2009-05-31

闘いの後


昨日に引き続いて今日も午後より草刈り人となり、昨秋手をつけられなかった禁断の地へと突入する。一回でも刈り払ってあれば何の苦労もなくザザッと薙ぎ払えるが、長年ほかりっぱなしだった為にススキ・野茨・葛の3強そろい踏みで、草刈り機をもってしてもなかなか進むことが出来ない。ススキの背丈はすでに僕を越え、根元あたりで刈り払うと草刈り機にまとわりついてよろしくない。そこで腰高辺りで一度刈り払い、そこをもう一度刈り払うという2段構えで攻めるのが手間はかかるが効率的だと分かって来た。そんな調子でジリジリと刈り進み、だいぶ疲労が溜まって来た頃に草刈り機もガス欠となり今日の作業は終了した。
草の丈が高くなれば当然根元の様子は見えず、河川敷のことゆえ上流から流れて来た様々な物が転がっており、時々草刈り機の刃にガチィーン!と鋭い音を立てて接触する。アルミ缶ならまっぷたつに切れるがスチール缶だと刃が跳ね返され、しかもガス缶やら得体の知れぬスプレー缶なども草に埋もれて大量に散乱しているので危なっかしくてしょうがない。昨秋は漂白剤なんて書かれたプラスチックボトルが転がっていたし・・
作業が終わり、ふと草刈り機の刃を見てみると、ほとんどすべての刃のチップが折れ飛んで失われていた。確かに作業中何度も石と接触したのでその時のダメージもあるだろうが、これはひとえにそれほどの激しい草刈り作業だったということでもある。まあ、それだけの疲労が身体に残っているしね。

2009-05-30

ムクドリを従えて


次女の昼寝の時間を見計らって草刈り機を始動させ、腰高にまで伸びた堤防上の草をバッサバッサと薙ぎ払ってゆく。我が手強き敵である葛の侵略は激しく、このままほかって置いたら1年もせぬまに全面葛に覆われ荒れ果ててしまう。近所に住むアウトドアの達人によると、葛の新芽は天麩羅にすると美味しいと言うが、こんなにぎょうさんあったらいくら美味しくてもすぐに食べ飽きてしまうだろうよ。
リズムに乗って調子良く草刈りしていると、背後から僕をつけて来るモノがいる。ムクドリだ。どうやら草を薙ぎ払った際に飛び出して来る虫や小動物を狙っているようで、僕との間合いの詰め方も実に洗練されたもの。警戒しつつも余裕すら感じさせ、ちらちらと目が合うところがまた面白い。そんな鳥を従えて、一歩また一歩と作業を進めてゆく。
それにしてもこの季節、一週間で草の丈は恐ろしく伸びるものだね。これから雨が多くなれば今の倍のスピードで天を目指すことだろう。我々に出来るのはせいぜいこの勢いに呑まれぬよう、機械を駆使してほんの一時的に制圧することくらいだな。

雨が激しく降って来たぞ・・明日は草刈りできるだろうか?

2009-05-29

再遠征の予感


大遠征から帰ったと思ったら、来週に再び遠征の予定が入って来た。今度は泊まりなのでゆっくり出来るかと言えばそうではない。今回同様早朝に出発し、昼頃目的地へ到着。それから仕事に入り、その晩は近辺の温泉にどっぷり浸かるつもり。そして翌日再び仕事に入り、夕方現場を上がると同時に帰路に着く。翌土曜日は朝から次女の面倒を見なければならないので、いくら仕事で疲れていても現地に泊まるわけにはいかず、なんとしても帰るつもり。とはいえ仕事後に5時間の運転はさすがにキツいことだろう。自分の気力を試す良い機会になるかもね。


我が家に接する市道のアスファルトが劣化し段差が生まれ、そこをトラックが通る度にかなりの震動が発生し、ひどいときには寝ていても目が覚めるくらいの衝撃を感じるほどだった。なので市の道路管理課にクレームしたのが3月終わり頃、すぐに担当者が来て周辺をチェックし印をつけて行った。それからふた月ほど経ち、すっかり忘れた頃に業者が来てアスファルトの補修していったそうな。おかげさまで不快な震動もなくなり、よく眠れるようになりました。

2009-05-28

西征


往復10時間、延べ走行距離760km。いやー、さすがにキツかった。朝6時に家を出て、ひたすら高速を西に飛ばす。混むであろうと思われていた京都周辺から西宮にかけての区間も、交通量は多かったものの渋滞になることはなくスムースに通り抜け、いざ中国自動車道へ。ここへ至れば驚くほど閑散としておりこれまた快調、まわりの風景を楽しみながらさらに西へと向かう。佐用インターで降りて後は国道をくねくねと北上し、ようやく現場へ到着。これが11時前だった。
速攻で仕事を片付け現場を後にする。ここまで来たのなら・・と、鳥取砂丘まで足を伸ばし『ああ、そうね』と実に淡白な反応だけを残し、来た道を取って返し再びかっ飛ばす。
帰りも渋滞に巻き込まれず7時過ぎには無事帰宅することが出来た。と言ってもやっぱ日帰りは無理がある。今日のように現地の仕事がすぐに済めば良いが、他の仕事だとやはり泊まりは必須だな・・と感じつつも、今度行く時は違うルートを試そうと早くも次回モードに入り、ルートを選定中なり。

2009-05-27

初キュウリ


今シーズン1本目のキュウリの収穫。まだ小さめなのを側枝の剪定のため早めに穫り、食卓に並べる。1年ぶりに食べる我が家のキュウリはとても瑞々しく、味は濃厚ですこぶる美味しい。子供達にも評判で『おいしいよー!』と言って食べてくれた。
今シーズンは4種類を3本ずつ計12本のキュウリ苗を種から育て、定植した後に1本が枯れたので現在11本のキュウリがウリハムシの激しい攻撃に耐えながら、日々大きく成長している。毎朝害虫を駆除したり、うどん粉病に感染した葉を取り除くなどしてちょこちょこと手を加えながら様子を見ていると、花つきも良く小さなキュウリがたくさん生っている。この分だと今年もかなりの収量を見込めそうで楽しみだ。すでに第2世代の種まきも済み、あとは芽が出て来るのを待つばかり。
しかしだ、妻や子らがアメリカに滞在中はどうやってこの膨大な数のキュウリを処理しようか?昨シーズンピーク時のノルマは毎日6本のキュウリを喰わねばならなかったが、今回は10本になるだろうとの予想。さて、喰いきれるかや?

2009-05-26

東へ


今日は清水で、明日は豊橋、あさって鳥取で次は何処?てな具合に出張が続き日々の移動距離がグンと長くなる。しかもそのどれもが車移動なのだから時間もかかるし、運転する負担も増すと言うもの。取りあえず清水の分は無事終了し、ほっと一息。晴れと言っても霞んだ天気のため富士山は見えませんでした・・残念。印象に残ったのは露地ものの枇杷の実が早くも黄色く色づき始めていたこと。我が家の近所ではまだ青々していることを思えば、やはり清水は日差しも暖かく温暖なのだろうね。
清水港を見下ろす現場はからっとした風が終始吹き渡り、仕事をしていても実に心地良く快適だ。
本格的な夏の暑さが訪れる前に現場は切り上げてしまいたいが、果たしてどうなることやら・・

2009-05-25

ある夜の感慨


なんとなく違和感を感じる天気だ。今晩もこの季節としては珍しいほどの強風が吹き荒れ、外からは風鳴りが聞こえて来る。吹いている風は西風なので天気図を調べてみると、西高東低の冬型気圧配置でなるほどと言ったところだが、等高線が混み合ってない割にはこの強風が吹くとは、ちょうど我が家の上空で低気圧と高気圧がぶつかっているのかも知れない。
日中は30℃近くまで気温が上昇し日差しも強く、日向にいるとげっそりしてくるが空気は乾燥し吹く風も涼しく、日陰に入ればとても快適な気候と言える。近年の今頃と言えば湿度が上昇し、ずっと蒸し暑く感じることが多かったような気がするが、僕の思い違いだろうか?今年の天気の特徴としては急激に気温が上がったかと思うとその後涼しい日が続き、また気温が上がるといった繰り返し。これほど日々気温差があると体調管理が大変でもある。まわりにこの時期風邪を引く人が多いのも無理はないだろう。
この快適な涼しさに接して思うのは、ひょっとしたらこれが『平年並み』のお天気なのかも知れないということだ。ここ最近は毎年のように記録更新が連発し、この時期から暑いことがあたり前となっていた。ところがいざ涼しくなってみると変な感じがするのだから、人間とはおかしなものだな。ただ、今感じている違和感はひょっとしたら冷夏に対する予感なのかも知れないし、まったくとんちんかんなただの過剰反応なのかも知れないし、結果を見ねば何とも言えぬものではある。しかし、五感で何かを感じている以上、それは何らかのサインを鈍ってしまった感覚でかすかに捕えているのであって、自分が干渉できない本能の部分がそれを解読せんと動いているのは確かだろう。

時が過ぎれば今考えていることなどすっかり忘れて、何事もなかったかのように秋を迎え、冬へと移ろう。そうやってまた春が過ぎ、夏を迎え、僕は、皆は齢を重ねてゆく。ああ、なんて大きな流れなんだろう・・我が身なぞ、その流れに投げ込んだ石の、波紋のごとき儚きものだな・・

2009-05-24

Globalian


昨日想定していた仕事量の半分も片付けることが出来ず、一日が終了した。草刈りについては妻がわずかな面積を鎌で刈っただけに終わり、広大な面積が次の週末まで残されることとなった。この季節、雨さえ降っていなければ日中必ず何処からか草刈り機のエンジン音が聞こえて来て、潜在的に『ああ、自分も草刈りをしなければ!』というプレッシャーを感じてしまう。別にほっておいても草がじゃんじゃん茂るだけで誰かが迷惑を被るわけでもない。かと言って家の周辺が草でもっさもさだと、やはり体裁が悪いと言うか何より自分の気が晴れない。
先日の葬式の時も近所の顔役に『あんた、えろう堤防をきれいにしとるな』と感心されたほどだ。実は昨年秋から始めた河川敷の草刈りもまだ中途半端で、荒れ放題の残り面積を刈り上げるにはあと丸2日はかかる仕事量がある。ここを一度薙ぎ払えば後から生えて来ても柔らかい新芽ばかりで、刈り払う手間が全然違う。
当座の目標として、まずは家の周辺の草刈りから始め、次に堤防上、さらに河川敷へと移動して制覇する予定だ。こうして気合いを入れて事を成したと言ってもしょせんは一時的なものに過ぎず、あざ笑うかのように草はどんどん伸びてゆく。

こうやって土や草や野菜や花や木々やムシムシコロコロを相手に日々格闘していると、たとえば仕事上のあーだこーだなぞ、つまらぬ刹那の問題に過ぎず、大地にウンコ座りしながら草をむしり、ふと見上げた空に鎮座する竜の巣のごとき積乱雲の偉大さを感ずれば、おのずと自分の立ち位置が見えて来て、Globalianとしてのidentityをさらに確固たるものにしてゆくのだ・・

2009-05-23

静かなる夜


先週末は土日両日ともに雨で外仕事が出来ず、おまけに草もじゃんじゃん伸びてすごい有様だ。5月に入り一度刈り払ったところもすぐに復活し、植物の逞しさには毎度のことながら圧倒される。なんてのんきなことは言ってられない、なにせ先週潰れた分を明日一日で取り戻さなくてはならない。草刈りだけを見ても相当の面積があるし、雨が降らなければモミジにうどん粉病対策の薬品を散布しなければならない。エンドウも時期を過ぎて枯れ始め、これを倒して第2世代のキュウリ植え付け用に耕し直し、施肥をせねばならない。こう書いているだけでも次から次へと仕事が湧いて来て呆然としてしまう。とにかく優先順位をつけて一つずつ潰してゆくしか仕方ないだろう。ああ、忙し!

2009-05-22

立ち往生


名古屋駅前での会議後そのまま懇親会へ突入。久しぶりに会った人達といろいろなことについて語り合い、とても有意義な時を過ごせた。
あっという間に時間が経ち、さて帰ろうかとJRの切符を買おうとすると『JR線は人身事故のため現在上下線とも不通です』というアナウンスが流れとるやないか!おいおいよりによってこんなときに・・と思っていても仕方が無い。ちょうど2次会に行こまいか?というお誘いを受けたので、僕にしては珍しく参加して鉄道再開を待つ。これまたあっという間に時間は流れ、閉店の時間とともに会はお開きに。駅に向かうと1時間ほどの遅れで鉄道は再開され、疲れを背負った空ろな表情の乗客を次から次へと何処かへ運び去ってゆくのだった。

2009-05-21

おのが『黒』


東北の友人からモノクローム印画紙についての問い合わせメールが届き、彼女の指定した東欧クロアチア製のVARYCONという印画紙についての検索結果を見ていると、最近はハンガリーなど東欧諸国製のモノクローム印画紙がだいぶ出回るようになって来ているようだ。その理由は以前にも書いたが、いわゆる先進国に於いてモノクローム印画紙に対する銀の含有率の規制が厳しくなって、結果的に同じメーカー同じ紙質であっても規制前の色調を表現できなくなってしまったことにある。特に黒の締まりに違いが大きく現れ、規制前にプリントしたものと色調を合わせることが困難になって来ているようだ。そこで注目を浴び始めたのが東欧諸国製の印画紙と言うわけ。EUに加盟していないクロアチアやハンガリーでは銀含有率の規制が無いために昔ながらの印画紙がいまだ製造されており、それらを求める各国からの注文が相次いでいるような状況らしい。
僕がモノクロームプリントから離れて久しいが、実は最も得意とするところだったのさ。なので様々な印画紙の情報や口コミ情報などを見ていると、沸々とあの頃の感情が甦って来て『やっぱ写真はモノクロームプリントに勝るものは無い』と勝手に思い込んでいる次第。実際、デジタル写真をフォトショップでモノクロームにしても、銀塩モノクローム写真には遠く及ばない。と言うか、まったくの別ものだ。
何度も何度も失敗してやっとたどり着いた、自分の納得する『黒』こそが、自分の『黒』であり、それ一つで自分そのものを表現するところにモノクロームの究極の面白さがあるのだ。

2009-05-20

大車輪


朝9時頃から斎場に詰め、昨日と同じ町内の面々でお通夜に頂いた分の香典の額を確認し、香典台帳に記録してゆく。やはり数は100近くもあり、町内ご意見番の大工の棟梁が『てやんでい!万が一金額に間違いがあったら喪主に対して申し訳が立たねえ、そんときゃ自腹切らにゃならねーぜい!』とプレッシャーをかけて来る。幸い通夜分は合計金額が合い、問題なし。御斎を頂き、なんやらかんやらしていると告別式の時間が迫り、昨夜と同じく一般受付に立ちひたすら頭を下げ続け香典を受け取る。告別式もなかなかの人出でそんなところからも故人の人柄が偲ばれる。
告別式が終わり、故人をお見送りしたあとは再び今日の分の香典の確認と記帳を行ない、最終的な合計金額まで出して喪主に手渡すだけの状態にして、あとは火葬場からご遺族らが戻って来るのを四方山話をしながらひたすら待つ。当然このときに我が家族についてのいろいろな質問が飛び出し、それについて丁寧に答えてゆく。例えば『奥さんとはどこで知り合ったん?』などだ。僕の独演会が終わる頃にご遺族らが戻られ、初七日の法要に突入だ。
法要が済むと喪主に香典を手渡し、これで町内衆のお役御免。県内外各地から寄せられたお供えのお菓子と精進落としの折りを頂いて斎場を後にした。この時すでに5時近く。お手伝いもなかなか大変だ。でも今回はとても良い勉強をさせてもらった。とりあえず何をしなければならないかを把握することができたのだから。

帰宅すると大急ぎで着替え、自分と長女のパスポートを旅券センターへ受け取りに行く。無事受け取ったらすぐさま引き返し、今度はJackieを無理矢理車に押し込んで、僕が荷台で押さえつつ妻に運転を頼み、子供達も連れ家族総出で懇意の獣医へ。そこで血液検査とフィラリア予防薬の処方を受けて(締めて1万80円也、高っ!)、やるべきことは片付けることが出来たとひと安心。

朝から晩まで大車輪の働きにて、実に濃い一日でした。

2009-05-19

向こう三軒両隣 or more



町内に不幸があり、今晩はその通夜のお手伝いに参加した。
親類や友人以外の通夜や葬儀に参加するのは今回が始めてで、しかも同じ町内の人間として葬儀のお手伝いすることもまったく始めてのことだ。実家にいる時は親父が家の代表として参加していたので息子の出る幕は無かったが、いまは自分が立派な?世帯主でもあり、こういうことがあれば参加せねばならない。事実昨日の朝に自治会長が我が家を訪れ、各家ひとりづつ葬儀に参加するようにとの通達があったしね。
しかし、葬儀の手伝いと言っても一体何をやっていいかも分からず、喪服を着ていくのかどうかさえも判断できず、ましてやろくにネクタイすら結べない自分が果たして役に立つのかどうか?と、半信半疑でもっぱら今後の勉強の為に参加したが、これが凄まじく忙しかった。
まず集合時間に斎場に行くと同じ町内と言っても普段顔をあわせないので、誰がどこの人かも分からず戸惑うばかり。あげくのはては2軒となりの奥さんを斎場のスタッフと勘違いしてしまうていたらく。こんな我が身にも受付の手伝いを仰せつかり、香典返しを順調に配っていたら、故人の縁故の人が驚くほど通夜に訪れ香典袋があっという間に100を越えてしまった。そりゃ香典返しを配るだけで精一杯、阿修羅のごとき働きでございました。
今日これほどの弔問があったので、明日正午から始まる葬儀は今晩みたいなことはないだろう、と町内会お助けスタッフ一同は読んでいるがさてどうなることやら・・

2009-05-18

paranoia


感染139人だって、潜在的にはその10倍はいるだろな。こうなったらもやは防ぎ様がないような気がするが、どうだろうね?

メディアは相変わらずの乱痴気騒ぎで目に余る有様。以前にも書いたが、国民に冷静さを呼びかけながら一番その冷静さを失っているのが自分達マスメディアだと、本当に気づいていないのだろうか?どうも気づいていなさそうだ。
最近のメディアは人々の潜在的不安要素に取り付くと、それを煽ることが高視聴率を生むと知ってまさにやりたい放題、野放図の状況にてそれが民放ならいざ知らず、NHKが率先して行なっているものだからまったくもって許し難い。
ニュースでは盛んに『マスクをしろ、手を洗え、人混みを避けろ』などと呼びかけているが、その予防措置にも限界がありそうだ。そして今現在の日本の感染者数は世界第4位だという。ならばだ、政府は世界に向かって『このインフルエンザは弱毒性なので、季節流行型の一般的なインフルエンザと同様の措置で大丈夫そうだ。なので日本としては防疫に対してはそれ相応の対応にとどめ、もっぱら治療に全力を注ぐ』と宣言すれば、防疫にピリピリしている他の諸外国もその目的を感染者の治療にシフトし、ネガティブからポジティブな対応へと変化してゆくことだろう。しかしだ、今の日本に世界に対し率先してもの申せる者も居らず、結局は日和見主義を繰り返すだけに留まってしまうのだろうよ

2009-05-17

極私的新インフルエンザ考



終日雨。これで貴重な週末の2日間が雨で潰れてしまった。せねばならぬ庭仕事は山ほどあり、この雨で雑草もじゃんじゃん茂り、確実に次の週末は草刈り作業に追われることになるだろう。芽吹いたさまざまな苗の植え替えもしなくちゃいかんし・・ああ忙しい!でも、キュウリやトマトが小さな小さな実を付け始めたし、ズッキーニの花ももうじき咲きそうだ。いよいよ夏野菜の季節が始まるぞ。

神戸で新インフルエンザの国内感染が確認されて以降、今現在で46人の感染が確認されている。しかしだ、何をそんなに大騒ぎしとるのかね?記者会見に出て来る者は決まってマスク姿で会見し、いやでも見ている者の危機意識を煽っている。確かに、鳥インフルエンザ(H5N1型)のように強毒性のウイルスなら現在の過剰とも言える反応も理解できるが、今回のウイルスは感染力は強いものの毒性は弱く普通のインフルエンザと変わらないと言う。ならばそんなに騒ぐ必要などないだろう。妊婦やぜんそく、慢性心疾患などを患っている人達はリスクが高まるため今の警戒レベルを保った方がいいと思うが、健常者ならば普段通りの心遣いで十分だろう。神戸の例や世界中で起きていることを見ても分かるが、ここまで広がったものを止めることなど出来ないだろう。出来るとすれば時間を稼ぎワクチンを開発すること、それに尽きる。しかし、当のウイルスにタミフル・リレンザが効くというのであれば、弱毒性でもあるし大仰に騒ぎ立てる必要は無いと思う。これはあくまでも個人的意見だが、むしろ今の弱毒性の段階で罹っておいた方が良いのではないか?とさえ思うのだ。なぜなら今流行している新インフルエンザも北半球に於いてはこれから夏を迎え、自然に消滅して行くと予想できる。ただしこれは完全に無くなるのではなく、次の流行期までどこかに潜伏しているだけに過ぎず、怖いのはこれが再び出現する秋以降だと思っている。もしこの時、弱毒性であった新インフルエンザが潜伏中に何らかの変異を起し強毒性を持つようになっていたらとんでもないことになる。その、秋以降に再び流行するであろう新インフルエンザに備える為にも、今現在の弱毒性の段階で一度罹患しおのが体内に免疫を作っておけば、もし再び罹患しても軽い症状で済むだろうし、新インフルエンザウイルスが潜伏中に変異し強毒性になっていても、免疫機能がある程度働いてくれるのでは?という期待があるのだ。

いずれにせよ、そう騒ぎ立てるのは止めたがいいさね。

2009-05-16

空へ


昨夜の大ゲンカの原因の一つは、僕がもう5年もアメリカを訪問していないことを妻に咎められたことだったが、確かに妻の言うことも分かるのだ。でもタイミング的に難しいのは致し方のないことでもある。常日頃から日本脱出を狙っていても、結局は目的地がアメリカになりそうで面白みには欠けるが、いまは少しの間でも海外に出られれば幸せと感じるだろう。
今年の夏も妻や子らは気違いじみたこの地の暑さを避け、ひと月ほどアメリカの実家へ避暑に帰る予定だ。ただし今夏からは実父が住んでいる東海岸コネチカット州を訪問してから、西海岸にあるシアトルの母の家に向うという周遊コースを取るため航空券の値段が分かりにくい。そこでいつも使っているノースウェスト航空のサイトで調べてみると、大人ひとりの料金で16万円ほどもする。夏休みの時期だから値段が高騰していると分かっていてもかなり高く感じるので、他のサイトでいろいろ調べてみると8万5千円というとんでもなく安い航空券もあった。これは台湾のエヴァ・エアーの格安航空券で他の航空会社をぶっちぎっているが、フライトスケジュールが決まっておらず場当たり的要素が強く、これではバックパッカーとして妻とふたりだけで乗るなら迷わず選ぶだろうが、2人の子連れではちょっと厳しすぎるだろう。結局いろいろ調べてみてもノースウェストの値段が一番安かったので、そこにすることになりそうだ。
おもしろいもので、こうやっていろいろな航空券を探していると、あたかも自分が飛ぶかのような錯覚がして検索していると楽しくなって来る。それは地図を見ているときと同じ気分だな。
そう、窓はいつでも開かれているのだ・・

2009-05-15

修羅場



旅行しているときも含め、妻と一緒に生活するようになって早13年目だ。それくらいになればある程度のことまで分かっているはずなのに、相変わらず未熟者の自分は『学ぶ』ことができないようで、大変な修羅場を演じてしまった。そうなんだ、女性の生理現象が近いと気づいていたのに、妻がいつもより突っかかって来るなと感じていたのに、それをうまく回避しようとせず真っ向からぶつかってしまった。そうなったらもう後戻りはできない。年に2〜3回ある激烈な修羅場が展開され、たいてい最後はお互い冷静さを取り戻し何も無かったかのように治まるが、激しい脱力感と空しさに襲われ、この事態を招いた自分の愚かさをただただ恥じるなり。

2009-05-14

罪深き身


昨日、今日は肌寒いほどの気温になっているが、その前の30℃を越す暑さのときはヤブ蚊が一気に発生して、さっそく何カ所も刺されてしまった。植物の大いなる成長に伴いあらゆる虫達もその活動を活発化させ、ムカデに続きヤスデの幼生が屋内に侵入し始め、畑ではカボチャ・キュウリなど瓜類の天敵であるウリハムシが登場し、すでにカボチャの苗を何本か丸裸にされてしまった。こやつらは逃げ足早くなかなか捕殺できないので、今シーズンも電撃ラケットを引っ張り出してブンブン振り回す予定。さらに目をブロッコリーに移すと、至る所にモンシロチョウの幼虫が張り付き、むしゃむしゃと遠慮なく葉っぱを食荒らしている。これが不思議なことに毎日何十匹と捕まえているのに次の日には同じ数だけ戻って来ているのだ。そんなはずは無い!とがんばっているが、本当に捕っても捕っても湧いて来て切りがない。これこそ薬品を使えば殲滅できるが、マメに手で捕って駆除すれば済む問題なので地道な道を選ぶ。
さて、その捕まえたアオムシをどう処分するかだが、ただ踏みつぶすには数が多過ぎて気色悪い。なので表の川に撒き餌のようにばらまいてやることにして夕まずめ時に試してみると、さっそく魚達が集まって来て平らげてくれたようだ。

日々数々の殺生を繰り返し罪深い身ではあるが、これも畑をやる上では避けて通れぬ道なのさ。南無

2009-05-13

旅券日和


合計3万240円。何の値段だと思う?今日支払ったパスポートの発行手数料さ。その内訳は長女のアメリカパスポート代8240円、同じく日本のパスポート代6000円、僕の10年パスポート代1万6千円。こうやっていくつも重なるとかなりの額になるよな・・かと言って取らないわけにはいかないしね。

アメリカのパスポートの更新は月に1日だけ大阪領事館の領事が名古屋に滞在する日だけ可能で、為にひと月前には予約を取って時間を指定され、そして指定日の今日名古屋の国際センタービルへ。アメリカ合衆国名古屋領事館は、ごく普通のオフィススペースにあるのだが当然のごとくセキュリティは厳しく、まずエレベータを降りると廊下の端の方に警官が立っており、ドアを開けて中に入るとすぐにまたドアがありインターホン越しに用件と予約時間・予約者名を告げ中に入ることが許される。そこはまた個室になっていてガードマンが空港にあるものと同じ危険物探知機で荷物をスキャンし、金属探知ゲートをくぐらされる。ケイタイはここで没収され電源を切った上で一時保管庫に収納。そしてやっとこさバズーカ砲でも壊れんだろうと思われる重たいドアを開けると毎度の会議室風受付室となる。
会議室入室までの物々しい雰囲気とは打って変わってこの部屋に入ると実に打ち解けた雰囲気で、部屋の隅でオムツを替えようがなんら問題なく、スタッフも笑顔を絶やさず和気あいあいとしている。他の申請者達とも気軽に会話でき、こういう所はアメリカの良いところだな・・と毎回来る度に感じる。申請の手続きもスムースに進み30分ほどで済んでしまった。次来るときは次女のパスポート更新時の2年半後だ。

帰宅すると今度は日本のパスポートの更新へ。幸い県の旅券センターがごく近所なので手軽に行くことができる。受け付けに行くと平日のため誰もおらずガラガラだ。しかしここでいきなり引っかかる。僕の分は問題なかったが長女の写真がいけないと言う。何で?と聞くと、ニコッと笑った長女の口元から歯が見えているのでNGだと言う。アメリカのパスポートも同じ写真を使ったがこっちはまったく問題なし。それどころか『いい笑顔ですね』と言ってくれたほどだ。この辺でも両国の違いが分かるだろう。まあ、そう来るとは予想していたのでちょっとふくれっ面した予備の写真を出すと、今度は写真の顔の大きさが規定より数ミリ外れていると言う。そして『他に写真は無いか?』と聞いて来た。あまりの杓子定規ぶりにアホらしくなって『他に写真は無い!』と強く言ってやると、しばらく席を外して戻って来て『スキャンする時に僅かに拡大させるから何とかなる』という答えだった。何とかなるなら始めっから何とかせい!ということで、こちらも短時間だったが実にお粗末な内容だった。

2009-05-12

鎮魂の一年


8万7千人もの死者・行方不明者を出した四川大地震からはや一年が過ぎた。涙涸れ、悲しみは一層深まり、生活苦がさらに被災者を苦しめている現状は悲惨極まり無い。学校の多くが倒壊し、我が子を失った親達の校舎の手抜き工事を糾弾する訴えも、中国政府の見解では『手抜き工事は見られなかった』のひと言でもみ消され、これ以上騒ぎ立てるなという圧力が日増しに強まっているという。多くの犠牲者を出しても尚事実を認めようとはせず、メンツばかりを重んじるその体質は救いがたいものだ。これではいつの日か同じことを繰り返すことになるが、そうなったとしても中国政府は同じ回答をするだけだろう。中国に於いて人民はあくまでも人民であり続けることを求められ、それへの反抗はいっさい認めない、
じゃあ、子供達の死はなんだったんだろう?親達の無念がひしひしと伝わって来る。

多くの失われた命に、合掌

2009-05-11

カビとの格闘


こんなに良いお天気なのに、わざわざ仕事を休み半日かけて風呂を掃除するという、まったくもって滑稽な一日だった。そもそも風呂を掃除する気なんかこれっぽっちもなかったのに、ちょっとやりかけたら止まらなくなってそこら中にガビキラーをまき散らし、あげくの果ては自分の退路までも断ってしまい、危うく塩素中毒で向こうの世界に行っちまうところだった。これからの季節特に風呂場のカビは一気に増殖し手に負えない。なので今の時期に予防も兼ねてカビの根を一掃しておくとその効果は絶大だ。そんな思いからちょこっとやり始めたら半日仕事になってしまった。
風呂場の隅にこびりついたカビにはやはりカビキラーが効果的で、これをかけしばらく置いてから洗い流すのだが、風呂場が狭いものだからよほど換気に気をつけないとすぐに塩素が充満し息苦しくなる。当然風呂の扉を開け放って掃除していたがその扉を掃除する段になって何も考えずに扉を閉め、これまたたっぷりとカビキラーを噴霧したからたまらない。自分の退路がないのに気づき慌てるも出口はその扉一つでカビキラーでベタベタだ。ちょっとためらっていると塩素が目にしみ、息苦しくなって来た。さすがにここまで来ると自然に唾液がこぼれ、吐き気まで催して来る。『こりゃヤバい!』と突き破るように扉を開け、何とか脱出し塩素中毒は免れることができた。おのれの不注意さにはほとほと呆れてしまったよ。
こんな調子で風呂中を磨き上げ、ピッカピカにして掃除完了。これであと半年は大丈夫だろう。
まずは自分にご苦労さん。

2009-05-10

真夏日


予報の通り朝から気温はグングン上がり、昼前には30℃を越えてしまった。こんなに暑いなら川遊びでもしよまいと、いつものポイントまで足を伸ばす。久しぶりに訪れた川原は昨年秋の集中豪雨の爪痕が生々しく残り、巨大な流木が山のように残されていたり、堰堤上には豪雨で破壊され流されて来たであろうこれまた巨大なコンクリートの塊が転がっており、当時の凄まじさを物語っていた。
子供達にとってはそんなことどうでもよく、水着に着替えるときゃあきゃあ言いながらはしゃぎ回っている。サンダル履きで川に入ると水は冷たくさすがに泳ぐには早過ぎそうだ。それでもこんな暑い日は水遊びが一番と水を掛け合ったり、棒を流して遊んだりと子供の頃に自分がやったと同じようにして大いに遊ぶことができた。そうか・・思えば自分がこの場所に来たのもちょうど我が家の長女と同じくらいの歳だったよな・・それにしてもよもやこうして自分が我が子らを連れてここに戻って来ようとは想像すらしなかったことだ。
そんなことを思いながら何か変わった石は落ちていまいかと川原を物色する昼下がり也。

2009-05-09

夏日


一気に気温は急上昇し日差しも強く、車の中はうだるような暑さだ。このままお盆頃まで気温は上がり続けるのだろうが、それを考えるだけで身体がだるくなって来る。妻や子らにしてみれば今夏もシアトル及びコネチカットに逃亡予定なのでどこ吹く風かも知れないが、ひとりこの灼熱の地に残され、野菜や木々、花々の面倒を任されることはあまりうれしいことではない。できることなら自分も同行したいがJackieの面倒を見ねばならないし、もし行ったとしたら庭の植物が全滅してしまうのは必定。なのでこの季節は動けないんだよね〜。
気温が上がると虫の発生率も格段に上昇し、あらゆるところに顔を出しては大繁殖を繰り返し僕らを困らせる。今夕見たブロッコリーの葉にはモンシロチョウの幼虫がわんさとたかり、一体何匹を駆除したか思い出せないほどだ。
先日の大ムカデの出現以来しばらくは平穏な日が続いたので油断していたら、長女のアメリカパスポート用の写真を撮影していた時に、不意に長女がカメラを構える僕の背後の壁を指差し『あの虫がおる!』と叫び出した。始め何のことか分からず言われるままに振り返ると、5cmちょい越えるくらいのムカデが、子供達が作った工作を貼り付けてあるコルクボードの上を8の字を書きながら這いずり回っていた。すぐさまムカデは捕えられ釜茹での刑に処されたが、よもや壁を這っていようとは!これから湿気が増す季節、注意を怠れば激痛の洗礼が待っているということだな。
明日の予報では最高気温29℃。夏はもうそこまで来ている。

2009-05-08

思いを解放せよ



社会全体に蔓延する閉塞感は景気の悪化だけが原因ではない。今回の経済危機が起きる前、企業の多くは業績好調で中には過去最高の営業利益を確保したところもあった。しかしその影では過労と鬱に悩まされ精神を苛まれる者が後を絶たたず、社会問題化していたところにこの景気後退だ。毎日のニュースでは不景気が合い言葉となり、心を病める者のことなぞすでに忘れ去られてしまった・・
近代においては理性が最重視され、論理的且つ概念的に思考することがあらゆる場面で求められ、それが人の能力を測る尺度でもあった。その反面、感情的な言動や本能的な行いは野卑なものとされ、疎んじられて来た。しかし考えても見よ、そのいわゆる理性的な社会が冷静さを装った影で何を為して来ただろう。理性的であるはずの社会は幾度も戦争を繰り返し、あまたの人々の命を奪い今も苦しめ続けている。近・現代の戦争は感情的に起こされるケースはほとんど無く、そのほとんどは理性的な誤った判断によって起こされて来た。
現代社会に於ける鬱などの病気もこの理性と深く関わっている気がしてならない。人間本来が持っている感情や思いを理性によって押さえ込み、その解放されぬ思いが鬱屈して精神に影響を及ぼしているのではないか?本能的な領域はわれわれが生きる為の何かを常に発しているはずだ。それを長年押さえ込むことが原因で精神のバランスを欠くことは容易に想像ができる。

その思いを解放せよ。そして怒り、泣き、笑えよ。
まやかしの理性なぞもう要らない。論理的屁理屈を投げ打ち、直感的感情的に物事を見つめてみよう。
さすればそこに見えて来るものは、素っ裸の自分そのものである。

2009-05-07

不可解な仕組み


GWが明けたと同時に市より定額給付金の申請書が送られて来た。先日にも述べた通り妻は住民票には記載されない為、僕宛と妻宛の2通が送られて来たのだが、開けてみるとその滑稽さがよく分かる。まずは僕宛の物は世帯主の記名欄があり、その下に代理署名の欄、そして一番下の一覧に定額給付金が支給される者の名と続柄、支給金額が記載されている。一覧には世帯主として僕の名と、子として子供達の名が並ぶ。もちろん妻の名は無い。一方妻宛の物は僕に来た物と書式はまったく同じだが、世帯主の記名欄には外国人の場合本人の名を記載せよとある。そして一番下の一覧には妻の名があり、その続柄は妻となっている。本来世帯主宛に送られて来るはずの申請書ではあるが、妻のケースでは書類上、世帯主も夫も居ないのに続柄だけが妻となっていることになり、妻宛のこの一通だけを見た場合大きな矛盾を抱えていることが分かる。さらには外国人だけに限って本人証明のために外国人登録証のコピーの添付を義務づけている点でまたまた妻の怒りを買い、僕にとっては大迷惑だ。妻の知り合いにあったケースでは、夫が長期単身赴任で住民票を移していた為に、家に残る外国人の妻とその4歳になる息子に送られて来た給付金の申請書には世帯主として4歳の長男の名が記されていたそうだ。もちろん4歳の子が印鑑なぞもっているわけも無く、自署できるはずも無い。
いったいぜんたいこんなバカげた仕組みをいつまで続けるつもりなのだろう?変えようと思えばすぐにでもできることなのにやろうともしない。この対応の差が10年20年後に大きな違いとなって現れるというのに・・

2009-05-06

安定と混沌


安定を求め続けていた者がある時『もはや安定は得られないのだ・・』と気づいたとしたら、次には何を求めるようになるのだろう?
絶望というカードをちらつかせはするがまだ希望は持ち、そしてなにものかに対する激しい怒りを心に秘め、何かを待ち続けている。
そう、安定への希望が断たれたいま求めているものはChaos-混沌と無秩序だ。
混沌はすべてのものを呑み込み、あらゆるものを生み出す。この中に身を投じれば何かが変わる、何か新しい道が開けるという希望を持つのは至極当然のことだ。しかし同時に身を滅ぼすどころかすべてを呑み込まれかねない危険を孕んでもいる。
奸雄がこの動きを見逃すはずが無い。
社会に漂う大きな怒りに方向性を与え、混沌の坩堝へと放り込むだろう。そうなった時、自分は正気でいられるだろうか?踏み止まることができるだろうか?残念だがその自信は無い。
人は杞憂だと言うかも知れない。そうだとしたら、それが一番いいんだ。
己の中の怒りが高まる時、呼応するように大きな暗い影を感じる。
こうしている今もその暗い影は浸透を繰り返し、その勢力を広げつつあるようだ。

2009-05-05

消火弾投下!


妻が子供達を連れて元勤めていた英会話学校の同僚達と川原でバーベキュー大会をすると言うので、僕はそれには参加せず再び土岐を目指す。一昨日の陶器祭り初日に行った際は親父殿が体調不良で欠席したので、今回試しに声を掛けてみると『わしも行きたい』という。親父殿は陶器祭りのたぐいには一度も行ったことが無いそうで、ずっと土岐の陶器祭りには行きたかったらしい。そこで我が家で待ち合わせをして、ロードスターにて会場に向け出発した。親父と2人してロードスターに乗るなんて奇妙この上ない。
土岐近くまで順調に来ると雨が降り出して来た。夕方までは持つと思っていたのに『さすがはオレだな・・』と自分の雨男ぶりに呆れ、ただ天を仰ぐなり。
会場の人出は雨の影響で少なめだが、それでもまだまだ人は多い。今回は自分が本当に気に入ったものだけを買おうとしたが、各出店を回っているうちにいつの間にか23点になっていた。これで一昨日の分と合わせると80点ほどになりどえらい数になってしまった。
最後に寄った店では皿などを購入すると消火弾なるものが付いて来て、聞けば使用期限が過ぎたから陶器を買ってくれた皆に配っているそうだ。
家に帰りこの消火弾なるものを見てみると、なんと!使用期限は昭和60年となっていた・・って、もはやアンティークやんか!そのコワもての顔立ちを眺めながら今回の陶器祭りを振り返ると、良いものをたくさん安価に手に入れることができて大満足だった。総計80点にも及ぶ器類に投じた費用はおそらく3万円にも満たないだろう。陶器市の楽しみは、例えば一個百円・二百円と書かれたカゴの中からハンパもん、訳アリもんとしてガラクタと一緒くたにされた『光る器』を救助することで、煤と埃にまみれたそれらを購入し家で洗った時のその器の輝きは、えも言われぬ喜びをもたらしてくれる。まあ、中にはヒビが入ってたりもするがそれも愛嬌すべて良し。

久しぶりの雨。恵みの雨。

2009-05-04

テントウムシとアブラムシのサンバ


暖かくなって来ると草木が伸び、新芽を出し、それにアブラムシがどっとたかって真っ黒になるほどの惨状だ。これは野菜も同様でレタスやキュウリ・トマト・カボチャ・インゲンなどの苗にアブラムシがこびりつき、ちゅうちゅうと汁を吸い大繁殖を繰り返している。もちろんアブラムシごとき農薬を使えばイチコロで駆除できるが、我が家は無農薬を貫いているのでそれはしない。他の方法として薄めた牛乳をかけるやり方や、かなり薄めた中性洗剤を散布するというものもあるが、いずれも効果はあるものの完全に駆除することはできず、アブラムシの繁殖力の方が上手なので結果的には大した効果は得られない。そうなってくると頼りになるのはテントウムシで、アブラムシを補食するテントウムシの幼虫をアブラムシがたかっているところに放せば、かなりの効果があると思い昨年はわざわざ幼虫を捕まえて来たものだが、今年はアブラムシの発生がかなり多い為かそれに同調してテントウムシも非常に多く、至る所に成虫や幼虫を見ることができる。
こういう所が自然のバランスなんだろう。何が原因かは分からねどある年は大発生したり、またある年はほとんど見かけないなど実に不思議なことで、これらが何かのサインであっても我々はそれを読み取る力をすでに失っているように思う。

いずれにせよアブラムシの発生くらいならかわいいものだ。それが昨年同様にヤスデの大発生なら・・気色悪い!

器三昧


5月3日と言えば陶器祭りの初日と決まっている。日本三大陶器祭り(誰が決めた?)の一つ土岐の陶器祭りが始まり、大盤振る舞いされる陶器の中からお気に入りの物を見つけるのが我が家の恒例行事でもあるので、『これは初日を見逃せない!』と早めに会場に到着し出店を物色して回る。ここでも高速千円制度の影響で土岐インター方面からの車列がずっと連なり最後尾が見えないほど。ナンバーを見ても他県からの客がいつもより多いようで、駐車場もすでに満杯の様子。
そんな混雑を尻目に気合いを入れてあちこち精力的に見て回り、順調に買物を続ける。9時半から5時近くまでを陶器祭り会場で過ごし、さすがに子供達も疲れ気味だ。それでもいくつか良いものを見つけることができて大満足。相当な枚数を購入したとは知っていたが、家に帰りその総数を調べてみたらなんと!大中小合わせて60枚ほどもありびっくり仰天。いくら安いといっても買い過ぎちゃうか?と思いはするが、年一回の楽しみだもの心ゆくまで楽しんでやろう。

2009-05-02

脚立の人


まだまだ続くペンキ塗り。

午前中に恒例の買物を済ませ、午後は昨日粗塗りをした壁面の2度目の塗装を開始する。昨日は辺りがすっかり暗くなった7時半頃まで作業していたので、さてはてどんな案配か朝起きて壁面を見るのが怖かったが、これが意外とうまく塗れておりひと安心。しかし、そうそう安心してもいられない。今日はその粗塗り面をきれいに仕上げて行かなければならないのだ。まずは脚立に乗り壁面上段を攻めてゆく。トタン板の形状に突起があるため、この部分の塗装がなかなか難しく手間がかかる。特にハケむらを出さずに塗装することは至難の業だ。自分でやってみて始めて塗装職人達の技能の高さを思い知らされる。
あちこちにペンキをぽたぽた落としながらなんとか上段を片付け下段にかかるが、ここで残りの塗料が厳しくなって来た。そこでできる限りペンキを水で薄め、ペンキの無駄遣いを徹底的に無くしケチケチと塗り進めてゆく。2〜3時間もあれば塗れてしまうと思っていたら、5時のチャイムが鳴り陽もだいぶ傾いて来た。ペンキは徐々に目減りしてゆくし、辺りもだんだんと暗くなってゆくなか気持ちだけが空回りして手元を狂わす。それでも何とか残りのペンキですべてを塗り終えることができ感無量。ギリギリセーフだった。

壁から離れて全体を見渡す。確かに他の壁面と色は違うがなかなか良いように見える。ハケむらもよほど近くに寄らない限り目立たないレベルだ。こんな大掛かりな塗装は始めてしたが、自分が思っていたよりはうまくできたと思う。
今回の件ではいろいろと勉強もし、苦い経験もした。でもそれがあったからこそ次回への備えもできているし、塗装に関してのそれなりの自信を得ることもできた。

失敗してもええから何でもやってみるべし、さすれば次の道が見えて来る。

2009-05-01

うまくいかない日もあるさ


昨日の続き。
塗装する離れ西面のトタン板の錆をあらかた落とし、錆び止めを塗布してペンキを塗る下地ができたのが正午頃。それから錆び止めが乾燥するのを待ち、塗装にかかったのが4時近くだった。まずはひとハケ塗らんと壁面コーナーあたりをなでると、なんてこったい!色が違うやん!ペンキの缶を開けた時から『ん、色がちょっと明るいかな・・』と感じていたのが的中して、実際に壁面に塗るとこれまでの塗装よりだいぶ黄色っぽい。もちろん缶に貼ってある色シールを見て同色に近いものを買ったつもりではいたが、実際の色とはかなりのギャップがある。さて、どうするか・・ひと缶3千円以上もしたものを無駄にしたくはないが、かといってこのまま塗ると他の壁面とは明らかに色が異なってしまう。困った困った・・
しかしここで引き下がるも男が廃る。ええいままよ!と一気に塗りたくり始め、後戻りができなくなるところまで来たら諦めがついて最初ほど気にならなくなった。いや〜でもペンキを塗るのは難しいね。暗い色の上に若干明るい色を塗るもんだから余計うまく塗れない。塗るのが楽だというローラーも買って試してみたが、我が家の外壁形状ではうまく塗れず無駄に終わった。結局一度塗りで完成させるのは無理と判断し、一度目を荒く塗りさらにもう一度仕上げ塗りを行なうことにして、暗くなっても続けていた塗装作業を終えることにした。
さて、一度目の塗装とはいえ暗い中で作業していたので明日の朝壁面を見るのが恐ろしいが、所詮素人ゆえ完璧な塗装などはできないのだ。いくらがんばってもハケむらは消えず、撫でればなでるほど悪化してゆく。正直『助けてくれ〜』と心の中で叫びながら、我が塗装技術の拙さに呆れ、脱力して疲労感がぐっと増した。
もはや色の違いよりも如何にみすぼらしくないように塗るかが問題で、その結果は明日午後の作業で明らかになる。

夕飯の時間を知らせに来てくれた長女が壁面を見て、『Daddy、なんで違う色塗っとるの?』と聞いて来た時には激しく動揺し、今回の塗装に関する数々の不手際を反省せずにはいられなかった。
塗装はまだまだ続くのだ・・