2009-07-31

そしてまた雨・・


久しぶりに晴れたと喜んだのも束の間、午後からは再び雨が降り出し、今はこの地方一帯に大雨洪水警報が発令されているほどだ。
それでもなんとか午前中は持ってくれたおかげで、先日来取り組んでいる現場作業を終えることが出来た。
今日も期待?されたマムシの出現はなく、密かに用意しておいたビニール袋の出番はついに無かった。にわかマムシハンターとしてはちょっと残念でもあるが、なるべくマムシとは遭遇しないほうがよいに決まっているので・・ね。

おお、だんだん雷がひどくなって来たぞ。近くに落雷でもされたらMacがオシャカになるので、ここまでとしよう。

2009-07-30

晴れたよ!


朝起きると、なんとまあ晴れてるやんか!そんなピーカンでもないのに無性にうれしくなって思わず写真を撮ったほど。
1993年も梅雨が長引き、雨ばかりの夏だった。というより夏はなかったと言った方が良いくらいで、記録的な冷夏により農作物は大打撃を受け、米も含めその被害が甚大だったのを憶えている。当時僕は写真学校の学生で、自分の作品作りのため琵琶湖方面にバイクでしょっちゅう出かけていたが、この夏は本当に雨ばかりで思うように撮影が出来ず、様々なことも相まって僕にとっては大きな壁に直面した年でもあった。ちょうどその年と今年の気候はよく似ているような気がしてならない。これから太平洋高気圧が勢力を増して北上してくれば気違いじみた暑さに襲われるのだろうが、果たしてどうなるのだろう?
やはり夏はドカンと晴れて、ガリガリ君をかじるしかないような暑さであるべきだろう。そう言えば今年はまだ一本しか食べてないや。

今日も再び山中へ。仕事中殺気を感じて右手にある石垣を見ると、なんと石垣の隙間からまたもやマムシ殿が鎌首もたげてこちらを睨んどるではないか!一瞬凍り付いたがそれしきで萎える我輩ではないので、とっさに棒でマムシを搦め石垣から引きずり出して放り投げ、外に出したらこっちのものまたぞろ首根っこを押さえつけて捕獲完了。こんなこともあろうかとビニール袋を持参していたのでお持ち帰りになりました。これで3日連続の遭遇になり、明日も再びお山入りなのでもう一匹の可能性も・・
今日は素手にてマムシを捕らえたので、生臭さが手にこびりついていけませなんだ。いずれにせよ畏れ多き生き物なり。

2009-07-29

亜熱帯雨林の森


昨日に引き続き深い森の中での作業が続く。予報では今日も雨。朝から時折激しく降りとても作業が出来そうになかったが、昼頃からは小糠雨程度に。そこを見計らって森へ入り作業を始めるも足元はぬかるみ、虫除けをしっかり塗ったにも拘らずヤブ蚊の大群に取り囲まれ、いたるところをむちゃくちゃ刺されてその痒みに発狂しそうだ。
見通しを妨げている下草を払いながら進んでいると、後方の同僚が『またヘビがいる!』と言う。またか、と引き返してヘビを見るとこれまたマムシだった。先行して刈り払った時は同じ場所だったにも拘らず、僕にはまったく分からなかった。いやはや何とも危険なものですな。
そのマムシをきょうも生け捕りにしてペットボトルへ封入。ひょっとしたらマムシ酒を造ってみるかも知れないので乞うご期待あれ。

2009-07-28

マムシ潜みし森にて


こうじゃんじゃん雨が降っちゃー仕事にならねーや、ということで悪天候の中、すこし雨の降りが小康状態になったタイミングを逃さず、機材を担いで大木の生い茂る森へ同僚と突入する。ずっと降り続く雨で腐葉土に厚く覆われた地面は非常に滑り易く、一度滑って土が剥き出しになるとまるで斜面に油をまいたかのようで、とても登れたものではない。おまけに気温高く湿度も100%に近いせいでヤブ蚊の襲撃数も尋常ではなく、虫除けを隈無く吹き付けたにも拘らず何十匹と群がって来て服の上から刺して来る。
一度森に入ってしまうと大木の傘の下に居れば多少の雨なら何ともないが、作業も半ばになると再び土砂降りの雨に襲われ、頭上の枝葉からは大粒の雨水が滴り落ちて来る。
そんな最悪の条件下でもなんとか気合いを入れて、それなりの仕事を片付けることが出来た。びしょぬれの機材を片付けそれらを担いで滑り易い斜面を登っていると、後続の同僚が『マムシがいる!』という。振り返ってみると自分が滑りつつ登ったルートのすぐ脇に体長40cmほどのマムシが居た。なんと、まったく気がつかなかった。先頭を歩くものには噛み付かないとはよく聞くが、危なかったのは確かだ。
さて、そのマムシ。僕は昔からヘビを見つけると何故か捕まえたくなる性分なので、その辺から枝を拾ってそれでマムシの頭を押さえつけ、首根っこをつまんでひっ捕え、これまたその辺に落ちていたペットボトルに監禁して生け捕りに成功した。いまもそのまま持っているがその処分をどうしようかと思案中。命を奪いたくはないが放せば非常に危険だし、ならば焼酎に漬けてやろうか?とも思うが、妻がそれを見たら発狂するだろうし、ううむ・・。誰か欲しいと言う人が居れば喜んで差し上げます。ただし、毒牙をまだ折っていないので取り扱いには十分ご用心くださいまし。

2009-07-27

橋の下の孤独


今朝、いつものように食べきれないキュウリを持って橋の下を訪れると、バラック小屋からちょうどオヤジさんが出て来たところだった。このオヤジさん(Sさん)は以前型枠大工やっていたそうで、橋の下のスペースにベニヤ板や様々な材を使って巧みに小屋を拵え、その規模は見る度に大きくなっているようだ。おそらく4〜5人用テント並の広さを持ち、おまけにちょっとした縁台までしつらえてある。

そのオヤジさんと言葉を交わし、お裾分けのキュウリを渡してHさんにも分けといてと頼むと、Hさんはもうこの橋の下には居ないと言う。どこかに借家が見つかったそうで、そちらに引っ越したらしい。橋の下のHさんのスペースはきれいに片付けられ、何も残っていなかった。
最後に会った時は生活保護の申請に行くんだと言っていたので、ひょっとするとそれが通ったのかも知れない。しかしそれにしては結果が出るのが早過ぎるので、何か別のつてでもあったのだろう。それはそれでHさんにとってはよい展開になって良かったと思う。ただ不思議なのは昨日堤防の草を処分しているときに橋の下にいる彼の姿を見たことだ。ねぐらを引き払ったのなら一体あそこで何をしていたのだろう。
オヤジさんは少し動揺した感じで彼が借家を見つけたことや、電話番号を知っているがかけてみたら不通となっていたこと、彼にはまだ親兄弟が居ておそらく保証人として彼を助けたのだろうといったことを話し、彼が先に去って行ったことを喜びつつも、何処かに寂しさを漂わせ、そして焦りを感じているようだった。

オヤジさんが昨日外出先から戻って来ると、川そばに置いてある発砲スチロールの箱にナマズが入っていたそうだ。なるほどそれくらいの時間に僕がHさんを見かけたので、普段暇つぶしにとやっていた釣りでナマズを釣り上げ、この川のコイやナマズ・ウナギを捌いて食べるオヤジさんの為に置き土産として箱に入れて行ったのだろう。
ただ、オヤジさんが見たときにはすでにそのナマズは死んでしまっていたそうだ・・

2009-07-26

雷雨


よっぽど雷さんの虫の居所が悪かったのか、午後からはドッカン、ピシャンと激しい雷雨がなんども襲い、我が家の前の川はあっという間に増水し、河川敷の平場にまで濁流が押し寄せていた。これが九州北部や山口県に降り続いているような雨量だったら、この川の堤防も決壊し我が家も浸水被害に遭うのだろうな・・などと考えながら、叩き付けるような激しい雨をぼんやりと眺めていた。
その雷雨の合間を縫って毎度の畑仕事や庭仕事に励み、おりからの蒸し暑さも相まって汗で全身ずぶぬれに。それでも何とか今日やらねばならぬノルマを達成しひと安心。予報では今週もずっと天気が悪いらしく、期待していた梅雨明けもまだ当分先のよう。それだとなおさら雨が上がっている時間は貴重で、のんびりなどしていられない。
しかしこう毎日天気が悪いと、日照不足などで稲の生育に悪影響が出ているんじゃないかな?現に我が家の畑のトマトは多雨と日照不足の影響からか次々と枯れてゆき、残るはミニトマト数本だけになってしまった。
雨が降ると仕事が妨げられるが、そう悪いことばかりでもない。なにせ空が曇っているので正午前後に外で作業していても暑さも程々で問題はない。これがピーカンだったらとても外には居れんからね。

2009-07-25

遠雷


遠雷のように打ち上げ花火の炸裂音が響き、ビルの間から色とりどりの大輪が花開くのを見ることが出来る。そうか、今日は花火大会か・・ここ数年は妻や子供達がアメリカに帰国中で居ない為、花火を見に行くこともない。もちろん花火を見るのは好きだけど、一人で行って一人だけで楽しんでいても何か空しい気がして、連れがいない場合はわざわざ見に行くこともない。でもいつかは娘達に花火を見せてあげたいと思っている。

妻が植えたシンデレラパンプキンもそろそろ収穫時期を迎え、丁寧にへたの部分から切り離す。さて、重さはどうだろう?これが意外と軽く、見た目ほどではない。この種のカボチャは今年が始めてだがなかなかの出来。あとはハロウィーン本番まで腐らずに持ってくれるかだ?
あとは昨年と同じオバケカボチャ。いまのところ一つしか出来ていないがこちらも40cm超級で大いに期待が持てる。
僕が植えたえびすカボチャもすこぶる順調。これだけ雨がよく降ると瓜系はよほどうれしいのか大いに繁茂し僕を困らせる。

2009-07-24

タマムシの舞う森


先日、ある現場で久しぶりにタマムシを捕まえた。山の中の現場ともなると飛んでいるタマムシを見かけることはたまにあるが、捕まえたのは子供のとき以来かも知れない。子供の頃は実家のまわりにもまだ木が多く残っていて、いろんな種類の虫達を捕まえることが出来た。その中でもタマムシは別格で、その美しさは群を抜いている。タマムシと言えば『玉虫厨子』が連想されるが、なるほどこの美しい羽を集めて厨子を作ろうなんて、その発想自体がぶっ飛んでいて実に面白い。またそれを本当にやり遂げたのだから大したものだと感心する。
タマムシを捕まえたこの森にはまだまだ多くの榎の大木が残っており、そのおかげでタマムシも繁殖を続けられるようだ。

それにしてもこのタマムシ、その鮮やかな身体に見入っていると思わず引き込まれそうになる。その不思議な力をいにしえ人も感じて厨子を作ろうと思ったのだろう。

せっかく捕まえたものを放すのは惜しいが、タマムシは森にあってこそ輝くもの。現場が続く限りまた会う機会もあることだろう。

2009-07-23

芝の悩み


久しぶり、本当に久しぶりの快晴の夜明け。すでに暑さは孕みつつも抜けるような青空はやはり気持ちがいい。朝露で足元を濡らしながらJackieの散歩の出て、おなじみのコースをぐるりと回る。
散歩から戻り、キュウリ・トマト・ナスを収穫し、堤防斜面に這わせてあるカボチャの花をチェックする。雌花が咲いていたら人工授粉せよ!という妻の厳しい命令を忠実に守り、3種類植えてあるカボチャの雄花を適当にとって雌しべにぐりぐりと擦り付ける。品種が違うとどうなるのか分からないが、まあいいだろう。カボチャはカボチャだ。
ひと通り畑仕事を終え芝生の上を歩いていると、またまたクモの巣状の菌糸があちこちに出現しかなりの広がりを見せている。今まで何度かピシウム菌の発生の度に薬剤を散布して来たが、その薬剤もすでに使用限度だ。これ以上使っても耐性菌が発生する恐れもあり他の薬剤の使用が求められる。当然薬剤の使用は極力避けたいがこればかりは土壌を殺菌せねば何ともならぬので、毒性の比較的少ない魚毒性Aランクの薬剤を購入しようとホームセンターを回るが、これがどこにも置いていない。そこで馴染みの店で取り寄せを頼むも、個人単位の少量販売にはメーカー側が応じてないという。仕方なしに他銘柄を当たっているが、さてどうなるか?なんとかして早いとこ手に入れないとピシウム菌が大発生して芝が大ダメージを受けるだろう。
晴れが続き、空気が乾燥してくれば発生件数も減るはずなので梅雨明けが待ち遠しいものの、予報では明日また雨という。そして週末も雨。
なんとかならんもんかいね・・

2009-07-22

諸人天を仰いで日の再生を見ゆ


アジア地域を中心とした皆既日食の荘厳さは仰ぎ見る人々の魂を奪い、太陽がそうであるようにまた魂も再生し新たなる活力を得るような、そんな大きな力を感じることが出来る。

『そう言えばそろそろ皆既日食の時間だな・・』と外へ出たのが11時前。見上げる空は一面雲がかかり、とても80%太陽が欠けるという部分日食を拝めそうにない。それでも同僚らと空を仰いでいると、一瞬雲が薄くなったところから見事に欠けた太陽を拝むことが出来た。部分日食とはいえ日食自体をこの目で見たのは始めてで、思わず『おおっ!』と叫んでしまった。欠けた太陽は三日月そのもので、空も少し薄暗くなったようだ。皆既日食には劣る迫力の部分日食なれど、僕にとってはこれだけでも十分昂奮する天体ショーであることは言うまでもない。

世界各国では今日の日食について様々な反応があり、その文化的背景の違いもまた大変興味深いものだ。いにしえの人々にとって突然太陽の力が衰え、黒き太陽に為り変わる様は現代の人々には想像できぬほどの恐怖だったろう。それを今はきゃあきゃあ言いながら眺めておれるなんて・・・それだけ自然現象に対する畏怖の感情が失われてしまっていることを意味しているのかもね。

2009-07-21

解散



今日も終日雨。予報よると相当降るようなことを言っていたが大したことはなく、山口県辺りと比べると実に穏やかな梅雨といった感じ。それにしてもこれで連続何日雨が降っているだろう。まだ明日朝にかけてもかなり降るようなことを言っているので、まるでイチローの連続安打記録のような伸びだな。明日は日食なのでその頃までにはなんとか雲が上空から消えることを祈るばかり。

さて衆院が解散され、議員さんらは選挙に勝つべく地元へ散って行ったわけだが、そこには選挙に勝つと言う大目標があるかも知れないが、相変わらず国民不在の選挙ような気がしてならない。そうだ、大いに闘ってくれるのは結構だが、なにか根本的な部分を踏み外していると思う。
どこの政党にしろ、誰にせよ、たとえ今回の選挙で勝ったとしても、根本的なことに気づかなければ誰がやっても同じこと。ま、当の議員さんらは『そんなこたあ、知ったこっちゃねーや』と思いながら、盛んに握手しまくるんやろな。醜いとはまさにこういうことを言うのだろう。

2009-07-20

未だ明けず


今日はすっきり晴れるものと思っていたら、陽が厳しく照りつけたのは午前中の僅かな時間。昼からは空に水蒸気をたっぷりと含んだ雲がたれ込め怪しい雲行きに。そうしたら案の定ザーッときましたよ。まったく梅雨とは分かっていてもこう毎日毎日降られたんじゃ、土が全然乾燥せず細菌が発生し、その害がいろんな物に広がっている。こうなるとカラッと晴れた夏の陽が待ち遠しいものだ。

朝、庭を見て回ると芝生のあちこちにクモの巣のようなものがある。なんてこったい、三たびピシウム菌が発生してるやんか!この病害だけは早い処置が必要なのですぐに薬剤を散布したものの、今回が限度だろう。これ以上使用しても薬害が出るだけなので他の薬剤にしなければいけないが、ホームセンターなどには置いてないんだよね。とにかく梅雨が明け乾燥してくればこの病害が発生する機会も減ると思うので、何とか今回の散布で治まってくれないかと祈るばかり。

予報では明日も降るらしいね。週間天気予報を見ても梅雨明けしそうにないし、ここはピシウム菌が再発すると踏んでネットで薬剤を購入し、備えておくしかないだろう。昨夏は一度も発生しなかったことを思えば、今夏の降雨量と蒸し暑さ、加えて無風状態がいかに病害の発生を助長しているかがよく分かる。トマトがどんどん枯れてゆくのも、この多雨が一つの大きな要因だろう。

晴れよ来い!

2009-07-19

代価


今日は午前中いっぱいかけてロードスターのあれこれを交換し、走りがさらにキリリと引き締まるようになった。
まずはスリップサインの出ていたタイヤの交換から、中古でロードスターを購入したとき履いていたファルケンからダンロップへ。ファルケンは購入時6分ほど山が残っており、その時の走行距離が約5万km。いまは8万kmなので安いタイヤにしてはよくもった方だと思う。今回も安くて長持ちするタイヤでいいから同じファルケンも考えたが、いろんな事情によって結局ダンロップのスポーツタイヤに決定。義理の兄貴の給油所にての交換で4本計4万4千円なり。その後オイルも交換しリフレッシュ。これで雨の日に不安を抱えてカーブを曲がることもしばらくはないだろう。
さて、そのタイヤを履いていつも通る堤防のS字カーブに少しオーバー気味に飛び込んでみる。荷重をかけてハンドルを切ると、今までの走行が若干流れ気味だったのが分かるほどタイヤが路面に食いついてグイッと曲がる。後輪の不安定さは見事に消え、スピンする恐れもなくなった。いやー、凄いものだね。スポーツタイヤと言っても安価な部類に入るものなのにこんなに違うとは!タイヤの転がり抵抗もぐっと減り、惰性で走行している時もスーッと車が前に進んでゆく感じがする。
これで増々ロードスターに乗るのが楽しくなった。タイヤは高いものだけどここまで走行が安定し楽しめるなら、その代価にふさわしいと思う。

2009-07-18

起きてしまったこと


雨も上がったので駐車場に置いてあるプランターの朝顔のためにネットを張っていると、なにやら背後のロードスターが気になった。その気になったところをよ〜く見ると、撥ね石が当たったような傷がついていた。なんでボディの横っ腹に石なんか当たるんやろ?と不思議に思っていて、あっ!と気がついた。実は先日の日暮れ時、東側のお隣さんが我が家西側にある空き地の草刈りをしたのだ。その時に草刈り機が撥ねた石が当たって傷がついたのだろう。これは・・と思い、車の表面をチェックすると、なんと助手席側の窓ガラスのど真ん中に明らかに撥ね石による傷がつき、ガラスが欠けていた。なんてこったい!
すぐにお隣へ出向き事の次第を話すと、草刈りをした人は業者ではなく知り合いが善意で草を刈ってくれたそうなのだ。それでは賠償請求も出来ない。かといってお隣に請求するのも・・と苦慮していると。お隣の奥さんが『車のことですし、あとあと走行中にガラスが割れては大変なので修理して下さい』と言ってくれた。そうなのだ、お隣に出向く前にマツダのディーラーに確認したところ、サイドのガラスはフロントガラスと違いフィルムの張っていない単なる強化ガラスなので、衝撃が加わると粉々に砕けてしまうそうだ。ロードスターのガラスが割れなかったのは運が良かったらしい。
とにかくガラスは修理することにして見積もりを取ると、交換ガラス代・工賃・消費税で1万8千円ほど。思ったよりも高くないが、お隣にとって痛い出費にはなるだろう。
そもそも事の発端は善意の草刈り人が我が家へ何の連絡もなく草刈りを始めた事だ。僕も帰宅しており一言いってから始めれば車も移動したはずだ。その辺のちょっとした配慮がなされていたら回避できた事で、お隣さんも草刈り人がいつ来たのか知らなかったらしい。
ガラスに傷がついていようが機能上問題なかったら修理などしないが、割れる可能性があるなら話は別だ。ある日突然粉々に砕け散ったんじゃたまらんからね。

2009-07-17

雨、雨、雨


今日も一日中降り通し、それもシトシトなんて生易しいものじゃない、ドバーッともの凄い降り様だ。梅雨の前半はほとんど降らなかった反動か、後半に入ってからの雨量は相当なものだ。雨は畑を潤し、木々を大きく育て、ほんとうにありがたいが、それもここまでの雨量となるとかえって土中から水分が抜けず、長時間根が水に浸かった状態になり、水気を嫌う品種はたちどころに根が腐り枯れてしまう。妻が植えたトマトの3分の2が病気になって枯れたのも、その一つの大きな要因が多雨であることは間違いないだろう。それとは反対にキュウリなどは生育旺盛で毎日10本以上の収穫を記録して当分の間キュウリ地獄からは解放されそうにない。

東海を飛び越えて関東甲信越が梅雨明けし、ならばこちらの梅雨明けも間近とは思うが、天気予報によると梅雨明け後は厳しい暑さになると言う。『暑くなる』なんてさらりと流されると日中外で作業する身にとってはたまったものではないが、それもどうなることやら・・そういえば昨夏は台風が一個も当たらなかったが、さて今年はどうだろう?
いずれにせよ梅雨が明ければ厳しい暑さに耐えねばならず、それこそ修行と心得て精進するとしよう。

2009-07-16

番人



妻より無事到着したとの連絡が入った。今回は妻の父親の住むコネチカットを訪れ2週間ほど滞在した後、今度は母親の住むシアトルへ飛ぶという周遊コース。こう書くと『なんで?』と思われるかも知れないが、妻の両親もアメリカに多き例に漏れず離婚して、その後にそれぞれが再婚しているため家族構成を人に説明するのがなかなか難しい。
そんなことは置いといて、コネチカットの気温を聞くと朝晩は肌寒いくらいだと言う。なんと羨ましいことか!ここなんぞ朝の6時に起きて散歩に出ても日差しはすでに厳しく、帰って来るころには汗だくになっていきなりシャワーを浴びねば汗疹が痒くて仕方がないほど。こんな僕のように湿気に弱い身体の人間は乾燥地帯に住んだ方が良さそうに思えるが、ところがどっこい乾燥し過ぎているとこれまた痒くなってどうしようもない。なんともはや、うまくいかないものだ。

娘達と話すと久しぶりのおじいさんの家が楽しくて仕方ないようで、『ブルーベリーをたくさんとったよ!』と昂奮気味。そう、おじいさんの家には大きなブルーベリーとラズベリーのブッシュがあって、驚くほどの収量がある。僕も始めて訪れた時はうれしくてカゴ一杯穫ってはアメリカ風巨大アイスクリームの上にゴロゴロとトッピングして食べてたよな。それを今は娘達がやっているとはね・・なんか不思議な感じがする。
今回は妻の弟さん夫婦(奥さんルーマニア人)も滞在中で、従兄弟のエリックとも一緒に遊べてとても良い機会となっているようだ。ああ、出来ることなら僕も脱出したいが、なんせ畑の番を言いつかっておるのでそれも叶わず、ひとり灼熱の地にてひたすら水をやり、草をむしる夏となりそうだ。

2009-07-15

もぬけの殻


今になってやっと風が出て来た。これで幾分かは過ごし易くなるだろう。日中の気温も昨日に負けないくらい暑かったが、家中の様々な物にこもっている熱気は昨日ほどではない。と言っても昼間の便座は『暖房が入っているのか?』というくらい熱く、それだけでも外気温の高さが伺えるというものだ。
ここ数日の異常な暑さに妻も『これで清々してアメリカに帰ることが出来る』と、このタイミングで脱出できることが相当うれしいらしい。まあ、『この地の夏は一度経験したら、二度しなくていい』と言っているくらいだから、この先も同じように脱出するんやろな。

毎度のようにセントレアまで見送りに行き、出発ゲートで子供達を抱き締めて『バイバイ』を言うと、長女が僕から目をそらし泣きそうになっていた。それだけで十分だ。いつものように何かが抜け落ちた感じはするが、粛々と時は過ぎてゆく。次女は屈託ない笑顔で『バイバイ』してゲートの向こうへ去って行った。
約一月後、僕はまたセントレアを訪れ妻や子供達を迎える。そのときの何となく照れるような感じは何回繰り返してもなくならない。いつも一緒にいるとそんなことは感じないだろう。ひとり灼熱の地に残ることは決して愉快なことではないが、こうやって一時期距離を置き、普段と違う文化の中で揉まれて帰って来る子供達を迎えることは、親バカならではの楽しみでもある。

2009-07-14

朦朧体


いやはやなんて暑さだい!今でも気温は30℃を越え、家の中のあらゆるものが熱を持ちまったく気温が下がらない。おまけにほぼ一日中無風状態で、何もしていなくともただ立っているだけで汗がじゃんじゃん流れ、絶えず水分とミネラルを補給していないと、あっという間に熱中症になってしまう。さすがに夜も寝付けそうにないのでエアコンをつけて一室に全員集合の雑魚寝状態。

妻や娘達は明日アメリカに飛び立ち、向こうは涼しいので今日のような熱帯地獄からは解放され、じつに羨ましい限り。僕はと言うと現場仕事がめじろ押しで、この先当分暑さから解放されることはないだろう。というか冗談じゃなく生き残れるか?てなレベルの話になりそうだ。内業続きでなまった身体にはこの暑さは相当こたえる。本格的に外仕事が始まればみるみる体重が落ちて行くことだろう。でもそんな大汗かいてする仕事が好きなのだから、やるっきゃないよな。

2009-07-13

更なる負担


妻や子供達がもうすぐアメリカに渡るのに伴って、つい今しがた海外旅行傷害保険の契約をしたところだ。妻の場合は持っているクレジットカードに付帯されてる保険があるので、これをあてにすることとして他の保険を契約したりはしないが、子供達の場合は入らざるを得ない。先回は僕がうっかりしていて保険に加入するのを忘れていたが、その時は何事もなかったこともあり結果的には保険料を節約できたことになる。しかしあくまでも保険ゆえ、その時はたまたまそうだったというだけのこと、万が一を想定してそれなりの負担は致し方ない。
いつも契約している保険は損保ジャパンの新海外旅行傷害保険OFF!で、これは契約内容を細かく設定できるので重宝する。子供達の契約に於いては、万が一死亡した場合の保険料などは必要ない。むしろ事故などで負傷した場合の治療費がアメリカでは恐ろしく高いので、治療費用の保険金額を最大限の2000万にして、その他付随的なものはすべてカットすることでなんとか安く上げようとしている。それでも今回は滞在日数が35日間にもなるので、1人あたり6千円ほどの負担になる。
単純に海外へ飛ぶと言っても航空券の他にも様々な負担が上乗せられ、すごいことになる。かと言って必要経費だしね・・

2009-07-12

様々な人生


河川敷に転がる無数のゴミを拾い集めていると、橋の下に住む2人のホームレスの若い方の人が堤防に出て地面をしきりに突っついている。何をしているのか?と思い近づいて『おじさん、何しとるん?』と尋ねると、振り返った顔はずいぶんと若い。『おじさんじゃないね』というと、彼曰く『まだ45だからね』と、はにかみながら答えてくれた。それからしばらく2人で立ち話をして、彼がホームレスになるに至る経緯を聞いたりしたが、その生き様は過酷を極め最早や同情は受け付けず、ただ僕は嘆息するしかなかった・・
何でも彼のもとの住まいはこのごく近所で、その家を僕も知っている。アパレル関係の仕事をしていたが体調を崩し働くことが出来なくなり、そのうち妻と離婚。妻の実家も同じ校区でかなり近いが高校一年と中学二年になる子供達とは会わせてもらえない。家も手放すこととなり、その売却資金でアパートを借りしばらく住んでいたが家賃が払えなくなって車での生活をはじめ、今年3月18日にその車も処分して、以来この橋の下に身を寄せ、先住のオヤジさんに空き缶拾いの手ほどきを受け何とか生きていると言う。
彼は生まれが近所のため、空き缶拾いの姿を知り合いに見られないようになるべく他校区方面へ出かけるが、それでも出くわしてしまうこともあり恥ずかしくて仕方がない思いを何度もしたそうだ。空き缶拾いは一度出向けば800円ほどの収入になり、月にすると2〜3万円ほど。それでも毎日喰って行くことは出来ないと言う。風呂は月に一回、コンクリートの上に寝袋を敷いて寝ているが堅くて何度も寝返りを打つため熟睡できず、おまけにヤブ蚊の攻撃が猛烈でたまらないという。『ここに来てから17キロも痩せてしまったよ』と爽やかに笑う彼に僕は畏敬の念を覚えたほどだ。
彼はまだ若いからかなり遠くへも空き缶集めに出向けるが、同じ橋の下のオヤジさんは高齢のため彼の3分の1ほどしか集めれないと、自分のことはさておいて彼のことを心配していたのが印象に残った。
その他、生活保護や年金、仕事など様々なことについて話したが、ずいぶんと深く考えさせられることが多かった。今日の彼との会話は確実に僕の中に新たな視点を生み、考えの幅を広げることだろう。
僕は彼に『この先なにか良い展開があるといいのだけれど・・』と言うのがやっとだった・・

その後家に戻り、我が家の畑で穫れたキュウリ、トマト、ナスを持参し、Hさんとオヤジさんのもとに置いて来た。

2009-07-11

もの言う権利


出張から帰ると『国民生活基礎調査票』なるものが厚生労働省から送られて来ていた。封を切るとアンケート形式の用紙が僕と妻の分の2枚と、所得に関して調査する所得票が入っていた。そして案内の紙には『6月の世帯票にご協力頂いた約5万世帯の中から今回1万5千世帯を選んだところ、お宅様が選ばれました』とある。こんなことは選ばれてもうれしくもなんともないので、さっさと片付けてしまおうと書類に記入し始めると、これがなかなかめんどくさい。源泉徴収票を引っ張り出して来て所得票を記入し、自分の分のアンケートにもさっさと答え、次は妻を呼んで文章を適当に訳しながら説明すると、妻は選択式の回答から『その他』を選び自分の意見を書いてくれと言う。確かに妻の言うことは正しいが『こんなアンケートに対しまともに答えたところで何ともならん』と答えると、『だからあなた達はダメなんだ、なぜこのアンケートを自分の意見を言うチャンスと捉えないのか?自分の意見をちゃんと書かないあなたには政府の悪口を言う権利はない!』と実に手厳しい。妻の言うことは分かる、しかしどうしても政治や政府に対しては諦めが付きまとい『俺一人が言ったところで何ともならへん』となってしまう。だから日本人はダメだと言う妻は正しいのだろう、確かに皆がみな、『何も変わらん』と思って何もしなかったらほんとに何も変わりはしない。それこそ政府の思う壷だ。
『アメリカ人はうるさ過ぎるが、日本人はおとなし過ぎる』とは妻がよく口にする言葉だが、現代日本の一つの病巣として国民の間に『政治に対する諦め』があるのは間違いないだろう。その病気に冒されて自分もまったくの無気力人となってしまっていた。

いま妻が起きて来て『私も日本語をもっと読み書きできたらいいのに・・そうしたら自分の意見がもっと言えるのに・・自分はダメだ』と悔しがっていた。
政府が無作為に送ってよこした調査票も、我が家にとってはそれがもとで大きな問題へと発展する。こんなケースは他の人達と比べたら稀だろうが、ゆえにそのものの抱える問題点が浮かび上がって来ることもしばしばあるのだ。

2009-07-10

満喫


仕事は思っていたよりも順調に運び、ほとんどのやるべきことを昨日のうちにやり終えてしまうことが出来た。帰りの飛行機は夕方に飛ぶし、それまではだいぶ時間が出来た。そこでとにかく松山まで戻ることにして今治の港近くから道後温泉を目指す。
路線バスにて道後温泉に至り、子規記念館・湯築城跡を見学しいざ道後温泉本館へ。
日中は人も少なく十二分に温泉を堪能し、松山城へ向かう。
巨大な平山城に圧倒され、その余韻が残る中を下山し空港へ。
予定より少し遅れて離陸し、再び50分の空の旅。
出張もつつがなく終了し、次回訪れる可能性まで出て来た。次回は時間がかかっても車で行くことにして、
そしてターゲットは大三島の大山祇神社と決定。さあ、今から楽しみだ。

2009-07-09

四国へ


朝早くの便に乗り四国は松山へ向かう。
四国は二十歳のときに成人式に出ず、バイクに野宿道具を満載して一周したとき以来だな。あのとき四国は冬でも暖かいものと勝手に思い込んで、霙の降る中泣きそうになりながら野宿場所を探したのをよく憶えている。それが今回仕事で来ようとはまったく思いもよらないことだ。
松山には1時間ほどで着陸し、すぐさまJRに乗り換えて今治を目指す。特急は避け、鈍行でのんびりと行くのも楽しいものだ。旅情を満喫しつつ11時には今治に到着。確かに早く移動できるのはありがたいが、どうも自分のリズムとは合わなくて違和感だけが残る。早く移動できたぶん時間を節約できたと思う人が多いだろうが、僕は反対に早く移動したことによって自分が得たであろう大切な時間を、失ってしまったのではないか?と感じるがいかがだろう。

2009-07-08

モンスーンに抱かれて


終日雨。

しかしよく降るな。梅雨入りした頃はお天気も良く、雨がほとんど降らず空梅雨だな・・なんて言っていたからこんなに降るようになったのか?激しく降ることはないものの典型的な梅雨の降り様。湿度もずっと90%を超え不快極まりない。こうなるとからっと晴れた日差しが待ち遠しいが、梅雨が明けその日差しがギラギラと照りつけるようになると、まるで殴りつけるような狂気の暑さが訪れる。
今夏は一番暑い盛りに現場に出て激しい修行を積むことになりそうだ。約半年間室内に籠り、ぬくぬくとした中で身体を弛緩させている時間はやっと終わりだ。現場こそ自分が生きる場。さあ、精一杯自分を絞ってやるとしよう。

明日からは今治へ出張。十何年ぶりに国内線に乗る。

2009-07-07

曇天の七夕


昨夜は90%を超える湿気と無風で、すべてのものがふやけ、ぐにゃぐにゃになり、加えて湿気が増すと途端にひどくなる汗疹のかゆみも相まって居心地の悪さこの上ない。それでも気温があまり上がらなかったおかげでぐっすり眠ることができ、風邪でだるかった身体も幾分回復したように感じる。
朝になり、大あくびをしながら庭を歩いていると、芝生に見覚えのある斑点が・・ピシウム菌だ!やっぱり昨夜のように湿度が異常に高く無風で雨が降ったりすると、てきめん菌が大繁殖し一晩で恐ろしいほどに広がっている。すぐに薬剤を撒かねばならないが出勤の時間が迫り、あとは妻に託すことにした。
黴雨と言うだけあって、植物も人も何もかもさまざまな細菌が関与して病害が発生し、油断ならない状況がしばし続く。思えばピシウムもウドン粉病も汗疹もこの時期特有の病害で、皮膚表面で発生するのも同じだな。


ウルムチはいよいよ危険な状況になって来たな。今までは住民対中国政府という構造で様々な弾圧やら人権侵害やらが行なわれて来たが、今回は明らかに異なり、住民対住民の最悪のシナリオを迎えようとしている。騒ぎがこれ以上先鋭化すれば大惨事になることは間違いない。それもこれも中国政府が長年続けて来た差別政策が生み出したものなのだ。さて、中国政府はこの難しい局面をどう乗り切るつもりなのか?

2009-07-06

埋み火


中国新疆ウイグル自治区で6日発生した騒ぎの死者は、現在のところ140人。それだけでも驚くべき数なのに今後も増えることが確実だと言う。しかし何故メディアは中国政府の報道規制が徹底され、ほとんど事実が分からない状況なのに早々と『暴動』として速報するのだろう?ある動画では大通りを多くの人が抗議デモをしながら行進しているシーンをやっていたが、その場面を見る限りは暴動ではない。よしんば集団心理によって一部の過激集団が騒ぎを起し、それに煽られるかたちで人々が狼藉を振る舞ったとして、どうして140人もの人が命を落とすのか?これは明らかに人民解放軍による無差別な殺戮の結果にほかならないだろう。そうなると140人という数字もかなり押さえられたもので、実際には相当数の死者が出ていることになり、またその死者が死者として葬られることもない。
中国政府が今回の事件を彼らの主張する通りウイグル族の暴動だと言うのなら、何も報道規制する必要など無いではないか。それこそウイグル族が暴れ回り、狼藉の限りをつくす様子を各国のメディアに取材させ、世界に配信すればいいはずだ。毎度のごとく大量の人民解放軍が投入され、外部との音信も完全にブロックし、メディアには厳しく報道制限をかける。そこに臭いものがあるから、見られたくないものがあるから隠そうとする。何度繰り返してもまったく学習しない中国政府の常套手段に世界はうんざりし、その人命を無視したやり方に世界は怒っている。
チベット人にしろウイグル人にしろ、彼らは長年漢民族に虐げられて来た。その怒りはとうに頂点に達し、今はその怒りのはけ口を求めているような状況だ。それほどまでに彼らは追い詰められ、絶望してしまった。
中国政府は言う、今回の騒ぎも『海外の反乱分子が扇動して行なったのだ』と。もうそんな話しは聞き飽きた。歯向かう相手をことごとく殺してしまえば安定が訪れると考える中国政府のやり方は、過去何千年の歴史の中で様々な王朝が試み、失敗して来た史実ではなかったか?己の過去を顧みず、力で人を押さえ込もうとするその根本の思想を変えない限り、現行の中国が真の繁栄を享受することは出来ないだろう。

2009-07-05

とあるサイン


夕方、Jackieを連れていつもの散歩コースを歩いていると、道路脇の畑に何か立て札のようなものが出ている。始めはJA関連の『○○試験中』などというよく水田脇で見かけるものかと思ったが、それにしてはカラフルな色使いなので近寄って見てみると、一番上に中国語、真ん中は英語、そして下段にハングルで『野菜を盗らないで下さい!』と書いてあった。一昨日には無かったのでまだ立てたばかりだろうが、そんなに盗みの被害を受けているのだろうか?しかもなぜ中国語、英語、ハングルなのだろう?
腑に落ちぬ思いを抱きながら家に帰りさっそく妻に話すと、朝に散歩に出た妻もそれに気づき腹が立ったと言う。そう、僕と妻の思いは同じで『なぜ日本語が無いんや?』と言うことだ。あの看板はあからさまに『盗人は外国人である』と決めつけている。確かに近辺では中国人によると思われる野菜泥棒が頻発していると聞くが、だからといって日本人でないとは言い切れない。精魂込めた収穫前の野菜を盗られる気持ちも理解できる。だからと言って外国人のせいにしてしまうのはあまりにもフェアではない。もし僕が中国人でその立て札を見たとしたら、こんなヤツの畑なぞ踏みにじってやれ!と怒りを覚えるだろう。
警告の立て札を立てるなら当人の思いはどうであれ、まずは日本語で書き、そして外国語と続くべきだ。というか外国語で書く必要すらないと思うがね。

2009-07-04

体調すこぶる悪し


昨日の喉の痛みがプロローグだったようで、夜になると熱が出て悪寒が何度も何度も波状的に襲って来る。タオルケットでは寒くてたまらず、掛け布団を首まですっぽりかぶり大汗をかきながら、浅く短い眠りを繰り返す。喉が渇くものだからスポーツドリンクでその都度給水し、また布団をかぶり当然トイレの回数も増えてほぼ30分おきに、目を覚まし、トイレに行き、給水するを繰り返す。熱は何℃出ていたのか調べなかった(知りたくなかった)が、相当高かったと思う。これは次女が40℃近くまで発熱した風邪をもらったものだからなかなか強力で、いまは熱は引いているものの鼻はつまり、肩は重たく、ズーンとしたものを全身に感じている。
長い雨模様のあとにようやく晴れた週末だというのにこのていたらく、まったくもってふがいない。庭や畑ではやらねばならぬことがどんだけでもあるのに、外に出るのも辛いとは・・
いやなに、草刈りや草むしり程度のことはできるわさ、でもここで風邪をこじらせちゃ後々に響く。無理はせず、辛抱もまた大事なこと。そう自分に言い聞かせて今日は自宅謹慎するなり。

2009-07-03

もらいもの


風邪をひいている娘達から、とうとうもらってしまったよ。時間の問題とは分かっていても、なんとかウイルスの攻撃から逃れようと悪あがきをして来たのだけど、今日午後になって急に喉が痛み出し鼻水も出、確実に風邪をひいてしまった様子。気温の変化が激しい昨今、体調管理をしっかりせねばと心掛けて来たものの、やっぱり子供達の風邪からは逃れることが出来なかったな。ま、無理もないけど。
ひいてしまったものは仕方がないので、あとは体力を落とさぬように気をつけねば。ここで風邪をこじらせようものなら、次女のように39℃台の熱に襲われるやも知れぬし油断禁物だ。もう少しで現場も始まるし、来週後半には今治への出張もあるしで寝込んどる時間なんて無いからね。

ということでまずは寝ることだな。

2009-07-02

次女と夜泣き


昨夜の蒸し暑さとは打って変わり今晩は西風が吹き、よく風が通って気持ちがいい。湿度が70%ほどというだけでこんなにも違うのか・・と改めて実感させられる。なんたって昨夜雨が強く降り始めた頃は湿度計が90%を越え、ありとあらゆる物がべとつき不快極まりなかった。気温は30℃もなかったが、あまりの蒸し暑さに今シーズン始めてエアコンをつけて寝たほど。それが一晩経てばこんなにも変わるのかと驚くほどの変わり様。そりゃ、涼しいに越したことはないけど、こうもころころと天候が変わるようじゃ体調管理が大変だな。
そんな気まぐれな天候が影響してか、最近次女の寝付きがすこぶる悪くて困っている。夜中に何度も何度も大声で『I don't want to !』と叫び、あまりにはっきりしゃべるので寝言なのかどうか分からないくらい。しかも寝相が恐ろしく悪く、部屋をいっぱいいっぱいに使っているような有様だ。
どう言うメカニズムか分からないが不眠のサイクルは子供にもあるようで、ある期間はぐっすりと眠っていたのに、いきなり今日から全然寝なくなったというケースも多々ある。子供はそれでも相変わらず元気だが、夜中じゅう付き合わされる親の方が寝不足になりがちで、これから暑くなっても続くようじゃ先が思いやられるよな。

2009-07-01

河川敷のオペラ


雨降って地固まる、じゃなくて雨降って草伸びると言った方が僕にとってはより現実味のある言葉と言える。梅雨前から取り組んでいる河川敷の草刈りも大方は刈り終え、薮のようになって残っている部分はホームレスの2人が住む橋下に面した一角だけとなった。この一角だけは緩衝地帯のようなかたちで残そうかとも考えていたが、葛が文字通り蔓延り加えて野茨の巨大な薮もある為、やはり一度刈り払い河川敷を更新した方が良いと考えて手を付けることにした。ホームレスの人にしたら今まで薮で目隠しになっていたものを刈り払われるので、『余計なことを』と思っているかも知れないが、こちらにすれば彼らの煮炊きの火が薮に燃え移り火災を引き起こす心配や、薮にゴミを捨てられたりプラスティック製のゴミを燃やされることも少なくなると思うので、ここは一つ刈り払って彼らの反応を見ようと思っている。

そこで先週末その鬱蒼とした薮と草刈り機にて闘っていると、どこからか歌声が聞こえて来る。何だろう?と思い草刈り機のエンジンを止めると、それはオペラだった。更に耳を澄まして聞いているとそれはどうやら橋の下から流れているようなのだ。音質からするとラジオ放送のようで、彼らの住処の方を覗き見ると一人が川のほとりに椅子を出して腰掛け、日向ぼっこしながらオペラを聴いているようだった。その瞬間、いま自分が立っているこの河川敷の空気とより調和がとれているのはオペラや日向ぼっこしている彼であって、けたたましいエンジン音を発しながら傍若無人に草を刈り回る自分でないことはあまりにも明らかなことだった・・
僕は急に疲れを感じ、草刈り機を持って河川敷を去ることにした。