2008-08-31

1人じゃえらいわ



久しぶりに空は晴れ渡り、日差しはきついものの外で仕事をする喜びを噛み締めながら萎れてしまったトマトを撤去し、次の作付けに向け土を耕し施肥を行なう。さて、ここには何を植えようか?と思案している目線の先で妻が縦横無尽に広がったお化けカボチャの病葉を、鎌を片手にせっせと刈り取り集めている。子供たちは芝生の上にプールを出して『きゃあ、きゃあ』言いながらそこら中に水をまき散らし、いかにも涼し気だ。ひとしきり畑を耕し終えると子供たちも飽きたらしく家の中に入りたいと言う。体中についた砂を洗い流し、タオルで拭いてから着替えさせまた庭に出てみると、暑さに弱いはずの妻がまだ頑張っている。そのまましばらく作業してると妻が真っ赤な顔して『頭がフラフラする、もう止める』と朦朧体だ。こりゃー熱中症になっちまうぞ!と急いで家に入れ身体を冷やす。
案の定無理が祟ってその後も体調優れず、16時にはダウンしてしまった。となるとすべては僕の仕事となり、晩ご飯を作り子供たちに食べさせ、花火を盛大にやり(約束していたのだ)風呂に入れ、着替えさせて本を読み床に就かせた後皿を洗い、それからJackieの散歩に出てやっと一息つけるなと時計を見ると、あっと言う間に午後10時。やっぱこれだけを1人でやるのは大変だ。でも主婦(夫)の多くの人は1人でやってんだもんな・・そりゃ物事テキパキと片付けれるようになるわけだ。これもある程度リズムに慣れてしまえば要領よくできるようになるんだろうが、大変さは変わらないだろうね。ほんと皆様ご苦労様です。

2008-08-30

飛び火


上の子の腹に3日ほど前からいくつかの腫れが出て、ただの湿疹だろうと思っていたら広がりを見せ始めた。これは何か様子が変だと思い近所の小児科へ連れてゆくと、『はは〜これは飛び火ですね』ということになった。確かに始めヤブ蚊に刺されて痒がり、掻きむしっていたのを憶えている。そこからブドウ球菌などが入り込んで飛び火へと悪化したらしい。しかし飛び火の感染力の何と強きことよ。あと数日病院行きが遅れたら腹どころか身体中が飛び火で犯されてしまっていただろう。飛び火以外にも始めにヤブ蚊に刺されたところが水イボに変容し、医者によると自然治癒するが1年から数年を要するということだ。
娘には痒くても手でふれないようにと注意をし、手洗いの石けんも殺菌作用が強いものを選び、処方された薬を飲んで迎撃態勢はほぼ完了。
後は上の子の治癒能力に任せるのみだな。

2008-08-29

キュウリ的攻勢


昨夜の雨はどえらかった。近隣の市では1時間に110mmもの猛烈な雨を記録し、夜空を切り裂く雷光は一向に治まる気配を見せず深夜にまで及んだ。
朝、いつものように庭に出ると我が家の洗面器雨量計は満水状態。敷地と堤防との間にある平地は水浸しになっていた。今日は仕事をサボることにして葉ダニとウリハムシに食荒らされたキュウリの手入れを始めると、手頃な大きさになったキュウリがあるわあるわ!ほぼ毎日5本ピッチで収穫して来たがこの雨の影響か?大気の乱れから来る電磁波を大量に受けたためか?とにかく穫っても穫っても葉の陰などから次から次へと出て来て合計20本!以上に。しかもまだ小振りだからと穫るのを控えておいたものまで、しばらくほかで作業して戻って来てみるとひとまわり大きくなっとるやんか!いったいどんな早さで成長しとるんやろ?一度スケール当てるなどして計ってみるといいかも知れんが、それを知ったところでうんざりしそうなんでやらんとこ。
そんなキュウリもだいぶ勢いが衰え、萎れ始めたものもある。思えば6月頃から収穫を始め、いまだにこれほどの収量があるのだから大したものだね。しかも、秋キュウリなるもの(またまた8本も育ててしまった・・)も芽吹き、成長し始めているので今しばらくはキュウリが食卓から絶えることはないだろう。

2008-08-28

友より


九州島から四国島へ居を移せしスカイトレッカー氏より小包が届く。宛名は我がコード名の『馬ノ介』様とあったが、宅配の兄ちゃんから小包を受け取った妻曰く、『この名前で間違いありませんか?』と問われた時はどう答えていいか分からなかったそうな。結局『その通りである』と受け取ったが、宅配の兄ちゃんが洒落っ気があってそう聞いたのか?はたまたくそ真面目にそう問うたのか?今となっては知る由もない。
さて、包みを開けてみると、なんと長浜ラーメンやん!僕が麺喰いと見越してのお心遣い、その気持ちに感謝し御礼申し上げます。
スカイトレッカー氏よ、新天地での工作活動は山あり、谷ありで、ご心労多きことと思いますが、それも修行と心得て精進して下さいましよ。

2008-08-27

鎮魂


なぜ彼が殺されねばならなかったのか全く理解できない。アフガンのために・・と尽くして来た彼が、そのアフガン人の手によって志し半ばで命を絶たれてしまった。その無念や如何ばかりだろう。5年にも及ぶアフガン滞在の中で伊藤和也さんは現地の言葉を習得し、地元の子供たちからも好かれていたという。やっと信頼関係を築き上げられ、これからという矢先の悲報に暗澹たる気持ちにさせられる。僕のように口先だけでアフガンの現状を憂いている者とは違い、彼は彼の理想を体現するべく身を削って作業されて来たのだ。そんな彼を讃える言葉はいくらでもあるだろう。しかし彼はそんなものを求めてはいないだろう。彼が求めていたものは緑豊かなアフガンであり、ケシに依存しない農業を展開するアフガンであり、子供たちが食べ物に困ることの無いアフガンだった。伊藤さんはアフガンに骨を埋める覚悟までしていたという。そんな熱き人の遺志はいま頃どこを彷徨っているのだろう。
アフガンは大きな、とてつもなく大きな人間を失った。
伊藤さんが積極的に取り組んでいたサツマイモが普及し、アフガンの乾燥した大地を覆う日が訪れることを切に願う。

黙祷

2008-08-26

続ヤスデ


このところのはっきりしない雨模様のお天気と同調するように、再びヤスデの姿が我が家の周囲や庇に目立つようになって来た。数は梅雨のピーク時と比べてはるかに少ないとはいえ50匹以上は軽く居る。しかもヤスデどもをよく見ると8割りがた絡み合って交尾しているか、おんぶした状態で這い回っている。人の恋路を邪魔立てするつもりは毛頭ないものの、ふと考えた。このままこやつらを放って置いたら4次元級の大発生をした今年よりもさらに何万倍もの数になって押し寄せるに違いないと・・・。そこで手当たり次第目につくものは捕まえて手の平に監禁し、排水溝へ捨てに行くというピストン輸送を発作的に始め、取りあえずその瞬間だけはヤスデを駆除しJackieの散歩に出たがどうも変な臭いが付きまとう。始めは風に乗って流れて来るのだと思っていたがそんな感じでもない。ひょっとしたら・・と思い手の臭いを嗅ぐと『やっぱりか!』ヤスデが強力な臭いの置き土産をしていったようで、どんな臭いかうまく表現できないがアンモニア臭のようなものだった。家に帰るとすぐに石けんで洗ってみたが臭いは消えず、洗剤で洗ってもダメ、酢で洗ってもダメ、そうならばとバジルやタイム、セージの葉を手で揉んでみると、臭いは消えないがだいぶ誤摩化すことができた。
まさかこんな攻撃を受けようとは思っても見なかったので意表を付かれたが、いろんな意味では大変勉強になりました。とにかく来年の芽を早く摘んでしまわないとヤスデの釣り天井が復活し、頭上に落ちて来ること間違い無し。

2008-08-25

TV


8月の幼稚園は決められた登園日が7日間(だったと思う・・)で、あとは一週間ほどの自由登園日というのがある。15日にアメリカから帰国して週明けの18日から自由登園していた上の子は久しぶりに友達と会えて喜んでいたが、妻曰く幼稚園で『テレビを見たよ』と教えてくれたそうな。しかも見たのは『アンパンマン』だったという。そりゃ上の子にとったら幼稚園でTVが見られるならうれしいだろう。というのも我が家では子供たちに極力TVを見せないようにしているからだ。TVを見れるのは妻がご飯を作っている5時からの約30分間だけで、しかも数十本ある英語のVHSかDVDから好きなものを選んで見ることになっている。妻にとっては『アンパンマン』も暴力的なシーンがあり、子供が怖がるようなところもあるので見せたくはないという。それは『トム&ジェリー』でも同じで実際妻の母は妻が子供の頃は見ることを許さなかったそうだ。そうやって生い立ちまでも母系によって受け継がれてゆくものなんだな・・と感心している場合じゃない!問題はなんで幼稚園でTVを見せるのか?ということだ。教育的なプログラムならまだしも『アンパンマン』や『トム&ジェリー』だったらどこでも見れるじゃないか。せっかく家庭でTVをあまり見せないようにしていても幼稚園で見せていたら何の意味も無い。幼児教育の重要性を謳っている幼稚園がなんでそんなことをするのか理解に苦しむ。自由登園日だったからそういう安易な方法をとったのかも知れないが、明日からは通常の登園日になるので娘に確認して、もしまだTVを見せているようなら即刻抗議するつもりだ。確かに先生らにしてみれば子供たちがTVに熱中して気を取られていれば他のことができて楽だろう。でも幼稚園は学校であり、家庭ではない。安易にTVを見せるようなやり方は教育放棄と言ってもいいだろう。
妻によると同じ疑問をもつお母さんたちも何人かいるようなので、少し様子を見てまだTVを見せ続けるようなら教育主任になぜ幼稚園でTVアニメを見せるのか問いただすつもりだ。

2008-08-24

Lose


夜、いくつかの閃光を感じ、雷か?と空を見上げると、夜空に大輪の華が咲いていた。そうか、今年もこの日がやって来たか・・ちょうど昨年もここでこうして盆過ぎの花火を見ていたよな・・と、ちょっとセンチな気分に浸りながら車で寝てしまった上の子を『ほら、花火だよ』と起しにかかるも、昼間の川遊びの疲れでぐっすり寝てしまってとても起きそうにない。仕方なく下の子と一緒に布団に寝かして、妻と2人ぼんやりと花火を眺めながら『あれは良かった』だの『猫顔の花火もあるのか!』などとぶつくさ言いながら、ひんやりとした風の中おそらく今年最後であろう花火を堪能する。

大陸ではオリンピックが終了し、何億もの人間が虚脱感に襲われている頃だろう。しかしそれも次の上海万博に目標を定めればたちまち力は集約されて、またぞろ国威発揚の大合唱になるのは間違いない。北京でアスリート達の首に金・銀・銅のメダルが掛けられている頃、チベットや東トルキスタンでは何の理由も示されぬまま多くの若者が首に縄を掛けられ、闇に葬り去られてゆく。彼らには4年後どころか明日もなく、彼らが存在したこと自体が消されてしまうのだ。北京五輪が終わり、世界の目が上海万博へと移るそのはざかい期に大きな受難がチベット人・ウイグル人を襲うことだろう。中国政府は徹底的に彼らを弾圧し、北京五輪の開会式で見せたあの漢民族による空ろな世界を繰り広げ、民族融和などと平気で広言するに決まっている・・

Free Tibet!

ひとり一人の力は小さいが、決して希望は失わない。求めるものは、精神の自由だ。

2008-08-23

「伝える」こと


10代から20代にかけて、自分がこの世を去るときは何も残さずに、自分がこの世に存在しなかったかのように去りたいと願っていた。その頃は「生きる」ことに悩み、自分の存在意義が見つけられず、「死」のことばかりを考えていた。ただ、「死」について考えると言っても自殺しようなんて考えたわけではなく、「生」と表裏一体のものとしての「死」を見つめることで「生きる」ことへの手がかりを何とか探し出そうとしていたのだ、と今は思っている。
そんな揺れ動く日々からもいつの間にか解放され、最近では新たな考え方をするようになってきた。それは「伝える」ということ。なぜ自分が今ここに居るのか?を考えたとき、僕は何かを伝えなければならないんじゃないか?と思えてきた。じゃあ、それは何だと聞かれても今は分からない。精神的なものかもしれないし、物理的なものかもしれない。
僕は今でも何かを残したいとは考えていない。単に何かを「残す」だけじゃダメなんだ、それを「伝える」ことをしなければ意味が無いんだと、思っている。
何のために生きるか?と言えば、それは伝えるため。「生」というこの大きな流れの中で僕が受け継ぎ育んだものを伝えてゆく。
それが僕の役割なんだ。

2008-08-22

カマイタチ


昨日は仕事を早く上がり、家に着いた頃はまだ日が沈む前だったので、またまた雑草が伸び始めた堤防の草刈りをすることに。先日の雷雨で雑草たちは大いに水分を吸収し、まあ呆れるほどの伸び盛り。それをなるべく低いところから丁寧に薙ぎ払ってゆく。順調に堤防の斜面を片付け平坦部へ掛かり始めたとき、「ヂュン!」と草刈機の刃が何かを撥ねた音がしたと思ったら、左手の中指に衝撃が走り痛みがじわじわと込み上げてきた。なんだ?と別にあわてもせず驚くほどにぶい動作で手袋をはずし左手中指を見てみると、第一関節のところが切れ血が流れていた。ここでようやく怪我をしたのだと理解し痛みも増してきたが一体どうしたのだろう?刃先が何かを撥ねたことは感じたが飛んできたモノがあまりに早すぎて目では見えなかった。足元を見るとコの字型をした金属製の部品らしきものが落ちていたので、おそらくこれが飛んで来て当たったのだろう、と思う。それにしても草刈機には撥ね飛び防止のガードが付いているのに、よもやそれを潜りぬけて飛んで来るなんて・・。ひょっとしたらカマイタチの仕業かも?
草刈機を使うときは念のためゴム引きされた厚手の手袋をしているので今回は打撲と切り傷程度で済んだが、手袋をせずにやっていたら指が飛んでしまったかも知れんな。
まあ、片っ端から薙ぎ払われている草や虫たちのことを思えばこれしきの報いは当然か。

2008-08-21

必然と偶然


何かの事故に遭い命を落とすことが偶然なのか?それとも生きていること自体が偶然なのか?いや、偶然など無くすべては必然であるとするなら、それをどう受け止めればよいか・・?
今朝の通勤途中のこと、いつものように堤防を走っていると左手前方に堤防下の側道からこちらに向かって堤防道路に上がろうとする車が確認できた。僕の車が接近中なのでそのタイミングでは堤防道路に出てこないだろう、でも怪しいな・・と思っていると、こちらを見もせずに飛び出してきた!とっさに右に回避し衝突は避けられたが、このとき右車線に対向車がいたら僕は逃げ場が無く確実に飛び出してきた車と正面衝突をしていただろう。普段は80km/hほどで走行しているところをちょっと警戒して減速していたとはいえ70km/hほどは出ていたはずで、ぶつかっていたら命を落としていたか、助かっても相当の重症を負っていたことだろう・・。
すべては一瞬で決まる。
その一瞬に左右される生命のなんと脆弱なことか。
偶然など無く、あらゆる事象は必然であるとするなら、何をもって僕は生かされたのか?どうして事故を避けることができたのか?
己の知らぬところですべては決まり、怒涛のごとく流れてゆく。我々は為す術も無くただ翻弄されるだけの存在なのだろうか?必然という受け入れがたい現実をあるがままに受け入れられるほど、僕はまだ強くはない・・

2008-08-20

ダメなのは大人だ


Jackieの散歩をするときは知人・他人の区別なく会った人すべてに挨拶することにしている。そんなことは当然のことで敢えて書くようなことではないが、それが今や当然ではなくなってきているのだ。今朝も向こうから見知らぬオヤジが歩いて来たので『おはようございます』と挨拶したが、当の相手は素知らぬ顔して去っていった。もちろん声を掛けた僕としては気分が悪いがそんな輩は相手にしないことにしてすぐに忘れるよう努めている。でもさ、挨拶されてそれを無視する方が精神的な負担が大きいと思うんだけど・・違うかい?ま、人それぞれと言ってしまえばそれまでのことだな。
今朝のオヤジのような大人は案外多く、こっちから挨拶するとびっくりするような人もいる。毎日の散歩なので同じ人に会うことも多く、一度挨拶を交わしてしまえばそれからは気持ちよく挨拶を交わせて何かお互いに感ずるところができて来る。それが人の繋がりだと思うので大切にしたいものだ。挨拶を返してくれなかった輩にも嫌がらせのようににこやかに挨拶をして困らしてやるかな。しかし、早朝ということもあって会う大人のほとんどは60近い年配の人ばかりなのに、それでも挨拶しないんだもんな。『今どきの若者(子供)は・・』なんてことはよく聞くが、そんなことを言うあんたらがなっとらんからそういう若者が増えるんやぞ!
いつの時代も愚かなことを始めるのは大人達であり、その鏡である子供たちは常に被害者である。

2008-08-19

突発的豪雨


今日の雷雨も凄かった。
ちょうど車での移動中に直撃されたのだが、まず稲妻がビシバシ走っている真っ黒い雲の塊に向かって車を進めるところから気分は高揚し、さらに空は暗くなり風が急激に強さを増して来たかと思ったら、叩き付けるような土砂降りの雨と凄まじい落雷の嵐に見舞われた。これだけの降りになると車のワイパーを鬱陶しいほどの最速モードにしても視界の確保は難しく、前の車のテ−ルランプだけを目標にして勘で走るようなもの。激しき洗礼でございました。

2008-08-18

なんの芽かや?


アボカドを育てることと同様に自分で食べたフルーツなどの種を後生大事に取っておき、種蒔土に植えつけて発芽を待つというのも僕の密かな楽しみの一つだ。これは子供の頃からずっとやりたいと思っていたことで、やっと今頃になって実験を始めているのだからずいぶん時間がかかったもんだな。
アボカド以外に現況で発芽したものはグレープフルーツ(アメリカ産ルビー)とレモン(たぶんアメリカ産)で、これは普通にスーパーで売っているものの種をまったく期待せずに植えといたらいつの間にか芽が出ていたもので、グレープフルーツが2本、レモンが3本育っている。芽が出ると期待も大きく膨らみ肥料をあげたり水遣りは欠かさないなどの過保護ぶりで、冬はさてどうするか?とそんなことまで考えている。その他にもアメリカンチェリーだの何だのと様々な種を植え付けて来たが、あまりにも数が多くなりすぎて最近ではいったい何を植えたのか?何の芽なのか?分からなくなってきた。今朝も育苗ポットに生えた雑草を抜いていたら雑草の根に抱かれて発芽した種が出てきたが、それがいったい何の種なのかさっぱり分からないし、思い出せない。まあ、大きく育てば分かるだろう、と言うことにしてとりあえず戻しておき今後の成長を楽しみに待つことにした。
その他にも現場で拾ってきたどんぐりから発芽させた鉢が20近くもあるので、これらすべてが順調に育つと我が庭の植物国籍も多種多様となり、まさに混沌。さらに育てるべし!

2008-08-17

夏爽快


南海上を足早に通り過ぎていった台風の影響か今日一日爽やかな風が吹き渡り、相変わらず気温は35℃近くまで上昇したものの湿気は70%未満で推移し、過ごし良い非常に清々しい夏空を堪能することができた。
帰国後にゆっくりと庭を一巡した妻も想像より暑さによる被害が少なかったことに安心したようで、時差ぼけで早朝に目が覚めたのを幸いとさっそくお化けカボチャの受粉活動に精を出し、僕が目覚める頃には既に水やりまで済ませてしまっていた。やはり人出がもう一人増えるとできる仕事量も格段に増え、僕に課せられていたノルマも減免されて気がだいぶ楽になりました。
日中は子供たちとプール遊びをし、ひとしきり暴れ回ったあとガリガリ君を食べ昼寝をする至福の時間。ただし、やっぱり上の子は昼寝をせず、グースカ寝てる僕の隣で本を読んでひとり遊んでいたそうな・・タフだね〜。

2008-08-16

再起動


時差ぼけの影響で朝5時に目覚めた上の子と、それにつられて起きてしまった姪っ子と共にうれしくて跳ね回るJackie連れて早朝の散歩に出る。今朝も雲が多く日差しは柔らかいがその分湿度が高く、汗がどんどん噴き出してきて肌はべと付き不快極まり無い。さすがに寒冷な気候の中に居た身にはこの暑さ、と言うより急激な気温の変化は辛いらしく、昨夜も僕と姪っ子はエアコンがよく効いたその部屋を寒いと感じていたのに、上の子は夜中に『暑い!』と言って目を覚まし結局朝までぶっ通しでかけ続けることに。
つかの間の静けさも子供らが家に帰ると一瞬にして消し飛び、そこら中が遊びっぱなしのおもちゃで足の踏み場もない。しかしなんのことはない、これが日常だったのだ。庭にはビニール製のプールが出され、子供たちのはしゃぐ声が響く。その声を聞きながら、僕はまた父親へと戻ってゆく。

帰国


終戦の日、だからというわけではないが頭を丸めた。散髪は普段から自分ですることにしているが、僕の場合『散髪』と言うよりもただ単にバリカンでじゃんじゃん刈り込んでゆくだけの単純なもの、30分ほどで刈り上げそれでおしまい。今回は3分刈りにしたこともあって大分短いがこの暑さの中ではむしろこの方が快適で、シャワーしたあとも頭を拭く必要が無いくらい水切れがいい。

妻と子らは定刻前に無事到着し、元気いっぱいの姿を見せてくれた。妻はノースウェスト航空の規定一杯いっぱいの荷物を持ち帰り、荷押し車は超満載。それプラス子供2人だからよくやるもんだと感心する。子供たちも暇を持て余していた実家の母や姉、姪っ子が揃って出迎えてくれたので眠気も吹き飛び昂奮状態に。約一時間の名鉄車内でも盛んに動き回り、子供のタフさにこちらが参ってしまうほど。時差ぼけも残るだろうから早く日本のリズムに戻れるよう明日からさっそく調整だ。

2008-08-14

ウリハムシとの激闘


ウリハムシの真の恐ろしさを知る者は少ない。越冬した成虫は4~6月にかけキュウリ・カボチャ・ズッキーニなどの葉を食い荒らしその根本に産卵。孵化した幼虫は根を食害しながら成長し7~8月にかけ地上にその姿を現す。その第二世代が尋常な数ではなく(ヤスデもそうだったな・・)特にズッキーニを好むようでびっしりとはり付き食い荒らしまくっている。もちろん農薬を散布すれば殲滅することができるがそれも単なる一時しのぎ、農薬の効果が弱まればすぐに復活してくるのは目に見えている。なので農薬は使わず「電撃ラケット」ではたいて地道に駆除を続けているが、朝晩やっても駆除する数より増殖する数のほうが圧倒的に多く、ウリハムシが減ることは無い。そんなふうに毎日「電撃ラケット」を持ってウリハムシを攻撃していると、敵も去るもの学習して僕が近づくと一斉に飛び立って逃げるようになってしまった。成虫をこのまま見逃せばまた越冬して来春に逆襲してくることは明白なのでなんとしても阻止せねばならず、ひとり「電撃ラケット」を激しく振り回しながら「ううぉりゃ~~!」「これでもかぁ~!」と騒いでいたら、すぐそこの堤防の上から3歳くらいの女の子の手を引いたおばあさんがびっくりした顔してこっちを見とったわな。もちろんすかさずテニスの素振りを装ったのは言うまでもない。

2008-08-13

ヌシ


我が家の離れに主(ヌシ)が居ることは以前に書いた。ヌシは床下の通気孔に嵌められた金網の目よりも大きくなり、もはや其処から外に出ることは出来なくなっている・・
先日、Jackieの散歩から帰って来ると母屋と隣の畑の間の通路に1m以上のアオダイショウが居た。別にヘビは怖くないので足でつつきながら、噛み付かれながら「こんなところに居らんと畑へでも行きや」と追い立ててやったのだ。それから数日後、朝の散歩から帰ってくるとヘビの居た通路に面した通気孔から、何かがひょろんと顔を出している。そう、先日のあのヘビだ。覗いて見るとすーっと奥に隠れてしまった。そのとき分かった、このヘビは母屋のヌシだったのだ。まだ網目を通れるくらいの若いヘビだが、僕が邪険に追い立てても戻って来ていた。それから2日間ほどは朝通る度にまるで物思いにふけるように、朝日に向かって首をもたげていた。こちらもヌシと分かった以上「よっ、おはよ」と声をかけていたが、ここ数日は姿を見せていない。でもヌシは今も母屋を守ってくれている。僕は愚かにもヌシを追い出してしまうところだった。戻って来てくれて今はホッとしているよ。

2008-08-12

ETC付けたった


遅ればせながら我がロードスターにもETCが装備された。普段高速に乗ることは偉人宅を訪問する時くらいでめったに無いが、最近の仕事の動向次第では現場へ通うために利用が必須となりそうで、加えて通勤時間帯の半額割りを受けんとするにはETC車載器搭載が条件なので、ここらが潮時と楽天にて購入し先ほど搭載完了、試しにETCカードを挿してみると正常に作動しているようだ。
車載器本体はセットアップ・送料込みで5980円、同時にクレジットカードを申し込めばファンシーなETC車載器を無料で手に入れられるというショップも多かったが、これ以上クレジットカードは必要ないので車載器本体だけで購入。その本体も簡素なブザー警告音タイプを選択、同価格帯で音声案内もあったが、いちいち声で命令されるのは妻からだけで十分なので基本的に機械はしゃべらんくてよろしい。
さて、車載器の搭載だがこれはネットで調べたり、同僚のサイバーU氏のご助言ご指導を受けて自分で取り付けた。暑いさなかに車にもぐりこんで細々としたことをするのは狂気の沙汰で、たちまち大汗かいて熱中症になりかけたがなんとか作業終了。動作も問題ないようなのであとは実際にゲートを潜って確かめるのみ。すでに先達がメーターフードの内側にアンテナをしのばせるステルス仕様での通過確認を取っているとはいえ、いくら同仕様でも何かのミスをしでかしているやも知れず、ゲートが開くその時までは不安でいっぱいだな。
とりあえず後続車の少なそうな時間帯を狙ってゲートに突撃を敢行するつもりだ。
開くも八卦、開かぬも八卦、どう出るかね?

後日談
さて行くぞ!と、ゲート目指して時速30km程度で進入を試み徐々に心のテンションをあげていこうとすると、なんと通せんぼバーが車3台分はあろうかという手前であっさりと開き、ドキドキすることもなく通過できてしまいました・・なんか物足りない初体験だったな・・。

2008-08-11

だらだらりんと夏の日


JackieとBagusの鳴き声にいつもよりはやや遅く起き、朝7時なのに30℃をすでに超えている気温の中散歩に出る。散歩後は恒例のトマト・キュウリの収穫や庭の手入れをし、朝食の準備に取り掛かるがちょっと動いていただけでもう汗だく。ささっと汗を流し、偉人のお目覚めを迎えて、焼きたてパンをトーストし大玉メロンの上品な甘さに酔いしれる。
本日はどこかへ撮影旅行に行こまいと、地図など出してルートを思案するも、外の気温はぐんぐん上昇し日差しはジリジリと照りつけ、いやが上でも外出する気力を萎えさせる。結局、殺人的暑さの車内に入ることは断念し、北島金メダル獲得の報を見ながら、ガリガリ君を齧って英気を養うことに。そのままだらだらと、いま思い出しても何をしていたのか思い出せないほどだらだらしながら暑さを凌ぎ、ようやく車の沸騰が収まったころ超級P市場に潜入し、ガリガリ君リッチの所在の確認と今晩の食材を確保し退散せんとするも、レジ無事通過後のスガキヤの罠にまんまと引っかかり、気が付けば偉人と2人してラーメンを啜っておったわさ。
西日に照らされ赤く焼ける空に今日も夕立の気配無く、遠く北の空に見えた積乱雲も輪郭を崩し、風に流され消えてしまった・・
今晩も自家製野菜をもりもりと盛り付けたPANALI特製大冷麺の美味しさに感動しながら語り合い、締めは再びガリガリ君にて暑気払い。楽し美味しだらだらりん日でございました。感謝!

2008-08-10

偉人来訪


さらに暑さ増し、大地焼ける中、約一年ぶりに偉人来訪し、自家製野菜をたっぷりと載せた盛岡冷麺・じゃじゃ麺を食べながら、近況や友人のことなど話題は尽きることなく語り合う。超大盛りの麺を食べ尽くした後はデラウェアに始まり、ハーゲンダッツ・ガリガリ君と制覇し、本日はこれにて腹じまい。たいへん美味しゅうございました。
日が落ちてから風が出るも夜半には止み、暑さぶり返す。地平線はるかに見えし積乱雲もこちらに寄ることなく消滅してしまったようだ。これじゃ、明日はさらに暑くなることだろう・・

2008-08-09

彼の見たNAGASAKI


ジョー・オダネルが爆心地長崎で撮影した写真は彼が軍律を破り、何かに衝き動かされて撮影したものだ。
これらの写真は僕を激しく揺さぶり、衝撃を与えた。
オダネル自身も長崎のあまりの惨状に精神を病み、すべてを忘れようと写真を封印し決して誰にも触れさせなかったという。その彼を再び衝き動かし封印を解かせ、裏切り者と罵られながらも原爆の被害を告発し、核廃絶を訴え続けさせたものは何だったのだろうか?
彼は写真を撮ることによって凄まじき惨状を見てしまった。他の多くのカメラマンが軍律に従い私情を抹殺し、機械的に記録することに徹していたが、彼にはそれができなかった。彼は目前に広がる現実をオダネルとして見続け、記録した。
「見たこと」に対する責任とは何だろうか?「見てしまったこと」に苦しみ続ける彼を解放したのはそれを「伝える」ことだった。そうして数々の写真を我々も目にすることができるようになったのだ。
彼の写真は多くのことを語りかけ、見た者それぞれに様々な思いを抱かせる。しかしそれ以上に我々の心を大きく揺さぶるのはこれらの写真を撮ったオダネルの眼差しであり、その生き様だ。
彼はその祖国を告発したがゆえ、非難され無視され続けた。でももはやそんなことは彼にとってはどうでもよいことだったのかもしれない。
彼は国も、人種も関係なく、ただ一人の人間として生き、訴えたのだ。
「原爆投下は過ちだった。それは絶対に、絶対に許されない行為だ」と。

彼は長崎原爆投下と同じ8月9日、85歳でその生涯を終えた。

亡くなった被爆者の方々、そしてジョー・オダネルに、黙祷

2008-08-08

嵐の北京五輪


いま漫然と北京五輪の入場行進を見ている。その中の誰かがもしやチベット国旗を掲げるのでは?と探しているが、今のところは無いようだ。正直この開会式は見ないつもりでいた。とてもそんなお祭り気分になることはできず、あらゆる問題を無視したかたちで行なわれるこの大会の意義を疑いもしている。開会式のイベントを見ていても確かに壮大なスケールではあるが、すべてはキレイごとばかりを全面に打ち出し現実との格差を思うと呆れ果て、やはりこの国はウソと建前だけで成り立っている国なんだな・・と改めて思い知らされた。
中国が本当に彼らの言う『和』の国であるならば、この開会式は素晴らしいものに感じることだろう。しかし、全く平然とキレイごとを並べるその厚顔さは悪意に満ち、すべてのイベントは虚ろで空しいものにしか感じられない。
本来オリンピックは政治的なものから切り離された存在だと言う意見もあるが、僕に言わせればそれは理想であってもそれこそがキレイごとの最たるものなのだ。今までのオリンピックで純粋にスポーツの祭典として行なわれたことがあったか?僕の知る限りでは無い。政治は色濃く五輪に影響し、言わば五輪をコントロールして来た。ならば今回の北京五輪に関してスポーツと政治は別だ、などと言う主張は単なる言い逃れに過ぎない。北京五輪がいかに盛大に行われようとも中国国家には五輪を行なう資格など無かった。彼らが言う『同胞』を大弾圧し、闇に葬り去りながら『和』だと!激しい怒りが込み上げて来た・・
僕は『見ること』を拒否しない、自分のこの目で見て、もの申す!


夕刻Jackieの散歩をする頃は異常に蒸し暑く、鳥達が騒いでいた。それを見て地震が来るかも知れんな・・と思っていると、地震じゃなく凄まじい嵐が来た。台風並みの風が吹き荒れ、殴りつけるような雨とともにあまり経験したことも無いような雷に襲われた。そんな中クラッシュ音がしたかと思うとしばらくしてサイレンが鳴り響き、『早くしろー!』と声まで聞こえて来た。激しい雨の中外を見るとすぐ目の前の橋の上で事故があったようで、緊急車輛がどんどん集まって来る。稲光の合間に救助活動が続けられ、救急車が走り去るのが見えた。現場が落ち着いてから野次馬に行ってみると、軽自動車が中央分離帯に激突し運転手側が大破していた。エアバッグ未装着車だったので相当の重症を負ったのではないか?安否が気遣われる。
嵐の中、大気は乱れ狂い、人心を惑わす。
大自然の気まぐれに、我々は為す術無し。

2008-08-07

眼精疲労?


ここ数日、目がしばしばすることが多くなってきた。特段目を酷使するようなことはしていないつもりだが、睡眠不足が重なって目の疲れが取れていないのかもしれない。とは言っても毎朝5時半に起きているものの以前は6時起きだったのでそうやたらと睡眠時間が減ったわけではなく、睡眠不足よりもむしろこの酷暑の中エアコンをがんがんにかけた室内に籠りっきりなのが一番の原因のように感じる。確かにエアコンで冷やされた室内は快適といえば快適だが、どうも外仕事が性に合っている僕には殺人的暑さといえども現場で大汗かいて作業しているほうが清々しくて気分が良い。天気がいいのに室内に籠りっきりだとかえって身体の調子がおかしくなりそうで、しかも冷えた室内から急に35℃を超える猛暑の中へ突入するのはどう考えても無謀だと思う。結局仕事中も、通勤の車の中も、日によっては我が家においてもエアコンのかけられた中に居るわけで、常にパリパリに乾燥した中に身を置いていることになる。この状況は汗疹が激しい皮膚表面にとってはすこぶる宜しいが、目にはドライアイを引き起こし疲れを呼ぶ。
とにかく今よりも睡眠時間を少しでも長くとって目の疲れを溜めないようにしなければ、本当に眼精疲労になってしまいかねないな。

2008-08-06

僕が生まれるたった28年前の出来事


今から63年前の夏空に一発の不恰好な爆弾が落とされた。その爆弾は地上に達する前に炸裂し、十数万人の命を奪い去った。後遺症などで亡くなった人も含めると広島原爆死没者名簿に記された名は25万8,310名に上る。この未曾有の一般市民に対する無差別殺戮はいくら戦争とはいえ許されるものではない。ところがアメリカにおいては原爆投下によって戦争を早期に終結させることが出来たとしており、それによって100万人の命が救われたことになっている。このことは学校の歴史授業でも教えられていることで、いわばアメリカの定説でもある。妻とこの話題について話すとき僕はいつもアメリカの非道さを糾弾し、許されざる行為だ!と、まくし立てるが、妻は冷静に「確かに一般市民に対する原爆投下を良しとはしないが、あの当時の日本の状況では本土決戦に持ち込んでそれこそ沖縄戦(戦死者19万人その内民間人10万人、米軍1万2千人)同様の惨状になったんじゃないの?」と言う。そうだ、その通りだ。本土決戦になっていたらアメリカの見積もりの100万人を軽く超える人が死んでいただろう。それは容易に想像できる。でもな、やっぱ原爆投下は許されない。
いつもこんな感じで話は膠着し、平行線をたどる。
原爆投下に至る伏線はこんな単純なものではなく、様々な思惑が入り乱れたドロドロとしたものだろうが、どんな理由にせよたった一発の爆弾で多くの人が命を、家族を失い、その後の長い年月を苦しみに喘ぎながら生きねばならなくなった事実だけは揺るがない。
戦争は思惑で人を殺し、憶測で人を殺し、任意で人を殺す。そこには正義は無く、理不尽な死があるのみ。
戦争は二度としてはならない。
我々にはもっと戦うべき相手があるはずだ。

黙祷

2008-08-05

あめあめふれふれもっとふれ


夕方帰宅し、Jackieの散歩を終える頃から俄に空が暗くなり、夕立の気配が濃厚に。ちょうど我が家の隣の畑の人が水やりに来て『ほんとに降りますかね〜』と2人して空を見上げるも、可能性はかなり高いが今夏は裏切られてばかりなのでいまいち信用ならず、隣の人も水をやり始め、僕も『降らんやろ』と思い時間をかけたっぷり水をあげといたら、案の定ドバーっと降りよった。ま、相当喉が渇いてたと思うのでタイミング的には非常にありがたかった。
庭の作物や樹木の多くはここのところの尋常ならざる高温と、強烈な日差しに曝されてあるものは枯れ、あるものは萎れ、あるものは葉焼けを起こし、軒並み弱りが目立ち始めた。そりゃ、こんな日差しのもとで日中ずっと曝されておったら、おかしなるのは当然やな。そんな中でもバジルだけは飛び抜けて強靭で、日々モリモリと成長して1m近くにまでなっている。妻がいないためバジルを大量に使用する機会がなく、まさに伸び放題の無法地帯。他のハーブ類も急成長を遂げているがひとりぼっちの食事ではわざわざ使う気にもなれんので、そのままほかりっぱなし。さて、妻が何と言うか・・
ああ、いい風が吹いて来た。まだ遠雷の轟だけは聞こえるがどうやらピークは過ぎたようだ。このひんやりとした風は身も心も甦らせるな。ぜひ毎夕来て欲しいものだね。

2008-08-04

雨恋し


関東の方では激しい雷雨らしいがこっちは今日もその気配無し。日中は38℃にもなり少し日向に居ただけで全身汗だく、肌はうっすら赤くなりしっかり日焼けしてました。放置していた車の車内気温も尋常ではなく、ハンドルは言うに及ばずシフトレバーも熱くて触れず、運転もままならない有様。おかげで少し治まっていた汗疹も再発し痒いのなんのって!掻くとひどくなると分かっていても掻かずにはおれないこの痒み。同じ暑いんだったらもっとカラリとしてもらいたいね。
気温がそこまで上昇するとひと雨来ない限りなかなか下がるものではなく、雷雨を警戒して閉め切り状態の我が家に帰ると、室内温度は確実に40℃以上で二階なんかはまさに温室。すぐにすべての窓を開け放って外気を取り入れようにも風はなく、おまけに外もまだ相当の暑さで室内温度は下がらず、敷きっぱなしの布団はいつまでも熱を持ち続け扇風機だけでとても寝るのは無理な状況。仕方なくクーラーかけて安眠を求めることに。しかしそれもクーラーのタイマーが切れる早朝に全身汗だくになって目覚め、またかけて寝るとろくささ。そんなんだったら始めからかけっぱなしで寝ればいいのに、それがなかなかできんのよね・・。この気持ち分かってくれる人はいると思うが、分かってくれん人が我が妻なのだ。これまでなんども厳しく注意されてあげくの果てはリモコンに触れることを禁じられてしまった。まあ、確かに朝方の中途半端な時間に汗だくになって目が覚めるのは気分のいいものではないよね。
とにかく、ええかげんここらで降ってもらわんとみんな干上がってしまうわな。

2008-08-03

寒いってか?


相変わらずの暑さにてボケーッと高校野球見ながらソファーに横になったいたら、いつの間にか寝ていたようで全身汗だくになって寝覚めたわさ。こんなクソ暑い中(37℃くらいかな)で寝れる自分も大したもんだが、途中目覚めることがなかったらあと数時間で全身の水分が蒸発し、即身成仏のミイラ様になるところだった・・あぶないあぶない。そんなこの地とシアトルはまったく環境が違うようで、今朝も妻が言うには『さっきまで森へピクニックに行ってたけど、寒かったよー』だとさ!おまけにほとんど英語しか話せなくなった上の子が『Daddy、こっちでは蚊に1回しか刺されとらんよ』と言う。いつも庭で遊んでいるときは虫除け塗っていてもボコボコに刺されていたのに向こうはヤブ蚊も少ないらしい。僕は朝夕と畑をいじっているので完全防備のつもりでも毎日ヤブ蚊には最低5カ所以上は刺されている。これで温暖化の影響を受けデング熱やマラリアが上陸して来たら瞬く間に餌食になるやろな。特に一度デング熱になった僕がもう一度罹ると、出血熱性の激しい抗体反応が出て死に至る可能性が高い。う〜んこれは危険だ。デング熱が上陸したら北方(キタガタではない)へ逃げなあかんな。
さて、今日は夕立が来るやろか?外を見渡すと入道さんの頭のような雲は見えるが、輪郭がはっきりせずタッチダウンする前に形を失い流れてしまっている。今夏はずっとこんな感じ。前降った雨も通り雨程度でたった一度きり。春に植えた夏椿も余りの暑さのために枯れて来てしまった。今度植えるときはよほど暑さに強い木にしないとダメだな。でも暑さに弱いはずのアメリカン・レッドメイプルとライラックはへっちゃらそうだし、よく分からんね。

2008-08-02

真夏の一幕


毎週土曜日は妻の英語クラスの日だが妻が帰国中のため、代わりに妻の親友(カナダ人)に教えてもらっている。今はちょうど外遊びの時間でビニール製のプールを2つ出してみんなはしゃぎ回っている。こんな暑さだと水遊びはさぞや楽しいだろうな・・それにしても子供たちは7人もいるのでプールで遊んでいる子、スプリンクラーと闘っている子、ホースを持って皆に水をかけまくっている子、砂場で遊んでいる子など様々で、しかもみんなやんちゃ盛りなので、そりゃー教えるのも大変だろうなとこっそり様子をうかがいながら思う次第。
アメリカのシアトルからさほど遠くないビクトリア出身の彼女に『暑さは大丈夫?』と、たわけた質問をしたら『たまらない!』と、当然の答えが返って来て恐縮恐縮。この地生まれの僕でさえも(子供の時からこんなに暑かったかな〜?)たまらないのだから、カナダ生まれの彼女にとってみればもはや人間の住む所じゃないだろな。そんな所に来て彼女もはや5年ほどになる。妻の外国出身の友達のほとんどが帰国してしまった中で、彼女はこの殺人的暑さにも負けず、ずっと子供たちに英語を教え続け頑張っている。彼女曰く『カナダより日本の方が好き』だそうだ。その真意を詳しく聞いたことはないが僕にとってみればビクトリアの方がここよりよっぽど良さげに思うんだけど、それもただの想像の域でしかないな。いずれにせよ故郷・家族から遠く離れ、たった1人でふんばっている彼女は大したものだ。

2008-08-01

生活


我が家のすぐ近くにある県道に架かる橋の下には、以前にも書いたが路上生活者が住み着いており、空き缶集めなどをして生活している。先日も堤防にわんさと茂った雑草を草刈機にてなぎ払っていると、不意に男が二人現れて大声で何か喚いている。エンジンを即座に止めて聞いてみると市役所の福祉課の者だという。どうやら橋の下の主について調べに来たようで、見かけで分かる程度のことだけを話しておいた。おそらく生活保護を受けさせようと来たのだろうが、橋の下の主に軽くあしらわれて帰って行ったようだ。
彼はとにかく人と接するのを避けているようで、姿をよく見かけるものの言葉を交わしたことは一度も無い。何か言葉をかけるのをためらうほどの拒絶感を感じるのだ。そうかと思うと彼のところにたまに遊びに来る男は酔っ払っていることが多いがよくしゃべり、普通に「暑いね」と挨拶を交わしたりしている。毎週水曜のリサイクルの日には朝早くから空き缶集めに奔走しているようで、自転車の荷台に山盛りの空き缶を積み橋の下に運んだ後は空き缶をつぶすにぶい音がしばらく続く。
よく路上生活者のことを「怠け者」だと非難する人がいるが、彼を見ているとそんなことは思わない。リサイクルの日以外は遠出して他の地区を回っているようで、出勤途中にかなり離れた場所で縁石に腰掛け放心している彼を見かけたこともある。その姿を見て「仕事もせずに・・」と彼を非難することなどできない。彼はちゃんと仕事をし、収入を得、橋の下に居を構え、彼なりの生活をしているのだ。生活のスタイルが違うからといって何も悪いことをせず、迷惑もかけていない彼にとやかく言う権利など誰にも無い。
彼は彼の生活を続け、僕は僕の生活を続ける。ただそれだけのことだ