2010-08-31

雨降らず、糞降りて候


我が家の駐車場の端には中電の電柱があり、何本もの電線がちょうど車を停めてある上を横断するように走っている。そしてどういうわけかそこが鳥達のお気に入りの場所らしく、実に様々な種類のものが入れ代わり立ち代わりやって来ては、これでもかとフンを落下させて飛び去ってゆく。そんな状況だから我が家の車にフンがついていない日のほうが珍しいくらいだ。かと言ってこればかりは鳥のことだからどうしようも出来ず『ええい、ままよ』とほかって置いたのだが、先日玄関を出ると空から何かが盛んに降って来るではないか、見上げるとムクドリらしき群れが電線に留っており、次から次へとフンを投下してくるやんか!そして車を見ると、何とも無惨な姿にてフンまみれで白くなっていた・・事ここに至り、中電に電話して対応策は無いのか?と尋ねると、『フン害ですね、それなら担当者を伺わせますので現地でご相談下さい』とのこと。そして待ち合わせの時間きっかりに中電の現場担当が来て電線を確認すると『中電使用の電線部分についてはトゲトゲの付いたカバーを被せて対応します』という答えだった。彼に言わせるとそのカバーの効果は抜群ということなので期待はしたいが、なんか鳥を排除するような対策でもあるのでちょっと複雑な心境なり。とは言え毎日のようにフンを洗い落とすのも大変だしね。ま、致し方無しかな。
設置までは時間が掛かると言うから気長に待つとしよう。

2010-08-30

家族


所用があってちょっと早めに帰宅すると、姉と姪が訪れていて娘達と楽しそうに遊んでいる。聞けば夏休みのこの土壇場(明日しかないというのに!)になって姪が自由研究の素材を求めてやって来たそうだ。その素材とは英語と日本語の両方が書かれた本の事で、我が家にはアメリカの親戚からもらった日本語英語併記の『ドラえもん』の漫画本が3冊あり、姪に冗談で『ドラえもんしか無いけどそれでいいか?』と聞けば、驚いた事にそれで十分だという。いったいどういう自由研究なのか見当もつかないが『自由』というのだからまあいいのだろう。
夕食の時間になり、せっかくだからと姉と姪も加えて賑やかに食卓を囲む。やはり食事は大勢で食べる方が楽しくていい。すると、ピンポーン!とまたお客だ。『誰だろう?』と出て行くと、なんと今度はお袋さんの登場だ。さてはて何の偶然かと思ったら、姉達がここにいることを知ってわざわざ訪ねて来たと言う。さらに我が家は賑やかになって、実家に集まった時とはまた違いなかなか良い雰囲気じゃないか。娘達はもう嬉しくって仕方ないようでテンションは上がる一方だし、皆それぞれが話したかった事をはきだして満足げだ。
我が家に皆が集まるのはサンクスギビングの時くらいだが、これからはもっと集まるようにしてもいいなと思う。そうだな、今度は皆でBBQ大会でも開くとしよう。

2010-08-29

揺動作戦?


今日も朝から30℃越え。ということで娘達との約束通り今週も川遊びを敢行する。その準備をすべくあたふたしているとピンポーン!とご来客だ。誰やろ?と出て行くと、なんと親父殿の電撃訪問じゃないか。『何しに来たん?』と聞けば、『ちょっと近くまで買い物に来たんで寄ってみた』とさ。『ならば一緒に川へ行くか?』と問えば、『うんにゃ、すぐに帰るがその前に畑をみておこう』と外に出て行き、我が畑を偵察巡視して、いつものようにあれやこれやと意見を言う。その会話の中で親父殿が大根について触れたので『もう大根の種は蒔いたで、もう芽も出とるに』と言うと、『もう蒔いたんか、早いな・・』と言うじゃないか。『早いなって、自分がもう蒔かなかんって言ったから蒔いたんやけど・・』と言えば、『だいたい9月10日頃に蒔くというわな』と平然と答えるやんけ。毎度の事ながら一体どうなっとんねん!『でもまあ、早めに蒔いとくに越したことはないわな』だって。
ううむ、どうも親父殿は我が畑を攪乱するためにやって来てる違いない。おそらくは親父殿の作物をもらってあげない事を根に持っての陰謀だろう。僕が作付けを過てば、親父殿からもらわずにはいられないからな・・。
『じゃあ、行くで』という帰り際、お願いだからと仰山のオクラとピーマンを無理矢理持たせて、我が家の冷蔵庫をすっきりさせてやった。おそらく来週はこの逆襲でとてつもない量のナスを玄関に放り込まれるかも知れないな。
 

2010-08-28

国を売る者らよ


民主のドタバタぶりにはほんと愛想が尽きる。『国の危機を乗り切るために』なんて偉そうな事を言ってるが、その危機を作り出してるのが当の自分達だと分かっていない所がまた恐ろしい。政治というものが国民の為と言いつつ、実のところ特定の既得権益層に対して為されているのは古今東西どの国も同じだ。今回の小沢出馬についてもそれは『民意ではない』にもかかわらず臆面も無く『出る』と言う。さらに理解不能なのが鳩山の動向で小沢を推す理由が『自分を首相にしてくれた恩を返す為』だと言う。まったく阿呆らしくて言葉も無い。こんなヤツラが国のリーダーをやったり、やろうとしているのだからね。

いま民意は行き場を無くしている。こんなとき人々は『カリスマ』の登場を待ち望む。そしてその『カリスマ』はその時を心得ている。国民を何処に導くかは彼次第となってしまうのだ・・

2010-08-27

目覚ましのこと


朝は大体5時半には起きてJackieの散歩をし、それから野菜の収穫をするといった流れで毎日が過ぎてゆくが、ちょうどオクラを穫っている頃にお隣さんの目覚ましが『起きろ、起きろ』と鳴りだすのだ。別にそれ自体はどうでもいいことなのだが、奇妙なのはあれだけアラームが鳴っているにもかかわらずお隣さんが目を覚まさないことだ。どうだろう、お隣さんから僕が立っている畑までは直線距離で30mほどはあるが、それでもアラームの音がはっきりと聞こえるので部屋の中ではさぞかしうるさいはずなのに、それでもお隣さんは起きないようなのだ。長い時など30分ほどもアラームが鳴りっぱなしの時もあり、いくらなんでもそれを長時間聞かされる我が家としては『いい加減目を覚ませよ!』と、言いたくもなるわさ。
それでも昔住んでたアパートでの出来事と比べたら、今回はそのアラームで僕達まで起こされるというほどでは無いので、ましと言えばましなんだけどね。

2010-08-26

天空より


友よりポストカードが送られて来た。消印を見ると富士山頂とな。写真も彼が富士山測候所を撮影したもので実に彼らしい。思えば学生の頃から彼は山一筋だったよな。今は奥さんとともに富山県の山奥の古民家を改装して住んでいるというが、一度訪ねてみたいものだ。メッセージには『しばらくここで仕事をする』とあるが、『ここ』とは富士山頂かい?そういえば以前そんなようなことを言っていたよな・・相変わらず彼には驚かされるよ。おまけにこの仕事が済んだらダウラギリ峰(8167m)に向かうと言う。ダウラギリと言えばネパール北部ヒマラヤ山脈にある世界で7番目に高い山やんか!どのようなアタック隊を組んで行くのかは知らないが、何よりも無事の生還を祈る。とにかく友よ、生還するのだ。

2010-08-25

ビデオカメラ買ったった


昨日に続き今晩も遠雷聞こえ、稲光が絶えず闇を切り裂いていたのにここはほとんど雨が降らなかった。しかし逸れていった雷雲は涼しげな空気を残してくれたようで、いくぶん過ごしやすい夜となっている。でもここらでいい加減雨が欲しいな・・どうも今夏は雷雲の通り道から外れているようで、まともに喰らったのは2度程しかないんじゃないかな?とにかく畑も花壇もカラカラだ。ああ、雨恋し。

長女が産まれる前に買ったビデオカメラの調子が今ひとつなので、幼稚園最後の運動会を撮るべく新たに購入。ちょうど新型が発売されたのを機に従来機が大幅に値下げされ、この買い時を逃さずかなりお得な買い物が出来た。先ほどまでいじくっていたが撮影はまだ。それにしても以前のものに比べて格段に性能が良くなり、しかも内蔵メモリを搭載することで本体がコンパクトかつ軽量になって携帯性がグンと増している。手ぶれ防止機能は驚くべきもので前機種とは比べようも無いほどの出来だ。これから徐々に研究を重ねて運動会に備えるとしよう。

2010-08-24

地蔵盆


今朝は6時から勤労奉仕で地蔵祭りの飾り付けを行い、夕方は5時半より祭りがお開きになる8時半まで雑多な仕事をちょこちょこと片付ける。これは地区の班長に課せられた仕事だが、集まったメンバーは自治会長はじめ町内の顔役までほとんどすべてが年配者で、僕なんぞは飛び抜けて若い部類に入り、皆からは『おい、兄ちゃん』なんて呼ばれて小僧扱いだ。37の小僧も無いものだが、それでもワイワイがやがや、ああでもないこうでもないと賑やかに良い雰囲気で準備は進められてゆく。
そして夕方。子供達が続々と集まりその数80人ほど。地元小学校の校区では児童数が多い屈指の町内だけあって、驚くほどの人数が集まり子供会主催の魚釣りゲームをしたり、メインイベントのビンゴゲームに大人達も加わって総勢200名ほどで熱狂したりと、実に活気のある地蔵祭りだった。やはり地区に子供が多いのはいいよね。じいさんばあさんも元気になり、そして相乗効果で子供が2人・3人という家庭が増えて、この地区だけを見れば『これのどこが少子化だ?』という気さえ感じさせる。近所のおじい達の話の中で、これだけ児童数が多いなら国道より南の地区にもう1つ学校を作ってもらわなあかんな・・という話さえ出るほどだ。市中心部では学校の統廃合が盛んに行われているという中での学校新設論は、如何にこの地区が活気づいているかを物語っている。

来年はビンゴゲームの賞品を100セット以上に増やすそうだ。幼児から小中高生まで合わせると200名以上の子供達を誇るこの地区は今も徐々に膨張しつつ、勢いを増している。

2010-08-23

処暑


暦の上では処暑というのに仮設ハウスの暑さときたら尋常ではない。エアコンをフル稼働させてもギラギラと強烈な日差しに炙られると、仮設ハウス全体が一気に熱を帯び温室状態になる。そうなると正確な気温は分からないがおそらく33℃ほどにはなっているのだろう。とてもそんな気温のなかで細々としたデータ整理などをやってられず、頭はボーッとし全身にじっとりと汗が滲んで来る。おまけに眠気が波状攻撃的に襲って来て、すこぶる効率が悪いのだ。もうそろそろ暑さが収まって来るのだろうと期待していたが、今晩の天気予報ではこれから1週間ほどは気温が高い状態が続くというのだからがっかりだ。自分としては寒いのより暑い方が好きとは言え、この灼熱地獄はちょっとレベルが違うよな。
今日も仕事から帰りいつものように花壇や庭木に水をあげていると、今朝は何ともなかった丁字桜の鉢植えが見事に乾涸び半死半生の態。水遣りの量が少な過ぎたのか、気温が高過ぎたのか、その原因は定かではないが僕としては暑さを疑おうと思う。

この暑さでは秋冬物の野菜をどのタイミングで植え付けるか難しい所だ。とにかくこの暑さが去るまでは目立った動きが取れないな・・

2010-08-22

あの頃の川で


もう寝なあかん時間になってからブログを書き始めるので必然的に睡眠時間が短くなるが、こんな蒸し暑い夜はなかなか眠気も訪れず、最新デジカメ事情などを漫然と検索したりして時間を浪費する夜半なり。

さて、娘達が帰国してから何一つ夏休みらしいことをしていないので、今日は晴れて暑いことだし川へ水遊びに行こう!ということになった。向かうは僕が娘達と同じ年頃によく連れて行ってもらった川で、ちびっ子が水遊びをするにはちょうど良い砂防堰堤があるのだ。
到着するとすぐにきゃあきゃあ言いながら川の浅瀬を駆け巡り、水を掛け合って大はしゃぎ。強烈な日差しのもと空を見上げると無数のパラグライダーやハンググライダーが上空をゆったりと旋回し、まるで鳶が獲物を探している姿のようだ。川の水は冷た過ぎず、ちょっとした澱みに潜っても心地良く体温が奪われてゆき爽快だ。娘達はバケツを持って浅瀬に入り込んだハヤの稚魚を捕らえようと必死になっている。
上流の谷間を望むと、遥か上空に積乱雲が成長しつつあった。その雲をちらちらと警戒しながら帰り支度を開始する。
ああ、夏だ!
ひょっとしたら妻や娘達よりも自分が一番はしゃいでいたのかも知れない。わんぱく坊主だった頃の僕の思いはまだこの砂防堰堤付近に漂い、そしてこれからも僕を惹き付けることだろう。来週末も天気がよければまた来よう・・なんて、もう行く気満々だしね。

2010-08-21

周期


いつもの自分とは何ら変わりがないように思うし、現に日々の生活のリズムも今までとまったく同じだ。それなのに感じるこの違和感は何だろうか?まるでハードディスクをスキャンするように自分自身を見つめ直しこの違和感の原因を探るのだが、心配事は特に無し、加えてこれといったストレスも感じていない、漠然とした不安感は持っているもののこれは日本人のDNAに深く刻み込まれた危機意識から発するもので、今感じている違和感とは別物だと考えられる。そう、スキャンの結果は『問題無し』となるのだ。
その違和感が僕に何を引き起こしているかと言えば、そうだななんて言うかどうもいまいち『動きが鈍い』んだよな。それはフィジカル面でもメンタル面も同じで一歩引いたような行動しかしてないように感じるんだ。簡単に言えばネガティブスパイラルに陥っている感覚だ。でもさっきも言った通り『なぜそうなったのか?』さっぱり分からない。太陽が昇り沈むように、月が満ち欠けするように、そんなことは当然のこととしてあるのだろう。ただ、それを感じていることが大切なのではないか?そう僕は考えている。

2010-08-20

秋は月とともに忍び来たる


今晩は気持ちのよい風が吹いていて、久しぶりにエアコン無しで眠れそうだ。いや、実際最近の猛暑は日中の気温は高いものの夜中になれば幾分下がってくるのでエアコンなぞ要らないのだ。かえって朝方になると部屋が冷え過ぎているくらいなので身体にも悪いと思ってはいるが、いかんせんそこは妻が蒸し暑いのを大の苦手としているので止む無しといった所。加えて体温の高い娘達の汗疹の悪化も心配されるので、まあ少々寒くても朝身体がだるくても涼しい部屋で眠れることに感謝して、うつつと夢の狭間を漂うなり。

2010-08-19

生の条件


このキチガイじみた暑さのせいで、あろうことか先週末に植え付けたばかりの秋キュウリの苗が1本だけを残し全滅してしまった。こんなことはもちろん始めてだが、やはり秋の終盤まで実をつけるという秋キュウリにとっては、38℃を越える猛暑は堪え難いものだったということだな。お盆数日間の天候不順の時はカボチャがどえらい勢いで再活性化していたのに、ここ数日の高温に晒されてちょっと勢いが削がれてしまったようだ。おかげで去年は7個も穫れたお化けカボチャが現時点で大玉は1個しか無く、あとは小振りのものがもう1個あるだけで不作と言える。ただし、えびすカボチャは順調でそれなりの実が出来ているのでカボチャ全体が不作というより、やはり涼しい気候の中でぐんぐん育つアメリカ産のお化けカボチャには、この地の猛烈な暑さは厳しすぎるのだろうね。カボチャの他にもいくつかアメリカ産の種子から育てた野菜があるが、やはりそれらは長生きできずに朽ちてしまった。地元産の野菜ですら今夏の暑さには大幅に収量を減らしているものが多いくらいなので、海の向こうからやって来た新参者には生き残るすべは無いだろう。その点自然は実にシビアなのだ。

2010-08-18

猛烈残暑


いやはや38℃とはまいったね。
いくら現場事務所にエアコンがあろうとも、所詮はプレハブゆえ陽がギラギラと照りつけると急激に気温が上がり、エアコンの設定温度を限界まで下げて全開で回しているにもかかわらず気温はいっこうに下がる気配がなく、むしろ益々上がっているようにさえ感じる。室内温度もかなりのものだろう。こんな環境では細々とした内業はちっともはかどらず、画面に向かうとすぐに眠気に襲われてこっくりこっくりしてしまう。気が弛んどると言われればそれまでのことだが、そもそも体温を越える気温の中で仕事なんか出来るわけが無い。というかしたくない。
明日も今日と同じような暑さに襲われるという。『夏』はまだまだ続きそうだな。

2010-08-17

熱波


猛暑再来にて、アメリカの涼しき環境でのんべんだらりとしていた妻は半死半生、意識朦朧として『何ゆえ古代人はこんな灼熱の地に住み着いたのか?』などと訳の分からぬことを僕に問う始末。だから覚悟しておけと言ったのだよ。『今すぐアメリカに帰りたい!』なんて泣き言も、あながち冗談ばかりではなさそうだな・・まあ、しかしもうちょっと『辛抱する』ことを学び、修行せねばいかんのだ。こんなことを直接言うと何百倍にして報復されるので恐ろしくて口に出来ないが、今は暑さで相当へばっているので反撃力もだいぶ落ちているだろう。チャンスかも知れないぞ。
娘達はさすがにちびっ子らしく暑かろうが元気いっぱい飛び跳ねている。この暑さで汗疹や湿疹が再び悪化し始めたが、そんなこたあ、お構い無しに汗だくだ。そのほうが見ていて頼もしい。やっぱ子供はこうでなくっちゃね。

まだこの暑さはしばらく続くという。夏も後半戦、せいぜい倒れぬように用心するさね。

2010-08-16

アンナプルナ式ランチ


娘達がまず4時に起床し、しばらくして妻が起きていった。僕はそのまま真っ暗な部屋に放置され、起きた時はすでに8時をまわっていた。寝過ぎたことに少々不機嫌になりながら階下に降りると、娘達が幼稚園の体操服を着てはしゃぎ回っている。そうか、今週は幼稚園の自由登校日だったな・・と、ぼんやりしていると妻が娘達を連れて幼稚園に行ってしまった。なんか、いきなり彼女らのペースだよな・・なんて、感傷に浸っていると妻がすぐに帰って来て『今日のランチはインド料理屋に行こう!』という。
というわけで前から気になっていたインド料理屋に行き、タンドーリチキンセットを2人してたのむ。スタッフはすべて現地の人のようなので『インドのどこですか?』と訪ねると、彼女ははにかみながら『ネパールなんです』と答えてくれた。メニューにもインド国旗があるのでてっきり・・と思っていたが、日本ではインド料理と銘打たないと客足が鈍いのかも知れない。そういえば以前頻繁に通っていたお気に入りの店(つぶれてしまった)も同じで、壁にアンナプルナ連峰の美しい写真が飾ってあったのも共通している。不覚なことにカメラを持ってなかったので写真が撮れなかったが、ナンがすばらしくおいしくて、しかもおかわり自由。カレーもチキンも実に旨かった。
妻と2人きりでランチするなんて何年ぶりのことだろうか?僕が休みで娘達が幼稚園なんてケースはほとんど無いからね。ちょっと新鮮な感じだった。妻はよくママ友とランチするが、なかなかインド料理とかタイ料理に行こう!なんてことにはならないそうだ。
とにかく今日は良い店と巡り会えたことに2人して喜び、満足な一日だった。

そうそう、壁に貼ってあったインド・ネパールの地図を見ながら
僕『また行きたいな・・』
妻『もう子供達も大きくなったから行けるんじゃない?でも前と違っておとなしく旅行しないかんけど』
僕『じゃあカトマンドゥ行ってダルバートたらふく食べて激やせするか?』
なんて取り留めの無い会話も、一歩踏み出すだけで明日は空の上なんだよね・・

2010-08-15

花火


昨夜、セントレアからの帰り道、右手の方角にパパッと花火が見えた。特急からの車窓では手前の建物や山などが邪魔をして、夜空に大きく広がる花火というわけにはいかないが、それでも一瞬見え隠れする花火に娘達は大喜びし興奮していた。ちょっと得した気分で帰宅すると、今度は南の方角でかなりの数の花火が上がっている。ちょうどフィナーレにさしかかった辺りでバンバン派手に打ち上げており、それを僕らは2階の窓越しに眺めていた。

65年前にも多くの兵士や軍属、そして一般市民が命を落とした。彼らはちょうど花火のように一瞬輝き、そして散っていった・・

黙祷

2010-08-14

妻子帰国


激しき雷雨の中、妻子無事帰国。
毎度のことで慣れたつもりでも、到着ゲートに姿を現すのを待つ間はどういうわけかドキドキし、いざ出迎える段になるとちょっと面映い照れた感じになる。果たして妻もそういうことを感じているのどうかは知らないが、少なくとも娘達は最初は照れて目も合わせないので僕と同じように感じているのだろう。アメリカ滞在中はスカイプでTV電話を頻繁にしていたが、モニターの向こうの娘達は動き回っているくせにほとんど僕に話すことをしなかった。妻によるといつもスカイプでDaddyと話したいと言うのは娘達なのに、いざスカイプを始めるとなぜかshy
になって話さなくなってしまうという。やっぱり照れなんだろうね。その辺がいじらしい所でもあるんだけど・・
今日はニューヨーク→デトロイト経由→セントレアの長旅だったのでさぞや疲れていることだろう。時差も日本とは13時間(アメリカはサマータイムがあり1時間上乗せ)もあるので調整が大変そうだ。
もし真夜中に娘達が目を覚ましたら『よろしく頼む!』と妻に言いつけられたが、この1ヶ月間せっせと庭や畑の手入れを頑張って来て最後にこれかよ!という気がせんでも無いが、皆で一緒に生活するとはこういうことだと噛みしめて、そのお役を全うする也。

2010-08-13

ちょこっと反省


今晩のNHKスペシャル『色つきの悪夢』は、白黒で保存されていた第二次世界大戦の戦場風景をデジタル処理で簡易的に色付けしたもので、それまで知っていた映像がカラーになるだけでこんなにも見え方が変わるものか・・と非常に驚きもしたし、また白黒映像の時よりも実に生々しく、よりリアルというか身近に感じられて、観ながら様々なことを考えさせられた。
僕たちカラーで育った世代には白黒映像はどこか非現実のような、遥か昔の過去の様にも感じられ、それがかえって戦争という事実についての認識や理解の妨げになっていたようにさえ思えるのだ。

そんなことを考えながら観ていると、その空気をぶち壊すかのようにピンポーン!とドアベルが鳴り、『こんばんわー』と来客のようだ。はて、こんな時間に何だろう?宅配便でも届いたのか?と様子を見に行くと、ひょろりとした若い兄ちゃんが『オール電化に興味はございませんか?』と言うじゃないか。瞬間頭に来て『おまえ盆休みやぞ、今何時と思っとんのや!』と叱りつけてやると、『8時30分です』と、たあけの様に答える始末。話にならんのでさっさと追い返してやったが、何もそこまで叱りつけることも無かったな・・と、ちょっと反省。彼もこんな時間に営業などしたくはなかっただろうし、それを思えばそれなりの断り方もあったはずだ。せっかくよい番組を見ていた時だけに余計に腹が立ったとはいえ大人げなかったな。

でも最近、オール電化マン多くないですか?

2010-08-12

Religion


僕が現在特に傾倒している宗教は無い。ただしここで言う『宗教』の対象を例えばキリスト教・イスラム教・仏教のような世界宗教やヒンドゥー教・ユダヤ教・神道などといった民族宗教とするならの話だ。旅先ではよく『あなたの宗教は?』と聞かれたもので、そこで『無いんです』と答えようものなら相手は当惑し、『信じられない!』という驚きの顔をしたものだ。その結果『それはよくないことだ』と決めつけられて教会へ連れて行かれたこともあったし、シリアではモスクで『イスラム教徒にならないか?』と誘われたこともあった。
僕はそれぞれの宗教に対し畏敬の念を持っているし、敬虔な信者に対しては尊敬の念すら持っている。それに何より宗教世界の醸し出すその雰囲気が特に好きで、世界各地の教会やモスク、神社仏閣を訪れることは趣味以上の何かであり、強烈に惹き付けられる何かを感じるのだ。そういった『カミ』を感じる瞬間は日常においても様々な場面であり、空を見て感じる時もあるし草をむしりながらふと気付く時もある。
そう考えると僕は特定の『観念体系たる宗教』としては『信じるものが無い』と言ってはいるが、明らかにそれらでは説明できない違う宗教を持っていることは間違いないだろう。
だからこそ思うのだ。なぜ宗教で殺し合うのか?と。宗教は人を癒し、助けもするが、観念体系によって肉付けされ社会集団として組織化されたものは時に暴走し、その観念によって人を殺めるという悲劇を生んでいる。これは人類の歴史が繰り返して来たことでもあるが、最も愚かなことでもある。
だからという訳ではないが僕は特定の観念組織に加わるつもりは無い。僕は宗教を持ってはいるが、それは人を殺しはしないものだ。

2010-08-11

オクラ合戦


畑のキュウリも一段落し、今は中休みだ。しかしもう既に次のグループが成長しつつあり、あかちゃんキュウリも出来ているからこの台風によってもたらされた雨で一気に生長し、またぞろキュウリ地獄になるのかもしれない。地獄と言えばそのキュウリに取って代わったのがオクラで、こちらもすこぶる生長が早い。最近の朝の日課はまずJackieの散歩に行き帰って来たらオクラを収穫することで、毎朝十数本を穫ることができる。それだけの収穫があることは嬉しいのだが、たった一日でもオクラを食べなかったら在庫が溜まり、僕1人ではどうしようもなくなってしまう。今週末に妻達がアメリカから帰って来れば、その辺りの過剰供給についても解決されてゆくはずだが、こればっかりは実際その時になってみないと分からない。とにかく妻子帰国まではもう一踏ん張り。せいぜい今のうちにトマトやオクラをたらふく喰ってやるとするかね。

2010-08-10

移植


臓器移植カードを持ち歩くようになって10年以上が経つ。いつも財布に入れ持ち歩いているのでカードの痛みも激しく、今のカードは2代目だ。『自分の身に何かあったら臓器を提供するように』と、両親にも妻にも自分の意志を伝え理解してもらっているので、僕自身の『臓器提供の意思』についての審査は問題なく通ると思うが、今回ニュースで盛んに報道されている件に関しては賛否両論が出るものやむを得ないことだと思う。僕自身の意見としては『脳死』は人の死というより『自我』の死だと考えている。それが自分に起こったのならば『僕』は死んだのであり、脳死の状態で生かされ続けるのは『僕』が生きているのではなく『人体』が生きている、ただそれだけのことだ。
どんな原因にせよ『僕』が死んだことで誰かの命が助かるのなら、僕に臓器移植を留まらせる理由など何もなくかえって光栄なことだ。臓器を移植しようがしまいが『僕』が死んだことには変わりなく、ならば我が身体の使える所はどんどん使ってもらいたいと思うのだ。そうすることが『死をもって生きる』ことだと僕は信じている。
世の中には様々な意見があり、今回の移植についても賛否両論真っ向から対立している。反対意見が必要なのは分かっている。しかしただ反対するだけで行動を起こさぬようでは、臓器提供を待つ者は待ちきれずにどんどん命を落としてしまうだけだ。その点をよく考え、対処すべきことなのだ。

2010-08-09

山椒魚


ナガサキの日。

核廃絶が叫ばれる昨今、それと対抗するように『核武装せよ!』と臆面も無く主張する輩が未だに居て、その多様性にはほとほと感心するなり。我が国の首相はと言うと広島・長崎でのコメントは共に『現状では核の抑止力は必要だ』という至極現実的でつまらなく、そして何よりも夢の無い答えしか出来ないのだから困ったものだ。やはり日本は明治維新の時のように地方が中央を倒すといった方策をとらないと、基本的には首相が誰になろうが政党がどこになろうがまったく変わらないのだろう。国のリーダーがころころ変わろうがまったく動じないのが日本の強みとも皮肉られるが、それだけ凝り固まってしまった組織であるということなのだ。それを破壊したのが明治維新であり、太平洋戦争の敗戦であるが戦後65年、はやくもカチンコチンに固まっちまった組織は首も回らず、自分で自分をどうすることも出来ないような状況に追いやってしまった。穴から出れなくなってしまった山椒魚は、今も穴の中で成長を続けている。我々は同じ穴に閉じ込められた蛙なのだろうか?そのまま大人しく力尽きてしまうのだろうか?

2010-08-08

受難


今年は世界各地で洪水の被害が著しいな・・先日にはパキスタンで大きな被害が出たばかりなのに、インドや中国でも信じられぬような大災害に見舞われている。インドではラダックが、中国では甘粛省舟曲県が豪雨被害に襲われた訳だが、この2つの地域に共通しているのがどちらも山深い僻地であり、そして何よりもチベット族の居住地域ということだ。先の四川大地震でもその後のチベット地震でも共に大きな被害を出して来たチベット族に、三たびこのような災害が降り掛かろうとはいったい何者の仕業なのか?ただでさえ貧しい彼らからそのすべてを奪ってしまうような今回の天災を、敬虔な仏教徒である彼らはどう感じているのだろうか?

つい先ほど台風4号が八重山諸島の南海上で発生した。このまま北上すれば直撃しなくとも相当量の降雨があることだろう。天任せとは言え災害の出ぬことを祈るばかりなり。

2010-08-07

電波は見えん!


地上デジタル完全移行まで1年を切ったが、我が家はまだアナログ環境だ。しかしエコポイント制度が終了する12月までにはテレビを買い替えたいと思っている。我が家唯一のテレビはビクター製の21型、しかも球面ディスプレイで最近画像の劣化が著しい。今晩も映画『剣岳』を見るために久しぶりに民放チャンネルを見たのだが、画面にノイズが入り常時雨が降っているように見える。音質も割れるような感じがして否が応でもそろそろ寿命だな・・と感じさせる代物になってしまった。そういえばもう10年になるから仕方が無いのかもしれない。
我が家は現在電波障害地域のためケーブルが入っているが、地デジに移行するとそういった問題が解消されるため各自で対策してくれとの通達がだいぶ前に送られて来た。一番簡単なのがこのままケーブルを継続させる方法だが、これからは月々の受信料を払わねばならずかなりの額になる。そこで自分でアンテナを立てよまいと現在いろいろと検討中なのだ。あすはホームセンターでも覗いてアンテナの部材を確認して来るとするかね。

2010-08-06

ヒロシマ


平和記念式典にアメリカが大使を送った。イギリスもフランスも代表が参列した。そして国連事務総長も核軍縮・核廃絶へ向けてのスピーチを行った。確かにいま世界では『核の無い世界』を求める声が大きくなりつつある。今回の各国の反応もその現れだ。日本のメディアは『ヒロシマ』が世界でどのように報道されているかを繰り返し、今回注目度が上がったことを喜んでいる。
日本は世界で唯一の原爆被害国だ。しかし今までその声に世界の国々の反応は鈍かった。じゃあ今回どうだったか?と言えば、注目を集めただけで何も変わっていない。それはなぜか?
それは日本が未だに原爆投下に対しての被害者意識を強烈に持っており、反対に加害者としての意識が呆れるほどに薄いためだ。なのでいくら日本が唯一被爆国として核廃絶を訴えても『そら見ろまた日本が被害者ぶってるよ』としか見えないのだ。
ドイツは戦後、不十分ながら戦争被害についての謝罪や保証を行って来た、そしてそれらは他のヨーロッパ諸国にある程度受け入れられ、今やEUの看板国の1つだ。かたや日本はと言うと・・まったくお寒い限りだな。まずこの点から改めねば話し合いのテーブルに着くことも出来ないのではないか?曖昧な態度は止め、ここは未来を見据えて一歩踏み出すべきだろう。自分がやったことはさておいて、やられたことだけ訴えるようではいつまでたっても世界は耳を傾けてくれぬだろう。

2010-08-05

にわか雨


朝起きて驚いた。雨が降ってるじゃないか!
昨夜の天気予報では強烈な日差しがジリジリと照りつけ、気温はうなぎ上りと言ってたはずだった・・
空を見上げると湿気をたっぷり含んでそうな黒っぽい雲が、南西方面から次々と押し寄せてはザーっとにわか雨を降らして通り過ぎてゆく。
この程度の雨ならすぐに止むだろうとJackieの散歩に出ると、途端に雨脚が強くなって来た。そしていつものこと、ずぶ濡れになって帰って来たよ。その後もしばらく雨は降り続き、思った以上の雨量があった。これで2・3日は庭の水遣りをしなくてもよいということだな。

自然の恵みに感謝感謝。

2010-08-04

じじばばの神隠し


最近どうも100歳以上のじっさま・ばっさまの行方不明が流行っているらしい。ニュースでは『所在の確認を急いでいる』なんて言っているが、そのほとんどは三途の川を渡ってしまっているだろうよ。ついさっき久しぶりに妻とスカイプしたが、妻が早速その話題を取り上げて『113歳のおばあさんが失踪したんだって?』と、この奇妙なニュースがアメリカでも話題になっているという。そんなこと言うもんだからこちらは『コネチカットの銃乱射で8人死んだんだって?』と返すと、地元であるにもかかわらず『えっ、知らん、ほんと?』なんて言うしで、いったい何がどうなっているのやら・・
老人失踪事件はそのそれぞれを突き詰めるとなかなか根が深そうで、そこには現代社会が抱える『歪み』もしくは『闇』の部分を多分に含んでいそうだが、直接的な原因の多くは担当職員の職務怠慢でしかない。メディアに出て来る彼らは一様に制度や仕組みの欠陥ばかりを取り上げ、自身の過失、それが言い過ぎなら怠慢について検証する者は皆無だ。この態度はいかにも御役所姿勢で見ていて辟易する。
こういうことはまだまだ氷山の一角なんだろうと思うと、そのいい加減さに呆れ果て候。

2010-08-03

龍の巣


大きな入道雲を見て『ああ、龍の巣だ・・』と言う人を僕は好きだ。
何を隠そう僕は結構熱烈な宮崎アニメファン(ジブリアニメファンというわけではないぞ)なのだ。そうは言うもののまんだ『借りぐらしのアリエッティ』を観ていないし、なんと『崖の上のポニョ』さえ観ていないのだから、熱烈というのは単なる思い込みなのかも知れない。
宮崎アニメの中で最も好きなのが、ほぼ同列で『風の谷のナウシカ』と『ラピュタ』で、今までいったい何度観たことだろうか?しかし何度観ても面白く、観る年齢によって見え方が変わるのも宮崎アニメの奥の深さだろう。『ラピュタ』が公開されたのは僕が中学生の時で、その当時は映画の内容よりもむしろ主題歌『君をのせて』の方に心に響く『何か』を感じていた。もちろん今聞いてもその頃とは違った感じではあるが同じようにキュッと心に迫るものがある。
ナウシカやラピュタの存在は決定的にでは無いにせよ何がしかの影響を僕に与えたことは間違いなく、いま振り返ってみると高校卒業してから僕がしてきた様々なことが、実は『君をのせて』の歌や映画の内容などが伏線になっていたのではないか?と思えることが多々あるのだ。
その頃はそれほど感受性が強かったし、影響されやすかったということだろう。しかし、ええおっさんになったからと言ってそのとき受けた印象を忘れてしまったわけではないぞ。それは今でも僕の心の中に健在で、面に出していないだけなのだ。
人は誰しもそういうものを持っているのだろう。その人その人の人生として・・

2010-08-02

気と心


感覚的には今日が今年一番の暑さだった。
気温から見るとおそらく現場付近は36℃後半あたりだったかと思うが、今は地表からかなり掘り下げたところでの作業のため風が通らずまさに地獄の暑さだ。おまけに湿度が高かったため汗が噴き出すように出て、あっという間に作業着がずぶ濡れになってしまう。結局4リッター以上の水分を摂ってもまだ足らず、帰宅後に体重を計ってみると激減していたな。それほど体中の水分が奪われたと言うことだろう。
そんな暑さの中でも現場は楽しいもので、から元気を出しておちゃらけてみたり、お互い体調を気遣ってみたりとこんな狭い現場の中でも情緒にあふれている。あったりまえだが、こんな暑さの中での作業が楽なわけはない。正直辛い。それを少しでも楽しくするのは作業する者みんなの心持ち、気持ちだ。
午後3時頃が体力的にも精神的にもピークを迎え、みな口数は減り朦朧体となって動きがすこぶる悪くなる。そこからが真の勝負だ。誰でも辿り着くところでくたばっちまえばそれまでのこと。そこで何か1つスパイスの利いたひと言が言えるなら、その日はみんなで気持ち良く帰ることができるだろう。

2010-08-01

もうひとつの命


久しぶりに弟夫婦とゆっくり話すことが出来た。
弟の奥さんのMちゃんは今妊娠7ヶ月目。体調を尋ねたところ『至って順調、大丈夫です』とのことでひと安心。この暑い夏に妊婦でいるのはさぞ辛いだろうが、最近はお腹の赤ちゃんの胎動を感じることが出来て、出産が楽しみだという。やっぱり女の人は強いやね。
彼らは遠くに住んでいるためなかなか助けにも行けないが、少なくとも『僕らに出来ることはすべてやる』という心意気で見守ってあげようと思う。もう忘れかけていたが、赤ちゃんが産まれる前の準備から産まれた後の準備まで、本当にやることが多く大変なのだ。しかも一人目の子ならばなおさらだ。

どうかこのまま出産まで順調にいきますよう、願ってやまない。