2015-01-31

その後・・














薬の影響か昨夜はほぼ1時間ごとに目が覚め、なんかわけのわからん夢もたくさん見た。とてもじゃないがぐっすり眠れたというふうではなかったな。
ただ、朝には熱は完全に下がり平熱で、体の節々、特に腰あたりが痛いものの昨日と比べると随分楽になった。妻の場合は二日目でも熱があり一日中寝込んでいたので、それを思うとやっぱりインフルエンザじゃなかったのか、それとも基礎体力の差で自分の方が軽い症状で治まっているのか・・結局のところよう分からん。
ま、症状が軽いにこしたことはないので、ニワトリ小屋を清掃したり、Jackieをブラッシングしたりと軽作業に限定してお日様の光をたっぷりと浴びときました。
今日は風が強く時折雪が降るような天気だけど、それでも日差しは徐々に強さを増してきているね。ありがたや。

2015-01-30

インフルエンザなのか?














朝から軽い寒気に襲われていたが、それが時間を追うごとに深く、頻繁になってきた。
昼頃になると顔がほてり、目が潤むなど発熱の気配が濃くなってきたので『おそらくインフルエンザを発症するだろう』と言い残し帰宅。
帰宅してすぐに熱を計ると38度3分。病院は16時半からなのでそのまま体のダルさと寒気に耐えながら時を過ごし、いよいよ病院へ。
医者には妻と娘がインフルエンザだと告げると『それじゃあ、検査しなくてもいいくらいだけど、念のためしときますか』ということで鼻の奥からサンプルを取り、待ち合いに戻って10分待機。
結果を聞きに行くと医者が『う〜ん』と唸っている。『状況を考えるとインフルエンザで間違い無いんだけど、検査は陰性なんだよね〜』ときた。ならばと『先生、もしインフルエンザじゃなかったとしてリレンザ飲んだら、なんか悪いの?』と聞けば、『別に悪いことはないし、予防にもなるのでとりあえず出しときますか?』というので『じゃよろしく』ってことでリレンザ処方され速攻で飲んどいた。
夜になって熱も上昇すると思いきや、逆に下がり始めていたので本当にインフルエンザじゃなかったのかも?
まあ、よう分からんのでインフルエンザであると仮定して物事にあたることにしよう。

2015-01-29

恐れていたことが・・














妻の症状はだいぶ良くなりホッとしていたところ、今度は三女に発熱の症状が出てきた。
これは・・と熱を計ると38度5分。
すぐに病院へ連れて行くも発熱して間がないため、インフルエンザの検査をしても反応が見られないという。ただ、妻がインフルエンザに罹っていることなどを説明すると、『まず間違いなくインフルエンザなのでタミフルを処方します』と、薬を出してくれた。
すぐにタミフルを飲ませ、解熱のための座薬も使用すると、三女は間もなく深い眠りについてしまった。妻の時と同様顔は真っ赤でキツそうだ・・
これで三女も5日間登園禁止となる。
こうなってくるとますます長女や次女、それに自分がインフルエンザに罹る率も高まるわけで、もはや時間の問題といってもよいくらい。 せめて体力を落とさぬよう、よく食べよく寝ることを心がけて備えるしかないよな・・

2015-01-28

なすがままに・・














イスラム国の交渉術は実に巧みだ。
関係する国々は完全に主導権を握られ、対応の全てが後手に回っている。それをあざ笑うかのようにイスラム国は次々と手を変え品を変え要求を突き付けてくる。まるで『お前たちの国家なんぞそんなものか』と見下しているようでもある。
もうすぐ彼らが示した期限になってしまうが、果たして彼らはどういった行動を取るだろう?
そもそも今回の彼らの目的はなんだろう?単純にリサウィ死刑囚の釈放を求めいているだけではないことは確かだ。それは彼女の名前が唐突に出てきたことでもよく分かる。
おそらく彼らの目的はイスラム国が『国家』を屈服させたという印象を世界に誇示することではないかと思うのだ。その様子を世界中に広めることでイスラム国の名を高め、ひいては戦闘員の確保や支援者の開拓につなげて行こうとする野心も感じられる。
現在のところ日本・ヨルダン政府ともまんまと彼らの術中にはまっており、明確な糸口を掴めないでいるところへ、24時間のタイムリミットをセットされてしまった。
まさに翻弄されている。そんな有様だよね。

2015-01-27

インフルエンザ侵入!














 妻がインフルエンザを発症した。
昨日、喉が痛く咳が出る・・と言っていたのが今朝になると発熱を伴い、37度8分。
これは怪しいということで病院で検査してもらうとA型のインフルエンザという結果。その頃には39度を超える熱になり、朦朧状態だったという。確かに大人で39度越えはキツイだろう。予防接種を受けていないとこれくらいまで熱が上がってしまうようだ。
それでも病院でリレンザを処方され、服用して夕方頃になると熱もある程度まで下がり、少しは落ち着いた感じだった。妻との接触は極力避けるということなので子供部屋に一人で籠ってもらい、日常の茶飯事の全てを僕が担うこととなった。
でもね、普段からやってるので炊事洗濯などは全く苦にならない。ただ、幼稚園のお迎えや習い事の送り迎えなどは、その時間までに帰って来ることができれば問題ないが、仕事場からの距離もあるのでなかなか厳しいところ。まあ、その辺はなんとかうまく乗り切るしかないだろう。
小学校でもさらに学級閉鎖が増えたというから、娘たちも要注意だな。何より僕が妻にうつされる可能性もあるわけで(実際もう手遅れかも・・)、ここはなんとか踏ん張らねばならんぞ。

2015-01-26

忍び寄る影














仕事中に小学校よりメールがあって、5年生のクラスでインフルエンザによる学級閉鎖が出たという。
ニュースなどでは盛んにインフルエンザの猛威を報道しているが、今までは娘達の学校のインフルエンザ罹患率は警報レベルというほど高くはなかった。ところがだ、帰宅して今日の学校の様子を聞くと、次女のクラスだけでも5人もの欠席者がいたという。どうやらその全てがインフルエンザというわけではなく同時進行的に胃腸風邪も流行っていて、学校に来てから急に気分が悪くなり吐くケースが頻発しているようだ。
ちょうど先の土曜日に授業参観があって、多くの保護者等も学校を訪れているわけだからウイルスもかなり拡散されたのではないだろうか・・
幸いなことに我が家ではまだそれらの症状が出た者がいないので助かっているが、今後の動向次第では娘達のクラスも学級閉鎖になったり、もしくは自らが発症するようなことになるかもしれない。
帰宅後次女が『頭がいたい・・』と言っていたので、ちと心配。熱はなかったが8時半には寝かしたよ。やっぱりよく寝て体を休めることが一番だ。とにかく免疫力を下げないことだね。

2015-01-25

末期の狂気














湯川氏を殺害し、その写真を後藤氏に持たせて声明を述べさせるなど、イスラム国の極悪非道ぶりは目に余る。彼らが湯川氏を殺したのは彼がシリアの反政府勢力の一員としてイスラム国に対しての戦闘に加わっていたことが理由と思われるが、後藤氏を殺す理由は何も無い。
今までのイスラム国の動きとしては敵対する者には容赦しないという傾向があり、事実多くの者が残忍な殺され方をしている。その点から見ると湯川氏を捕らえた当時から殺すつもりだったはずで、冷酷なようだが交渉のカードとして生かされてきたと言えなくもない。
一方の後藤氏はあくまでも人道的な活動をしてきたジャーナリストであり、日本も人道援助こそすれ軍事行動には加わっていない。よってどこに彼を殺す理由があるのか?と思ってしまうが、イスラム国のやることは狂気の沙汰なのでどうなるか分からない。
ただ、ここにきてヨルダンで囚われているサジダ・アルリシャウィ死刑囚と引き換えに解放すると言い出したことに僕なりの解釈をすれば、

・何の理由もなく後藤氏を殺せば世界世論、特にイスラム教徒の中にもイスラム国の大義を 否定する声が高まり、戦闘員のリクルートや資金集めに支障をきたす恐れがある。
・サジダ・アルリシャウィ死刑囚との引き換えにすれば、後藤氏を解放したというベター な印象を世界に与えるとともに、イスラム国は聖戦士を見捨てないという印象を得られ る。
これはイスラム国側からすれば後藤氏の読み上げたメッセージにあるように『simple』なことだろうが、 サジダ・アルリシャウィ死刑囚を収監しているヨルダンにしてみれば複雑なことだろう。ヨルダンは先に撃墜された戦闘機のヨルダン人パイロットを死刑囚との交換で取り戻したいだろうが、イスラム国側にすれば空爆した相手を生きて帰すことは考えていないと思う。このあたりのミスマッチが日本・ヨルダン・イスラム国との間でどんな動きになるのかは見当もつかない。

以上、僕としては 希望的見解としてイスラム国が後藤氏について『殺さないほうが得策』と考え始めているのではないかと思っているが、果たしてそうなってくれるだろうか・・

2015-01-24

2分の1成人式














今日は小学校の授業参観の日。
そして長女ら4年生達は2分の1成人式を体育館で行った。
2分の1成人式とは文字通り10歳に行う特別なもので、親は無事10歳を迎えた子供達へその誕生から今に至る思いを手紙として渡し、子供達もここまで育ててくれたことに対する感謝をメッセージにして手渡すという式なのだ。
昨年の式の様子は何人かの人から『感動する式かと思っていたら、全然たいしたことなくてがっかりだった』と聞かされていたので、妻は英語のクラスをキャンセルすることなく僕一人で学校に向かい式に臨んだ。
式は2分の1成人証書の授与から始まり、4年生児童全員による我々親に対しての感謝の言葉の朗読とその気持ちを込めた合唱、そしてそれぞれの親への感謝のメッセージの手渡しという順でつつがなく行われ、途中なぜか司会の先生が感極まって泣き始め、それに触発されるようにメッセージの手渡しの場面では男女児童問わず、父親母親問わずやはり感極まって泣く人が大勢出て、まったくもって驚くばかり。
あまりに伝え聞いていた式とは異なるため、今年度はよほど演出を変えたのだろう。今年度から『できる』校長先生に代わったためかもしれないね。

そんなわけでなかなか良い2分の1成人式に立ち会うことができて、自分は泣かなかったけど感動した。そのことをあとで妻に言ったら、行かなかったことを激しく後悔していたよ・・
この学校行事はとても良い取り組みだと思ったね。

チャンネル














無為に時間だけが流れて行く気がする。
水面下ではいろいろな動きがあるのだろうが、果たしてあの『イスラム国』相手にまともな手が通じるかどうか・・
ただ我々は祈ることしかできない。
日本国内にいるムスリムに対しては早くも嫌がらせなどが起きているという。これこそ物事の上っ面しか見ない馬鹿者どもの所業で、そんな奴らこそとっ捕まえてイスラム国に差し出してやればよい。

そもそもの混乱の種を蒔いたアメリカは偉そうに『身代金を払うべきではない』とほざき、ある意味『イスラム国』よりもタチが悪い。 こんな時に実際頼りになるのはトルコくらいなものだ。
何より交渉力が試されている。

2015-01-22

死ぬも生きるも














 生と死を分ける一瞬は、普段ののほほんとした生活の中ではあまり訪れる機会が無いかもしれない。しかし生死が激しく錯綜する紛争地においてはそんな瞬間なんぞ日常茶飯事のことだろう。
今回拘束されている後藤さんもそんな生死のラインに足を一歩踏み込んだ人間の一人だ。彼にはシリア・トルコ国境においてイスラム国支配地のラッカに向かうか否かの判断を、誰に強制されることなく自分で判断する機会があった。そして彼はリスクを取ることを決意した。
いったい何が彼の背中を押し、危険極まりない地へと向かわせたのか?
我々は少ない情報の中から推測することしかできず、真実を知る由も無い。だが一つだけ分かっていることは後藤さんは決して自分の為にその地へ赴いたわけではないということだ。

後藤さんは今回のシリア入りに際して相当悩んだことだろう。悩んだあげく彼が導き出した答えが『生きる』道を選ぶということだった。彼にとっての『生きる』道とは自分が正しいと思ったことをひるまずに実行するということ。もしそれができなければジャーナリスト後藤健二ではない・・死んだも同然じゃないか・・そんなふうに考えたのかもしれない。


2015-01-21

覚悟














その時が刻一刻と迫る中、何か有効な手が果たして打たれているのだろうか?
映像の解析などは彼らの解放に向けて何の意味もなさない。話題作りのためだけのものだ。
そんな中で人質となっている後藤さんに関する情報が多く紹介されるようになった。それらを見るにつけ『こういうジャーナリストを失ってはならない』と強く思う。彼がラッカ入りに際して残した映像メッセージからも彼の強い意志と覚悟が伝わり、なおかつ『自分に何があっても、シリアの人々を恨まないでほしい』という、今の状況を見越した言葉には敬服すら感じる。
そうなんだ僕もシリアには2ヶ月近く滞在していたが、皆とても優しかった。そんなに長く居たのも居心地が良かったからにほかならない。あくまでもシリアの人々は被害者なのだ。アフガニスタンでのアルカイダがそうであったように、シリアやイラクの混乱に乗じて一部の過激な勢力が台頭し、それに旨味を感じた他国の過激派たちが寄り集まってできたのがイスラム国だ。奴らにとってみれば従わざるものは殺すという暴力の論理だけがまかり通るような恐怖政治を支配地域に強いており、おそらく住民の多くは陰ながら彼らに反発してるだろう。
そんなイスラム国支配下の状況を取材したいと言っていた後藤さんの希望が叶うことを願ってやまない。

2015-01-20

大寒の衝撃














とうとうこの日が来た。
昨年夏に拘束された軍事オタクの彼が処刑される可能性は常にあったが、フリージャーナリストの後藤さんまで引っ張り出されるとは・・。彼らが要求する2億ドルという桁外れの額を日本政府が払う可能性は低い。となると残酷なようだが人質の命は72時間後に奪われることになる。
そもそも彼らはこうなる可能性があることを十分理解してシリア入りしていたはずだ。後藤さんの表情はまっすぐ前を見つめ強い意志を感じさせるが、一方の軍事オタク君は怯えた表情で対照的でもある。もちろん命がかかっているので怯えるのが当然かもしれないが、軍事オタク君には『やっぱりその程度のヤツか・・』との印象を受ける。
人質となった彼らを解放させるのは至難の技かもしれないが、ひょっとしたらうまい方法が見つかるかもしれない。
自己満足のためだけに戦闘地域の現実をわきまえず侵入して拘束された軍事オタク君はともかく、なんとか後藤さんだけでも救出できるよう努力してほしい。
それにしてもイスラム国はもっとマシな理念を持った集団かと創立当時は思っていたが、ただの過激派たちが金の集まるところに群がっているだけのカスのような集団だった。コイツら金と武器を持っているからタチが悪いね。
もうすでに手遅れかもしれないが、どんな手段をもってしても壊滅させるべきだろう。
ムハンマドの名においてね。

大義なき者はいずれ滅びる運命さ。

2015-01-19

終わりなき戦い














ここのところまたもやヌートリアの攻勢が激しくなっている。
幸いなことに畑の実被害は大したことはないが、すぐそこにまで壊滅の危機が迫っているのだ。
というのも正月以来1週間ほど罠の周辺にヌートリアが現れた形跡がなかったのだが、土曜に突如大物が掛かったと思ったら、それから今朝まで3日連続で掛かっているのだ。今までの静けさから一転この騒々しさはどういうことだろう?
下流もしくは上流部からヌートリアが移動を始め、その途中で罠に掛かったということだろうか?
奴らの行動はよう分からんが、とにかく一匹捕まったらその背後には必ず10匹以上がいると思う。いや、それ以上かもしれんな・・
昨年にだいぶ駆除したので、もう罠にかかることはないだろうと思っていたが、この分じゃまだまだ掛かりそうだよ、まいったな。

2015-01-18

小春日和














午前中は風もなく暖かな陽射しがたっぷりと降り注ぐ小春日和に。
こんなお天気の日は外に居ても気持ちが良い。僕が畑で玉ねぎの追肥や草むしりをしていると娘たちも外に出てきて、自分たちで遊びを見つけては堤防や周辺を駆け回っている。
こんな光景がとてもよろしい。
僕も堤防に出てふと足元を見るとタンポポが咲いていた。これからぼちぼちタンポポの花も数を増してゆくことだろう。地面をよく見ているとてんとう虫もいるじゃないか。なんだか春がやってきたようだな・・
まだまだ厳しい寒さが続くが、その一方で春も着実に近づいている。
冬だからって家に篭っている暇は無い。来るべき春に備えやらねばならぬことは無限にある。雪が降れば休み、晴れれば外で仕事する。
それがごく自然の営みなんだ。

2015-01-17

20年














 あの朝から20年・・そう思うと20年なんてあっという間だよな。

仰向けに寝ていた体が左右に大きく揺れるのを感じ目覚めると、親父殿が『おいっ!地震だー!』と言って外に飛び出していった。そのシーンだけはよく覚えている。
僕はそのままニュースを見ずに当時やっていた測量の仕事で山中に出かけ、昼ごはんを同僚と一緒に車内で食べている最中につけたラジオで地震被害の深刻さを知ったのだ。始めはラジオから流れてくる被害の状況と死者数に驚き、それが現実とは到底思えなかった。
あの時以来だな、地震を感じるとすぐに震源地を調べるようになったのは・・

地震は本当に恐ろしいと思う。
いつ来るかわからない恐怖、そこに尽きる。
備えを十分にしているか?と言えばまだまだだ。
わかっているのは地震は必ず来るということ。常に心の準備をしているつもりだが、実際は日々の忙しさに流されて忘れてしまっていることが多い。大地震はそんな心の隙を必ず突いてくるに違いない。

黙祷

2015-01-16

子供会のあれこれ














今週末は久しぶりに子供会の行事はない。
先週末には役員の引き継ぎを行ったが、だからと言って現役員のやることが無くなるわけではなく、春にあるお祭りまでは何かと仕事は続く。
現時点で役員の引き継ぎを行うのは、当然のように新役員は子供会役員として何をするべきなのかさっぱり分からないため早めに資料などを渡し勉強してもらうことと、その中で分からないことが出てきたら現役員に聞いてアドバイスをもらうためでもある。
特に春祭りはご祝儀集めなどやることが多く、仕事に慣れてないことや新役員メンバーのチームワークが確立してないことなどもあって多忙な日々が続く。そんな大変さを少しでも緩和できればと自分なりの資料を作っていたが、今日それが完成した。
写真を並べ、簡単なコメントを載せただけだが、何も無いよりは随分マシだろう。まあ、言わばマニュアル本みたいなもんだ。
自分に残せるものはこんなものくらいだな。

2015-01-15

ストーブ復活か?














いやあ〜冬にしてはかなりの降りだったね。もし寒気がもっと南下していてこの辺りも雪になっていたら相当な降雪量となっていただろう。その点から言えば助かった。
こんな日差しのない日だったから室内は寒く、一日中エアコンをつけていたと妻は言うがそこへ中部電力から先月分の電気料金明細書が送られてきてその額にびっくりしたという。値段は1万6千円ほど。これがエアコンをつけない季節ならば大体7〜8千円ほどなのでほぼ倍の料金だ。ちょうど年末から正月休みの期間が含まれるので家に居た時間も長く、天気も寒い日が続いたので余計電気を使う結果となったのだと思う。
ただし、現在の状況を見ると原油の値が下がりつつあるのに対して電気代は安くなるどころか上がっている始末。この先も原油安が続き灯油などの値段も下がるなら、石油ストーブを復活させようかと妻と話していたところ。実際空気が汚れるのは難点だが、エアコンよりは湯も沸くし味があるので石油ストーブの方が好きだな。ウチのようは古い家は隙間が多いので常に風が抜けていて換気も効いているしね。
まあ、何より三女が3歳になってストーブの危険性を分かる歳になったからね。それが一番大きいね。

さて、ストーブをどこにしまったかな・・まずはそこからだな。

2015-01-14

テロとの戦い














『テロとの戦い』か・・
とうとうフランスも血迷ったことを言い始めたよ。
アメリカが10年以上も続けているというのにその成果が殆ど無いのは周知の事実じゃないか。成果どころか国民の中に不必要な『恐れ』の感情を埋め込み、社会全体の不信と萎縮を招いてしまった。
そんな悪しき前例が目の前にあるにもかかわらず、終わりなき戦いへと踏み出してしまうとはね・・

『シャルリー・エブド』が出した最新版はすぐに完売になったそうだ。
ムハンマドの風刺画を描いた一人はニュースの中で『テロリスト達には面白くないだろうが、私は描いた』みたいなことを言っていたが、勘違いするな、その風刺画を見て気分を害する人はテロリスト達だけではない。敬虔なイスラム教徒の多くも嫌な気分になるはずだ。
昨日も書いたがこの風刺画は明らかにイスラム教徒を挑発し、ムハンマドを侮辱している。果たして聖人を侮辱することが言論の自由と認められるだろうか?例えばキリスト教の聖人が同じように侮辱されたら、キリスト教徒たちは笑って意に介さないだろうか?
特に違う宗教の者が浅知恵を働かせて他宗教を揶揄するほど危険極まりないものはない。

ほんと火に油を注ぐような行為だよ。

2015-01-13

自由の境界














風刺ならば何をしてもいいのか?という疑問が常に湧く。
言論の自由は確かに担保されねばならない権利ではある。が、ならば何を言っても良いのか?となれば話は違う。今晩のクローズアップ現代はヘイトスピーチについて特集していたが、これらは明らかに特定の人種に対する誹謗中傷であり、あまりにも稚拙でおたんこなすだ。とても『フリースピーチ』と言える代物ではないが、これすらも取り締まるとなると線引きが非常に難しい。
今回のテロで襲撃を受け、多数の死者を出した『シャルリー・エブド』は 最新号で再びムハンマドの風刺画を掲載するという。『暴力には屈しない』という意思表明だろうが、僕には度を越した挑発行為にしか見えない。そもそも聖人と称される宗教指導者を風刺することはいかがなものか?との思いはある。非常にセンシティブな宗教の問題を面白おかしく書いたり、その滑稽さを風刺したりする自由は確かにあるし、それくらい許容するだけの器があってもいいと思う。だが一方で宗教を生きる拠り所とする人々も多いわけで、その人々が信ずるものを茶化すような行為は厳に慎むべきだとも思う。このパラドックスに明確な境界はなく、どこまでが許されるのか?なんて決めることは無理だろう。

ただ一つ、『シャルリー・エブド』犯した過ちは偶像崇拝をかたく禁止しているイスラム教を理解しようともせず、預言者ムハンマドの姿を描いたことだ。これが文字だけによる風刺ならばそこまで問題にはならなかったはずで、実はイスラム教徒が激怒する点はこの厚顔無恥な無配慮さと傲慢さについてだと思う。フランスでは近年学校でのヒジャブ着用を禁止するなど、ただでさえイスラム教徒を対象にした締め付けが増していた社会情勢の中で、ムハンマドの風刺を描けばどんな反応があるかは分かりきったことだった。それを敢えて『言論の自由』という大義を振りかざして世に出した側にも僕は相応の責任があると考えている。


2015-01-12

因果応報















朝起きると外はうっすら雪化粧。
昨夜から夜通し猛烈な北西風が吹き付けていたが、やはりあれほどの風は雪をもたらすものであると改めて感じた次第。

今回のテロに対する思いを表さんとフランス各地に集まった人々の数およそ370万人。それだけの数の人が集まったのは第二次世界大戦時にナチスドイツからの解放を祝って以来というから、このテロがフランス人にどれほどの衝撃を与えたのかがよく分かる。
しかしながらフランスの国是でもある『自由・博愛・平等』が損なわれたとして、これだけの人々が声をあげようと即行動に移している点は大いに尊敬すべきところだ。フランス人としての誇りを感ぜずにはいられない行動だったとも言える。
だが闘う相手はまったく違う価値観を持った過激派達だ。彼らにとってはこの一致団結した行動さえもただの標的にしか映らないのかもしれない。

アメリカ及び欧州は見えない敵との終わりの無い闘いに引き込まれてしまった。だが忘れてならないのはその種を蒔いたのは己達自身であるということだ。
これまさに因果応報なり。

2015-01-11

それぞれの大義














結局パリの襲撃事件の容疑者は3人とも射殺され幕を閉じたかのように見える。
しかし初めから殉教することを望んでいた者にとってみれば、満足のいく死に様だったろうと思う。『侮辱されたムハンマドの名誉を回復し、そして戦って殉教する』この死に様はイスラム戦士にとってみれば最高の死に方だ。
事件の始まりから彼らの死に至る結末まで、彼らがどういう作戦で動いていたのか分からないが、フランス当局側が終始振り回されていたことは経緯を見ても明らかだ。当初からマークされていたとはいうものの、何も罪を犯していない者を拘束することはできず。当局側が可能性だけをもって強硬な対処に出ればそれこそ『自由・平等・博愛』を損ない、宗教間・民族間に大きな軋轢を生み出す。まさにここが難しいところで、こういった形でのテロ行為を防ぐのは至難の技だ。
当然、過激派たちはそれを理解し、行動している。

ばら撒いてしまった種は各地ですでに芽を出し始めているのだ・・

2015-01-10

帯状疱疹


















数日前から三女の腹と背中に赤いポツポツが出るようになり、それが日に日に広がり始めだいぶひどい状態になってきた。その様子を見るにどうしても帯状疱疹にしか見えないが、子供はあまりならないということを聞いていたので、はっきりさせるために皮膚科へ。
優しそうな女医さんに診てもらうとあっさり『これは帯状疱疹ですね』との答え。
三女が生後6週間の時に水疱瘡に罹ったことを言ったら、
『その頃ですとまだ母体から受け継いだ免疫機能が働いているため、おそらく本人の免疫力と母体からの免疫力とでウイルスと闘ったはずで、それがために本人の体が本来持つはずだった抗体がしっかりと形成されなかった可能性があります』ということだ。
確かに三女は1年くらい前から水疱瘡系のポツポツが腋や脇腹あたりに出現しては消えていたので『何かが体の中で悪さしとる』とは感じていたが、やはり水疱瘡ウイルスだったか・・といった思いだ。ほとんどの場合どことなく体調が悪く、食欲が落ちている時に出ていたので、変な話体調のバロメーターみたいな感じになってたな。

今回病院で飲み薬と塗り薬を処方されたので5日分を飲み終える頃には発疹は引いていると思うけど、今後も免疫力が落ちると再発する恐れもあるわけで要観察だな。
それにしても一生潜伏を続けるなんてタフなウイルスだよね。

2015-01-09

局面














恐れていたことが現実になりつつある。そうフランスでの銃撃事件のことだ。
今やテロは細分化され、『個』の単位での活動が目立ち始めている。いくら当局が監視対象にしていたところで、これらの個人全てをマークできるはずもなく、すべてを防ぎきることなど到底無理だ。ボストンでのテロの時もそうだったが、兄弟などの数人単位で計画し実行するマイクロテロリズムは露見する可能性が低く、もっとも手強い類のものだろう。しかもひと度実行されればその損害は計り知れない。その上少人数であるがためにテロ実行後に当局により射殺される可能性が高く、犯人たちが殺されてしまえば真相は永遠に謎のままとなってしまう。

彼らはなぜ今回の銃撃事件を起こしたか?
僕はこう思う。彼らはフランス社会への復讐をしたのだ。彼らにとっては「シャルリー・エブド」がムハンマドを風刺する様子が、まさにフランス社会が自分達を差別しバカにしてきたことと重なって見えたのではないだろうか。風刺されたムハンマドの名誉を回復することを、それすなわち自分達の誇りを取り戻すこととして銃をとったのではないか。

言論の自由は必ず守られねばならない。もちろんそうだ。しかしその理念は残念ながら世界共通のものではない。移民の国フランスには様々なものが持ち込まれ、多くのものがフランス社会の中へ融け込んでいった。 だが、融けることのできなかった価値観だけが残り暗黒面の中で増幅されてしまった・・

今後もこのようなことが増えるのではないか。
そうなった時、打つ手はあるのだろうか?

2015-01-08

要警戒














やはり年末から正月にかけてかなりインフルエンザの流行が広がったようで各地で注意喚起されているが、昨日から三学期の始まった娘たちも学校について話す内容の多くがインフルエンザについてのことで、『相当流行っているな・・』と実感できる。
当然我が家も警戒はしているものの、じゃあ予防接種を受けたかというと、受けていないんだねこれが。一昨年くらいまでは全員予防接種を受けていたが、まずはその負担が大きさに辟易したというのもある。子供は一回2千5百円ほどで受けれるものの、2回受けることが原則なため3人分で1万5千円。大人は一回だけど3千円ほどとして2人分6千円。これだけで2万円超えてしまう。
そして打ったからといってインフルエンザに罹らないわけではないので、ならばインフルエンザの症状が現れたらすぐに病院へ行き、タミフル・リレンザなどを処方された方が安くて確実だと思った次第。幸いにも我が娘たちは頑丈に出来ているので、インフルエンザに罹っても重症化する可能性は低いと思うし、実際昨年末に次女の友だちの何人かが発症した時も次女以外は皆予防接種を受けていたという。これはたまたまかもしれないが、昨年も同様のケースが長女でも起こったので、あまり予防接種を受けること自体にメリットを感じなくなっているんだよね。
今後どう展開するか分からないけど、警戒は怠らないようにするつもり。

2015-01-07

XQ1














長らく使ってきたGX100が壊れたため、今日新しいコンパトカメラを購入した。
FujifilmのXQ1で、今は在庫処分時期でもあるため税込2万6千円ほどとかなりお安く手に入れることができた。
今回あえてFujiにした理由は、定評のあるその発色を実際に体験せんがためで、さてどうなるかと楽しみにしているところ。
カメラ自体は昨今のカメラ同様かなり小さくなっており、持ち運びに便利な分取り落としてしまいそうで要注意かな。
とにかくまずは何でも撮って慣れるべし。
これでコンパクトについては片付いたが、次は一眼をどうするかだよな・・

2015-01-06

42th birthday














42になった。
娘たちは僕のためにBirthday cardを作ってくれ、妻はブラウニーサンデーで祝ってくれた。
ささやかながらも気持ちのこもったHappy birthday。
誕生日プレゼントに財布をもらった。今使っているものは小銭入れに穴が開きボロボロだった。なんせ20年近く使っていたからね。よくもったもんだよ。
先日大型量販店に娘たち3人連れて買い物に行った際、何気なく財布売り場を通り抜けながら『そう言えば財布換えなあかんな・・』と思い出し、幾つかの財布を手に取り『これは好きじゃない』とか『ここがこういう風だといいのに・・』なんてぶつくさ言っていたのを長女が逐一記憶していて、それを妻に『Daddyはこんな財布が欲しいみたい』とアドバイスしたというのだ。そして僕が気にいるタイプの財布を探してプレゼントしてくれたというわけ。
どうりで僕が『こんなのがいい』というものにぴったりだったはずだ。いやはや長女のスパイ活動には恐れ入りました。大いに感謝するとともに、娘たちの成長ぶりを改めて感じた夜でした。

2015-01-05

正月について思うこと














年々正月らしさが薄れてゆくのを感ぜずにはいられない。
別にそれを悲しむとかそういうのではなくて、ただそれを感慨として感じている。
子供の頃はレストランやスーパーなどは、元旦にはほとんど閉まっていたものだ。それが今ではブックオフでさえ正月から何食わぬ顔で営業している。そして驚くべきことにレストランもそうだが客でいっぱいなのだ。そういう需要があるから店を開けている、と言ったほうがいいのかもしれない。
多様化が叫ばれる昨今、生き方や生活スタイルもひとそれぞれ。それらのニーズを汲み上げてゆくと、むしろどんどん境目がなくなってゆくという不思議な現象が現れる。多様化が結果的に平均化を招くというパラドックス。
異端が異端としてどんどん認められれば、異端ではなくなるということと同じか。なんか『赤信号、みんなで渡れば怖くない』みたいだな・・
そうだ、正月の話だった。
今度餅つき機を買おうと思ってね。我が家はみんな大の餅好きだから、普段から餅を食ってやろうという魂胆。さあ、ますます正月感が無くなってゆくぞい。

2015-01-04

静と動














娘たちは明日も学校や幼稚園は休みだから、いつもより少し遅い21時過ぎに布団に入った。そう、これから静かな時間が訪れるのだ。
風呂を追い焚きしてゆったりとつかる。あ〜一日でこの時間が一番くつろげる・・と、突然二階でドドドッと騒がしい音がしたかと思うと、誰かが階段を駆け下りてきて風呂の戸を叩くではないか!『どうした?』と問えば長女が『◯◯が布団の上にゲロ吐いた!』と言うじゃないか!続いて次女も駆け下りてきて同じことを注進。ちょっと間を置いて妻が駆け下りてきて『めっちゃ吐いた。ちょっとこれお風呂で洗っといて!』と、ゲロの付いた三女のパジャマやタオルなどを残して立ち去った・・
そうとも、ちゃんと洗ったったよ。そのあと十分石鹸で手洗っといたけど。
風呂を出ると三女がなぜか『わっしょい!わっしょい!』と奇声をあげながら走り回っとった・・ほんと子供という生きもんは分からんよ。てっきりぐったりしてるものと思っていたらこれだもの。ゲロ吐いてハイパーになるって一体何なん?
まあ、なんでもええわ。

2015-01-03

大いに遊べ!














積雪とは不思議なもので『このまま降り続いたらとんでもなく積もるだろう』と、その時は思うが、幸いなことに今までそれが現実になったことは数回しかない。
昨夜も雪の降りしきるなか帰宅したが、結果的に見れば降雪が一番激しいタイミングだったようで、それ以後は雪もあまり降らなかったようだ。朝の積雪量は5cmに満たない程度でちょっと拍子抜け。娘たちも外を見てがっかりしていたよ。
でもね、朝食を終えると『外へ行く!』って三人とも飛び出して行き、残り少ない雪でもなんとかソリで滑ったりと頑張っていたな。僕もそこへ加わって結局3時間近く外で遊んどった。
今回の強い寒気でもこのあたりは大した積雪量ではなかったので、次回を期待したいところ。でも休日じゃないと困るよな。だって今時の学校は雪が積もっても外で遊ばしてくれんからよけい気の毒やしね。その辺の遊び心を勉強よりももっと大切にせなあかんと思う。
次の連休あたりにまた降らんやろかな〜


2015-01-02

なんとか回避














終日雪がちらつく天気だったが、21時頃に実家から帰って来る道中の降雪は激しかった。通行量の多い国道でもわずかの間に轍を残して白く染まり、視界も効かなくなっていた。僕は2車線のうち追い越し車線側を走行していたが、どういうわけか流れがもたつき車間がつまる傾向にあった。昨日も更に遅い時間帯に通行していたが、この時期は普段車に乗らない人が運転していることが多く、凍結した橋の上でも平気でブレーキを踏む車もいて『特に要注意だな・・』と警戒はしていたのだ。
そんな中、順調に流れていた車列前方で突然急ブレーキを踏むおバカな車がいたようで、すぐ前の車も急ブレーキを踏んだもんだから自分も『おおっ、マジかっ!』てな具合になんとか止まったわけさ。でも後方の車が結構接近していたのを知っていたので『これはやられる!』と、ヒヤッとしたがなんとか追突されずには済んだんだ。でもねその直後『ドカーン』という鈍い音が後方から聞こえてきてね、後ろのプリウスが追突されたみたい。自分は幸運にも玉突きを免れたけど、やっぱ車間キープは鉄則だよね。特にこんな天気ではね。
今も外は気味の悪いほどの静寂に包まれていて、明朝にかけてある程度の積雪が予想される状況。もう娘達なんて『やったー!明日も雪遊びできる!』なんて大喜びさ。
さて、どうなることでしょう?ということで、まあ寝るか。

2015-01-01

新しき年














新年あけまして、おめでとうございます。

新年を迎えた頃から強まり出した風はその後さらに強さを増し、雨戸を騒々しく叩いてはヒューっという鋭い風切り音を残して去って行く。空が白み始めた頃外の様子を伺うと雪が横殴りに降っており、積雪も5cmほどあった。『この分じゃもっと積もりそうだ・・』ともう一度寝たが、8時頃に起きて外を見るとほとんど雪の量は変わっていなかった。
娘たちは大いに期待して起きて来たので外の様子にがっかりしていたが、それでも朝食を終えると元気いっぱい外に飛び出して行き、雪遊びに夢中になっていた。僕もすぐに合流して堤防を滑り降る娘たちのソリを押してあげたり、雪だるまを一緒に作ったりと、結局3時間近くも融けゆく雪の中で遊んでいたな。子供はこれくらいじゃないといかん。

午後からは実家へ行き、大量に集められた菓子類をみんなでワイワイしながらつつく。特に何もしないが、それがまたいい。
雪も結局大した降りにはならず、朝以上の積雪は見られなかった。それでも十分遊べたのでその点の満足感も大きかった。

明日もまた風の強い一日となるのだろう。