2008-08-09

彼の見たNAGASAKI


ジョー・オダネルが爆心地長崎で撮影した写真は彼が軍律を破り、何かに衝き動かされて撮影したものだ。
これらの写真は僕を激しく揺さぶり、衝撃を与えた。
オダネル自身も長崎のあまりの惨状に精神を病み、すべてを忘れようと写真を封印し決して誰にも触れさせなかったという。その彼を再び衝き動かし封印を解かせ、裏切り者と罵られながらも原爆の被害を告発し、核廃絶を訴え続けさせたものは何だったのだろうか?
彼は写真を撮ることによって凄まじき惨状を見てしまった。他の多くのカメラマンが軍律に従い私情を抹殺し、機械的に記録することに徹していたが、彼にはそれができなかった。彼は目前に広がる現実をオダネルとして見続け、記録した。
「見たこと」に対する責任とは何だろうか?「見てしまったこと」に苦しみ続ける彼を解放したのはそれを「伝える」ことだった。そうして数々の写真を我々も目にすることができるようになったのだ。
彼の写真は多くのことを語りかけ、見た者それぞれに様々な思いを抱かせる。しかしそれ以上に我々の心を大きく揺さぶるのはこれらの写真を撮ったオダネルの眼差しであり、その生き様だ。
彼はその祖国を告発したがゆえ、非難され無視され続けた。でももはやそんなことは彼にとってはどうでもよいことだったのかもしれない。
彼は国も、人種も関係なく、ただ一人の人間として生き、訴えたのだ。
「原爆投下は過ちだった。それは絶対に、絶対に許されない行為だ」と。

彼は長崎原爆投下と同じ8月9日、85歳でその生涯を終えた。

亡くなった被爆者の方々、そしてジョー・オダネルに、黙祷

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