2008-05-31

記憶


その時は『こんなこと忘れるはずが無い』と思っていたことも、案外あっさりと忘れてしまうもので人の記憶力の頼りなさを実感しているが、反面ひとつのきっかけさえ掴めば溢れ出るように記憶が甦り、全然思い出されなかったものがこんなにも鮮明に思い出されるものか・・と人の記憶力の凄さも同時に実感している。
思い出せなかったのは6年前にチベット文化圏を旅行した時の足取りで、ある一部分がすっぽりと抜け落ち曖昧なのだ。一緒に旅をした妻が日記を付けていたが聞くのも癪なので、チベット文化圏を網羅したガイドブックを購入し復習することに。すると何ともあっさりと当時の足取りが判明し、何枚もあるデジカメ写真とバラバラだった自分の記憶の中の断片が見事に一致し、その街に滞在中にあった様々なことまではっきりと思い出され、何ともスッキリし清々しい。気っぷの良いチベット人のお姉さんと2m近い身長の朴訥な旦那さんが切り盛りするレストランやその名物メニューの巨大ヤクハンバーガー。それを粋がって注文し大後悔している若い白人バックパッカー。ちょっとした勘違いでブチ切れ中指立てて白人バックパッカーを挑発し、その後自分の勘違いに気づき大いに凹んで『I'm sorry』と詫びを入れる愚かな僕など、それらを思い出しほくそ笑みながら『俺って馬鹿だよな〜』と感慨に耽る。これもまた旅であり、僕にとってはかけがえの無い大切なひと時なのだ。

For The People Of Tibet

2008-05-30

資金パーティー


ミャンマーの被災者救済は一向に進まず、何百万という人々が感染症などの2次災害の危険に曝され、悲惨な環境の中に置き去りにされている。その後の軍政の愚かさはなおも続いており、彼らがやることと言ったら四川大地震の義援金、支援金の集まり具合を見て俄に外国の救援部隊受け入れを表明し外貨を獲得しようという程度のもので、結果を見れば軍政が望んでいる支援額の10分の1程度しか集まっていないらしく、これには軍政側も失望しているという。それは当然と言えば当然のことで、今までかたくなに各国の支援を拒んで来たものが急に態度を変えたところで誰が信用するものか?今支援金を渡せば必ずや軍政側に金は流れ、被災民には何も届かないということが繰り返されるだけだ。かと言ってこのまま被災民の放置を続ける訳にはいかない。軍政を介さない何か良い方法はないのだろうか?

For The People Of Tibet

2008-05-29

刹那の大成


天候が急速に回復するなか、仕事場を抜け出し友人の写真展を訪れた。彼女が東北に移り住んでからもう9年も経ってしまった。今回はその9年の歳月の中から38枚を選び出し、写真を見る者にいろいろなことを語りかけ、感じさせている。彼女の撮った写真を見ながらその一枚一枚の中に流れる筋のようなモノは一体何だろうか?と考える。そこには人々の日常の営みが写し込まれ、それは何世代にも渡って連綿と続けられて来た、続けられてゆくであろう『生』の営みなのだ。その平凡であるはずの日常を僕達が目の当たりにした時、なぜこんなに心にジンとくるモノがあるのだろうか?彼女が後記に『この地を始めて訪れた時、ここで写真を撮りたいという衝動に襲われ、その感じは今でもはっきりと憶えている』と記していたように、何かが僕達を引きつけてやまないのだ。じゃあ、それは何なんだ?センチメンタルなノスタルジアだと言う人もいる。それも確かにあるがそれだけじゃない。もっと何か自分達の存在に関わるもの、普段は覆い隠され、押さえ込まれている血脈の底に流れるもの、それらが彼女の目を通して写真という手段によって表現されている。
その写真に答えは無い。そこにあるのは様々な『生』の刹那であり、それを見ることは自分自身を見つめることでもある。

For The People Of Tibet

2008-05-28

石油高騰とニタリ顔



NHKニュースを見ていた時のこと、原油価格の高騰とそれに伴うガソリン価格の大幅な値上げについて、街頭インタビューの様子を流していた。この場合必ず『車で外出するのを控える』だの『移動は電車を使う』だのとまったく辟易するようなお約束の内容をガソリン価格の改定があるたびに飽きもせず、恥ずかしげもなく繰り返し放送する様を見て、報道機関としての質の低さに呆れ毎度うんざりさせられるのだが、今日はその中の自動車教習所のシーンで副所長とやらが『燃料代の経費が倍になって困っている』とこぼしていた。そこまではなるほどそうだろうと分からぬでもないが、その後彼がニヤニヤしながら『そうなって来ると人員整理の話も出て来るよね』と言ったのには激しい嫌悪を感じた。おそらく副所長である彼には例え人員整理が行なわれても『オレには関係ねえー』との思いがあるのだろう。ただ、そのニタリ顔のもとで解雇される人のこと、その人の生活のことを思うと、それほど重要なことをヘラヘラと簡単に言う人間に対し、怒りが込み上げて来る。そんな輩は自分のことを一体何様だと思っているのだろう?まあ、いい。そういうヤツには極力関わらないようにしてゆこうと思う。


For The People Of Tibet

2008-05-27

草刈機のいろいろ


草刈機(刈払機)を買おうと思っている。えっ、そんなに庭が広いのかって?いいや違うよ、敷地内では使うところなんかないが周りにはいっぱいあってね。まずは南面の堤防で今は腰以上の高さで草茫々だ。確か梅雨明け頃に管理者である国土交通省雇いの業者が薙ぎ払いに来るがそれも一度きり。秋には再びジャングルとなり堤防上の道を歩くことさえ困難になる。なので最低3回ほどは刈り払いたいと思っている。次に西隣の空き地。これは持ち主が市中心部にいるらしく、現状ほったらかしでこれまたセイタカアワダチソウがじゃんじゃか生えて秋になると花粉や種をまき散らしひどいことになる。そうなる前に始末したいのだ。両方の面積を合わせると200坪以上にはなるので草刈機が必要になった次第。草刈機も調べ始めると面白いもので、バイクのように2ストロークと4ストロークがあったり、ホンダ、川崎、三菱、スバル系さらにはハスクバーナのエンジンを載せた機種もあったりとなかなか奥が深い。価格はエンジン排気量に比例して上昇し、小排気量軽量仕様のもので2万円前後。そんなに使用頻度が高いわけではないので安いクラスのものでいいな・・と思うが、メンテして長く使いたくもあり最安機種より一つ上のものにしたいな・・と思案中。そしてエンジンはスバル系を狙っているのだ。ちなみにスバル系と言っても草刈機のエンジンが特有のボクサーサウンドを奏でることはありません!

For The People Of Tibet

2008-05-26

結界


先日ヤスデのことを少し書いたがあれ以来屋内への侵入が多くなり、先週末の雨後にはこれまたどこから湧いて来たのか!と驚くほど塀、壁、軒などの家の外周りを中心に集団でもそもそと蠢いている。その数何百匹といったところで、これだけ湧いているならそりゃ家の中にもいくらかは入って来るよな・・と妙に納得する有様。虫など怖くも何ともない僕でさえあまりの数の多さに『ゾクッ』と来たほどで、火炎放射器で一気に焼き払ってやりたい衝動に駆られた。かと言って実際に火を使う訳にもいかず、急いでホームセンターまで走り粉末状の殺虫剤を購入し、家の基礎の周りを中心にぐるりと囲むように散布しておくと、次の日その効果てきめんで人工的な結界はヤスデをシャットアウトし、屋内への侵入もぐっと減らすことができた。それにしてもこのヤスデの大量発生が実は『異常』ではなく『通常』のことなのかどうかは今後数年を経た後分かることだろう。どっちにしろ気色悪いことには変わりないが・・

For The People Of Tibet

2008-05-25

討伐


今日も終日雨かと思っていたら朝起きたときには既に上がっており、おかげさまで恒例の庭仕事がかなりはかどりました。トマトは実をつけ順調に成長しているものの、キュウリ、ズッキーニ、カボチャはどれもウリハムシの激しい攻撃を受け、その中でも特にキュウリは痛々しい状態だ。ウリハムシは妻共々見つけ次第天誅を下しているが、相変わらずふよふよ〜っと逃げていきおるので埒があかない。そこで近所のホームセンターにてテニスラケットもどきの高電圧電撃式天誅ラケットを購入し、即座に配備。早速試してみるがキュウリの蔓が這うようにネットを掛けてあるので思うように振り回せない。そこでラケットを下に構えといてウリハムシを落とし込む作戦に変更。この方法で10匹以上を仕留めたが、またどこからともなくやって来るので切りがない。実家に『そっちはどうや?』と聞いてみたが『こっちはまだ見かけんなー』と言う。この近辺、川筋で堤防も多いゆえ其処ここに叢があり、その辺りから虫どもが飛んで来るのかも知れんな。ま、こればかりはしょうがない。農薬使わん以上地道に誅するしか手は無いのだ。

For The People Of Tibet

2008-05-24

待てど、暮らせど・・


毎週土曜は下の子連れてファーマーズマーケットに行き、野菜を買っている。スーパーなどより大分割安で虫に喰われたりかたちの悪いものなども普通に売られており、それらを見る限り農薬の使用量も少ないのではないかと勝手に思っている。今どきは法蓮草が姿を消しつつあり、スナックエンドウも一段落し、代わって空豆があふれかえっていた。そんな中早くもズッキーニが売られており大いに驚かされた。というのもウチの畑のものは苗がようやっと15cmほどに成長した程度で収穫まではまだかなり時間がかかる。それがもう売っているのだからたまげるわさ。おそらくハウスものなんだろうね。そういえば昨日は昨日で妻が友人から枝豆をたんともらって来て、それにも驚いたばかりだったな。さっそく茹でておいしく頂きました。
庭の畑にまだ若干のスペースがあるのでインゲンを植えようと育苗ポットに種まきしたのがひと月ほど前。それがちっとも芽が出て来ないのだ。結局種を10粒播いて芽が出たのが一つだけ。あまりに成績が悪いので育苗ポットを調べてみると、なんと!播いたはずの種がどこにも無いのだ。2粒だけは腐って出て来たがそれ以外は見つからなかった・・どうりで発芽しない訳だよな。考えられるのは鳥についばまれてしまったと言うことだが、こればかりは仕方が無い。新しく種を播き、ついばまれぬよう上にネットをかぶせて置いたが、効果の程は如何やろね。

For The People Of Tibet

2008-05-23

影響無し、問題無し?


比較的大きな災害や事故が起こったとき、まず真っ先に発表されるのが『周りへの影響は無い』や『問題の無いレベル』などという言葉だ。でもさ、ほんまかいね?そりゃ、皆をパニックに陥らせない為には嘘でもいいからそう言わざるを得ない時もあると思う。でも、あまりに連発されると余計不信を生み、本当に大丈夫でも信用できなくなる。今回の四川大地震では最近になって核施設及び放射性物質の安否が取り上げられているが、やはりそれらについても『放射能漏れの恐れは無い』と、まず発表されている。しかしだ、いまだがれきに埋もれ見つかっていなかったり、危険な場所にある為回収できないような放射性物質の状態が安定しているなどと、なぜ言い切ることができるのか?そもそも放射性物質などは日頃から堅牢強固な場所に保管されているはずで、それが回収できないような状態にまで被災しているとなると無論核施設本体も相当な被害を受けている訳で、伏せられている真実は恐るべきものなのかも知れない・・ただ、それらの被爆や放射能漏れに関する真実はアメリカ、ロシアが行なって来たように徹底的に封印され、抹殺されてゆくのだろう。その辺りは中国当局の得意分野でもあるしね。とまれ、真実が永遠に明かされぬ以上この問題に関する心配事は杞憂の域を脱しないのかも知れないが、影響は広範囲に及ぶため空恐ろしくもある。

For The People Of Tibet

2008-05-22

衝動


何かに衝き動かされるような感覚は常に持っていて、その衝動をどう処理して良いのか分からず戸惑い、悩むことがしばしばある。思えば自分の身の回りにあるものだって血が沸くような衝動を和らげる為の緩衝材みたいなもので、日々はそれに気を取られて誤摩化されているだけなのかも知れない。ただ、その誤摩化しかたにもふた通りあって、いわばガス抜きするような格好でぶつかって行って消耗する『動』のパターンと、はなっから自分を押さえ込んで消耗せずにやり過ごす『静』のパターン。どちらも目的は同じなので善し悪しなどと言うものはないが、どちらが自分に合っているかというと『動』の方だな。これはもう合っているなんていうもんじゃなく、自分にはそうしかできないと言った方が正しいと思う。今までの経験から見てもあーだこーだ悩んでいるのが鬱陶しくなって、とにかくやっちまえ!てなノリで後先も考えずにぶつかっていったことがほとんどだ。もちろんそれで大いに後悔させられることも多いが、まあ今は『自分はそうしかできないんだ・・』と勝手に納得肯定して我が身にバリアーをはっている。
それにしても波状攻撃のように押し寄せて来るこの衝動をどうやって捌いていったらいいだろうか?緩衝材にも限度があるし誤摩化しも早々長くは続かない。いよいよ根本的に何かをせねばならぬ時がやって来たのだな。

For The People Of Tibet

2008-05-21

森へ


絶好のオープンカー日和。日差しはきつく気温は高めながらも空気はカラリと乾燥し気持ちが良い。現場へと向かう堤防の道も快適に流れ、このままどこかへドライブに行ってしまおうか・・と思わせるほどだった。午後からは久しぶりに山へ入りひたすら薮をかき分け現況を確認する。そういうことをしている方が性にあっているので疲れは感じず、楽しい時間を過ごすことができた。今日歩いた周辺は今までにも何度か別の目的で歩いたり車で通ったりしていたが、山の中にまで分け入ったことは無かったので見える角度がすべて新鮮で、まったく知らない別の場所を歩いているような印象を受けた。今回の踏査は江戸時代に描かれた古地図と現代の測量平面図を見比べながらの作業となったが、座標的な位置の正確さは別として地図の持つ本来の意味であるその場の雰囲気を如何に正確に表すか?については古地図の方が遥かに勝っており、現況確認も古地図を元にして建物跡や通路の痕跡確認をしたような次第。そして次に僕らのやるべきことは古地図的な雰囲気を持った正確な測量平面図データを取得することで、今回踏査した範囲を考えると広大でなかなか手強くもあるが、やりがいは十分にある内容だと思っている。こんな仕事をどんどん手掛けて行きたいものだな。

For The People Of Tibet

2008-05-20

予兆?


ウチでは友人宅のように巨大ムカデが出現し、命を脅かすようなことは今のところは無いが、ここ最近ヤスデの幼生が大量発生し気味の悪いことになっている。家の中にはどこをどう伝って来るのか2階にまでも出現し其処ここを這っており、1階はさらに多くやはり湿気の多い風呂場などを中心に出現数が増えている。一体どこで湧いているのか分からないが家の周囲全体に極めて多く発生しているようで、帰宅後妻に言われて家の軒を見上げると気持ち悪いほどへばりついていた。そのまま視線を壁に移してもそこら中を這っており、何百何千という単位でこの家を包囲しているようだ。それにしてもヤスデどもは何が目的で家に這い上がって来るのだろうか?別に食べ物があるわけでもなく、格好の産卵場所があるとも思えない。まあ、いずれにせよ、先日四川の大地震があったばかりなのでこの大量発生も何かの予兆ではないか?と空を見上げる夕べかな。

For The People Of Tibet

2008-05-19

頭痛


今日はなぜか午後から頭が痛い。前頭葉の辺りがず〜んと重く、キリキリする感じ。普段はあまり頭痛になることは無いのでひょっとしたら大雨をもたらしている低気圧のせいかも?と、勝手に思い込んでいる。
そんな頭痛を引きずったまま家に帰り皆で食事をしていると、まず上の子がぐずり始めた。幼稚園に行くようになってからは遊び疲れて帰って来るせいか食事中に眠たくなってぐずることが多くなっている。今晩もその例に漏れずいくら食事をとるように厳しく注意してもまるで言うことを聞かない。あまりにもひどいので『今晩は1人で寝るように』というと、大泣きに泣き始めまるで手がつけられない。そうこうしていると今度は上の子につられて下の子までも眠たくなったせいか泣き始めてどうしようもない。ええい!どうにでもなれ!とほっておくと泣き声は次第に叫び声になり、これがうるさいのなんのって!ただでさえ痛い頭にまるで超音波攻撃のように突き刺さり、堪え難い。とうとう我慢できずに『やかましい!』と怒鳴りつけてしまった。そうなれば当然のごとく子供たちはさらに泣きわめき拾集不能になる。そんなこと分かってて怒鳴ってしまう僕も愚かだが、ほんと発狂しそうなほどのうるささでほとほと疲れました。なので今日は早く寝るとしよう。

For The People Of Tibet

2008-05-18

新たなる敵


スギナの攻勢を何とか押さえ、これで何とかなりそうだと思った矢先さらに強力な敵が出現した!それは言わずもかなムシムシコロコロどもだ。まずはアブラムシ、こいつはほとんどすべての花木に取り付きチュウチュウと汁を吸って葉を枯らしてしまう。その増殖率は凄まじくあっという間に新芽がアブラムシで埋め尽くされ、著しく成長を阻害する。農薬を使えば簡単に殲滅できるが極力使いたくないのでいろいろな方法を用いて対応しているものの、効力は今ひとつでさらに研究が必要だ。次はウリハムシ、その名の通り瓜科のキュウリ、カボチャ、ズッキーニなどに取り付いて食荒らし、その惨状は目を覆うがごとし。捕まえて踏みつぶそうとするとその動きを敏感に察知してふよふよふよ〜っと、まるで人を小馬鹿にするかのように飛んでゆき近場でこっちの様子を探っているのだ。しかもこのウリハムシ、5・6月頃に葉を食い荒らしているのは越冬した成虫で、こやつらがキュウリなどの根元に産卵しその幼虫は根を食荒らすという。そして7・8月頃に羽化し今度は葉に襲いかかるというとんでもないヤツで、その恐ろしさ、貪欲さはエイリアン級だ。もちろん、こんなヤツらでも農薬にはかなわん訳で、実は昨年カボチャに大量にたかっていたのに業を煮やし一度散布したことがある。散布後しばらくは効果が見られたが直に戻って来て元の状態に。と言うことは何度も繰り返し散布せねばならず、それはさすがにできんので喰われるままに放っておいた。いま我が庭のキュウリはアブラムシとウリハムシのダブル攻撃を受け、枯死する葉も出て来ている。農薬を使えば簡単だがここは一つ地道に捕まえては駆除するという方法で行こうと、今のところは思っている。

For The People Of Tibet

2008-05-17

経過


昨夜点滴2本を注入したのがよほど効いたのか、今朝は朝から比較的元気で水分もよく摂りいくらか食べ物も口にしてくれた。熱も無いようなので午前中の点滴の予定を変更し、気分転換に買物に連れて行くことに。1人でやんちゃ盛りの娘2人と買物するのは大変だ。まずは買物カートにどちらが座るかでケンカが始まり、さすがに2台押して買物するわけにもいかんのでここは病み上がりの上の子を乗せ、下の子の手を引いて店内を回る。水分補給用にと普段はまったく買わないスポーツドリンクを買い足し、別に娘達に好きな飲み物を選ばせ早々に引き上げ、家に帰るとすぐに昼食の用意。土曜日は妻が英語教室に付きっきりなのですべては僕の担当なのだ。もちろん上の子は教室には参加させられないので久しぶりに一緒に買物に行ったというわけ。まだお腹の調子が悪いのでおかゆを作ってあげたのに『好きじゃない!』と言うし、困ったもんだ。赤ちゃん用のせんべいを何枚か食べたので良しとして、おかゆは結局自分で食べて(下の子にも拒否された・・)後片付け。こちらが皿を洗っている隙に2人して部屋を散らかし、それを叱りながら自分で片付けていると隣の部屋を攻撃し始めるといういつものパターン。そんなことをしているともう夕食の支度の時間だ。休日の方が時間が経つのが何倍も速い気がする。なので最近は週休3日がちょうどだなと思っている。

For The People Of Tibet

2008-05-16

嘔吐


昨夜、隣で寝ていた上の子が突然吐いた。午前2時頃のことだ。それから朝まで何回も吐き、下痢も始まった。上の子が吐いたのはこれが始めての事で、しかも症状がひどく食中毒では?と疑ったが同じものを食べている僕も妻も大丈夫だ。ならば胃腸風邪か?と、幼稚園を欠席し妻が医者へ連れてゆくと、はたしてその通り。最近結構流行っているという。嘔吐と下痢が続き口にしたものがすぐに出てしまうので普段は健康優良児の上の子もかなりへばっている様子。取りあえず水分補給を、ということで点滴をすることに。1本注入するのに1時間かかりちびっ子には堪え難い時間なれど、家ではあまりテレビを見れない上の子は点滴そっちのけでドラえもんを見とったな。日中もよほどしんどかったのか水分さえも欲しがらず、夕方にする予定の点滴も2本に増やされ点滴待ちは2時間に。さすがに下の子まで待たせるわけにはいかんので妻と上の子残して家に帰りご飯を食べさせ、風呂に入れ、むずかるのをあやしておったらそのまんま僕の腕の中で寝ちまった。そうこうしていると2人が帰って来て、上の子も点滴2本も注入され大分元気が出た感じ。スポーツドリンクと擦り降ろしたリンゴを用意してあげると、少しずつだが口にしてくれた。もう3時間くらい経つが吐いたり、下痢したりしていないので良い方に向かっていると思いたい。明日も点滴の予約があるがこの調子なら必要ないかも知れない。あとで聞いたことだが幼稚園でも胃腸風邪が流行っているらしい。学校に行くようになるとどうしてもほかの子から病気をもらってしまう。そうやって強くなって行くのだろうが、それは子供にとっても親にとっても楽な道ではない。

ミャンマーでは恐れていたことが起こっている。コレラの発生だ。中国では消毒液を『そんなに撒いてええんかい?』と言うほどじゃんじゃか撒いているが、ミャンマーでは皆無のようだ。いよいよ2次災害が現実のものとなって来た。それでもなお、軍政は未だに無視を続けている。

For The People Of Tibet

2008-05-15

倒壊


推定死者数5万人超か・・恐るべき数字だ。ミャンマーのサイクロンによる死者数と合わせると最近だけで10万人近くの人々が命を落とした事になる。いまだがれきの中に閉じ込められ、じっと助けを待っている人もかなりいるとは思うものの、既に地震発生から72時間が過ぎ刻一刻と命の危険が迫っている。ここに来てやっとこさ中国政府も災害救助隊の受け入れを許可したようだが、こういうのが後手の対応であり、もし迅速に行なわれていたら何人かの命は救えたはずだ。ま、そんなことを言い合っていては助かるものも助からんので、ただひたすらに倒壊した学校の下敷きになっている子供たちが一人でも多く助かるよう祈るばかり也。

For The People Of Tibet

2008-05-14

断層


今回の大地震は断層が最大300kmも動いたという史上最大規模の逆断層地震ではないか?との観測も出ている。これは名古屋大学が行なったシュミレーションの結果だが、それによると断層は1分余りをかけて動いたことになるらしい。しかも震源が約10kmと浅く、揺れのエネルギー量としては阪神・淡路大震災の30倍ほどもあったのでは?とも言われている。そりゃ、1500kmも離れた北京でも揺れて人々が驚いて出て来るくらいだから、震源周辺の惨状は容易に想像できる。中国政府が威信をかけて救援活動に従事しているのはよく分かるが、報道で見る限りではあまりうまく機能していないように感じる。自前ですべて片付けてしまいたいというやり方はミャンマーと同じような発想で、被災民の目から見ればどうでもいいことなのだ。人命最優先と言うならば日本のレスキューのように地震災害に場慣れしたチームを受け入れ、ピンポイントながらも1人でも多くの命を救うことが大事なのではないか。事ここに至っても尚、建前を優先する姿勢はそういうお国柄だと分かっていても辟易する。
ミャンマーでは軍政が被災民に食糧を配らないので自分達で助け合ってやっていると、被災民に食糧をあげる為には許可証がいると言い出したそうな。要はそういう助け合いの集まりが反政府運動に発展するのを恐れた措置だが、そのあまりの愚かさには怒りしか憶えない。こうなったら国際部隊でミャンマーの軍政を転覆させるしか無いだろう。手をこまねいているとアフリカ、ルワンダの二の舞いになりかねない。すべては人命のため。迅速な行動が求められている。

For The People Of Tibet

2008-05-13

安否


この写真の街も存在しないのかも知れない・・。これは有名観光地である九寨溝・黄龍へと至る街道沿いの街ソンパンで撮ったもの。どことなく懐かしく、コンクリート造りではない建物が多く残るのんびりとしたところで、街中心部の商店街は小規模ながらも活気にあふれ、用もないのに何度も行ったり来たりしてその空気を楽しんだものだ。それが、今はどうなっていることか想像もつかない。時間が経つにつれ被害の詳細が明らかになり始めたが、ミャンマーのサイクロン被害の時にも感じた虚脱感をここでもまた感じてしまった・・。万を越える死者数とは一体何なんだ。数字としては理解できるが現実感が伴わずとても理解できない。それほどの激甚災害ということだろうが、まだ数万人が生き埋めになっている可能性がある聞き、暗然たる思いだ。とにかく今は少しでも早く、1人でも多くの人命が助かることを願ってやまない。

For The People Of Tibet

2008-05-12

連鎖


災禍は不思議と連鎖するもので、南で天が怒れば北で地が鳴動する。いずれも人はただ翻弄され為す術無く右往左往し、立ち尽くす。命を落とす者、運良く助かる者、その違いは一体何だろうか・・?
今回の大地震の震源とされるアバ・チベット族チャン族自治州ブン川県は6年前に訪れたことのある地だ。この時は四川省の省都成都から世界遺産として登録されている九寨溝と黄龍へ向かう途中に寄ったもので、長距離バスがひたすら山の間を縫って走っていたこと以外はあまりはっきりとした記憶が無い。ただ、山肌にへばりつくようにしてある民家などが多かったことを思えば、今回の地震で中央政府が把握しきれていない被害を受けているのは確実で、道路網も寸断されてしまっているだろう。気にかかるのはこの地域一帯も今回のチベット問題で徹底的に弾圧されたところで、それが理由で地震被害者の救助の手が遅れたり援助物資が送られなかったりすることがないよう願うばかりだが、現実的にはその地方へ進出した漢人を助けるのを第一義として中央政府が動くか、この地震を期にチベット文化圏への支援を積極的に行なって対外的にアピールし、チベット弾圧問題をぼかしてしまおうと言う魂胆で対応するか、いずれにせよ困窮している人々が助かるなら理由はどうであれまずは助け、被害の状況を隠すこと無く公表すべきと思う。

For The People Of Tibet

2008-05-11

お囃子の中のノスタルジア


昨日今日がお祭りの日だなんてすっかり忘れていた。僕が子供の頃は14.15.16日と日が決まっていたものがいつの間にやら5月の第2週の土日と変わっていて、さらに祭りの日は母方の親戚一同が市内の祖父母の家に集まり『おごっつお』を食べながらわいわいやっていたのも、先年祖父が亡くなり祖母も高齢ゆえ一世代下げて皆が集まらなくなったため『お祭り』という実感が無くなってしまった。僕の実家も同じ市内にあるものの市中心部からも遠く、山車を持つ町内でもないので祭りだからと言って特別何をするでもなく、どちらかと言うと同じ日に重なった『母の日』の方がイベントとしての意味合いが大きいほどだ。だから今日も『祭りか〜、どうするかな・・』などと迷っていたが、僕が娘達の年頃には亡くなった祖父に手を引いてもらいながら祭りに連れて行ってもらったことを思い出し、取りあえず行ってみることに。
『八幡さん』に通ずる道の両脇には出店がびっしりと続き、もの凄い人出だ。昨日が雨だったから今日に集中したのだろうな。出店で売っているものもほぼ昔と一緒だが新顔もいろいろあって見ていて楽しい。ただ、子供の頃は金魚すくいのほかにも生き物を扱った出店(コイ釣り、ウナギ釣り、カメ売り、ザリガニ売り、ひよこ売りなど)があったものだが、今回は金魚すくいしか見かけんかったな。これも時代の流れというものか・・。八幡さんの参道はひしめき合うほどの混みようで、妻と下の子は鳥居の外に残しておいて上の子担いで突入すると、相も変わらずお化け屋敷は盛況で、呼び込み親父も威勢良く、その声に僕の意識は過去へ飛び、いま自分の肩の上にいる子が実は自分なんじゃないか・・などというおかしな感覚にとらわれてしまった。それほどこの場は過去と現在の隔たりが少なく、出店で何かを買うにしてもお金を出してあげるのが自分なんて、いまだに違和感を感じるほどだ。どうもここでは僕の中の時間軸が止まったままで、まったく成長しておらずゆえにわけの分からぬノスタルジアに浸ってしまっているようだ。とはいえ、これは僕にとって心地良いものなんだよね。

For The People Of Tibet

2008-05-10

エーヤワディー川の落日


ちょうど10年前、ひと月ほどミャンマーに居たことがある。その頃もやはり軍が政権を握っており、様々なことに対し規制が厳しく民主主義とは程遠い状況だった。その為にタイのバンコクに集まっていた各国のバックパッカーの間では、ミャンマーを旅行することはとどのつまり軍政にお金を落とすことであり、軍事独裁をサポートすることになりかねないとの観点から敢えて渡航を見合わせる者も数多く居た。僕も正直かなり迷ったが実際のミャンマーをこの目でどうしても見たくて渡航することに決めた。軍政の影はあちこちに見え隠れはするものの、人々は皆優しく、穏やかで、どれだけ僕の心を癒してくれたことか。ミャンマーを旅していた時の様子は今でもはっきりと脳裏に甦り、思い出し笑いのように思い出してはジ〜ンとこみ上げて来るものがある。その一つはシポーを訪れた時のこと、イギリス植民地時代に拓かれた街の大通りには火炎樹の大木が並び、今まさに満開を迎えて真っ赤に染まっていた。周りの緑とあいまったその燃えるような美しさに僕は文字通り絶句し、レンタサイクルから降り手で押しながら、何度も何度も振り返り見上げ酔いしれたものだ。
もう一つはバガンでのこと。世界遺産にも登録されているパガン朝の古都の寺院郡を堪能し、当時の首都ヤンゴンに戻るという前日、急にエーヤワディー川が見たくなって日も傾きかけた頃船着き場へ向け街道をてくてく歩いてゆくと、マンダレーから下って来た木造の貨物船が多数着岸しているようで、人の行き来が激しく大変な活気だ。雑踏をくぐり抜けながらそのまま真っすぐ川の見渡せるところまで歩いてゆくと、突然目の前に巨大な夕日が赤々と、ゆらゆらと現れ、その朱色の光の中で人夫達が大きな袋を船から担ぎ出し、荷車に載せていた。このなんてことは無い日常の風景に僕は思わず鳥肌が立ち、『ああ、俺は生きているんだな・・』と、ただ単にそう感じ、しびれた。
今のミャンマーの惨状はあまりにも酷く、災害復興どころか救助や援助さえ為されておらず、そんな状況を無視するように軍政は選挙を強行し、軍事政権トップのタン・シュエ議長は笑顔で投票をしとったわな。その愚行にはもはや言葉すら無い。援助額の表明もいいが、まずは受け取る側を何とかせねば意味の無い話だろう。爆弾は平気で落とすくせに食糧を落とすことはできんのか?それこそが人命の為ではないのか?

For The People Of Tibet

2008-05-09

中華的衛星国


死者数だけは増加するものの救援活動は一向にはかどらず、軍事政権は信じられぬ愚かさを露呈するだけで被災したミャンマーの人々の苦しみは日々に増し、更なる命の危険も高まりつつある。既に被災から1週間以上経つというのに国連機関や各国の救援物資の受け入れもまったく進まず、世界食糧計画(WFP)の緊急援助物資4機分の内2機分が今もヤンゴン国際空港で差し押さえにあっているという。迅速な救助・援助が不可欠な状況でのこの愚かな行為はひとえに国民よりも軍事政権側の都合や思惑を優先した結果であり、それで政府を名乗る資格などあろうはずが無い。こんなことは先の政府に対する民衆の抗議行動に武力弾圧を行なったことで明白ではあったが、今回の未曾有の大災害においてもなお国民を無視するどころかさらに窮地に陥れる対応ぶりには怒りを憶え、どんなかたちでもまずは人々を救う手だてを国連はじめ世界各国が取ることを希望してやまない。報道によるとアメリカは最終手段として援助物資の空中投下の可能性も視野に入れているようで、あくまでも軍事政権側が各国の援助を拒むようであれば、それはもうその国の主権を代表する政権ではないのでじゃんじゃん投下してやれば良いと思う。まあ、そんな大胆不敵なやり方を思いつくのはアメリカしか無いだろうしね・・。
それにしても緊急援助の為の人員や、報道機関の入国をいっさい認めないやり方は最近どっかであったよね。先の平和的抗議デモに対する武力弾圧やその後の徹底した粛正などはまさに中国政府のやり方そのもの。経済・軍事力で各国に対し発言力が増す中国だが、それをそのまま受け入れてしまえばミャンマーの軍事政権のようなリトル中国を世界にばらまくようなもので、人々の言論と自由は制限され命は軽んじられる一方だ。実際に中華資金の流入が激しいアフリカでも起こっていることで、史上最悪の人道危機を引き起こしている。
いずれにせよ数十万、数百万という人々が、水を食糧を求めている。人々の渇きを癒し、腹を満たしてこそ、真の政府と言えるのではないか?

For The People Of Tibet

2008-05-08

友よ


しばらく会っていない友人から手紙とともにお土産が送られて来た。それによると1月から4月までインドに居たそうな。しかも今渦中のチベット亡命政府があるダラムサラにも居たという。この一連の動きの中でさぞやダラムサラも騒がしかったことだろう。そんな空気を彼は肌で感じることができたわけで、その点でうらやましいと言うかさすがだなと思う。お土産はインドの線香とチベット国旗がプリントされたFree Tibet手提げ袋。これはお互い何か意志が通じていたようで、このタイミングでもらえたのがとてもうれしかった。ありがたく頂戴し、よく見えるところに飾っておきました。これを提げて買物に行くのも良いなと考えているところ。
さて、友よ。手紙は在日本アフガニスタン大使館宛の申請書断片の裏に書かれていたけど、すでに次の企みありということかな?

For The People Of Tibet

2008-05-07

デルタの民


いったいどこまで増えるのか・・肥沃な大地は多くの人々の命を呑み込み大海へと流れて行った・・
現時点で2万2千人もの人が命を落としたという。さらに4万人が行方不明らしいがそれほどの大災害を引き起こしたサイクロンの猛威には慄然とし、亡くなられた人々のご冥福をただただ祈るばかリだ。しかしこれほどの被害が出た背景には何があるのだろう?もちろんそれほど強力なサイクロンだったことは確かだが、やはり国の貧しさから来る災害時の備えの不備が大きいだろうと思う。たとえば日本ではあたり前のある程度の精度を持った天気予報(台風進路予想など)も無かったろうし、あったとしてもTV、ラジオを持つ人にしか情報は行き渡らない。とどのつまり貧しい者は自分の身の危険を知ることも無く、運良く助かったとしても食糧、水不足に疫病といった2次災害にも見舞われ、さんざ辛酸を嘗めることになるという受け入れ難い現実。人の命の重さや人権は、持つ金の額によって変化するというこの現実。自分は幸運にも金銭的には恵まれた国に生まれ、この悲惨な状況をメシを喰らいながら『かわいそうに・・』などと見て済ますことができる。そんなときいつも感じる違和感のようなもの、それは『なぜ自分はそこにいないんだろう?』という感じ。馬鹿げたことかも知れないが当事者と非当事者との違いが分からなくなることがしばしばある。『自分は今ここにこうしているが、そこに居てもなんら不思議ではなかったのだ・・』という思いは常にあり、ゆえに人ごとではなく反対に言えば『そこにいなくて助かった・・』という思いもどこかに持っている。『明日は我が身』と、そのような報道に接した時は思うが、それも日々の生活に追われ一瞬にして忘れしまう。いや、だからこそ生きてゆけるのだ、となんとなく分かって来たかな。

For The People Of Tibet

2008-05-06

頭を丸め、木を植える


今朝も早よから庭に出て、昨日買った苗を植えんと場所決めに悩んでいると、親父殿が突然現れ『買物で近くに来たので寄った』と言う。それにしちゃー長靴、麦わら帽持参なんて殊勝な心掛けではないか。さっそく買い足したキュウリとトマトの苗を植えてもらい、その他にもいろいろ細々したことを手伝ってもらう。『自分の畑は?』と聞くと、大抵のものは植え終わったそうなげな。こちらは畑シロートなので分からぬことを聞きながら午前の部は終了。午後からは市内の園芸店巡りを親父殿参加で敢行するも、どの店も似たり寄ったりで特色無くなじみの2店にはとても叶わない。そこで園芸店巡りの最終にそのなじみの1店に寄ってみると、今までに無いような賑わいぶりで大盛況。植木苗をチェックしてみると驚くほどの安値で売られている。その中で感じの良さそうな黄モクレン1700円とその安さに思わず買ってしまったナンジャモンジャ(ヒトツバタゴ)1200円、それに紫色の花のエニシダ300円などを入手し、先日買っていたサンザシを加えて入植作業の開始。特に黄モクレンとナンジャモンジャは背丈2mを越す大物なのでまたも場所決めに悩んだが、ええいままよ!とばかりそこら辺に植えたった。これらの木が大きく育って来るのは5年も10年も先のことだろうが、見守る楽しさは格別だ。

For The People Of Tibet

2008-05-05

災禍


またか、と思う。ミャンマー中・南部を襲ったサイクロンで亡くなった人は現時点で4千人を超えるという。昨年11月にバングラデシュ南部を襲ったサイクロンの記憶も新しいうちに再び未曾有の災害に見舞われたことになる。現在ミャンマー最大の都市ヤンゴンでも通行や通信が遮断され、詳細な状況が把握できないらしい。数十万人が家を失い、最終的な犠牲者数は1万人を超える見通しとも言われている。サイクロンに襲われたのが2日夜から3日にかけてと言うから、甚大な被害状況が世界ニュースに上がって来るまでにも時間がかかり過ぎのように感じる。これらは閉鎖的な軍事政権の情報統制によるところから来ていると思うが、このような災禍には迅速な対応こそが求められるのに偽政者の都合や思惑により多くの命が左右されることは誠に嘆かわしいことで、この点においてはもっとも忌むべき人為的災害と言える。ともかく1人でも多くの命が助かるよう願うばかりだ。

For The People Of Tibet

2008-05-04

エンドウの謎


畑のエンドウは今収穫の盛りで毎日穫っているにも拘らず、これでもかこれでもかと成ってくれてありがたい。でもこのエンドウ、一つの謎があるのだ。と言うのも店頭で苗を買ったときはスナックエンドウとサヤエンドウを6:4の割合で買ったはずなのに、今収穫しているエンドウはすべてサヤエンドウでスナックエンドウが一つもないのだ。始めは土が痩せているせいで実が肥えてこないのかも?と思ったりもしたが、エンドウ自体は先に述べた通りじゃんじゃか成るし、大きくもなる。ただそれがスナックエンドウのようにぷっくりとしてこないだけだ。おそらく店頭で苗を販売するときに置き間違えたと考えてはいるが、ひょっとしたら僕自身が置いてある苗を取り間違えた可能性もある。とかくこの春はスナックエンドウを食べ損ねたな・・と思っていたら、夕方に隣の畑の人が来てスナックエンドウをいっぱい下さいました。そのスナックエンドウのおいしさときたら!来春こそは間違いなく自家製スナックエンドウを口にするぜ。

For The People Of Tibet

2008-05-03

くたびれ果ての連休初日


土岐の陶器祭りに行って来た。これは毎年欠かさず参加しているものでウチの行事ともなっており、普段使う皿・鉢などのものはすべてこのタイミングで調達することになっている。今日は想定外の厳しい暑さになったため広い祭り会場の出店を一軒一軒チェックしてゆくのは骨が折れ、何よりも子供たちが暑さにやられないか気が気ではなかった。今回必要なものは中皿と小鉢それに花瓶で会場を隈無く物色し、良さげなものを見つけてはあれこれ購入していった結果、遥かに僕が持てる最大積載重量を上回ってしまい、おまけにトドメの陶器製傘立てまで買ってしまったので持つことすらできなくなる始末。そんなこともあろうかと姪っ子を連れて来ていたのでここはなんとか彼女の力を借りて乗り切ることができました。家に帰り買ったものを数えてみると皿と小鉢が40枚、花瓶、傘立てが5個と、なんとまあそんなに買っておったのか!と自分達で驚くほど。でもこれだけ買ったのに使った予算が1万円ほどだったことを思えばお得でしょう。もっとも自分達は安いものしか購入していないのでこれだけで済んだのであって、出店されている陶芸家さん達のすばらしい作品を買おうとすれば数点で1万円なんか飛んでしまう。そりゃー良いものは欲しい、でも子供たちも小さいことだしここは一つ割り切って、割られてもダメージの少ない路線でしばらくは行くつもり。ただね、さすがは土岐の陶器祭り、初日に行くと100円や200円均一のカゴの中に半端もんやサンプル落ちなんかの理由で掘り出しもんが結構混ざっててね、それを見つけ出すのが楽しいんだよね。だからやめられないのさ。

For The People Of Tibet

2008-05-02

錆血


最近血が沸くような思いをしたことがあっただろうか?ドキドキしたことは?思い出そうとしても思い出せない。よく言えば平穏且つ安定した日々で子供たちも元気に成長し、毎日に幸せを感じている。でもそれで満たされているかと言えばそうではない。いつも血は何かを求め飢えている。飢えてはいるが満たされる方法を知らず日増しにイライラ感が募って来る。今まではその都度欲求を誤摩化してガス抜きをして来たが今回もうまくそれができるだろうか・・。新緑の季節を迎え気温も上昇し、さらに血の疼きは強くなって来ている。この国の空気は僕を癒しもするが、あまり長く浸りすぎると今いる自分が消えてしまうような、まるで普通に生活している自分をもう1人の自分が見ているような、そんな不思議な感覚にとらわれる。このままずるずると安穏な生活を送ろうと思えばそれなりに可能だろう。でもそうしている自分を想像することができない。
もうそろそろリミットだ。早く脱出せねば・・!

For The People Of Tibet

2008-05-01

この〜木なんの木?


不思議なもので畑をやれば人の畑が気にかかり、木を植えればよその家がどんな木を植えているのか、どんなレイアウトをしているのか、が気になって仕方が無い。ウチの庭も先日5本の木を植えたので、それまでの平面的な広がりの構図の中に縦の要素が加わり、庭の雰囲気ががらりと変わった感がして自分でもたいそう驚いている。これに味を占めてもっと植えてやろうと企んではいるが、いかんせん木の名前をあまり知らない。そこで昔買った山と渓谷社刊の『日本の樹木』なる図鑑を引っぱり出して来てひと通り目を通し、気になった木をピックアップして次回植える木の候補としているが、その数何と30種ばかり。もちろんそんなに植える場所など無いのでその中でも実際手に入るもの、値段の張らないものに限定して植えてみようと思っている。今はこうやって木を選んでいるのが楽しくて、連休中は必ず園芸店を訪れるつもりだ。

For The People Of Tibet