2011-09-30

甘さ


夕方、昨日の測量屋が謝罪に来た。名刺を見ると正確には測量屋ではなく土地家屋調査士だった。でもそんな肩書きなどどうでもよい。
さっそく昨日穴を掘り返したところと柿の木をへし折った現場を確認する。案の定、彼には柿の木を折ったという認識は無く、『これは柿の木なんだ』と教えてやって『へ〜そうですか』という程度のお粗末なお話し。隣の喫茶店のレモングラスを刈り払ったことについてもススキを刈った程度にしか思ってなく、万事がこんな調子で力が抜けて来る。
僕が受けた実害は柿の木がへし折られたことと、境界杭の回りに大穴があけられたことだが、穴については今後県との立ち会い確認が予定されているので穴を埋め戻すことはできず、土嚢袋を穴に詰め込んでおいて応急措置とし、柿の木に関しては僕の請求する実費の補償額を相手が支払うことで落着した。念のため、隣の喫茶店に謝罪に行ったかと尋ねると、すでに謝罪は済ませ20分近くに渡って説教を受けたらしい。当然のことだが、果たして彼らにその真意が通じただろうか・・

2011-09-29

波風


こちらが何もしなくても波風は立つもので、今日はそんな一日だった。

工程的な都合により現場は休みとなり自宅で内業をしていたのだが、外で何やら話し声がする。気分転換もかねて覗きに行ってみると、自宅の境界杭を二人組のおっさんが測量していた。『なんで測量しとるん?』と聞けば、畑を挟んだ隣の土地が売りに出ていて、それを管理している不動産屋から依頼を受けて測量していると言う。
その時はただそれだけのことで終わった。何ら問題など無かった。
しかし夕方、Jackieの散歩に出ようと堤防側へ降りると何やら様子がおかしい。よく見ると堤防に面した側の境界杭の回りが掘り返され大穴があいている。おまけにすぐその横に植えてあった柿の木の苗木は無惨にも折られていた。ヤツらめ!
測量屋が我が家の境界杭を測量したかったのは分かるが、なぜ一声掛けなかったのか?僕は自宅に居たので立ち会えば何ら問題は無かったはずだ。気になったので堤防に沿って境界杭を追ってゆくと、どの境界杭も深く土に埋もれていたので大穴があけられ、そのまま放ったらかしになっている。同じく堤防沿いにある喫茶店のおばさんに聞いてみるとやはり同じく掘り返され、杭の近くにあったレモングラスはすべて刈り払われてしまったとのこと。そのあまりに無法な所行にむかっ腹が立って、速攻地主に苦情を入れ、測量屋を謝罪に来させよと伝えておいた。地主には恨みは無いので管理する不動産屋に厳しく抗議するよう言ったのが功を奏してか、今日の測量屋から詫びの電話があり、明日現場の確認と謝罪に訪れたい旨連絡があったが、話を聞いていても反省しているようには感じられなかったので電話口でさらに問いただしてやった。
明日たとえ謝罪に来ても、3年かけて育てた苗木が元に戻るわけも無く、この分だけは実費で補償させるつもり。
ああなんて無神経で愚かな連中だろう。ちょっと気を使えば万事うまく行くようなことなのに、その辺りの心遣いがまるで無い。
これじゃあダメだよね。

2011-09-28

友よ、


友よ、君が行方を絶ってからはや一年だ。
僕は日々様々なことに追われ、せわしない毎日を送っているが、その時々に君は現れ、僕を考え込ませる。

友よ、君はダウラギリの高みで何を見たんだ?何を見ようとしたんだ?
君がその命を懸けて目指したものが何なのか、僕はそれを知りたいのだ。

友よ、あれから僕は様々なことを考えたよ。東日本大震災をはじめ豪雨に水害と、その度に多くの命が失われた。
『生きる』とは何だろうか?人の命はいともたやすく失われ、親は子を、子は親を必死で探した。そして多くの者が残されてしまった・・
そうだ、残された者達は『生きねば』ならない。何があっても『生き残って』ゆかねばならない。それが残された理由だ。

友よ、君は神々の座にどっかり腰を下ろし、『へえ〜、そうかい』なんて言ってるかも知れないが、生きてゆくことも少々しんどい時もあるが、まんざらでもないぜ。

まあ、そこでゆっくりしてなよ。そのうち俺も行くからさ、できるだけのんびりとね。

2011-09-27

悲願


パレスチナが国連への加盟申請を提出し、様々な波紋を広げている。国連への加盟を認められればすなわちパレスチナが国家として世界から認められたことになる。これに対してイスラエルは猛反対し、同じく超金持ちユダヤ人が実質的に支配しているアメリカもこれに同調して、拒否権の発動をちらつかせるなどの卑怯な方法でこれを阻止しようとしている。僕は当然パレスチナを国家として承認することを支持する。
パレスチナの悲劇は欧米列強によってイスラエルが建国された時から始まり、国家を樹立することは彼らの悲願でもあった。今のパレスチナが国家としての体を為しているかと言えばいささか心もとないが、パレスチナの人々がそれを望むならば反対する理由は無い。国家として承認するより和平プログラムを確実に勧めるべきだとの意見もあるが、これは結局欧米など他の利害国による駆け引きであって、イスラエル建国の時と同様にパレスチナの人々の思いとはほど遠い結果にしかならないだろう。ならば国家樹立後にいかなる困難が待ち受けようとも、あくまでも悲願達成を目指すという気持ちは痛いほどよく分かる。それほどまでにパレスチナの人々は追い詰められ、希望を見失っているのだ。

中東各国を始め、ロシア・中国などはパレスチナの国連加盟を支持しているという。そんな状況下でアメリカが拒否権を発動すればアメリカの威信と信用は大きく損なわれるだろう。そうならないための調整が一生懸命されているようだが、ここでもパレスチナの人々は蚊帳の外に置かれ、ただ推移を見守るしか無い。果たして彼らの悲願は成るのであろうか?
成らぬとなった時、落胆した人々は怒りを爆発させ、終わりの無い憎しみの連鎖が再び繰り返されることになるだろう。

2011-09-26

次女復活


昨夜与えた解熱剤が効いたようで、次女はうなされることなく朝までぐっすり眠ってくれた。幸い今日は運動会の振替休日で幼稚園は休みで、ゆっくり養生できる。そう思っていたらトントントンと、次女がリズムよく階段を下りて来て、『わたし、なおった!』と言うじゃないか。確かに外見は元気そうだが、朝一は体温が上がらぬもの。熱を計ってみると37度5分しかないが、たまたま今低いだけかも知れない。妻はまた高熱が再発した時のためにかかりつけの小児科に診察の予約を入れて備えていたが、結果的に見れば熱はもう上がらなかった。
そして次女は午後から何事もなかったかのように走り回って遊んでいたそうだ。その回復力の恐るべきことよ。

子供は病気の進行も早いが、その回復力も驚異的だ

2011-09-25

次女高熱


昨夜、次女は異常なまでに興奮し、叫びあるいは飛び跳ねてこちらが心配するほどだった。
そして今朝、次女の目の周りはうっすらと赤みを帯び、どことなく目は虚ろ。朝食はほとんど食べず『寒い、寒い』と繰り返していた。『これは・・』と思い体温を計ると38度4分。案の定だ。別段他の病気の症状が見られないため風邪による発熱だと思うが、午前中に一度座薬を使用してしばらく熱が下がったものの、夕方には再び上がり始め39度を超えて来た。その熱の割に本人はしっかりとしていて、辛そうながらも頑張っているようだ。それでも高熱には変わりないので再び座薬の使用を勧めるも『痛いから嫌だ』と言って聞き入れない。しかしこのまま39度5分近い高熱を続けることも危険なので、錠剤のアセトアミノフェン(子供用)を砕いてスポーツドリンクに混ぜて飲ませてあげた。おそらくこれで少しは熱が下がり、眠ることが出来るだろう。明日には回復に向かうことを祈るしかない。

おとといに次女の運動会が無事済んだのだが、それまでの暑い日々ほぼ毎日のように運動会の練習に明け暮れ、いつも疲れ果てて帰って来ていた。そんな疲れが溜まっていたのと、ここ最近の急激な気温の変化で体力が一時的に弱まっていたのだろう。そんな隙を風邪はついてくるものだ。

夏の疲れがそろそろ出始める昨今。体調には十分注意されたし。

2011-09-24

主夫、10分に泣く


毎週土曜は僕が主夫をすることになっている。娘達の朝食から始まり、昼食そして夕食まですべて僕の担当だ。これはすでに何年にも渡って続けて来たことなのでなんてことは無いが、今は乳飲み子の三女がいるからいささか大変だ。だからと言って我が家は娘達に粉ミルクを飲ませたことは一度も無い。完全に母乳で育てて来たし、今からもそうするだろう。なので妻の英語のクラスが始まってからは長女と三女(次女はクラス参加)を連れて買い物に出かけ、妻がクラスから抜け出して三女に母乳を与える11時頃までには帰宅していないといけない。妻が母乳を与えている僅かの間に布団を干したり、掃除機をかけたりしてささっと家のことを済ませ昼食の用意に取りかかる。いったん三女を引き取って長女と一緒に昼食を摂り(次女はクラスで弁当)、再び妻が母乳を与える13時過ぎからは、夕方までずっと三女の面倒を見なければならない。母乳をたっぷり飲んでスヤスヤと眠ってくれると楽だが、いつもそうとは限らない。特に今日はどこか調子が悪いのか虫の居所が悪いのか、昼寝をしても10分ほどで起きてしまい後はひたすらぐずり続け、ほとほと困り果て疲れ果てた。それでも三女は一番良い子の方で、上の二人の時はキツかったな・・今となってはそれも良い思い出だけどね。
最近は三女の意思がだいぶはっきりとして来て、周囲をきょろきょろしては妻の姿を探し、見つけようもんならそれまでご機嫌だったのに急に泣き出してママ、ママする始末。これは誰もが通る道だが、このステージにはいるとちょっと大変なのだ。でも成長の早い赤子のこと、親がオタオタしとる間にさっさと次のステージへと移ってゆくので、この大変さも暫時のことよ。
とにかく今日は三女を抱いて、ロッキングチェアーでギーコギーコしている時間が長かったー。やっと寝付いて超精密機器を運ぶかのように慎重に布団に寝かせても10分で起きられちゃ、たまったもんじゃないさね。『ああ!起きちまったよー』というこの気持ち、分かる人は分かってくれるよね。

もうひとつの運動会


ぐっと気温が下がり爽やかに晴れ渡るなか、次女の運動会が開催された。
小学校とは違い、幼稚園の運動会は『場所取り』が必須となっている。もちろんこの仕事はパパさん達の担当となっており、6時半前にもかかわらずすでに100人以上が列をなして並んでおった。『もうこんなに居るわ・・』と、唖然としながらも大人しく並び、猛烈ダッシュの後なんとか『場所』を確保することが出来た。

絶好の運動会日和のなかで子供達は元気一杯走り抜け、ときおり宙を日よけのパラソルが舞い上がって観客の声援に華を添える。昨年のリベンジを誓ったパパさんの綱引き大会も今回は連勝して雪辱を果たし、親子競技では次女の腕を引っこ抜かんばかりの勢いで激走して、子供以上に闘志むき出しの真剣勝負に挑む。
運動会の最終盤に行われる年長さんのクラス対抗リレーで会場は一気にヒートアップし、皆が総立ちで声援を送る。ふと、三女の分も含めるとあと4年もこの運動会に参加しなければならないな・・と思うが、『場所取り』を除けば楽しいもので『それもいいかな』とも思う。

これで今年の運動会イベントは終了し、ホッとしているところ。悪天候などで順延されると、ぎっしりと予定が詰まっているので厳しかったがこれで大丈夫だ。今度は長女の七五三と三女の100日参りだな・・

2011-09-22

危機意識


台風の直撃であんなに多くの帰宅困難者が出るなんて、大都市の災害に対する脆弱さをまたも露呈したかたちとなった。
何を隠そう我が弟も、そのニュースに映し出されていた数多くの帰宅困難者の一人であって、完全に電車が止まってしまって為す術無しとのことだった。幼子を抱えたMちゃんも弟の身をさぞや心配したことだろう。
だから思うのさ、昨日書いた学校の対応と同様に何で台風が確実に当たると分かっとるのにのんびり仕事しとるんや?と。確かにニュースでコメントを残した何人かのサラリーマンは『会社を3時に退社したにもかかわらず駅に来てみると電車が運行中止になっていてどうすることも出来なかった』と言っていたが、そもそも会社側はこんな時には午前中で仕事を切り上げ、すぐに帰宅命令を出すべきだ。結果論かも知れないが台風が目前に迫る3時頃に『退社せよ』と言っても、そもそも社員は午後からは台風の動向が気になって仕事が手につかないはずだし、ギリギリまで仕事をさせて例え3時に退社させても、例のごとく電車の運行中止で駅に深夜まで缶詰されくたくたに疲れて帰宅し、そして明朝いつもと同じように出社する。こんなことでは社員の仕事の効率が上がらないのは目に見えているし、経済的な損失もかなりのものだろう。そして何より社員の身や家族に負担をかけ過ぎている。
こんなときこそ他社を出し抜くかたちで早々に社員を退社させ、会社にとっても社員にとっても最善の方法を選択するのが生き残ってゆくための術ではなかろうか。
何事に於いても危機意識を持つことが、この時代を生き残ってゆくための必須条件だろう。そうやってご先祖様達は生き残って来たんだから。

2011-09-21

台風去りて


台風がすぐ南を通過していったので相当の警戒をしていたが、幸いなことに雨は昨日に比べ格段に少なく、心配していた強風も台風一過後の吹き戻しの方が強いくらいで拍子抜けするほどだった。今朝は早朝から畑の台風養生に専念し、前回の台風の被害も考慮して出来うる限りの対策を講じたが、結果的にはそこまでする必要は無かったことになる。しかし、こんなことを言ってられるうちがいいんだよね。他の地方ではかなりの被害を受けた所もあり、この周辺が大きな被害無く済んだことは単に幸運だったということだ。日頃から今回のような警戒態勢を取ることが将来的な被害を防ぐことにも繋がるだろう。備えあれば・・だ。

台風15号接近に際しての学校の対応は実に拙く、確実に暴風警報が発令されると分かっていながら現在は出ていないと言うことで、小学校・幼稚園とも通常の登校となったが、すぐに緊急メールの配信が来て『警報が発令されたので11時45分に下校する』とあった。そんなことは分かり切ったことなので始めっから休校にすれば良いものを、まったくこの判断は誰が下しているのだろう。家庭によってはすぐに迎えにいけぬ人も居るはずだ。その辺りの配慮も無く杓子定規に警報の発令の有無だけで判断するとは如何にも公務員的で反吐が出る。リスク回避の点から見れば、警報が発令されてからでは台風の進度から考えて手遅れだ。親が迎えに来れない児童らは危険に身を曝しての下校となる。
まったく児童の身の安全第一ではなく、実態にそぐわない決めごとを第一としているところに呆れ以上に憤りを感じる。

2011-09-20

プロローグ


今は雨も小康状態となり、穏やかな夜となっている。
それにしてもよく降った。名古屋や東濃方面までとはいかないがそれなりの激しい降雨が一日中続き、表の川はみるみる水かさが増えていった。しかしこれはまだ前哨戦、台風本体が近付くのはこれからだ。警戒だけは怠らぬよう心して備えるとしよう。

昨夜の大爆発以来、我が腹も小康状態を保っている。朝になって妻や娘らに『大丈夫か?』と聞いてもまったく問題無しとのこと。結局僕一人が爆発したわけで、僕しか口にしていない何かにあたった可能性が高い。腹も落ち着いてはいるがまだ調子はいまいちで、いつ何時再爆発を起こすかわからぬ不安定な状態。でも食欲はあり、回復に向かっているのだろうと思いたい。

朝からの大雨で現場も中止となったため、銀行に提出するための様々な書類を取りに役場へ出向く。今回は枚数が多かったからだが、発行手数料で3千6百円も取られてしまった。ポンとボタンを押せば出て来る紙切れ一枚ごとに300円も徴収するなんて、ぼったくりも甚だしい。そもそも税金を納めている者から手数料を取ること自体おかしいと思う。申請された種類は無料もしくは100円程度で出すのが筋だと思うがいかがだろうか?

2011-09-19

一転急降下


いま、とんでもない腹下しに襲われている。こんなに強力なのは久しぶりだ。
夕食を外食したのが原因かも知れないが、僕以外は別に問題無し。トイレであぶら汗を流しながら痛みに耐えること数十分。一瞬吐き気も催すが、これは回避できた。
単なる食あたりだとは思うが、それにしてもこんな大爆発はそうそう無い。取りあえず使用期限を5年過ぎた正露丸を飲んどいたが、それが功を為したのか今は落ち着いている。でもなんかまだくすぶっている感じ。ちょっとでも何かを口にしようなら、またぞろ爆発を繰り返すかも知れない。いやはや油断大敵だね。もともと普段とは違ったものを口にすると腹を下し易い質だが、ここまで痛みを伴うものは珍しいよ。案外風邪などが原因かも。
今日はこれで寝ちまって、経過をみるしか無いな。

2011-09-18

運動会


朝からスッキリと晴れ渡り、1日遅れの運動会が開催された。
心配されたグランドのコンディションも良好で、次々と子供達がピストルを合図に駆け出してゆく。
小学校の運動会なんて何年振りだろうか?もう30年近くも前の話だ。こうやって自分が大人になってから運動会を見ていると、おかしなことだが子供達がほんとに子供っぽく見えるから変な違和感を覚える。自分が小学生の時は自分なりに真剣に運動会に参加していた。走る時もよーいドン!の瞬間まで緊張してドキドキしていたのをよく憶えている。それを客観視する立場で見ていると、やっぱ小学生だよな・・なんて、ちょっとなめた見方をしてしまう。自分たちもこんなんだったかな?なんて思うが、間違いなく『こんなんだった』のだ。そういう見方をするということは、それだけ自分が歳を取ってしまったということだろう。

長女や知り合いの子供達はみな頑張っていたよ。30℃を超える暑さの中、精一杯走り、声を出し、幼稚園とは違った自分たちの運動会を演出していた。5・6年生の上級生は先生や保護者達に代わって運動会の細々とした作業をカバーし、PTAの出る幕が無いほどだ。
自分が経験して来た運動会とは違った運動会がここにはあった。シンプルだが今の時代にはこれがしっくり来ている感じがした。

暑い中での運動会だったが、幸い救急車で運ばれるような子は出なかった。運動会の始めと終わりに全校生徒でラジオ体操ではなく、時間をかけたストレッチを行ったのもちょっとした驚きだったな。かえって職場の方が古風なのかもね。

長女を含め、みなさんご苦労様でした。

2011-09-17

妻のひと言


夜中から明け方にかけての大雨の影響で長女の運動会は明日へと順延された。明日の予報は晴れと言うことなので開催されるだろうが、気温が33℃になるというからかなり蒸し暑い中での運動会になりそうだ。熱中症には十分注意したい。

ところで先日、SMAPが北京公演を前に中国政府に政府要人並みの待遇を受けたとニュースでやっていたが、それを見ていた妻が『SMAPを、例えばキムタクを日本の首相にしたらいいんじゃない?彼ら20年もSMAPやっててコロコロと変わらないし、知名度も高いし、顔もいいからね』と言って笑っていたが、それもありかな?と思う。日本政治の場合、首相や閣僚と言っても実際どれくらい実務的なことに精通しているだろうか?伝統的に実務を担当するのは事務次官らの官僚が占めて来た日本に於いて、『先生!先生!』と、先生でもないのにちやほやされて天狗になっている無能なあほうどもが閣僚になったところで、失言などのポカやらかしてさっさと辞めてゆくのが関の山。そんなんならSMAPでも・・と思ってしまうこの悲しさよ。

国家の大きな変換点は政治の乱れから始まるのは古今東西歴史の証明しているところ。今回は東の海から黒船ではなく、大津波がやって来たが、この国に与えた衝撃は計り知れないものとなった。
いま人々は、これからどうすべきか?どうあるべきか?をひとり一人が考え、問うている。残念ながらいまの政治がそれを受け止められないなら、その人々の大きな思いはどこへ向かうのだろうか・・

2011-09-16

再び


台風15号から流入する湿った空気の影響で雨が降ったりやんだりの状態だ。明日の降水確率も高く、この分じゃ予定されている長女の運動会は順延になる可能性大だ。時折雨がパラつくような中で運動会を行うのが涼しくて良いなと思っていたが、それ以上の降りになってしまいそうだね。まあ、明朝の天気次第ということだ。

しかし今朝のニュースでもやっていたが、相変わらず全国の学校で運動会もしくはその練習中に運ばれるケースが多いよね。そんだけ暑い、暑過ぎるってことだよ。それなのに熱中症対策のために生徒達の控えスペースに日よけのための寒冷紗を設置したり、運動会当日の種目を削ったりして調整すると言うのだから呆れてものが言えん。このニュースを見ていた妻が『単純に1ヶ月遅らせたら涼しくなって何の問題も無いだろうに』と言っていたが、まさにその通り。なんか日本はちぐはぐでいかんね。

2011-09-15

ダニ刺され


山の現場に入ってからダニと思われる虫刺されに困っている。
現場では地下足袋を履き虫除けスプレーをたっぷりと塗っているが、それでも這い上がってくるようで太ももあたりに刺された痕が集中し、とても痒い。あるときなぞ股関節に発疹があり、よく見ると極小さな黒い点がポツリとその発疹についていた。それをよくよく見るとダニだ!大きさはどうだろう1mmにも満たない小さなものであったが間違いなくダニだった。それからは帰宅後すぐにシャワーを浴び、ゴシゴシと身体をこすってダニを落とすように心がけているがまだ刺されるのだ。ひょっとしたら僕が寝ている布団に移ったかも知れないので、この酷暑を利用して日中布団を干しっぱなしにして駆除をしたつもりで居るがよく分からない。実際僕をさしているダニがマダニなのかイエダニもしくはツメダニなのかよく分からない。でも現場が始まってから刺されるようになったのでマダニだと思う。ただしマダニよりはツメダニに刺された様にも見えるので何とも言えないな。
とにかくこの痒みはたまらない。布団にも疑いを持たざるを得ないのが嫌なところだな。

2011-09-14

運動会と熱中症


最近、毎度お馴染みのニュースが『運動会の練習をしていて熱中症で運ばれた』というものだ。今日のように35℃に迫る暑さの中ではその件数も激増し、各地で救急車のサイレンを鳴り響かせたことだろう。
我が娘達も運動会の練習で毎日疲れ果て、為にご機嫌斜めで喧嘩ばかりしている。次女は明日総練習が予定されており、今日と同じく暑くなりそうなので熱中症に罹る子が出なければと思う次第。長女の運動会は今週土曜日に予定されているが、天気予報では傘マークも付いていてこちらは上手くすれば若干過ごし良い中での大会になるかも知れない。

それにしてもだ、なんで運動会を9月にやるんかね?まだ暑いやんか。体育の日は10月10日なのでこの前後にやればずいぶんと涼しくなって熱中症の心配も減るだろうに、どこの学校も決まったように残暑厳しい9月に行っている。まったく正気の沙汰とは思えない。学校や幼稚園のスケジュールの関係でそうなっているのかも知れないが、予定を変更しようとすれば出来ぬことではないだろう。おそらく公務員特有の『慣例に従って』というくだらない理由からだろうが、熱中症で誰かが死んでからでは遅いんだよ。どっかの校長が言ってたな『しっかりと対策をとって来たけど防げなかった」とね。だがね、今の子達は基本的に体力も根性も昔と比べたら相当劣っているんだよ。そんな程度で運ばれる方もどうか?とは思うが、若い命を危険にさらせてはいけない。おそらく日本のことだから何人かの犠牲者が出ないと物事が変わらないのだろう。こんな悲惨なことは無い。明らかにそこにリスクが存在するのならそれを避けるのが当然のことであるし、子供達のことならばなおさら大人がリスク回避の選択をしなければならないはずだ。そんなこともできんようで、子供達を守ることが出来るはずが無い。

さあ、実行せよ!

2011-09-13

残暑


九月も半ばにさしかかろうと言うのに相変わらず気温は30℃を超え蒸し暑い。特に風の無い日などは不快この上なく、体力や精神面での消耗が激しい。そんな厳しい条件下でも作業員さんらは不平も言わず黙々と働いてくれている。ほとんどの方は60代後半から70代だというのに、その働き振りには感嘆する。果たして自分がその歳になった時、同じように働けるか?と考えるとまったく自信がない。
皆さんは仕事を楽しんでやってくれている。そして僕も仕事を楽しんでいる。皆が楽しいから自然と現場には会話と笑顔が溢れ、愉快な雰囲気が漂っている。そうであれば少々体力的にきつくても頑張れるのさ。くたくたに疲れて一日の仕事が終わると『今日はよく頑張った。さあ、明日も頑張ろう』という気持ちになる。
皆が向いている方向はひとつで、後はゴールに向けてまっしぐらに突っ走るだけだ。

政治家どもも少しは我々を見習うと良い。出来なければ罷免せよ。

2011-09-12

関節痛


昨日、草刈機を振り回し過ぎたせいで身体の節々が痛いと思ったが、どうやら風邪を引いてしまったようだ。と言っても極々初期で、今のうちに手を打てばなんとか押さえ込めそうな感じ。しかし家族の誰も風邪を引いていない状況で僕が真っ先に引くことはあまり無いことで、ひょっとしたら3女がくしゅんくしゅんとやっていたのが風邪だったのかも知れない。赤ちゃんは母乳で免疫力が非常に強くなっているから症状が出ずに治ってしまうことも多々あると思うが、僕は違う。さすがに身体は頑丈だが子供からもらう風邪は避けようが無く、毎年ひどい目に遭わされている。特に今年からは長女が小学校で次女が幼稚園なので、それぞれで流行っている病気を家にまで持って帰って来る確立が高く、まったく油断出来ぬ状況だ。これからは本格的なインフルエンザ流行の季節にも入って来るし、4ヶ月の赤ちゃんも居るので気を緩めぬことができぬ日々がしばらく続くことになる。

2011-09-11

恐竜?のたまご


堤防にじゃんじゃん生えていた草どもを片っ端から薙ぎ払い、くったくたになりながらも刈り払った草を数カ所にまとめていた時のことだ。梅雨前に刈り払い、堤防の裾に積み上げておいた草の堆積が堆肥として頃合いになっていたので取り崩していると、ちょうど地面とスレスレのところから白いものが顔を出して来た。始めはキノコだろうと思い熊手でかき取ろうとして手が止まった。『卵だ!』
かぶっていた堆肥を取り除き土から取り出してみると、楕円形をした3〜4cmほどの卵が9個あった。おそらくはヘビの卵と思われるが、ひょっとしたらカメの卵かも知れない。堆肥の発酵による熱を利用して卵を孵そうなんて、なかなか賢いじゃないか。
出て来た卵を元に戻して草を被せようかとも思ったが、それでは様々な条件下で無事孵化まで行き着くことは困難と思い、とりあえず卵を採集して一時的に堆肥とともに植木鉢の中へ仕込んでおいた。今後は水槽を買って観察しながら孵化まで見守ってやろうと思うが、卵の主がカメだったら良し、ヘビだったらさて、どうしようかね。とにかくまたひとつ楽しみが出来た。うまく孵せるかどうかは分からないが、何が産まれてくるのか分からないところが良い。ひたすらカメであることを祈ってせっせと卵の面倒を見てやるとしよう。

2011-09-10

経験則


毎週土曜日は三女の面倒を一日中見ていないといけない。買い物をするにしても、どこへ行くにしても僕と三女は必ずセットなのだ。ただ、我が娘達は100%母乳で育てているので、妻が英語クラスの合間におっぱいをあげる時間には必ず家に居ないといけない。この時間を見逃したりしようもんなら三女がぐずって手が付けられなくなってしまう。そこで買い物に行くにしても段取り良くやらないと結構時間がギリギリなので、常に時間を気にしていないといけない。幸い午前中は長女が一緒に来てくれるので大助かりだが、午後になるとほぼ2人きり。
昼食後に妻が再びおっぱいをあげてそのまま寝てくれるなら楽なのだが、なかなかそう上手くはいかないもので20分ほどで目覚め、泣き始めた時には『あと4時間あまりを乗り切れるだろうか・・』と弱気になる。それでも長女・次女と経験を積んで来た強みで心には『なんとかできるし、なんとかなるだろう』との余裕もあり、自分なりに『上手く面倒見れてんじゃん』などと自惚れてもいる。
三女は非常に良い子なのでスヤスヤと昼寝もしてくれるが、『この調子なら大丈夫だ』と思うとすぐに目を覚まし大泣きとなる。
それをなだめつすかしつしながら夕方まで乗り切り、後は妻に託して夕食の支度に取りかかる。

確かにぐずると大変だが、そうじゃなければなんてことはない。これも後になれば懐かしい思い出となるだろう。
子育ては慣れるほどに楽しくなる、これは何より経験がものを言う。

2011-09-09

うわぐつを洗う夜に


娘達のうわぐつを洗うのは僕に課された仕事だ。もう4年間洗っているが、3女の分まで考えるとあと18年!近く洗い続けなければならないことになる。
夜、娘達が出た後の風呂場でゴシゴシとうわぐつを洗いながら思う、『長女の足も大きくなったなあ〜』と。
小学校の床はよほど汚いらしく、毎週末真っ黒になったうわぐつを持って帰って来る。いくらブラシでこすってもちっともきれいにならないが、僕はせっせとこすり続ける。僅か数年前はこれの半分くらいしかなかったよな・・などと物思いに耽りつつゴシゴシと続ける。
長女は小学校に入り、グンッと大きくなった。
次女は妹が産まれたことにより一時的に赤ちゃん返りをして僕達を困らせたが、今はお姉ちゃんとしての自覚を持ち様々なことを手伝ってくれている。
三女はニッタリと笑って周囲をとろけさせ、ご機嫌の時は笑い声も発するようになった。

娘達の成長に圧倒され、自分自身の成長を気にする暇もなかったが、どのみちオレなんて成長なぞしとらんよ。

2011-09-08

なんじゃこりゃ?


今年のカボチャは不作だった。決定的な原因のひとつが、品種の違うカボチャ同士が交雑してしまったことだ。例年ほぼ同じ場所で3品種くらいを栽培するが今回はどういうわけか交雑がひどくて、えびすカボチャの大半が妻がアメリカで購入したフランス原産のシンデレラパンプキンと交雑して、見た目はほぼえびすカボチャだが大きさがバカでかいという、おかしなものになってしまった。まだひとつも食べてはいないが、もしこれが美味かったら巨大化している分得をした気になるが、おそらく美味くはないだろう。残念と言えば残念だ。

次にこれも妻がアメリカから持ち帰った種だが、育てて見るとへんてこりんなカボチャしか出来ない。まるでひょうたんのような不思議なものだが存在感だけはあるよな・・

2011-09-07

それぞれの存在


ある朝、いつものようにJackieの散歩をしていると、長女の同級生のお母さんが地蔵さんに供える水と花を持って歩いて来た。このお母さんはいつも早起きでよく5時半頃にお互い挨拶を交わしていたのだが、今日はちょっと立ち話をする時間があったので『いつも娘がお世話になっています』という話から始まり小学校のことなどを話していたら、彼女が『実は私、ずっと体調を崩していたんです』と言う。
聞けば精神的に不安定になり、対人恐怖症になってとにかく人と接することを避けて来たとのこと、僕に対しても逃げ隠れるようにしたこともあったかと思うが、どうか許して欲しいと謝罪された。
それを聞いて僕はびっくりした。我が家と同じく3人の娘を持つ彼女はPTAの役員もしており、まったくそんなことを感じたことは無かったからだ。確かに早朝、遠くから姿を確認して挨拶しようとした時にすうーっと裏口から家の中に入ってしまうこともあったが、それはたまたまそういうタイミングだったんだ程度にしか感じなかった、しかし彼女は言う『毎朝こんな私に声を掛けてくれて嬉しかった』と。
僕は散歩中、出会う人には無視されようが変な顔されようが、こちらから挨拶することに決めている。ただそれだけのことをしていただけなのに『嬉しかった』と言われてしまった。こんな些細なことが悩める人の心に一石を投じることになろうとは想像だにしなかったことだ。
この朝の短い会話は僕にとっても何か大きなことを感じさせる、貴重な時間となった。

人とは、なんて複雑でおもしろいものだろう。

2011-09-06

秋はそこまで


雨台風過ぎ去って、朝晩グッと気温が下がって来た。現在2階でも24℃。涼やかな風も吹き実に心地良い。今までの暑さからしたら夢のような涼しさだが、あのクソ暑い夏がまたひとつ去ってゆくのだと思うと、心無しか寂しさを感じるのは僕だけだろうか・・
この涼しさのおかげで娘達はよく眠ってくれる。そして妻もよく眠る・・。相変わらず僕は0時頃に寝て、5時半に起きる生活を繰り返している。今はちょうどJackieを連れて散歩に出ると、東の空を輝かせて陽が昇り始める。一日の始まりだ。空気はひんやりとして半袖では肌寒い。
足指を骨折しているJackieは3本足で器用にぴょんこぴょんこ跳ねながら散歩をし、痛みはあまり感じていないように見える。パブロフの犬の条件反射のように、散歩に行くことが嬉しくて痛みのことを忘れているのかも知れない。すこぶる元気でご飯もよく食べる。なので骨折のことはあまり心配せず、ゆっくりじっくり経過を見ていこうと思う。

2011-09-05

ローンと借り換え


現場が中止となったこの日は何かと家のことで大忙しだった。
まずは長女を大雨のなか小学校へ送り、続いて次女を幼稚園に送る。その後は銀行へ出向き住宅ローンの繰り上げ返済を行ったが、僕達が融資を受けたときより金利は大きく下落しているので、借り換えの可能性を馴染みの行員に聞いてみるとさっそく様々な条件でローン返済をシュミレーションしてくれ、エクセルの表として提示してくれたがこれがなかなか難しい。こういうものが苦手な僕をさておいて妻はじっと目を凝らし表を読み取ってゆく。時折『これは何という意味?』という質問をしては『ああこれはそういうことだ・・』と理解しているようだ。僕はエクセルの表を見ると生理的に拒否反応を起こし、脳が自動停止してしまう。さらに非常用の電源も無いのでメルトダウンして理解不能に陥り、最終的には爆発して想定外のことになってしまうのだ、って何のことだっけ?

とにかく住宅ローンの借り換えをすることにして必要書類を揃え、もう一度ローンを組み直すための事前審査を申請した。審査が通れば司法書士に抵当権の抹消と再設定を行ってもらう必要があり、この簡単なペーパーワークに何十万もの手数料を支払わねばならない。しかしそれだけの額を負担してもローンの借り換えをした方が結果的には損をしない方法となるはずなので、面倒でもしなくてはいけない。

いろいろと勉強になった1日だった。

2011-09-04

雨禍


夜が更けるにつれ雨脚が強くなって来ている。
気象庁のレーダーで見ると日本海へ抜けた台風12号に向けていまだに湿った空気が流れ込んでいるようで、ちょうどその雨雲の通り道に当たっているようだ。明日の予報も雨だが、レーダー解析を見ても次から次へと雨雲が北上しており、当分この大雨が続くことになりそうだ。三重・奈良・和歌山県のような豪雨になる可能性もあるのでここは十分警戒したいところ。表の川も日中の大雨で河川敷まで水に浸かり、またぞろ大量のゴミが流れ着いていた。そこに再び大雨が降れば一気に川の水かさが増すだろう。大丈夫とは思うがニュースで豪雨による惨憺たる状況を見るにつけ、不安な気持ちになるのも仕方の無いこと。どうかどうか程々で収まってくださいましよ。

被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

明日は我が身なり・・

2011-09-03

台風12号


夕方、いったん収まりかけた風が夜に入り再び強くなっている。
今回の台風はほんとにノロい台風だね。時速10kmで北上中とは困ったもんだ。幸いこの地方は暴風圏内からは外れたが、それでも風は強く、時折ドーンというような風圧とともに凄まじい風切り音が通り抜けてゆく。畑の方は案の定、ササゲやミニトマトの支柱が倒れかなりのダメージを受けていた。もし台風が直撃だったら壊滅的な被害を受けていたに違いない。明日、風が収まり雨が降っていなければ畑の復旧をするつもりだが、果たしてどれくらい戻せるだろうか・・いやはや自然の力とは恐ろしいものだ。あれほど深く刺しておいた支柱が根元からズッポリと抜けて倒れていたからね。そうそう、生長途中のトウモロコシもすべて倒れていたな。雨が降って地盤が緩んだところにあの風じゃひとたまりもないね。でもこちらはほかっとけば自分から立ち上がってくるので大したもんだけどね。

これからの台風シーズン、なんとか直撃を避けて乗り切ってくれるよう祈るばかりなり。

2011-09-02

Jackie骨折


水曜日のことだった。早朝いつものようにJackieの散歩に出かけようとすると、Jackieの様子がどうもおかしい。ぴょこぴょこ跳ねるような歩き方をするのでよく観察していると、左後ろ足を地面につけないようにして残りの三本足で歩いている。非常に歩きにくそうだが散歩すること自体は嬉しいようだ。帰って来てから『ひょっとすると肉球の間にトゲでも刺さっているかも?』と調べてみたものの何も見当たらない。そこでしばらく様子を見ることにしたが、今日になって足が少し腫れて来たようなのだ。『これは・・』と思い獣医に行くと、獣医も首をひねりながら『ヘビに噛まれたか、蜂に刺されたか・・』と思案している。そこでビッコを引き始める前日は妻の英語クラスの子供達がたくさんいたので『ひょっとしたら足を踏まれたのかも?』と言うと、念のためX線写真を撮ることになった。そして待つこと数分間、通された部屋にその写真が貼られていて、Jackieの足が骨折しているのがはっきり映し出されていた・・
人間で言うなら手の指にあたる部分がポッキリと折れている。獣医によればその骨は細くて金属を入れて治療はできず、経過を見守るしか無いということだった。全治約一か月、うまく骨が癒合するのを祈るのみ。

骨折している割にJackieはそれほど痛みを表に出さず、意外と我慢強い犬らしい。獣医も触診した時のJackieの様子からしてよもや骨折しているとは思わなかったそうだ。それにしても骨折した原因は一体なんだったのか?子供に踏まれた説が濃厚だが、そんなことは過去に何度もあり今回たまたま踏まれどころが悪かったということなのか、それとも何か他の原因で骨折したのか、はっきりしたことは分からない。ただX線写真を撮ったことで痛みの原因が分かったことは大きかった。後はいつ治癒するかだが、こればっかりは無理せず気長に見守っていきたい。

2011-09-01

備え


まだ雨は降り出していない。
そう遠くない三重県中部でも大雨警報が出るくらい降っているというのに、こちらは穏やかなものでコオロギもリーリーと涼やかな音色を奏でている。台風の進路は日に日に西寄りとなり、どうやら直撃だけは避けられそうな感じだ。ただ台風の東側にあたるため相当量の降雨だけは覚悟しておかねばならないと思う。特に我が家の目の前は河川のため、集中豪雨ともなると洪水を警戒せねばならぬだろう。大丈夫とは思っていても、よもやの災害が起こるのが昨今だ。それに日頃から備えておかねばならないな。