ、今日は土用の丑の日だ。うなぎの焼ける香ばしい匂いはその後も断続的に続き、なんだか是が非でもうなぎを食べたくなって来た。その思いが通じたのか、母親から電話があり『うなぎを買ったから今から持ってくで』とのこと。やったー!なんかそんな予感がしたんで期待してたけど、現実になってくれました。毎年土用の丑の日は家にポツンと僕一人でいるので、そんな僕を気遣ってわざわざ買って来てくれたのだろう。しばらくいろいろ話したあと、我が畑で穫れた野菜を大量に持って帰ってもらい、これでようやくウチの冷蔵庫の野菜ルームにも空きスペースを作ることが出来た。でもそれもまたすぐに一杯になってしまうだろうよ。それくらい野菜の出来るペースが凄いのさ。

とにかく美味いうなぎと畑で穫れた新鮮な野菜を腹一杯食べて、この暑い夏を疲れ知らずで乗り切ってやるつもりだ。
ウナギを持って来てくれた母親に、ごちそうさま。そして、ありがとう。


ただいま室温21℃、急に涼しくなって来たね。快適に寝れそうだ。

2011-07-20

台風一過


心配していた台風の被害もこの周辺では大したことなく、まずはひと安心。夜中に風雨が強まったものの家が軋むようなレベルには遠く及ばず、冬の伊吹おろしを少し強めた程度。台風が思ったよりも南で進行方向を変えてくれたことが幸いした。もし、この強力な台風がまともに上陸していたら、甚大な被害が出たことだろう。その点今回は付いていたと言える。

今日は台風の影響で風雨が強まるとのことだったので会社には出ずに自宅で作業を進めたが、すでに朝の時点でピークを越えていたようだ。それからはみるみる天候が回復し、夕方にはすっきりとした青空を朱に染めながらギラつく太陽がゆっくりと伊吹連山に沈んで行った。
日暮れ前、畑の状況を見回ると被害は昨日とほとんど同じで、トウモロコシが軒並み倒れていたのとトマト3本がポッキリと折れてしまったことぐらい。ただ倒れたトウモロコシをよく見ると収穫間近だったものが数本何者かに食い荒らされていた。おそらくはカラスだろう。ヤツらめ一番いいものを半分以上食い散らかしてやりたい放題だ。今度見つけたら石でも投げつけてやろうぞ!覚悟せよ。

2011-07-19

雨後


帰宅すると雨は上がっていた。
このチャンスを逃すまいぞ!と、Jackieをつれて堤防に駆け上がる。そして川の様子を見て驚いた。かなり水位が上昇し河川敷まで浸水していたからだ。『そうか、こっちはそんなに降ったんだ・・』
場所によってずいぶん降雨量に差があるようだ。仕事場では土砂降りになった感じはしなかったが、こっちは相当ひどかったんだろう、どうりで庭中が水浸しになっているわけだよ。

町内を一回りしてから畑の様子を見に行くと、案の定大きく生長したトマトが頭を垂れている。近付いて詳しく確認すると、ちょうど僕の胸の高さ辺りでポッキリと折れてしまっていた。それが3本ほど。これから台風本体が接近して風雨が強まると言うのに、すでに3本も折れてしまったんじゃー先が思いやられる。なんとか風雨に耐えてうまいトマトをたわわに実らせて欲しいものだ。

2011-07-18

台風接近


大きな台風だね。しかもなんと動きの遅いことか。この辺りでも午後からだいぶ風が強くなって来たが、それでも最接近の予報は明後日夕方となっている。
台風の接近に備えるため今日は一日中外に居て様々なものの養生を行った。まずは僕の背丈を遥かに超えたトマトから。元気いっぱいに枝を伸ばしかなり繁茂しているから風当たりは相当強く、おそらく台風の強風には耐えられないためトマトを支える支柱にさらにつっかい棒を当て取りあえずの備えとした。その他にも備えたい所はたくさんあるが、いかんせん数が多過ぎてとても対処できない。こればかりは天まかせと言うことにして台風の通過を見守るしか無い。
雨は欲しいが、頼む逸れてくれ。

2011-07-17

第二回冷麺大会


昨日のブログで妻らのフライトのことを書いたが、その妻からすかさず飛んだのはコンチネンタル航空ではなくユナイテッド航空だ!とのコメントが書き込まれた。ううむ、妻が僕のブログをチェックしていたとは油断ならないぞ。これからはヘタなことは書けんな・・

さて、昨晩から我が家にご逗留中のPANALI氏とガリガリ君を齧りながらだらだらと一日を過ごし、そして第二回目の盛岡冷麺大会を開催する。今日も日中は35℃に迫る猛暑でとても外に出る気にはならず、唯一の外出はガリガリ君と盛岡冷麺の買い出しに出たくらい。ほんとに何をするのも嫌気がさすような暑さだ。それでもPANALI氏特製の盛岡冷麺を啜りながらあれやこれや語らえば、脳も活性化して愉快この上ない。今回残念ながら参加できなかった鉄人KT氏も加わればその愉快さも倍増したことだろう。まあ、彼との再会は次回の楽しみとしてとっておくことにして、またぞろガリガリ君を齧る。やっぱ夏はこれだよな。

まだ暑い盛りにPANALI氏は自宅の台風養生をするために長途の帰路に旅立たれた。今度の台風は超大型でかなり強力だという。我が家にとってはそろそろ雨が欲しいので大雨の予報はありがたいが、もし台風がこの地方に接近して来ると強風で畑の作物に影響が出るのは必至だ。ここは我がままだが雨だけにしてほしいな。所詮そんなこと言ったって無駄だとは分かっちゃいるけどね。

2011-07-16

Bon Odori


妻より無事到着したのとメールがあった。今回はデルタ航空が成田ーシアトル直行便を廃止したのに伴い他の航空会社を探し、値段でいったら大韓航空機利用の中部国際ー仁川(韓国)ーシアトルという便が安かったが、いかんせん乗り換え時間に余裕が無くてとても子供三人連れではリスクが大き過ぎ、それより若干高めだが全日空・コンチネンタル航空のコードシェア便を選択した。これはデルタと同じで成田経由のシアトル行きで成田での乗り継ぎ時間も3時間あってゆっくり出来る。そして実際に乗った感想を妻がメールに書いていたが、全日空は『great!』だったそうだ。何より添乗員や 成田での乗り換え時の全日空のスタッフによるサポートがしっかりしていて、とても安心できたそうな。そして成田ーシアトル間のコンチネンタルは?というと、デルタよりはマシという程度らしい。これは子供達を連れて何度となく日本ーアメリカ間を往復している妻の評価だから間違いないだろう。とにかくデルタの代わりになる航空便が見つかってよかった。

着いて早々だが週末にシアトルで開かれる『盆踊り祭り』に皆で参加するらしい。この祭りは日系の人達が長年催して来た祭りだが、近年は日系の人々以外の参加者の方が多くなって面白いことになっているらしい。我が娘達も毎年浴衣を着て参加しているが、日系ではない人々にとってはそれがとてもかわいく見えるようで、とても羨ましがられているようだ。
それにしても日本での盆踊りには参加できないが、アメリカで参加するとはこれもまた奇妙なことだね。

行っちまったよ


飛行機はぐんぐん高度を上げながら、酷暑の青空の中へと吸い込まれて行った。
皆が帰国するのは盆過ぎの予定だ。その頃にはこの暑さがいくらか和らいでいるだろうか・・そんなことないだろうな。今夏のシアトルは異常低温が続き肌寒いくらいだと言う。妻の従姉妹も家庭菜園をしているが、あまりに気温が低くて夏野菜がさっぱりダメらしい。おそらくはこの辺りでもGW前後に気温が低かったのと同様の状況なのだろう。それにしてももう7月も半ばだというのにシアトルは5月の気候なのだね。いまちょっと天気予報を調べてみたら最高気温が20℃ほどしかない。こちらは35℃を越えているのでまったく羨ましい限りだが、確かに気温が25℃を下回るようだとキュウリなどは育たない。トマトにとってもよろしくないだろう。涼しいことはそれはそれでいいことだが、夏野菜が育たないのであれば結構悲しいな。
今年は涼し過ぎてビーチに行けないと言ってたけど、そりゃ20℃じゃ寒いわな。その涼しさこちらにも少しわけて欲しいよ。

まずは無事の到着を祈るのみ。

2011-07-14

離日前夜


仕事から帰ってくると娘達が外で僕を迎えてくれた。いつも大体同じ時間に帰宅するので、娘達はそれに合わせて外に出て自転車に乗ったり、駐車場にチョークで絵を描いたりしながら待ってくれているようだ。やっぱりうれしいよ、『Daddy、おかえり!』と言って迎えてくれるとね。
そんな娘達も明日、日本を離れる。
少し朱色がかった空を見上げると、その遥か高みを飛行機が白く輝きながら西へ向かっている。娘達に『見て、あの飛行機雲。あんたらも明日ああやってアメリカに飛んで行くんだよ』と言うと、『ふ〜ん』と言いながら空をじっと見上げていた。長く伸びる新鮮な飛行機雲を見つめながら、『また明日からひとりだな・・』と少し寂しさを感じる。
妻達が居なくなったら居なくなったで、やらねばならぬことが恐ろしいほどたくさんあるのだ。その一つずつをゆっくりと確実に潰して行こうと思っている。

2011-07-13

革命前夜?


まるで今の日本の状況は革命前夜の様相を呈している。ただし結果的に虚無感が漂うその場だけのはかない革命だがね・・
政治家に始まり、経済界の人間や国内メディア、その他諸々の連中が口を揃えて言うのは『菅さん、震災復興のため、この国のために早く辞任しなさい』ということばかり。僕は菅を擁護するつもりは無いが、どうも最近のニュースなどを見ているといろんな方面から世論誘導を行っているように感じられて納得いかない所がある。その最たるものが上にも書いたように、まるで菅が辞めればすべてがうまく行くかのごとくの言い回しで、これはほぼすべてのメディアが同調して何度も何度も流している。
じゃあ聞くが、菅が辞めれば本当に物事がすんなりいくんかい?答えは否だ。
首相が誰になってもこの国は変わらないよ。やっとこさ独裁者を打倒しても劇的な変化は見られない。あるのは期待が外れた民衆の脱力感と怒りだけだ。
メディアに踊らされてはいけない。判断するのは自分なんだ。

2011-07-12

ええかげんにせいよNHK


NHK受信料制度等専門調査会が提出した報告書では、インターネット経由で配信されたNHK番組の視聴に関しても受信料の徴収が望ましいとのことだが、ちょっとまて、それはすなわちインターネット環境がある世帯には問答無用で受信料徴収を行うということではないのか?
テレビなどの受像機があればNHKを視聴していなくても受信料を払わねばならない従来の考え方とまったく同じで、その強圧的なやり方には受信料をちゃんと納めている僕から見ても怒りを感じる。受信料の不払いなどの影響で収入が落ち込んでいることもあろうが、だからと言ってまるで税金を徴収するようなNHKのやり方そのものに怒りや疑問を感じて反発し、不払いに転向する人も少なからず居るだろう。もし僕がNHKをまったく見ないのにテレビがあることやインターネット環境を持っていることで受信料を払えと言われたなら、当然拒否するだろう。
受信料徴収に関する決めごとはNHKやそれを監督する総務省が勝手に決めたことであり、一切妥協する必要は無い。恩恵を受けるものがその対価を払うということを無視してまで受信料を徴収したいというのなら、いっそのこと受信税というものにしてから徴収すればいいではないか。ただし、国民の判断を仰いでからのことだがね。
なんでも中途半端にやろうとするから中途半端なことしかできないのさ。
いまのNHKの番組に、僕が支払っている受信料分の価値があるか?と言えば、無いな。それで新たに徴収だけしようなんて、まるで分かっちゃいねーよヤツらは。

2011-07-11

亀と老人


昨日の夕方、あまりの暑さで萎れかかっていた鉢植えの花々に水を遣っていると、近所に住むご老人が夕涼みの散歩に出かけるのか、軽やかな身なりで通りかかった。『こんにちは、暑さもだいぶマシになりましたね』と声を掛けると『ああ、そうだね』とニコニコしながら通り過ぎようとして、『そういえば・・』と振り返り『この間の雨の日、ここの駐車場いた亀はお宅の飼っている亀かね?』と聞いて来た。一瞬何のことか分からず『亀って?』と聞き返すと、『いや、大きな亀がこの駐車場にいて雨に打たれていたんだけど、道路の方に歩き始めたんで轢かれないようにお宅の方に戻しておいたんだよ。雨が降ってたから水浴びさせるために外に出してたのかな?と思ってね』と言う。
そこでようやく話が分かった。
彼が動かしたという亀はもちろん我が家の飼い亀ではない。この季節、甲羅が20cm以上もある大亀が産卵のために川から這い上がって来て、堤防周辺や我が畑など所かまわず産卵してゆく。つい昨日もカボチャ畑の畝を30cm近い大物がゆっくりと歩いていたばかりだ。亀のほとんどはクサガメで、孵化した幼体を見かけたことはあるものの産卵場はネズミやモグラに荒らされて、孵化するまで生き残るのはほんの一握りでしかない。そんな厳しい生き残り競争を経た者達が再び陸へと戻って来ているのだ。
僕達にとっては大亀がそこら辺をもそもそ動いているのは、もはや珍しいことではない。でもご老人には違って見えたのだね。なんかそのギャップが面白くて愉快だった。
そうかあ、亀に水浴びか・・なんか情緒があっていいね。

2011-07-10

スイカと花火


今週金曜に毎年恒例の避暑に出かけるべく日本を出国する娘達のために、母が大きなスイカと花火を持って訪ねて来てくれた。今回は航空券の都合で盆過ぎの帰国となるため、実家での盆の集まりには参加できない。そこで母が気をきかしてスイカが好物の娘達のために用意してくれたようだ。
冷蔵庫に入りきらないため流水で冷やしたスイカに包丁を入れる。すると少し刃を入れただけでバシッ!という鮮度のよい音を立ててスイカが割れ、あの独特の水っぽさのある甘い香りが辺りに漂う。ざっくりと大きめに切ったスイカにパキスタン産の岩塩を砕いてふりかけかぶりつく。いや〜美味いねー。こんな暑い時はやっぱりガリガリ君とスイカだよ。
腹一杯スイカを堪能したあとは今季初の花火大会を開催。いくぶん涼しさを感じる風が吹く中、手持ち花火をして夏気分に浸る。
夏休みのほとんどをアメリカで過ごすため、夏らしいことをしてあげられないかも知れない。それでも今日のスイカと花火を娘達はきゃあきゃあいいながら楽しんでいた。
スイカも花火もまだ半分残っている。出国までにもう一度楽しめるというわけだ。
母の心遣いに、ありがとう。

2011-07-09

一帆風順


彼女は涙を流して娘達を抱きしめていた。
彼女が日本に来たのは10年前。その時はまだ22歳で日本語はまったく話せず、こちらの生活に慣れるのにも苦労をしていた。当時妻は英会話学校のネイティブスピーカーを束ねるマネージャーをしていて、ワーキングホリデービザなどで来日した右も左も分からぬ若者達の面倒をあれやこれやと見ていたものだ。そうか、あれからもう10年も経ってしまったか・・。多くの若者が次々と帰国する中、彼女は日本が大好きで留まり続け、いろいろ会社をかわりながらも英会話講師として子供達にすばらしい授業を続け、みんなから慕われていた。何より子供達に英語を教えるのが好きで、余暇のほとんどは授業で使う小物作りなどに費やしていた。いまも妻の英語クラスを助けてくれていて、本当に頼りになる尊敬すべき人なのだ。
その彼女が帰国を決断したのは半年ほど前のこと。日本は大好きで離れたくはないけれど、母国カナダには病身の父も居り、且つこのまま日本で英会話講師として生活していった場合、将来的に孤独になってしまう不安感もあって、新しく何かをやるなら今しかないと、かなり思いつめて決めたようだ。もし日本で誰かいい人が見つかれば定住という道を選んだのかもしれないが、良い縁にめぐりあうことはなかったようだ。こればかりは残念としか言いようがない。

長女や次女が赤ちゃんの頃から一緒にあそんでくれ、まるで叔母さんのような存在だった。別れ際彼女は涙を流して娘達をみつめ『わたしが日本に来た時は影もかたちも無かったのに、こんなに大きくなって・・』と言葉を詰まらせていた。
今はこれで『サヨナラ』だけど、彼女の郷はバンクーバーだ、シアトルからはそう遠くない。『日本で会えなくても向こうで会える』という彼女の言葉に、少し胸のつまりが和らいだ気がした。

彼女の新たな道が明るきものであることを願ってやまない。

僕達はあなたのことを決して忘れない。英語を教えてもらった多くの子供達もまたそうだろう。
長い間お疲れ様でした。そして心よりありがとう。

2011-07-08

梅雨明け


正確には『梅雨が明けたと思われる』ということだが、そういう言い回しは好きじゃない。そんなめめっちい言い草をするなっての!『梅雨が明けた』と宣言し、どうも違ったようなら『まだだったみたい』と、すっとぼける方がよっぽどかわいらしい。

昨日と比べ、ぐんと気温が上がった今日、夕涼みもかねてロードスターをオープンにして走り抜ける。やっぱり屋根が無いと中に熱がこもらないので涼しくて快適だ。音楽を大音量で流しながら西へ西へとひた走る。すると前方の空の様子がどうも怪しくなって来た。遠くのほうでは雨が降っているようだ。しかし一方雲間からは陽がのぞいているし『まだ大丈夫だろう』との読みでそのまま走っていると、突如大粒の雫が落ちて来た。とうとう降って来ちゃったよ。その結構な降りもなんのその、ワイパーをかけながらオープンで走るこの滑稽さがまたよろしい。

さあていよいよ夏本番、明日も35℃を越え暑くなりそうだね。

2011-07-07

しのごのぬかすな!


はあ〜、今日もまたストレステストの一件でやいのやいのやってござる。『唐突』だの『もっと早く言ってくれればよかった』だのと、まるでガキの言いぐさで言いたい放題だから辟易する。それぞれの立場の人間がそれぞれの意見を述べているが、そのほとんどは『ハシゴを外された』などといったその人個人のメンツに関わることで、国民からすればそんなことは興味も無いしどうでもいいことだ。それをさぞ自分がわがまま勝手な首相指示の犠牲者だと言わんばかりの物言いには『おめえ、なんか勘違いしてんじゃねーのか?』と胸ぐら掴みたくなる。もう一度言う。玄海町の町長や、佐賀県の古川知事、海江田経産大臣らのメンツが潰れようが国民は知ったこっちゃないんだよ。最も重要なのはストレステストを行うことが国民にとって良いことなのか?と言うことだ。どんなテストがどんな方法で為されるのか詳細は明らかではないが、少なくとも現状に於いてはやらぬよりはやった方が国民にとって歓迎されることであろう。その核心を理解せずに言ったの言わんだのや、そこに至る過程についてとやかく言うことはいかにも役人的でヘドが出る。民間では昨日の決定が今日になって覆されることなぞ日常茶飯事で、みなその激しいうねりの中でもがいているんだ。その空気を残念ながら役人どもは読むことをできず、我が身のことばかりを考えている。
ほんともううんざりだね。

2011-07-06

ストレステスト


今晩も涼やかな夜だ。先ほどは雨が一時強く降ったが、今は小康状態。予報では明日いっぱいは雨という。

菅さんがすべての原発のストレステスト実施を言い出してまたぞろ騒ぎが勃発したが、原発のストレステストを実施する前にまずはすべての国会議員のストレステストを敢行せよ!と言いたい。このテストに合格しなかったものは問答無用で議員をやめさせればよい。
こんな会話が不毛に感じるほど政治は乱れ、人々の気持ちは離れてしまっている・・ヤツらは一体いつまで馬鹿さ加減を続けるのだろうか?

2011-07-05

夜風


涼やかな風が吹き渡り、娘達の寝息もスースーと心地良さそうだ。室温は26℃。それでもこの風があるなら暑くは感じない。そうだ、この風を待っていたんだ。僕は閉所恐怖症ではないが風の全く無い空間、空気の淀んだ空間に身を置かれることに強烈なストレスを感じ、気分が悪くなる。車に乗る時も極力窓を開けて乗る。最近の窓を開けれないバスや電車は苦手だし、飛行機は完璧に密封された空間なので我が友人PANALI氏とは違った意味で窓を割りたくなる。でも家族で僕以外にそんなことを気にする人はいないんだよね・・

帰宅途中に見上げた空には雲が立ち、梅雨明けを思わせる雰囲気なんだがまだ違うみたいだね。明日もかなり気温が上がるという。それでも今日のような乾いた風が吹いてくれたら、ずいぶんと過ごし易いんじゃないかな。そう願いたい。

2011-07-04

毒虫達よ


昨日アシナガバチに刺された所は、痛くはないものの今日になって腫れがひどくなり、まるで赤ちゃんの手のようにパンパンだ。しかしさ、なんでわざわざ毒まで注入するんだろうね。外敵を威嚇するだけなら刺すだけで十分じゃんか。刺されるだけで結構痛かったし、相手は群れでいるのだからそれ以上近付こうなんて思わないだろうに。そこへダメ押しの毒素注入とは腹立つね。おかげでいまだに左手甲は熱を持って赤黒い。

話題が毒虫になったから更に別の困り者について。最近庭の植木にオコゼ虫が大量発生しているのだ。モミジにナンジャモンジャ、ナンキンハゼにナツツバキというように、次から次へと発見される。葉をよく観察すればオコゼ虫が発生しているところがよく分かる。葉が繊維質だけ残してレース状になっていたら要注意だ。必ずその近くにオコゼ虫が群れで隠れているはずだ。それら隠れているオコゼ虫を探し出してまだ小さいうちに根絶しておかないと大変なことになる。コイツに刺されてもかなりシカシカとして痛痒いので迂闊に木に触れることはできない。そしてコイツらもハチと同じくなんで強力な毒まで注入するんだろう。痛みだけで十分だ。

とにかくこの季節、刺す輩がやたらと多い。少なくともスズメバチにだけはやられぬよう、細心の注意を払うつもりだ。

2011-07-03

ハチ禍


休日というのに朝6時に起きてJackieの散歩をし、またぞろ草刈機をぶん回す。もちろんまだ朝早いゆえ迷惑にならぬよう河川敷から刈り始め、徐々に堤防に迫ってゆくというやり方だ。やり始めは幾分涼しくも感じたが、7時を越えるともうダメだ。全身ずぶ濡れになるくらい大汗をかきながら作業を続け、『もうあかん・・』『いや、まだだ』などと自身との葛藤を続けること3時間。やっと予定面積を刈り終えて朝飯にありつけることに。これまさに修行。熱中症や脱水症状なぞ当たり前よ。人のことなら心配するが、我が身のことならこんな程度でへこたれていては話にならん。もっと厳しく自分を責める。この点、暑い夏は自分を鍛えるよいチャンスだ。

朝っぱらからあまりに厳しく自分を責めたので朝食後は一気に腑抜けとなってぐにゃぐにゃに。そのまんま赤ちゃんと一緒に2時間も昼寝をしてしまったよ。
午後からは今期も大量の恵みを与えてくれた枇杷の木の剪定から始まり、ついでに枯れ枝の堆積を片付けようとガサガサと手を突っ込んだその瞬間、『いてっ!』と左手甲に痛みが走り、目の前で何かがヴァンと湧いて出た。すぐさま我がDNAが覚醒し、光速で横っ飛びすること数メートル。案の定枯れ枝の周りには大型のアシナガバチが無数に飛び回り警戒行動をとっている。いや〜分からんかったね。思いっきり刺されたよ。左手がジンジンする。
しかし、やっぱりそんなことでへこたれるわけにはいかんのだよ。なんかむかっ腹が立って来て、まず腰に付けていた蚊取り線香をアシナガバチの巣の近くに放り投げ、近くに落ちていたバットくらいの枯れ枝を7cmほどの大きさの巣をめがけて半狂乱のごとく、これでもか!これでもか!と振り下ろす。当然周辺にいたアシナガバチが、このこん棒振り回すキチガイ原人めがけていっせいに襲いかかったのは言うまでも無いこと。そのうちの一匹の特攻をついに避けきれず左頬に一撃を喰らってしまった。それでも巣を壊滅させることに成功し、攻め寄せる残党はことごとく討ち取ってやったり。刺された頬も毒の注入が成功しなかったようで、少しの痛みがあるだけでほとんど腫れることなく、腫れ上がっている左手甲とは対照的だ。幸い僕はハチ刺されに対するアレルギーが無いので、刺されてもどうったことない。
でも油断は禁物だね。よもや・・というところに巣を掛けているからね。


娘達を寝かせるため9時前に寝室に入ったが、なんと自分が真っ先に寝てしまい気がついたら12時近くになっていた。
今朝も朝食前に草刈機で1時間半くらい堤防の草を薙ぎ払って、『もうこれ以上やったら倒れてまう』くらい消耗してから飯を喰い恒例の買い物に出る。暑くなると欲しくなるのが『ガリガリ君』で、いくつかのフレーバーを買い込み暑さへの備えとする。
暑い盛りをやり過ごしたあとは再び畑に出てトマトの手入れをしたり、三尺ささげを絡ませる棚を作ったりと雑多なことで忙しい。でも本格的に夏野菜収穫の季節が到来し、食卓はトマト・キュウリ・ピーマンにニンジン、そしてナスといった彩りに溢れ、今晩作った初ナスの麻婆茄子は最高の美味さやったな。
これすべて天地の恵み。ありがたく頂き、明日の糧とすべし。

2011-07-01

機会


節電対策のため今日から出勤日を変更した企業・工場が我が通勤コース上にも多かったようで、今朝はいつもと同じ時刻に家を出たにもかかわらず10分以上も早く会社に着くことが出来た。それくらい道がすいていたということだ。稼働日の変更のみならず愚かな政府が導入しなかったサマータイム制をもっと積極的に取り入れて、1時間と言わず2時間時計の針を進めればいいと思う。特にこれだけ暑い日が続くと朝7時にはすでに30℃を超え、9時頃と言ったらほぼ昼間の気温と変わらない。そんな環境下で作業すれば熱中症にかかる可能性が高まるのは当然で、仕事の効率もかなり低下する。2時間も・・と、思うかも知れないが、毎朝5時頃に起きている者としては早起きは気持ちいいのでぜひお勧めしたい。熱帯夜であっても朝方は体感的に爽やかに感じられ、何より精神的に清々しい。
ことは単純で、ただ生き物本来のリズムに近づけるだけなのだ。日が昇れば起き、沈めば眠る。こんなシンプルなことがいつの頃からか難しくなってしまった。そう言う自分も完璧に電気のあることを前提としたリズムで毎日を送ってしまっている。
今回の震災は実に様々なことを人々に投げかけている。その一つ一つを改めて考え直すと、この先我々がどうあるべきか?がおのずと見えて来る。