2008-06-06

故郷


最近義母がアメリカ東海岸のNew Haven近郊の家を売り、出身地の西海岸シアトルに引っ越した。そうなると妻の実家もシアトルということになり、彼女が住み慣れた家にはもう他人が住んでいる。そのことについてどう思うか尋ねたら、『実はあの家にはあんまり愛着がなかった。中学生のときに母と義父が私になんの相談もなく購入し、勝手に引っ越しを決めた家だから・・その前に住んでいた私が生まれた家は好きだった。楽しい思い出もいっぱいあったし・・』という意外な答えが帰って来た。さらに続けて妻は言う『私の家はこの家だ。私はこの家を本当に愛している』と。そもそもアメリカ人には『実家』という概念がない。僕達の言う『実家』とは彼らにとっては単に『母の家』『父の家』といったもので、話していても『My Mother's House』といったように『自分の家』という考えがすっぽりと抜け落ちている。あまりにもあっさりとしたその感覚には驚きもし違和感さえ感じるが、それを生み出すのがアメリカの風土なのだろう。女性ならば余計その傾向が強いのかも知れない。『親の家』であるが故に自分は親のプライバシーの邪魔をしてはならないと言う考え方が一般的であり、子供たちは大人になると出てゆくのが当然とされている。その考え方はアジア諸国とは対極にあり大変興味深いが、妻によるとアメリカに於いてもごく最近になって親と同居するケースが増えて来ているという。一番大きな理由は経済的な問題かららしいが、それだけでもないようだ。もう一度Familyを見直そう、そんな自然な動きが底流にはあるようだ。

For The People Of Tibet

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