2009-01-31

防衛網


平日朝のJackieの散歩はまだ辺りが暗いうちに出て、うっすらと白んだ頃に帰って来る。仕事から帰るのも日が暮れてからなので平日は畑や庭の様子をじっくりと観察する機会が無い。今日も晩ご飯の準備をしようと屋敷外の平場に作った畑に法蓮草を穫りに行くと、見事に葉だけが食荒らされ見るも無惨な姿に・・集中してやられている場所はほとんど茎しか残っていない。その中からまだ食べれそうなものを選んで持ち帰り事の次第を妻に話すと、妻が昨日穫りに行った時はまだ大丈夫だったと言う。しかも状態が良さそうなものをわざと残しておいたエリアが今回集中的にやられたようで、妻も相当憤慨していた。これは先日も書いたようにヌートリアか何かの仕業だろうが、先回にも増して被害が広がっていることから彼らの格好の餌場となってしまったようだ。そりゃ、ちょっと喰われるだけだったら同じ地球に共存する者として理解し見逃すのだが、今回のように一夜にして壊滅的打撃を受けるようでは、さすがに黙っちゃいられない。そこで明日さっそく畑の周りに防獣ネットを張ることにした。盗人がヌートリアなら穴を掘るので防げないかも知れないが、一応試してみる価値はある。畑をやり始めたとき隣の畑がネットフェンスで囲ってあるので『なぜか?』と聞いたら、河川敷に住む動物が畑にまで登ってきてさんざ食荒らしてゆくからだと教えてくれた。その意味が今になってやっと分かったことになる。しかし何で今の季節になって突然荒らされるようになったんだろう?その辺りが謎だが、とにかくまずは防衛作戦第一号を発令だ。

2009-01-30

慈雨


暖かい雨、恵みの雨。からからに乾燥した天気が続き、水もろくにあげていなかった畑の野菜や庭の木々、そして花達もさぞや喉を潤していることだろう。雨脚を聞く限りでは予報の通り、かなりまとまった雨になりそうだ。この雨も明日の午前中には上がりそうな気配なのでそれからは外仕事を少しはできそうだな。今の庭や畑は一部の野菜を除いてほぼ休眠状態にあるため、あれこれとやることはあるものの強いてやらねばならぬほどのことは無い。そこで何となく草を引いてみたり、コンポストの手入れをしたり、Jackieを撫でてみたり、ただボケーッと突っ立ってみたり、何か考えているような振りをして何も考えていなかったり、写真を撮ってみたりと、天気さえ良ければ飽くことなくいつまでも外に居て楽しんでいられる。子供達もほんと外遊びが大好きで、いつも砂場でそれこそ全身砂まみれになって遊んでいる。外がかなり寒い日でも時雨れてさえいなければ外に出て、頬と小さい手を真っ赤にしながら、おまけに鼻水まで垂らして元気いっぱいだ。『子供はこうでなくっちゃな・・』と思いつつ、この家と出会えてどれほど癒されているだろう?と考える。一年以上も家を探していて良い物件はあったものの、いまいち決断するには何かが足りなかった。そしてだんだん家探しにも疲れてきて、諦めかけていたころにこの家と出会ったのだ。僕が生まれた年に建てられたので、もう築35年以上の古い家屋になるが、僕達の生活にはこれで十分だ。

さらに雨脚が強くなってきた。この季節にはめずらしい大雨だな。この雨が昨日清掃を完了した石垣に吉と出るか凶と出るか・・月曜の計測本番に向けて汚れがきれいさっぱり流れ去っていることを願うばかりなり。

2009-01-29

雪山遠望


今朝は比較的暖かく厳しい冷え込みも無かったが、標高711mの現場周辺は真っ白に霜が降り気温は−2℃。日の当たらぬ北面の石垣に取り付いての作業はすべてが冷えきっており、石垣の合間に堆積した落ち葉や土などもすべてがカンカンに凍り付いていた。普通の掘削道具では歯が立たずタガネを用いて凍土を砕き掻き出すという特殊な作業。それでも昼頃には気温も上がり、日向に出ればポカポカ陽気で実に気持ちが良い。本丸に登り正面に恵那山を眺めながらおにぎりをほおばる。左の方角に目を移せば、遠く北北東に駒ヶ岳をはじめとする中央アルプスの神聖なる白き峰峰を眺めることも出来る。天下の名城にどっかと腰を下ろし、この雄大なる眺めを堪能できる我が身の幸せなることよ。
早々に飯を済ませると何度も補修を繰り返された石垣群からは離れ、一人中世城郭遺構を探さんと薮に分け入ると所々に竪堀や稜線を断ち切った堀切を確認でき、この城の堅固さ、規模の大きさに改めて驚嘆する。
さて、そんなお楽しみも程々にしてまたぞろ梯子の人となりびっしりとこびりついた苔類を黙々と取り除き、なんとか今日中にあらかたを終了することが出来た。後は3次元計測当日に軽く全体を掃除すれば大丈夫だろう。
どこかうらぶれた雰囲気の漂うこの城に僅か数日なれども関われたことに感謝!

2009-01-28

いにしえ人は何を想いて石を積みしか?


天候に恵まれ抜けるような青空のもと、終日石垣に取り付き清掃作業に励む。長大なる梯子を掛け石垣に取り付いているその様は、まるで城攻めをしているがごとし。苔を落とす手を休めながらふと想うのは、これだけの石材をどこから切り出して、どうやって標高700mほどの高さまで運び上げたのか?トラックも重機も無い時代の作業量を考えると、気の遠くなるような膨大な作業の結実であると容易に想像できる。そうやって積み上げられた石垣に取り付き作業する僕もまた、この城の持つ長い歴史を構成する一つの要素になるのかな・・なんて考えていると、一見何をしているんだか分からないこの清掃作業も重みを増し、動かす手先も自然と丁寧になってゆく。
一日の作業を終え、清掃の終了した箇所を眺めてみると、厚く張り付いていた苔類が取り除かれ石垣も気持ちよさそうだ。苔むした城跡も趣きがあって良いが、所詮は人の手が離れてしまった証拠。たまにはこうやって掃除してやろまい。

2009-01-27

光へ!


今さっきコミュファ光に申し込み完了。開通までは2〜3ヶ月もかかるようだが、それも今月末で閉め切られるお得なキャンペーンで僕のような申込者が殺到しているからだろう。現況では光回線の中でも速い方だと言われているコミュファ光を早く味わいたいものだ。光が開通すれば今まで見ることが出来なかったYoutubeも見れるようになるぞ!なんたって今使っているYahooBBのリーチDSLは下りの速度が200KBも出ないから話にならない。こんなんじゃむかし流行ったISDN回線に毛が生えたようなもので、ネットを使った様々な作業で時間のロスが多く非効率も甚だしい。これでまだ使用料差が大きいなら辛抱もするが、コミュファ光だと光電話も入れて月額で5500円ほど。光電話にしてNTT回線の休止手続きを済ませば月額1700円ほどのNTT基本使用料を払わずとも良く、そう考えるとYahooBB+NTTという今の組み合わせの方が高くついてしまい、おまけにとてつもなく遅いのだからこれは光に乗り換えるしかないわいな。
開通までつつがなく物事運んでくれるといいのだが、僕の場合は必ず一波乱があることになっているので、どんな障害が起こるのかゆっくり構えて待つとしよう。

2009-01-26

脱力


何が原因かは知らないが、さっきやっと書き上げたブログが写真をアップロード途中に突然消えてしまい、何をやっても復旧できなかった。こんなことはブログを書き始めてから2度目で、前回の時も結局原因が分からないまま記憶を頼りにもう一度全文書き直したのを憶えている。最近のブログは書き込み途中でも自動で保存をしてくれる機能がついており助けられたことが何度もあるが、今回の場合自動に保存されましたと表示されていても結局騙しだったわけで、サーバーの問題だろうが消えた文章は戻って来ず、もう一度書く気力も失せてただ脱力し、愚痴を書き連ねるなり。それにしても何でだろうね?

2009-01-25

お雛さん


我が家には娘が2人いるがまだひな人形が無い。アパート住まいの頃は狭くて置く場所が無かったことや、猫が3匹も居たこともあり小さな土雛を置いてそれでしのいでいた。まあ、子供達も小さかったのでひな人形が何なのかも分からず、それだったらもう少し待とう、ということになっていた。しかし、子供達も大きくなりいよいよひな人形の登場の時がやってきたのだ。
まずはなじみの赤ちゃんデパートへ出かけひな人形を見て回る。さすがにシーズンだけあってかなりの数のひな人形が展示されており、それらの一つ一つをじっくりとチェックしてゆく。価格の幅もいろいろあっていかにも安物感の漂うものや、一見豪華そうな仕立ての物も見受けられるが、そのどれもが今一つで『欲しい!』というものが無かった。『そんなものなのかな・・』と思いつつ店を後にすると、一緒に同行していた実家の母が『私の在所のそばにある人形屋を見てみよう』というので言われるままに店を訪れると、ここでも多くのひな人形に出迎えられたが、さっきまで居た店とは趣きが異なり自然と目が人形の方へ引き寄せられてゆく。仕立てをチェックしてみるとこれがまた良い。それだけ手間暇かけてあるので驚くほど高いが、買う買わないは別としてただ見ているだけでも楽しくなって来る。娘達にはそんな人形を持たせてあげたいがちょっとお高いな・・。もう少しいろいろなお雛さんを見て回り、いろんな面で満足できるものと出会えたらと思う。

2009-01-24

奇怪な盗人


昨日とは打って変わって寒さ厳しく、次女と買物に出たときは激しく吹雪き、見る見るうちに周りが白くなっていった。橋のそばに設置してある気温計は1度しかなく、さらに寒気が襲って来る。しかしそんな吹雪も雪雲が去れば嘘のように晴れ渡り、今日の日中はずっとそれの繰り返し。この地方の冬ならではの天気と言える。

毎週土曜は僕がごはんを作る決まりとなっている。そこで畑に行き法蓮草を穫ろうとすると、どうも様子が変なのだ。立派に成長した法蓮草がびっしりと生えてはいるが、なぜか大きく育った葉だけが茎の部分から摘み取ったようになくなっている。その数は相当なもので、始めは人が盗ったのかな?とも思ったが、それでは現状説明がつきにくい。切り口は乱れ刃物の痕はなく、葉自体も半分だけ無くなっているものもある。人ならば根こそぎ抜いて穫るのが普通だと思う。じゃあ、何者か?よく見ると法蓮草の合間に小動物の足跡が確認できる。また、法蓮草の様子も齧り穫ったような痕があり、何かに喰われたのは間違いないようだ。確かに今回のケースを始めて見たときは『ヤギに喰われたのかな?』と思ったが、この周辺にヤギは居ない。ほかに考えれるとするとヌートリアぐらいか?
謎は益々深まるばかりなり。

2009-01-23

真のテロリズム


1300人を超える未曾有の犠牲者を出したガザ侵攻は、イスラエルの一方的停戦によって表向きは静かさを取り戻している。しかし、徹底的に破壊されたがれきの下からは日々新たなる犠牲者が発見され、イスラエル軍が大量に投下した爆弾は不発弾となって一般市民、特に子供達を命の危険に曝している。アメリカ大統領就任式までに撤退を完了させるという、イスラエルのまったく意味不明なご都合主義によって停戦は為されたわけだが、じゃあこの数週間の激しき攻撃は一体何だったのか?ハマスのなかの一部過激派がロケット弾攻撃を繰り返し、それに報復する意味での侵攻にしてはあまりにも無差別に人を殺し、破壊し尽くしている。イスラエルは言う、『テロとの闘いだ』と。確かにハマスによるロケット弾攻撃もテロには違いない。しかし、それを大義名分に1300人を超える一般市民を、特に女性や老人、子供達までをも無差別に攻撃し死に至らしめ、或いはそのよりどころである家を徹底的に破壊するイスラエルこそ、真の意味でのテロリズム遂行者にほかならない。声高に『テロとの闘い』を叫ぶアメリカとイギリスよ、更には今回の無差別殺戮をなかば傍観するようなかたちで見送ってきた各国政府よ、お前達すべてがテロリストにほかならないのだ。

むかし、大国の思惑によってかの地にイスラエルは突如建国された。もともと住みし人々は家を追われ、迫害され、狭き今のパレスチナに押し込められた。そして今、またもや大国の思惑によってイスラエルは水を得、思うがままに振る舞っている。1947年の国連決議によってパレスチナが分割され、翌年にイスラエルが独立を果たして以降、常に大国はイスラエル寄りの態度をとってきた。またそれに対しアラブ諸国はパレスチナを政治的道具とするだけで、救済しようとはしてこなかった。それらすべてが今のパレスチナの惨状を生み、彼らを絶望のなかに叩き込んできた。

もう止めようじゃないか殺し合いなんかは。人を殺したところで結局憎しみしか湧いて来ないよ。

2009-01-22

電気毛布式


子供達はいまだ鼻水を垂らしているものの症状は回復に向かい、いつも通りのパワフルさで泣いたり、喚いたり、笑ったり、投げたり?と本当に忙しい。妻の具合も熱は完全に引きまだ若干ふらふらするが概ね良好で、この分だと我が家のインフルエンザ禍はこのまま終息に向かいそうだ。まずはひと安心だな。
妻達が体調を崩したから・・というわけではないが、ネットで電気敷毛布を2枚購入し今晩から使い始めている。屋外での寒さはヘッチャラなのに屋内の寒さは我慢できない妻は、寝るときもだるまのように着込んでいるがそれでもまだ寒い寒いと言う。今までは寝る前に布団乾燥機で布団を暖めていたが、布団乾燥機の場合1年も使っているとどういうわけか暖める能力が極端に落ちてきて、電気をたくさん喰うくせにちっとも暖かくない。そこで比較的安価な電気敷毛布選んだというわけ。この電気毛布は消費電力が55Wで『強』で使用していても時間当たりの電気代は0.7円という優れもの。そんなんじゃ暖かくないのでは?と手を入れ試してみたら、これが十分の暖かさで満足。自分自身はそんなもの必要ないと言えばそうなのだが、家に帰り子供達をお風呂に入れてから自分が寝るまでは4時間近くもあり、完全に身体は湯冷めして布団に入ると冷たくてなかなか寝付けない。そうかといって2度も風呂に入る気にもなれず、電気毛布に縋ったことになる。さて、その暖かさや如何に?楽しみだな。

2009-01-21

オバマ!オバマ!小浜?


ブッシュの暗黒時代が終焉を迎え、大群衆のサポートとともにオバマ大統領が誕生した。
彼への期待が大きい分、プレッシャーも凄いことだろう。
就任式のお祭り騒ぎとは裏腹に、彼に託された多くの課題はそのどれもが難問ばかりだ。
さて、それらをどうやって乗り越えてゆくか?僕も期待を持って見守りたい。

他国の指導者にこれほどまでに期待するのも奇妙な話だ。それに引き換え我が国の指導者のなんと愚かなことよ・・
オバマは人々に希望を与え、麻生は失望を植え付ける。

2009-01-20

エピデミック


いつインフルエンザを発症してもおかしくない状況にありながら、今のところそれらしき気配は全く無く、仕事も休む気満々でいたのに健康そのものなので、なんとなく休む理由を失いいつもの通り出社すると『ええっ!大丈夫なの?』と言われてしまった・・。そりゃー風邪っぽい症状が出たらインフルエンザの可能性が高いわけで、その場合は皆に移すといけないので大人しく自宅謹慎するつもりではいるが、実際なんの症状も無いとこの仕事が忙しい時期に休むのも気がひけるというもの。どうも、中途半端な宙ぶらりんの感じがして違和感を感じるなり。ま、インフルエンザをまだ発症していないのだからこれも良しとすべきだろうね。
長女は先週発熱した金曜日から今日までずっと幼稚園を休んでいるので、担任の先生より具合の確認の電話があり、妻が『もう熱も無く元気だが、まだ咳が残り人に移すといけないので休ませています』と答えると、『本人がそんなにえらくないようでしたら、マスクをして登園してもらっても構いません』とのことだった。思えば僕が子供の頃は『休む=悪いこと』というイメージがあって、熱があっても歩けるなら無理矢理学校に行かされたものだ。それが昨今では人様に移すといけないから・・との遠慮が先に立ち、あえて大事を取るという向きが多くなっていた。なので今回の幼稚園の対応にはちょっと意外な感じがした。我が家にしてみたら長女も友達と遊べるし、妻もまだ完全には熱が下がっていないので、長女を幼稚園が預かってくれるのは大きな助けになり、ありがたい。

この調子で僕が発症しなければ我が家のインフルエンザ禍も終息するのだがね・・

2009-01-19

Aソ連型


妻までが高熱を出し『これはどうも様子が変だ』ということで、フラフラになりながら子供を連れて病院へ行くと、見事インフルエンザと診断された、というメールが送られてきた。それはいくら何でも辛いだろうと仕事を昼で切り上げ帰宅し、具合を聞くとまだ38度7分熱があるという。それでも病院で注射を2本打った後は大分楽になったそうだ。医者によると子供達は既に熱が下がっていたのでインフルエンザのテストはしなかったが、状況から見てまず間違いなくインフルエンザにかかっていただろう、ということだ。そして妻がかかったインフルエンザのタイプはAソ連型で、ウイルスがタミフルに耐性を持っているために効かないので、リレンザというディスク吸入式の新薬を処方されたという。それにしても我が家は全員がインフルエンザの予防接種を受けていたにも拘らず、タイプが違ったために3人までもがやられてしまった・・それでも予防接種をしていなかったらもっとひどい症状になっていたかも知れず、まあ良しとしておこう。
さて、残るは僕一人となった。いまのところさしてインフルエンザらしき症状は出ていないが、さすがにインフルエンザに包囲されると精神的な影響からか、なんとなく腰や肩がだるいような気がするし、寒気を感じるような気もする。でも熱を計ると36度2分しかないし、食欲が無いように見せかけていざ食べ始めると、信じられぬくらい食べてしまうのだからインフルエンザではないだろう・・たぶん。もし発熱したら妻のリレンザを一発飲んでから病院へ行くとするかな。まあ、そのへん気が楽だ。
妻がダウンしているので僕がもっぱら子供達を見ていたが、子供達も母親が病気と解っているので長女はすばらしくいい子をして助けてくれたものの、次女は第一次反抗期ということもあって何をやっても勧めても『いやや!』の一点張りで、しかも疲れて休んでいる妻に甘えたがりほんと困った次第。次女も病み上がりで体調が本調子でなく愚図るのも分かるが、一晩中泣き叫ぶのだけはこのタイミングでは止めて欲しいよな。

2009-01-18

発熱三昧


長女と同様次女も高熱が出たものの朝にはすっかり下がり、朝ご飯をばくばく食べていた。これで回復に向かうだろうと安心していたら、今度は妻が『寒気がする〜』と例のソファーに倒れ込んでしまった。午前中はそんな感じが見られなかっただけに、何か目に見えぬ強力なウイルスが部屋の中に漂っているのでは?と恐ろしくなって来る。幸い我が家族は皆がインフルエンザのワクチンを摂取済みなので、万が一インフルエンザであったとしても軽い症状で済むはずだ・・と思っている。ただインフルエンザウイルスがソ連型だったら為す術無しだろうがね。
早々に妻がダウンし、子供達の面倒を僕一人で見ることになったが、これがまた大変でちっとも言うことを聞かんのだ。ごはんを作り一緒に食べようとしても『まだお腹減ってない』だの『それ好きじゃない!』などと言ってまったく食べようとしない。なんとかご飯を食べさせさあ風呂に・・と思ったら長女の様子がどうもおかしい。『目が痛い』と言い出すし、頬の辺りが赤くなり心無しか腫れているように見える。さっそく熱を計ると38度ほどあった。『またぶり返したか・・』日中外に長時間いたのがいけなかったようだ。鼻水垂らしながら元気に遊んではいたのだが、まだ少し早過ぎたのかも知れない。とにかく風呂に入れることは止めてパジャマに着替えさせ、先に寝かし付けた後に次女をお風呂に入れ、歯を磨き、着替えさせて寝かし付ける。やっと一息つけそうだがそうではない。皿も洗わねばならんし部屋中見事なほどに散らかっている。それらをすべてやっつけたら10時近くになっていた・・

今週末は発熱がらみで大変でした。週明けはいよいよ僕の番のようですな。

2009-01-17

ソファーに沈む日


長女の熱も下がり、子供の回復は早いもんだと感心していたのもつかの間、今度は次女が高熱を発してダウンしている。熱は昨日の午前から出始めたようで、瞬く間に39度を超え息づかいも荒く辛そうだ。一日中『マミー!マミー!』と言って離れようとしなかったそうな。そして今朝起きたときは幾分熱も下がり、少しは食べ物を口にもしたがその後すぐに熱がぶり返し、また39度台に戻ってしまった。毎週土曜は妻は子供達に英語を教えているので、いつもは次女を連れて買物に出るのだがこんな状態では外に連れ出すことは出来ず、長女のときと同じようにソファーの隅に身を任せて朦朧と寝たり起きたりを繰り返し、僕はただその隣にいて熱を計ったり、水分を摂らせたり、オムツを替えたりしながら夕方近くまでほとんど動かずに家の中にいた。かえって動かなかったもので僕のいつものリズムが崩れ、風邪を引いてもいないのになんとなく身体がだるくなって来るような、そんな感じがするから不思議なものだ。でも真剣に次は自分の番かもね

2009-01-16

それぞれの役割


今朝、Jackieの散歩から帰りいつものようにTVをつけると川面に浮かぶ飛行機が映し出されていた。事故か!と何度も繰り返される事故状況の報道を凝視しながら、救出作業をしばらく見守っていた。
155人にも上る乗客乗員が全員生存とはまさに『ハドソン川の奇跡』と呼ぶにふさわしい。機長の操縦と判断の正確さもさることながら、救出作業の迅速さなどはただただ感心し、やはり有事の際に頼りになるのはアメリカなのだな・・と思い知らされた次第。これは何もアメリカ追随を賞賛しているわけではなく、何かが起きたときのアメリカ国民の連帯感の強さは群を抜いたものだと感じるのだ。一つの組織として物事に対応するのではなく、それぞれの人がそれぞれの考えによって自分の役割を果たしてゆく、そんなアメリカ人の持つ気質が今回の救出劇にも大きく影響していたと僕は思うのだ。何はともあれ死者を出さずに済んだことは本当に良かった。
妻とこの航空機事故について話していたら、妻が飛行機に乗る時最も恐れているのが今回のケースのようになったときだという。妻は常々『もし子供2人を自分一人で連れている時に事故などにあったら、果たして2人を自分だけで守ることが出来るだろうか?』と心配しているのだ。それもあって飛行機には何十回と乗っているが、その度に必ず飛行機に備え付けの緊急時対策のしおりをしっかりと読み、何をしなければならないかを頭に叩き込んでいるとのこと。それに比べて目も通さない僕はまったくもって失格だ。
心配性である妻だから準備が良いのだと思っていたが、親としての責任を果たすなら緊急時に対する用意を怠らないのが、当然のことなのだと今頃になってわかり始めた、この頼りなさよ・・

2009-01-15

回復


昨夜発熱した長女の熱は朝になっても下がらず、39度近くを保ったままだ。夜中も座薬の効果が薄れてきた頃になるとやはり寝苦しいようで、眠りは浅くずっとうなされ続けていた。妻によると日中も熱が下がらず、ソファーの隅に座ったままほとんどその場を動かなかったそうだ。トイレに行くにも自分で歩くことが出来ず、だっこしてやらねばいけなかったという。僕が帰った頃もまだなんとなくぼんやりとしていたが、しばらくすると言葉にキレが出てきたので試しに体温を計ってみると38度まで下がってきていた。そのうち自分でトイレにも行くようになり、走って戻って来るまでになった。その間2時間くらいの出来事だが、ほんと子供とは不思議なものだ。悪化も早ければ回復もすこぶる早い。布団に寝かし付ける頃になるともっと元気が出てきてしゃべるしゃべる!ひょっとしたらこれも知恵熱なのかも?と思うくらいだ。今おとなしく寝ているところを見ると、熱が下がったおかげでうなされることもなくぐっすり眠れているようだ。まずは良かった良かった。これで明朝熱がなければ完全復活となるが果たしてどうなるかな?

2009-01-14

発熱


僕が家に帰ると、いつものように妻や子供達が食事をはじめていたがどうもいつもと様子が違う。長女が食事をほとんどとらずに眠そうな顔をしてベンチに寝転んでしまった。食事中に愚図ることはしょっちゅうなので、またか・・と思ったが、今日の晩ご飯は長女の好物も出ていたのにそれも食べたくないという。妻によると今日は幼稚園でプール(もちろん室内温水)遊びがあったので、それで疲れ過ぎたのかも?とのことだが、ちょっとそれだけでもないだろうと言うことになって熱を測ると、果たして38度7分も熱があった。今朝の様子はいつもと変わりなく、風邪を引いてる気配もなかったのでなぜ急に発熱したかは不明だが、消化の良いものと水分を十分に摂らせて早めに休ませることに。いったん寝付いたものの息が激しく寝苦しそうにしているのでもう一度体温を計ってみると39度に達していた。座薬を使用するのはまだ早いか・・と迷ったが、このまま高熱で寝付けれないとよけい体力を消耗すると判断し、長女にとっては実に久しぶりに座薬を使うこととなった。その後はいままでちゃんと寝れているようだ。でもなぜ発熱したのだろう?とにかく、明日の朝の様子を見てからだな。

2009-01-13

白寂


今朝も起きると外は一面真っ白で寒さ厳しく、そこをなんとか気合いを入れJackieの散歩の出かける。積雪量も昨日と同じく2cmくらいでまだこの時間は通る車も少ないため道路の雪は轍もなく、Jackieと僕の足跡が一番乗りでなんとなく気分が良い。遠く東の空には雲間から朝日も見えこのまま天気は回復するように感じたが、それは後になって見事に裏切られることになる・・。
堤防沿いのいつもの散歩コースを行くと川面からは盛んに水蒸気が上がっている。それを見ているだけで余計に寒く感じるので不思議なものだ。しばらく行くと河川敷の薮が広がるところに出るが、ここの一帯が全面雪をかぶり真っ白に統一されていた。毎日見慣れた風景が今朝は一変、物音一つなく人を引き込むような気高さを漂わせ、ピンと張りつめた何かをこちらに感じさせるのだ。この風景にしばし見とれ、『雪もいいもんだな・・』と、むかしオフロードバイクに乗って雪山に突入していた頃を懐かしく思い出した。

その頃は雪が降る度に人がスキー場へ行くところを僕はバイクで雪山の林道へ出かけ、当然誰も通っていない雪道をかき分けて毎度の目的地である比婆神社を参拝し、その真っ白の境内でキャンプ道具で湯を沸かし、米を炊いてメシを食うのが至上の喜びだった。この雪に埋もれた廃村の神社の持つ緊張感は説明の仕様が無い。自分の息の音が聞こえるほど辺りは静まり返り、時折枝から落ちる雪の音と谷を流れる清水の音が聞こえるくらいで、ここにいると静寂というものを堪能できるが同時に孤独感も際立ち、自然自分の内面と向き合うことになる。そんな冬山通いも近年はしなくなってしまったな・・

Jackieの散歩から帰り朝飯を喰い、さあ仕事へ行こうと外に出ると猛烈に雪が降り出していた。朝一で車の雪をのけたのにもう真っ白になっている。幸い道路の雪は積もることなく融けていたので、そのまま出かけ無事現場に着くことが出来た。明日も夕方頃から降雪の予報が出ている。どうぞお手柔らかにお願いしたいね。

2009-01-12

積雪


朝、部屋の雨戸を開けていた妻が『あーっ、雪だ!』と叫んだ声で目を覚まし、立て続けに子供達が『見たい!見たい!見たい!』と駆け込んで来たので観念して布団に別れを告げ、目を細めながら一人一人抱き上げて外を見せてやった。昨夜は天気予報をまったく見なかったのでよもや積雪になろうなんて思ってもいなかったな。確かに寒気が南下して列島各地で大雪というのだからここで降ってもおかしくはないのだが、昨夕は雪が降りそうな雲行きでも、風でもなかったので驚いた次第。ただ、積雪といってもほんの2cmほどのことで、朝10時前にはすっかり融けてなくなってしまいました。そんな僅かな雪にでも我が子供達は大はしゃぎで外に飛び出し、さっそく雪玉を作ってはお互いに雪合戦を始め、この寒さのなか素手で雪玉を掴みしかもそのまま大事そうにしてなかなか手放さない。見ているこちらが寒くなり『もう雪玉捨てたら?』と聞いても、ニヤッと笑うだけで手を真っ赤にしながらも後生大事に抱えている。仕方が無いので雪玉を持ったまま子供達と僕、Jackieで散歩に出かけることに。道半ばまで来ると急に風が強くなり空はどす黒く、そのうち雪が落ちてきた。あれよあれよという間に吹雪いてきてどえらい寒さに・・。それでも子供達はなにするものぞ、自分達のペースを保ったままジリジリする僕を尻目にそれ以上ゆっくりは歩けんやろ、という速度で一応付いて来る。そんなんだから家に着く頃にはみんなびしょぬれでとことん冷えました。もちろん僕のことだから家に帰り着き服を着替えた途端に外は陽が差し、青空がのぞき始めたのは言うまでもない。

2009-01-11

暴言


昨夜は寒さが厳しく、肩が冷えて何度も毛布を掛け直していたのでいまいち深く眠ることが出来なかった。朝起きるとどんよりとした曇り空から小雪がちらちらと舞い降りて来て、いかにも寒々とした風情だ。それでも果敢に外に飛び出し、白い息を吐きながらちょちょっと畑に手を出すとやめられなくなって、鍬を持ち出し耕し始める始末。しばらく外に居て寒さに慣れて来ると、むしろ雪の降っている今日の方が冷たい風が吹き荒れた昨日に比べて暖かく感じる。やがて身体も暖まってきて額に汗がにじんできた。上着を一枚脱ぐとちょうど体温と外気とのバランスが保たれ汗をかくこともなく清々しい。寒いとは言ってもやはり外で働くのが一番だ。

午後からは久しぶりに近所のヤマダ電機へ行き品定めをあれこれとする。ちょっと分からないことがあったので所在なげに立っていた店員を呼び質問してみたのだが、これがヤマダ電機にありがちな不遜店員でこちらの言うことを解った振りして解っていない。要領を得んので3回同じことを言ってみたのだが、逆に要領を得んのはお前の方だと言わんばかりに人を小馬鹿にしたような口をきいてきた。そこで思わず色をなして『おまえバカと違うんか!?』と口走ってしまったのだ・・すると『担当の者を呼んできます』と、ちゃんと答えてくれる人を連れて来てくれたとさ・・
いくらむかっ腹が立ったとはいえ、面と向かってバカ呼ばわりはいけなかった。口走ってすぐにしまった!と思ったが、言ってしまったものは取り消せない。相手もさぞや傷ついたことだろう。絶対的優位である客の立場で口走ったのだから余計いけなかった。なんとなく嫌な感じが残ったので違う売り場に行っていた妻に事の次第を話すと、厳しく叱られ本人に謝って来いと言う。いまさらバツが悪くそんなことできるかい、と結局そのまま店を後にした。ほんとうに愚かなことをした。一つ歳をとってもなんら成長しておらず情けない限りなり。

2009-01-10

ETV50


全国的に『雪だ!雪だ!』と騒いでいる割にはこの地方の天気は良く、ちょっと肩すかしを食らった感じ。遠く西方に聳える伊吹山にも雪雲はかからず真っ白い勇姿を誇っている。ただ、雪は降らねど寒さは厳しく風が刺すように冷たい。さすがにそんな中での庭仕事は辛く、買物に出かけた意外は家の中に居てのんべんだらりと過ごしてしまった。そんな弛んだ日は眠気にも襲われるもので、今年誕生50周年を迎えたNHK教育テレビの記念特番『みんなのうた50』の『ドラドラキュッキュ、ドラキュラー、ドラドラキュッキュ、ドラキューラー』という懐かしの歌を聴きながら思わず寝てしまい、そのまましばらくソファーに沈没しておりました。それにしてもその特番には初代『うたのおねえさん』『うたのおにいさん』をはじめ『ノッポさん』『ゴン太くん』も登場し(みなさん歳をとっておりました)、いかにETVが僕達の身近にあったのかを再認識させられた。その中で『ノッポさん』思わずしゃべっちゃって、彼が話せると分かっていたはずなのに改めて『おお!ノッポさんしゃべれるんや!』と驚いてみたりと、子供の頃に受けた印象というものはこの歳になっても新鮮で、一緒に見ていた子供達もたいそう楽しそうだった。そうやって世代を超えて綿々と続けられ、受け継がれてゆくところにETVたる所以を感じる。最近はちゃらちゃらとした軽い番組も多くなったが、それでもまだまだ見応えのある特番も健在でこちらを唸らせてくれる。一つの節目である50周年を迎え、これからもETVたるべき道を独走していって欲しいと願う。

2009-01-09

愚かなる国家


イスラエル軍のガザ侵攻による死者はもうすぐ1000人に達するだろう。いや、すでにそれ以上の人が死んでいて放置されているだけかも知れない。この虐殺を食い止めようと国連安保理が停戦を求める決議案を採択したものの、理事国15カ国中アメリカただ一国が決議案を棄権し、イスラエルに対しての圧力が弱いものとなってしまった。案の定、決議案採択後もイスラエル軍はそれを無視するかたちで攻撃を続行し、おびただしい死者が出ている。今回のことで分かるように安保理決議など大国の利害によって左右される正義の無い役立たずなものなのだ。このまま決議案を無視し攻撃を続けるイスラエルに対して制裁を科すなどの対策がとられなければ、ますます国連はその存在意義を問われることだろう。
それにしてもだ、決議案を棄権したアメリカは恥を知れ。アメリカ経済の中枢を牛耳っているのがユダヤ人やユダヤ系人であることなどは十分承知だ。いくらその圧力があったからといって今回のような人道問題においてあからさまにイスラエル擁護の姿勢を見せるなど、それでよく『我々は世界の警察だ』と自負するもんだと呆れ返る。アメリカという国家ほどすべてが金と欲望で動いている国は無いだろう。そこには精神性などはまったく感じられない。僕がアメリカ滞在中に感じる違和感はそこに尽き、精神的な部分で言えば彼らほどそれを理解せぬ者らはいないと思う。ために精神的なものを色濃く持つイスラム国家との対立は無くならず、嫌われるのもそのためだ。だが、当のアメリカ人の多くはそんなことはまったく理解せず、単に『彼ら(イスラム圏の人々)は理由も無く我々を嫌い、攻撃して来る』とだけ捉えている。理不尽なイスラエル一辺倒な姿勢を恥じもなく貫き、イスラエルを益々増長させる結果を生めばアラブ世界から憎まれるのは当然のことだ。そんな単純なことが彼らには分からない。

アメリカ合衆国という国土、国民を僕は愛する。だが、国家としてのアメリカは憎むべきものだ。

2009-01-08

暖冬か?


明日は平野部でも雪がちらつくという予報だが、本当だろうか?今日一日の暖かで穏やかな天候からはとても雪が降りそうには感じないが、寒気はじわりじわりと南下して来ているのかも知れないな。現に僕の居るこの部屋も気温が下がって来ているのがよく分かる。今天気予報で確認してみたら土・日も雪マークが付いている。どーせ降るなら週末に降ってくれると通勤時に雪道を走る心配もなく、降りしきる雪の中子供達とも何かをして遊べるので都合が良いが、自然界の摂理のことゆえ果たしてどうなるやらまったく検討が付かないのがまたよろしい。
思えば僕が子供の頃の冬はほんとうに寒かったものだ。積雪も30cmを越えるものが何度もあり、その度によく雪かきをしたよな。軒先には大きなつららが何本も下がり、ドサッと雪の塊ごとよく落ちて来たものだ。そんなしもやけだらけの痒くてしかたが無い冬も、いつの間にか天候の穏やかな暖かい冬と為り変わってしまったようだ。それはそれで寒いのが苦手な僕には有り難いのだけどね・・

2009-01-07

そのとき子供達はなんと叫んでいたのだろう


火事による死亡が相次ぎ痛ましい限りだ。特に幼き子供達が命を落とすなぞ同じ親として考えるだに恐ろしい。改めて火の元には十分注意したいと思う。そんな中、昨日起きた千葉県松戸市の一件は6ヶ月から4歳までの幼子を家に残し、パチンコをしていたというのだから信じ難い。朝からパチンコをし、いったん昼食を食べさせる為に帰宅して再びパチンコをしに出かけていたという。その間子供達はほったらかしということになる。6ヶ月といえばまだ乳飲み子だ、さぞやお腹をすかしていたことだろう。オムツも頻繁に替えねばいけない頃なのにそのままだったということか。そんなんじゃたいそうむずかって泣いていたことだろう。その妹をまかされた4歳と3歳になる兄達の困惑と心細さはいかばかりだったろうか・・。これは明らかに育児放棄だ。何故母子家庭となったかは知らないが親である以上やらねばならぬことはある。それはパチンコをすることじゃない。おそらく育児の疲れやらなんやらでパチンコは彼女にとっての逃げ場所だったのかも知れないが、その母を子供達はずっと待っていたのだ。ドアに鍵をかけられどうすることも出来ずに息を引き取っていった子供達は、いまわの際になんと叫んでいたのだろう・・『お母さん!お母さん!』と叫んでいたに違いない。その『お母さん』は事件後に『病院へ行っていた』とウソの供述をしていたのだ。つまり、自分の不始末で我が子を3人も失ったというのに、この期に及んでもまだ己が身がかわいかったということだ。

なんども言うが、子供は親を選べない。
どんな親でもそれが子供達にとっては大切な『親』なのだ。その『親』は子供達に何をしてあげただろうか?

いつもこんなニュースを見る度に暗い気持ちになる。子供達は死ぬまで母親のことを信じていただろうに・・それなのに・・・

自分はどうあるべきか?考えさせられる。

2009-01-06

あっというまにBirthday


36になった。

昨夜、家に帰ると妻や子らがプレゼントを買って来たのだと騒いでいた。なので『ああ、そう。良かったね。でも誰にあげるプレゼントなん?』と聞いたら、『なに言っとるの、あなたにやんか!明日は誕生日でしょ』と言われ、『あっ、そうか!』と気づいた次第。毎年のことながらすっかり忘れておりました。と言うか、本人にとっては誕生日などどうでもよいのだが、そうやって祝ってくれる人が居るのは幸せなことだな。今日、要請に応えいつもより少し早めに帰ると、なんと実家の母もお出ましになり子供達は大昂奮!まあ、跳ぶわ跳ねるわで大忙し、僕がもらったプレゼントも子供達がバリバリと開封し、まるで自分がもらったかのように喜んでいる。そんな微笑ましい光景のところへ妻特製のチョコレートケーキが登場し、さらにテンションは上がる一方。このケーキは牛乳・卵などにアレルギーのある次女も食べられるようにとスペシャルレシピなるものを参考に焼き上げたそうで、甘さ控えめのどちらかというと蒸しパンのような食感で、蒸しパン好きの僕にとってはあっさりしていて美味しかったな。しかし一体どうやって卵を使わずにあんなにふっくらさせるのだろうか?妻と母が話していたのを小耳にはさんだが、その時は『酢をなんたらかんたら・・』と聞こえたが、ケーキに『酢か!?』ううむ、妻もなかなかやりよるわい。
まずは感謝感謝!

2009-01-05

幼き命


イスラエルがとうとう地上戦に突入し、死者の数も500人を上回った。このまま攻撃が継続されれば死者が際限なく増えるのは明白なことだ。イスラエルにしてみればこれを機会にハマスといわず、何でもいいからガザに居る若い男どもを一人でも多く殺しておきたいのであろう。そうすればイスラエルに対し恐れを抱くようになるし、将来的な抵抗勢力を事前に抹殺することもできる。でも果たしてそうだろうか?
もし僕が攻撃されるパレスチナ人の立場だとしたら、例え相手が戦車でこちらが石つぶてしかないにしても、精一杯の力でそれを投げつけるだろう。我が一命にかえても家族を守り抜こうとするだろう。いわんや家族が殺されでもしたら自爆でも何でもして復讐を遂げようとするだろう。人は決して力で押さえ込むことなど出来ない。出来たかに見えてもそうではない、そう装っているだけで反撃するチャンスを虎視眈々と狙っているのだ。暴力は憎しみを生み、その憎しみだけが世代を超え、時を越えて一人歩きする。
今回の死者の2〜3割は子供達だという。一体子供達に何の罪があるというのか?たまたまガザ地区に生まれたが為に爆撃で、戦車砲で五体をバラバラに吹き飛ばされないといけないのか?イスラエルは言う『民間人の犠牲は最小限に抑えている』と。その言葉に犠牲者一人ひとりの名前など無い。家族を失い悲しみに暮れる人々の姿も無い。血まみれになりながら『お母さん・・お母さん・・』と叫ぶ子供達の姿も無い。なんて命が軽いんだろう。『それが戦争さ』なんて軽々しく言うヤツを僕は憎む。

もう悲しみはたくさんだ。
なぜ人は争わずにはおれないのだろう?それが宿命だとでもいうのか・・

2009-01-04

国連安保理の役割


以前から戦争・紛争が起きる度に国連安保理の存在に疑問を感じていたが、アフガン・イラク戦に続き今回のイスラエルによるガザ侵攻に対してさえも何もできぬ、何も発せぬ様を見て、そんなんならばいっそのことなくしてしまえと思った次第。結局のところ安保理に様々な決議案が出されたとしても、常任理事国一国の反対によりその案は闇に葬り去られてしまう。ようは5カ国の常任理事国のご機嫌を損ねるような議案は採択されないということなのだ。で、その五カ国はというとアメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国で、これらの国が国連に加盟する国々から選ばれた代表者ならまだしも、とどのつまりは第二次大戦の戦勝国がそのまま居座っているだけで不公平極まり無い。今の国連の仕組みはこれらの国の利益に見合わないものは許さないことになっており、平等なんてことからはかけ離れた存在だ。そんな組織ゆえ極端に偏った理不尽な主張があっさり採択されたり、反対にそれこそ正義と思われるものが拒否されたりすることが起きる。そんなことがしばしば起こるのだから安保理自体の存在価値を疑るのも当然のことだ。

安保理がガザで行なわれているイスラエルによる暴虐を支持するだけの組織であるならば、そんな無用の組織はなくなってしまったほうが世のためというもの。如何なるケースにせよ殺人を肯定するような組織なぞ信用できないさね。

2009-01-03

正月3日


昨日現れた老犬はそのまま姿を見せずどこへ行ったのやら、無事飼い主のもとに戻っていればいいのだけれど・・。老犬のために出しておいたドッグフードはウチの猫が食べてしまったようで、きれいに平らげてあったとさ。

正月3日のこの日は寒さはそれほどではなかったが、風が強くまるで突風が吹くがごとく。それでも寒気が南下していた昨日おとといと比べても風に身を切るような冷たさは無く、体感温度的にもそれほどの寒さを感じさせない。Jackieを連れて遅めの散歩に出ると、いつも通る堤防の脇には早くもタンポポが咲いている。『もうすぐ春だな・・』と冬真っ盛りのはずなのにそんなことを思うのも、地球温暖化のせいだろうか?散歩から帰りそのまま庭で思いついたように草むしりを始めると、草葉の陰からつくしんぼがまだ熟していない堅い頭を覗かせていた。『もう準備万端というわけか・・』と、着々と進む春に向けての用意にただただ感心するのみ。

短い滞在だったが弟夫婦が昼前に関東に向け帰って行った。昼過ぎには帰宅してすぐに今度は奥さんの実家に顔を出すという。ほんとうにお疲れ様なことだな。次回はGWに帰省するようなことを言っていた。なんでも『陶器祭り』にぜひ行きたいのだそうな。その折には喜んで同行することにしよう。

2009-01-02

迷い犬


今朝も冷え込みが厳しく、外は霜で真っ白でそこ此処には霜柱が立っていた。それらも日が昇るとスーッと消えていき、代わりに芝生の表面からは水蒸気が見え始めた。この様子だと午前中は時雨れることもなさそうなので、畑の周りに冬でも旺盛に成長し生息範囲を拡大しようとしている雑草どもを退治せんとて草むしりを開始し、昼を挟んで午後も庭に座り込み黙々と作業を続ける。
今日も実家に行かねばならぬゆえ、早めのJackieの散歩に出た妻が我が家のすぐ前の堤防まで戻って来て何やら叫んでいる。よく聞こえんので近くまで行くと『そこに大きい犬がおる!』という。『はあ?』とフェンスの外を覗き込むと確かに犬が居た!おそらく秋田犬の血を引いた茶毛の雑種で、大型犬の部類に入りそうな体躯をしているがかなりの老犬と見え、歩みに力なく腰も落ち込んで表情もどことなく虚ろな感じだ。目の辺りには目やにが流れた後が二筋しっかりと残り、時折咳き込むような仕草も見せる。始めは目が見えないのでは?と疑ったが、白内障にはなっていないようだ。ただ、視力がかなり落ちているのだけは確かだろう。赤い首輪をしていたので『どこかから逃げ出したのか?』と、捕まえて首輪に連絡先などが書かれていないか確認したが残念ながら何も無く、この犬についての心当たりも我々には無い。取り敢えず綱に繋いでごはんを出してあげたが、匂いは嗅ぐものの食べようとしない。そのまま繋いでおいてもどうすることもできないので、車に撥ねられないようなところまで連れてゆきごはんを置いといたが、その場にうずくまり動かなくなってしまった。家を出ねばならない時間が迫ったので老犬をそのままにして出て来たが、一体どういう経緯でこの老犬はこの寒空の下を彷徨わねばならなくなったのだろう?僕の動きに反応するその様子は常に何かを探している、求めている感じがして、それはおそらく飼い主が来てくれるのを待っているのだと思う。そう思うと余計に哀れな感じがして、実家に向かう車の中で妻と『もしこのまま飼い主が現れなかったら自分達で飼うしかないな・・』と、そういう方向で検討することに決めた。
夜、家に帰り老犬がうずくまっていたところを見に行くと、もうその姿はなかった・・
どこへ行ったのだろう?飼い主と出会えたのだろうか?そうであったらいいのだが・・

明日もう一度Jackieの散歩がてら周辺を探してみようと思う。なんか、まだそのへんに居るような気がしてならないからね。

2009-01-01

新たなる年


今朝、子供達に起こされもそもそと雨戸を開けると、薄日が差す中を雪がちらついていた。道理で冷えるわけだ。その後午前中は陽が差したり曇ったりの繰り返し、昼頃になると皆でJackieの散歩に出てから雪雲が迫る中を実家へと向かう。
実家には一足先に弟夫婦が滞在しており、久しぶりに会うこともあって話が弾む。特に弟夫婦は昨年アジアからヨーロッパにかけていろいろな国を訪れたこともあり、旅であった出来事などを話していると『そうそう、そうだよね!』なんて言いながら更に会話が盛り上がる。お互いに分かり合えるものができたことは大きな意味を持ち、その点から言っても旅行を決行した弟夫婦に感謝したい。おかげで話の種は尽きぬと言うもの。

年々正月感が薄れていくような気がするが、こうやって何かを機に皆が集まれることは、やはり素晴らしいことだと思うのだ。