2019-01-20

市展再び
















三女は今朝もまだ若干熱があったが、比較的元気で朝食も普通に食べることができた。今日が市の展覧会に出品された絵を観に行く最後のチャンスだったので本人に聞くと、どうしても行きたいという。インフルエンザでもないし、症状も落ち着いてきていることから短時間だけ行くことにして、念のため車2台で会場に向かう。
会場は開いたばかりだというのにすでに多くの人で賑わっていた。時間短縮のため直接三女の絵のところまで行き、記念撮影。その後少しだけ会場を観て回ったが、やはり病み上がりの身体には負担が大きいので自分と三女だけ早々に引き上げ家で休むことにした。
三女の絵は『虫にのって でかけよう』というタイトルで、家でもよく描く三女なりにデフォルメした可愛らしい虫たちと、それに乗っている小人たちの様子は明るく楽しそうだ。
一昨日、昨日と高熱続きだったので今日行けるか心配だったが、何とか皆で行くことができてホッとしている。あとはこの長引く熱から完全に脱することだな。明日無理しなければ大丈夫と思うが、先ほども次女の幼馴染がインフルエンザを発症したと連絡が入ったので油断はできないぞ。
ほんと例年この時期はこういった病気との攻防に明け暮れて過ぎてゆくな・・

2019-01-19

三女その後
















一夜明け三女の熱を計るとまだ39度近くある。
それだけの熱にしては比較的元気で朝食はシリアルを少量食べ、ソファに横になっていた。恒例の買い物から帰った11時頃再び熱を計ると40度!あるじゃないか。これはもうインフルエンザの可能性大ということで病院へ行くことにした。
昨夕の発熱からは12時間以上経っているので、インフルエンザであればほぼ確実に出るはずだ。そして結果は陰性。インフルエンザウィルスは検出されなかった。これには医者も首をひねっていたが、昨日も書いたように三女に直接接する人でインフルエンザ罹患者はいない。それに高熱ではあるが悪寒や関節の痛みなどは無いというので、その点から見れば陰性と出てもおかしくはないと思う。じゃあ、この高熱の原因は何ぞ?ということで、念のための抗生物質と解熱剤を処方された。
解熱剤を服用してしばらくは熱が下がっていたが、さっき計ったら再び40度越え。
三女の身体の中で免疫細胞が何かと猛烈に戦っているらしい。もう少し三女には頑張ってもらって寝る前に解熱剤を飲ませようと思う。
昨年夏アメリカ滞在中にも同じような高熱を出し病院へ行くことになったが、今回もその状況と似ている。あの時も結局原因が分からなかったけど一体何なんだろう。
とかく、熱が下がることを祈りたい。

2019-01-18

危機再び
















家に帰ると三女がぐったりしている。聞けば調子が悪いという。顔をみると赤らんでいるのですぐに熱を計ると39度あるやんか!そりゃぐったりするわな。
この時期にこの高熱だと当然インフルエンザが疑われる。しかしクラスにはインフルエンザの子は居ないし、家族にもいない。接点がイマイチはっきりしないが学校やそろばん塾、スイミングに行っている以上、感染者との接触がいずれかであっても何ら不思議ではない。
三女によると熱が出始めたのが5時間目くらいというから、夕方の時点で病院へ行ってもまだインフルエンザウィルスが検出されない可能性が高い。そこで明朝まで様子を見て、まだ熱が下がっていないようなら病院へ連れて行こうと思っている。この時点でまだ高熱ならほぼインフルエンザで間違いないだろう。
明後日は市展にえらばれた三女の絵を皆で見に行くことになっているので、インフルエンザじゃないことを祈りたい。

2019-01-17

風呂はいいやね
















我が家はみんな風呂好きだ。
最近ようやく一人で風呂に入るようになった三女は、何かとても楽しそうにしゃべりながら30分近くも風呂に入っているし、次女も長女もシャワーではなく湯船に入りたがる。
そういう自分も寒い冬はやっぱり風呂だろ、と考えている。
アメリカの場合、バスタブの中に立ってシャワーを浴びる仕組みのため、仮にバスタブに湯を張っても一人が入った後は湯を捨てないと次の人が身体や頭を洗えない。そんなんだから一人ひとり湯を張ることはなくシャワーだけで済ますことがほとんどだ。それにアメリカの家は大抵の場合セントラルヒーティングが完備されているので室内はどこも暖かく、シャワーだけでも十分だと感じるからね。
そう考えると日本で湯船に浸かることが主流となった理由の一つは、家が寒かったことだろう。身体が冷えたままだとなかなか寝付けないからね。我が家も寒い家なので寝る前にしっかり温まっておかないと布団が冷たくて寝れないのだよ。寝室にエアコンは付いているが暖房をかけることはなく、毎晩10℃以下の室温で寝ているからね。
風呂に入っているとあまりの気持ちよさについつい寝てしまう。5分程度の短い時間だがほぼ毎晩寝てしまうな。妻に『危ない』とは言われているが今まで沈んだことは2回ほどしかないので溺死することはない。

2019-01-16

寒暖差
















今は現場に出て一日中外作業をしているが、今冬は暖冬なのでずいぶんと助かっている。
冬型の気圧配置で吹く風は冷たく身に沁みるが、気温は10℃あるので日差しがあればずいぶん暖かく感じる。防寒着を着ての作業はすぐに体温が上がりなかなか調整が難しい。上着を脱いで作業している分にはいいが、動きを止めるととたんに冷えて来るからね。
15時以降になると急激に気温が下がってきて底冷えに要注意だ。
また寒い外から温かい室内に戻ると、血の巡りが良くなって火照った状態となり、目が充血してくる。あまりに頭がボワーとするものだから血管が切れないかと心配になるほどだ。そりゃそうだよね、外気温10℃のところから室内気温25℃くらいのところへ来るのだからその気温差15℃もある。できれば徐々に身体を慣らしたいところだ。
ま、暖房もほどほどに、ということだろうね。

2019-01-15

インフルじゃなかったよ
















昨夜のことだ。
次女の顔をみるといやに赤い。確かに天気は良かったが日に焼けるほど外にいたわけではないので、これはあやしい・・と思い、念のため体温を計ると幸い熱はない。朝になるといつもはさっさと起きてくる次女がなかなか起きてこないので様子を見に行くと『頭が痛い』と言うじゃないか。寒気もするというので、これはインフルエンザの可能性大と思いすぐに診察を予約しておいた。と言うのも先週金曜に遊びに行った親友がインフルエンザを発症し、5人家族の3人まで罹患していると言うから次女に移っていてもなんら不思議ではない。ただ次女が起きてきてすぐに体温を計ったが、寒気がすると言う割には平熱で高熱の気配は無い。その後何度も計ってみたものの熱はなかったので診察もキャンセルしたという。熱はなくても頭痛とめまいがひどいと言うので次女はそのまま学校を欠席させることにした。
夜になるとすっかり体調も回復して、明日は必ず学校に行くと気合が入っていた。
一体何だったのか不思議だが、とりあえず回復してよかったよ。

2019-01-14

黒豆収穫
















正月が過ぎた今頃になって黒豆を収穫した。
なんでこんなに遅くなったかといえば、暮れに渡米していたからで、例年ならその渡米前くらいなら乾燥も進んで収穫できただろうが、今季は連続して来襲した台風の影響などで成熟が遅れ、暮れの時点ではとても収穫できる状態ではなかったのだ。
収穫作業をしていても実入りが悪く、1粒も収穫できない株があるほどで、かなりの量を作っていた割に収穫量としては例年の3分の1も無いくらいに少なく、粒の揃いもバラバラで全体的に小ぶりだ。こうやって結果が見える形となると、この夏の天候が作物にとっていかに厳しかったかがよく分かると言うものだ。
収穫した黒豆は煮豆にすることもできるが、形の良いものを選別し来季用のタネに使おうと考えている。
現状、タマネギの生長もすこぶる悪く、改めて畑仕事の難しさを実感するなり。

2019-01-13

絵に想う
















長女の描いた絵が毎年行われる市の展覧会に出展されることになったので、皆で観に行くことに。
3連休を含む前半期間は中学・幼年部の展示で、市内にある中学校及び幼稚園から選ばれた絵や彫刻、書に版画、塑像に陶器、さらには鬼瓦に至るまであらゆるものが展示されていて力作揃いだ。それぞれを観てゆくと自由奔放な作品が多くとても楽しめる。
そうやって所狭しと並べられた作品を眺めていると、『あれ、この絵長女に似とるな・・』と作者を見ると、バカみたいな話長女の自画像だった。
ニッコリと笑った表情の自画像は明るい感じで、『そうか、中学校生活を楽しんでんだな・・』と、なんかホッとしたよ。一緒に来た長女は絵の前で写真を撮られるとすごくはにかんでいたけどね。
車の中でこの展覧会のことを話していたら、三女が『なんか私の絵も選ばれたって』と突然言い出すもんだから皆『ええ〜!』とびっくりだ。言うのを忘れていたらしい・・
これで来週末の後半期間で展示される小学生の部も観に行くことが決定した。
また力作を見られるのが楽しみだ。

2019-01-12

ちょっと日が長くなったね
















帰国後まともに庭仕事をしたのは今日が初めてだ。予報では晴れと言っていたが実際は終日曇りで陽が差さず、寒い一日となった。
庭仕事と言ったってやったことは大したことない。まずはクリスマスのイルミネーションを片付け、次にポットのままだったソラマメやミズナの苗を畑に植え付け、そしてこれが一番時間がかかったのだが、離れの壁に張ったネットに夏の間遮光のため這わせてある西洋朝顔が先日の低気温によって一気に萎れ枯れたので片付けるべく蔓を切り始めたが、その蔓がネットにぐるぐるに絡みつき、除去するだけでもとてつもなく時間がかかりめんどくさい。ちょうど親父殿が来ていたので二人で作業してたっぷり3時間かかりました。でもこれで見た目も悪かった枯れた朝顔を取り除き、離れもすっかり明るくなりました。
その後も細々とした作業を続けたが、以前なら4時半には暗くなっていたのが今は5時過ぎまで明るくなってきたので、ずいぶんやれる仕事量が増えたよ。これはありがたいね。
あすもいろいろイベントがあるけど、オレンジの収穫もせなあかんし、ほんと忙しいな。

2019-01-11

2ヶ月ぶりの歯医者さん

昨年10年ぶりくらいに歯医者に行き、取れた詰め物始め悪いところをいろいろ治療してもらったが、今日はそれから2ヶ月経っての定期検診日。今まで歯の定期検診なんて受けたことがないので、どこも悪くないのに行く必要なんてあるのか?と思わぬでもないが、詰め物の状況などの確認もしてくれるので素直に行くことにした。
定期検診は歯磨きチェックから始まり、歯間クリーニングなどを行い、最後にレーザー照射で殺菌して終了。その後口内を撮影した写真を見ながら歯医者といろいろ話して、約30分ほどで終わった。今日のお代は1300円。次回はまた2ヶ月後に来てくださいということなので2ヶ月サイクルの検診ということになる。ちょっとサイクルが短い気もするが、2ヶ月に一度30分ほどで料金も1300円ほどというのなら、今後の歯の健康を考えると悪くないと思う。そうやって検診を続けておれば悪化する前に防げると思うからね。
次回の検診は3月上旬の予定だ。忘れないように記憶せねばな。

2019-01-10

冷蔵庫並み
















体感的には風の強かった昨日の方が寒かったと思うが、築50年近い我が家にとっては今日の冷え込みもかなりのものだ。
夜9時過ぎ、三女がいつの間にかホットカーペットの上で眠りに落ちてしまっていたので、次女が寝るのと同じタイミングで2階の寝室まで抱っこして運び、冷えた布団の上に寝かせたが、ふと室内にある気温計を見ると5℃となっているではないか!
確かにこの部屋は寒いと思っていたがよもやそこまで低いとはね。冷蔵庫の温度が4℃なのでほとんど冷蔵庫の中で寝ているのと変わらない状態だ。この部屋に気温計を置き始めてから今までに記録した最低気温は確か昨年だったと思うが3℃だ。逆に最高気温が38℃なのでその差は何と35℃にもなる。今時の家はインシュレーションもしっかりしているからいくらなんでも冷蔵庫並なんてことはないだろう。アパートで暮らしていた時もずいぶん暖かかったのを覚えている。それに比べるとこの家の何と寒いことよ。セントラルヒーティングがバッチリのアメリカと比べると、この住環境の厳しさはかなりのものだ。一度最近建てられた家の断熱保温力がどれくらいなのか、身をもって経験したいと思う。ただ、そのあまりの差に愕然としちゃうかもね。

2019-01-09

突然のこと
















昨夜の出来事だが、いつもおとなしい猫のハニーが、2階でガタガタと暴れまわってると思いきや、階段を転げ落ちて来た。始めは『なにハイパーになってんだろう』と笑っていたが、しばらく経ってどうも様子がおかしいということになって来た。ちょうど酔っ払っているような状態になってまっすぐ歩けず、いきなり転倒するし、明らかに元気がない。これは・・と、しばらく様子を見るも変化なく、いつも通っている動物病院はすでに閉まっている。もし何か悪いものを食べたのが原因とすると急がなければならない。そこで夜間診療を行っている病院へ連絡し診てもらうことにした。
そこの医師によると、レントゲンや血液検査・エコー等の検査結果を総合的に見ても『これが原因』と、はっきりしたものは無いが、可能性としては癲癇や脳膜炎、脳腫瘍といった脳に原因があると考えるのが妥当だろうということだ。というのもこの病院で診療を受け始めた時、失明し、耳も聴こえない状態にまでなっていた。これは明らかに何かが脳に作用していることが原因で、帰宅後しばらくすると不思議なことに視力は回復し、耳も聴こえるようになっていた。
心配した妻が添い寝をして夜が明けたが、やはり体調は芳しく無いようだ。朝一でいつもの病院へ行くと夜間診療病院からデータが送られて来ており、改めて診療するも現状では様子を見守るしかないということになった。
ほんと突然のことで戸惑うばかりだ。
ついさっきまで普通だったのに急に歩けなくなったり見えなくなったりとは・・
生命とは解らないものだ。

2019-01-08

風邪なかなか治らず
















アメリカから持ち帰った風邪がなかなか治らない。
帰国時の疲れから風邪が一気に悪化して咳が出始め、今は鼻水まで出始めている。インフルエンザ警報の発令も耳にするようになり、早いとこ風邪を治して抵抗力を高めておきたいところだが、この風邪なかなかにしぶとくて困りものだ。
娘たちによると小学校ではインフルエンザ患者が6人で中学校では先生が罹患しているという。おそらく今後患者数は増えていく一方なので受験生を抱える家庭は気が気ではないだろう。
とにかく風邪が治るまではさっさと寝るようにして、少しでも早く風邪を追い出してしまわないとね。

2019-01-07

始動
















平成31年が始動した。
混むと思っていた道路は意外と空いていて拍子抜け。
仕事始めに際して社長の言うことは月並みでつまらなく、何の新鮮味も無い。こういうヤツらこそが未来にとってのガンであるのに、それをわきまえずにいる点がもっとも大きなリスクだろう。
今年がどんな年になるかなんて誰にも分からない。NHKニュースで経済界の人間に今年の経済予想を聞いていたが、これほど無意味なものはない。だって彼らだって何にも分からないのだから。日本の場合、大きな地震一つ起これば一寸先は闇となる。常にそのリスクを感じつつ目の前にあることをひとつひとつ確実にこなしてゆく。その繰り返しの日々を積み上げてゆくことが日常だ。

今年がただただ穏やかならんことを祈るのみ。

2019-01-06

46
















46になった。
自分の命があとどれくらいかなんて見当もつかないが、折り返し地点を過ぎたのはほぼ間違いないだろう。この後半戦をどう生きてゆくかについては常に頭にあるものの、具体的なアクションを起こすでもなし、まだまだ悩んでいる。
昨年、義母が亡くなったことは我が家の長期計画において衝撃的なことだった。いまだ義母亡き後の様々な手続き等も継続中で、いつになったら落ち着くのやら。
いろいろなことが仕切り直しとなり、年末に渡米し、向こうで考えていたことなどを総合的に勘案すると、新たな手も可能性を帯びて来て実に流動的だ。現状、長期的な展望は考えつつもひとまず置いといて、重要事項から順番に一つずつ片付けてゆこうと思っている。
そうしている間に何かいい考えが浮かぶかも知れないしね。

2019-01-05

今日も朝から中学校















昨日の抽選で中学校入学が決まったため、今日は朝から中学校で入学説明会。長女の時に一度経験しているので要領は大体知っており、仕方なく参加しているようなもの。PTA会長の話も例のごとく退屈で中身のあることは何ひとつなし。まあ、これはある種の儀式だな。この儀式は2時間に及び、その間次女は別室で諸検査名目の実力テスト及び作文をやらされている。面白いのは作文で『自分はこの中学になんか来たくなかったのに親に無理やり入れられた』と書く子もいるという。学校側はこれを受け、もう一度家庭で十分話し合うよう促したらしい。そうやって自分の意見をはっきり書く子っていいじゃないか。
この検査の目的はそれぞれの学力を把握してクラス編成に生かすためだ。
入学説明会では大量の書類をもらったので、提出期限までに出さないとね。またまたやることがいっぱいだ。

2019-01-04

新年最初の運だめし
















これほど緊張してガラポンから出る玉の番号を待つ機会なぞ滅多にないことだろう。
そう、今日は次女が入学志望している中学校の抽選日だ。
現在長女も通っている中学校で、次女にしてみれば姉ちゃんが通っているから行きたいということらしい。次女の場合仲の良い幼馴染が3人いるので、今日の抽選に外れて地区の市立中学校に行くことになっても、それはそれで構わないようだ。
姉が通っている中学校か、友人の居る中学校か、自分で決めかねている面もあるので、全くの運次第であるガラポン任せにするのも、ひとつの選択肢と言えるだろう。
そして結果は?と言うと、募集人員34名に対し、16番目に見事当選した。
今回女子は募集人員に対して比較的応募人数が少なかったこともあり、当選確率が高かったことが幸いした。これで春からは姉妹揃って中学校に通うことになる。
明日は入学説明会が行われ、次女には実力を把握するためのテストと作文が課されることになっている。しかも時間も早いしね。
明日も午前中いっぱいは学校だよ。

2019-01-03

妻の葛藤
















シアトルに残っている妻とは毎日Line電話で連絡を取り合っているが、妻によると亡くなった義母の車や家の保険、その他相続関係の手続きなどで忙殺され、他に何もできない状況だという。それらの手続きは概ね本社が東海岸にあるため、基本的に午後2時までに行わねばならず(時差が東と西で3時間あるため)朝5時に起きて手続きを始めるが、あるところに電話をかけると『それはここじゃない』と言われ、そこにかけるとそこでも『ここじゃない』とたらい回しにされる始末。またそれぞれ1時間近くも繋がるまでに待たされるため、無駄に時間だけが過ぎてゆき苛立ちがいっそう募ると言う。
妻の場合は日本に居住しているため、本来は何の問題もないことが煩雑化し、相手方もどう対処してよいか分からない場合が多いため、こんな複雑な状況となっている。
妻は明日には現地を発つため残された時間は僅かだ。もし今回主要な手続きが完了できなければ、しかる後再び妻だけ渡米して対応せざるを得なくなる可能性もある。
親の死を迎えるということは本当に大変なことなんだと、こういった面からも考えさせられる。

2019-01-02

三女発熱
















シアトルにいる時からなんとなく予兆はあった。
帰国する前の晩、義理の叔母の家に招かれてディナーに行ったが、その時出してくれたデザートのチョコレートアイスクリームを三女が『いらない』と断ったのだ。妻も三女がアイスクリームを食べないなんておかしいと危ぶんでいたが、案の定その答えが今日38度の熱となって現れた。帰国は全て合わせると15時間近い旅程で、健康体でも激しく消耗して脱力してしまうが、体調が悪いとなるとなおさらで、一気に悪化する原因ともなる。事実自分も風邪が悪化して咳止めを飲まないといけないほどだ。ぐったりと疲れていた三女は早めに寝たが、夜中に何度も『お母さんがいなくて寂しいと』泣いてそれが朝まで続き、皆が寝不足になってしまった。午後からは実家に行ったが、そこで『頭が痛い』というので熱を計ると38度というわけ。頭痛がひどいというので解熱剤を飲ませて今は落ち着いているが、明日はどうなることか。ただ、こんな時ありがたいのは姉たちの存在で、長女も次女もいつもは喧嘩ばかりしているのに、三女が病気の時はこちらが感心するほど面倒見が良い。三女も特に次女に甘えてぴったりと張り付いているほどだ。常に母親や父親が側に居るとは限らないということを知っていると、自然と姉妹の絆が深まるのかも知れないね。

2019-01-01

実感のない新年
















空港に向かおうとしていた時に日本ではすでに新年を迎えていたようだ。
飛行機の機内アナウンスでも『明けましておめでとうございます』としきりに挨拶していたが、こっちは新年を迎えたという感覚が全くない。
シアトルを発つ時間が濃霧でだいぶ遅れたせいもあり、成田に到着した時はすでに乗り継ぎ便の搭乗案内30分前。これから入国審査を通り、機内預けの荷物を回収して税関を抜け、国内線のチェックインをしなければならない。後30分ではどうみても間に合わないが、できる限りのことはしようと娘たちを急かして入国審査に行くと運がいいことにガラガラだ。荷物も案外早く出てきてくれ、税関はほぼ素通り。チェックインカンターはかなり混雑していたが、時間に余裕のない乗り継ぎ便に関しては優先してチェックインしてくれたので、搭乗口に着いた時にはちょうど自分たちが搭乗手続きの番だった。 もう間に合わないと思っていただけにこれにはホッとした。

家に帰ると猫たちが出迎えてくれたが、留守中親父殿がエサをやるために家に入る以外は自分たちの家状態なので、いろいろ悪さもしていたらしい。家の中の臭いもいかにも獣がいるっていう感じで鼻につく。でもこれは窓を開けて空気を通していれば自然と消えてゆくと思う。
とにかく留守中、犬・猫・鶏・亀の世話をしてくれた親父殿には感謝申し上げたい。

2018-12-31

日本へ
















10日間のアメリカ滞在を終え、日本に帰国する日がやってきた。本当にあっという間だった。毎日なんらかのイベントがあり、1日ものんびりする日が無いままの帰国だ。
まだまだやりたいこと、やらねばならないこともあったが、今回はここまでだ。妻もやることが山ほどあるので、自分たちより数日遅れて帰国する予定だ。
今度はもう少しのんびりと滞在したいな。

2018-12-30

シアトルへ

















Leavenworth最後の朝は快晴だった。
周囲を高い山に囲まれているため太陽はまだ現れていないが、空は青く雲ひとつない。昨夜降り続いた雨のあとに冷え込んだものだから、道路はツルツルに凍っていてかなり危険だ。朝食を食べ終えた頃には太陽も顔を出してきたが、気温が上昇したことで霧が発生し、周辺は幻想的な様相を呈している。
まだ道路が凍結していることを考慮して、行きに来た道を通るか、それとも別の道を試すか悩んだが、状況とかかる時間が同じならば行ったことのない道を行こうと、帰りも僕が運転することにした。
Leavenworthの街を出ると案の定道路は完全に凍結しており、慎重な運転が求められる。それでもこちらのルートは谷が浅く、日当たりが良いので比較的早く氷が溶けて安心して運転できるようになった。それにしてもアメリカの道路は広くて走りやすい。日本で言うなら県道クラスの道でもほぼ高速道路と同様で信号は全く無く、100〜120kmでの走行が当たり前だ。山間を通る道ですらそれくらいの速度で走ることを前提に道が作ってあるので、ビュンビュン飛ばせるってわけ。大したものだよ。
約200kmの行程を2時間弱。この間ノンストップだ。そしてインターステイトと呼ばれる片側4車線もある高速国道も走るが一切高速料金はかからない。ガソリン代も4リットルで360円だから、以前より高くなったと言えどもまだまだ安いよね。ほんとここは自動車大国だよ。
ちょうど昼過ぎにシアトルに着き、昼食を摂るとすぐに明日飛ぶためのパッキングに取り掛かった。そして夕方にはまた義理の叔母の家に行き、皆でディナーを楽しみました。
別れ際、皆が「また来てね」と言うものだから、近いうちに必ずまた来る、と心に誓うのだった。

2018-12-29

義母の願い

















天気予報では昨夜から雨となっていたので、朝起きた時はザアザア降りだとばかり思っていたら、カーテンを開けると日が指しているではないか!夜中のうちに新たに5cmほど雪が積もっており、気温は−3℃。すぐに皆を起こし、朝食を食べ、外に飛び出したよ。
予報を改めて見ると日中は50%ほどで推移し、夕方からは100%となっていた。ならば可能なうちに思いっきり遊んでおこうとソリ滑りができる所に行くと、まだ誰もおらず貸し切り状態。ここでさんざソリ滑りを楽しんだあとドイツ風料理の店でランチをして、だいぶ山に雲が掛かって来たもののまだ雨は降り出していなかったので、川べりにあるトレッキングルートを次女と三女をソリに乗せ長女と一緒に引っ張りながら周遊したよ。
気温が上昇したので昨日はパサパサで作れなかった雪ダルマを皆でワイワイしながら作り、その出来栄えに一番うるさい次女が納得できるものを残すことができた。
午後3時過ぎには雨が本格的に降り出してきたのでホテルに戻り、皆でボードゲームを楽しんだが、娘たちによると今までで一番雪遊びができたんだそうな。そりゃこの二日間、外で遊び疲れるまで遊んでいたからね。当初は雨で全然ダメだと思っていたけど、結果的には最高の状態で楽しむことが出来たわけだ。
今回、いつも泊まっていた街の中心部から少し離れたホテルを予約出来ず、唯一空いていた街中のホテルに泊まったが、部屋は若干狭かったものの何をするにも至極便利な立地であったことが幸いして、楽をする事ができた。
「自分が居なくても楽しんで来てほしい」という亡き義母の願いが、この幸運を導いてくれたに違いない。

2018-12-28

Leavenworth

今はシアトルから2時間ほど東へ車を走らせた、深い山の中にあるLeavenworthというリゾート地に来ている。ここは日本風に言うならばドイツ村といった感じで、小さな街全体がドイツの田舎風に作られたこの辺りでは有名な観光地だ。
ここ数年、妻や娘達がクリスマスにアメリカに帰国すると、亡くなった義母と一緒に訪れ雪遊びをする流れが出来ていた。今回は亡くなった義母の遺志を汲むために訪れ、大いに楽しんでいる。
雪は例年に比べ少なく、ここに至る道も例年ならチェーンを履かねばならないが、今回は零下の環境で凍結していたもののチェーン無しでスリップせずに来ることが出来た。スバル車で雪道を走るのは初めてだったが、やはり四駆の走破性の良さには関心させられたよ。
Leavenworthに到着すると小雪が舞っており氷点下3℃、それでもそんなに寒さは感じない。積雪量は15cmほど。気温が低いため雪合戦のための雪玉を作ろうとしても、雪がパサパサで固まらず、雪ダルマも作れない。それでもソリ滑りは最高で、街外れの空地にある坂などで大いに滑り、びたびたになって帰って来たよ。
夕食は賑やかなメインストリートから外れた地元の人も来る家族経営の小さなレストランで食べ、ここで出たクラムチャウダーは最高に美味かった。
明日も泊まる予定だが、あいにく一日中雨の予報。普通は雪で、この時期雨なんか降るのは稀とのこと、これも雨男の自分の仕業か・・と思わぬでもないが、致し方無し。
雨なら雨なりの楽しみ方もあるはずだ。

2018-12-27

有能なる人

















シアトル随一の観光地であるフィッシュ・マーケットを見下ろす眺望抜群のオフィスにその人は居た。年頃は自分とほぼ同じくらいの日本人女性AKIKOだ。なぜここに来たかというと妻の相続の関係で日米両国の相続問題に詳しい弁護士だからだ。
妻は数ヶ月前からいろいろ相談していてとても助けられている。今回はせっかくシアトルに来たのだから今までの流れを日本語でも詳しく説明してもらい、僕が分からないことがあれば直接質問して聞く機会を得るためでもある。
初対面した彼女の印象はいかにもやり手といった感じでもなく、それでいて話すことは端的かつ的確で無駄がなく、こちらの質問にも丁寧に答えてくれ、とても良い感じを受けた。確かにこういった女性に依頼できるなら安心だと思ったね。
今は米国人と結婚して子供も居るというが、こんなシアトルの一等地に自分のオフィスを持つなんて相当仕事ができるということに他ならない。ロースクール時代の彼女を知る他の弁護士は彼女をずば抜けた才能の持ち主だと言っていた。地元の雑誌に特集記事が組まれるくらい彼女活躍は目覚ましいが、もし彼女が日本に居たならば果たしてこんな風に活躍できる場があっただろうかと考える時、最近の医大等による男女差別を見て分かる通り、おそらく芽を潰されただろうと思う。
言い換えればこれほどの才能が日本から失われたということなのに・・

2018-12-26

The Lion King























今日は昼食をDowntown Seattleにあるレストランで摂り、そのまま近くにあるパラマウント・シアターに行ってライオン・キングのミュージカルを観てきた。クリスマスの次の日ともあって会場は超満員。我が家のように多くの子供達も居て、クリスマスプレゼントとしてこのミュージカル鑑賞に連れてきてもらった子が多いことを窺わせる。
ミュージカルは初めからどんどんと観客を惹き込み、とても素晴らしいものだった。また観客の反応も面白く、自分にとってはミュージカルとそれに対する観客の反応の二本立てのショウを観ているようなもので、実に興味深いものだった。やっぱりアメリカ人は物事を楽しむのが上手い人たちだと思ったね。
役者はユーモアを随所に散りばめて観客を沸かし、観客は役者の期待に応えて大いに盛り上がるといった感じ。ここに一体感が生まれ、その余韻に浸りながら劇場を後にするという恍惚の時間。
なかなかチケットが取れないものだけに、上手いこと予約を入れてくれた妻とそのアイデアをくれた義理の叔母らに感謝したい。
今晩もディナーは叔母の家に招待されている。タラを使った料理だと聞いているが、鍋でないのだけは確かだ。どんなものが出てくるのか楽しみだな。
連日食べ過ぎだけどね・・

2018-12-25

クリスマス・デイ

















今日はクリスマス。
日本でいうなら元旦で、店はどこも閉まり、人通りもほとんどない。
今朝はサンタからのプレゼントを早く確かめたくてハイパーになっている三女に起こされた。それぞれの名前が刺繍されたかなり大きめのソックスにはあふれんばかりのプレゼントが詰め込まれており、それを3人の娘たちが順に開けてゆく。
プレゼントを開け終わると我が家伝統のクリスマス・ブレックファーストであるフラッフィーパンケーキを皆で食べクリスマスを祝う。
昼食は叔母の家に招待されていたので、そこでまた皆で食卓を囲んで楽しいひと時を過ごし、ディナーは従姉妹の家に招待されて、初めて会う従姉妹の親戚とこれまた本当に愉快な時を過ごすことができた。
どこへ行っても話には「あの時はこうだった、ああだった」と亡き義母が登場してきて皆を笑わせ、しんみりとした後に「義母に乾杯!」と杯を上げる。こんなファミリーはそうそう無いんじゃないかな。こういった繋がりが末永く続くことを願わずにはいられない。

2018-12-24

クリスマス・イブ

















クリスマスをシアトルで迎えるのは何年ぶりだろう。
ただただ妻のファミリーのクリスマスパーティーの賑やかさだけを憶えている。

今朝はゆっくりと起きて食事をし、まずは銀行に行って所用を済ませ(銀行がやっていたこと自体驚いたが・・)それから晩のパーティーのための買出しを行い、午後は冬のシアトルでは珍しく快晴になったので、娘たちを連れて近くの公園へ行き縄跳びの練習などをして汗を流したよ。まだ二重跳びを連続40回跳べたので、これは嬉しかったな。

晩のパーティーには親戚一同が集まり、プレゼントを開けたり、飲んだり、食べたり、歌ったりで、もう大騒ぎ。皆のリクエストで長女がクリスマス・キャロルをピアノ伴奏し、義母の3人の妹たちを中心に全員で合唱をする盛り上がりようだ。これぞ我がファミリーのクリスマスと言わんばかりの暖かな雰囲気の中に、残念ながら筆頭だった義母の姿は無く、妻は涙を流していたが、その気持ちはそこに居た誰もが共有していたものだろう。
この一体感こそが何ものにも代え難いファミリーの絆だと思う。

2018-12-23

埋葬の日

















夜中、激しい雨音で目が覚めた。
冬のシアトルは日本海側の気候に似て雨が多く、ほとんど晴れる日がない。「この分だと雨の中での埋葬となるかも・・」と、再び眠りにつく。
明るくなってからも雨は降り続いていたが、シアトル北郊にある墓地に着く頃には雨も上がり、雲間から青空も見え始めた。
墓地に来るのはこれで3度目になる。海を望む広大な緩斜面に芝生が広がり、墓碑や石板が規則正しく並んでいる。この一帯は主に日系人によって占められ、その中に妻の一族の墓もある。
その一族の墓には雨の多いシアトルならではの配慮で移動式の仮屋根が設置されており、雨天の葬儀にも対応できるようになっていた。
親戚一同20余名が集まったところで葬儀が始まったが、儀式的なものは何一つなく、義母の3人の妹たちや妻それに長女と次女が義母との思い出や詩などを読み上げ、骨壷を埋葬し、参列者皆で長女の折った折鶴と花を手向けて埋葬の儀は終わった。
わずか30分ほどのことだったが、葬儀とはこうあるべきものだと感じさせる愛のこもった感動的なものだった。
その後、皆でダウンタウン・シアトルに面したエリオット湾を見晴らせる、眺望最高のレストランで食事をしながら義母の思い出話をし、笑ったり、涙ぐんだりと、とても充実したひと時を過ごすことができた。その後は叔母の家に場所を変え、そこでまたディナーを共にしながら義母を偲んでいた。
こういうのって素敵だな・・と心から思ったね。
パーティー好きだった義母が生前望んでいたかたちの葬儀を無事終えることができて、妻もほっとしていた。
さあ、明日はクリスマスイブ。
イブは妻のいとこの家でクリスマスパーティーだ。

2018-12-22

主人の居ない部屋

















スーツケース6個という大量の荷物を抱えて義母の家に着き、玄関を開けるも人の気配がない。義母は亡くなったので当然のことなのだが、この違和感に家族皆がなんとも言えぬ寂しさに襲われた。介護用のベッッドなどはすでに片付けられて、それに伴い部屋のレイアウトは若干変更されたもののほぼ全てが義母が生活していたままであり、そういった意味での気配は色濃く残されている。にもかかわらず本人が居ないというのは不思議な感じがするというのが一番近い感想だろう。
お腹が空いたので何か食べようと戸棚を開けると、義母の好きだったものがまだ多く残っているし、冷凍庫には義母のために妻が作ったスープなどが冷凍されたままになっている。これから少しづつ変わっていくのだろうが、まだまだ時間がかかるだろう。急ぐ必要はないのでゆっくりといけばいいさ。自然にそうなっていくと思うしね。

2018-12-21

空へ

















空港に行くまでのバタバタはいつものこと。さっさと動かない娘たちを叱咤しながら勢いに任せて家を出る。ただ、空港に着いてしまえばあとは流れに乗って行くだけなので、とにかく空港に着くまでが肝心だ。
成田行きは飛んでいる時間が1時間ほどと短く、なんら問題はない。快晴だったおかげで眼下に雪をかぶった富士山がはっきりと見えて嬉しかった。
成田からシアトルへのフライトも最新ではないが結構多くの映画が観れるので、以前よりは時間を潰し易くなったと思う。自分はハン・ソロとミッションインポッシブルの軽い映画2本だけを見てあとはほとんど寝ていたね。すぐ隣の席が空席だったのがほんとありがたかった。
いつも緊張するアメリカ入国もすんなりと通り問題なし、空港からはリフト(ウーバーと同じ)を利用してお得に家まで直行だ。
無事到着後はさすがに疲れたので昼寝したよ。まずはよかったよかった。