2007-02-28

始まり、そして終わり


なぜ自分がここにこうしているのか?ここにいる自分は本当の自分なのだろうか?じゃあ、本当の自分とは一体何なんだ?
そんなこといくら考えても分からないから旅に出る。旅に出たからといってその答えが分かるわけじゃない。旅は自分の疑問には答えてはくれないが、何か違う方向性を与えてくれる。その流れに乗って今までだらだらと来たようなもんだ。不思議なことだが、ここに住むようになってもう7年も経つというのに、住んでいるという実感がしないのだ。ここは旅の途中で立ち寄った所で、たまたま長逗留しているだけ、というのが一番近いと思う。アパートに住んでいるからだろうか?一戸建てに住むようになったらこの感覚は無くなるのだろうか?なあに、わかっているさ。もう、とっくに動き始めてしまったのさ。この動きが止まるとき、それが自分の終わるときだ。

2007-02-27

国籍


『父親の認知が出産後だったから・・』たったそれだけの理由で国籍を持つことも許されないなんて、そんなバカな話があるか!地裁の判決は『国籍を与えないことは違憲である』と出たので、これで良い方に向かうのでは?と期待していた。ところが今日の高裁の判決はまったく反対のものだった。愕然とし、深い憤りを感じている。判決の内容も『国籍法上、原告らが日本国籍を取得できるとする規定は存在しない』というまったくのネガティブな信じられないような言い分だ。9人の子供たちはたまたまそういう状況のもとで生まれただけだ。子供たちは親を選ぶことはできず、また生まれてくる環境も選ぶことはできない。子供たちがただその状況で生まれたという理由だけで差別を受けたり、困窮するようなとき、それを助けてやるのが大人であり、社会ではないのか?規定が無いなどという馬鹿げた理由で子供らの未来を踏みにじるような、そんな国が『美しい国』なのか?

2007-02-26

反グローバル化


辺鄙な田舎の小村や大海に浮かぶ離島に至るまで、今や世界規模でグローバル化という強力な波にさらされつつある。いや、もう既に第一次浸透を終え、あとは内部から溶解させるだけの段階に至っている感さえする。グローバル化と言えばいかにも地球規模という意味合いで良いように聞こえるが、実情は単なる西洋的、特に合理化に象徴されるアメリカナイズされた文化の世界的な浸透にほかならず、それは同時に非民主主義的資本主義の広がりを意味している。確かに徹底的に合理化され物事の一元化が進められた結果、複雑なシステムは簡略化されコストも大幅に削減された。だが、その裏で為されていることは何か?グローバル化という名の下でそれを受け入れない者、拒む者、異端の者は次々と吊るし上げられ『悪』とされて来た。『悪』は赦されること無く徹底的に叩きのめされ姿を消した。それが『民主主義だ!』と言う。
反グローバル化!と叫び火炎瓶を投げる輩も馬鹿者だが、グローバル化を推進するために!と言いながら爆弾を落とすヤツらこそ現代版十字軍にほかならない。

2007-02-25

リスク


相変わらずの物件巡りの週末だが、今回は小学校までが遠すぎた。これは気になる物件を見に行った時は必ずチェックすることだが、学校の雰囲気や通学路の状況、そして距離は判断の重要な要素でもある。各校区によって学校までの距離が平均的になるよう設定はされているものの、どうしてもスポット的にやたらと遠くなってしまう所がある。かえって隣の校区の学校へ通ったほうが半分ほどの距離しかないようなケースもざらだ。今回もそう。通学路を車で走り距離を測ってみると2.3Kmもあった。年寄りならば『なんのそれしきの距離』と言い出すだろうが、昔とは環境が違う。学校にたどり着くまで国道1本、県道2本を横断せねばならず、それぞれの道がかなりの交通量なのだ。小学校中・高学年になればそれくらいの距離でも大丈夫だろうが、低学年にはキツいだろうし何より親が心配だ。スクールバスでの送迎が当たり前のアメリカ育ちの妻にとっては2.3Kmを歩いて通わせるなぞ考えられないことだそうな。児童誘拐が増加する中、確かにリスクをできる限り回避するのも親の責任だと思う。まあ、そんなことを言っておるからなかなかいい物件に当たらないのだろうが、そりゃー仕方のないことだ。こちらは希望を持って我慢強く待つしかないな。

2007-02-24

漏洩


最近、生命保険Aflacの勧誘攻勢が激しさを増している。一週間ほど前に保険の内容を紹介する封筒を送って来たのを皮切りに、日中も営業の電話がかかってくるそうだ。妻も複雑な日本語は分からんので旦那に言ってくれと切っていたのだが、今日その電話がかかってきた。お相手をしてみるとまず『保険にご興味はおありですか?』という、どう答えて良いのか分からぬ質問をされ、資料は見てくれたか?だのとまくしたてて来る。それをさえぎって『ところで僕の個人情報はどこから手に入れたのだね?』と尋ねると、とたんに弱気になってNTTの電話帳から・・などど言い始める。自宅の住所の書き方はごく最近になって少し変えていたので、変更後の宛先で来ている点からも嘘をついていることは明らかだ。しかも僕の名前は間違って呼ばれることがほとんどなので、妻はそれを基準にして電話の応対をしているほどだ。つまり間違えて○○さん居ますか?と尋ねる電話には『知らん!』と言って切ることになっている。ところがAflacの営業は間違えずに尋ねたそうだ。なるほど、情報の漏洩したところが分かって来たぞ。おそらく最近になって行き始めた住宅展示場のどこかのメーカーから漏れたに違いない。展示場ではすべての建て屋に入るごとに記帳を求められるが、当然断っていた。ただ、何かしら勉強になる情報は欲しいのでその時に書いたのが漏れたのだろう。しっかりフリガナも書いてあるので間違えない訳だ。保険の営業にとっては家族構成も一目瞭然でおいしい情報だろな。
いくらAflacの攻勢が激しくても、いらんものはいらんし、相手をしとる間もないので二度と電話をしないように釘をさして終わりにしたさ。営業は営業なのだから仕方ないにしても、情報をもらしたメーカーめ!なんて気分を害したところでしょうもないこと。とどのつまり記帳した自分が悪いのさ。

2007-02-23

老女と息子


いつもの帰り道でのことだ。一人の老女が路肩に車を止め、まっすぐ前を見て佇んでいる。別段何もないところなので始めは何をしているのだろうと不思議に思ったが、そうだ思い出した、そこは養護施設へ通う送迎バスの待合場所だったはずだ。日によっては朝にその老女と思しき人がダウン症であろう息子を連れて待っているのを見かけることがある。その息子はいつも携帯(普通電話の子機のようだが)を耳に当て、しきりと何かを話しているのだ。話している振りをしている訳じゃない、明らかに誰かと話しているのだ。その傍らで老女が今日と同じ表情をして佇んでいた。
息子を迎えるため強風のなか車から出て道路脇に立っていたのだろうが、その視線はバスが来る方角を見ず、無表情にまっすぐ正面を見つめていた。自分はその前を一瞬車で通り抜けたに過ぎないが、老女の表情はあまりにも多くのことを語っていた。その後今に至るまで繰り返し老女は現れ、何かを語るのだ。

2007-02-22

猫の日


今日は猫の日だそうな。2.22でにゃーにゃーにゃーということか?ばかばかしいと思いつつもウチの猫どもに普段は与えない猫缶を大盤振る舞いしてやったわさ。
現場の足折れノラ猫は皆で過剰なほどせっせと餌を出してやるものだから、ちょっとぽっちゃりして来たようだ。毛並みにも艶が出て来ている。昨年始めて見た時は前足を骨折した直後だったのでガリガリに痩せ、目もヘルペスで爛れ、みすぼらしく、とても生き残ることができそうになかった。それがどうだ、生きる力というものは凄いものだな。と言うより、前足の折れた致命的な手負いの状態でも自ら死ぬこともできず、生きている以上生き続けねばならぬことのほうがどれほど凄惨なことか。今はそこに居るだけで食べ物が出て来るが現場が終われば再びサバイバルが始まる。自分のしている行為はノラを余計苦しめることになりはしないのか?どうなんだ?

2007-02-21

怒り


どうも怒りっぽくていけないな。別に気にするような大したことでもないのにその時のことを思い出すとムカムカし、怒りが込み上げて来る。もともと短気で激昂型だがそれだけじゃない。若いときにあった出来事に対するやり場のないどうしようもなく大きな怒りが解放されずに、今でも煮えたぎるマグマのように沸々としている。普段は休火山のごとく平穏で居られるのだが、ひとたび怒りを発してしまうと連鎖反応的に押さえられていた怒りにも飛び火し爆発しそうになる。間違いなく自分はキレるタイプだろう。それにしても昔受けた傷はなかなか癒えぬものだな。この澱のように溜まっている怒りをどうにかできないものか?どうにかできるのは自分自身しかいないのだろうが・・

2007-02-20

遊び場?


先週末、住宅展示場なるものに始めて行ってみたのだが、なんとまあ巨大で豪壮な家々が建ててあることだろう!スタッフにこの程度のものを建てると一体いくらかかるか尋ねると『まあ、建物だけで大体5000万ほどでしょうか』ときたもんだ!展示場だから見栄を張りたいのは分かるが、ちとやり過ぎではないかね。その家のイメージで平均的な40坪ほどの家を建てたとしたら、完成後になってあまりの格差に愕然とするのではないだろうか?そんな余計なことを心配しつつ数軒を見て回った。中古物件がなかなか出ないので新築も考えるようになったのだが、自分たちが望むようなものを建てるとすると3000万もの負担がのしかかって来る。ううむ・・取りあえずアンテナだけは広げて置こうと思う。
親たちが部屋のレイアウトなどについてああでもないこうでもない、と言ってるそばで子供たちは大はしゃぎだ。戸棚や引き出しを激しく開け閉めし、おしゃれのつもりで置いてある飾り物を取っては投げ、あげくの果ては『ウンチした!」だ。豪華な応接セットの上でおむつを交換し、強烈な臭いを充満させて退散したのだが、子供はちゃっかり記念品をもらいご機嫌だ。そうだな、天気の悪い週末は住宅展示場に行くことにするかな。

2007-02-19

バベルの塔


どうして高く聳えるものにそんなにも惹かれるのだろうか?
地平線の中に屹立する給水塔、鉄塔、高層ビル、それらは僕の視線を奪い、まるで向こうからこちらをじっと見つめているような気配を感じさせる。こちらが動いていても遮蔽物の間から見え隠れしながら監視を続けているようだ。その存在感は他を圧倒し、いつしか人々の心にまで入り込み畏れ多きものとしての地位を獲得している。人為的なものであっても何もないはずである空間に堂々と鎮座する様を見れば、もはや人為を越えたパワーを感じるのは当然のことだ。ただ、不思議に思うのは塔に引き寄せられつつも、その塔自体にのぼってみようなどとは思わないところだ。そうさせない何かを塔は発し、自分はそれを感じ取っているからだろう。

2007-02-18

family


不法滞在イラン人一家に対して入国管理局が出した温情決定とは家族をバラバラにすることだった!長女は短大入学が決まっていたので留学ビザを出し、父親と妹は強制退去となるそうだ。テレビニュースではことさら長勢法相が『これは異例の決定』だの『温情を持っての判断』だのと強調していたが、家族を引き離すことのどこが温情決定なのか?常に国家は多くの家族を奪い、引き離し、路頭に迷わせて来た。国家は我々に何をもたらして来ただろうか?無政府主義者ではないが、たったひとつの家族でさえ寛大に迎えてやれぬような国家なぞ存在する価値もない。法治国家として法を遵守する姿勢は理解できる、今回の決定がそれを踏まえた上での苦肉の策であることを期待したい。長女の在留資格に対する扱いがキーのようだが、どんな方法でもいい、家族一緒に暮らせるよう配慮してやってほしい。それが温情だ。

2007-02-17

手紙


昨年末にヒマラヤのローツェ峰初登頂に挑んでいた友人から無事帰国の報と共にお土産を頂いた。毎回彼がヒマラヤ方面に行くと聞くや図々しくもお土産をリクエストするのだが、こちらは頂いてばかりで何もお返ししたことがない。今回も香辛料と音楽CDありがとね。その彼が帰国前にカトマンズで手紙を80通も出したのに、そのすべてが消滅してしまったそうな。日本ではあり得ない(最近はドブ川に配りきれなかった手紙を捨てる郵便局員もいるが・・)ことだが未だにカトマンズではそんなことが多発してるんだな。僕が滞在していた時もカトマンズの郵便局の裏では手紙から切手を剥がしている輩が居るとの噂をしょっちゅう聞いたもんだ。実際自分がアメリカに帰国していた妻に宛てた手紙もその内の何通かは消え、生き残った一通がなんと一年以上も経って配達されたこともあった。その手紙を受け取った時は僕も妻の実家に居候していた時だったので、自分が出した手紙を一年経って自分で受け取ったことになる。そんな摩訶不思議なことが多発するのがアジアであり、愛してやまない点でもある。

2007-02-16

国家資格


昨年10月に受けた国家資格の合格発表があった。結果は・・合格!気合いを入れて勉強した甲斐がありました。資格が取れたことはうれしいが、その資格を活かしてすぐに仕事をせよ、と言われてもできないんだよなこれが。よく『あいつは資格を持っとるだけで仕事ができん』てなことを耳にするが、まさに今の自分がそれだ。資格があっても経験がなければ仕事をうまくこなすことができない。そもそも参考書を丸暗記するだけの試験なぞまったく意味がないと思う。試験さえ済めば必死に憶えた事柄もあっという間に忘れ去ってしまう。そんなことで得た資格にいったい何の価値があろうか?仕事上必要な資格だから取りはしたが、今はまだただの紙切れなので経験を積んでモノにして行こうと思う。とにかく受かっていてホッとしたよ。

2007-02-15

煙草


いまは一箱300円もするんだね。実は自分も5年ほど吸っていたことがある。そう言うと知人の多くは『ええっ!』と驚き信じてくれぬが、そんな時もあったのさ。嫌煙強硬派となった今では自分が吸っていたことさえ信じれぬほどだ。海外をふらついていた時も中国を手始めに各国の煙草を買っては楽しんでいた。特に東南アジアにはバラエティーに富んだパッケージがたくさんあり、そのへんてこりんさに惹かれて買っていたようなものだ。国境地帯の闇市場にはメーカー品のバッタもんがあふれかえり、そのデザインのおもしろさと稀少さ?ゆえ思わず大量買いしてしまい、中の煙草だけ捨てればよいものをもったいないからと無理に吸い、案の定粗悪な煙草に当てられ体調を崩したところへ熱帯シマ蚊の一刺しでデング熱に感染してしまった。上半身に赤い斑点状の発疹が出て高熱にうなされること数日間、病院へ行かず薄暗いポン引き宿の一室でなんとか自然治癒したものの数キロの体重を失い、体力・気力も衰えてしまった。煙草をやめたのもそれから間もなくのことだった。おかしなことだが粗悪なバッタもん煙草のおかげで断煙できたようなものだ。

2007-02-14

ケリ


先ほどからおもての田んぼでケリが盛んに鳴いている。今年になって始めて聞くその甲高い鳴き声。春一番にのってはるばるミャンマー辺りから渡って来たようだ。毎春営巣する田んぼにやっとこさ着いて喜びの声を上げているのだろう。ごくろうさん。子育て中はケリケリケリッキキッと常に威嚇的に低空飛行を繰り返し、時には人の頭をつつくこともあるほど気性は激しいがその必死さゆえどこか憎めず、毎年春が近づくとちゃんと帰って来て季節の移ろいを知らせてくれる。年々田んぼは潰され彼らが営巣するスペースが奪われてゆく中でもカラスを追い払い、ノラ猫を蹴散らし孤軍奮闘している。さっき鳴き声を聞いたとき、うれしくなって思わず微笑んでしまった。
『ヤツら帰って来たな!』と。冬は去り、さあ春がやってきたぞ!

2007-02-13

オイルの血


いのちが何よりも大切なことは言うまでもない。しかし、多くの人々のいのちを左右する立場にいる輩のほとんどはそんなことには興味がない。ひたすら利権を追い求め邪魔する者があれば手段を選ばず消してしまう。英雄は去り、流れる血がオイルに変わってから幾歳が過ぎ去ったことだろう。人々はオイルの血を流して斃れ、滅びてゆく。その死には数字だけが与えられ嘆き悲しむ家族の姿などどこにもない。一体何のために彼らは死んだのか?なぜ幼子は足をもぎ取られたのか?そしてなぜ自分はこうやってぬくぬくとしておれるのか?

2007-02-12

微笑み


この3連休はお天気も良く、ゆっくりすることができた。上の子を実家に泊めたこともあって子供が1人減るとこんなにも楽なのか!とそのあまりの違いに驚きもした。下の子も両親が自分1人だけを相手にしてくれているのでよほどうれしいのか、終始ご機嫌で微笑みを絶やさなかった。普段は子供たちがまだ寝ているうちに家を出て夕方はできるだけ早く帰って来るが、ちょうどその時間帯が子供たちの機嫌が一番悪い頃なので、疲れて帰って来ると子供たちの泣き声がアパートの外まで聞こえていることがしばしばだ。当然家に上がればその相手をせねばならずなかなかハードな毎日だが、今回のような連休で朝のご機嫌の微笑みを見て、夕方の激しいぐずりが単なるタイミングの問題なのだと知り、ひょっとしてなついていないのかも?との心配も霧散した。それにしても、上の子を実家に預けバイバイをするときに母親に対しては少し寂しげな悲しそうな表情をするのに、僕に対しては元気一杯『バイバーイ!』と手を振るのはなぜ?

2007-02-11

つまらぬこと


いつも通る細い道。どちらかが譲り合わねばすれ違えぬ道。ところがたまに待機場所を無視して突っ込んでくる輩がいる。つい先ほどもそうだった。軽が突っ込んで来た、当然すれ違えぬので降りて行って『バックしてもらえんかね?後ろは見とるから』と言うと、彼女つれた若い兄ちゃんがいきり立って『お前が突っ込んで来たからそっちが道をあけろ!』と言う。軽は5メートルも下がれば待避所なのにだ。なので『俺この近所のもんだけど、この道では対向車が来たらこの待避所で待っとることになっとるんだけどね』と言うと、『この辺のもんじゃねーで知らんわ!』とあくまで挑発的だ。その他いろいろあって、その態度に腹が立ったのでぶん殴ってやりたかったが、子供たちのことが頭をかすめギリギリのところで踏みとどまることができた。たわけのガキには付き合っとれんので、でかい車をわざわざ狭い路地に入れてやり道を譲ってやったわさ。あの若者があと一言余計なことを言っておれば自分はコントロールを失い手をだしてしまっただろう。人を殴ることはたやすいことだが、その怒りを抑え自分が譲るということは簡単なことなのになかなかできないことだ。今回はなんとかできたので、おかしなことだが『俺って大人だよな〜』と大人のはずなのにそんなことを思ってしまった。でもほんとに大人なのかな?

2007-02-10

新築


今まで新築物件は完全に選択肢からはずして来たのだが、ここにきて中古物件の出物の少なさと結局はリフォームなどでかかってしまうコストを考えると、その価格差があまり大きくないので勉強も兼ねて冷やかし気分で見て回ることにした。とはいえある程度ちゃんとした家ともなれば60坪ほどの敷地で3千万円は越えてしまう。それを切る値で売り出している家もあるが、コストを抑えた点が簡単に見て取れ、とても手を出せる代物ではない。それにしても3千万か〜とてつもなくでかい額だな・・今の自分では無理だ。
新築建て売りはまだ数軒しか見ていないが、いろいろと勉強になる点も多い。最近流行のフロアプランやらオール電化、換気システムやら耐震性だのと築20〜30年経った中古物件との違いは歴然だ。一戸建てにしては気密性も今住んでいるアパート以上にあるようで、比較的交通量の多い道路沿いの物件なのに車の騒音はまったく聞こえて来ない。実家とはえらい違いで驚く。そうなるとやっぱ新築はいいな・・ということになってしまうが、うーんどうなんだろう?
とにかく数を見て勉強し、あらゆる可能性を探ろうと思う。

2007-02-09

猫派?


猫を2匹飼っているからといって猫好きというわけではない。たまたまそうなってしまっただけのことだ。子供の頃は近所にノラ猫が多く、せっかく捕まえた魚などをしょっちゅう網を破られて奪われた。だから猫を見つけるとかわいがるどころか石を投げつけては追い払ったものだ。悪ガキ時代の僕にとっては猫は敵であり、むしろ犬の方が良き友だった。それがいまは・・まったく想像できなかったことだ。家の中で猫を飼うなんて!妻は生まれたときから猫のいる家庭で育ったためいるのが当然と思っているが、こちらは猫との共同生活に慣れるまでかなりのストレスがあった。そんなことだから人に『猫好きですね』なんて言われると『エヘへ』と答えるしかない。嫌いではない、が、特別好きなわけでもないというところかな?そんな付かず離れずのスタンスこそまさに猫そのものと言えなくもないが・・

2007-02-08

夜泣き


いやはや凄い泣き声だこと!
下の子の夜泣きが激しくなって来ている。身体が大きくなるのと比例して泣き声も低く太く響くようになり、もはや無視して寝ておれなくなった。とはいえ泣き始めてしばらく経つとまた寝入ってしまうので、その点上の子よりは大分ましだ。上の子は泣き始めたらなんと1時間でもへっちゃらで泣き続けていた。そしてまた寝かそうと思ったら車に乗せてドライブへ行かないと決して寝なかった。おかげでその頃は深夜のドライブをよくしたものだ。下の子はまだ一度も深夜のドライブへは行ったことが無い。そう思うと下の子は楽なんだな・・とてもそうは思えんがね。ま、夜泣きがひどいのもしばらくの間のことさ、修行と思って耐えるさね。

2007-02-07

空ろ


何かが物足りない。どうもバランスが崩れてしまっているようだ。
そいつの近くを通るときは必ず視線はそいつに吸い付けられ安定を保っていたのだが、あっさりと取り壊されてしまった今は視線が宙を漂ってしまい、妙な落ち着きの無さを感じる。これとまったく同じことをニューヨーク・マンハッタンのワールドトレードセンタービル跡地近くでも感じたことがある。妻の友人がツインタワーの近くに住んでいたこともあり、テロ以前の壁のように聳え、まわりを威圧するツインタワーをしばらく拝んでいたことがあった。その後テロが起こりツインタワーは崩壊したが、崩壊後の風景は写真などを見て感じるのとは比べ物にならないくらいの空ろさを漂わせていた。街を歩いていても何かおかしいのだ。何だろう?と振り返るとそこにあるべきモノがないのだ。空間のバランスは突如崩れ、連動して自分の精神にも異常を来す。妻の友人は結局そのアンバランスさに耐えられなくなり、引っ越しを余儀なくされた。

2007-02-06


凄まじい音だ。
昨日今日と作業している真上で仮設歩道橋のコンクリートをブレーカーにてハツっているのだが、その音のうるさいことといったら!すぐ目の前で自分に向かって話している声がまったく聞こえないほどなのだ。タタタタタ!タタン!タタッ!タタタッ!と単なる音というより衝撃波のようだ。我慢すれば無視できるかと思ったがそう甘くはない。なにやら気分が悪くなってくるような、人を精神的に追いつめるようなそんな音なのだ。更に厄介なことに現場を離れてからもその音が耳の中に残り、なかなか振りほどけない。帰りの車の中でCDを大ボリュームでかけてみても効果はないようだ。それほど脳にくっきりと焼き込まれてしまっている
明日中にはハツリが終わることを願いつつ作業したいな。でないとみな発狂してしまうだろう・・・

2007-02-05

Horizon


果てしなく広がる地平線、もしくは水平線。そんな風景を心から愛する。
思えばいままでの自分の行動の多くも地平線や水平線に触発されて起こしてきたようなものだ。自分にとって横の広がりほど魅力的なものはない。なぜかはよく分からないが横の広がりをぼんやり眺めていると引き込まれるような、自分の身体がふわっと浮き上がるような不思議な感覚にとらわれる。そして考える。『この広がりの向こうには何があるのだろうか?』と、そう思ったらあとは行くしかないのだ。そうやって南を目指し沖縄にたどり着き、そこからさらに南下して赤道を越えてしまった。補陀落渡海、ニライカナイ、パイパティローマを信じるわけではないが、自分も間違いなくそれらに刺激され行動を起こすきっかけになった。じゃあ、実際に行動してみて何があっただろうか?特別なことは何もない。そこには必ず人がいて、それぞれの営みがあった。その昔、無数の人々が理想郷を求めて海を渡り、どこかへ流れ着き、必死になって新たな営みを始めたことだろう。
地平線。水平線。横の広がりには人を引き込む力がある。この広がりの向こうにはきっと何かがあるはずなのだ。

2007-02-04

家そして人


恒例の中古一戸建ての内覧に今日も出かけた。
今回ははじめて居住中物件の中を見させてもらったのだが、やはり人が住んでいる以上いくらいいよと言われても遠慮してしまい、押し入れや納戸、風呂やトイレ、台所などをつぶさに見ることはできなかった。住んでいる人の目の前で仲介業者相手になんでここはこうなんだ?と聞くわけにもいかず、かなりの額を払う前の下見としてはまったく物足りないものになってしまった。
今日の物件は任意売却物件という特殊なもので、家主が自己破産したため銀行などの債権者が担保として家を差し押さえ、競売物件として出す前にもう一度仲介業者に託したものらしい。そのためか家主の方はまったく家を売る気が無い(差し押さえられているので本人にはもはやどうでもよい)ようで、僕らが見に行ったときもタバコの吸い殻は灰皿に山のようになったままだし、飼っている犬のおしっこシートも和室に敷いたままの状態、その他のものもまったく片付けようとした痕跡もなかった。家を少しでも高く売りたい、よく見せたいという立場の人ならまずしないことだろう。この家を出たくないという気持ちがひしひしと伝わって来た。仲介業者にこの家を買うと言ったら家の引き渡しはどうなるのか?と尋ねたら、取引成立後1〜2ヶ月の間に引き渡されると言う。じゃあ、いま住んでいる人が出て行かなかったら?と聞くと『出て行ってもらいます』とのこと。
結局この物件はやめることにした。ロケーションは最高に良い所だったので乗り気だったが、居住者の問題の他にもさまざまなことがあり、惜しいと思いつつも諦めざるを得なかった。
今回はいいぞ!と思っていた物件もいざ中を見ると・・・というものが多い。でも希望を持つことは諦めないぞ。必ず出てくるはずだ。

2007-02-03

たんこぶ


一瞬青ざめてしまった。
上の子がおもちゃを床にまき散らし、片付けるよう何度も注意したのに無視をして言うことを聞かない。こちらもちょっと怒ってしまって『こっちに来なさい!』と強く引っ張りすぎたため子供が倒れ、部屋の敷居に額をガツン!とぶつけてしまった。それはすごい音がした。『大丈夫か!』と抱き上げるとみるみる青紫色に腫れ上がってくる。ピンポン球を半分に切ったくらいの大きさにまでなってしまった。すぐに冷えピタシートで冷やしたが、そう簡単に腫れが引くものでもない。風呂に入っていた妻が出て来て『オーマイガ!』と叫ぶわ、子供らも泣き叫ぶわでパニック状態に・・。とにかく頭を強く打ったので心配になり子供病院へ直行し、診察してもらったら『大丈夫、単なるたんこぶです』とのこと。子供は皮膚が薄いので腫れもひどいそうな。上の子も驚きと痛みで泣きはしたが普段と変わらぬ様子。『おでこ大丈夫?』と聞くと『Doc said Okey』と答えてくれた。
一日経った今、おでこの腫れは依然あるもののまだ青くはなっていない。元気一杯に遊んでいる。それにしても自分が許せない。あんなに強く引っ張る必要はなかった。あの時明らかに自分は怒っていて、その怒りのままに上の子を引っ張った。もっと自分を抑えなければならない。そう長年思っているもののまったくできていない。このままではまた同じことを繰り返してしまう。成長せねばならぬのは子供じゃなく自分の方だ。

2007-02-02

刹那


うれしいことがあった。
左前足の折れたノラ猫がひょっこり現場事務所に現れたのだ。『おまえ、生きていたのか!』と感動すらした。昨年の6月まで現場事務所にて毎日餌をあげていたのだが、現場事務所の移転と現場終了によってそれっきりになってしまっていた。その頃はまだ左前足の骨折が癒着しておらずぷらぷらしており、このままでは生き延びることはまず無理だろうと思っていた。『面倒を見切れないのに餌付けをするほうがかわいそうだ』という意見もあり確かに迷いはしたが、ほんの刹那でも傷ついたノラ猫の空腹を満たしてやれればと思い餌を出していた。それが正しいことなのかどうかは今でも分からない。そして今日、元気な姿を見せてくれた。身体もひと回り大きくなったようだ。毛並みにもつやがある所を見ると誰かが餌を与えているのだろう。そうでなければ生き残れなかったはずだ。左前足は折れ曲がったままだが癒着したようで、相変わらずびっこを引きながら歩いていた。僕のことを憶えているのか、こちらを見て逃げもせずにゃーにゃー鳴いてた。また餌をあげようと思う。正しいかどうかなんて関係ない。ノラが満たされればそれで良い。過酷な現場の環境で生き抜いたノラへのご褒美として。

2007-02-01

空中住居


このアパートに住み始めて今年で7年目になる。
当初は2年ほど住んで妻と一緒に海外へ長期の旅に再び出るか、もしくはアメリカのグリーンカードを取得して移住してしまうつもりでいた。それが案の定だらだらと伸びて今に至っている。子供も2人になった今、余計身動きが取りにくくなって来た。なんとか上の子が小学校に入るまでにはウチのこともケリをつけたいと願ってはいるが、こればっかりはね・・
アパート住まいに関して特に不満はないが、赤子が大声で夜泣きをするようになった今は上下左右の部屋の住人に理解を求めるしか無い。狭い部屋の中では赤子の泣き声も反響し、他の部屋に迷惑をかけているのじゃないか?と心配して更にストレス度が上昇してゆく。
はやく子供を思いっきり泣かせてあげられる環境を整えたいものだな・・