2010-09-30

さ、出て来いよ。


友はまだ救助されず、見つかってもいない・・

現地の天候は悪く、ヘリでの捜索は一時中断された模様だ。
今日、だいぶ逡巡した挙げ句、思い切って彼の奥さんに電話をした。まだ会ったことも無いし、話すもの初めてだった。僕としては何もできないけれど、自分の気持ちを伝えたかった。押さえきれなかった。迷惑かも知れないと思ったけど、気持ちに推されたんだ。
名を名乗ると奥さんは『ああ、◯◯君!いつも話で聞いていました』と言ってくれた。遭難については報道されていることに毛が生えた程度のことしか分からないとのことだ。もうすぐネパールに向けて発つとも言っていた。
ほんの僅かな時間話しただけだったが、奥さんになにかこう人を包み込むような包容力を感じ、少しでも励ましてあげるつもりで電話したのに、かえってこちらが励ましてもらったほどだ。彼の奥さんになると言う人はやはりこういう人なんだ・・と妙に納得してしまった。

友を今すぐにでも助けに行きたいと思うのに、それができない歯痒さと無力さがとても辛い。いや、どうしても現実のことと思えないのだ。何か悪い夢を見てるんじゃないかと昨夜は何度も起きて、その度にこれは現実なんだ・・と思い知らされる。僕はいつもの時間に起きて、いつものようにJackieの散歩に出て、そしていつものように朝食を食べて家を出るのに、友は、友は冷たい雪の下にいる。なぜだ?何なんだこれは?
なんで友はこんな目に遭ってるんだ?何をしたってんだ!わからない・・わからない・・わからない・・

何年か前も雪崩に遭って死にかけたのに、あんときはちゃんと帰って来たじゃないか。
おい!ちゃんと目を覚ませよ。這い出して来いよ。もう出て来てもいいんだぜ。友よ

2010-09-29

友よ、生きていてくれ!


ネパール・ヒマラヤ山脈のダウラギリ峰登頂を目指していた友が、雪崩に巻き込まれ行方不明となっている・・
今もネパール当局がヘリコプターで捜索中との情報までしか分かっていない・・

友よ、たのむ、生きていてくれ!死ぬんじゃないぞ!死んじゃだめだぞ!
まだ新居に遊びに行ってないじゃないか、結婚したばかりじゃないか、

何があっても生きろ!生きろ!

俺は信じてるぞ。

2010-09-28

いざ、人を助けん


今日は先週末行われた災害救助訓練について書こう。
朝7時に災害救助本部を設置する公園に町内会役員が集合し、テントを建てたりして本部の設置行う。その後各持ち場に分散してそれぞれの準備を行うが、実際のところはそのほとんどを市の消防本部が行い、僕らはただ見ているだけだ。僕の受け持ちは倒壊家屋からの救助訓練で、現場には崩れ落ちた屋根を模したセットとその下に使い込まれた哀れなマネキンが横たわっている。当初は数人しか居らず『実に寂しい救助訓練だな・・』なんて思っていたが、訓練開始時間ともなると近所の家々からバラバラと人が出て来て結構な人数となった。消防本部の指導のもと訓練が始まり、倒壊した屋根のひさし部分にジャッキを突っ込んで徐々に屋根を持ち上げ、十分な隙間を確保した所で被災者を救助して応急処置ののち簡易担架に乗せ災害救助本部へ向かう。このとき被災者を大人にすると、簡易担架で本部までの数百メートルを搬送するのがキツイため、急遽その辺に居たかわいそうな小学生を捕まえて強制的に応急処置?を施して担架に乗せ、えっちらおっちら本部へと搬送する。その小学生もまんざらではないようで、三角巾を頭に巻いてニヤニヤしながら運ばれて行きよったわ。ご協力に感謝。
無事自分の受け持ちが終了し、あとは他の災害救助現場を回りいろいろと勉強する。特に参加したかったのが心肺蘇生術とAEDの使い方の訓練で、このとき妻や娘達と合流して予定の訓練時間より早めに現場に着くと、消防本部の人と数人しか居ない。すると消防の人が訓練用マネキンで練習してみませんか?と言う。ありがたいことに手の置き方から心臓マッサージのリズムまでマンツーマンで指導してくれ、これは大いに勉強になった。長女も一緒になって指導を受け興味津々だ。しばらくすると人も大勢集まり、AEDの使い方も詳しく解説してくれた。このとき町内のおじいが『ところでAEDはこの近辺ではどこに置いたるんや?』と言う質問をして、これが良かった。自分を含めてそこに集まっていた多くの人が、いざと言うときAEDがこの近所のどこにあるのか?を知っている人がほとんどいなかったからね。
その後は皆でバケツリレーしたり、消火練習や放水練習をして大いに盛り上がり訓練は終了した。
こんな天気の良い日曜の朝から訓練に参加する人なぞほとんどいないと思っていたが、最終的には町内の人だけで150人超が参加し、それに消防本部や消防団、赤十字などの人が加わって総勢200人ほどでの訓練となった。当初はくだらないなんてナメていたが、『ほほう』と感心することも多く、今後はこういう行事には積極的に参加しようと思う。いざと言うときに予備知識があるのと無いのとではまったく違うだろうからね。

2010-09-27

走ったった!


朝5時半に起きて薄暗がりの空を眺める。『よし!できそうだ』急いで身支度を整え運動会会場へ向かう。まだ6時前にもかかわらずすでに15人ほどのパパさんママさん達が並んでいた・・それでも昨年と比べたら大幅に少ない。やはり平日ということで出席できない人が多い影響だろう。当初、秋分の日の23日に予定されていた運動会も雨の影響でここまでずれ込んだのだ。それでもなんとか今日はやれそうなのでホッとしたよ。
7時頃に開門となり、いい場所を確保することが出来た。これで妻に叱られなくて済むだろう。まったくこればっかりは億劫だな。

今回の運動会は長女と次女がそれぞれ参加するため実に忙しい。ビデオや写真を撮っている間もなく次々と参加せねばならぬ競技がやって来る。もちろんすべてに参加して娘達より真剣に競技をこなし、燃えに燃える。なにやら自分が生徒として運動会に参加していた時よりも、今の方が数倍面白いように感じるのは実に滑稽なことじゃないか。
あっという間に競技はすべて終了し、長女の幼稚園最後の運動会も終了した。最終競技であるクラス対抗リレーは毎年盛り上がって大声援の中でゴールを迎えるが、今回は予想を覆し長女のクラスが優勝した。長女はそんなに駆けっこが早い方ではないが、彼女なりに全力で走って次の子にバトンを託したりと一生懸命頑張ったようだ。それが大事なこと。競技後長女と次女を思いっきり褒めてあげたよ。

さあ来年は小学校の運動会と引き続き幼稚園の運動会との2本立て。こりゃあ益々忙しくなりそうだぞ。

2010-09-26

東アジア共同体


今日も尖閣問題。
今回のドタバタ劇を欧米諸国はどう見ているかと気になった。各国がもっともらしい意見を述べていて、やはりその論調の多くが『日本の敗北』と今後の中国の台頭についてが多いようだった。しかし実際のところ欧米諸国にとってはどうでもいい問題なんだよ。こちらが『欧米諸国の反応はどうなんだろう?』と気にして検索するからそれらしい記事が出て来るが、一般の人々にとってはまったく興味の無い、くだらない案件でしかないだろう。まあ、実際そうなのだから致し方ないがね。
以前、鳩さんが『東アジア共同体構想』なんて言っていたが、こんなくだらんことでいちいちいがみ合っとるようでは夢のまた夢の話でしかないな。このままではあと100年かかっても話しすら纏まらないのではないだろうか?その点EUを築き上げたヨーロッパ諸国は大したもんだと感心する。
今回のように些細なことから対立することが多い東南アジアや東アジア諸国は、その対立軸でもあるEUを始めとする欧米諸国にとっては好都合なんだろう。お互いを争わせておけば漁父の利も大きいと言うわけだ。反対に東アジア共同体が現実の話となったらどうだろうか?可能性はかなり低いものの実現したならば欧米諸国に与えるインパクトは相当のものだろう。人口・経済規模・そして市場に於いてアメリカやEUを圧倒する組織になるのは間違いない。であればこそ些細なことでお互いを牽制し反発し合ってばかりいる日中韓のような国々はまさに願ったり叶ったりの存在だろう。
まったく、そうとも知らず我々は勝手に消耗し、ますます欧米諸国を利する行いばかり繰り返している。

2010-09-25

何を以て勝利か?


さて、尖閣の問題だ。
この一件の推移を見て嘆く人も多かろう。『腰抜けめ!』と政府を罵る気持ちもよく分かる。『日本の降伏』や『外交的敗北』はたまた『屈辱的撤退』と酷評する各国紙面を見ると、何やら胸の内から沸々とわいてくるものがある。
確かに唐突な船長の釈放は自らカードを放出するという明らかな愚策であるし、その釈放が今も拘束されているフジタ関係者との言わば人質の交換でなかったというのもまったく理解できないことだ。フジタの関係者(この微妙な時期に軍管理区域に立ち入ってしまうミスはあまりにも愚かで、しかもそれが自社の受注に向けた営業中のことだと言うからしばらく中国の牢にぶち込んでおけばいい)が拘束されたニュースを聞いた時は、ああこれが中国側の示す落としどころなんだな・・と感じたのに、その交渉以前のタイミングでの釈放は腰砕けと批判されてもその通りだから仕方が無い。
ただし今回の顛末は悪いことばかりではない。確かに日本は一歩引いた。これによって中国は益々増長し、挑発を繰り返し恫喝を武器とするだろう。でも考えて見たまえ、あのまんま事態をエスカレートさせて双方に何の利があるだろうか?始めっから日本には中国と張り合う気なぞ無かったと僕は見ている。ただ引くタイミングが恐ろしく悪かった、ただそれだけのことだ。古来、大国中国は増長のあげく国を滅ぼして来た。大きく実った果実は内から腐りとけてゆく。歴代の王朝は時間をかけて滅びていったものだが、今の中国は違う。その成長のスピードが早ければ早いほど、老いも加速度的に早まるだろう。これらは気休めではないぞ。ある意味今回の失敗で日本がとるべき道もおのずから見えて来たと思う。レアアースに代表する中国依存資源の調達先の再考や、レアアースフリーの製品の開発。その他今回と同等事例が起きた時の対策の確立などやるべきことは無限にある。失敗したものはしょうがない。重要なのは今後どう『カイゼン』するかにかかっている。
これからさらに尊大なそぶりで対応してくるであろう中国に対し、どういった取り組みで対戦するか?がっぷり四つか、張っていくか、それとも変化してやるか、どの手にしろ相手も一筋縄でいくような輩ではないので、それ相応の戦略が必要だろう。だが、悲しいかな今の政界にはそんな戦略家は居ないんじゃないだろうか?今回の件で国を憂える者数知れず。その中から将来的な人材も輩出されようが、危険なのはこれ幸いと世論を右傾化させる手段を用いることだ。そうすれば対中国を理由にした軍備拡張や核武装化なんて話も出て来るかも知れない。
いずれにせよ今我々に必要なのは、今後に対する明確な戦略を練り、それこそ『粛々と』実行してゆくことだ。

2010-09-24

草刈狂


今日も仕事を休んで終日草刈りに明け暮れる。今夏の猛暑のせいで日中にとても草刈り作業などしておられず、比較的気温が低かった朝夕は他の畑仕事などに追われしばらくほったらかしの状態だったのだ。それが最近の降雨で雑草が一気に元気を取り戻し、まあ伸びること伸びること!あっという間に膝高くらいまで伸びて、おまけにその上から葛が蔓延る手強さだ。これらを薙ぎ払う為まずは堤防上から始めるが、草が水分をたっぷり含んでいてなかなか巧く刈り払えない。まだ草の丈が低ければ何ら問題なく刈り払えるが、膝高くらいになると草刈機の刃に絡み付いて頻繁に回転が止まってしまう。これも日頃の草刈り作業をさぼっていた報いだな・・と反省しつつ、粛々と作業を続ける。堤防斜面に勝手に植え付けたラズベリーにも葛がこれでもか!と絡み付きとんでもない有様だ。しかしこの葛ほど手に負えんものは無いな。おそらく1年ほかって置けば辺りはすべて葛に埋もれてしまうことだろう。ここに越して来た当時がまさにそんな惨状で、僕が草刈機を買ったのもこの葛どもを片っ端から薙ぎ払う為だったのさ。
結局、草刈り予定範囲の半分ほどを薙ぎ払ったところで集中力と体力の限界に達し作業終了。それでも延べ300坪以上は薙ぎ払ってやったわさ。なあに、もちろん我が家の敷地がそんなに広い訳は無くそのほとんどが堤防や他人の空き地で、まあ、いろんな理由があって自発的にやってる部分も多いからね。
明日も恒例の買い物が終わったら草刈り作業再開だ。だいぶ涼しくなったので助かるよ。

2010-09-23

秋分


昨晩は雷雨によって吹き込む雨を警戒して窓をすべて閉め切って寝たため室内気温は30℃と蒸し暑く、扇風機を回しっぱなしにして寝ていたくらいなのに、今晩は気温が急激に下がり肌寒いくらい。窓を開けていては寒いので閉め切りパジャマも長袖にし、そしてタオルケットを毛布に替えるほどの急激な変化。いくら今日が秋分の日だからと言って、いきなり本格的な秋になろうとはとても身体がついていけません。もっとも先日訪れた信州がこれくらいの気温だったから涼しくなって嬉しいことは嬉しいんだけど、もうリバウンドの暑さは来ないんだろうかね?気象庁によるこの先3ヶ月予報によると10・11月は平年より気温は高く、12月は逆に低くなると言う。しかしだ、今夏のようにまったく予想できない展開になる可能性の方がむしろ高いくらいで、長期予報など参考程度で意味はないな。とにかく体調を崩さぬようにちゃんと毛布を腹に当てて寝るとしよう。

今日予定されていた幼稚園の運動会は予想通り中止され、明日に順延の予定もキャンセルになって結局来週月曜日に開催となった。働く両親にとっては仕事の関係上出席できない人も多くなるだろう。炎天下で練習を続けて来た子供達にとってはがっかりだろうな・・僕は仕事休んででも出るつもりなので、誰かのパパさんの代わりに代走してもいいなとは思っている。月曜は今のところ晴れるようなので、なんとかできるんじゃなかろうか。妻にとってみれば前日からお弁当の下ごしらえをして、そして当日朝に中止になることが繰り返されては発狂してしまう!とのことなので、早々に月曜開催に決定したことは賢明だと言うことらしい。いずれにせよ場所取りの為に僕が早朝から並ばねばならぬことに変わりはないんだよね・・

2010-09-22

十五夜


夕食を済ませた頃、激しい雷雨に襲われ落雷数知れず、娘達があまりの雷鳴に『Daddy、怖いよう』と怯え始めるのと同時に電気が落ち、暗闇に包まれた。停電なんて何年ぶりのことだろう。もちろん娘達には初めての経験で闇が一層恐怖心を煽り、半べそ状態になってしまった。
停電で暗いのは大した問題ではないが、いかんせん我が家は井戸水をポンプで汲み上げて使用しているので、電気が切れると水が出ないのだ。さあ、困ったぞ・・と思案していると、突然辺りが明るくなり電気が戻ったようだ。

雷雨が一段落したあと庭に出て空を見上げる。先ほどまでの雨の影響で空は一面雲に覆われ、月は時折雲間から姿を見せる程度で、とても『月を愛でる』までにはいかないが、それもあの激しき雷雨の後ならば致し方のないことだろうね。

2010-09-21

心の風景


9月も下旬だというのにまだ日中は30℃以上になり蒸し暑い。それに比べると北信州の涼しかったことよ。案の定妻は長野県に引っ越すべきだと言い始めたさ。まあ、連日こう暑いんじゃそう言う妻の気持ちも分かるけどね。

今回旅行した地方は特に風景が美しく、中でも人の生活と密着した里山の良さを実感できる所でもあり、初めて見るのにどこか懐かしさを感じるそんな癒しの空間でもある。ただ、今でこそそんなふうに里山だの癒しだのと言って満足していられるが、ほんの数十年前まではさぞかしここでの生活は厳しかったことだろう。道の便もすこぶる悪く、日々の糧を得るための十分な耕作地もないような山間の地が、いまは見直され脚光を浴びている。
不便だったからこそ残されたものが評価される時代になった。いつの時代も人々は便利さを追及して来た。それこそがよいことだと推し進められ、開発の名の下に様々なものが破壊されて来た。確かに今住んでいる環境は便利だ。しかし、ここで死を迎えたいとまで思える場所だろうか?どこかにそんな場所があるはずだとずっと思って来た。海外にも足を伸ばしてみた。その思いもいつしか忘れ去り、目先の現実の生活のみを追うようになってしまった。
なぜ人は里山を見て懐かしさを感じるのだろうか?ほんとにそれは懐かしさなんだろうか?そして実際に里山に住み、生活する気があるのだろうか?
『心の風景』とは何を意味するのだろう・・

2010-09-20

戸隠参り


夜、ロッジの屋根を叩く雨音で目が覚める。このキャンプ場は山の稜線を走る県境を越え、僅かに新潟県に入った所にある。そのため日本海上を通過する気圧の谷の影響を大きく受けて雨が降りやすいのだろう。
朝になると雨は上がり、キャンプ場は霧に包まれていた。
朝食を済ませ、山を下る。右に左に大きく蛇行する道を下りきると突然視界が開け、野尻湖の静謐なパノラマが展開する。しばらく皆で湖畔を散策し、写真を撮ったりはしゃいだりとその美しき風景を存分に楽しむことができた。

野尻湖をあとにして再び山中に分け入り、戸隠を目指す。心が癒される里山の風情の中をしばらく進むと戸隠神社奥社への入り口が見えて来た。驚くべきことに参拝者の車がおびただしい数でかなり離れて所にしか止めることが出来なかった。そこから数百メートル歩いてやっと入り口に至り参道を歩き始めるが、ここもまた凄い人だ!娘達の手を引いて杉の巨木が両脇に聳える厳かな道を奥社に向かうこと約2km。やっと本殿が見えて来た所であろうことか『お参り渋滞』だ。こんな経験は始めてだったが手と口を清めるのに約15分。さい銭を投げ参拝するのに約10分。極めつけはお守りを買うのに約20分待たねばならなかったこと。それほど仰山の人がこの狭い奥社に集結していたのだからさぞかし戸隠の神さんもびっくりしていることだろう。それを撮影する為かTVカメラクルーが2班も来とったわな。
蟻の行列のような参拝者の群れから脱出して一路長野市を目指す。本来なら戸隠五社参拝を行いたかったが、娘達に不人気だったのと恐るべき数の参拝者から早く逃れる為に今回は見送ることにして山を下る。
途中名物の戸隠そばを堪能したり、地元産品の即売所を覗いたりして土産物を購入しながら近代的なビル群の林立する下界へと帰還する。あとは高速にのってひとっ走りと言いたい所だが、宿命的な大渋滞にて飯田・瑞浪間はノロノロ運転が続く。やっと渋滞を抜け出て帰宅したのは20時30分。帰りは5時間半もかかったことになる。
往復730kmの短い旅だったが、今回の旅でより信州を身近な場所として捉えることができるようになったと思う。
ぜひまた来たいと感じる、よい旅でした。

2010-09-19

信州へ


心配した渋滞にも巻き込まれず順調に中央道を北上し、長野道・上信越道を経て長野市に至る。ここまで家を出てから約4時間。この間運転はすべて妻がして、僕は隣で楽ちんさせてもらった。なんたって妻はアメリカ人ゆえ長時間のドライブにはめっぽう強く『最低2時間はノンストップで走らねばいかん!』と言って、寄り道を厳しく制限するのだ。だいたい1時間ごとにサービスエリアに寄ろうとする僕の運転は歯がゆいらしくてハンドルを取られた次第。まあ、その言葉通り平均時速120kmでぶっ飛ばして長野市に着いてもまったく疲れを見せず、さすが自慢するだけのことはあると感心するなり。確かに以前アメリカ・カナダを走り回った時もほとんど妻が運転して、そのタフさには驚かされたものだ。アメリカ大陸を2回も車で横断したことのある妻にとって数時間のドライブなんて屁でもないのだろうよ。

さて、高速を降りてからは温泉ザルで有名な地獄谷へ向かう。駐車場に車を止めて30分ほど森の中を歩くと、いきなり猿の群れが現れてほんと手が届きそうな距離を人を恐れることなく堂々と歩いてゆく。まるでウチの猫が足下に身体をすり寄せるのと同じように、猿が足の間をすり抜けてゆく。そこかしこに子猿がはしゃぎ回っており、思わずつまずきそうになるほどだ。

野猿公園のあとは今夜の宿泊地である斑尾高原に向かう。急な坂道を上りきるとそこがキャンプ場で、予約していたロッジに入り一日の疲れを癒す。北西には妙高山の偉容が聳え、気温は20℃にも届かずかなり涼しい。満天の星空を期待したがあいにく雲が張り出して僅かに月が透けて見えるくらいだ。

また明日、ロングドライブを楽しむとしよう。

2010-09-18

畑人


ようやく猛暑から解放され、秋冬野菜の準備に本腰を入れる。まずは結実しなくなったトマトを倒し、土壌中和の為の石灰と有機肥料を施してよく耕す。1本の畝の長さは約10mほど。始めは備中鍬で土を起こしていたが、深く耕せないのと体力の消耗が激しいので剣先スコップに道具を換えて、えっちらおっちら地道に畝の天地返しを行う。しかし、いくら気温が下がったからと言ってまだ30℃を越える中での重作業は体力的な負担が大きく、また大量の汗をかいてキツイのなんのって。でもこうやって苦労するからこそおいしい野菜が穫れるのだ!と自分に言い聞かせながら息を切らせつつ、すっかり辺りが暗くなるまで作業を続けなんとか2本の畝を耕しきることが出来た。これであとは育った苗を植え替えて準備完了となる。
草刈りもしなければいけないし、まだまだやらねばならないことがたくさんあるんだよね。

2010-09-17

助け合ってなんぼ


妻が体調を崩したので少し早めに仕事を切り上げ家路に着く。
帰宅すると妻はソファーの上で横になってかなりだるそうだ。キッチンでは長女が台に乗ってご飯の支度をあれこれとしてくれていた。こんなときはやっぱり娘が居てくれると心強い。娘達も母親の体調が悪いのを気遣ってくれて、普段のように喧嘩したり部屋中散らかしたりもせず、大人しくビデオを見て良い子していたようだ。
ご飯は長女がセットしてくれていたので炊けていたが、おかずが無い。いそいで残り物や冷蔵庫の中にあるものを使ってちゃちゃっと拵えて出来上がり。こう書くといかにも適当なものを作った感があるがそうではないぞ。野菜類は自家製の有機栽培ものだし、ちゃんと栄養のバランスも考えて作っているので、なかなかのものだと自分では思っている。
食事が終わると妻に早く寝るように言って娘達を風呂に入れる。風呂を出ると本を読んであげてそれから歯を磨きベッドタイム。寝かしつけている間に自分が先に寝てしまい長女に起こされるていたらく。娘達が寝付いたのを確認してから階下へ降りて皿洗いだ。
なかなか忙しい夜だったが、たまにはこういう日もあっていいだろう。お互い様だからね。

2010-09-16

今後


9月後半から10月前半にかけてはいろいろなイベントが目白押しで、各週末はほとんど塞がっている。その半分は娘達に関したことで幼稚園の運動会(9/23)やら市民運動会(10/10)など、僕自身も参加せねばならぬことが意外と多い。そして今度の連休は長野県の斑尾にあるキャンプ場に行く予定。ただし、キャンプと言ってもまだ娘達が幼いので家族用コテージを借りる手筈となっている。コテージを借りるのは始めてなので結構楽しみだし、長野県も斑尾方面まで足を伸ばしたことは無いのでこれにもかなり期待している。天気予報によるとなんとか大丈夫そうなので、標高の高いキャンプ場から満天の星空を眺めることができれば娘達も大いに喜ぶことだろう。

9月最後の週末は先日の町内会役員会でお達しのあった通り、我が校区を代表しての災害防止訓練だ。僕も町内役員として倒壊家屋から人を救助する役目をおおせつかっているので、朝も早よから準備などに出かけねばならない。こうやってみると10月初めの週末だけが今のところ空いてはいるが、そのうち埋まってしまうだろう。まだまだ畑もやらなくてはいけないし、仕事以上に忙しくなりそうだ。

2010-09-15

秋天に思う


思ったよりよく降るなあ。
暑さが和らいで来たと思ったら、今日のように天気が崩れる日が多くなって来た。いよいよ秋の訪れか・・この夏はよく頑張りましたね。
猛暑と極端な乾燥のせいで見送って来た冬野菜の植え付けや種まき作業も、これでやっと開始することが出来る。カチカチになっていた土も雨の恵みでほぐされ、野菜達の芽吹きを助けてくれることだろう。ほんとうにいい雨だ。

先月15日から今月15日までの電気代請求書が投函されていた。この期間、あまりの暑さにほぼ毎日クーラーをかけていたのでさぞや恐るべき額になっているだろうとドキドキしながら見てみると、意外なことに大した額ではない。むしろ冬場にエアコン暖房をかけている時の方が高いくらいだった。結局1万1千円。他の家庭と比べてみたことは無いのでどうなのかよく分からないが、妻子が訪米中に僕1人で生活していたひと月間の電気代が6千5百円だったことを思えば悪くない額だろう。ちなみに去年の同時期の電気代が4千円に満たなかったことを思えば、暑さに強い僕でもさすがに今夏はクーラーをかけずには居れなかったことがよく分かる結果だ。
なんとか暑さの峠は越えた。日に日に空は美しく、月は冴えを増している。
立ち止まって黄昏を眺むれば、西方浄土を思わせる光景が空いっぱいに広がり、気持ちを和ませてくれる。
秋、いい季節の到来だ。さあ、野や山に出かけよう。

2010-09-14

たわけども


菅さんが代表に選出されたのは予想通りの結果と言うべきだろうか。ただ気になるのは全国の党員・サポーター票が5倍近くの大差だったのに比べ国会議員票は6票の僅差だったということだ。党員・サポーター票の動向は世論調査と比例しており、これこそが『国民の声』なのに対して、国会議員票の動向は世論をさておいたところで投票されており、それは一体なんなのか?という疑問が湧く。僕は何も国会議員は皆国内世論に従わねばならぬ、などとは考えていない。確固たる政治信条があればそれがどんなものであれ貫き通せばいいと思っているし、それが政治家たるものだろう。しかし今回の代表選における様々な状況を見ていると、特に新人議員に多い動向が『小沢先生のおかげで当選できたのだから・・』という報恩主義だ、これにはほんと頭に来ると言うか情けない限りだな。勘違いするなよオマエら、あんたらを選んだのは小沢じゃない、他でもない国民なんだよ。こんなことを履き違えている輩があまりにも多く、辟易する。まあ、その頭目が鳩山だからこの連中のどうしようもなさがよく現れていると思うけどね。
菅になったと言えども期待無し。誰かが言った『bestな選択じゃなく、betterな選択だ』とは言い得て妙。小沢よりはマシというだけのこと。嘆かわしい状況は変わらぬなあ。

2010-09-13

無縁


人間死んじまえば金持ちも貧乏人も、独り者も家族持ちも関係なく皆同じだ。我が身のことでいうならば死してのち、たとえその屍が野辺に埋もれようともまったく気にはしないし、墓も要らない。そう、自分自身のことならそれでいい。しかしそれが親族もしくは知人のことだとしたら、そういうわけにはいかない。そもそも葬儀とは死者の為ではなく、残された者達の為にあると僕は考えている。だって、死んじまった以上何を望むと言うんだい?棺に横たわる者はすでに人間ではなく『モノ』なのだ。
そう思っている反面、様々なかたちで死を迎えられた人々については例えば『無縁仏』などということになれば、やはり寂しさを感ぜずにはいられない。知人友人がたくさんいたとしても親族が見つからなければ無縁仏になってしまうという、そのやるせなさ。死んだ本人はそんなことは当然分からないからいいものの、残された身は辛いよね。

2010-09-12

日々


尖閣問題で日中が争っていることなんかどうでもいいが、どちらが先に身体を洗ってもらうかで毎晩のようにけんかをする娘達はどうにかならんもんかいね。仲良く遊んでいる時は僕達が目を細めるほどかわいらしい娘達も、いざけんかをおっぱじめるとお互いが泣くまで止めずまったくもっていただけない。そのけんかの理由のほとんどが僕達から見ればくだらないことばかりで、よくぞまあそんなことでそこまでけんかできるもんだと逆に感心してしまう。今晩もその例に漏れず風呂場の中でお互い大声で喚き合い、まあうるさいのなんのって。あまりのひどさに耐えかねて叱りつけると今度は『Daddyはわたしのこと好きじゃない!』と言って更に大声で泣き喚き、もうこっちが助けてくれ〜と言いたくなる。
大抵こんな風に大荒れする時は疲れて眠たい時なので、なんとかなだめて風呂から出し、ちゃっちゃと身体を拭いて歯を磨いて寝かしつけるのさ。そうすると『こんっ!』てな具合に眠りに落ちてしまう。

毎日がそんなことの繰り返し。もう慣れたけどね。

2010-09-11

偶然と必然


今日も夜9時時点で室温31℃なり。おまけに先週同様布団をこれでもか!とお陽様に当てといたもんだから、早めに取り込んだにもかかわらず熱が逃げずとても寝られやしない。そこで3日ぶりにエアコンかけて妻と娘達は眠りにつきましたとさ。予報では明日もかなりの暑さになるようで、またどこかの渓谷に逃げねばならぬかも。

次女を連れて買い物に行き、ふと駐車場でロードスターの左後輪に目を留めると何やら光るものがある。もしや!とよく見るとビスがタイヤに突き刺さっていた。帰宅してからビスを抜こうと試みるとプシューと空気が抜けて来た、『こりゃいかん!』いそいでビスを元通りねじ込んで知り合いのスタンドまで突っ走る。修理賃は千円なり。抜いたビスを苦々しく見つめると不思議な気がして来た。いくら毎日の走行距離が長いとは言え、路上に落ちていたこのビスがタイヤに突き刺さる確率はとてつもなく低いはずだ。それは果たして偶然なのだろうか?それとも必然なのだろうか?知り合いには冗談で『これで厄が落ちたんちゃう』なんて言ってみたもんだが、あながち冗談ではないかも知れん。
そのビスを持ち帰り、写真まで撮ったのもそんな気持ちからだ。

2010-09-10

死というもの


昨日のことだったが突然知人の訃報に接し、その事実をどう自分の中で整理したらよいのか分からず、今もその人のことを思い返しては違和感と言うか、いまいち事実として捉えることが出来ていないような妙な感じの中にいる。
普段、死は遠い所にあるが、今回のようなことがあると急に身近に現れ、僕らを動揺させる。
人は死ぬ。当然だ。
人は生きる。果たしてみな『自分は生きている!』と言い切れるだろうか?
『死』とは何だろうか?
『生きる』とはどういうことだろうか?
そんなことを考えなくともオレは生きていかなくてはならないし、どう足掻いたって死んじまうのさ・・・



ご冥福をお祈り致します。

2010-09-09

夏過ぎても・・


今晩も心地良い風が吹いている。どうやら朝晩にだけは秋の気配が訪れているようだ。
こうやって徐々にというか少しずつ秋は近付いて来ているというのに、我が家のネコはまるくなって鼾をかいて寝ているばかりだし、Jackieも昨日からほとんどご飯を食べてないし、妻は『体調が悪い』と言って子供達と一緒に9時に寝てしまうしで、どうも元気の無いものばかりだ。これもすべては猛暑のせいだろう。ネコは体調が悪そうには見えないが、明らかに以前より行動力が落ちている。もう10歳になり老人の域に達しているから体力的な衰えは仕方ないのだろうが、ここのところ急に動きが鈍くなったので心配でもある。でもご飯はしっかり食べているようなのでしばらくは様子見だな。一方Jackieは相変わらず弾けるように元気ではあるけれど。ここ2日くらいはほとんどご飯を食べていないのでおそらくは夏バテを起こしているのかも知れない。以前も38℃に迫るような高温の日のあとはやはり今回のようにご飯を食べなかったので、一時的に食欲が減退しているのだろう。
妻はもう完全な夏バテで、まだ帰国してからひと月経っていないというのにフラフラだ。やはりこの地の暑さは冷涼な気温の中で育った者には何倍にもなってこたえるだろう。とにかくまずはよく寝て元気を取り戻すことだ。

2010-09-08

台風一過


台風は湿気とともに去り、今は『ああ気持ちいい!」と嬉しくなるほど心地良い風が部屋を吹き抜けている。本来この季節ともなればこれくらいの涼しさが当然なのだろうが、残念なことに明日からはまた猛暑が襲ってくるようだ。ならば今晩はこの貴重な『涼』を十二分に味わっておかねばならないな。
台風はこの地方に大雨をもたらしたようで、帰宅途中堤防上から長良川を見ると濁流が川幅いっぱいに広がり、河川敷を侵しそうな怒濤の勢いを見せていた。我が家の前の川もかなり水量が増し、こちらはすでに河川敷部分がどっぷりと水に浸かっていた。これだけ降れば乾ききった畑も庭も潤いを取り戻せたことだろう。これで数日間は30分以上かかる水遣り作業をしなくても済みそうだ。天気予報を見ると日曜も怪しそうだな。そんなふうに晴れて・降ってを繰り返してくれると作物もよく育つだろうにね。

2010-09-07

風待ち、


近付きつつある台風の影響で今晩は比較的過ごしやすくなっている。まだ風は弱いものの時折窓から吹き込む時はひんやりとした空気を伴って、やはりクーラーの風とは違った心地良さを与えてくれる。いま、娘達の寝る部屋のエアコンを切って窓を全開にしてきた。風がよく通り気持ちがいい。明日は久しぶりに35℃に達しないという予報だ。それでも30℃はあるというのでまだまだ暑いのだが、もうその感覚が麻痺してしまって『明日は涼しくなるな・・』なんて思う所がかえっておそろしい。
明日午前の降水確率は100%!待ちに待った恵みの雨だ。これで乾ききった畑には潤いが戻り、枯死していたはずの雑草どもが恐るべき攻勢を仕掛けて来ることになる。それでもいい、それでもいいから雨が、雨が欲しい。
この台風が過ぎ去ったあとは再び例の猛暑が襲来すると言う。だとしても大地がたっぷりの水を吸って潤いを取り戻せば、しばらくの間は水遣りをしなくても良いだろう。
ほんとにありがたいことだ。

2010-09-06

地下へ


地上がこんなに暑いなら地下へ潜ってやろうということで、滋賀県犬上郡多賀町にある『河内の風穴』へ向かう。この辺りは子供の頃から親父殿の軽に乗って何度となく訪れている所でもあり、オフロードバイクに乗り始めてからはほとんどすべての林道を攻め尽くしていることもあって、いわば僕にとっては庭のような所。山中には過疎によって廃村となった村々や捨て置かれ朽ち果てつつある茅葺きの家々など何か僕を惹き付けるものがあって、以前は雪が降る中でも果敢に突入してあやうく遭難しそうになったほどだ。
その『河内の風穴』を訪れるのは3度目だと思うが、以前の記憶はほとんど無い。僅かに入り口の様子などを憶えているほどでまったく頼りない。現地に着くと予想外の人出で大混雑。普段はほとんど人がいない所なので受付のおばさんに尋ねると『なんでも新聞に載ったらしいよ』とのことだ。
さて、清冽な水が流れる渓流沿いにしばらく歩き、急な登りをヒイヒイ言いながら上がると石灰岩の岸壁にぽっかりと穴があいている。近付くと穴からは寒さを感じるほどの風が吹き出して来て、実に気持ちがいい。腰を屈めて中に入りしばらく進むと、突然巨大な空間が現れ圧倒される。『こんなに広かったかな・・』と記憶を辿るも憶えているのはコンクリで固められた通路脇の手摺のことくらい。娘達の手を引いてどんどん奥に行くが急な梯子を上った所で立ち入り禁止の柵がありDead End。なんせ大勢の人が風穴内に入り込んでいるもんだから、ただでさえ狭い通路は大渋滞だ。でも風穴内の気温は年中通して12℃ということですこぶる冷涼にて混んでいてもイライラすることも無くゆっくり待つ余裕さえあるほど。そりゃ、誰もが灼熱の外になど出たくないやろしね。
外に出て来るとやっぱり暑くて、思わず村のお姉さん方の出店でかき氷を食べて束の間の涼をおさらいする。妻なぞは『風穴内に住みたい!』とまで言っておったわな・・住んでもよいぞ。
娘達は始め怖がっていたものの面白くなったらしく、それなりに楽しんでくれたようだ。記憶の片隅にこの日のことが残ってくれるなら、来た甲斐があったというものだな。

2010-09-05

何を決めたいのやら・・


今晩は自治会の緊急召集命令が発令されたので『しゃあないな・・』と公民館に出向くと、すでにそこには自治会の役員やら各地区の班長やらが集まって総勢40名ほどもいる。そして議題はこの町内で今月26日に行われる防災訓練のことだったが、その防災訓練も校区を代表して我が町内がやることになったらしく、消防本部や消防団に加えて赤十字関係の団体やその他諸々が参加してかなり大々的にやるらしいのだ。まあ、そういう内容は配られた資料を見れば分かるのだが、自治会長らの話を聞いておるとこの場で一体何を決めて、そしてどうしたいのかがまったく分からない。なにかすべての話が確信を外れた関係ない所で空回りばかりしていて、時間が無駄に浪費されてゆくようにしか感ぜずイライラして来る。そうすると僕と同種のおっさんが『あんた、酒飲んでねえか?』と怪しむほどの厳しい突っ込みを自治会長に入れて、ますます場は紛糾し何がなんだか分からない混沌の世界へ突入する始末。結局最終的には町内を細分化した各地区単位で話し合いを持つことによって当日の概要と役割を把握することが出来た。このときすでに話し合い開始からすでに1時間半を越えていたのだった・・
手際よくやれば30分もあれば十分だった内容だけにうんざり感も倍増せり。困ったおじい達だよ。

2010-09-04

残暑


はあ〜38℃か・・たまらんねー。
日中なんとかクーラー無しで頑張ったが、夜になっても相変わらず室内温度が32℃もあって、おまけに布団をしっかりと陽に当てて干したもんだから熱が籠ったままで寝られやしない。なので娘達が寝る少し前からエアコンをかけてまずは室温を下げないといけない。
とても残暑とは言いがたいようなこの猛暑も、朝晩は徐々に気温が下がって来ているようで朝6時前はとても清々しくて気持ちが良い。そして昼間は38℃に達するような日でも、日没後は一気に気温が下がり昼間の暑さは嘘のようだ。しかし問題は上にも書いた通り家自体が昼間の強烈な日差しを受けて熱を持ち、その熱がなかなか逃げないことだ。こんなことは盆までだろうと思っていたが、この先もまだまだ続きそうでまったくうんざりさせられる。そうは言っても秋は着実に近づいて来ているので、ここは辛抱強く暑さに耐え乗り切るしか無い。

2010-09-03

朦朧体


エアコンのよく効いた室内で内業をしていると、同僚が『明日の予想気温は38℃らしいよ』と言う。冗談じゃない!この期に及んで38℃かよ、と早速気象庁のサイトで調べると確かに38℃となっとるやんか。しかもその先一週間の予報はすべて35℃以上ときたもんだ。一体いつになったらこの暑さは峠を迎えるのだろうか?最近では35℃を越えなければ『今日は涼しいな・・』とさえ思うようになって来た。『慣れ』とは実によく出来たもんだね。ただ、妻は毎年暑さのピークを避けて帰国していたが、今年はこの異常な高温に見事に引っ掛かり毎日家で茫然自失の朦朧体になっている。そりゃ涼しいアメリカと比べれば過酷な環境だよここは。でもそれを乗り越えることに意義がある、と僕は思うんだけどね・・

2010-09-02

パパチャリダー


最近帰宅すると、娘達が『Daddy,自転車乗りたい』とせがむようになって来た。外はまだ明るいし、夕方になり幾分気温も下がって風が心地良い。『じゃあ、行こうか!』と出かけるが、まだ次女は自分で自転車に乗れないのでママチャリの後部に付けたチャイルドシートでのツーリングとなる。長女は大分自転車に乗るのが巧くなってはいるがまだちょっと心もとない所があるので、例えば交差点での左右確認を必ず行うことなどを自分が実際にやってみせて教えるようにしている。
娘達とのツーリングは楽しいもので、田んぼの中の一本道の様なあまり車が通らないルートを選んでゆっくりと景色を見ながらペダルをこいでゆく。いつも大体30分くらいのツーリングで、町内を縦横無尽に走り回りながら気になる所を偵察するのだ。娘達を連れての行動はカモフラージュには最適で、僕らを見て怪しいと感じる人はほとんどいないだろう。まあご近所で娘達を連れて激走するパパさんをあまり見かけることは無いからそれなりに目立ってもいるようで、ふだんムスッとして挨拶してくれなかった人が、なぜかにっこり笑って見送ってくれたりと、単に自転車に乗ること以外の良さもあってなかなか良いものだよ。娘達の社会勉強にもうってつけだと思うな。

2010-09-01

炎天のもとで


このキチガイじみた暑さの中、日中ずっと外で作業するのはさすがに辛い。しかも今日は地面に張ったシートの上での作業で、日が射すと恐ろしいほどの照り返しに炙られ1時間以上の連続作業は困難な状態だ。もちろん相当過酷な作業になるのを見越した上で飲料も4リットルを持参し備えてはいたが午前中にその半分を早々と飲み干し、夕方にはそのすべてを飲んでしまった。それだけ身体から水分が失われてしまったためほとんど尿意を催さず、結局朝8時前に家を出てから帰宅するまでたった1回しかトイレに行かなかった。4リットル以上の水分を摂っていてそうなのだからそのほとんどすべてが汗になって流れ出てしまったという事だ。
しかし決してトイレに行かない事が良いことではない。尿が出ないことで身体中の老廃物が排泄されないと言うすこぶる悪いことになってしまう。なので帰宅後はじゃんじゃん麦茶などを飲んだがそれでもトイレに行く回数はいつもより少なく、体重も減ったままだ。いったいどれくらいの水分が身体から失われたのだろう?しかしこんなふうに全身の水分が入れ替わることで新陳代謝が促され身体的には良いのだろうな。
それにしても疲れたよ。今日はさっさと寝よう。