2008-06-30

贅沢な悩み


いま我が家は大量の野菜であふれている。日中に親父殿が仕事のついでに寄ったようで、少し大きくなり過ぎたきゅうりが6本、トマト3個、茄子がこれまた6本ほど、それにレジ袋一杯のタマネギなどどっさり置いて行ってくれたらしい。アパート住まいの頃は野菜を作ることなぞできなかったので、野菜をどれだけもらってもすぐに食べてしまっていたが、今は自分の畑を持ちそれなりの収量もあるため食べるのがだんだん大変になって来ている。例えばきゅうりは毎日5本程度の収穫があるし、ミニトマトも一斉に色づき始めている。インゲンももうじき穫れそうだし、ピーマンも順調。ズッキーニはきゅうりと競争するかのように成長している。特にきゅうりに至っては初期段階で大分害虫に喰われ死滅すると思ったので新たに種をまき、苗6本が急成長中なのだ。毎日5本程度収穫と言うのも初期生き残りの3本の苗でそうなのだから、特に収量が多く病害にも強いという種から成長した後期6本の苗はとんでもない量のきゅうりを生産するんじゃなかろうか?7月半ばからは妻と子らが約ひと月間恒例のアメリカ里帰りでいなくなるので、その間は僕一人でトマト、きゅうり、ズッキーニなどを食べなくてはいかんのだ。朝昼晩と三食たべ続けても果たして食べきれるかどうか・・今のところは好物のそばと野菜それに豆腐だけで生き延びてやろうと計画中。何年か前に同じことをやったときは現場で激しく作業中でもあったため、カロリー不足で激痩せしたもんだ。ま、人体実験のようなものだな。ちなみに麺類は毎日食べていても食べ飽きることは無いので自分としてはかえって嬉しいんだよね。

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2008-06-29

見つからぬもの


どこかへ行ってしまって見つからぬものは、探せば探すだけ出て来なくなるものかも知れないな・・
梅雨に入りヤブ蚊がどっと出現し始めたのでノーマットタイプの蚊取り線香を設置しようと、しまってありそうな場所を探したが見つからない。おかしいな・・と思いつつ家中を片っ端から探しても見つからない。そんなものをわざわざ物置にはしまわないので家の中にある筈なのにさっぱり思い出せないのだ。なんとなくここに片付けると分かりにくいかな・・なんて思いながらしまい込んだ記憶があるので、それが見事的中したと言うわけだな。ま、自業自得、そのうち冬にでもなったら出て来るさね。
そうやって何年も放って置いたものがひょんなことから見つかるときもある。子供が生まれてアメリカ国籍を取得するとSocial Security Number (SSN)というものが送られて来る。これはカードサイズの紙に印刷されて送られて来るのだが、日本で言う年金手帳のように一生ついて回る大切なものだ。そんな大切な紙がある時を境に急に無くなってしまった。その時もあわてて家中を探したが見つからず、義母に聞くとSocial Security Numberはアメリカ国内なら結構簡単に確認できるということなので、紛失したままにしていた。それがだ、先日他の物を探していたときにいとも簡単に出て来てびっくりした。紛失に気づいた当初にそこは何度となく確認したはずなのに見逃していたことになる。まったく解せぬ出来事だったが事実なので致しかた無い。
そんなように今回の探し物もひょっこり出て来てくれることを期待して、放って置くことにしよう。

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2008-06-28

郷愁


先ほどNHKの世界遺産シリーズ『ウィーン』を何気なく見ていたら、どういう訳か胸が締め付けられるような郷愁にも似た激しい感情にの高ぶりに襲われ、どうしていいのか分からなく自分自身で戸惑ってしまった。そもそもウィーンに行ったことも無いのに何がそんなに僕を揺さぶるのか?ハプスブルク家の残した華麗な建築物群か?確かに素晴らしく一度は訪れてみたいと思うがそうではない。では今は大通りで囲まれた旧市街区の雰囲気か?これも惹かれることに違いはないが、それだけでは説明がつかない。面白いことにそのウィーンについての映像を見ながら僕の脳裏に流れていたのはウィーンとは全く別のところ、今まで僕が旅をしながら見て来た国々の様々な情景が、この番組をきっかけにして次から次へと思い出されてくるのだ。僕が郷愁のように感じ、感情を揺さぶられたのは過去の自分に対してではないのか?あの頃はバックパック一つ担いでどこへでも行くことができた。縛られるものも無くどこへ行くかはその場で決め、時間の制限も無かった・・以前から何度も書いているようにそういう環境から遠ざかってずいぶん経つ。もちろんそうしたいが今はそうできないことは十分承知している。日頃は押さえられているその感情も、ふとしたことから解放され一気に放出される。その度にとても切なくなるが仕方の無いことなのだ。このくすぶる感情をうまく誤摩化しながら時を稼ぎ、真に解放できる『その時』を腐らずに待ち続けようと思う。

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2008-06-27

長丁場


3月から通っていた歯医者での治療がやっとこさ、ほんとやっとこさ終わった。何も特別なことをしていたわけじゃない、5年間ノーメンテナンスだった歯を片っ端から治療しただけのこと。それでこんなにかかってしまった。治療自体も以前かぶせてあったところを再び削ってかぶせ直すのがほとんどで、新たに削られたところも軽く削って樹脂を詰めるといった程度のもの、なのでそんなに大きく治療したという箇所はなかった。それなのに何度も言うようだがこんなにかかってしまった。なにか日本の歯医者のシステムに根本的な誤りがあるように感じません?予約して行っても待ち合いで数十分は待たされ、いざ治療が始まると大抵の場合持ち時間よりも早く終わってしまう。そしてお金を払う段になって『じゃあ、来週は・・』てなことになる。だったらもうちょっと時間かけていっぺんにやっったら?と思うのは僕ばかりではないだろう。ちゃんと定期検査をして来なかったから治療にかかる時間も長くなるのはよく分かる。でも合計10回は治療した量と比べてあまりにも多すぎると思う。歯医者の治療自体は丁寧でヤブとは思わないが、この忙しい時代に10回も歯医者に通うなんて、そうそうできるものじゃない。いい加減この悪弊を直してゆかないと無駄な時間と余分なお金ばかりがかかるだけで大変不効率だと思う。

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2008-06-26

3ATの涙


昨日、所用で義兄に電話すると話のついでに『来月からガソリンを10円ほど値上げするから今月中に入れといた方がいいよ』と、教えてくれた。義兄はガソリンスタンドの営業をしているため、その辺りの情報には詳しいのだ。そうなると1リットル175円ほどになるのだからすごい値段だな・・。大きい車だと1回満タンにするだけで1万円を超えることになる。一体いつまでこの価格上昇は続くのやら・・。
こうなって来ると軽が良さそうだが、一概にそうとは言えないこともある。先日軽ワゴンに乗っている友人と話していたら、彼の車はなんと1リットル8km程度しか走らないという。驚きの燃費の悪さなので詳しく聞くと3速ATターボのためエンジンが常に高回転で回り、ゆえに距離が伸びないのだと言う。たしかに660ccという小排気量でも60km/hで走るのに例えば3500回転近くも回していたら、1300ccクラスで1200回転ほどで走るフィット、ヴィッツ、デミオなどよりも燃費が悪いことになる。その状態が常時続くのだから益々燃費は伸びないということだ。とはいえ重量税は安いし、維持費も安いのでトータル的には安くなるのかな?ま、安全性は別だけど。
畑仕事、庭仕事をするには大物荷物の運搬などを思うとやはり軽ワゴンが欲しくなる。そこで次の車は軽ワゴンにしようと今のところは思っているが、実際にそうするかは誰のみぞ知るや?なんて言いつつロードスターで頑張ってたりして・・

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2008-06-25

極私的サマータイム


ここ数年間は午前0時を越えて床に就き、そして6時に起きるというサイクルが続いていたがそれを自分なりのサマータイムを導入することにして、23時には寝て5時に起床するサイクルに変更した。というのも仕事から帰って来てからでは畑や庭をいじる時間が無く週末しかない。その週末も雨などで流れると1週間何もできないことになってしまう。そこで単純に毎日早く起きれば少しでも時間を作れるだろうと思った次第。もともと朝早く起きるのは好きなので別に苦でもない。特に晴れた日の早起きは空気に緊張感があって、最高に気持がいい。妻と会う前は毎週末のようにバイクに乗り野宿(キャンプと呼べるような澄ましたものじゃない)していたものだ。その時朝日とともに起きて金色がかったひんやりした空気の中を走り抜ける気持ち良さと言ったら・・自然と身も心も軽くなり大いにリフレッシュできた。
いつまで5時起きを続けられるか分からないが、当面は頑張ってみようと思う

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2008-06-24

橋の下の出来事


夕方庭でトマトの脇芽を摘んでいると、Jackieが堤防に向かって盛んに吠え始めた。何だろう?と堤防を見ても自転車が置いてあるだけで特に変わったところは無い。さては何か血迷って吠え始めたのか?と思っていたら、人の怒鳴り声と何かを激しく叩き付ける音が聞こえて来た。声の主はかなり激昂しているようで何を言っているのか分からないくらいだ。声は我が家のすぐ近くの県道に架かる橋の下から聞こえて来て、どうやらそこでケンカでもしているようなのだ。この橋の下には僕らがこの家に引っ越して来た頃からホームレスの人が一人住んでいて、そこにたまに遊びに来る人物が言いがかりをつけているらしい。始めは放っておこうと思ったが何かを叩き付ける音が尋常でなかったので万一のために覗きに行ってみると、なんてことはない連れの方が酔っぱらって怒鳴りながら脱いだ靴をコンクリートの壁に叩き付けていただけだった。この人物とは以前にもちょくちょく話したことがあったので『おじさん、あんまり騒いどると通行人に警察呼ばれてまうで、いったい何騒いどるん?』と聞くと、なんやらよく分からんがちょっとしたことが気に喰わなくて橋の下の住人とケンカになったそうだ。『ケンカは勝手にすりゃいいけど、手ぇ出すなよ。ま、とにかく騒ぐのだけはやめときや』と言い残して戻ったがしばらく騒ぎは収まらなかった。彼らは彼らなりにいろいろな利害が絡んで衝突するのだろう。ただし、泥酔して人から見えるところで騒ぐのは頂けないな。

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2008-06-23

枇杷美味し


なにをかくそう枇杷は好物だ。よく熟した枇杷の爽やかな甘さはいくつでも食べられる。最近はスーパーなどにも売られているが、無花果同様店頭ものは甘さが薄っぺらで美味しいと思ったことがない。なので本当に美味しい枇杷や無花果からはずいぶん遠ざかっていたが、この家に越して来ると隣の畑には大きな枇杷の木が我が家の敷地に覆いかぶさるように枝を張り、実も鈴なりでなっていた。それがちょうど去年の今頃の話。その頃は枇杷も食べたかったがこの家を購入した直後で荷物の搬入に忙しく、とてもそんな余裕がなかった。今年はと言うと、隣の畑のご夫婦とも仲良くなりしょっちゅう野菜を頂いたりしているため、草刈機を買ったことだし堤防際の雑草を刈り払って恩返しをしようと背丈以上のススキを部分的に刈っておくと、大変感謝されて『お宅に面した枇杷の実はどうぞご自由に穫って食べてください』とのお許しを得た。しかもレジ袋いっぱいの枇杷まで頂いてしまった。こんなうれしいことはないな。さっそくむさぼるようにいくつかを平らげたが、そのうまいことと言ったら!子供の頃、実家近くの寺の境内に枇杷の大木があり、実のなる頃は住職の目を盗んでよく食べていたものだ。その時の枇杷の美味さは格別だった。隠れてこそこそやっていたことが美味しさをより一層引き上げていたのかも知れない。その時の思いがあるからこそ僕は枇杷に執着する。

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2008-06-22

眼鏡のこと


終日降り続いた雨も今は止み、少し湿気を含んではいるが肌に心地良い風が吹き始めている。ここのところの梅雨前線の北上で湿度は急激に上昇し日中の室内湿度計は90%をさし、何もかもがベタベタし不快極まり無い。まるですべてのモノを腐らせるようなこの湿度が恵みの雨をもたらしていることは重々承知なれど、やっぱカラリとした空気の方が爽やかでいいよね。

雨では畑仕事も庭いじりもできぬので買物に専念することに。先日床に置かれた妻の眼鏡を踏んづけてしまい片方のつるが破損、続けざまに下の子が残された一方をもぎ取り敢えなく新しいのを買うはめに。いくつかの店を見て回ったが悩みどころは安めのものを短いサイクルで使うか、それとも倍以上値段は張るがフレームがフレキシブルで壊れにくそうなものを選び長く使うか、このどちらにするかを大いに迷い最終的には決めたものの結果どうなるかはカミのみぞ知ると言ったところ。安いものは5千円ほどからあるが、妻の場合右目が相当悪いので標準レンズでは厚みがあり過ぎてよろしくない。そこで非球面薄型レンズにするとゴン!と値段が上がり軽々1万円を超えてゆく、何軒かの店に寄ったが最後に入った『赤札堂』が一番安く、その安いフレームの中に妻のお気に入りのフレームが見つかり、かけ心地もすこぶる良いと言うのでそれを買うことに。8千円のフレームに非球面薄型レンズをつけて1万2千円なり。これで予算的には大分押さえられたが、ソフトコンタクトと言い眼鏡と言い目が悪いと言うことは大きな負担になるね。こればっかりは仕方がないとは言え眼鏡ってちょっと高過ぎやしないかい?僕はそう思う。

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2008-06-21

Puncture


下の子と毎週恒例の買物に出て帰宅し、ふとロードスターの後輪を見るとなんだか空気が抜けているようだ。他のタイヤと見比べても明らかに空気圧が足りない。軽に乗っていた時はパンクするとタイヤがペッタンコになったのですぐに分かったが、ロードスターは扁平タイヤのためパンクしていても見かけは空気が抜けているな・・程度にしか見えないのだ。とは言え昨夜帰宅するときにやたらとハンドルを取られたのは、あながち激しく降っていた雨のせいばかりではなかったと言うことだな。いずれにせよパンクならばすぐに直さねばならぬので近所にあるイエローハット、オートバックス、タイヤ館などに修理作業の有無と値段を聞いてみると、驚くことに各社で結構値段の差があるのだ。そんなものはどこへ行っても同じだと勝手に思っていたので、何事も『聞いてみるもんだな・・』と感じた次第。結局一番安かったイエローハットの1575円にて修理完了。自転車のパンク修理でも800〜1000円ほどする昨今、まあ安いんじゃないかな?帰り際に修理担当の兄ちゃんに『これが刺さってました!』とステンレス製のビスを見せられましたとさ。

案の定、昨夜の大雨で散布しておいた殺虫剤はきれいさっぱり流れてしまい、おびただしい数のヤスデが再度出現していた。それを妻が『Yuuuuuck!』と叫びながら散水ガンで流しておったな・・ヤスデの大量発生はいったいいつまで続くのやら・・

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2008-06-20

ヤスデの報い


今朝のヤスデは凄かった。Jackieを散歩に連れて行こうと玄関を出て上を見ると、庇におびただしい数のヤスデが這っている。ヤスデ自体はここ数週間ずっと出没しているので、いてあたり前のようになっているがそれにしても多過ぎだろ!というくらいの数だ。たまらんなーと思いつつ南の庭に面した庇も見てみると・・言葉を失うくらいびっしりとヤスデがはり付いていた・・。この様子を写真に撮ってブログに載せたかったがあまりの気味の悪さに衝撃を受け、気を失うといけないのでやめておこう。
我が家は3方を畑、堤防、空き地に囲まれそこから侵入して来る虫がかなり多い。ヤスデもその代表格でひと月ほど前から盛んに侵略して来る。その都度粉末の殺虫剤を散布して結界を張って来たが、雨降るたびに効力は落ちヤスデの侵入を許す結果となっている。今朝も早速散布したがこの大雨で流れてしまったことだろう。今思えば前回大量侵入して来た時も今回と同様蒸し暑く、大雨の降る前だったような気がする。ヤスデ達は大雨が降るのを見越して我が家に雨宿りをしようと集まって来たのかも知れない。妻によると今日は家の中で10匹以上のヤスデを捕獲したそうな。そりゃ外にあんだけへばりついていたら家の中にも相当数侵入されているだろう。友人宅に出没する人喰い大ムカデと違い部屋の中を這っていても特段害はないが、これもあまりに多いと気持ち悪く排除したくなるものだ。殺虫剤を使用して罪なきヤスデを大殺生している自分は間違いなく地獄行きだろうな・・
晩に子供たちと遊んでいるとヤスデがもそもそと這い出して来た。それを捕まえて『Daddyはこの虫好きなんだよ』と、食べる振りして子供たちを驚かせてやろうと、口に放り込む真似をしたら手元が狂って本当に食べてしまった!すかさず吐き出したが子供たちはびっくり仰天しとったわな。これも報いとしておこう。

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2008-06-19

反応


約半年ぶりに市内の大学病院にて下の子のアレルギー反応のレベルを検査し、その結果を見るとアレルギー反応はまだ多くの物に対してあるものの全体的に反応レベルは下がって来ており、良い方に向かっているようでちょっとホッとした。妻が調べた所によると乳幼児のアレルギーについては、反応を引き起こす物や可能性のある物は極力摂取させない方が結果的にアレルギー反応の抑制に繋がり、子供の成長とともに反応自体が消滅する可能性もあるという。実際下の子の場合も半年前に比べいくつかのアレルゲン物質に対しての反応が無くなり、特に大豆、卵黄といったものまで問題なく食べられるようになったのはありがたいことだ。今後もしばらくは摂取する物に気をつけ、さらに半年後の再検査でも良い結果が出るように皆で努力してゆこうと思っている。

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2008-06-18

I'm not japanese!


我が家では僕以外、庭で遊んだりする時は履物を履かないようになっている。当然足は汚れ子供たちはそのまま家に上がるので部屋の中はすぐに砂だらけになってしまう。僕はなるべく子供たちに履物を履かせようとしているが、妻は『裸足でいいじゃん!』と言って別に気にもしないので、靴を履くのを面倒くさがる子供たちが履くはずがない。まあ、子供たちならば裸足は確かに気持ちいいし、しょうがないな・・とも思う。ところが先日帰宅し車から出ると、妻が裸足で出て来てなんのかんのと話しそのまま足も拭かずに家に上がるではないか!さすがに見かねて『玄関につっかけ置いたるんやからちゃんと履けよ』と言うと、『ちょっと出るくらいいいやん』と言う。『なら、せめて足くらい拭けよ』と言うと、『掃除してるのは私だから文句言わんといて』ときた。その辺はさすがにアメリカ人で確かに合理的ではあるが、やはり汚れた足でそのまま家に上がるのは許すことができず『母親がそうだから子供たちが真似をするんだ』と言ってやると、『I'm not japanese!』と凄い剣幕で捲し立てられた。いつもなら負けずに『でもここは日本やろが!』と言い返して戦闘モードへ突入するが、いつも結果は同じなのでそのまま流すことにした。
こんな些細なことでも育った環境の違いからぶつかることが度々ある。むしろ自分の身体に染み込んだ日常の些細なことだからこそ、お互いがおいそれと譲るわけにもいかず大衝突に発展するのだろう。ええかげん学習せねばならないが、やっぱ譲れんものは譲れんのだよ。

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2008-06-17

正義?


宮崎勤死刑囚の死刑が執行された。この件に関して死刑執行命令を出した鳩山邦夫法相が『正義の実現のため・・』と言っていたのには驚き、呆れてしまった。僕は死刑制度が正義だとは全く思わない。人が如何なる理由にせよ人の命を奪うことが正義なんてあり得ない話だ。法相のこの発言は死刑執行命令を出して動揺する法相自身に道義的な後押しをするための、言わば自己暗示的な言葉なのだろう。
宮崎勤死刑囚が引き起こした残虐非道な事件に関して言えば、どこに正義があっただろうか?どこにも正義なんて無いのだ。彼に死刑判決を与え執行することは報復死を与えるだけのことで、彼がいっさい謝罪や反省の言葉を口にしない以上死を与えても何の意味もない。

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2008-06-16

拘束


イランの武装集団に8ヶ月もの間拘束されていた中村さんが突然解放された。あまりにも突然だったので『えっ、なんで?』と驚いてしまったが、そんなことよりも彼が元気そうで何よりだ。僕が見た感じでは両国政府関係者や多くの報道陣に囲まれ、気圧され気味でちょっと戸惑ったような表情も見せたが会見の内容は言葉を慎重に選び、事件について問われると『それについて僕からコメントすることは控えさせて頂きたい』と彼が置かれた微妙な立場を反映させて無難に切り抜けていた。もちろん誘拐される前の彼についてはネパールでのボランティア活動中の写真でしか知らないが、今回解放後の彼の表情から察するとどことなく『影』の部分は感じさせるものの、かなり逞しくなった印象を受けるがどうだろうか?相当の精神的重圧を乗り切ったのだから当然と言えば当然なことだな。
この先彼がどの程度拘束されていた8ヶ月間について語るかは分からないが、これほど特殊なケースは極めて稀なため各方面からの問い合わせが殺到することだろう。おそらく武装集団との生活でペルシャ語もかなり話せるようになったことだろうし、各国政府の力が及ばない部族支配地域を国境をまたいで転々としていた経緯を見ても、単なる学生バックパッカーが旅行中に拉致され、無事解放されて良かったね、程度で終わってしまうような薄っぺらな内容とはかけ離れている。実際僕がその8ヶ月間の生活について取材したいくらいで、当然のごとく各社マスコミもルポのようなかたちで彼に執筆もしくは取材を願うことだろう。
彼にとって拘束されていた8ヶ月間はとてつもなく長かったろうが、おそらく解放後はその8ヶ月間の生活が反対に彼を拘束し、それは今後の彼の人生に大きく影響を与え続けることだろう。そんなことは本人が一番よく理解してるんだろうね・・。
解放後の記者会見ではしきりに『迷惑をかけた』だの『大変申し訳なかった』だのと謝罪の言葉ばかりが目立ったが、実際彼は何も悪いことはしていないわけで謝罪する必要など全く無い。無いにも関わらず謝罪せねば叩かれるというこの国の歪んだ現実は、本当に情けなくやりきれない。

For The People Of Tibet

2008-06-15

拡張


ウチの敷地と南にある堤防の間には幅3mほどの平坦地があり、管理者は堤防と同様国土交通省でつまりは国の土地になる。しかし現状ススキがほぼ一帯を占拠しており、半ば放棄地のような有様で草刈りは年に一度行なわれるだけだ。この堤防に沿って家が何軒かありJackieの散歩がてら様子をうかがうと、それぞれが物置小屋を建てていたり、桜の木を植えたり、果樹を植えたり、ゴミ捨て場にしたりと、なんだか好き勝手に使っているようなのだ。そりゃーほかって置いてもススキが生い茂るだけなら、何かを植えて管理していた方が見通しも、風通しも良くすこぶる都合が良い。なので近所の例に習ってウチも先日草刈機で刈り払った所を耕し、有効活用することに。しかしススキの根を起こすのは大変だね。編み目のように地中を這っていて鍬でもなかなか起きてくれない。そこで耕すのは次週末に持ち越すことにして、この土地に面したフェンスの一部を撤去し直接ウチの敷地から出入りできるように改修工事を行なう。これでいちいちフェンスを飛び越す手間が省け、畑の拡張耕作にも弾みがつきそうだ。
夕方からは実家にて上の子の誕生日パーティーを兼ねて皆が集まり、にぎやかに食卓を囲む。皆がいると子供たちは終始ご機嫌で家とは大違いだ。大好きなチョコレートアイスクリームケーキを腹一杯食べて、歯を磨いてあげたらすぐに寝てしまった。まずは平和な一日だった。

For The People Of Tibet

2008-06-14

緊急地震速報


地震とは怖いものだな・・。今はこうして遠くの出来事のように捉えているが、この瞬間に足元が揺れ始めても何ら不思議なことではないのだ。震度6なんて規模の揺れが来たら、なす術無く翻弄されるだけだろう。
訓練ではない緊急地震速報を始めて見たが、それを見たからと言って地震が来るまでの残り数秒で何ができるだろう?ただ『ほんまかいな?』と疑いを持つだけで数秒が経ってしまう。今回の地震でもっとも揺れが激しかった所は緊急地震速報が間に合わなかったとも聞く。と言うことは地震速報が発令された瞬間に、言うならば条件反射のように火の元を消すなり、身を隠すなりしないといけないわけだ。そうなると現実的にはかなり厳しいな・・。将来、緊急地震速報の精度がもっと上がり、僅かでも時間に余裕ができるならもう少し何とかできるかも知れない。そうするためにはまず・・どうしよ?

For The People Of Tibet

2008-06-13

激流


上の子が4歳になった。ついこの間3歳になったばかりだと思っていたのにもう4歳か・・月並みな言葉だが時が流れるのはなんて早いんだろう・・。最近はその早さについてゆけない自分を感じ、戸惑うことがしばしばある。だって、赤ちゃんだと思っていた下の子も今では小走りし、まだ自分では漕げないがいっちょまえに自転車にも跨がっている。わずか1年半での劇的な変化に対して自分はどうかと言えば頭の生え際が後退した程度で、それ以外はほとんど変わってないというか成長してない気がする。たまに子供達と接触する程度だと『おお、○○ちゃん大きなったな〜』くらいにしか感じないだろうが、日々の子供たちの成長を目の当たりにしていると、本来なら皆同じである筈の時の経過がやたらと早く感じられ、それと同期するように『ああ、俺も歳とってんだな・・』と、否応無しに実感させられる。子供を持つと年を喰うと言うがそれは育児の疲れからばかりではなく、時の流れが子供達の成長という目に見えるかたちで日々自分達に迫って来ていることも大きな要因だと思う。
しかし、4歳ねー。あと2年したら小学生だよ!信じられる?やっぱり俺はついてけねーや・・

For The People Of Tibet

2008-06-12

本末転倒


秋葉原の事件を受けて近隣の自治体からは、現行の歩行者天国を安全上の理由などから取りやめて欲しいと言う要望書が所轄の警察署に提出され、明日にも認められる見通しと言う。それと同調するように国内の刃物類の50%以上を生産している岐阜県関市の団体も殺傷能力の高いダガーナイフの生産・輸入販売を中止すると言う。だがね、歩行者天国もダガーナイフも容疑者が計画を実行する上での手段とはされたが、それがあったから今回の事件が起きたのではない。仮に歩行者天国がなかったとしてもやはり容疑者はトラックで人混みに突っ込んだろうし、ダガーナイフがなかったら他のナイフを手にして人々を襲ったことだろう。先の論法でいくなら同じように手段として使われたトラックも危険物として排除されないといけないわけだが、不思議なことにそこに言及する者はほとんどいない。先日にも述べたように容疑者の差別化から始まり今回の反応を見るにつけ、この事件の核心を封じようとする者がいるのかしら?と怪しまれるほど本末転倒な意見ばかりが台頭し、それをそのまま放送している報道機関にはまったくもって呆れ果てる。

For The People Of Tibet

2008-06-11

知ること


いろいろな国を旅していると今の日本では起こり得ないようなことに遭遇することがしばしばある。それらはかつての日本で普通にあったことだったり、まったく別次元のことのように感じることだったりと様々だ。旅人はその一つ一つの事象に出くわした時、うろたえ、呆れ、びっくり仰天し、激しく消耗しながら自分の感覚の幅を広げてゆく。ある人はそれらが耐えきれずに自分をシャットアウトし距離を置くような反応を見せるし、またある人はそれらの刺激によって自我を覚醒し、新たな自分を発見したりする。それらは良い悪いと言う問題じゃなく『自分はそう反応した』と言うだけのことで、いずれにせよ何らかの変化を自身にもたらしているのは確かなことだ。
今の時代、インターネットを通してありとあらゆる知識を得ることができ、あたかも自分はそれを知っているような錯覚を得るが、実際には体験や経験に裏打ちされない知識なぞ単なる知識にしか過ぎず、『知る』ことには程遠い。どうも昨今はこの『知る』ことがないがしろにされ、知識ばかりが先行しているような印象を受ける。例えばだ、電車の発車時刻を完璧に知っていても、その電車がまったくこなかった場合『さあて、どうするか?』という所から『知る』ことが始まるのだ。

For The People Of Tibet

2008-06-10

4の時代


どれがいいかな〜なんてだらだらしていて決めかねていた草刈機をとうとう買っちまった。当初の予算よりは大分オーバーしての29800円也。安いものはその半値で売られているがエンジンの排気量が小さくパワーがない。田んぼの畦や膝下程度の雑草ならば十分刈り払えても、我が家の南面の堤防にわんさと生えている僕の背丈以上のススキや、西隣の空き地のセイタカアワダチソウを刈るには無理がある。そこで機械の相談もかねて近くのホームセンターに行くと、なんと!前から気になっていたHONDAの4サイクル刈払機が3万円をきって売っているではないか!ネットでの最安価格よりも2000円程も安く、しかも店頭買いなのでアフターサービスの心配もない。心は即決で『買い』。ただし、パワー的な容量が気になったので尋ねると25ccの排気量があり、問題ないとのこと。その場ですぐにオイルを充填し、試運転をして引き渡し。これでいつでも出動できる体勢になった。
草刈機を使ったことのある人はご存知と思うが、現行出回っている草刈機の多くは2サイクルエンジンで燃料はほとんどの場合25:1の割合でガソリンと2サイクルエンジンオイルを混ぜた混合ガソリンを使用する。2サイクルエンジンは機械的な構造が4サイクルに比べシンプルでメンテ性もよくパワーがあるものの、燃費が悪く混合ガソリンを使うため排気ガスに含まれる有毒物質の割合が多く、エンジン音もうるさい。対して4サイクルはエンジンの構造は複雑でメンテ性が悪くパワーが劣るものの、トルクがあり何よりも燃費が良く車と同じレギュラーガソリンを使うため排気ガスに含まれる有毒物質の割合も低く、エンジン音も静かだ。草刈機に4サイクルエンジンを使い始めたのはまだここ数年のことで、HONDAが4サイクルエンジンの小型軽量化に成功したのが始まりらしい。もちろん各メーカーが追随したものの技術的な問題から撤退が相次ぎ、4サイクルの普及が遅れているのが現状だという。そのことをあらかじめ知っていたので4サイクル草刈機には大いに興味があったというわけ。
家に帰ると早速試運転用に入れてもらったガソリン分だけ動かしてみようとエンジンをかける。ブルルン!と一発でかかり、単気筒4サイクルエンジンの心地良いサウンドが響き始めた。音も2サイクルより大分静かに感じるぞ。エンジンの回転を上げススキを刈り払ってみるとチュチュンッといとも簡単に倒れてゆく。パワーも問題なし。試運転用のガソリンはごく僅かしか入ってなかったにも拘らず30分近くも草を刈り払うことができた、驚きの燃費の良さで大満足。これで週末には堤防の見通しを確保できそうだ。
環境に対する意識が高まる中、2サイクルエンジンは今後どんどん廃止されてゆくだろう。車やバイクでもそうなったのだ。何年か後には4サイクルが主流となっているはず・・と思っているのは僕だけか?

For The People Of Tibet

2008-06-09

屈辱と怒り


早速、秋葉原無差別殺人事件の容疑者に対する差別化報道が始まった。このような事件が起こると必ず決まったパターンで容疑者が如何に変わり者で危険人物だったかを報道し、彼は『異常者』だったゆえ我々とは違うのだ!と思い込ませるような方向へと人々の心理を持ってゆく。その報道を見ている方も自分が彼と同じであるはずがない、と思うがためごく自然に偏った報道でも受け入れることができてしまうのだ。容疑者を差別化するための報道で最近目立つコメントは『キレ易い』や『キレると怖そう』といったもの。大抵の場合学生時代の同級生などによると・・といった展開なのだが、多感な時代は誰しもそんな時があるものでそれから10年後に事件を起こしたからと言って、そのときの彼が原因だったとはまったく立証できるものではない。それはあくまでも不当な差別化工作だと僕は思っている。それにしてもなぜ人々は『彼と自分達は違うのだ』と思い込みたいのだろう?彼が事件に至るまでの様子をネット上に書き込んでいたことも盛んに報道され、彼の『異常者』ぶりを煽っていたが、むしろ几帳面に淡々と書き込みを続けるその態度を見ると『ああ、誰かに止めてもらいたかったのかな・・』とも感じる。彼が無意識のうちに発していたであろうそのメッセージを結局誰も受け取ることはできなかった。ゆえにその書き込み自体がさらに彼を孤独にし、追い込み、殺人を決行させるまでに至ってしまった。
僕は問いたい、彼がそこら辺にいる同じ年代の派遣労働者と特別どこが違っているのか?を。
彼と同じタイプの人間なんて自分がそうであったようにそこら中にいる。それぞれがそれぞれなりの屈辱感や怒りを持って生きている。彼に『異常者』のレッテルを貼るのは楽なことだ。しかしそんなことをしても第2、第3の彼が現れるだけなのだ。彼を凶行に駆り立てたものは何だったのか?おそらく鬱状態であったはずの彼の心の闇は、ほんとうは何を欲していたのだろうか・・

For The People Of Tibet

2008-06-08

殺意と結末


正直、またか・・という感じだな。それにしても逮捕された男の動機が『人を殺すため今日、静岡から秋葉原に来た。誰でも良かった』と言うのがまったく理解できない。最近はこうやって他人を攻撃するケースが目立って来ているように感じるがどうだろう?彼に何があったかは知らんが、いくら社会や自分に対して不満を持っていてもそれを他人にぶつける、ましてや命を奪うなぞ当然何があろうとも受け入れられるものではない。『誰でも良かった・・』のその誰かに悲運にもなってしまった方々の痛みや恐怖、そして無念さはとても想像できず、ただただ何で?何が起こったの?何で自分なの?と言う被害者の思いが、身体を離れ惨劇の現場を今も漂っているような気がしてならない。単純に思う。『誰でも良かった・・』のなら、なぜ自分を選ばなかったのか?と。このようなケースがあるたびに同じ思いを抱くが、そもそもそんな選択が可能な人間ならばこのような事件は起こさないだろう。それぞれの心の闇は深く見通すことなどできないとするなら、何を以て傷つき病んだ心を癒し、修羅の道に堕ちるのを防ぐことができるか?
忘れてならないのは彼を生んだのは紛れもない今のこの社会なのであり、7人もの人を殺め、さらに多くの人々を傷つけた彼は決してモンスターなどではなく、そこら辺にいる普通の青年なのだ。

For The People Of Tibet

2008-06-07

夜泣き


夜ここでMacの画面を眺めながらぼんやりしていると、たまに上の子が何か怖い夢を見たのか突然叫び声のようなものを発して起き上がり、ぐずり始めることがある。大抵の場合オシッコに連れて行ったり、水を飲ませてあげると落ち着いてすぐに眠りに落ちるのだが、それでもダメな時もある。今日もそうだった。おそらくはオシッコがしたいだけなんだろうが、そこが子供でさっさとしてまた寝れば良いものをぐずってトイレに行きたがらない。だっこしてもダメ、さすってあげてもダメで終いには僕を蹴り始めた。こりゃあかんと、ほかって置くことにしてまたMacに向かっていると、妻が起きて来て『今はほかって置くのが良い』という僕の忠告に『そんなのかわいそうだ』と言いながら部屋の中へ。すぐに激怒して出て来て言うには『私に向かって唾をはいた!』という。そのままピシャリとドアを閉めたが火がついたものは容易に消せないのだ。ものすごい声で上の子が泣き出し、隣の部屋で寝ていた下の子も同調して泣き叫び始めた。よくあることとはいえ、なかなかのもんですよこれは!結局上の子をオシッコに連れてゆき、水を飲ませ、下の子にも水をあげるとなんてことはない、すぐに落ちついて寝てしまった・・一体何だったんだろう?

For The People Of Tibet

2008-06-06

故郷


最近義母がアメリカ東海岸のNew Haven近郊の家を売り、出身地の西海岸シアトルに引っ越した。そうなると妻の実家もシアトルということになり、彼女が住み慣れた家にはもう他人が住んでいる。そのことについてどう思うか尋ねたら、『実はあの家にはあんまり愛着がなかった。中学生のときに母と義父が私になんの相談もなく購入し、勝手に引っ越しを決めた家だから・・その前に住んでいた私が生まれた家は好きだった。楽しい思い出もいっぱいあったし・・』という意外な答えが帰って来た。さらに続けて妻は言う『私の家はこの家だ。私はこの家を本当に愛している』と。そもそもアメリカ人には『実家』という概念がない。僕達の言う『実家』とは彼らにとっては単に『母の家』『父の家』といったもので、話していても『My Mother's House』といったように『自分の家』という考えがすっぽりと抜け落ちている。あまりにもあっさりとしたその感覚には驚きもし違和感さえ感じるが、それを生み出すのがアメリカの風土なのだろう。女性ならば余計その傾向が強いのかも知れない。『親の家』であるが故に自分は親のプライバシーの邪魔をしてはならないと言う考え方が一般的であり、子供たちは大人になると出てゆくのが当然とされている。その考え方はアジア諸国とは対極にあり大変興味深いが、妻によるとアメリカに於いてもごく最近になって親と同居するケースが増えて来ているという。一番大きな理由は経済的な問題かららしいが、それだけでもないようだ。もう一度Familyを見直そう、そんな自然な動きが底流にはあるようだ。

For The People Of Tibet

2008-06-05

100均狂騒曲


100均に子供を連れてゆくととんでもないことになる。子供がさらに一人増えればその破壊力は10倍増しになり、店舗が広がれば広がるほどそのダメージ範囲も比例する。要するにおちおち買物などしとれんのだ。
子供達を連れてまず店に入ると、いきなり二手に別れ『キャッハー!』と言いながらそこら辺にあるものを手当たり次第触ってゆく。それらを叱りつけながら1人の身を確保すると、もう1人の手がガラスコップに伸びている!『アアー!』っと奇声を発しながら破壊工作を阻止し振り向くと、確保したはずの子は姿を消し棚の向こう側からは『ガチャガチャ』と言う派手な音が聞こえて来る。すかさず棚を回り込むと『キャーッ』と言いながら逃げてゆくではないか!その手にはもちろん割れモノが握られており、猛烈ダッシュで捕まえ拘束する。結局あまりの大変さに何を買いに来たのかすら思い出せず、激しく消耗して撤退する有様なり。

For The People Of Tibet

2008-06-04

悪法


この日、最高裁判所の判断で国籍が認められた人達の、国籍を勝ち取るまでの道のりはあまりにも長過ぎた。そもそも国籍法で規定する国籍を認める条件のひとつに『両親が結婚していること』とある事自体が社会的背景を無視したいかにもお役所的な条件であり、国籍を求める弱者的立場の人々を突き放す差別この上ない悪法だ。今回それが認められてとしてもまだ『父親の認知があるもの』との規定は健在で、たとえばその父親が『認知』しなかったり、行方をくらませてしまったら国籍はもらえないことになる。そういうケースに当てはまる人達もかなりの数に昇るのだろう。長年日本に住んでいた不法滞在者の在留許可の問題や離婚後300日規定のことなど、法務省の対応はすべてが今の時代背景を反映しない、通り一辺倒なものでなぜそんなに厳しく規制せねばならぬのかまったく理解できない。その意味のない規制が希望あふれる者から未来を奪い、将来の夢を諦めさせている。
最高裁の判決は苦しむ人達に希望を与えた。政府は今回の判決の意味を良く理解し、人道的な立場から物事を判断しなければならない。

For The People Of Tibet

2008-06-03

忘れられたひと月


サイクロンがミャンマーの人々を呑み込み、その生活をズタズタに破壊し尽くしてからひと月が過ぎた。が、人々の苦しみは癒されること無く、まるで忘れ去られたかのように・・捨てられたかのように『時』だけが流れ、その『時』は彼らに何一つ与えることは無かった。
軍政は『すべての被災民に救援物資が届けられた』などと言っているようだが、これについてはコメントするのも嫌になるくらい唖然とし、激しい憤りを禁じ得ない。先に外国の援助隊を受け入れると表明したものの、それはごく僅かな人数でしかなく240万人とも言われる被災者を支援するにはあまりにも少なすぎる。おまけに世界各国に復興のため約110億ドル(約1兆1500億円)もの義援金が必要だと吹っかけているが、約110億ドルと言えばミャンマーの1年分の国家予算に匹敵する額で、サイクロン被害にかこつけて外貨を懐に入れようと言う魂胆が見え見えだ。援助物資さえも困窮する民衆から横領し、横流しするような政府が義援金を苦しむ人々のために使うことなぞ考えられず、各国の援助が迅速に行なわれないのもすべてそこに原因がある。
平和な日本に座してただ軍政の悪行を嘆き、憤っているだけでは埒があかないし、苦しむ人々は救われない。
じゃあ、一体何ができるのか?いや、そうじゃない。何をするのか?だな・・

For The People Of Tibet

2008-06-02

梅雨入り


今日、例年より早く梅雨入りした。まだ湿気はそれほどでもなく、どちらかというと肌寒さを感じるほどで梅雨時特有のベタベタ感もなく、過ごし良い雨模様といったところ。庭の木々や畑の作物にはうれしい恵みの雨になり、大いに成長してくれると良いが同時に雑草類も勢いを増し、とんでもないことになるだろうな・・まあ、それはそれでいいことでもある。
それにしても『梅雨入りしたとみられる』とは何と煮え切らぬ言い回しだろう。お役所的な責任逃れの風潮が見え見えで聞くたびに嫌悪を感じる。そんな言い回しをするくらいなら『梅雨入りした』と宣言しておいて、もし外れたとしたら『天気が相手だから外れることもある』と開き直ったほうがかえってカラリとしていて気持ちが良い、と僕は感じるが、皆さんはどうでしょう?

2008-06-01

蟻の報い

ひと雨ごとに驚くべき成長を遂げる雑草どもに立ち向かうため、日も高く登った10時頃より地べたに這いつくばって、ひたすら雑草を引き続ける。今日のようにお天気の良い日は地面に向かって作業をしていると、照り返しの影響で顔周辺に熱がこもり思った以上に暑く、油断していると脱水症状を引き起こす。マメに水分を補給しながら手を休めること無く作業を続けていると、大きな蟻の巣に当たったようでわんさと黒蟻が湧いて出て来る。周りを軽く掘り返してみると蛹やら卵が出て来て、その気色悪さはたまらない。さらに黒蟻達は仲間を引き連れ止めど無く噴出しそこら中に広がり始めた、そこで先日買った粉末殺虫剤を巣に投入し駆除することに。難なく巣を壊滅させそのまま作業を続けていると右手首に針で刺したような痛みが走った。よく見るとさっき壊滅させた黒蟻が僕の手首に噛み付いてるではないか!たかが蟻なのにズキンズキンといつまでも痛みが残って実にうっとうしい。その後腫れはしないものの今度は痒くて仕方が無い。これはもう蟻の報いと言うことで、甘んじてその痛みを受けるしかない。

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