2014-01-31

旧正月一考














 ついこの間新年になったと思っていたのにもうひと月が経ってしまったよ。まったくもって早いもんだ。そして今日は旧正月。中国では人民の大移動が始まってどこもかしこも大変な混雑だろう。こういう時は絶対に近寄ってはならないのだ。
それぞれの国にはそれぞれの文化や慣習があって旅行している時は常にそれらを意識しているが、特に旧正月やラマダン(イスラム教の断食月)に関しては旅行者にも大きく関わることなので、敢えてそれを覚悟して乗り込むかそれとも避けるかの選択を迫られる。例えば中国の旧正月中に移動しようとしてもそれには大変な労力が必要で、しかも思うようには移動できないだろう。ならば始めからこの時期を避けて移動するか、もしくはどこかで大人しくしているのが賢明な策と言える。同じくラマダン中のインドネシアとエジプトに滞在していたことがあるが、基本的にイスラム教徒ではない旅行者が断食中に飲み食いしても咎められないことになってはいるが、それをおおっぴらにすることは地元の人の反感を買う。なので極力同調して断食するか、我慢できなければ隠れて飲み食いするしかない。インドネシア・スマトラ島のアチェというところは特に厳格な地域で、バスで移動中に妻が我慢できずにこっそりと水を飲んだところを厳しい爺さんに見つかり叱られたもんだ。その場は『まあまあ、この人らはイスラム教徒ではないし、外国人だから・・』と他の乗客が爺さんをなだめてくれて収まったが、そういうこともあるのだよ。
そう思うと、混乱や厄介ごとを避けるならそういう時期に近付かないに限るが、一方でその時期だからこそ味わえる雰囲気もあるのでここは難しいところ。僕単独だったら迷うことなく混沌のなかに飛び込むけどね・・

2014-01-30

寒暖めまぐるし














 なんだか局地的に暖かくなったり寒くなったりと極端だね。雨も適度に降って厳しい寒さで長らく止まっていた野菜の生長も復活の兆しが見えて来た。予報を見ると日曜は雨マーク、気温は16℃となっている。日曜以降はまた強い寒気が南下し厳しい寒さが戻ってくると言っているが、今後はこのように北からの寒気と南からの暖気との間で押したり引いたりの駆け引きが続くのだろう。こうやって春が近付いてくるのだ。
そうだ、春と言えば桜の苗木を一本買おうと思っている。自分の土地ではないが堤防に植えてやるつもり。品種はまだ決めていないが、さてどれにしようかな・・
花が咲けば県道を通る人からもよく見える。大きく育った姿を想像するとワクワクするね。日曜に予報通り雨が降ったら植木屋に行って苗木を見て来ようと思う。楽しみだ。

2014-01-29

警戒















なぜ『火山』なのかはよく分からないが、西ノ島新島がその後どこまで大きくなっているのかは気になるところだ。この際だからもっと激しく噴火してムー大陸とはいかないまでも、大な島が出来たら面白いのにね。それだけ地下のマグマが噴出すれば地殻活動のエネルギーもずいぶんとガス抜きされて、巨大地震発生のリスクも減るだろうに。
そういえば地震と言えばずいぶんと来るべき巨大地震に対する警戒感が薄れてしまっている。忙しなく過ぎ去ってゆく毎日を繰り返す生活が当たり前と思ってしまい、突然激しい揺れに襲われるなんてことはすっかり忘れてしまっている。今この状態で巨大地震に襲われたら・・なんて考えると恐ろしいことだ。

2014-01-28

大判焼きで御座候















子供の頃より親しんで来た大判焼き。今日PANALI氏より頂いた御座候より若干径が大きかったような気もするが、これくらいだったかも知れない。でも温かいものを頬張ると幸せな気分になるね。ごちそうさまでした。感謝致します。
以前事務所で『御座候』か『大判焼き』かの白熱した論争があったが、僕の生まれ育った地域では『大判焼き』が主流だった。『今川焼』や『御座候』なんて呼び名を聞いたのは大きくなってからのことで、最初はなんのことを言っているのかすら分からなかったほどだ。ちょっと調べると『今川焼』というのが元々の呼称で、それが全国に伝わる課程で様々な名称に変化したとなっている。その中でも『大判焼き』という呼び名は全国各地で見られ一番普及している呼び名のようだ。『御座候』は姫路の菓子屋がつけた呼称でいわゆるブランド名らしい。こうやって調べてみると菓子の名一つとっても面白い展開があって興味深い。全国各地に散った『今川焼』を集結させて、その似た者同士で味比べなどしてみても面白いかも知れないね。

2014-01-27

それぞれの道















今日はもうすぐアフリカに向け旅立つ同志の見送り会。なかなか時間が取れず日中での簡単な会となったが、それでも気心の知れた友との会話は楽しく、時間を忘れて様々な方面についてあれやこれやと語り合う。早いものでお互い初めて会ってからもうすぐ20年になる。それぞれがそれぞれの道を歩み現在に至るが、まわりの環境が変わっても我々が持つ『なにものか』は一向に変わっていないようだ。その『なにものか』を言葉で説明すれば何と言えばいいだろうか?まあ強いて当てはめるとすればキザなようだが『志し』とでも言おうかな。
今後も引き続きそれぞれの道を歩むが、どこに居ようともお互いが常に引き合ってゆくのは間違いない。その存在感がたまらなくいい。ほんと勇気づけられるよ。

2014-01-26

寒風三人娘



















夜中に降った雨は予想以上の雨量にて乾いた空気を潤し、寒さに疲れた野菜達にも久々の暖かい恵みの雨となった。ところが午後になると徐々に北西風が強まり、小春日和をもたらしていた暖かい空気をすべて吹き飛ばし、再び厳しい寒さを運んで来た。明朝の予想最低気温はー2℃と言うから今朝と比べこれまた極端だ。風は未だに強く、唸りをあげて吹き荒れている。時折衝撃波を伴う突風となっており、カーポートが飛ばされないか心配するほどの強風だ。例年これくらい強い風が吹けば雪が降るものだが、今回もその心配は無さそうだ。かえってこれくらい雪が少ないと不気味なもんだね。
さて、その冷たい風が吹き荒れるなか娘3人を伴って子供会の会員名簿の確認のため町内を回る。昨日電話で確認できた分はよいが、連絡先を携帯番号にしている家などはこちらからかけても出てくれないのだ。もちろん相手先に番号通知してかけているが、どのみち知らぬ番号なので無視されてしまう。ために一軒一軒回らねばならないが僕一人でピンポンすればドアの覗き穴から見れば怪しい人間にしか見えないだろうから、妻が会議で留守なのを幸いに娘達を連れて回っていたわけ。案の定何人かは在宅で、娘3人連れての訪問なら警戒心も融け話もスムーズだ。何とか数軒分の確認が取れ、7割ほどは片付いた。寒い中文句を言わず付き合ってくれた娘達には感謝感謝。

2014-01-25

子供会仕事始め















今まで子供会の会合には何度か出ているが、役員としての実際の仕事は今日が初めてだ。その内容は子供会の名簿の確認作業。地味な仕事だがこの名簿を元に登校班などの様々なものを組んで行くので、これが間違っていたら他のものへの影響が大きいのだ。そして結構間違っていることが多い。特に電話番号などの書き間違いなどがあって、緊急連絡網でまわす時に初めて気付くといったこともあった。そんなわけで自分が担当する家に電話をかけてゆくのだが、20数軒のうち半数近くが留守か電話に出なかったりして連絡が取れず、その内の一軒は『その電話番号は使われておりません』という応答。こういった家には直接出向いて再度電話番号の確認を行わねばならず手間がかかる。でも電話に出てくれた大半の家は事情を話すと『役員ご苦労様です』と言ってこちらをねぎらってくれるので有り難い。皆一度は役員をやらねばならず、やったことのある人はその苦労を、まだの人でもうわさでその大変さを聞いているので至極協力的だ。この点、我が町内におけるお母様方の連帯感の強さを感じたな。明日も引き続き迷惑のかからない時間帯を狙って電話をかけるとしよう。

2014-01-24

晴れのち役員会















今日も朝は零下の冷え込みだったが日中はぽかぽか陽気で暖かく、とても気持ちの良い一日だった。夜のニュースでは早くも桜の開花予報なんてやっていたが、それはあまりにも気が早過ぎると言うもの。しかし桜の開花まであと残り2ヶ月ほどともなると、長く感じる冬も案外短いもんだな・・と思えてくる。

さて今晩は子供会の役員会合があったが、目下の課題は子供会名簿の更新作業だ。自分の担当した学年の子供達の家に電話をして、名簿に記入してある内容の確認作業を行わねばならない。
ほんとやることが一杯だよ。

2014-01-23

小春日和















よい天気だったねー。久しぶりと言うかこの冬初めて感じるぽかぽか陽気。同じ晴れでも昨日とは何かが違う。明日、明後日と暖かい日が続くと言うからありがたい。これで生長が止まっていた野菜達にも動きが出るんじゃないかな。今朝はー2℃を下回る厳しい冷え込みだったが、徐々に春に向けにじり寄っているようだ。寒いのが苦手な身にとっては春が待ち遠しいよ。でもこの厳しい寒さが持つピーンとした緊張感もまたいいものだ。今冬は雪がないから物足りなさを感じるが、一面真っ白な雪に覆われた中をぎゅっぎゅっと一歩一歩踏みしめながら歩くのも格別なもの。やはり一度くらいはこの感覚を味わいたいね。まあ、このまま雪が一度も積もらずに春が来るなんてことは無いだろうから楽しみに待つとしよう。ソリはいつ雪が降ってもすぐに出動できる態勢だし、雪遊びのための準備は万端だ。

2014-01-22

茶番の結末















アサド政権・反政府勢力・イスラム武装勢力による三つどもえの闘いでシリア国民は疲弊しきっている。そんな危機的状況のなかシリア和平会議が開かれたが、結局ここでも大国の思惑が優先されシリア国民の苦悩など無視されているようだ。アサド政権を支えるロシアにイラン、反政府勢力を裏からサポートするサウジアラビアなどのイスラム教スンニ派の国々やアメリカをはじめとする西側勢力、これらが主導権争いをしている隙をついてイスラム武装勢力が深く浸透し状況を増々悪化させている。もしこの和平会議が平行線をたどりなんの成果も得られなかったら、世界に散らばるアルカイダ系の武装勢力は勢いづきシリアに結集するだろう。まさにアフガンの二の舞だ。ここに至り各国も事の重大性に気付き何とかしようと動き出したようだが、それはシリア国民のためではない。自国をテロの脅威から守るための自衛的措置なのだ。だから誰もシリアに足を踏み込もうとはしないし、今の時点で軍を送り込んだとしても混乱を増すばかりだろう。とどのつまりは『打つ手無し』と言うことだ。国連も機能せず、大国の調停も失敗となったら、あとの救いはどこにあるというのだろう。この報いを世界は必ず受けることになる。

2014-01-21

霧中















朝起きると、外は深い霧に包まれていた。視界は30mほど。家の中からは堤防が霞んで見えるくらいで向こう岸はまったく見えない。この辺りでこれほどの霧が発生するのは珍しいことだ。夜中に雨が降っていて気温が比較的高く、それが朝方になって急激に下がって来たから霧が発生したのだろう。Jackieの散歩をしていても普段と違い幻想的な雰囲気で趣がある。ただ学校へと向かう娘達には見通しが悪いため『車には重々注意するように!』と訓示して見送りました。
いつものように長良川の堤防道路に出ると視界はいくぶん改善していたもののそれでも50mもないくらいだ。当然僕はヘッドライトを点灯して走っていたが、呆れることにすれ違う車の半数ほども無灯火で走ってくる。中にはホワイトやシルバーといった霧の中では同化して見えにくい色の車でも結構無灯火で走ってくるのだ。こういう連中はなんにも考えてないんやろね。危機感がないと言うかリスク管理の面から言えば失格だ。いくら気をつけていても事故は起こるものだが、その可能性を減らすことはできる。ライトを点け『自分はここにおるぞ!』と主張する。案外そんな些細なことが人生を左右するものだ。
やがて霧の中を抜けると、そこにはきれいな青空が広がっていた。

2014-01-20

大寒















暦通りの強烈な寒さ。いまは冷たい雨が降っているが夜半には雪に変わるかも知れない。雪は降らねど寒さが厳しいこの冬、畑の野菜達も連日真っ白に凍りつきほとんど生長しない。例年ならとっくに大玉のブロッコリーを収穫できているのに今冬はいまだミカンほどの大きさにしか育っていない。これはホウレン草も同じで、早くからたくさん種を蒔いたのに秋に急に寒くなったため生長が遅れ、そのままこの厳しい寒さに曝されほとんど生長が止まってしまっている。次の分が生長しないのであと少しで収穫可能な分は食べ尽くしてしまいそうだ。今週金曜頃は一時的に気温が上がるらしいからその時にでもグッと生長してくれるといいんだけど。とりあえずホウレン草が無くなってもレタスや白菜・大根はたっぷりとあるのでこれらをうまく活用してなんとか暖かくなるまで粘ってやろうと思っている。

2014-01-19

外で遊ぶべし



今朝も冷え込みは厳しかったが、雪は積もることなくほんの少しちらついただけだった。津の積雪が5cmというから雪雲は日本海から上陸して関ヶ原を越えることなくそのまま南下したらしい。おかげで風は冷たく吹き荒れた一日だったが、よく晴れて気持ちが良かった。娘達にも『天気が良いから外で遊ぼ』ということで9時頃から昼食までぶっ続けで外で遊んでいた。Jackieの散歩に始まり木登りやブランコ、凧揚げなどをしたが、寒い中でも『きゃあきゃあ』言ってほんと楽しそうだ。僕が河川敷に植えた木々の剪定作業をし始めても、娘達は自分達で勝手に遊びを見つけては楽しんでいるので手はかからない。こちらは川に落ちるのだけを注意していればよいので作業もはかどったよ。やっぱこんな日は鼻水垂らしながらでも外で遊ばないかんね。おかげで日焼けしました。
午後からは姪の誕生日を祝うために妻特製のチョコレートケーキを持って参加。みんなで回転寿しに行ったもんだから娘達はさらに大はしゃぎ。すしを食べたあとにはデザートのチョコレートケーキだ、しかもイチゴがたっぷりと載っている!
何かと盛りだくさんな週末でした。

2014-01-18

夜、風強し















夜に入りずいぶん風が強くなって来た。この様子なら予報通り明日は雪が降るかも知れない。今冬は例年になく寒い日が続いているが、この地方の降雪量はかなり少ない。いつもなら真っ白になっているはずの伊吹山は黒い地肌が見えているところも多いし、標高800mほどの池田山の山頂付近にも雪はほとんど見られない。我が家周辺でも雪がちらついたことが何度かある程度で積もったことは一度もない。毎年年末年始には一度くらい積雪があるのだが今回はその気配さえなかったからね。雪遊びを楽しみにしている娘達にとっては今のところ残念な冬だと言える。物置に埃をかぶって寝ているソリ達が早く出番を迎える日が来ると娘達も大喜びなんだけど、そうなるとロードスターが大変になるな・・休日に降ってくれることを祈るしかなさそうだ。

2014-01-17

震災19年















阪神・淡路大震災からもう19年だ。あの時はまだ実家に居たが、早朝に横揺れで目が覚めた。震度4の揺れだった。そのまま僕はいつものように朝食を摂り、当時やっていた測量のアルバイトに出かけた。現場は山の中でニュースを聞く機会もなく、昼食を摂るため車に戻ってから初めて大震災のことを知った。その時の衝撃をよく憶えている。

我が家は築40年を越える。耐震基準検査を受けたら間違いなく補強が必要となるだろう。震度6強クラスの地震が来たら我が家は半壊は避けられないと思っているが、全壊には至らないだろうとも思っている。ために寝室には倒れてくるようなものは何も置いていない。備えとしては発電機と常にガソリン20ℓを備蓄している。これは我が家が井戸水のため中電からの給電が失われた時でも水を確保するためだ。ニワトリを飼っていることも備えの一つで、ニワトリ達は粗食でもほぼ毎日卵を産んでくれるし、いざとなればつぶして食料と出来る。畑も同様で一年を通して何らかの食料を確保できる。津波襲来の恐れがないこの地方であれば身の安全さえ確保できれば水と食料は何とか自前で調達できる。その他カセットコンロとガスボンベの備蓄と、住む場所を失った場合の対策として外からアクセスできる場所にテントやシュラフなどのキャンプ道具を収納してある。いずれも実際に災害を経験してみないとその有用性が分からないが、とりあえずやれることはやっておこうと少しずつ準備はしている。しかし仕事場などの出先で災害に遭った場合はなかなか大変なことになりそうだ。やはり震災は当たり前だが来ないに限る。

2014-01-16

またひとり去って行った















昨日はねられた男の子は病院を出て自宅に戻っているらしい。怪我の程度のほどは子供達からの又聞きなので定かではないが、骨折をしているようだ。大変な怪我をしたと言うべきか、よくそれだけで済んだと言うべきか、まず命を失わなかったことは幸いだったと思う。

一方、危篤状態に陥っていた妻の叔父が亡くなった。長女の到着まで命は保ったがすでに昏睡状態になっていたという。長女の呼びかけに反応はなかったものの、その声は確かに彼に届いていたはずだ。間もなく彼は息を引き取った。
叔母は15歳の時から常に彼と一緒だったいう。それは50年以上の年月だ。分かっていたこととは言え夫の死に衝撃を受け、いま1人で部屋に籠っている。
ボブおじさんが亡くなったことを娘達に伝えると、長女も次女も悲しんで泣いていた。彼の家でパーティーをすることも多く、特に癌になってからは『賑やかな方がいい』という彼の要望でこの家で行われる回数も増えた。一昨年僕がシアトルを訪れた際もボブの家でパーティーが催され、彼の指導で僕が七面鳥をさばいたことが懐かしく思い出される。
Uncle Bobよ、どうか安らかに。必ず会いに行くよ。

2014-01-15

あわや惨事















家に帰ると妻が慌てた様子で駐車場まで出てくるじゃないか、『どうした?』と聞くと◯◯ちゃんが学校帰りに車に撥ねられたと言う。『マジで!!』と思わず叫んでしまった。次女はその瞬間を目撃したわけではないがすぐ後に通りかかり、その子が横たわっているまわりを大人達が囲み、救急車に運ばれて行くまでを見ていたという。その子は同じ町内のすぐ近所の男の子で、僕も幼稚園の頃からよく知っている子だ。次女とは同じクラスではないが学校帰りによく一緒になるそうで、最近は仲良くしていたこともあり帰宅後も激しく動揺していた。聞くところによるとその子は友達と道路を渡ろうとしていたらしい。そこに車が来たので友達は立ち止まったが、その子は車が止まるだろうと思い前に出たところで撥ねられたという。そこは通学路で信号機は無いが横断歩道のある交差点だ。比較的車がよく通るので通学路の中では危険なポイントの一つとして知られていたのだが事故は起きてしまった。知り合いのお母さんによるととりあえず命に別状はないそうだが、怪我の具合まではよく分からない。目撃した子供によると車にはね飛ばされたというからそれ相当の被害を受けているだろう。かわいそうに。
娘達には常日頃から『車が止まってくれるとは思うなよ』と言い聞かせているが、こんなことがあると親としては危機感を持つ。どうか事故なく怪我なく病気なく、元気に育ってくれよと願うばかり。

2014-01-14

厳寒の中で















朝起きると室内気温は3℃、寒い。すぐにエアコンをかけるが音ばかり威勢がよくてちっとも暖まって来ない。雨戸を少し開けて外を覗くと霜で真っ白になっている。室内で3℃なら外は相当な冷え込みだ。少し後に起きて来た娘達は歯をカチカチ鳴らしながら震えている。
さっさと朝食を済ませ外に出る。ニワトリ達は寒さに強いというが確かにその通りで、氷点下の中でも普段と変わらず動きも軽やかだ。ニワトリ小屋の中の水もJakieの水もガチガチに凍っている。水を換えようとしても外の水道自体が凍り付き蛇口すらひねれない。そんな中でもニワトリ同様Jackieも元気一杯で勢いよく堤防を駆け上がってゆく。表の川の水面からは水蒸気が上がっており、今朝の冷え込みを物語っている。手袋をしていても指先がジンジン痛み身体の芯から冷えてくる感じだ。こんなに厳しい寒さの中でも相変わらずシラサギやアオサギは川の中にすっと立ち獲物を狙っている。そのすぐ側を鵜が小魚を追って派手にバシャバシャと泳いでゆく。寒かろうが無かろうが、僕がここに居ようが居まいが日々変わらぬ風景が流れてゆく・・

妻の叔父が今まさにその人生を終えようとしている。遠くに住む長女が飛行機で到着するまでは、その顔を一目見るまではなんとしても生きると言って、そのついえそうな命を踏みとどまらせているという。なにものでもよいが、願わくば彼の最後の願いを叶えたまえ。慈悲を与えたまえ・・

2014-01-13

所感















成人式か・・もうその倍も生きているんだなあ、月日の経つのはほんと早いね。自分の時は『成人式なんか出てられるか!』てな思いで成人式前の晩に真冬というのに野宿道具をバイクに積んで四国一周に飛び出したんだよね。寒かったよなー。雪降ってたからね。何もわざわざこんな時に・・との思いもあったが、そんな突拍子も無いことをする自分に満足していたのをよく憶えている。ユースホステルに泊まったのもこの時が初めてで、それまでその存在すら知らなかったからおめでたいもんだったよ。四国だったからお遍路宿がユースホステルを兼ねているところもあって、相部屋になったお遍路さんと深夜までいろいろ話しをしたり、ツーリング途中で会った年上の女性ライダーと意気投合して何日か一緒に行動したりと、短い期間ではあったが内容の濃い自分らしい成人式だったと思う。
今思えばその行動が翌年の波照間島行きへと繋がり、そして数年後に日本を飛び出して2年半に及ぶバックパッカー生活へと発展して行ったのだ。その点で言えば一貫しているな。
これでよし。

2014-01-12

餅日和















つきたての餅はやはりうまい。
今日は娘達が通うスポーツクラブ主催の餅つき大会が催され、多くの子供達とその保護者らが参加してじつに賑やかなものだった。石臼が3つ用意され、スポーツクラブの若手指導員らが次から次へと餅をついてゆく。もちろん子供達も参加してちびっ子用の小さな杵で『トントン』とぎこちなく餅をつく姿を保護者らがニコニコしながら写真を撮っている。一方ではつきたての餅を手早くちぎって、砂糖醤油・マヨ醤油・大根おろし・きな粉・あんこの味付けで参加者に振る舞われ、特に人気の砂糖醤油ときな粉には長蛇の列が出来るほど。どうだろう、午前の部と午後の部に別れての餅つき大会だったが、僕らが参加した午前の部だけでも少なくとも300人くらいの人出はあったと思う。これほど多くの人が集まるのだからひと臼の餅は瞬く間に無くなり、つき上がる餅を待つ人でさらに列が伸びてゆく。あまり人気のない大根おろしとあんこは比較的人の流れがよく、とにかく餅を食べたい人はここに並んで回数を稼いでいたようだ。三女を連れて普通に並んでいた僕でも5回は餅を食べることが出来たので、一回の量が小さくちぎった餅3切れまでと制限されていても最終的にはお腹が膨れるほど食べれた。娘達は大喜びだったよ。餅好きの妻も毎年必ずこのイベントには参加して楽しんでいるからね。
やっぱ餅つきは最高だ。楽しいし美味しいし言うこと無し。ただ一つ準備に手間がかかる点だけが難しいな。
みなさまごちそうさまでした。

2014-01-11

子供会新役員始動!















午後2時から子供会の打ち合わせに参加したが、主な内容は仕事の引き継ぎで実に膨大な量の書類やらが渡され、それぞれの役員から詳細な説明も受けたりと盛りだくさん。結局5時半頃までかかって引き継ぎ終了となりました。これから4月初めにある町内の祭りまでの間は新・旧の役員が協力して子供会を運営してゆくことになる。特に2月と3月は登校班などの名簿作りで最も忙しい時期でもあり、この間はほぼ毎週会合があるという。学校側が早く新一年生の名簿を出してくれればそこまで追い込まれないのだが、最近は『個人情報だから・・』などと言ってなかなか教えないらしい。その辺りは僕が切り込み隊長として学校側と談判して名簿を出させるつもりだ。
いずれにせよ想像以上に年間を通しての仕事が多く、負担はかなりのものだろう。ただ、長年様々な役員によって培われて来たノウハウもきっちりノートなどに残されており、その点はさすがは女性の細やかさだな・・と感心するばかり。何も知らぬ新役員はこれらを参考にしながら相談して子供会を企画運営してゆく。
いよいよ始まった子供会役員。さて、どんな一年になるだろうか?

2014-01-10

壁の中の住人















先月くらいからだろうか、妻や娘達が寝静まり僕がひとりで静かにブログを書いていると『ガリガリ、ガリガリ、カサコソ、カサコソ』とキッチンまわりの壁の中から音がしてくる。そう、ネズミだ。以前は猫を飼っていたのでネズミが寄り付くなんてことは無かったが、その猫が病気で死んでから約2年どうやらネズミ達の格好の住まいとなってしまったようだ。こんなことを防ぐためにアオダイショウやシマヘビを捕まえたら母屋の通気口から床下に放ち、ネズミの駆除を任せていたのだがいかんせん今は冬、さすがのヘビ達も冬眠してしまいネズミの天下となったわけ。
とりあえずネズミが何かを齧る音がしたらその付近の壁をぶっ叩いて脅してはいるが、こっちを叩けばしばらくしてあちらで音がし始め、そちらを叩けばまた違う場所といったようにまさにイタチごっこ。ただ、音がするのは決まってキッチンまわりの壁だけなので、おそらくその付近から家と外とを行き来しているのだろう。何となく出入りしてそうな怪しい場所も確認しているのでこの週末に殺鼠剤を買って来て設置しておこうと思う。それくらいしかいまのところ打つ手が無い。このままネズミをを放置しておくとどんどん数が増え、そのうち電気配線を齧り出してショートさせ最悪の場合火事を誘発するかもしれない。そんなことになったら困るのでまずは殺鼠剤から始めることにしたのだ。いろいろやってみてそれでもダメだったらもうあとは猫を飼うしか無い。まずは様子見だ。

2014-01-09

東へ西へ














早朝5時に起きJackieの散歩に出る。散歩から帰るとニワトリを外に出し朝食を摂る。6時半に家を出て高速に乗り一路東へ突っ走る。目指すは御殿場だ。天気は晴れ、この分なら雪をかぶった富士を拝めると大いに期待して東進するも焼津を越えた辺りから霧が出始め、やがて空は重い雲に覆われてしまった。沼津に至ると僅かに富士の裾野だけが見え、そのうちに雨が降り始めた。『やっぱりオレは雨男だよ・・』と自分の宿命を受け入れつつ現場へと急ぐ。客先との打ち合わせは冷たい雨の降りしきる中で行われ、あまりの天気の違いに『やっぱ御殿場は違うな・・』と改めて思い知らされた次第。
打ち合わせ後友人と食事を共にし御殿場を発つ。なんせ5時に三女を保育園に迎えに行き、さらに5時半に長女をそろばん教室まで迎えに行かねばならない。御殿場から自宅までは順調にいって3時間半の道程だ。今度は一転西に向かって高速をぶっ飛ばす。途中、スピード取締中のパトカーを発見し、後ろについて撮影を試みるもヤツらは新東名ではなく東名方面に行ってしまった。残念!
無事に家にたどり着いたのは4時半。お迎えの時間にも間に合いました。走行距離は600km超。なんともはや強行軍な一日でした。

2014-01-08

始業















約半年ぶりに元の小学校に戻った長女に感想を聞くと、『楽しかった』らしい。ただ、わんぱく男子達が『お前だれ?』とからかってきたのには腹が立ったようで、そのことについては文句を言っていた。もともと長女がアメリカの学校に行く前からこのクラスのわんぱく男子達には担任の先生も手を焼いていて、聞くところによると夏以降はさらに悪化してあまりのうるささに授業が成り立たなくなり、常にヘルパーの先生が要るようになっていたらしい。その兆しが3学期の始業式からいきなり出た形で、先生が『しずかにしなさい!』と叱り付けると、その男子は『先生こそしずかにしなさい』と言ったという。こりゃあ完全になめられとるね。困ったもんだよ。自分が小学生のときにそんなこと言おうもんなら即座に往復ビンタを喰らったものだが、今はそんなことも無いから調子にのっとるのだ。かと言って決して体罰を容認しているのではないから悪しからず・・
確かにその担任は何度も会ったことがあるが頼りない人だ。あの人では子供たちを抑えることは出来ないだろうと思う。ならばなぜそんな人に担任を任せたのか?実はこの学校は校長からしてダメダメなのでそんな人員配置になったのかもしれない。学級崩壊も近いのでは?とさえ思うが、かわいそうなのは子供達だ。わんぱく男子なんぞどうでもいいが、まじめにやろうとしている子の学習の機会さえ奪いかねない事態には危機感を持っている。どの先生に当たるかは運でしかないが、今回は不運だったな。1・2年生のときが良かっただけにその落差には正直驚いている。何とか短い3学期を無事に乗り切ってくれたら・・と願うしかない。あまりにひどいと『アメリカの小学校の方がいい!』と言い出しかねないからね。もしそうなったら、そん時考えるとしよう。

2014-01-07

島国根性















妻に安倍ちゃんが靖国参拝したことをどう思うか聞いてみた。すると意外なことに『別に悪いこととは思わない』と言う答えが返って来た。なぜ意外かと言うと妻はアメリカ人の中でも超リベラルな部類に入るので、靖国参拝と言う近隣諸国を刺激するようなことに対しては『否』とするだろうと勝手に思っていた。じゃあ『なぜそう思うのか?』問うと、安倍ちゃんが言う通り先の戦争で国のために犠牲なった人々を弔うのは当然のことだと言う。でもそれについての注文も忘れない。『日本はあまりにも国際社会に対して説明不足だ。分かってもらいたいならそれなりの努力をしないと誰も理解しようとはしてくれないと思う』とのこと。まさに同感だ。ヒステリックな中・韓はさておきその他の国々に対する説明も口先で繰り返すばかりで、本気になって理解を得ようとはしていないと感じる。その辺りが島国根性の悪いところで国際世論を軽視しているんじゃないかとさえ思えてくる。どうも過去の失敗を分かっていない。このままじゃ理解を得るという形勢を作れぬままにズルズルと行ってしまいそうで、とどのつまりは『これだけは譲れないところだ!』なんて威勢だけはいいが、国際世論から総スカンを喰らうというそれこそ中・韓の最も望む最悪の展開になりはしないかと心配でならない。
今の日本には深慮遠謀硬軟織り交ぜた『本物の外交』が出来る人材が不可欠なのだ。

2014-01-06

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今日は仕事始め。混雑を予想していつもより早く家を出る。慌てている人も多いからと危険ポイントでは特に用心して走行していたが、案の定一時停止を無視して飛び出してくる車もいて初日から間一髪事故を免れた。この調子ならば今年は良い年になるかもしれない。まだしばらくはこんな慌ただしい状態が続くだろうから注意せねばならないな。
仕事は挨拶だけで引き上げさせてもらって、午後からは長女を伴い市役所へ。教育委員会で「入学許可書」をもらうためだ。これが無ければ形式上は7日から始まる小学校へ通うことが出来ない。そんなこと言ったって登校させてしまえば学校側は拒否しないだろうが、いろいろ人に迷惑をかけることになるので手続きだけはちゃんとしておこうと思う。
さて、役所の担当部署へ行くと対応してくれたのが本人も帰国子女だと言う女性で、思いがけなく非常に有用な情報を教えてもらえた。まったく知らないことだったのでこれは有り難かった。娘達の将来に必ず関わって来ることなので今後いろいろ参考にしたいと思う。その彼女に入学許可証を発行してもらい。礼を言って役所を後にした。

家に帰ると娘達が明日学校に持っていくものを宿題も含めてチェックし直し、おそらくこれで大丈夫と思う。夕食後は妻特製のブラウニーサンデーで41歳を祝ってくれた。
ありがとね。

2014-01-05

連休総括















怒濤の勢いで連休終了。結局のんびりなどできんかった。まあ後何年ものんびりできることなんぞ無いだろうよ。それでも連休前に自分で掲げておいた目標はほぼクリアできた。目標と言ったってそのどれもが大したことではないが、大したことではないからこそ日々置き去りにされて来たことなので、それを意を決して実行できたことは自分なりによくやったと思っている。今日も日が暮れるまで作業してかなり疲れはしたが、『とりあえずやるべきことはやった』という達成感もあり、心地良い疲れだな。まだまだ娘達の宿題のチェックやら持ち物チェックなどやるべきことはあるが、こちらはぼちぼち片付けていくとしよう。この先も長いからね。

2014-01-04

正月感















なんか年々正月感が薄れて来ている感じがする。スーパーなどは元旦から営業するのが当たり前になっていて、その元旦に妻子の帰国に備えておにぎりなどを買いに行ったが、驚くほど客も多く品揃えも『いつもとちょっと違うな』程度でまったく普段の買い物と比較して違和感はない。そして元旦の夕方に中部国際空港に行ったのだが、『おそらくガラガラだろう』という僕の予想は見事に外れて、レストランは軒並み順番待ちの列が出来ており満員状態。ここに居る限り『元旦って何?』てな感じで正月気分など微塵も無い。
そうだね、『正月だ!正月だ!』と盛り上がっているのはテレビのバラエティー番組くらいのもんじゃなかろうか?別に正月だから『こうしなくてはいけない』なんてことは思わないが、ノスタルジーだろうか?ちょっと寂しい感じもする。どうも近年は利便性や収益ばかりを優先させ過ぎている傾向があり、結局自分の首を絞めているだけのような気がしてならない。正月3日間だけは何が何でも休む!というようなことでもいいじゃないかと思う。そういうメリハリをつけた方が見えなかったことが見えて来るんじゃなかろうか。
クリスマスのロンドンでは地下鉄さえも運休するそうな。それくらい徹底してやることがあってもいいと思うんだけど。

2014-01-03

飽食満腹正月3日















実家は信じられない量の菓子やおつまみ類で溢れかえり、食べても食べても減るどころか増えるような有様。それだけ買い溜めをした母も母だが、それは皆の期待に応えようとしてのこと、その気持はありがたい。今晩は長女の希望で皆で実家近くの回転寿しへ行った。シアトルにも回転寿しはあり、何度か行ったらしいがやはり日本の回転寿しの方が美味しいそうだ。そんな長女は一番レールに近い場所に陣取り、次から次へと好きなものを注文しては食べていた。
それにしても相変わらず回転寿しは大人気だね。こんな時期だから混雑を予想して4時半頃に行ったんだけど、それでも15分くらいの順番待ち。僕らが待っている間にもどんどん客は増えて駐車場はあっという間に満杯だ。僕の感覚としては行く度にネタやシャリの大きさが小さくなっているように感じるが、それでもその手軽さや値段に対する満足度では常に高いように思う。シアトルの寿司屋は回転寿しとは言え高いそうだからその点の違いも大きい。それにこの回転寿しのシステムはなんといっても子供達が大好きだ。店によっては注文したものが車や新幹線のトレーに載って運ばれて来るものもあり、そういった演出を特に子供は好む。こういうシステムを考えつく人はすごいよな・・と思うね。
なんだか最近は『節目節目に回転寿し』というようになって来ているが、これも子供達に『何食べたい?』と聞けば『回転寿し!』となるからだ。まあそれはそれで良し。それくらい回転寿しに対する依存度が高いと言うことだ。

皆で餅喰う正月2日















独身生活の静寂は破られ、とんでもない騒ぎの日常が戻って来た。家の中は一瞬にして散らかり、常に幾つかのおもちゃが床に転がっている。長女にとっては約半年ぶりの我が家で、さっそく一輪車に乗ったり自転車に乗って皆で遠出したりと、シアトルではなかなか出来なかったことを思いっきり楽しんでいる様子。娘達はまだ帰国したばかりで時差ボケも残っているのに遊ぶことに夢中になって疲れを忘れている感じ。でもさすがに夜になると電池切れのように急に動きが鈍くなりぼんやりしていたよ。無理もない話だ。
さて、自分はと言うと朝から妻や娘達の年賀状作りを引き続き行い、結局箱根駅伝を見る機会さえなかったよ。なんだか年末からこのかたずっとバタバタしていてゆっくりしている時間がほとんど無い。あすも実家には行くけれど少しはのんびりできるかな・・まず無理やろな・・

2014-01-01

年明けて妻子帰国















新しき年を迎えたがのんびりしている暇なぞ無い。今晩妻子が帰国するからだ。なので今日も朝からいきなり片付け作業だの、相当疲れて帰ってくるだろうからすぐに寝れるように布団を敷いて準備をしたりだのと、てきぱきと仕事をこなしてゆく。昼頃には実家へ出向き新年の挨拶をしておせちを食べ、15時には取って返してJackieの散歩をしてニワトリ達を小屋に入れ空港へ向かう支度をする。
元旦のセントレアは思いのほか混んでいて、晩ご飯を済ませてこうとレストランをまわるがどこも店の外に続くほどの長蛇の列で当分は席に着けそうにない。そこで一番空いている店でさっさと済ませスカイデッキへ出て飛行機の着陸を見守る。しばらくして妻子が到着ゲートに姿を現した。長女とも5ヶ月ぶりの再会だ。皆激しく消耗していてちょっと不機嫌そう。すぐに電車に乗り込んで自宅を目指す。我が家に戻って風呂に入ったらみんなずいぶん元気が出て来たよ。やっぱ風呂だな。風呂から出ると妻も娘らもさっさと寝ちまった。それがいい。まずはゆっくりと疲れた身体を休めてあげな。