2011-01-31

氷点下


今朝と言うより、今日一日の冷え込みはほんと厳しかった。
朝はいつものように5時半に起きJackieの散歩に出たが、心配された積雪は大したことなくうっすらと積もっている程度。しかし外気はとてつもなく冷たく、Jackieの飲み水に張った分厚い氷を割ってコンクリートの上にあけるとみるみるうちに凍ってしまった。当然外にある水栓はすべて凍結して水が出ない状態だった。
そんな凍てつく寒さの中現場へと向かう。途中、車の車外温度計で気温を計ると−3℃!そして現場に設置してある温度計は−1℃となっていた。そのまま日中気温上がらず、ようよう陽が射し始めて3〜4℃の間を行ったり来たりの状況。手はかじかんで冷たく、長靴を履いた足先も凍てつく地表の冷気に曝され痛くてたまらない。さらには掘削しようと地面を掘るものの、カンカンに凍り付いていてトンビ鍬で力まかせに打ってもはじき返され、やむなく凍った地表を剥ぐようなかたちで掘削してゆく。その凍土の厚み約5cm。剥いだ土塊はまるでアスファルト舗装された道路を剥いだかのごとし。

明日からは2月。今週中頃から気温は徐々に上がって来るという予報なので、それに期待してもうしばらく辛抱するとしよう。

2011-01-30

諸問題


土曜の朝に姉から『実家のPCがネットに繋がらへん』との電話があった。そもそもなんでそんな朝っぱらから姉が実家に居るのか不思議ではあったが、それは置いといて問題の症状を聞く。しかしいかんせん電話ではやはり要領を得ない。ただ、数日前は大丈夫だったのがなぜか繋がらなくなってしまったという。実家でのこういう問題の処理は僕の担当になっているが、毎週土曜はやらねばならぬことがありなかなか忙しい。それでもなんとか時間を見つけて実家へとひた走る。まず始めに他のPCを接続してみてネット環境の問題を調べると、あっさり繋がりネット回線側には問題無し。とすると問題のPCの設定が原因ということになる。そこでいろいろ探ってゆくがどうも様子がおかしい。1時間ほど触っていたが結局原因を突き止められずに時間切れで実家を後にする。後2週間もすればコミュファに切り替わるというのに、このタイミングでのトラブルとはついてないや。こういうことはままあるものだが、でも何でだろうね?必ず原因はあるはずなのになかなか突き止められないもどかしさをいつも感じる。ええかげんしろよ!と、PCをぶち壊したくなることもしばしばだ。
とにかく何とかせねば・・でもその時間が無いんだよな・・

2011-01-29

エジプト騒乱


わが愛すべきアレクサンドリアでも多くの死者が出たようだ。エジプトの混乱は一体いつまで続くのだろうか?

インドのデリーから空路ヨルダンのアンマンを経由してエジプトのカイロに入ったのは深夜だった。何も分からず取りあえずカイロ市内へ向かうバスに乗ったのだが、驚いたことに深夜にもかかわらず多くの人々が出歩き、子供の姿も多く見かけた。この時はちょうどラマダンの最中で日没後に人々は活気づき、深夜に至るまで食事をしたり買い物をしたりして楽しんでいる様子だった。
また金曜礼拝の朝には通りを歩く人影も疎らになり、『今朝はいやに静かだな・・』と思い歩いていると、突然角を曲がったところにあるガソリンスタンドを埋め尽くすようにして何百人もの人々が集まり、跪いて祈りを捧げているのに出くわしたりと、『カイロ』と聞くだけで次から次へと思い出が蘇って来る。
エジプト、特にカイロは僕が好きな都市だ。オールド・カイロを見下ろす丘にあるシタデルから乾燥した土気色のごちゃごちゃとした街並を見渡せば、様々なかたちをした無数のミナレットが雲ひとつない空を突き刺し、そして礼拝の時間が迫るとそのそれぞれがてんでバラバラにアザーンを唸り、こぶしをきかせてその美声を争う。そんな情緒ある風景が心から恋しく思い出される。

そんなエジプトが荒れている。
ムバラクよ、もう十分だろう。いまが去り時だ。サーダートは評価は分かれるものの為すことは為し、そして暗殺された。
このまま大統領職に固執しても、刺客の手からは逃れられまい。

街角のカフェに、チャイをすすり水煙草ふかしながら日がな一日のんびりと過ごす親父達が戻る日はいつになるのだろうか。

2011-01-28

流動


川は流れ、雲も流れ、海も流れ、人も流れる。

星は流れ、月日も流れ、思いも流れる。

真っ青な空だけが流れることなく、いつもそこに居る。

2011-01-27

冷えた心に・・


ゆっくりだけど着実に移ろいゆく季節とはうらはらに、今日も現場は終始雪が散らつく酷寒の一日に。
ありとあらゆるものが凍てついた我が家を後にして、東の空に朝日が昇るのを見ながら堤防道路を南下する。
空はすっきりと晴れて快晴の予感が漂うが、果たして遠く離れた現場の天気はどうだろうか?
高速に乗り現場を目指すと、行く手の峰々は灰色の雪雲に覆われ、その頂は霞んでしまっている。『これはやばそうだな・・』と思っていると、案の定雪が散らついて来た。さらに進むと風景は驚くほどがらりと変わって一面雪景色だ。
現場に到着してすぐに気温計を見ると2℃。その後は陽が射したり雪が降ったりの繰り返し。その度に気温も上下し4℃〜6℃の間を行ったり来たりする。そのうち身を刺すような冷たい風も吹いて来た。とてもじっとしてなぞ居られず、とにかく何かをして身体を動かす。
現場も3週目に突入して寒さにも慣れて来たとはいえ限度はある。やっぱ寒いものは寒いのだ。

そんな僕らを気遣って、現場に面したお宅からホットミルクティーの差し入れがあった。
そのお心遣いも相まって、冷えた身に沁み入るあたたかさでありました。

感謝

2011-01-26

ささやかな幸せ


子供と寝るのは温かい。
娘達には部屋もあり2段ベッドもちゃんとあるのだが、そこで寝るのはイヤだと言う。そんならまあ一緒に寝よかということで、親子4人川の字になって6畳の部屋いっぱいいっぱいになって寝る。
発熱体でもある娘達と夏場に一緒に寝るのは暑くて大汗かいて大変だが、冬はヒーター代わりになって本当に温かい。特に娘2人に挟まれて寝ている僕は両サイドから温められホカホカだ。その温かさが心地良くてよく眠ることが出来る。
その一方で夜中にトイレに起こされたり、何度も足で蹴られたりパンチされたり、蹴ってしまった布団を掛け直したりと、ちゃんとお役目も与えられている。それも別段イヤなことではない。むしろ喜びを感じる類いのものだ。
日々のこんなささやかな出来事が僕を幸せな気分にしてくれる。これがいつまで続くか分からないが、存分に噛みしめ心に刻んでおこうと思う。

2011-01-25

厳寒


今日の現場は予想外に雪の散らつく一日に。
現場に着いてすぐ気温計を見ると3℃しかない。寒いわけだ。日中も結局5℃までしか上がらず、吹き付ける風は身を切るように冷たい。心配された雪は散らつく程度で収まったから良かったが、寒さは同じ。すぐに身体が冷えてしまう為とてもじっとしてなど居られず、絶えず身体を動かして体温を下げないように気を配る。こんな寒い日はかえって激しく身体を動かしても汗をかくことも無く、さらりとした状態で作業できるのでその点だけはありがたい。
さっきの天気予報でもまた雪が散らつくようなことを言っていたぞ。まだしばらくは腰カイロが欠かせないな。

2011-01-24

総スカン


お年玉年賀はがきの当選番号が発表されたね。
我が家はまだ地デジ化していないから、1等を当てて液晶テレビをもらうつもりで一枚一枚当選番号と照らし合わせてゆくが一向にヒットしない。我が家に来た年賀状は合わせて60枚ほど。まあ、1等は無理だとしても・・と見てゆくが、2等どころか3等も該当無し。これはイヤな予感が・・と思ったが最後、結局あろうことか総スカン。なあ〜んも当たらんかった!無念。
60枚もあってよもや切手シートさえも当たらんとは、よほど運が悪い。近年はこの傾向が強く、一昨年も該当無し。昨年はかろうじて切手シートが1枚当たったけれど、今年がこれじゃあ、まったくダメだ。なんか昔より当たる確立が格段に低くなっている気がするのだけど、皆さんはそう思いませんか?それとも我が家のくじ運がただ単に悪いだけなのだろうか?
年末ジャンボに引き続き、年賀はがきでも惨敗とはまったくやりきれない。でもどこかでは大喜びしている人が居るんだよね。一度だけでいいからそんな喜びを味わってみたいものだね。

2011-01-23

拡張


ジャガイモの植え付け時期が迫りつつある。そこで昨日今日と連作を避ける為に隣の空き地を新たに開墾しているのだが、これがなかなか骨の折れる作業だ。何年もの間放置され、雑草がびっしりと根を張った地面はカンカンに締まり、剣先スコップに全体重をかけて掘り込まないととても土を起こせない状況だ。この作業を娘達の応援のもと2日間続け、なんとか5坪ほどを耕すことが出来た。
仕事でも土を掘り、そして休日にも掘っているので、やってることはまったく同じ。自分でもちょっと滑稽に思えるが、基本的に土をいじることが好きなのである意味幸せなのかも知れない。おまけに掘っていると冬眠中のカエルやら黄金虫の幼虫などの小動物たちが『なんてこったい!』と言わんばかりに転がり出て来るし、何年も前に我が家の前オーナー(自己破産したらしい)がこの空き地で花を育てていた時の、『キンギョソウ』などと言った名残の名前札が時折地中から出て来て、その当時のこの空き地に思いを馳せながらひたすら掘って掘って掘りまくる。
なんとか当初の予定分を完了し、苦土石灰を撒いて取りあえず第一段階は終了。次は有機堆肥を鋤込む作業だが、これは次週の作業だな。
ほんと毎日毎日やることが多いよ。

2011-01-22

あかぎれて、しもやけて


ここ最近、あかぎれに悩まされている。
もともと母親譲りで肌が強い方ではなく、夏は汗疹に悩まされ、冬は乾燥肌に悩まされ、年中通して湿疹が出やすい。そうは言っても同僚のように皮膚科に罹るほどひどくもなく、ごく普通に薬局で売られている軟膏をぬればなんとか治まる方なので、まだましと言うことだろう。
あかぎれが出るようになるのは寒さが厳しい中で水を触る機会が増える時で、特に食後の皿洗いを湯で行うようになると手の油分が抜けてしまい、急激に症状がひどくなる。こんな時はゴム手袋をして皿洗いをするようにしているが、その他いろいろな仕事を片付ける際にはどうしても素手で水を触ることが多くなるので、なかなか症状が改善しない。それに加え今は屋外での作業が続き、僕の手にとってはなかなか厳しい状況が続いている。そんな僕の手はガサガサで、よく使う部分は細かいひび割れが多く走り、そのひびに染み込んだ汚れがいくら洗ってもこびりついて落ちず、まったく汚らしい手となってしまった。
でも僕はそんな自分の手が好きなのさ。手が荒れるのはそれだけ自分が働いている証拠でもあると僕は勝手に解釈し、今日も薬を指にすり込む。

2011-01-21

辛抱と精進


さすがに金曜日ともなると、現場の疲れが溜まって来て身体のあちこちが痛い。これが暖かい季節ならそれほどでもないのだろうが、連日気温が6℃程しかない環境での現場作業はなかなか身体にこたえるものだ。しかし、そうは言っても作業員さんの中には70代の人も居て、一日中黙々と作業をされている。そんな人達を見ると、まだ30代の自分が疲れたなどとは言ってられない。
やはりしばらく事務所の中に籠って生温い湯に浸っていたので、体力がかなり落ちたのだろうね。
今の作業は自分の基礎体力を向上させるものと心得て、寒さの中でも辛抱し、精進するべし。
これらすべてが修行なり。

2011-01-20

大寒


寒気の南下に伴う猛烈な風が今日も現場を吹き抜ける。『今日が一番寒い日だろう』と、ここ最近毎日そう思うが、ところがどっこい暖かくなるだろうとの期待は見事に裏切られ、どんどん寒くなるような気さえする。暦通りと言えばそれまでだが、もうちょっと寒気には手加減してもらいたいな。じゃないと凍えちゃうよ。

相変わらず中国という国は、少しでも政府に都合の悪い報道は遮断して人民をコントロールしてるんだね。これじゃあ人民は政府に飼われているのと同じこと。いまは経済も勢いがよく、人民の多くも不満を言う前に金儲けに走っているから上手くいっているように見えるが、チュニジアのようにひとたび何かのきっかけで人民に火がつけば、その人口の膨大さも相まって世界的大混乱に陥るのは必至。経済的繁栄がそう長くは続かないということは、我々日本人もよく分かっていることだ。
中国バブルがいつ弾けるかは予想し難いが、弾ける日が来るのは間違いなく、それに伴う混沌の波を我々は巧くやり過ごさねばならない。おそらく今の中国政府がその混乱を今のままの体制で乗り切れるとは考えにくい。13億を越える人民のそれぞれが意見を持ち、それを政府が統制できなければ大国と言えども一夜にして吹っ飛ぶだろう。
我々はその日に備えねばならない。大地震に備えるように。

2011-01-19

陽光


これほど陽の光りをありがたいと感じる現場は初めてだ。休憩所は無く、一日中外で外で過ごさねばならない。陽が照る時はその恵みを身体一杯に浴びて一息つくことが出来るが、今日のように強い鈴鹿おろしが吹けば流されて来た雲が陽射しを遮り、その冷たい風がせっかく暖まった身体のぬくもりを瞬時に奪い去ってゆく。
今日の鈴鹿おろしはまた格別で、空は唸りをあげ、落ち葉は舞い上がり、陽は時折差す程度で恐ろしく寒い!
必死に身体を動かせば少しは暖まって来るが、それも動きを止めるとすぐに冷めて来てだんだん身体が堅く鈍くなる。

なかなかにキツイ現場ではあるけれど、なあにこれくらい大丈夫。しばらく鈍っていた心身が鍛え直されてちょうどいい。まだまだこの先も寒いと言うが、なんとか乗り切ってやろうと思う。

2011-01-18

残雪


今朝はさぞかし凍っているだろうと思いきや、意外と気温高くてそれほどでもない。道路も所々凍結しているものの、概ねシャーベット状で道行く車もかなりのスピードを出している。しかし堤防は違う。人跡未踏とはこのことで、Jackieを連れて散歩に出るもラッセルしながら進まないと歩けない。Jackieも果敢に突撃しているが、まともに歩くことが出来ないためキツネのようにぴょんぴょん跳ねながら前に進んでいる。その姿が実に微笑ましく、かわいくて、楽しそうだ。いつものコースを周遊していると、また雪が降って来た・・『おいおい、ええかげんにしろよな』と呟きながら歩みを早める。

いつもの場所で拾ってもらい現場へ向かうが、南に向かうにつれみるみる雪の量が減ってゆく。現場に雪は全く無く、まるで別世界のよう。自宅から現場まで100kmに満たない距離なのにこれほど天候が違うとは、驚くばかりだ。やはり風向きが天候を大きく左右するんだね。

雪は無かった。しかし現場は寒かった。朝方は日差したっぷりで風も無かったのに、時間が経つにつれ雲が流れて日差しを遮り、冷たい強風が吹き荒れる。力仕事が多いならば身体も温まりちょうど良いのだが、あいにく今日は軽作業中心で体温がどんどん奪われてゆく。地面から伝わった冷気は長靴を通して足を凍らせ、指先を麻痺させる。おかげで両足にしもやけが出来て痒いこと痒いこと。まだ当分は寒さが続きそうなので覚悟せねばね。

2011-01-17

雪に思う


いや〜今日はよく遊んだ。そうだな、午前と午後合わせて5時間程も雪の上で遊んでいたことになる。こんなに雪遊びをしたのは子供のとき以来だな。
今日は大雪のため現場に行けず仕事はお休みに。幼稚園も同様に休みになって、娘達は雪遊びが出来ると大喜び。朝9時前から雪の降りしきるなか外に出て、まずはかまくら作りに熱中する。雪はどっさりあるものの一カ所に集めるのがなかなかしんどい。ほとんど一人での作業なのでそのうちに息を切らせ、大汗をかいての作業となる。それでも娘達の励ましに応えて頑張ったおかげで高さ1.3m程のかまくらを完成し、次女の背なら中でなんとか立てるだけのものにまで仕上げることが出来た。こんな機会はなかなか無いので娘達にもよい経験になったことと思う。
そしてその後はソリ遊びに雪だるま作りと定番の雪遊びに没頭し、全身ずぶ濡れになるまで遊び通す。
いったん昼食とその後の休憩の為に中断し、3時頃から暗くなるまで再び雪中人と化して堤防の斜面を滑りまくる。外に出ればいくらでも遊びが転がっていて、決して飽きることは無い。ただ、体力と気力が持つかどうかが問題で、この点僕が率先してソリ滑りを敢行し、勢い余って危うく川に転落しそうになったことを見ても『あんたが一番楽しんどるじゃん』という指摘に対して、胸を張って『その通りだ!』とお答えすることが出来る。
午後からも雪は降り続いたが気温が上がったせいだろう、徐々に雪は融けだしてかなり量が目減りしたようだ。今シーズンあと何回こんな機会があるだろうか?もしかしたら今日が最後かも知れない。そう思ったら惜しくなって、暗くなり寒さが増してくるまで娘達と遊び呆けずにはおれなかった。

2011-01-16

雪ん子


よく降るね、いまもガンガンに降っている。明朝までにどれくらい積もるのだろうか・・

雪降りは意外と暖かい。

と言っても気温は0℃以下。暖かく感じるのはソリをしたり雪合戦をしたりして、絶えず身体を動かしているからだろう。それに昨夜のような猛烈な風がないのも大きい。
今朝は予想通り外は真っ白で、積雪は5cmほど。思ったより雪が少なかったのは風が強過ぎて吹き飛ばされてしまったからで、吹きだまりにはその分多くの雪が積もっていた。
娘達は雪を見ると外に出たくてたまらない。それをなだめて朝ご飯を食べさせ、外に解き放つ。僕もそれに続きソリに乗って堤防を滑り降りたり、雪を投げ合ったりと盛んに遊ぶ。時折雲間から陽が顔をのぞかせるがそれも束の間、またたく間に白く霞んだ雪雲に覆われ雪が激しく降って来る。みるみるうちに身体は白くなり、午前の部はこれでおしまいにする。

午後になるとさらに雪の降りは強くなり、積雪も10cmを越えた。しばらくはパズルなどをして遊んでいた娘達もまたうずいて来たようで、まだ湿っているジャケットを着込んで外に出る。今度は雪を集めて滑り台を作ったり、2人をソリに乗せて堤防の上を引いて散歩に出たりと、午前にも増してはしゃぎまくる。娘達は雪の中を転げ回って真っ白になっていてもヘッチャラらしい。むしろそれがおかしくてたまらないらしく、大笑いしながら堤防の斜面をソリも無しで横になって転がり落ちてゆく。それを見ながら『自分も同じことをしてたよな〜』と思い出し。堤防を滑り降りる。

辺りを見回しても僕達だけで誰も遊んでいない。近所の、子供が居る家でも外で遊んでいる姿を見かけない。何をしているのだろう?ゲームか?よその家のことながら不思議だ。今日わが娘達はまたひとつ思い出を作っただろう。今時の幼稚園では雪が積もっていても外で遊ばせず、室内でTVを見ているそうだ。そんな世の中なのだ。だから妻とも明日は幼稚園を休ませ、家で思いっきり雪遊びをさせようかと話しているところだ。

2011-01-15

風、凄まじ


夜になってから空が轟々と唸りをあげている。凄まじい風だ。
突風に襲われたかのように時折ズン!と激しいプレッシャーを受け、家が軋む。この強風に導かれて雪雲が平野部に侵入してくるのだろう。どうやらこの様子では明日は雪になるな・・
朝、雪があれば外に出て娘達と雪だるまでも作るかね。ソリはすぐに出せるところにあるし、これでいつ降っても大丈夫だ。
休日に降る雪ならば大いに結構なり。

2011-01-14

雪舞散る朝に


朝5時半、Jackieを連れて散歩に出る。
いつもカメラを持って行くが、日の出前のこの時間は明けの明星が輝くだけで、辺りは淡い闇に包まれ撮影もままならない。しかし早朝の闇にはどこか楽天的な闇の良さがあり、そんな中を歩くのも楽しみのひとつなのだ。
身を震わせ湯気の立ちのぼる川面を眺めながら歩いていると、雪が降って来た。なるほど空には雪雲が押し出されて来てもはや星は見えず、ただサラサラと雪が舞い落ちて来る。
部落の中を通る曲がりくねった細い道にはぽつんとひとつ街灯が灯っており、そのおぼろげな光りの中を雪が散らつく様子もまた情緒があり、よろし。

2011-01-13

反撃


どういうわけか知らないが、昨日から携帯に迷惑メールが頻繁に送られてくるようになっている。
携帯でのメールのやり取りをほとんどしない僕にとっては、日に何本ものメールが送られてくることは異常事態であって、しかもそれがどうでもいいようなエロメールなどの迷惑メールだと鬱陶しくて仕方が無い。
おそらくどこかからアドレスが漏れたに違いないが、それはそれとして僕の携帯で迷惑メール登録をしても、送信者はドメイン・アドレスを変えて何度も送ってくるのでイタチごっこでしかない。まだしも携帯会社が強力なフィルターで迷惑メールを事前に除去してくれれば良いが、これがうまいこと機能していないようでしばらくは迷惑メールの受信が続くのだろう。
不思議なのは以前の時もそうだったが突然ぱったりと迷惑メールが来なくなることで、おそらく送信者がこれ以上続けてもヤバいと感じたか、もうこれくらいでいいだろうと目的を果たしたかで配信停止したのだろうね。
PCのメールでもよくあることで、どこかのサイトで買い物をすると自動的にメルマガ配信に登録され、いらんメルマガがしょっちゅう送られてくることがある。この場合も速攻で登録解除を行うが、なぜかその後も送られ続けその度に登録解除を繰り返すというようなたわけたことになる。もうこうなると業者側の悪意を感ぜずにはいられず、防御から一転、反撃へと移らねばならない。

2011-01-12

寒気の中で


終日強風吹き荒れ、空は唸り、雲は流れ、竹は身悶えしてこの寒さに耐えているようだ。
幸いにも今の現場は遮蔽物の多い中での作業ゆえ、体温を奪い去ってゆく北風をまともに受けることは無く、その点に於いては助かっていると言える。しかし、厳しい寒さには変わりなく、ひとたび作業を中断するとみるみる体温は下がり、足先から地面の冷気を吸い上げているような感じがして底冷えして来る。熱い茶もカップラーメンも一瞬にして冷めてしまい、身体を温めるまでには至らない。
この短期の現場は仮設ハウスも無い野天での作業なので、休憩時間であっても籠る場所が無く終日寒気に晒され、まさに寒さとの格闘だ。それでもここ2日は晴天に恵まれ、陽の暖かさの恩恵を受けることが出来た。天気予報では今後も強い寒気の流入が続くようで、そのうちさらに厳しい環境での作業を強いられることだろう。せいぜい体調を崩さぬよう、気を引き締め寒さに立ち向かってゆくしかない。

2011-01-11

充実


数ヶ月ぶりに現場仕事が再開した。

今朝は各地で今冬一番の冷え込みを記録し、この地方でも−2℃と文字通り刺すような寒さだった。そんな中をJackieともども真っ白い息を吐きながら散歩して身体を温め、現場に向かうモチベーションを徐々に高めてゆく。
久しぶりの現場は楽しかった。ほぼ全開で身体を動かし続け今は腰の辺りに少し疲れを感じているが、風呂上がりにストレッチをしてほぐしておいたので明日もガンガンいけると思う。こんな寒い時期はこうやって外に出て身体を動かしている方が実に気持ちがいい。激しく作業してもあまり汗をかかず、べっとりすることもない。気温が低くても風さえなければ日向での作業はポカポカ陽気で気持ちよく、仕事もずいぶんはかどるのだ。
現場に出るとつくづく『自分はやっぱり現場に居てこそ価値がある』と感じる。作業していても楽しいし、何より身体を動かすことで全身に血液がよく回り、力がどんどん湧いて来る。まあ元気出した分疲れるけど、この軽い疲労が眠気を誘い『今日一日よく働いた』という充実感を与えてくれる。

2011-01-10

ぶらんこ日和


昨夜は伊吹おろしが吹き荒れ、天気予報でも冬型が強まると言っていたので、てっきり今日は時雨の一日だろうと思っていたら見事に晴れてくれた。どうもこの冬は日本海側と太平洋側ではっきりと天気が別れるようで、この地方に限って言えば天気予報の見立てよりもよい天気が続いている。
そんな、北風は刺すように冷たいが穏やかな日差しに恵まれた祝日、僕は娘達とほぼ一日中外で遊びまくり、爽快な時間を過ごすことが出来た。
当初娘達も『寒いから外へ行きたくない』なんて言っていたが、『掃除の邪魔だから外に行かなあかん!』と言う妻に放り出され、しぶしぶJackieの散歩について来たものの、そのうち自分たちで遊びを見つけてはきゃっきゃ言いながら実に楽しそうにしていた。午前中は僕の畑仕事などを手伝ってくれたりして過ごし、午後からは河川敷の木にブランコを作ろう!ということになって竹を伐りに近所の竹林まで繰り出し、ここでも竹林の中を探検気分でひと遊び。ちょうど良い竹を担いで持ち帰りいよいよブランコ作りに取りかかる。といっても木の枝からロープで吊るすだけの単純なもの。それでも娘達は大喜びで、地面に転げ落ちては大笑いし、元気はつらつ。
その様子を見ながら、子供はこうでなくっちゃな・・と、しみじみ思うなり。

2011-01-09

内憂外患


アメリカ・アリゾナ州で下院議員が銃撃され重体に陥っている。
銃撃犯はセミオートマチックの銃で乱射し、9歳の子供を含む6人の命が失われた。
妻は朝からこのニュースに衝撃を受けずっと最新情報を追っていたが、そこから分かるのは突発的な銃撃行為ではなく、綿密に練られた計画に基づいての襲撃事件だったということだ。いろいろな政治信条の立場から彼女に恨みを持つ者も多かったろうが、銃撃というあまりにも短絡的で卑劣な行動が先進国であるアメリカで起きた点に皮肉なものを感じてしまう。昨今何をするにも『テロ』と声高に叫ばれ、その警戒対象は常に外に向けられて来たが、それらの意表を突く形で内部テロが実行された。
保守派を代表するティーパーティーの連中はこの事件を機に益々保守色を強め、反対に移民に代表されるグループは保守派に対する不信感を強めるだろう。これまで対外的に敵を作って来たアメリカは、いつしかその内部にまで対立軸を形成し、互いに牽制し合うようになってしまった。その伏線の上に起きたのが今回の事件だ。
このまま対立は続くのだろうか?銃は巷に溢れ、いつ何時命を奪われるか分からない。
それを望んだものアメリカだし、それに怯えるのもアメリカなのだ。

2011-01-08

真夜中の出来事


深夜0時近く、下の階でぼんやり撮り溜めたNHKスペシャルを見ていると、突然2階からドドドと床を踏みならす音がした。ははあ、長女がおしっこに起きたな・・と思っていると、妻が長女を叱る声が聞こえて来た。どうやらおしっこに行く時に『暗いのが怖い』と言って妻を起こしてしまったらしい。長女はよく僕を起こすことはあるが、今晩は僕が階下に居た為に妻を起こしたようなのだ。もちろん6歳になるのだから自分でトイレに行かないといけない。しかし甘えられると『しょうがないな・・』とついついトイレまで付き添ってしまい、それが当たり前のようになってしまっていた。
妻は一度起きてしまうとなかなか寝付けないタイプのため睡眠を邪魔されることにヒステリックな程で、今晩も長女の行動が頭に来たらしく叱りつけ、さらにこうなったのは『あなたのせいだ!』と喚きだした。とんだとばっちりを受けて攻撃されることになったのだが、相手をしていても火に油を注ぐだけなので泣きじゃくる長女を連れて別の部屋に避難し、PANALI氏から借り受けたチベットの写真集を長女と一緒にめくりつつ、これは何だの何する為の物だのといろいろ説明していると、苛立った心は聖なる白きカイラスによって癒され、長女もいつしか泣くのを忘れ寝床に戻り、そしていつもと変わらぬ静かで平穏な夜が戻って来たのだった。

2011-01-07

AppleCare


ずいぶん迷った挙げ句、AppleCareを購入した。21800円なり。保証期間を2年間延ばすだけでこの値段はちょっと高く感じるが、もしiMacが壊れたときは迅速なサポートが受けられるので、まあ仕方の無い値段とも言える。1機種前のiMacはある日突然起動しなくなり、Appleに連絡するとすぐに業者が引き取りに来て、2日後にはマザーボードなどを入れ替えて戻って来た。この時もしAppleCareを購入していなかったら5万以上の修理代がかかっていたので助かったのだ。本来壊れないに越したことは無いが、いつ壊れてもおかしくないのがIT機器の宿命とも言える。AppleCareを購入しなくとも壊れないものもあるし、買ったばかりでいきなり壊れてしまうものもある。こればかりはほんと運だと思う。僕の場合、AppleCareを購入しなかったら壊れるような気がしてならなかったので購入したというのが本音かな。
とりあえずこれであと2年は故障についての保証が付くので少しは安心できそうだ。

2011-01-06

38


38になった。
ついこの間『37になった』と書いたばかりなのにもう38だ。と言ってこれは数字上だけのことなので大した意味は無い。38でも39でも40でも僕にとっては何でも良い。しかしこの38歳はひとつの節目になるのだけは確かだ。5月には3人目の出産が予定され、また新たな父親として成長せねばならない。31歳の時に長女を迎え、33歳で次女を迎えた。そして少し間を置いて新たな命を迎える。
長女も次女も成長し、良いお姉ちゃんとして僕らを助けてくれるだろう。疲れてイラつくときも腹の立つときもあると思うが、小さな身体に宿った大きな命はそんなもの軽々と超越し、僕らを導いてゆく。
僕は子供を育てようとは思わない。育てているという実感も無い。
彼女らは勝手に大きくなり、日々大人が作った世界に順応しようと学習している。
僕はただそれに、問答無用に引っ張られているだけに過ぎない。
娘達との生活を通して僕が言えることは、『子が親を育てる』ということだ。子に育てられ、親は強くなれる。

2011-01-05

分からず


う〜ん、結構期待してたんだが分からんかった。
何って?赤ちゃんの性別さ。
いつものように3Dエコーで画像診断したらしいが、どうやらこの赤ちゃんは恥ずかしがり屋らしくてずっと正座をしたような姿勢のまま動かず、結局肝心なところを見せてくれなかったらしい。というわけで次回ひと月後までのお楽しみとなりました。
僕ら夫婦としては女の子でも男の子でもどちらでも良いとは言うものの、やっぱ知りたいんだよね。ひとまず今日の健診では母子ともに問題無いと言うことなのでひと安心かな。

妻が健診に行っている間、僕は娘達を連れて春から通う小学校まで通学路を実際に歩いてみる。以前車で計った時は自宅から学校まで片道2.2km。これを娘の足では何分かかるかが知りたいのだ。そして実測した時間は片道36分。まずまずじゃないかな。この時は次女の手を引いて歩いていたので、これが小学生だけならもう少し早いかも知れない。いや、ひょっとしたら寄り道しながら歩くのでもっとかかるかも知れないな・・とにかくおおよその目安は分かったので収穫大だな。小学校が始まったら6年間毎日5km近くを歩くことになるので、身体は自然と鍛えられるだろう。この点は良いとしても防犯上は気がかりでもあるので、やはり親が実地に歩き現状を知ることが大切だと思う。

2011-01-04

母体


ここに来て疲れが出たのか、妻が突然体調を崩しほぼ一日臥せっていた。妊娠中でもあるので心配したが、本人曰く『赤ちゃんは大丈夫』とのこと。何で大丈夫なのかよく分からないが母体と直結している赤ちゃんのことゆえ、言わば母体そのもの。その本人が言うのだからまあ大丈夫なのだろう。このあたりさすが2児の出産を経て来た母親ならではの肝の据わり様と言うか、落ち着き様だよな・・と感心する。これが始めての妊娠の時だったら間違いなく産婦人科に行っていただろう。
夜になると妻の調子もだいぶ良くなって来たようで、明日予約を入れてある2ヶ月振りの妊婦健診にも行くことが出来そうだ。妻によるとシアトルに滞在中は親戚中で風邪が蔓延し、体調を崩している人が多かったそうだ。クリスマスパーティーにも体調不良のため参加できない人が出る程の散々な様子だったらしい。そんな環境に長く居るうちに妻もそして娘達も風邪をもらい、セントレアで出迎えた時はもちろんフライトの疲れもあったがそれ以上に3人とも疲労困憊していた。そしてそのまま正月を迎え、連日の実家詣でで更に疲れが溜まり今日の体調不良に結びついたのだろう。幸い娘達の風邪も快方に向かっているようなので、こじらせること無く風邪を追いやれればいいのだが・・
まずは畑で穫れた野菜をモリモリ食べることだな。

2011-01-03

飽食の果てに


お泊まりをした娘達を迎えに実家へ行くと、よくぞまあこれだけ食べ物が出てくるもんだと感心するくらい次から次へと様々なものがテーブルの上に並べられ、そしてそのどれもがちょっとつまみたくなるような魅力に溢れている。母親に聞くと『皆が来るから買っといた』と言うものも多いが、その他にも姉が夫の実家から頂いたものなどもたくさん含まれていて、とても食べきれるような量じゃない。ずいぶん頑張って食べたが相当量が残ってしまった。実家からの帰り際、母が『わたしら2人だけやと食べへんから・・』と姉の家族と僕達にその残りのほとんどをくれたのだが、まったく驚くべき量だ。
この正月はほんとによく食べた。それも普段食べない重いものが多かったのでそれなりに太ったことだろう。そんな食べ過ぎ気味の腹を抱えて思うことは、『自分たちが如何に恵まれているか』ということだ。本当の飢えを知らず、食べたいものはほぼ手に入るという生活が当たり前のこととなり、いまや自分達が飢えるなどとは考えもしない。しかしその一方では多くの子供達が飢えに苦しんで死んでゆくのを止めることさえ出来ない現実がある。こちらでは食べ物が捨てられ、あちらではその食べ物を口に出来ず命を落としてゆく。
胸焼けするほど食べ過ぎると、いつも罪悪感の様なものに苛まれる。自分は『飽食のブタ』であってはならないと日頃から思っているが、こういう時はついつい食べ過ぎてしまう。この飽食の果てには一体何が待っているのだろう。やはり少し飢えるくらいが丁度いいのではないだろうか。

2011-01-02

お泊まり


今日も実家を訪れ、娘達を預けて帰宅する。
シアトルの妻の実家へは年2回訪れてその度に長期間滞在するのでもう慣れっ子になっているが、意外と車で約20分の距離にある僕の実家には泊まる機会が少なく、今回は本当に久しぶりのお泊まりだ。僕の両親とも未だ現役で忙しいこともあり、そう簡単に『じゃあ、頼んだで』なんて調子に娘達を預けることも出来ず、GWや正月といった長期休暇の時は弟夫婦が実家に滞在する為、母親の負担軽減も考えて遠慮しているということもある。この正月はたまたま弟夫婦に赤ちゃんが生まれたばかりで実家に帰省しなかった為、チャンスということでお泊まりを計画した次第。娘達も滅多に無いこと(次女にとっては始めてだ)なのでちょっと興奮気味。ちゃんと寝ているだろうか?と気にはなるが多分大丈夫だろう。おじいちゃん・おばあちゃんと触れ合えるよい機会になると思う。

正月は毎年のことだが食べ過ぎるのに動かないから、どうも腹が張っていてよろしくない。明日の午前中は娘達も居ないし、畑もしばらくほかりっ放しだったので、ここはひとつ運動不足解消もかねてひと働きしてやろうと考えている。やっぱり人は、汗をかいて労働せないかんな。久しぶりに自分を追い込んでみるかね。

2011-01-01

正月風情


朝9時頃に目を覚ますと、すでに妻と娘らは階下に降りて朝食を済ませていた。聞くと『私たちは5時半から起きとる』そうで、そりゃ朝ご飯を待ってなんかおれんやろね。アメリカ東海岸に比べ西海岸から帰国した時の方が時差ボケは軽く済むが、それでも身体が慣れるには数日は必要らしい。
僕一人で遅い朝食を摂ろうとすると、娘達はお腹がすいたからと言って僕と一緒に焼き餅を食べ、それなりの元旦の朝を迎える。
まあ言うなれば餅を喰う以外、普段の日常と何ら変わりのない朝だ。そしていつもと同じようにJackieの散歩に出るが、天気が良いにもかかわらず外を歩いている人が誰もいない。やはりこんな寒い正月の朝は皆さん自宅でのんびりしてんだろうね。

午後からは実家を訪れ、ここでおせちや雑煮を頂き本格的な正月気分に突入する。しばらくすると姉夫婦に甥っ子姪っ子もやって来て実家は大にぎわいだ。キャッキャ言いながら皆でゲームを楽しんだり、お菓子を食べたりしながら怠惰な時間を過ごしてゆく。
何年も変わらぬ正月風情。だから居心地がいいんだろうね。