2009-04-30

持つことと、失うこと


物を持つことで我が身を縛られる、そんなことを感じる一日だった。

我が家の離れの西側はトタン張りで、そのいちばん下の裾に錆が発生しているのを気づいたのが、もう一年以上も前のこと。中古で購入した家なので、大掛かりなリフォームが為されたと言ってもさすがに離れの外壁までは手がつけられず、おそらくはペンキを上塗りしただけのこと。なのでリフォーム後2年以上にもなると、もとからあった錆が広がりトタンの表面にまで浮いて来るようになっていた。何とかせねば・・と思いつつも手が回らず、やっとこさ今になって始めたというわけ。
まずはブラシを使っての錆落としからだが、これがなかなか頑固で時間がかかる。午前中いっぱいかかって錆を落とし、午後から錆び止めを塗り明日の上塗りに備えるまではできたが、これは西壁の裾部分に限ってのこと。晩ご飯を食べながら『どうせ塗るんなら西壁全部塗っちまおう』と、心変わりして明日も朝から壁養生に掛かりっきりの予定だ。全部となると上塗りも含め明後日まではかかりそうだな。それでも天気はずっと良いみたいで真夏のような暑さもなく、ペンキ塗りには絶好の日和と言える。

物を持つとどうしてもその維持管理に時間と手間とお金がかかる。できることならすべてを投げ打ちたいが、それも我が身の弱さ故ままならず、あらゆる物に縛られ振り回される。
持つことは失うこと。
つくづくそうだな・・と思いながら、ひたすら錆を落としハケを振るう一日なり。明日もだな。

2009-04-29

妻の怒り


多くの人は知らないことだろうが、日本に住んでいる外国籍の人のほとんどは住民基本台帳に記載されておらず、よって住民票にもその名が載ることは無い。つまり、僕が世帯主として住民票を取ってもそこには妻の名は記載されておらず、僕と子供達の名があるだけだ。個人情報保護法が施行される前は住民票の閲覧が第三者であっても容易にできたので、よく結婚相手を紹介する業者などから『○○さんにぜひご紹介したい方がいるのですが・・』という電話がかかって来たものだ。そういう業者の多くは住民票を見て僕をsingle fatherと思い込み電話して来たのだろう。そこで『残念なことに妻がいるんですよね』と答えると、『そ、それは大変失礼しました!』と言って逃げるように電話を切ったもんだよ。
それもこれも住民票に妻の名が載っていない為に起こること。でもね、戸籍にはちゃんと僕の妻として載ってるんだよね。戸籍に載っているのに住民票には載らないとは不思議な話しじゃないか?日本に住む外国籍の人には外国人登録制度というものがあって、外国人登録証という一見免許証のようなものが渡される。これは常に携帯せねばならぬもので、これがあるから住民基本台帳に記載されなくとも良いと国は考えているようだ。しかし、外国人登録証と住民票ではその信頼度がまったく違う。様々な場面で自らの証明が必要なとき、多くの場合住民票を求められる。それが無いとなるとそこにワンクッションが生じ、住民票があれさえすればスムースに進むこともダメになってしまうことが多々ある。加えて外国人登録制度のことを知っている人も少なく、なぜ住民票が取れないのか理解している人などほとんどいない。

そんな中で『釧路川のクーちゃん』に住民票が発行された。アザラシのゴマちゃんのときもそうだったが、その報道を見て妻は怒り心頭、
『なぜ人間でもなく、納税もしていない「ラッコ」に住民票が発行されて、私たちにはされないのか!』と。
そら怒るわな。日本人と結婚し、子供も2人もうけ、永住許可も取り、はや十年近くも住み、その間ずっと納税していたにも拘らず住民票には載らないのだ。こんな理不尽なことは無い。最近は永住許可を取った外国籍の人を住民票に載せるような動きが出ていると言うが、それもどこまでやるのかまったく不透明だ。こんな状況も知らずに日本は国際化された国だと言う者よ、汝の無知を知れ。

ちなみに妻の場合、日本人と結婚してようが国籍はアメリカのままで日本国籍ではない。その点、勘違いされている方が多い。特に日本やドイツは国籍に関しては非常に厳しく、アメリカのようにその地で生まれたことを優先するのではなく、あくまでも血流を優先させている。為に日系ブラジル人が他国籍(中国人、韓国人を除く)の人と比べやたらと国内に多いのだ。日本人の血が少しでも流れていればその人のスキルに関係なく、ビザなどの発給に対して便宜が図られるいまの仕組みにも疑問を感ぜざるを得ない。

2009-04-28

夕食時の会話


夕食の席で妻が長女に『今日楽しかったことはなんだった?』と質問した。すると長女は『モンキーバー!(雲梯のことだが英語で言うmonkey barsの方がイメージと直結して分かり易い)』と答え、『Daddy、きょう、わたしぜんぶできたよ!』とご機嫌だ。最近長女はこのモンキーバーに凝っていて、ひと月前は2つ3つ進むのがやっとだった。それが連日の鍛錬?の甲斐あって先週末は半分の6つまで進み、今日は一気に全部渡りきったという。妻によるとぶら下がっている時の長女の表情は真剣そのもので、『なにくそっ!』という感じで歯を食いしばりながら成し遂げたらしい。僕も何度か公園に行きそのがんばり様を見ていたので、大いに褒めてあげて明日見に行くことを約束した。

今度は長女が『Daddy、今日楽しかったことはなに?』と聞いて来たが、『うーん・・・』と返答に困ってしまった。仕事へ行き帰って来るというごく平凡な一日で、特別なことは何もなかった。嫌なことも無かったが、『楽しい』と感じるようなことも無かった気がする。たいていはJackieの散歩をする朝のひと時などに『こりゃ、いいな・・』と感じることがあるが、今朝は珍しく散歩の時間を寝過ごしてしまい、庭をゆっくり見て回ることさえできなかった。『そうだな・・、楽しかったと言えば久しぶりにロードスターをオープンにして通勤したことかな』と答えると、妻が苦笑しとったわな。
そう聞かれると寂しい一日であったかもしれないが、山の端に沈む夕日はことのほか美しかったよ。

2009-04-27

冷静な判断?


先の草なぎ君に関するNHKを筆頭にした各局の報道ぶりには、あまりのアホらしさに笑うしかなかったが、今回の豚インフルについてもその報道としての質の低さを露呈し、もはや救いようが無い。そもそも報道である以上それなりの取材が為されてなければならぬはずが、昨今は世界各国のメディアが流した情報をそのまま引用するかたちが多く、たとえば取り上げたそのトピックに関して独自の視点から意見を述べるかと言うとまったくそうではなく、分かりきったことだけを繰り返ししゃべって自己満足してるていたらく、この症状はNHKのニュースウォッチ9に顕著で、見ていて不快感を感じるほどだ。
そして豚インフル報道。見ている人の不安を事実以上に煽る報道を繰り返しながら、最後には『こんなときだからこそ、冷静な判断が求められる』とコメントするその愚かしさ。『いちばん冷静さを失っとるのはお前達報道機関やろが!』と、つっこみたくもなるさね。
いまの報道のスタイルはまるでネットニュースに対抗するかのようにスピードやスクープばかりが求められ、報道の命であるはずの検証や考察がないがしろにされているように思われてならない。『とにかく流しちまえ!』的な事実の検証を伴わない報道のあり方は、流言飛語のたぐいとなんら変わらず、むしろ報道が『うわさ』を広げている状況とも言える。
自己診断機能も麻痺してしまった報道がある時、誤った情報を『事実である』として流し始めたとしたら・・
そんな闇の力をここ最近、感じるのだ

2009-04-26

草薙の報い


一日中降り続いた大雨も夜中には上がり、今朝はすっきりと晴れ雨戸を開けるとそのあまりの眩しさに視界が真っ白になる。しかし穏やかな晴れではなさそうで、庭の木々を見ても外の風の強さがよく分かる。
朝食をさっさと済ませ子供達と外に出ると、空気はひんやりとしておまけに風が猛烈に吹いているのでみるみる体温を奪われ肌寒い。キュウリやトマトの苗を植え付けようと思っていたが、これでは気温が低すぎるし強風で苗が折れてしまいそうだ。そこで植え付けは見送り堤防と隣の空き地の草を刈ることにした。先日の草刈り後にエンジンオイルを交換したので心なしかエンジンの回りも良く、テンポよく草を薙ぎ倒してゆく。さすがに腰高にまで伸びた雑草は刃に絡まりリズムを乱すが、それでもなんのその力強くどんどん進む。
毎回草刈り機を使う度に思うが、鎌を使って手作業で刈り取ることと比べたら、草刈り機の効率は何十倍といったところだろう。道理で近所では一家に一台草刈り機となるわけだ。僕もここに住む以上草刈り機はもはや手放せないモノとなっている。
1時間近くそこら中を薙ぎ払って一段落し、次にアベマキの苗木を大きめのポットに移す作業をしていたら、膝を何かに刺されたような痛みが走った。『なんだ?』とズボンをまくり見てみると確かにさされたような痕があり、腫れ始めている。以前はこんなようにしてハチに刺されたこともあったが、今回は違うようだ。そのままほかっといたら身体のあちこちからチクチクとした痛みを感じるようになった。
まだ大丈夫だと油断していたのがいけなかったようだ。暖かい時期に草刈りをすると、何者か分からないが(たぶんダニだと思う)目に見えないものが足から身体に這い上がって来て、体中を今回のようにチクチクと刺すのだ。それは大して痛くないが刺されたところが小さく赤く腫れいつまでたっても痒い。そこで虫除けを足首に満遍なく塗って作業するが、今回はそれをしなかったためまんまと敵の侵入を許してしまった。とはいえ、乱暴な草刈り機で多くの命をバッサバッサと薙ぎ払ってゆくことの報いと思えば、これしきのことは当然だろう。

2009-04-25

こんな雨の日は・・


いまは激しかった雨も止んでいるようだ。それにしてもよく降ったね。おかげで買物に行っても全身ずぶ濡れだ。
雨の中、庭に出て野菜や木々の様子を見て回ると、どれも瑞々しい新緑を放ち実にうれしそうに見える。新芽や若葉は大粒の水滴で包まれ、重たそうに頭をもたげているものもある。これで陽が出れば『よっしゃっー!』と爆発的に成長するのだろう。たのもしいね。

僕はイスラム教徒ではないが、こんな雨の日はなんとなく透き通るような声のアザーンを聞きたくなって、iTunesを立ち上げる。スピーカーから流れるアザーンを聞くと、その意味をよく理解してもいないのに何故か心は落ち着き、ピンと張った何かを感じることができる。それまで外に向いていた意識は内を目指し、記憶の中の風景と結び付くことでほとばしるような、こみ上げるような感慨をもたらしてくれる。
僕の意識は一瞬にしてトルコやシリア、エジプトの街へ飛び、かつて自分の見た風景がYouTubeのように再生されてゆく。
『そうだな、今日はトラブゾンだな・・』と、トルコ東北部の黒海に面した港町のことを思い出しながら席を立ち、強い雨脚によって水嵩を増しつつある川の様子を2階の窓から眺めつつ、心の中ではまだアザーンの旋律が流れているのだった・・

2009-04-24

『ちびっ子』を見に動物園へ


長女の通う幼稚園の遠足は東山動物園ということで、妻は長女と一緒に幼稚園の仕立てたバスに乗っていざ目的地へ。そして僕と次女は現地で落ち合うべく別動部隊としてほぼ同時刻にプレマシーで出発する。もちろん一緒にバスに乗って行くことも可能だったが、このバス代が高いんだよね。それならばプレマシーで行けば安く上がるうえ、帰りは家族と一緒に帰ってもよいということなのでゆっくり園内を回ることができる。そうでないと到着が11時半近くで、帰りの集合時間が1時45分というスケジュールでは昼食の時間を考えるとかなりタイトで、とても動物園を楽しむ時間など無い。

妻と長女の乗るバスより一足先に到着し入園すると、驚いたことに園内どこもかしこもちびっ子だらけ。確かに外で駐車待ちをしていた観光バスの列も何十台とあったので、ひょっとするとそのほとんどすべてが各地から押し寄せた園児達だったのかもしれない。そんな子供達であふれかえる中を右往左往して、やっとこさアフリカ象の前で妻と長女と落ち合うことができました。そこで昼食をとり同じ園の子らと歩いていると、妻に声を掛けて来る人がいてなんと、妻の英語クラスの生徒と親さんだった。聞けばその子の園もウチと同じく遠足なのだそうだ。長女とその子は小さいときから仲が良いので、お互い違う制服を着て手を繋いで歩いてゆく。そうしていると今度は妻が白人の女性を見つけ走り寄ってゆくではないか!相手も驚いてどうしたの?と聞いている風だ。どうやら今度は妻が入っている『外国人の奥さんグループ』のメンバーだそうで、インターナショナルスクールもこれまた遠足なのだそうだ。そんなこんなで動物園に来ているのに近所の人も含めいろんな人と出会ってしまってなんとも不思議な感じだ。

集合時間が近づいて来ると、潮が引くように子供達がサーッといなくなり、さっきまでの喧噪が嘘のよう。おそらく帰りは帰りでこれまたバスに乗ってから出発するまでにかなり待たされることだろう。そうなるとマイカーはありがたい。時間に追われること無くゆっくりと動物達を見て回り、モノレールにも乗って余裕綽々。結局園を出たのは3時過ぎで、実に久しぶりの動物園を堪能することができました。その分疲れたけど・・

2009-04-23

薩った峠


日差しいっぱいの東海道をひたすら東へ走り、清水市の現場を目指す。高速脇の山々は新緑に映え、所々に白いものも見える。おそらくはヤマボウシの花だろう。我が庭のヤマボウシはそんな素振りも見せていないから、よほどこの辺りはウチと比べ暖かいらしい。確かに空は開け、日差しは明るく、山々は常緑樹で覆われている。あちこちに散見する茶畑も薄黄緑色に輝き、ただでさえ明るい風景をさらに引き立てている。
この地の大学に通っていた同僚U氏の案内で富士山を望む景勝地『薩った峠』を訪れ、富士山は雲に隠れ頂上が僅かにのぞいただけだが暫しその風景に酔いしれ時を忘れる。思えばこんなにゆったりと駿河湾を望むのは始めてのことだ。そのまま視線を南の方に移すと駿河湾を挟んで山並みが見える。そうか、あれが伊豆半島なんだ・・この地の人にすればあたり前のことも、僕にとってはすべてが新鮮でその一つ一つを楽しめる。また機会があれば来てみたい所だと思いつつ現場に戻り作業開始。
ひと通りの仕事を終え帰路に着く。さすがに事務所から現場まで往復400km超の移動はキツいが、まだ訪れたことのない地に行けるのは仕事とはいえ楽しみなこと。さて、次はどこだろう?

2009-04-22

天敵出現!


帰宅直後のこと、トイレに入り何気なく床を見ると何やら黒いものがある。このとき外はまだ明るさがわずかに残っており、電気を付けずに入っていたので『そのモノ』が何であるかすぐには分からなかった。子供達が庭からいろんなものを拾って来ては家のあちこちに放置しているので、始めは木の枝か何かだと思っていた。しかし何やら本能的にイヤな予感がしたのでじっくり見てみると!!!そのタイミングで長女がトイレに入って来ようとしたので、それを制止して電気をつけると果たして地を這う最強の天敵の大ムカデだった!
大きさは10cm超級で体躯の色艶良く毒も相当強そうに見える。急いで台所へ行き箸と空き瓶を取って来ると、コヤツをひょいと掴んで瓶に監禁し、子供達の前に置いて『この虫を見つけても絶対に触っちゃいかん。刺されると痛くて泣いてまうよ』と教えると、神妙な顔つきで頷いていた。
さて、その大ムカデは残虐ではあるが五右衛門風に釜茹での刑に処してオサラバし、取りあえず事なきを得たもののいつなんどき再来襲して来るか分からず油断禁物だ。これまで家の中ではこんな大物が現れたことはなかったので、今回の衝撃はかなりのものだ。寝ている時に寝床を這っていたら・・と考えると身の毛がよだつ。実際そうして刺されたこともあるしね。
とにかく夏が着実に近づいていることを虫たちは教えてくれているのだろう。

2009-04-21

unicefへの疑問


unicefから『ユニセフ・カードとギフト春夏号2009』と題されたダイレクトメールが送られて来た。だいたいこんなタイミングで年に数回案内が送られて来るが、その度にユニセフに対する疑問が湧いて来る。そもそもこんなダイレクトメールをよこせと言ったことなど一度も無いし、登録したことも無い。以前はよく寄付をしたり、ユニセフカードやギフトを買ったりしたものだから、お得意様もしくはカモと見なされて送られて来るのだろう。しかし毎回思うのは、こんなダイレクトメールを送ったりする広告費用に年間一体いくら費やしているのだろう?ということだ。
ダイレクトメールが欲しいという人に送るのはまだしも、僕のように欲していない者に送ってもそのままゴミ箱行きになるだけで資源の無駄遣いでもあるし、何より貴重な寄付金を捨てているようなものだ。その分のお金がどれくらいになるかは知らないが、ユニセフである以上もっと子供達の救済にあてるべきではないのか?と常々思っている。
ユニセフに対しては先のブッシュ政権によるイラク戦争の際、積極的な反戦運動や意見もせず、徹底的に街が破壊され多くの子供達が殺されてから『支援の手を!』と平々凡々ダイレクトメールを送って来たことに怒りと失望を感じ、以来関わらないようにしている。それはパレスチナ・ガザ地区にてイスラエルが行なったジュノサイドでも同じで、ユニセフには本気で子供達を助ける気などないのではないか?という疑念を感ぜずにはいられない。

いわゆる『ブランド』のようなかたちでお墨付きを与えられて来たユニセフも、こんな調子で行けば益々信頼を失うばかりか、その存在意義さえ問われかねない。世界各地で大小様々なNGOなどの民間団体が、より局所的かつ効果的な支援を進めている現在において、もはやユニセフを頼る・支援する必要性は感じられない。それよりも国境なき医師団や、日本のペシャワール会のような組織を支援する方が顔も見え、確実に子供達を救えるような気がしてならない。

2009-04-20

水と油


今朝、いつものようにJackieを連れて堤防を歩いていると、『なんか違うな・・』という違和感を感じ、ふといつも見ている川面に目を移すと心なしか白濁しているように見える。さらによく見ると川漁師が魚を捕る仕掛けを沈めた場所に、目印として立ててある竹の棒のまわりが変色しているようだ。『もしや!』と水面全体を観察できる橋の上まで移動して覗き込んでいると、悪い予感が的中して川全体の表層を油が覆うように流れていた・・。『マジかよ・・』としばらく川を遡るもやはり川全体に油の被害は広がっているようだった。その水面を水鳥はいつもと変わらず泳ぎ回り、鯉も何喰わぬ顔で水を濁していた。魚が浮いてないだけましか、と思いながら急いでJackieの散歩を切り上げ帰宅するとすぐに110番して事の状況を警察に報告しておいた。
本来なら市の環境整備課などに連絡すべきだろうがまだ7時前で役所も開いておらず、開くまで待っていると被害が広がると思い警察に連絡したのだ。警察は『現場を見に行かせます』との対応で、僕はそのまま朝飯を食べて仕事へ向かうことにした。
帰宅後に妻から聞いた所によると再び警察から電話がかかって来て、もう一度状況の説明を求められたという。そのあとで市の担当課へは連絡しておいたとの報告を受けた。

今回の油流出がその後どうなったかはわからない。原因の特定も行なわれたかどうか不明だ。
明日はまとまった雨の予報。回収できぬ油ならばせめて大雨で希釈される事を願うばかり。

2009-04-19

手間


週末にすっきりと晴れた日が続くと、いろいろな仕事がはかどって実に都合が良い。日差しは強く日中は半袖で十分なほど暖かいが、湿気はなくさらりとした陽気。一年中こんな天気だったらな・・と、思うのも道理。でも実際そうなったら狂気じみた暑さの夏や、辺り一面を真っ白に染める雪景色などを恋しく思うのだろうな。

午前中、夏野菜を植え付ける準備のため畑を再度耕し、これで準備完了。次の週末に植え付ければいよいよ夏野菜シーズンの始まりとなる。心配事もいろいろ増え、手入れに手間がかかるが、それを楽しいと感じる人には至福のひと時でもある。天候が安定し台風の直撃などが無いことを祈るばかりなり。
午後からは妻の草刈り要請を受けて、堤防法面の早くも腰高近くまで伸びた草を薙ぎ払う。法面には水仙始めブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリー、ムクゲ、アベマキなど様々な植物を移植しているが、そのすべてが雑草群に呑み込まれ目印のために立てておいた竹が無ければその所在さえおぼつかない。目印に注意しながら雑草だけを刈ってゆくのもひと苦労。でも何とか指定区域の草刈りをやり終えひと安心。いやーそれにしてもすごい草だった。これで毎日雨が降るような天気になったらたちまち雑草が勢いを盛り返し、あっと言う間に木々は埋もれてしまうだろう。
何にせよ手間をかけることだな。

2009-04-18

家庭菜園の広がり


先週取り付けたETC車載器の正常動作を確認するため、次女を乗せてドキドキしながらゲートに突入すると、まあ当然かもしれないがちゃんとバーが上がってくれました。車載器のLEDランプで動作状況が確認できるのでバーが上がると分かっていても、やはり自分で取り付けたことなどもあり『大丈夫かな?』と不安でいっぱいなのだ。でも一度通ってしまえば怖いものなし。そんな油断があるからゲートを突き破ったりするんだろうけど・・
一区間だけ乗った下りの高速は『どこまで行っても千円』制度の影響か、週末の朝10時前だというのにかなりの混み様を呈し80kmほどのだらだら運転が続く。プレマシーのエンジンをたまには回してやらねばと意気込んでいたのもまったくの空振りに終わり、悶々としながら一区間150円分を走り終えたのだった。


ETCゲートの無事通過確認が取れた後はいつものように食品の買い出しに向かう。いつも行く店は何でも置いてある便利な所で、最近は野菜苗の陳列量が日増しに増えて来ている。値段も1ポット68円とリーズナブルでついつい買ってしまいそうになる品揃えだ。その中でピーマンは我が家で苗を育ててなかったのでカラーピーマンと会わせて4本購入しさっそく植え付け完了。
しかしここ最近、野菜苗を買う人が多くなっているよな気がするが気のせいだろうか?いつぞやTVでも家庭菜園を始める人が増えているとやっていたが、実際に野菜苗を買う客の多くが主にプランターでの栽培用だろうか?各野菜の苗を2〜3本ずつ購入する姿がよく見られ、それが面白いことに主婦と思しき人に多いのだ。確実に家庭菜園人口が増えているのは間違いないことだろう。でもそれは何故か?単に物価が上がったためという人が圧倒的に多いだろうが、それだけではないと僕は思っている。

2009-04-17

焼き魚の香り漂う春の夕暮れ


引き続きCADを駆使して編集を重ね、煮詰まった所で印刷をかけるも所々にミスが見つかり修正して印刷、そしてまたミスの発見の繰り返し。これじゃーちっとも前に進まず困ったもの、それでも辛抱強く何度も繰り返すとそれなりのものができて来た。あとはコイツを最終校正に回し、いよいよ製本だ。ようやっと先が見えて来た感がする。あとひと踏ん張りで納品までには何とかなりそうだ。

CAD疲れして集中力を欠いたまま運転していると、普段なら間違えようの無いミスをして運転もままならない。ギアチェンジの時など入れるギアを間違えるどころか、自分がどこにギアを入れたのかさえ分からぬ始末。それほどまでに精神的に疲れているということだな。
そんな散漫なる運転をしながら赤信号の列に並んでいると、全開にした窓よりかすかだが魚を焼く匂いが漂って来た。クンクンしながら辺りを見回すも住宅地までは結構距離がある。『そこから漂って来たんだろうか?』と不思議に思いながらなおもその匂いを吟味し、何の魚を焼いているのか特定しようと試みるも匂いが薄過ぎて分からなかった・・
毎日通る道でのちょっとした出来事で、疲れた車内の空気は情緒に包まれ、僕が子供の頃にいつも外に出した七輪で鯖の切り身を焼いていた裏の祖母を思い出すのだった。

2009-04-16

CADCADな日


いま抱えている物件の納期も迫り、朝から晩までぶっ通しでCADを駆使する作業が続く。ために一日中座りっ放しの時間が長く、朝出社して帰宅するまでの間に立っている時間は合計しても15分にも満たないんじゃないだろうか?動くといっても椅子の上で『あーっ』と言って伸びをしたり、トイレに行ったり、お茶を汲みに行ったりすることくらい、こんなんじゃ身体もなまって、運動不足になること間違いなしだ。ずっと液晶画面を眺め、それに加えて動かないとなると、これ以上身体に悪いことはないんじゃないか?とさえ思えて来る。自分自身が室内でじっとしているのが嫌な質なので余計そう感じるのだと思う。反対に外仕事が苦手な人にとっては僕とまったく逆の感じ方をするんだろうな・・。とまれ、画面ばかりを見ていると自然と背骨が曲がって来て猫背となり、目も激しく消耗する。僕は今のところ視力は良いが、こんなことを続けていたらじきに悪くなって来るだろう。早くこの仕事に片をつけ、現場に戻りたいものだな。

2009-04-15

蒼天に想ふ


昨日の大雨で空気中に漂っていた一切合切のものが洗い流され、実に清々しく気持ちが良い朝だ。雲間から差し込む朝日に照らされた山の端は、アンシャープマスクをかけたかのようにはっきりと見え、手が届きそうなくらいすぐ近くに見える。雨ばかりだと気が滅入ってしまうが、お天気続きに降る雨はかえって気を清めてくれるようだ。
そんな気持ちの良い空気の中を太陽に向かって車を走らせていると、まわりの風景は先日までとは打って変わってきらきらと光り輝き、さらに朝の清々しさを引き立ててくれる。よくしたもので昨日の大雨を見越して田んぼという田んぼが水を引き始め、一晩にして湖のような光景にと様変わりしていたのだ。強い風に水面をなぶられ、朝の光をいっぱいに受けて輝く水田の様子もまた風流。こんな何気ない一幕が僕を喜ばせ、楽しませる。

僕はカメラ小僧ではないが、写真を撮るのが好きだ。カメラなんて何でもいい、だが広角が好きだな。
写真を撮ること、それは見ること、感じること。カメラを持つことで見ることが始まり、見たことについて感じ、考えることが始まる。カメラなんてただの機械さ、あくまでも見ることの媒体でしかない。しかし写真は違う、写真には撮った者の心が写り込む。

写真を撮ること、それは自分を見つめることでもあるのだ。

2009-04-14

慈雨


久しぶりの雨で『こりゃー、ありがたい』と思っていたら、ものすごい降り様だったね。昨今の天気はどうも二極化しつつあるように感じるがどうだろう?
とまれ、乾ききった大地には恵みの雨だったのは間違いない。春のこの時期すべての植物は盛んに活動を始め、我先にと成長してゆく。あれだけ乾いた状態でも驚くほどの早さで葉を広げ、蔓を伸ばすのだから、この雨後の爆発的な成長は推して知るべし。明日の朝が楽しみでもある。
そういえば今朝Jackieの散歩の際、いつものように堤防を歩いていたら地面からニョキニョキヒョロヒョロと伸びているものが目についた。よく見るとスギナ・ススキと同格の我が宿敵である葛の芽ではないか!しかもすでに50cm以上にもなっている。おのれ!と、辺りをよく見回してみるとあっちにもこっちにも至る所から顔を出しているじゃん。これだとすぐにでも草刈り機の投入が必要になって来る。放置しておけば僕が植えたアベマキやムクゲはあっという間に葛に取り込まれ枯れてしまうだろう。おそらく3年ほどマメに伐採を繰り返せば、さすがの葛も勢いを失うに違いない。そうあって欲しい。

2009-04-13

混迷


約ひと月間の滞在を終え、友人が渦中のバンコクより帰国した。
このタイミングでの帰国はある意味うまいこと混乱を避けることができたとも言えるが、友人によると赤い服で統一されたデモ隊の様子を見届けたかったという思いもあったようだ。いずれにせよ奥方が未だ滞在中ということなので、これ以上の状況悪化は避けたい所だが一体どうなることやら・・
この混乱の様子はメディアが伝える映像の範囲で見る限り、タイ独特のものであるなと感じる。それは先の反タクシン派の黄色いグループが行なった国際空港占拠事件の時にも思ったが、今回のデモ隊の行動及びそれに対する政府の対応には驚きを禁じ得ない。だって、ASEANの会場に乱入してぶっ壊すわ、自国の首相が乗った車を場外乱闘風にパイプ椅子で殴りつけるわ、そこら辺の鉢植えを植木鉢ごと投げつけるわとやりたい放題。しかも首相をガードすべきSPは僅か数人で群衆を実力阻止するでもなく、『やめて下さい!』と防戦一方の様子。それを見ていた妻が『アメリカやったらあり得ん』と驚いておったわな。そりゃこれがアメリカやったらとっくの昔に何十人と射殺されとるやろ。這々の体で逃れた首相は非常事態宣言を出し、今日になってデモ隊に向け威嚇発砲を行ない実力行使に出始めた様子だが、その軍の動きにしても明らかにためらいを持って行動しているのがよく分かる。この点では中国の人民解放軍とはまったく違うな。
タイを例える言葉に必ず出て来るのが『微笑みの国』という言葉だが、流血を極度に嫌う国民性は、寛容さや柔和さを生み、今回のような暴力を伴ったデモ行動が如何に異常な状況であるかをよく映し出している。今回の件に関しては当のタイ人がいちばん戸惑ってしまっているのではないかと僕は思うのだ。軍事クーデターで首相の座を追われ、亡命後身を隠し陰りの見えていたタクシンがにわかに元気を取り戻し、国外から盛んに群衆を扇動しているようだ。国を黄色と赤色に二分する一連の騒動がどこに着地するのか?今の状況ではまったく分からない。これ以上の混乱は主幹産業である観光に大きなダメージを与え、ひいては国民すべてが被害者になる。ごく一部の権欲者らはそれも計算ずくでさらに混乱に拍車をかけ乗じようとするだろう。それを押さえるのは軍だろうか?それともプミポン国王だろうか?
人々の心から怒りや不満が消え、もとのような微笑みが戻るのはいつになるのだろう。

2009-04-12

葉桜のころ


ここのところの初夏を思わせる陽気で一気に桜の花も散り始め、今日が花見の最後のチャンスとばかり近所の桜並木まで足を伸ばす。毎年花見に出かける所は堤防の桜並木を望める神社の境内と決まっていて、そこのソメイヨシノの下にシートを広げ、たまたま遊びに来ていた親父殿も参加して皆でにぎやかに弁当を食べる。
肝心の桜は盛りを過ぎて葉桜のころ。しかし僕は満開の桜より葉桜の方が好きだし、弁当に散り入る花びらもまた風流なもの。そしてこの場から眺める堤防の桜並木の織りなす様は息を呑む美しさだ。
弁当を食べながら風を感じふと視線を遠くに移す、するとまるで雪が降るかのようにサーッと一斉に花びらが散ってゆく・・心揺さぶられる光景だ。


花見を終えたあとはひたすら畑の人となり、せっせせっせとあれやこれやを片付ける。なぜか親父殿が『庭に植えよ』と買って来た『皇帝ダリヤ』を植え付け、妻の育てたレタス苗用の畝を拵え、堅くなってしまったネギを引き抜いてキュウリ植え付けのための下準備をしたりと、どんだけでもやることがあり忙しいのなんのって。そうそう、今夏はカボチャ大作戦を敢行する予定で、堤防や河川敷をカボチャだらけにしてやろうという魂胆なのだ。妻はすでにお化けカボチャの種を植えおわり発芽を待つのみ、そこで思い出したのが昨年PANALI氏より頂いた『謎カボチャ』から取り出しとっておいた種。これを河川敷の柳の木に上らせてやろうと取りあえず10ポット分仕込み完了。この『謎カボチャ』かなりの増殖率と聞き及んでいるので、これならば河川敷を荒らすススキや葛に対抗できるかも?と、大いに期待するなり。しかしかえって制御不能に陥ったりして・・

2009-04-11

続ETC取り付け作戦



先週タイムアウトとなり、中途半端で終わっていたETC車載器の取り付け作業を続行する。それにしても何という陽気だろう、おかげで車内温度が高く半袖Tシャツでも大汗をかいての作業。まずは先週配線したものの無反応だった原因を再び考え、もう一度しつこくテスターで通電テストを行なう。問題なく通電しているようなのでETC本体を接続するが、やはりダメだ。理屈的には何の問題も無いはずなのに作動しない。しかし動かぬものは動かぬので、ここは未練をかなぐり捨て次の作業へと取りかかる。
まずは配線をすべて取り外しバッテリーと直結し、ETC本体の故障の有無を調べる。バッテリーのターミナルに繋げてみると『ETCカードが挿入されていません』と、正常に作動する。この結果から先の配線は常時電源取り出しに問題があったようだ。それでも12Vちゃんと流れていたのに・・と納得がいかんが先へ進もう。
そもそもETC本体の電源はオーディオなどに接続するACC電源から取るのが王道だ。しかしそこから取るためにはフロントパネルをバラしてオーディオを引き出し配線せねばならず、少々めんどくさい。そこで簡単に済まそうとしたもんだから問題が起きたのだ。なので今回はマニュアル通りにACC電源から取ることにしてフロントパネルをバラす。これが思っていたよりも楽ちんで10分ほどでバラバラにしてオーディオを引き出し、カプラーの配線をテスターにて確認して取りあえず接続完了。『さあて、動くかな・・』とキーを回すと、何ともあっさりと作動してくれました。なんか今まですったもんだしていたのがアホらしくなったな。さあ、動くと分かったら配線だ。それもちょちょっとやってハイお終い。今日の作業は額に汗しながら1時間ほどで完了。あとは実際にゲート通過テストをするだけだ。これがいちばんドキドキするんだよな・・

2009-04-10

いざ、木を植えん


25℃を越える連日の陽気のおかげで野菜の苗や木々の成長もグンと勢いづき、頼もしい限り。一方で雑草の成長もとてつもなく早く、GW頃にはさっそく草刈り機を動員せねばならなくなるだろう。
昨年の夏から秋にかけて各地の現場で採集して来た木々の苗は、僕の予想を大きく裏切って実に90%近くの定着率を見せ、枯れるどころか新芽をモリモリと出して更なる成長を遂げようと頑張っている。それはそれでうれしいものの、僕としては多くが枯れてしまうとの読みで、かなり密に植えてしまったものだから、さあ大変だ。わずか5mほどの畝にイロハモミジが20本近くあり、その他枇杷だのモチノキだの樟だの欅だのと、すべてが一緒くたに植えてある。このすべてが生き残るとは思わないが仮にそのうちの2〜3本が成長したとしたら、我が家の南面の視界を遮るほどの大木になること間違いなし。そうなるには少なくとも20年以上はかかるとしても、その頃はまだこの家のローンを返済しきれていないだろうから、その成長を見届けることはできるはずだ。しかし、どうするかな?大きくなってももはや我が敷地内に植えるスペースもなし、かといって捨ててしまうわけにもいかず、こうなったら河川敷に全部植え替えてやろうかと思案中。街中の河川敷に突如雑木林が出現するのもなかなか良いとは思いませんか?ただし、河川を管理する県に伐採される恐れもあり、この辺りは県の出方を見極める必要が出て来るな。

2009-04-09

長女の不満


今日4月9日は子宮の日。そして僕ら夫婦の結婚記念日でもあるがそんなことは置いといて、今日から新年度の幼稚園が始まり、早いもので長女も年中さんになりました。
進級とともにクラス替えも行なわれ、どのクラスになるのかは春休み前から分かっていたものの、誰が同じクラスになるのかは今日始めて知った次第。驚いたことに近所に住む友達ら8人もが同じクラスということもあり長女も少し昂奮していたが、お母さんたちの間では問題児と評判の子が2人も同じクラスになったので、なかなかショックが大きかったと言う。何がそんなに問題なのか?と問えば、どうやらすぐに手を出したり、押したりと暴力傾向が強いということらしい。ではその子らをまとめる担任は誰になったかというと、年少さんの時と同じO先生だった。僕達にとってOさんはこの幼稚園の中でも特にいい先生だと思っている人なので『こりゃ、ラッキーだ!』と喜んでいたら、長女の様子がちょっとおかしい。そこで『O先生で良かったね。どう、うれしい?』と聞くと、ちょっともじもじしてから『がっかりした』と言う。意外に思い『なんで?』と聞くと、『O先生のこと大好きだから絶対に言っちゃいかん』と約束させられた上で、長女が言う所ではこうだ。
本人はどうやら年中さんになるということを、とても大きなステップアップだと捉えていたらしい。それが新しいクラスに入ると8人も年少さんの時と同じメンバーで、しかも担任の先生までもが同じとなり、長女にすると『これじゃあ、年少さんの時と同じやんか』と感じてしまったらしい。それは自分が大きく成長したんだと自負したい長女にとっては、ある意味期待はずれな結果になってしまったということかな。

そんながっかりする長女の姿がいじらしく、またOさんに気を使う優しさからも『この子は僕達の知っている以上に成長しているんだ・・』と目を細める親ばかなり。

2009-04-08

痕跡


いつものように子供達を風呂に入れていると、長女が僕の背中を指して『Daddy,scratchした?』と聞く。引っ掻いた憶えが無いので『してないよ』と答えると、『でも痕ついとるよ』と言う。そのまま気にせず湯船で大暴れして、のぼせ気味で風呂を出ると、今度は次女までもが僕の背中を指して『Daddy,見て、怪我しとる』と言うじゃないか。見ろと言われても自分の背中を見ることはできないので妻に聞くと、『何その痕!』と妻までもが驚く始末。そうなると気になって仕方がないので、『どんな痕?』と聞いても『説明できんから写真撮る』と、我が背中を接写されました。
さて、その写真を見ると実に不思議な痕だ。そんな痕がつくようなことに心当たりは無いし、その痕を触っても痛くもない。何かの動物に引っ掻かれたような痕にも見えるが、ウチの猫に襲われた憶えも無い。思い出せない分気味が悪いが、自分から見えないのですぐに忘れてしまうだろう。写真を見る前は『ひょっとして帯状疱疹か?』とも思ったが、これは関係ないね。それにしても一体何なんだろう?なんだか子供の手の痕に見えなくもないが・・

2009-04-07

水面を騒がすものたち


毎朝我が家の前を流れる川の様子を見るのが日課となっている。冬の零下に冷え込むような朝は川面より盛んに水蒸気が立ち上り、朝日を背景に見るその様は何とも幻想的で、僕の好きな風景の一つでもある。
川面を眺めながらJackieを連れて歩いていると、小雨のため水深20cmほどに水位の下がった川の中を、おびただしい数の真鯉があちこちで川面を乱しながらバシャバシャと活発に動き回っている。何をしているのか?と、しばらく橋の上から観察していると、どうやらメスが水草に産卵をしているようなのだ。その卵に精子をかけ子孫を残すべく、オスどもが我先にと争ってこんな騒ぎになっているらしい。一匹のメスを数匹のオスが必死に追いすがる様子は滑稽でもあり、鬼気迫るのもがある。我々人間が満開の桜を楽しんでいる裏ではこんな激しい『生』の争いが繰り広げられているんだね。

子孫を残すという目的に向けて『生』を全うしようとする多くの生き物に比べ、なんと人間の『生』の複雑なことよ。その複雑さこそが人である所以と言えなくもないが、その複雑さゆえ『生きる』ことの意味を見失ってしまう者も多い。それでも生きてゆかねばならぬのにだ・・

2009-04-06

春一景


寒気が去り暖かな春の日差しに包まれた朝、通勤する道すがら光るようなピカピカの服を着て、母親に手を引かれ入学式へ向かう新小学一年生の姿が多く見かけられた。僕の幼き頃のかすかな記憶には、同じく母親に手を引かれ小学校の体育館へ向かう時のものがあるが、このとき自分が白いタイツを履いていたことと、歩いている歩道が暗渠にコンクリートの板で蓋をしたもので、歩く度にガタゴトと音を立てていたことをこの部分だけ奇妙なほどはっきりと憶えている。
親に連れ添われている新小学生を見ながら、僕ももうじき子供の手を引いて入学式へ臨むことになるんだな・・と変に感慨深気になってしまったがそれほど子供達の成長は早く、やはりそれについてゆけない親の戸惑いを、どこかでずっと感じ続けているからなのかもしれない。

こんな桜満開の春の陽気なのに、一日中CADの画面とにらめっことはね・・やってらんねーや。

2009-04-05

清明はロケット日和


北朝鮮のロケットが我が邦の遥か上空を横切ったとき、僕はプレマシーにETC車載器を取り付けるべく、テスター片手にあちこちのハーネスを調べ、どうやって配線しようか?と頭を悩ましていた。今日はお天気も良く、いずれ打ち上げるだろうと思っていたので驚きもしなかったが、唐突に有線放送で『北朝鮮が先ほど飛翔体を発射したが、この市への影響はありません』と流れたのには意表を突かれ、呆れたね。まるで空襲警報のようじゃないか?影響無いなら黙っておけばいいものを、余計に人々の不安を煽り異常な雰囲気にさせている。

そんな放送のことも、実際に打ち上げられたロケットのことも昼メシを食ったら忘れてしまい、またぞろプレマシーに潜り込んで配線の続きをする。あらかたの目処がついたので車載器を接続し通電テストしたが、『ん?・・・・』なんも反応せん・・。もう一度配線を見直しキーを回すも無反応。『う〜ん、なんで?』原因が分からずテスターで通電確認するも車載器側のコネクターまではちゃんと12V電源が来ている。ならばアースを疑うが、これもちゃんとアースポイントに共締めされており問題はなさそうだ。ここで畑仕事の時間となりいったんタイムアウトとなってしまった。それにしても何でだろ?ロードスターに取り付けた時はいとも簡単に起動したのに、今回はちょっと原因が分からない。考えられる点は常時電源の取り出しミスか、アースがちゃんと取れていないこと、それにETC車載器の故障だ。常時電源についてはACC電源と同じく先ほどした通電テストでは問題無いので大丈夫だろう。アースは違う場所で試していないのでこれが原因かもしれない。車載器の故障も考えれるが、セットアップ済みで来たヤツなので可能性は低いだろう。とにかく配線前に直接バッテリーと接続して動作確認すべきだったと今更ながらに思うが仕方が無い。次の週末にもう一度始めに戻ってやり直しだな。これも勉強と思えば楽しいものさね。

2009-04-04

gap


いつものように次女と一緒に買物に出ると、揖斐川の堤防沿いにたくさんの人が歩いている。みなが作業服を着て袋を持って歩いてはいるが、つくし穫りではないようだ。道路沿いに何本か立ててある旗を見ると『クリーンアップ・・』と見えるので皆に呼びかけて一斉にゴミ集めをしているらしい。それにしても堤防の斜面から河川敷に至る広大な面積に隈無く人が見えるので、相当な人手でのゴミ集めだな。
自分も家の前の河川敷のゴミをたまに拾いはするが、やり始めるとゴミ袋2〜3袋分はすぐに集まってしまう。一時的にはゴミ拾いをした部分だけきれいにはなるが、大雨でも降ろうものなら上流から膨大な量のゴミが流れて来て、元の状態かそれ以上にひどい有様になる。いくらきばってゴミを拾おうが、捨てる者あればゴミは尽きず、また拾う者あっても拾う量には限界があり、これはイタチごっこと言うよりすでにイタチに噛み付かれているのでは?と呆然とすることもしばしばだ。この終わりなき闘い?を放擲するのは簡単でも、やはり僕たちはゴミを拾わずには居られず、ここにいる限り永遠とゴミを拾い続けることになるのだろう。それが僕の存在価値の一つでもあろうから。

人々がゴミを拾う姿を見ながらふと思うのだ。いまここに、こういう人々の営みがある。その一方ではロケットが発射されただの、誤報だのとワイワイ騒いでいる。高度に情報化された現代に於いては皆が情報を共有することが必須のように考えられているが、地域限定的に言えばロケットが発射されようが、迎撃しようがしまいがそんなことはどうでもいいことなのだ。人々の日々の生活にはロケットなぞまったく必要なく関係がないことだ。これはもちろん北朝鮮の一般市民にとっても同じこと。なのになぜこんなにワイワイと騒ぎ立てるのか?いっそのこと皆で総スカンを喰らわせればいいんじゃないか?『んなこたぁー、どうでもいいんだよ』とね。
あまりにも今回のロケット騒ぎが普段の生活とかけ離れているので、大きな違和感を感ぜずにはいられない。まるで3流映画のような出来事が現実のことなのだから、かえって恐ろしいのだ。

2009-04-03

展望


歓送迎会の季節、各所では新入社員らしい姿が多く見られ、こぞって居酒屋などに吸い込まれてゆく。その例に漏れず我が支店でも歓送迎会が行われ、30名近い人が参加し実に賑やかだった。一時は大変暗い雰囲気に陥っていた支店の様子も、昨年度をなんとか乗り切ったことで大分明るさを増し、このような飲み会の場を重ねる度に『良くなって来ているなあ』と実感できる。だからといって何かが大きく変わったかと言えば特にそうでもない。ただ、皆の意識が少しずつ変わって来ているのは確かだろう。

多くの企業ではこの大不況で仕事が激減しているというのに、予測では今年度も仕事はたくさんあるという。どの仕事を取るかはその時になってみないと分からないが、4月下旬から徐々に決まって来るだろう。そうなれば物事は一気に動き出し、その勢いに乗って今年度を走りきることになる。一抹の不安と期待を胸にして・・

2009-04-02

変遷


妻がガーデニングブログを始め、それにはまっているようだ。きっかけは単純なことで、どんな野菜や花のタネをいつ播いたのか?を記録として残しておきたかったためだ。人の記憶なんてあてにならぬもので、何かに記録として残しておかねば到底思い出せず、昨年の失敗を繰り返しかねない。特に野菜に関しては前回うまくいったものと同じ品種を選びたいと思っても、その品種が無数にありタネの袋を残しておかなかったら分からなくなってしまう。確かにそういうことを管理するならブログは最適だと言える。

そんな経緯でスタートしたガーデニングブログもやり始めたら止まらなくなったようで、現在工事中ながら妻の目標はこの家を購入してからの庭の変遷を撮り溜めてある写真からピックアップして並べてやろうというもの。確かに見てみると始めと比べ驚くほど変わっているのがよく分かる。すでに今の庭があたり前の状態になっている僕らにとっては、その変化は衝撃的とさえ言える。もう何年も前に芝をはったような気がするが、実はそんな前じゃないんだね。Jackieだってある程度庭が形作られてから我が家に来たと思っていたら、何にもない庭のど真ん中にいる姿が写っていて、これも驚きだった。

これからもガーデニングブログを地道に続けてゆけば、野菜や花に関する貴重なデータと我が家の移り変わりを記録・閲覧することができ、さらに実用度が増すことだろう。妻の奮闘に期待する。

2009-04-01

新年度に思う


4月1日、新年度の始まりだ。
各所で入社式が行われ、辞令交付などといったまったく理解できぬ一種のセレモニーを経て、それぞれの持ち場へと散ってゆく。この時期には会社組織の刷新も行なわれ、決まって新体制へ移行するだのという話も出て来るが、そんなことはどうでもいいのだ。今までの例からすると毎年のようにそんな話は出て来るが、大きな改善に至った例はほとんど無い。こういうことは会社によっても大きく違うのだろうが、ある程度の組織となって来ると小回りが利かなくなり、スローガンだけは高らかに掲げるもののうやむやになるか、かえって悪い状況を招く恐れがある。

そして毎年この時期は『自分はこれでいいのだろうか?』という自問の季節でもある。『これではいけない』という思いは常にあり、自分なりに危機意識持っているつもりでは居るが、『じゃあ、どんな自分ならいいんだ?』と問うてもなかなか答えは見つからず、そのイメージさえ掴めない。独り身の時は様々なことにチャレンジし、世界のどこへでも気軽に出かけることで何かしらのヒントを見つけられて来たが、娘が二人になり、住宅を購入し、住宅ローンを組んだ時点で大きな枷をはめられたかのような物を守る立場となり、自然と保守的になってしまっている自分に気づかざるを得ない。それらの影響から来る停滞感が『気の病』を生み僕を悶々とさせてはいるが、それも自分の考え方を変えることでなんとでもなりそうだ・・と最近になって思うようになっている。じゃあどう変えればいいのか?これは難しい。ただ、今までと同じような考え方をしていたんじゃダメなんだということはよく分かる。まずはそう心掛けることから始めるが、さて、どんな結果を生むだろうね。