2011-04-30

闘い開始


今日も日中雷が鳴り、雨がザーっと降っては通り過ぎて行った。
朝から陽も差さずどんよりとした曇りの一日。寒気が流れ込んでいる影響で空気もひんやりとし、暖かさは無い。
これだけ気温が低いので昨日買って来た苗を植え付けるのをためらい、結局今日は畝を整えたり支柱として使う竹を伐りに行ったりと下準備に専念し、連休後半に天気が回復し気温が上昇するまで待つことにした。

苗の生育は悪いのに草はお構いなしにどんどん大きくなってゆき、そろそろ草刈機を登場させねばならなくなった。周辺の畑からは草刈機のエンジン音が響いてくるようになり、それが『草刈りせねば・・』というプレッシャーとなって焦りを引き起こす。庭を見渡せばそこら中が雑草だらけでどこから手を付けてよいかさえ分からぬほどの惨状だ。つくづく雑草パワーはすごいものだと日々実感させられる

2011-04-29

いよいよ本番


英国のロイヤルウェディングでやいのやいの騒ぎ立てているが、そんなことはどうでもいいことだ。幸せになる人が増えるのならそれはそれで良し。あとはほかっとけばいい。
そんなことより大事なのは畑の方だ。GWに入りいよいよ苗の植え付けが本格化し、休みというのに平日の何倍も忙しい。今年はこのところの低気温の影響で苗があまり育っておらず、勢いも無い。それでもトマト・ナス・ピーマン・スイカといった苗を購入し、順次植え付けてゆく。果たしてこの苗が無事生長するかどうか自信はないが、ダメだったらもう一度種を蒔けばいいさ。とにかくまずは様子見だな。

2011-04-28

名前のこと


もうすぐ誕生する3女の名前について、様々な案を出しているものの妻や義母の同意がなかなか得られず、まったくもって苦心している。
何が問題かと言うと、日本語ではかわいく聞こえる名前でも英語の発音になるといただけないというものが数多くある。その他にもラテン語でどうだとか、あーだのこーだのと言ってそのことごとくが却下されてしまっている。反対に妻などが考える名前はアメリカなどでは問題無くとも、日本では『ちょっとそれだと名づけられた子がかわいそうだ・・』という感じがして、僕がことごとく却下してしまっている。そんな具合だからお互いに名前のことになるといきり立って喧嘩を始めてしまうから情けない。真剣に考えれば考えるほど裏にはまって行くという状態で、いっとき考えるのを止めようとしたがもう残された時間も少ないことだし、焦りから考えずにはいられない。
こんな有様だから我が家の場合、字画などにこだわっていたら永久に名前が決まらないため、長女のときから字画を気にしたことは一切無い。まず名前の音を決める。それから僕が漢字をあてる。こんな流れだ。

そして昨夜、『これでいきたい』という候補を恐る恐る妻に伺いを立て、その時は『いいんじゃない』という返事をもらっていたが、今晩になって義母も『いいと思う』と言ってくれた。これでやっとこさ突破口が見えて来た。さあ、これからは字の選定だ。この領域は僕の聖域でもあるのでじっくりと考えていい案を出そうと思う。

2011-04-27

過去からの手紙


実家に一枚のはがきが届いた。
それは風景画作品展の案内のポストカードで、大きく画家の名前も書かれていたがその名前に心当たりは無かった。『なんで送られて来たんだろう?』不思議に思いながらポストカードをよく見ると、コメントが書かれていた。『15年前に琵琶湖で製作中に写真を撮ってもらいました』とある。ここで僕の記憶が一気に蘇り『ああ、あの人だ!』と、ようやく思い出した。
写真学校に在籍していた頃、自分の作品作りのために毎日のように琵琶湖に通いつめ写真を撮っていた。そんな夏の暑い日に風景画を描いていた彼と出会い、そして写真を撮らせてもらった。その写真は自分で現像し、白黒写真として仕上げ、彼に送ったのだ。それから15年か・・
あれからずいぶん月日は経ったが、意外と自分が撮った写真のことはよく憶えている。そしてその時のシーンも気味の悪いほどにはっきりと憶えていて、記憶の中では時間は止まったままになっている。
なぜ彼が突然僕にはがきを寄越したのかよく分からないが、僕が15年前に送った写真が何かの拍子に出て来て懐かしくなったのかも知れない。
いずれにせよ今回のことには不思議な縁を感ぜずにはいられない。
若かりし頃の夏の暑い日が、15年という月日の流れを経て蘇ろうなんて誰が想像できただろうか。

2011-04-26

シリアよ


混乱が続くシリアには2ヶ月滞在し、各地にある名所旧跡を訪ねたり地元の人に泊めてもらったりと、楽しい思い出がたくさんある。泊まっていたゲストハウスの階下で火災が発生し、脱出したということもあったがね・・
シリアは長年アサド一家がその権力を掌握し、強力な独裁体制を敷いて人々の自由を制限して来たが、その影響が強いのだろう人々はほんとうに親切で、困っていると必ずお助けマンが現れて助けてくれた。これは多くの国に共通して言えることだが、その国の政府の独裁色が強ければ強いほど人々はお互い助け合おうとするようで、何かと気を使い親切にしてくれる。そうかと思うと国境を一歩越えるだけですれっからしの国に来たように感じることもあり、人の親切さばかりは決してその国の自由さや豊かさとは関係のないものだ。

そのシリアでも独裁政権打倒を目指す闘いが繰り広げられ、多くの市民が弾圧粛正されているようだ。
シリア滞在中は中部のハマと言う街が好きで、多くの時間をここで何もせずぼんやりと過ごしたのだが、ある時一枚の写真が気になって尋ねてみると、その写真はかつてのハマだと言う。詳しく聞けばその昔この街でアサド独裁体制に対する反発が起き、それが原因となって何度も爆撃を受けたり粛正されたりして、街は徹底的に破壊されたのだと言う。ショックだった・・人々は『苦しみ』を『痛み』を知っていた。その分だけ僕達に優しく接してくれたのだろうか。

2011-04-25

寒気流入


久しぶりに現場に出たと思ったら、いきなり雨に降られたよ。まったく雨男はこれだから困る。
それにしてもここ数日の天気はどうなっているんだろう。陽が差すと上着が要らないくらいに暖かいのに、急に曇って来ると風が吹き荒れ気温がぐんと下がって寒いくらい。その寒気の雲に伴われて降る雨も冷たく、身体から体温だけでなくやる気までも奪ってゆく。この春の天気は『うららか』というような穏やかなものではなく、寒気の流入によってころころ変わる不安定なもので平均気温も昨今の春よりは低いんじゃないだろうか。そうかと思えば今夜のニュースでやっていた長期予報では、夏の平均気温が例年より高めとのことでまったく勘弁してくれと言いたくなる。と言ってもこれはよくハズレるからあてにはならないけどね。

明日も今日と同様の天気と言う。また降られなければいいけどね・・

2011-04-24

テラス屋根設置


以前から『あるといいな』と思っていたテラス屋根の工事が終了し、これで雨の日でも軒先に洗濯物を干しておけるようになった。
それ以外にも妻が行っている英語クラス当日に雨が降った場合、今までは迎えに来たお母さんたちが雨のなかを待ってもらわねばならずその点で申し訳なく思っていたが、そう広くないにせよ屋根が出来たことでお母さんたちも便利になるし、こちらも少しは気が楽になりちょうど良かったと思う。
来月後半には赤ちゃんが産まれる予定で、それに伴う洗濯物の激増に対応するにはやはり屋根ありの洗濯干し場があると、これから梅雨時期を迎えるにあたってかなり有用になって来るはずだ。
今回のテラス屋根は間口1.5間で出尺は6尺。トステムが標準工事費込みのセット価格で出しているもので、洗濯を干せるようにするオプション費などすべて込みでたしか9万円ほどだったと思う。実際に出来たものを見ての費用対効果を考えると、十二分にその効果が得られている。もっと早く作っていればよかったと思うほどだ。
これから夏の暑い陽射しも幾分かは遮られるし、急な雨の降り込みも心配しなくてよくなった。
始めは価格があまりにも安いので大丈夫だろうか?と思ったが、まったく問題なし。ゆくゆくは自転車を置いておくためのカーポートを設置しようかと考えているが、これくらいの品質ならばお得なセットでも問題無いと思う。あとはいつやるか?だな。

2011-04-23

地デジ化へ


外は予想以上の大雨で風も強く嵐の様。こんなんでは畑仕事は出来ぬゆえ、ずっとほったらかしにしていた地デジアンテナを屋根裏に付けるべく、寝室の押し入れから暗くって埃っぽい空間へと潜り込む。天井板を踏み抜かぬよう細心の注意を払いながら前進し、大体の位置にアンテナを取り付け受信テストをする。いちどアンテナケーブルをテレビと直結して受信テストをしたときは、すべてのチャンネルが視聴できたものの今回は古い既設配線に接続しての受信なので損失も大きく、結局テレビ愛知だけは受信レベルが低過ぎて視聴することができなかった。今日は時間切れでいろいろ試せなかったが、もうすこしアンテナの位置を変えたり向きを調整したりすれば映るようになるかも知れない。それでもダメならブースターをかませば問題無く映るだろう。
汚い天井裏をまるで忍者のように這いつくばって行き来したので足の筋肉がパンパンだ。
業者に頼めば数万もする作業も、実際にやってみると大したことなく出来るもんだね。いまのところアンテナとケーブル代の合わせて1万円ほどで済んでいるので安く上がっていると思う。これにブースターが加わってもプラス5千円ほどなので、いい感じじゃないかな。

2011-04-22

罹患


また風邪を引いてしまった。
この風邪はおそらく次女からもらったもので、昨日午後から喉がいがらっぽくなり関節が痛みだし、さむ気を感じるようになった。朝になると喉の痛みは若干収まったが鼻水が垂れるようになり、さむ気を感じる状態は続いている。
やはり学校に通っている子供が居る家庭の罹患率は、そうじゃない家庭と比べて格段に高いと思う。なんせ子供達がもらって来る風邪などの病気は強力だからね。今まで何度もそんなものにかかっているが、進行が早くまたその症状もひどい傾向にある。
当の本人達は少々の熱があってもヘッチャラでまったくタフなものだが、大人はそうはいかんでね。
目がしょぼしょぼして全身が怠いがこれもまた修行と心得て精進し、はやいとこ病気を追い出してしまわねば・・

2011-04-21

東山day


今日は恒例となった幼稚園の遠足だ。毎年変わらず東山動物園だが、今回は妻のお腹が大きくとても園内を歩き回ることが出来ないため、僕と次女の2人だけで参加することに。用意された観光バスの中は90%以上がお母さん達でなかなかのプレッシャーだ。それでも自己紹介などの苦行をこなして無事に動物園にたどり着いた。それにしてもママさんパワーはすごいものだ。なにせ向こうは娘のことをよく知っていても僕は相手が誰なのかさっぱり分からないから戸惑ってしまう。
園内は自由行動なのでママさん達の軍団から離れて効率よく園内を回ってゆく。娘が見たいと言っていたものはすべて見て、そのあとは集合時間まで娘の手を引きながらぶらぶらと園内を巡る。
帰りのバスでは多くの子供達が疲れて眠ってしまい、それはそれは静かなもの。親さん達の中にも疲れ果てたように眠っていた人もいたなあ。

昨年は家族全員で回った動物園も今年は僕と次女だけなので寂しかったことと思う。来年はまた皆で来たいと思うが果たしてどうなることかね。

2011-04-20

行事とプリント


この4月は授業参観に家庭訪問など学校行事が相次いで忙しいったらありゃしない。小学校に上がったばかりの長女もまだ早帰りが続き、途中まで迎えに行かねばならないし、長女・次女そろって毎日のように大量の書類などを持ち帰り、その申請書類の多さには辟易させられる。当然その書類を妻が読むことはできないのですべて僕が処理するのだが、なぜか紙の大きさがばらばらだし書いてある内容が大雑把で詳細が分からず、日本人の僕がじっくり読んでも理解できないので妻にとったらなおさらだろう。いつも思うことだが、連絡内容を1枚の紙に集約すればもっと分かり易いし、見落としも減ると思う。今回のように大きさの違う紙を何枚も入れられても見にくいばかりでなく紛失の可能性もある。

とにかく小学校は楽しいらしく、その楽しそうな長女の姿を見て次女が『早くわたしも小学生になりたい』と言うほどだ。この調子で小学校生活を乗り切ってくれたら言うこと無しなんだけどね・・

2011-04-19

落雹


天気大荒れの一日に。
予報では50%程度だったが、登校する長女に傘を持たせてよかった。よもやここまで降るとは思わなかったな。それに気温の低いこと。風は冷たく一気に季節が逆戻りした感がある。天気穏やかで暖かかった先週末にキュウリやトマトの苗を植え付けた人も多かろうが、ここまで気温が下がってしまっては特にキュウリはダメになってしまうだろう。早く植えたいと焦る気持ちはよく分かるが、ここはやはり辛抱が大切なのだ。

帰宅して『傘持たせて正解やったね』と、妻と話していたらここではなんと!直径1cmほどの雹が降ったという。それもぱらぱらとではなく、庭が白くなるほど大量にざんざか降ったらしい。僕もそれほどの雹を見たことは無いが、妻や義母は以前住んでいたコネチカット州でゴルフボールより大きな雹が降ったことがあると言っていた。さすがアメリカは何でもかんでも巨大だな・・
今夜は久しぶりにジンと冷え込む夜になっている。最近は毛布一枚で十分だったが今晩は布団を着ないと寒いだろう。たぶん娘達は毛布を蹴ってしまって何も着ていないだろうがね・・いつものことだけど。

2011-04-18

夏に向けて


夜が更けるにつれ雨脚が強くなって来た。風もかなり吹いているようで外壁のトタンを叩く雨音が風切り音と共に聞こえて来る。日中少しなま暖かさを感じるほどだったのに、今は肌寒く気温もかなり下がって来ているようだ。週末はお天気も良く気温も高かったので、トマト・キュウリ・ナスなどの野菜苗を植え付けた人も多かったことだろう。しかしこの冷たい雨は苗によくないだろうね。生育不良を引き起こす可能性がかなり高く、まともに成長しないかも知れない。
ここ数年、野菜も稲も以前と比べずいぶん早く植え付けるようになって来ている。特に野菜苗などは早く売り場に出せば、皆気分的に急かされるような気がして買ってしまうだろう。しかしこの気温不安定な時期にハウスで育った苗をいきなり露地に出しては、ショックで枯れてしまうんじゃなかろうか。
何事にもそれに適した最良の時期というものがある。ここはもうしばらくの辛抱だ。

2011-04-17

子供携帯


結局、妻や義母に押し切られるかたちで長女が『子供携帯』を持つことを認めた。そしてさっそくauショップに出向き契約し、主なセットアップを完了していつでも使えるようになった。ただ、明日は携帯の使い方をじっくりと長女に教え込むとのことで、学校には持って行かせないようだ。
この『子供携帯』は見た目はおもちゃのようだがなかなか機能的で、確実に僕が先日まで使っていた携帯よりは高機能だ。しかしそれら持つ機能をすべて使おうとすると、契約に伴うオプション費用がかさみかなりの額になってしまう。それに長女はまだメールなんてできないから、単に携帯で話せるだけでいい。それらを加味して契約を進めてゆくと月々の費用がかなり安くて済みそうだ。例えば長女の場合月額780円のプランでそこに学割が利いて390円に。それに携帯が故障した時のための保険料月々315円が加算されて計705円。安いプランなので無料通話分は無いが、この携帯は指定番号以外にかけることができないので実質家族以外にはかけれない。従って家族限定通話は無料ということでほんとに月額705円ぽっきりなのだ。それなら安いと思うけどね。機種代金も無料だったしキャンペーン中とのことで3千円分の商品券もくれると言う。いろいろ事務手数料とやらも取られたが、総合的に見れば安く済んだと思うけどね。

2011-04-16

夜景


夜、寝室の雨戸を閉めようとカーテンを開け、外を見る。そこには見慣れた夜景が広がり、家々の部屋が暖かそうな光りで照らされている。
こんな何気ない風景が一瞬にして消え去ろうとは誰が想像できるだろう?しかしそれは現実に起こってしまったのだ・・
僕の後ろでは娘達がマットレスの上で飛び跳ね、やんちゃをしている。『さあ、もう寝る時間だぞ』雨戸を閉め切り、自分の現実に戻る。
日常が日常であることを『当たり前』だと思えること、もしくはそんなことまったく気にしないで居られることが、如何に幸せであるか・・

今回の大災害から学ぶことは無限にある。

2011-04-15

新たな資格


思ったよりも早く降り始めた雨の中での実技試験。試験と言っても練習と同じ操作を繰り返せばほぼ合格する簡単なもの。これでまた1つ出来ることが増えたことになる。
今日の教習所は大賑わいだ。小型移動式クレーンに玉掛け、フォークリフトに大型クレーンなどの技能講習があちこちで行われ、新入社員らしき連中もかなり多い。ここでみな資格を取ってそれぞれの持ち場に着き、腕を上げていくのだろう。
みな自分の将来(会社の将来かもしれないが・・)のために資格を取るのだから、それなりの緊張感もあり活気がある。

そんな講習の最中、東濃地方から来た森林組合の5人組が『コンパネ(ベニヤ板のこと)5万枚があっという間に売れてしまった』という話で盛り上がっていた。こんなところでも地震の話題は尽きず、災害復興に伴う大きな流れが至る所に浸透し始めているようだ。

地震の大きな揺れは様々なものにかたちを変え、日本全体を大きく揺さぶってゆくことになるだろう。

2011-04-14

眠気講習


今日は再び講習の日。
先日の講習より今回のはさらに眠気を誘い、講義のほとんどの時間脳の回路は遮断され、何度も何度も眠りに落ちてしまった。計8時間近くに及ぶそのつまらない講義になんとか耐えぬき最後には筆記試験を迎えたのだが、あれだけ不真面目に聞いていたにもかかわらず90点以上の得点を取れたと思う。別にすごくも何ともなくて、単にテストが簡単だっただけなのだがね・・

前回も書いたが、こんないい加減な試験に何の意味があるんだろう?法的に決められていることにしても資格を取らせる前提で、無理矢理やっている感じがする。何万もする高額な講習料金も裏を返せば、金を積めば資格が取れると言うマルチ商法まがいのことで、たちが悪いのはそのバックに公的機関がいるということだ。

まあ、こうやって文句は垂れるが資格は欲しいので、実技試験の明日は粛々と機械を動かし資格者証を手に入れてやるさ。

2011-04-13

学校のこと


小学校へ通い始めた長女に毎日『給食はおいしかった?』『授業は楽しかった?』などと聞いているが、給食は量が多いものの残さず食べているようで、長女なりに頑張っているらしい。日頃から食べ物を粗末にしないようにと教えてはいるが、こんな時だからこそなおさらだ。それを長女もよく理解してくれて『ご飯食べれない子もいるから、がんばった』と、殊勝な心がけだ。
授業はまだ授業らしいことをしていないので何とも言えないが、長女によるとそれなりに楽しいらしい。そして一番気にかかるのが毎日の登下校だ。登校は高学年の子が登校班の班長として長女の面倒を見てくれるので非常に助かっており、遠距離でもなんとか学校には間に合っているようだ。下校はまだ集団下校の最中なので安心していられるが、それでも幼なじみと2人して道ばたの花を摘んだりながら歩いているので、集団下校が済んだら一体いつ頃家に着くことが出来るのだろうね。その辺りの心配も含めて長女に子供携帯を持たせようと思案中だ。

2011-04-12

それがどうした


原発の事故レベルが5でも6でも7でも、実際に今起こってる事態に変化などはない。そんなものは数字のお遊びに過ぎぬので無視しておけばよい。しかし報道ではレベルが7になったことで『チェルノブイリと同レベル!』とセンセーショナルに煽り立て、あたかも事態がより一層深刻化したような調子で流しているが、いいかね、保安院の宇宙人のような顔をした人物が『レベル7だ』と言った途端に大気中の放射能濃度が一気に上がるようなことはないし、原子炉がチェルノブイリ級の大爆発を起こすこともない。ただの『認識の違い』なだけだ。
ただし、追及されるべきはここに至るまでに本当に原発災害の全体像を正確に把握して来たか?ということと、『レベル7』とすることに抵抗感を感じ、わざと過小評価しようとする状況下で客観的な視点を失っていたのではないか?ということだ。この辺りはもはや確信的情報操作が行われたと僕も多くの人も、また世界もそう思っているに違いないので、これまた政府や東電それに保安院は、その対応の後手後手さと無能ぶりを曝してしまったことになる。そんなものは始めっから『たぶんレベル7くらいになると思う』と発表しといて、もし低レベルで済んだのなら『サバ読んですんません。レベル6で済みました』としとけばよかったのさ。誰だってこれの逆だったら『言ったことと違うやん!』と怒るに決まってるじゃんか。まったく、なんでこう稚拙な対応しかできんのやろ。ま、そんなヤツらが仕切っていたからこそ問題がこうも長引いているんだろうね。

2011-04-11

そしてまた余震・・


早くもひと月が経ち、そして強烈な余震だ。
この未曾有の災禍は一向に収まる気配を見せず、被災された人々の心労をさらに深めている。『もういい加減にしろよ・・』ニュースで余震の発生を知ったとき思わず呟いたが、自然はそんなこと斟酌せずに我々と接するのだ。と言うよりもとから相手になどしていないのだろう。ただただ畏れるしかない・・今回の震災でそれがよく分かった。

そしてもひとつよく分かったのが、今後どの国と親しくお付き合いしてゆくべきか?ということで、それは震災・津波・原発災害についての各国の反応を見ていれば一目瞭然明白だ。困難な時こそ真の友が分かると言うのは世界各国共通のことであり、様々な打算があるにせよその真摯な行動には感謝の念を禁じ得ない。この恩には必ず報いる、そんな覚悟を持ってこれからの日本は立ち直ってゆくことと信じている。
その一方でやっぱりと言うか残念と言うか、日頃からよい印象を持っていなかった国の政府は『まあ、好き勝手なことを言いやがって!』的反応で、こんな国とは縁を切らんでもいいがそれなりの線引きを持って付き合いをしてゆくべきだと再認識した。付き合わないで済むならそれに越したことはないが、なんせ隣国ゆえそういうわけにも行かんしね・・ただこれはあくまでもその国の政府に対してであって、人々に対してではない。それにもしこれらの国に災難が降り掛かれば日本は先陣を切って助けに行かねばならない。人助けを躊躇する理由などあってはならないし、それが日本の役割だからだ。

2011-04-10

花見盛り


一晩寝て回復すれば言うこと無いが、いかんせん胃がまだかなり痛い。さらに腰や肩といった関節周辺も痛みだしてギシギシする感じだ。妻は『おとなしく寝とったら?』と言うが、そんな悠長なこと出来るはずが無い。畑ではやらねばならんことが山ほどあるし、それにまだ花見をしとらんじゃないか!花見をするチャンスは今日しかないのでこれを逃すことはできない。熱があっても気持ち悪くても、花見をおろそかにしては春はやって来ないのだ。
ということで皆で弁当を調達し、近場の桜堤に出かける。毎年恒例の神社に場所を取り、桜の花びらが風にのってはらはらと散るなか弁当をつつく。穏やかな陽射しのもと馥郁たる花の香りに包まれ、まさに春爛漫。胃が痛いのも忘れてしばし恍惚の時間に浸ることが出来た。おかげで英気が養われたようで、時間が経つにつれ胃の痛みもだいぶ軽くなり、空腹感を感じるようになって来た。この調子ならば月曜には回復できるのではなかろうか。そうあってほしい。

2011-04-09

10th anniversary


実は今日9日で結婚10年目を迎える。
早いというか、よくここまで耐えたというか、驚いたというか、まあ1つの節目を迎えたのかな?という感じだ。妻とは24の時からほぼ一緒に生活しているので実際には15年目なのだが、いやはやなんとも・・月日はすっ飛ぶように過ぎにけり。

記念日だと言っても妻は英語クラスで多忙を極め、特別なことをする余裕も無いしそんな気も無い。おまけに夕食後に僕の腹が急に悪くなり、腰が抜けんばかりの下痢に襲われた。当初は何かにあたったのかと思ったが僕以外に体調不良を訴える者もなく、そのうち胃がキリキリと痛みだした。頭がぼんやりして来たので熱も出ているようだ。横になってからは猛烈な悪寒に襲われて、室温が18度あるのに布団と毛布をすっぽりかぶってもまだ寒くてたまらない。まるで真冬の様に着込んでガタガタ震えながら耐えているような有様だ。

夜中に目が覚めブログを書こうと思うも、思考回路がショートしてとてもかけるような状況じゃない。そのまま布団に潜り込んでなんとか寝付くことが出来た。
まったく、記念日だと言うのに何たることだろう。おそらく潜伏していた胃腸風邪がよりによってこの日に現れたのが原因と思う。それにしてもその激しさは高熱を除けば新型インフルエンザ以上のものだ。どこで拾ってしまったのか分からないが、皆にうつさぬよう用心せねば・・

2011-04-08

慈雨


しとしとと降る弱い雨だが、本当に久しぶりの恵みの雨だ。カラカラに乾ききった大地もこれで少しは潤い、いよいよ本格的な芽吹きの季節を迎えることになる。

巨大な津波によって瓦礫とヘドロに覆われた大地にも緑の芽吹きがあるのだろうか?今はまだ塩分が強過ぎるかも知れないが、やがて梅雨時期を迎え雨量が増せば逞しき緑が傷ついた大地を覆い、僅かばかりでも人々の心に安らぎを与えてくれるだろう。

まだまだ余震は続くという・・いったいいつになったら大地は落ち着きを取り戻すのか?
被災者の方々が一日も早く心の平安を取り戻せるよう願ってやまない。

2011-04-07

入学式


ブログを書こうとしていたらフワフワとした揺れを感じた。これは・・と思い急いで階下に降りてTVをつけると案の定、被災地で震度6強を記録したらしい。津波警報も出され現地は混乱し、動揺していることだろう。これくらいの規模の余震があるとは予想されていたが、しかし震度6強という激しい揺れで余震とは恐ろしいことだ。復旧途中の原発の様子も気にかかる。果たして大丈夫だったのだろうか?


長女の入学式は滞りなく終わり、これで晴れて小学生となったわけだ。クラスの中には同じ幼稚園からの子も多く、幼なじみや友達もいてすぐに馴染めそうでひと安心。明日からはさっそく学校に通学せねばならず、置いてきぼりにされないか?それだけが心配だ。まずは様子見だな。

桜満開のもとで入学を果たし、これから6年間の小学校生活。いろいろあるだろうが、我が家のペースを保って乗り切って行こうと思う。
ともあれ、入学おめでとう。

2011-04-06

入学前夜


ここのところ何となく長女が大人しい。おそらくは小学校入学を控えて少し緊張しているためかも知れない。今までとはまったく違った環境に放り込まれるのだから心配する気持ちもよく分かる。我々親としても小学校まで片道2.2kmの道のりを毎日歩いて登校せねばならない長女のことが心配だし、またその道のりでひとりぼっちにならないかなど気がかりなことが多過ぎて、どうも落ち着かない心境だ。
なあにこんな心配ごとなど始めだけで、あとは勢いに任せればどうにかなって行くのだろうが、どうしてもスタートだけは慎重にならざるを得ないからね。
さあ、いよいよ明日は入学式。長女もピカピカの一年生だ。

2011-04-05

半島根性


福島第一原発で汚染水の海への垂れ流しが行われている。いくら高濃度の汚染水処理を優先するための措置だと言っても、いまいち納得しがたいのは当然のことだ。これがもし、迅速且つ透明性を持って行われた汚染対策にも拘らず立ち至ってしまった現実ならば、致し方無しとする意見が大勢を占めるだろうが、東電や政府の明らかに後手後手の対応の結果がこれなので、それに反発する者が多く居てもなんら不思議ではない。
そんな反発者として名乗りを上げたのが韓国で、とどのつまりは海を接した隣国であるにも拘らず汚染水垂れ流しの報告を受けておらず、『我々は日本から軽視されている』と思い込んでいるらしい。そして汚染水の垂れ流しが国際法上問題があるかもしれないとさえほざいているようだ。ここにあるのは単に彼らが『日本に軽視されている』というコンプレックスに凝り固まった思いから発する感情と、ばかばかしいメンツの話であって、ほんと彼らとはまともにつきあえないな・・という思いに駆られる。
そうやって日本を非難しつつ一方では竹島の実行支配を強化すべく、どさくさにまぎれて基地建設に取りかかるという『はしたなさ』を露呈している。まったくもって困った連中だよ、彼らは。

2011-04-04

それぞれの役割


この未曾有の震災被害に対して僕が出来ることとは何だろうか?と考えさせられる。この狭い日本の中で想像を絶する困難に直面し、途方に暮れている人々が十数万も居る一方で、僕はのほほんと相変わらずの平穏な日常を過ごしている。そのことに後ろめたさを感じつつも特に生活を改めることもなく無為な日々を送ってしまっている。そうだ、やっぱりこの落ち着かない感じは、自分にすべきことがあるのにまだやっていないから感じるものなんだ。自分自身に対する歯痒さのようなものだ。
身軽な身を失ってからだいぶ経つ。それはそれで大切なものを背負い、それらに支えられて今の僕があるのだから感謝こそすれ不満は無い。しかしこんなとき、二の足を踏んでしまう自分に苛立ちを感じてしまう。僕はトラックも運転するし重機にも乗れる。力仕事なら自信があるしタフな方だと思っている。カメラを持てば被災地の事態を記録に残す使命感もある。現地に行けば何でもやるべきことがあるはずだ。
でも僕は漫然とここに居る。それでいいのか・・

2011-04-03

新携帯


7年間使って来た携帯をついに手放し、新しいものに買い替えた。
僕が携帯を持ったきっかけは妻が長女を妊娠したことで、そもそも緊急時のために持ったようなもんだ。それからはや7年、満身創痍になりながらもよく壊れずにここまで来たな・・と感心する。別に新しい携帯が欲しかったわけではないが、今まで使用して来たものが来年の4月には電波の関係で使えなくなることや、最近分かったのだが旧機種を長く使えば使うほど損をする悪魔的なプランを継続していたので、これを速攻に機種変更し割安な新プランへと乗り換えたわけなのさ。そんなんだから新携帯はシンプルでなるべく安いものを選び、機種代5千円のものにした。機能は基本的なものしか無いが、僕にとってはこれで十分。機種代も溜まっていてポイントで賄ったのでお金がかからずに済みました。
さて、この新携帯はいつまで持つだろうかね?

2011-04-02

10万kmという壁


最近、我がロードスターのエンジンがどうもよろしくない。
出かけようとエンジンをかけた時に、時々かぶるような感じがしてエンジンの回転数が上がらないのだ。そのまましばらくアイドリングを続けていると『ブウァン!』と吹け上がって調子よくなる時もあり、そうかと思うと一向に直らずそのまま走り出すと『ボボッボボボ・・』と明らかにかぶった状態が続き、アクセルを吹かしてエンジン回転を上げてもスピードがまったく出ないのだ。それも走り出してしばらくすると何事も無かったかのように調子よくエンジンが回り、不安定この上ない。そこでマツダに持ち込んでチェックしてもらうと、不具合の出る時は4気筒あるシリンダのうち1気筒が点火しておらず、そのために著しい出力低下を招いているようなのだ。原因はイグニッション・コイルの不具合で、今は振動などによってうまく働く時もあればまったくダメな時もあるという状態。残念ながらこの不具合は部品の取っ替え以外に直しようがなく、見積もりを聞くと工賃含めて3万4千円なり。こればかりはほかって置くとそのうち完全に故障して、ロードスターがまともに走らなくなるため止む無く修理を依頼した。明日の午後に再びマツダに出向きドック入りする手はずだ。
いやはや、痛い出費だね。10月に直したブレーキと合わせると7万近くになってしまう・・が、こればかりは仕方が無い。
ロードスターも走行距離が10万kmを越えており、しかも12年落ち。さすがにだいぶガタピシ言うようになって来たので、あちこちに不具合が発生するのが当然とも言える。でもまだまだ走れる以上メンテを続けて乗ってやらねばね。妻が許すならば18万km走って大往生を遂げたミニカを越えたいと思うが、果たしていつまで乗ることができるかな・・

2011-04-01

順調


今日は妊婦検診の日。赤ちゃんは標準より大きく、元気だと言うことで安心した。
今までは2週間おきの検診だったが次回からは毎週となり、それはそれでめんどくさいと言うか大変らしい。
妻のお腹はというと見事にぽんぽこりんで今にも生まれて来そうな大きさだ。これは長女・次女の時もそうで、やはり平均的な日本人の妊婦に比べかなり大きい方だと思う。これは腹水の量などが関係しているが、よく妻はアンフェアだ!とこぼしている。
先日もお産に向けてのバースプランを2人で相談しながら書いたのだが、当たり前のことだけど3人目の出産とはいえかなりの不安は持っているようで、僕が安易に『慣れたもんだろ』なんて言っちゃったから烈火の如く(妊娠して普段より気が立っているから、その怒り様は尋常ではないぞ)怒られて、『赤ちゃんは好きだけど妊娠なんか楽しくない!産むのはめっちゃ痛いしよくそんなことが言えるね』と、カンカンだ。
とにかくこれから5月後半の予定日に向けいろいろな準備を整えねばならない。あったはずの赤ちゃん用品もどこにしまったのか憶えておらず、記憶の糸をたぐり寄せることから始めねば・・さあて、どうなるだろうね。