2009-07-11

もの言う権利


出張から帰ると『国民生活基礎調査票』なるものが厚生労働省から送られて来ていた。封を切るとアンケート形式の用紙が僕と妻の分の2枚と、所得に関して調査する所得票が入っていた。そして案内の紙には『6月の世帯票にご協力頂いた約5万世帯の中から今回1万5千世帯を選んだところ、お宅様が選ばれました』とある。こんなことは選ばれてもうれしくもなんともないので、さっさと片付けてしまおうと書類に記入し始めると、これがなかなかめんどくさい。源泉徴収票を引っ張り出して来て所得票を記入し、自分の分のアンケートにもさっさと答え、次は妻を呼んで文章を適当に訳しながら説明すると、妻は選択式の回答から『その他』を選び自分の意見を書いてくれと言う。確かに妻の言うことは正しいが『こんなアンケートに対しまともに答えたところで何ともならん』と答えると、『だからあなた達はダメなんだ、なぜこのアンケートを自分の意見を言うチャンスと捉えないのか?自分の意見をちゃんと書かないあなたには政府の悪口を言う権利はない!』と実に手厳しい。妻の言うことは分かる、しかしどうしても政治や政府に対しては諦めが付きまとい『俺一人が言ったところで何ともならへん』となってしまう。だから日本人はダメだと言う妻は正しいのだろう、確かに皆がみな、『何も変わらん』と思って何もしなかったらほんとに何も変わりはしない。それこそ政府の思う壷だ。
『アメリカ人はうるさ過ぎるが、日本人はおとなし過ぎる』とは妻がよく口にする言葉だが、現代日本の一つの病巣として国民の間に『政治に対する諦め』があるのは間違いないだろう。その病気に冒されて自分もまったくの無気力人となってしまっていた。

いま妻が起きて来て『私も日本語をもっと読み書きできたらいいのに・・そうしたら自分の意見がもっと言えるのに・・自分はダメだ』と悔しがっていた。
政府が無作為に送ってよこした調査票も、我が家にとってはそれがもとで大きな問題へと発展する。こんなケースは他の人達と比べたら稀だろうが、ゆえにそのものの抱える問題点が浮かび上がって来ることもしばしばあるのだ。

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