2011-10-31

70億の蠢き


世界人口が70億人に達した。それだけでも凄いことなのに今世紀中には100億人に達するという。
例えば商品の売り上げなどが70億に達したと言うなら喜ばしいことであるが、世界人口の到達は影の部分も多い。人口がそれだけ増えて人々は豊かになったか?と言えば、経済的にも精神的にも『そうだ』とは言いがたい。人口が急増している地域では人々が都市部に集中し、巨大なスラムを形成しつつある。人々の生活は貧しく、生活環境も劣悪だ。それでも農村部で飢餓や飢饉に喘いでいた時よりはマシなのだろう。その点で貧しいながらも死亡率が減り、人口の増加に繋がっていると言える。
さらには人口がこれだけ爆発的に増加しているのに伴い、食料自給率も上昇しているか?と言えばそれも『否』だ。日々の食べ物に事欠く人口は多く、子供達も栄養失調状態にある。70億の現時点でそうなら100億なんて人口になったら一体どうなることだろうか?
貧困人口は確実に増え、世界各地で食料・水の奪い合いが起きるだろう。これからの戦争はそういったことが原因で勃発する可能性が高いと思う。
なんか暗い未来予想しかしていないが、人間が知恵を絞り今現在砂漠や荒れ地などで耕作放棄している土地を緑化し、農業の生産効率を高めれば100億という人口を養えるだけの耕作面積を確保できるのかもしれない。新規開拓地に必要な水も、海水を濾過して真水化するプラントを建設して賄うことはできるが、それも予算的な面から見れば単なる机上の空論に過ぎぬかもしれない。

いずれにせよ人類はよほどの覚悟を持って臨まなければ、ポジティブな人口100億時代を迎えることはできないだろう。放任的な100億時代到来では人類の未来も暗いものとなる。

2011-10-30

恫喝


あいにくの雨模様のこの日、長女と次女を連れてニトリに赴きあれこれと家具などを物色する。しかし欲しかったものは無く、雨の日曜の猛烈な混雑に辟易して店を出ようとすると『Daddy,トイレ〜』。娘達をトイレに連れてゆき自分もついでに用を足そうとトイレに入ると、中から怒鳴り声が聞こえる。『何や?』と構わず入ってゆくと、洋式トイレのドアを開け放ち父親が便器に座る息子に向かって罵声を浴びせていた。どうやらその男の子がお漏らしをしたらしいのだ。しかしだ、その父親は完全にキレていて自分の息子なのに『今度やったらオマエ殺すぞ!』などと、聞いているこちらがびっくりするようなことを口にして、まったく怒りを抑えれない様子だ。洋式トイレのドアのすぐ横には叱られている子の弟が、引きつったような顔で立っていた。トイレから出て娘達を待っていると、子の父親は怒りの形相で足早にトイレから出て来て、そのまま息子達を顧みもせずに店内へと去って行った。そのあとを怯えたような表情でついてゆく子供達の表情が忘れられない。僕には彼らの不幸が、この先もずっと続く不幸が見えてしまう。どんなに怒り狂っても自分の子供を『殺す!』などとなぜ言えようか、しかもお漏らししたくらいのことで・・
その父親の外見は特別ガラが悪いという風でもなく、ごく普通の人間だった。それがかえって恐ろしかった。そんなひどいことを言う父親でもこの兄弟にとっては、『お父さん』なのだ。それがまた辛い。
『子は親を選べない』
自分はどうあるべきか?今一度考えさせられた出来事だった。

2011-10-29

Halloween Party


今日は毎年恒例のHalloween Partyの日。僕も助っ人として様々なことをこなさねばならず、大忙しの一日だった。
まずは今年は何に変装するか?から始まり、三女はチキンに、次女は看護婦さんに、長女は猫にと言った具合。妻は『今年は海賊になる!と言ってた割に土壇場になって『やっぱりパンプキンにした』と宣言して、巨大なカボチャに化けてみせたし、『じゃ、オレは?』と言う僕には『はい、これ』と言ってご丁寧にオオカミ男セットを渡す用意の周到さ。
クラスでは魔女やプリンセスなどに化けた子供達が様々なゲームを楽しみ、いい雰囲気でPartyが盛り上がる。今年は残念ながらハロウィーン用のカボチャが不作だったため、みんなでJack-o-lantern作りをすることができなかったが、僕が代表してカボチャを刻みランタンを完成させた。これはなかなか面白いので是非一度やってみることをお勧めしたい。
そうしてPartyはクライマックスのTrick or Treatに。オオカミ男になった僕はその恐ろしさを存分に発揮して子供達を震え上がらせたが、思わず力が入り過ぎて2歳のちびっ子を半泣きにさせてしまった・・これはちと反省。
短時間にいろいろ詰め込んで大変だったが、子供達は楽しんでくれたようだ。なんせキャンディーやガムなどのお菓子をたくさんもらえたからね。
もう一度火曜日にオオカミ男にならねばならぬが、また子供達をビビらせてやるとしよう。

2011-10-28

麻痺


最近話題に上る企業はどうも金銭感覚が麻痺しているらしい。大王製紙社長の度を過ぎた放蕩問題も呆れるばかりで、いくら社長命令だと言ったって100億を越える額を無担保で個人に貸すか?その対応のあまりの悪さと猫ばば額の巨大さには驚くばかりなり。
そう思っていると今度はオリンパスで、企業買収の成功報酬として660億とさ!一体なんだろうねこの数字は・・両社とも完全に金銭感覚が麻痺して、あるのは単なる数字だけなんだろう。これだけ不景気が長く続いていると言うのによくそれだけの金が出せるよな・・と不思議に思う人は僕ばかりではないだろう。これらの社に勤める一般社員の心境は如何ばかりだろう?
今回たまたまこの2社が槍玉に挙げられているが、同様の問題を抱えている会社はまだまだあるはずだ。組織が巨大化すればするほどこのような問題は起こり易くなり、歯止めも利かぬのだろう。奇妙なことではあるが、そこが盲点と言うことになる。

2011-10-27

サイン


朝、車に乗り込もうとして、ふと右後輪に目をやるとタイヤが若干沈み込んでいる。『これは見たことがあるぞ・・』と記憶を呼び起こせばパンクであることに間違いない。ロードスターは扁平タイヤを履いているので、パンクしていても見た目では分かりにくく、尚かつそのまま走行しても明らかにパンクしていると感じるほどの違和感も無いので分かりにくいのだ。
さっそく知り合いのガソリンスタンドに出向きパンク修理をしてもらうと、直径1mm長さ2cmほどの針金の切れ端が見事に突き刺さっていた。それ以外にもタイヤの表面をよく調べると何箇所も金属片が刺さったらしい痕があったりして、タイヤが常に危険に晒されていることがよく分かる。パンク自体は修理セットを使ってあっという間に直ってしまったが、しばらく刺さっていた針金片を手に取って考えてしまった。これは何かのメッセージではないのか?とね。
無論偶然の出来事だと思うのが普通だろうが、それが必然の出来事で無かったと証明することも難しい。つまりは偶然であれ必然であれ、そのことについてどう感じ、どう思うかはその人次第と言うことだ。僕はその針金片に意味を見いだしたかったが、結局なにも見ることは出来なかったよ。

2011-10-26

あたたかさ


だいぶ冷え込んで来た。スリッパを履いていないと素足では床が冷たく感じる季節になったのだ。最近は薄手の毛布をかぶって寝ていたが、それだけではちょっと肌寒くなってきたのでもう一枚だして2枚重ねとしているが、隣で寝ている次女は相変わらず毛布をすべて蹴ってしまい、パジャマ姿で丸くなっている。夜中に何度掛けてやってもすぐに蹴ってしまいまったくのイタチごっこ。そんならほかって置け、というわけにもいかないのでマメに掛けてやってはいるが、朝まで毛布を着ていることはまず無いね。困ったもんだよ。でもね、子供の寝姿というのは本当にかわいいね。安心し切って寝ているというか、その寝姿を見ているとなんかこう、込み上げてくるものがある。
これからは子供と一緒に寝るのにいい季節だ。冷え込む夜は子供にすり寄って寝るとほんとうに暖かい。あまり近付くとパンチされたり、キックされたりとなかなか夜間の攻撃が激しいが、この暖かさは何ものにも代え難い『いのちのあたたかさ』だ。

2011-10-25

5th birthday


次女が5歳の誕生日を迎えた。
相変わらずちっちゃくて、とても5歳には見えないけど最近はずいぶんとお姉ちゃんらしくなって来た。三女が産まれた当初は赤ちゃん返りをして僕達を困らせたものだが、いまはそんな面影はまったく無く、妹の面倒をよく見てくれる立派なお姉ちゃんだ。この変貌振りは驚くべきもので、長女の時もそうだったが子供の不思議さと、可能性の無限さを感じたものだ。それと同時に何年経っても変わらなくなった自分自身に呆れてしまったけどね。
5歳か・・『もう5歳か』とも言えるし『まだ5歳か』とも言える。食物アレルギーがあって様々なものを食べれなかった次女も、徐々に身体が変化して来たおかげで、当初よりずいぶん多くのものを食べれるようになった。口にするとすぐに赤い発疹が出た卵や牛乳といったものも、いまでは少量食べても何ら問題が無い。ひょっとすると牛乳をそのまま飲むことだって出来るかも知れないが、ここは急がず様子を見ながら挑戦してゆくつもりだ。おそらく小学校に上がるまでには何とかなりそうな、そんな希望が持てるのがうれしいし、次女本人も他の人と同じものが食べれるようになることが自信にも繋がっているようだ。

子供それぞれいろいろある。それらをうまいこと見極め、成長をサポートできるような、そんな大人になりたいと僕自身は思っている。

2011-10-24

イラレ的脱力


今日はなぜかイラストレータCS4の調子が悪く、何度も作業中に突然落ちてそれまでのデータが飛んでしまう腹立たしい現象が続いた。原因はよく分からないが、開いていたファイルのサイズ(といっても40MB程度だが・・)が大き過ぎたのかも知れない。とにかく数時間かけて作り上げたデータを保存しようとすると、突然『保存に失敗しました』と言うメッセージが出て、そのうちにイラストレータが落ちてしまう。まだバックアップファイルが自動的に作られているなら復旧も出来るが、何の救済策も無く『それで終わり』といったまったく受け入れがたい結末。そりゃ、こまめに保存していれば防げたかも知れないが、保存すら出来ない状態だったので打つ手無しだ。
そんなんでは仕事にならんので、一時的に同じファイルを他のPCにて開き編集を試みる。最初の2、3度は同じように『保存に失敗しました』とのメッセージが出て徒労に終わったが、出来る限りファイルサイズを軽くしてから再度試みると無事に保存することが出来た。そもそもPCの調子の悪さが原因なのか、それともソフトのバグが原因なのかよく分からない。ひとつ確かなことは僕の作ったデータが何度も消えてしまったということ。
まったく脱力の一日だったよ。

2011-10-23

トルコ大震


トルコ東部で強い地震が発生したようだ。ワン(VAN)市内では多数の建物が倒壊し、死者・行方不明者が多数出ているという。
ワンと言えば左右の目の色が違うワン・キャットやワン湖が有名な、イランやイラク国境にも近いクルド人が多く居住するエリアだ。10数年前の僕はバックパックを背負ってトルコ東部まで足を伸ばし、このワンにも行くつもりだった。ところがワンまで200kmほどのエルズルムまで来た時に黒海を見たくなって港町トラブゾンの方へ行き先を変えてしまい、結局行けずじまいに終わってしまった。当時はPKK(クルド労働者党)の勢力が強く、テロ活動も盛んで治安が悪かったと言うこともあり、クルド人居住エリアを避ける風潮があったのも事実だ。つい最近もトルコ軍との戦闘が激化していた矢先の大地震だ。昔からトルコの中では特に貧しかったエリアでもあり、建物の耐震性など無いに等しく、今回のコンクリート建築物の倒壊もそんな所から来ているのだと思う。おそらくトルコ政府の対応も西部で起きた地震に比べ鈍いものになるのではないかと言う懸念があり、当局の迅速な救助活動を祈るばかりだ。

地震とは恐ろしいものだ・・

2011-10-22

Facebookの使い方、番外編


先日、ドイツを旅行中の義母が大変な目にあった。と言うのもドイツから離れイギリスへと向かうその日、早めにフランクフルト空港に到着した義母がチェックインをしようと航空会社のカウンターに向かうと、バックの中にあるはずのポーチが無い。中にはパスポートをはじめ現金などが入っていたが、いくら探しても出て来ない。『盗られたかも・・』とにかくパスポートが無いと飛行機に乗ることが出来ない。すぐに現地のアメリカ大使館に連絡するも役立たずでどうにもならず、幸いパスポートのコピーを持っていたためそれを元にして大使館が3ヶ月間有効の臨時パスポートをなんとか発給してくれ出国することが出来たのだ。しかし当初予約していた飛行機には乗り遅れ、高いお金を払っての出国となったようだ。
それからしばらくしてシアトルに帰った義母から連絡があった。無くなったポーチが出て来たというのだ。それもどうやら『盗られた』のではなく『落としていた』らしい。それが分かったのはなんとFacebookからで、ドイツの警察が義母の名前をFacebookで検索して連絡して来たというのだ。どこに落ちていたのかは知らないが、拾得物として現地の警察署に届けられ、中身はそのままだったという。もちろん落としたなんて考えもしなかった義母は警察に問い合わせなどをしなかったので、知る術も無かったというわけ。それにしても中身がそのままだったなんて、ドイツ人と日本人の気質が似ていると言われる所以はそんな所からも来ているのかもね。
いやはや、Facebookで検索して連絡してくるなんて、ドイツの警察当局もなかなかやりますわい。

2011-10-21

裸の王様


雨が降り出した。この降り様だと明日は大雨になるな・・

ついに暴君が死んだ。拳を振り上げて猛々しく演説した彼も、今は冷たい骸となってどこかに横たわっているのだろう。独裁者の最後とは惨めなものだ。生前あれほど『死ぬまで闘う!』と宣言していた彼も、最後は排水溝に潜んでいたところを引きずり出され、そしておそらく射殺された。そこには英雄の影は微塵も無く、権力に固執し多くの人々を殺して来た愚かな犯罪者としての死があるだけだ。

大佐の死によってひと区切りが付き、リビアは新しい時代を迎える。だが、道程は決して楽観できるものではないだろう。しかし人々は希望に酔い熱狂している。この勢いが続けば何事もなし得るはずだ。それを期待したい。

カダフィの死はもう一人の裸の王様『北の将軍様』を震撼させたはずだ。遅かれ早かれ北朝鮮にもリビアと同じことが起こる可能性はある。
もうそんな時代じゃないんだよ。

2011-10-20

素養


国民の素養がその国の姿を現しているのは言うまでもない。
昨日から激しさを増しているギリシャの抗議行動の行方は混沌として収束のめどが立たず、さらに大きな輪となって広がる様相を見せている。これは財政破綻寸前のギリシャ政府がEUからの多額の資金援助を受けるための条件として、財政再建に取り組む姿勢を示すために公務員3万人のカットや、更なる財政緊縮策を施行しようとすることに対してのデモで、確かに彼らの生活は追いつめられているのだろう。
しかしだ、僕は思う。『お前らぜんぜん分かってねーよな』と。
以前と比べてギリシャ国民の生活はぐっと苦しくなった。それは確かだ。しかし今ここで緊縮策について抗議したところで、他にどんな解決策があるのだろう?ギリシャ政府はもはや自力での回復は不可能だ。自国の力だけでは破綻するしかない。しかし破綻となると他の国や世界全体が大きな影響を受けかねない。とりわけEUが受ける衝撃は大きなものになるだろう。ゆえにEU各国は苦しい財政事情の中からお金を拠出してギリシャを助けようとしている。しかしながらそのギリシャ国民が一番事の重大性を分かっていないようだ。
若者は火炎瓶を投げてガソリンを無駄にし、労働組合は大規模なストライキを決行して交通機関を麻痺させ、ただでさえ弱っている経済活動をさらに追い込んでいる。こんな彼らの姿を見たらお金を出す側のドイツ国民などは腹が立つだろう『なんでこんなヤツらを助けなあかんのや?』とね。それは当然だと思う。他国に痛みを課す以上、自国はそれ以上の痛みに耐えねばならん。そういうことをまったく理解せずにその時々の紆余曲折にいちいち反応して我がままをぶつける連中には未来は無い。
彼らは言う、『こうなったのはオレの責任じゃない。政治家のヤツらのせいだ』と。今さらこんな不毛なことを言っても何も始まらない。
今はこの難局を国を挙げて乗り越えるべく、努力をすべき時なのだ。彼らはそれを分かっているのだろうか。

2011-10-19

小麦粉到着


先日ネットで注文した北海道産の強力小麦粉と全粒粉が届いた。小麦粉が25kg、全粒粉が10kgの計35kg!こんだけあったらすべて消費するのにどれくらいかかるか分からないが、とにかく一度は挑戦すべく購入したのだ。この小麦粉・全粒粉とも国内では評価が高く、味わいも良いとされるものを割高ではあったが試してみたくて注文したもので、25kgといった大袋じゃないととてもじゃないが高くて手がでないものだけに、その味がいったいどうなのか楽しみだね。
今までは強力粉と書いてあれば味など気にせず出来るだけ安いものを買って使って来ただけに、今回いろいろと小麦粉や全粒粉について調べてとても勉強になった。とくに小麦粉のブランドの多さには驚かされたね。今回は北海道産の『はるゆたか』にしたけれど、次回は他の銘柄にも挑戦したいと思っている。ただ、ホームベーカリーで焼く場合、ブランドによって水加減や全粒粉の調合具合などが様々で、うまく焼き上げるまでにはいろいろと試行錯誤が必要になるだろう。カナダ産やアメリカ産の安いブレンド小麦粉ばかり使用して来た僕達に、一体北海道産はどういう反応を示すのか?ちょっと化学実験みたいで面白そうでしょ。しかもおいしいパンがお駄賃で付いてくるからね。ええだろ。

2011-10-18

何を以て安全か


福島県二本松市でこの秋に穫れた米の安全宣言が行われ、出荷されてゆく様子がTVニュースでやっていた。それを見ながら思うのだ『誰がこの米を買うのだろう?』『ほんとに安全なのか?』と。
自分ならばこの米は買わない。米がこれしかないならともかく、他にも選択肢があるならわざわざこの米を買う必要なぞ無い。それを風評被害だと言われてしまえば元も子もないが、それは風評などではなく家族を守るための正当な行為なのだ。
そもそも国が定めている食品に対する放射能汚染の許容値自体が怪しい。十把一絡げに500ベクレルという根拠も無いし。その数値はチェルノブイリを経験しているウクライナやベラルーシが定める許容値よりも桁違いに高い。米の販売許可に至る一連の流れを見ていると、国や県、市町村などの行政があたかも『原発事故前の生活に戻れるんですよ』と言わんばかりのキャンペーンを行い、住民の不安をうまいこと誤摩化して何事も無かったかのように生活させようという魂胆が見え見えだ。しかも安全宣言の出された米は許容限度の500ベクレルを下回ってさえいたら470ベクレルであっても『安全な米』として出荷できるのだ。
国が定めた500ベクレルという値は、国民の健康を守るための値ではなく、汚染されたものを『安全なもの』として国民に売りつけるために設けられた値であることを理解して対処せねばならぬ。

2011-10-17

視点


午後、何の気無しに事務所から外に出て周辺をブラブラする。現場仕事から事務所に戻って来ての内業で一日中PC画面とのにらめっこ、いい加減肩が凝って来たのと気分転換も兼ねてのブラブラ歩きだ。ところがこれが面白い。今の事務所に引っ越して来てすでに数年経つが、あろうことか事務所周辺を歩いたことはほとんど無かった。同じ道を何度も車で行き来したことはあっても、いざ自分の足で歩いてみると見え方はずいぶんと違うものだ。『おっ、こんなところにこんなもんがあったのか!』や、『ええっ、なんでこうなってるんやろ?』といった驚きや疑問、感動がないまぜとなって次々と襲って来る。
普段昼の時間はささっと弁当を食べたあと、ネットニュースを漫然と閲覧して過ごしているが、やっぱこうやって外を歩くほうがネット世界を泳ぐよりも何倍も楽しいや。
目的無く、路地裏を気の向くままにブラつき、目にとまったものを撮影する。こんな楽しいことは無い。
さあ、外に出よう、きっと何かが見つかるはずだ。

2011-10-16

晴天のドッジボール


始め見に行くつもりは無かったが、何となく子供会対抗ドッジボール大会がどんなものか見たくなって、小学校のグラウンドを訪れる。すると相当の熱気を帯びているようで、グラウンドからかなり離れたところまで子供達の歓声が聞こえて来た。出場チームは全部で23チーム。児童数の多い子供会は2もしくは3チームに分かれて試合をし、ドッジボールの腕を磨く。
我が子供会はあえなく二回戦で敗退。敗者復活戦に臨むもこちらもあと一息と言ったところで力尽き、3チームすべてが無冠という無念な結果だった。
そして長女はどうだったかと言うと、他の一年生の子らと一緒にまるで小魚が怯えて逃げ回るかのようにコソコソと逃げ回っていたが、そのうちに当てられて外野生活が長かったように思う。それでも元気一杯やっていたので『よくやったね』と褒めてあげたよ。来年はリベンジだ。

2011-10-15

長雨


終日雨。
今も再び雨脚が強くなっている。明日は天気が回復に向かうというが、いつ雨が上がるのだろう?庭に置いた雨量観測用のバケツには夕方の時点で15cm程度の水が溜まっていた。思った以上の雨量で、なるほど川が増水するわけだよ。
この雨を見越してエンドウ豆やそら豆、ほうれん草の種を蒔いたが、タイミングは完璧だったな。ただし予想以上の強い降りで種が流されてなければ良いがね。
明日は長女の通う小学校の校区で子供会対抗ドッジボール大会が予定されていて、長女も町内のメンバーとして出場する。しかしこの雨では例え朝方に雨が上がったとしてもグランドコンディションが悪く出来ないかも知れない。そうなれば来週に順延されるだけだが、こういう微妙な判断のときが一番いただけないね。集合時間が朝早いため、休みなのに早起きし準備して待っていないといけない。天気のことだから仕方ないけどね。

2011-10-14

機能不全


ここのところ頭の回転が非常に悪い。
なんだか脳が弛緩していて霧に包まれているような感じ。そうは言ってもやることはちゃんとやっているんだよ。でもね、全然いいアイデアが出て来ない。ひらめきが無いというか・・やっぱ脳が休眠している。原因は寝不足かも知れない。
相変わらず毎日が怒濤の勢いですっ飛んでゆく日々が続き、やらねばならぬことばかりが溜まってゆく。特に畑仕事や庭仕事がなかなかできず、今は朝早く起きてやるか日曜に時間を見つけてやるしかない。朝は5時半頃に起きているが、寝るのはたいてい0時過ぎなので睡眠時間は6時間を切っている。それでも普段は大丈夫なのだが、ここ最近涼しくなって来て良く眠れるようになったから朝も起きづらい日が続き、そのあたりのスッキリしない部分が堆積して脳の機能不全を起こしているのかもね。ま、こんなことをうだうだ書いとらずにさっさと寝ちまえばいいものを、毎晩のように繰り返しているからダメなんだろね。
さ、寝るとしよう。

2011-10-13

パン楽し


新しいホームベーカリーで焼いた全粒粉パンは上出来だった。朝起きて台所へ向かうと香ばしい匂いに包まれ、幸せな気分に。Jackieの散歩に出て戻って来ると焼き上がりのアラームが鳴っており、ワクワクしながら内釜からパンを取り出す。おお!さすがは1.5斤、でかいぞ。表面はこんがりと焼きいろがついて実に美味そうだ。これをアツアツのうちに切って頬張る。旨いっ!
旧式のホームベーカリーだと全粒粉50%ではパンが膨らまず、せいぜい30%程度だったのがこの新型では見事に膨らんでくれた。何が違うのか分からないが、上手く焼ければそれでいい。妻なぞはよほどこのパンが気に入ったようで『昼にも食べたよ』と、1.5斤がわずか半日でなくなりましたとさ。
全粒粉50%配合では消費量がぐっと上がるので割高だ。そこで大袋で売ってまいかとネットで探すと、あるわあるわその量に驚かされる。しかも全粒粉に限らず強力粉でもなんとまあブランドの多いことよ。僕なんて5ブランドくらいしか知らんかった。たいへん勉強になる。
そこで今度はちょっと良い目の粉を買って味を確かめたいな・・と、探究心が湧いて来た。いや〜、ただパンを焼くだけでも奥深く、楽しいもんだね。

2011-10-12

新たなる一歩


ネットで注文していたホームベーカリーが届き、さっそく全粒粉パンを1.5斤分作ってみることにした。明日の朝が楽しみだ。
いままで使用していたホームベーカリーに比べると、さすがに10年以上経っているため新しい機能がいくつも増えて使い勝手が向上しているみたい。なかでも大きなのがレーズンやナッツを自動投入できる投入口が新たに設けられていたことだ。以前のものではレーズンなどを混ぜたい場合、小麦粉などと一緒に入れ、その後機械で撹拌してしまうので、レーズンまでもが粉々になってしまいうまくいかなかった。しかし新ベーカリーでは機能面が改善されたため大いに期待がもてる、さて、どんな出来上がりになるんだろうね。

2011-10-11

ホームベーカリーのこと


10年近く愛用して来たナショナル(当時)製ホームベーカリーの内釜が壊れ、毎日使うものなので速攻で同じくパナソニック製の1.5斤まで焼けるものを2万円ほどでネット注文した。新しいものを注文してからふと気がついて内釜だけで販売していないか調べてみると、なんだ3千円程度で売ってるやんか。ちょっと慌てて注文してしまったかな・・とも思うが、ちょっと1斤焼きでは足りないくらいだったのでこの際1.5斤焼きにして良かったかも知れない。
ほぼ毎朝のようにパンを焼き、最近は次女が2枚食べたりするようになったので1斤焼きではギリギリの状態。そこへ義母が加わればまたたく間に足りなくなる。ホームベーカリーは10年くらいヘッチャラで使えるので娘達が大きくなって来ると1.5斤焼きでも足らないかもね。その時はまた考えよう。
新しいものはだいぶ機能も充実して来ているみたいだし、使うのがちょっと楽しみだな。餅もつくってみるとしよう。

2011-10-10

甘き眠り


ここ数日、娘達を寝かしつけた9時頃にホッとして気が抜けるのか、TVをつけたままソファーで寝てしまう日が続いている。たいてい0時までには目を覚まし、垂らしていたよだれを拭っていそいそとブログを書き始めたりするのだが、今日は眠りのサイクルが深かったのかどうにも起きることができなかった。いや、途中で何度も目を覚まし『起きなあかん・・』と思いつつも、身体が言うことを聞かずそのまま撃沈。結局起き上がれたのは0時半だった。
特に疲れていたとは思わないのに何で寝てしまうんだろ?気の弛みが一番だとは思うが、こういううたた寝は実に甘いんだよね。なんかとろけるように眠ってしまうというか、心地良い眠り。実際目覚めた後もそのまま寝る場所を布団に換えて眠り続ければ、朝までさぞや気持ちよく眠れるのだろうが、ブログなどやらねばならんことがたくさんあってそのまま寝ているわけにはいかんのだ。ここは辛いが眠気を押してやらねばならぬ。そして明日はまた5時半に起きねばならぬ。これも修行。

2011-10-09

爽天


畑仕事はひとまず一段落したので、長女・次女を連れて久しぶりに公園へと向かう。お天気は最高で何をするにも気持ちがいい。3連休ということでかなりの混雑を予想していたが、到着してみるとまだまだ人は少なく、GW時とは比べようが無い。おそらく今日は各地で市民運動会などが開催されて、そちらの方でかなり吸収されているのだろう。そんな人影もまばらな公園の巨大遊具相手に娘達は大興奮しながらよじ登ってゆく。その姿を見ながら『やっぱたまにはこういう所へ遊びに来るようにしてあげたいな・・』などと考えるが、いろいろと忙しくてね。
しかしいつも思うことだが、公園などに来ると『ほんとにこれで少子化なのか?』と感じる。子供が多いのはこんな場では当たり前のことだが、ひとりっ子というのは意外と少なく、たいてい兄妹が居て我が家のように3人連れという家族も結構多い。なのでこの地方だけで出生率を計算すると全国平均よりかなり高いのでは?と思うのだ。
いずれにせよ子供達が多いのは活気があってよろしい。こうやって遊びに付き合うのもかなりの体力を要するが、これもまた修行と得心して大いに子供らと遊ぶべし。

2011-10-08

煮付けを食べて、島を憶う


今晩のおかずはブリの煮付けにした。
恒例の買い物に長女を連れて市場に行くと、ちょうど鳥取産の脂ののった旨そうなブリが入っていたので4切れ購入。いつもは塩焼きにして食べるが、今晩は久しぶりに煮付けを試みる。これが実に美味かった。娘達もぺろりと平らげ、今度もこれがいい!と言ってくれた。そう言ってくれるとほんと嬉しいね。作った甲斐があったというもの。でも今回はブリ自体が良かったからね。どう料理しても美味しくなったと思う。

煮付けと言えば二十歳の頃、波照間島に住んでいた時に同居していた愛媛出身のKNSさんに仕込まれて、毎晩のように作っていたものだ。この頃は日中土方仕事のようなことをして、4時頃には仕事を切り上げ海に出て魚を釣っては煮付けにしたり、刺身にしたりしておかずを自前で調達していた。今思えば夢のような理想的な生活をしていたが、これは独り身だから出来たこと。家族が居てはあんな自由気侭な生活は難しいだろうね。ああ、今ごろKNSさんはどうしているだろうか?もう10年以上連絡を取っていないし、何処に居るのかさえ分からない。
しかし彼との共同生活が僕に与えた影響は大きかった。10歳年上だった彼からはいろんなことを教えてもらったな・・懐かしい。

僕は自力で自分を変えてゆくことが出来ない人間だ。常に誰かと出会い、その影響を受けて変わって来た。これからもそうだろう。だから人との出会いを大切にしたい。皆それぞれが自分の言葉を持ち、それぞれの拠り所で生きている。その『生きた言葉』をもらったとき、僕はまた一歩踏み出せる。

2011-10-07

攻城戦


昨日今日と同志jr2aan氏、HNI女史と共に、尾張名古屋の城を落とすべく、様々な獲物を振り回して攻城戦に挑む。
さすがに御三家の城とあって内堀の底に降りて見上げる大天守の巨大なことよ。いかにも人を威圧するかのようなその尊大振りに一瞬ひるみそうになるが、僅かしかない勇気を振り絞って果敢に石垣に取り付き、または大梯子を立てかけて天守に攻め上る。折しも風の強いお天気で、突風が堀底からビュウビュウと凄まじい風切り音を立てながら、あらゆるものを金鯱の輝く虚空へと巻き上げてゆく。8mの梯子の先端で文字通り石に齧り付くようにして石垣にへばりついている僕を、多くの観光客が『わっ、あんなところに人が居る!』や、『きゃあ、こわ〜い』なんて無責任なことを言いながら、肖像権もへったくれもなくバシバシと写真に収め去ってゆく。JTBの旗をもった加藤清正公も現れては実に冷静に城についての解説をしながら僕の遥か背後を素通りしてゆく。そんな彼らを尻目に僕は『今に見ておれ・・』と、分けのわからん闘志を燃やしながら、舞い上がる埃に耐え石垣をよじ上る。
jr2aan氏、HNI女史の奮闘もあって、大天守・小天守ともに攻略に成功して与えられた任務を達成することが出来た。両氏ともご苦労様でした。

任務からの帰り道、つい先ほどまで多くの若い女性観光客に取り巻かれ気勢を上げていた織田信長公が、足軽を座らせて『次は低めに放るぞ』などと言いながらピッチング練習をしとったね。恐れ多くも『お疲れさまでしたー』なんて言ってしまったよ。

2011-10-06

彼の死


スティーブ・ジョブズ氏の為したことは、今現在の自分の身の回りを見れば分かるだろう。それくらい彼のアイデアとその結晶は我々のなかに浸透している。僕は彼の信奉者ではないが、彼の発表するものに惹かれ、それを手にする喜びに浸って来た。
『こう出来たらいいな』とか『こう出来るはずだ』といった直感的な操作性を次々と可能にして多くの人を魅了したAppleだが、常に革新を目指す気風は彼そのものであったと言える。

間違いなく彼は人々の生活と歴史を変えた一人である

黙祷

2011-10-05

雨中


何事にもタイミングというものがある。今日はたまたま工程上の都合から大雨の降るなか仕事を強行し、ずぶ濡れとなる。合羽代わりのウィンドブレーカーはまたたく間に水を通し、上着がベットリと肌に張り付く。気温が低いせいで体温がどんどん奪われ、身体が冷えきってしまった。
1時間近く雨のなかでの作業を続け、そのおかげをもって明日最終段階に突入することが出来る。当初雨だった明日の予報も、朝には雨が上がってくれそうで、なんとか間に合わすことが出来そうだ。これで雨のなかでやった甲斐があったというもの。


この雨を見越して準備してあった畑にはまさに恵みの雨。白菜やブロッコリーの苗にも雨水が十分浸透し、大きく育ってくれるだろう。

2011-10-04

哀愁


朝5時半、肌寒さを感じながらJackieの散歩に向かう。息を『はあ〜っ』と吐くと白くなった。それくらい冷え込んでいるんだ。庭に設置してある温度計を見ると10℃しかない。
それにしてもこの気温の低下は極端過ぎるね。厳しい残暑から秋がなくていきなり冬に向かう感じ。河川敷に移植したイチョウはその葉を鮮やかな黄色に染めて早くも散らし始め。イロハモミジもその梢を明るく変え始めている。まだ10月に入ったばかりというのに身の回りでは確実に季節は移ろい、冬への準備を始めている。
爽やかな空気のなか、車の窓を全開にして流せば、どこからともなくキンモクセイの香りが漂って来て、控えめながらも強い自己主張でその存在を表現している。
気がつけばあの『長かった』と感じた暑い夏も過去のものとなり、衰えゆく太陽の光りとともにすべてのものが哀愁を漂わせている。もう光りに夏の賑やかさは失せ、どことなく寂しさを感じさせる。庭の草花も西洋アサガオを除けばすっかり元気を無くしてしまい、あるいは枯れ、あるいは萎れてしまった。
今となってはあのクソ暑さが懐かしいよ。塩飴もまだたくさん残っちまってる。
さて、この冬がどうなるか?楽しみでもある。

2011-10-03

疲れと眠気


終日伐採作業に専念し、疲れ果てた。あまり休憩もせずにやっていたせいか、作業後に疲れがどっと押し寄せて、何か身体が重たくなったような感じ。心地良い疲れではあるが、帰宅後にさらに1時間ばかり畑仕事をしたおかげで疲労感は増し、夕食後娘達を風呂に入れて本を読んでやり、寝かしつける頃には猛烈な眠気に襲われて来た。なんとか凌いで昨日撮った写真などを整理しようとはじめたものの、頭が回らない。ふと気付くと椅子に座ったままいつの間にか寝入ってしまっている。
『こりゃいかん』と、眠気覚ましのため娘達がちゃんと毛布を着ているかどうか確認しに行ったらもうおしまい、すやすやとあまりに気持ち良さそうな寝顔に思わず『ちょっとだけ横になってみるか・・』。ここで記憶が途絶え、目を覚ましたら3時半。電気もつけっぱなしで寝てしまい、なんともはやなっちゃいない。まあ、そんだけ疲れていたということかな。それならそのまんま寝てればいいものを、僕はこうやって真夜中にブログを書いている。

2011-10-02

点景


爽やかに晴れ渡った日曜日。久しぶりにこれといった行事もなく、どこへも行かず可能な限り畑仕事に専念する。
ほぼ一ヶ月近くまともに畑をする時間がなかったので、至る所に草は生え惨憺たる状態に。収穫後の夏野菜が枯れるままに放置してあった畝も、苦土石灰と有機肥料を施して耕し、遅ればせながら冬野菜に備える。かたや先行して耕してあった畝にはほうれん草やベビーキャロットなどの種を蒔いて、取りあえず冬野菜第一世代の準備は完了した。
畑仕事に専念すると言っても幼い娘が三人もいるとなかなかそうはさせてくれなくて、しっかりと父親の仕事もしなくてはいけない。それでも自分の仕事と娘達の遊びをうまいこと絡めて、たとえば河川敷のゴミ拾いをゲーム感覚で行ったり、石を運ぶために出した一輪車に長女・次女を乗せて堤防上を疾走したりと、あらかじめ用意されていた遊びとは違った遊びをして娘達も大喜びだった。ただこれから週末になると『Daddy、一輪車に乗せてよう〜』と言われそうで、まあ、それは仕方の無いことかな。
夕方、三女をベビーカーに乗せ、長女を次女を引き連れてJackieの散歩に出る。しばらくすると三女がぐずりだし大泣きとなった。それと同時に長女と次女がたわいもないことで喧嘩を始め、こんどは次女までもが大声で泣き始めた。僕は大泣きする娘二人と、叱られてふくれっ面の長女、そして落ち着かぬJackieに引っ張られるようにしながら、美しい夕焼けのなかを家に向かって歩くのだった・・

2011-10-01

夜寒


気温が急激に下がって来ている。予報では明日の最低気温が14℃となっているが、なるほどこの調子だと予報に嘘はないな。
日中、大陸の寒気が流れ込んだ時の特徴である北西の風が強く吹き、いまもその風は強まる一方だ。この風に乗って冷たい空気が流れ込み、肌寒さを感じさせている。それにしてもここ最近の気温の変化は急激で、とても身体がついてゆけそうにない。寝る時は薄手の毛布を着ているが、朝方になるとそれだけでは寒くなって目覚めてしまう。その横で娘達は何も着ずにぐっすり寝ている。夜中に何度も毛布を掛け直したりしても何の効果もなく、朝にはすべて蹴られてすっかり身体は冷えきっている様子。こんなことをしていれば風邪を引くのも当然で、今期はまず次女がダウンした。

気温低下の影響は畑にも大きく出て、寒さに弱いキュウリなどは秋用の品種を植えたにもかかわらず生長は衰え、茄子は枯れ、三尺ササゲはその収量を大きく下げてシーズンの終わりを告げている。
さあ、いよいよ冬野菜収穫へ向け、環境を整えてゆかねばならないぞ。まだ全然出来てないけどね。