2008-10-31

Halloween


家に帰ると、妻と子供達が暗闇の中でなにやらはしゃいでいる。車を止め見に行くとハロウィーンのジャック・オブ・ランタンをどこに置けばよく人目につくだろうか?と悩んでいる様子。なるほどカボチャのランタンはなかなかのできばえで、その滑稽とも言える形相がろうそくの光に照らされ闇の中でニンマリと微笑んでいる。最近の驚くほどのハロウィーンブームでホームセンターなどでもプラスティック製の様々なハロウィーンカボチャを見ているが、妻と子供達が作ったような本物のジャック・オブ・ランタンは初めて見たな。やっぱりプラスティックや電球とは違い、生のカボチャとろうそくの組み合わせはしっとりとして趣きと温かみがあり、その滑稽な顔にしばし見とれてしまった。妻が言うには実際に自分で作ったのは今回が初めてだったそうで、それにしては上出来だったとすこぶるご機嫌でした。そりゃ今年は春にカボチャの種を播くことから始まり、その集大成が今日というわけでその一連の作業からすると大成功だったと褒めてあげたい。結局お化けカボチャは6個ほどが大きく成長したがそのうち3つが収穫後に腐り、残りの3つをなんとかものにすることができた。今年の経験は非常に役に立ったので来年は更に良いものが穫れるだろう。子供達も大喜びだったので次回はもっと数を増やしてやりたいものだ。

2008-10-30

追加経済対策


麻生君が発表した追加経済対策を見ると、それがこの世界的な景気減速を食い止めるに足るものとは到底思えない。特に定率減税分を現金もしくはクーポン券のようなかたちで国民に還元するというやり方は、アメリカに於いてブッシュ政権が用いた小手先の浅はかな政策でこれによって一時的に景気が上昇したものの、今の現状を見ればその成果がどんなものだったかは一目瞭然だ。それに重ねて3年後の消費税引き上げにまで言及していたが、結局様々な減税措置や減免措置を行なったところで消費税が引き上げられれば、還元されたお金は3年後にはすべて吸い上げられてしまう仕組みでこれこそ現ナマにものを言わせた騙し行為でしかない。
今の国の財政状況を見れば消費税の引き上げがやむを得ないのはよく理解できる。しかし日本式の『ええいままよ!』的な消費税の導入には強く反対し、たとえば妻の実家があったコネチカット州のようにパンや牛乳など日々必要な食料品は無税、衣料類も50ドル以下なら無税でそれ以上のものは贅沢品として課税するといったような柔軟な導入論が出て来るべきだと思う。今までのように公平だと嘯いてすべてのものに一律に課税すれば、富める者は揺るがず、貧しき者だけが失うといった不公平を生み出し、問題になっている格差を更に助長することになる。
子供達の世代に犠牲を強いることは当然ながら望みはしない。それを避ける策が3年後の消費税引き上げだなんてあまりにも単純じゃないか?そんな思考レベルでは消費税をこれからどんなに上げて行こうが根本的な解決には繋がらず、余計負の遺産を膨張させてしまうような気がしてならない。
議員達よ。おまえらは自分の足元すら見えていないのだよ。それで国政を論ずるなぞ、一体何様のつもりだね?

2008-10-29

寝床


最近は毎晩寝る場所が違うといった、おかしなことになっている。と言っても出張で外泊しているわけでもなく、どこかにしけ込んでいるわけでもない。ただ単に家の中で寝る場所をころころ変えているだけのことだ。なぜそんなことになっているかと言えば、次女の夜泣きが主な原因なのだ。この夏から子供達は自分達の部屋の2段ベッドで寝るようになっているが、真夜中頃になると次女が必ず夜泣きを始め、妻が添い寝してやらないと大泣きになって長女までも起してしまい、とんでもないことになる。夜泣きがひどくないときは少しあやしてやればそのまま眠りに戻るが、おさまらないときは僕達の布団に連れて来て添い寝をしてあげないといけない。そうなると妻よりだいぶ寝るのが遅い僕が部屋に入ったりする音でせっかく眠りについた次女が起きてしまい。妻にたいそう叱られる。それを避けるために次女のベッドで寝たりするのだ。
更にもう1つパターンがあって、長女も真夜中頃にオシッコに起きて来て用を足した後これも必ず『寂しいから一人で寝たくない!』と言って僕達と一緒に寝たがるのだ。一緒に寝るのは構わないが何せ長女は僕譲りですこぶる寝相が悪く、蹴られるわパンチされるわ登ってくるわで、ちっとも落ちついて寝てやいられない。そこで布団は妻と長女に明け渡して僕は部屋の隅にシングルの古い布団を半分に折り、幅60cmほどの寝床をこしらえて、そこでおとなしく寝ているのだ。たいていどこでもぐっすり眠れる質なので何ら問題はないが、暗闇の中で目覚めた時、一瞬自分がどこに居るのか分からなくなることがあり、その時の違和感だけはどうも馴染めないな。

2008-10-28

評価


今日、会社で同僚との話の折、それぞれの個人に対する会社側の『評価』の話題になって、激しい違和感と反発を感ぜずにはおれなかった。そもそも会社側が所属する人間に対して点数付けするかたちで『評価』を下す事自体、傲慢で何様のつもりだと言いたくなるが、大きな組織として個々を管理する合理さから見ると、数値として把握するやり方は仕方の無いことなのかも知れない。ただし、一体誰が何に基づいて行なうか?ということが不透明な状態では公平さに欠けるであろうし、判断する者の主観が入った状態に於いてはその結果に疑問を呈さずにはおれないだろう。それぞれの個々を数値化する者は相当の度量と客観さが求められるが、その人物にそれだけの器があるか?と言うことになればそれはどだい無理な話で、とどのつまりくだらないことなのだ。
自分の行動について『評価』を下せるのは自分しかない。と、これこそ傲慢だろうがそう考える僕にとっては会社側の『評価』なぞ不愉快千万だし、どうでもよいことのなのだが、そういうことを常に頭に留め置いて作業する人間がおそらく会社側が最も欲しい人間なのだろうし、この日本の矮小な『会社』というシステムの中では『できる』人間なのだろうね。
まったく興味がねえや、そんなことにゃ。

2008-10-27

リフレッシュ完了!


リフレッシュしたと言っても自分のことではない。全く色気がないが高速道路の話だ。今日も焼津へ出張せねばならず、いつも通り7時に家を出て途中で同僚をひろい8時頃高速に乗る。一路豊田JCTを目指し伊勢湾岸道をひた走るが、いつもよりトラックなどが多くガラガラという感じではない。工事中最も激しい渋滞区間だった豊田JCT付近も今日は何のこともなくすんなりと東名高速道と合流し、そのまま流れにのって東を目指す。休憩で立ち寄ったサービスエリアは工事中は驚くほど車が止まっておらず、レストランの店員達もヒマを持て余しているようだったが、今日は一転凄い混雑でスターバックスなどでは待ちの行列ができるほどの賑わい様。ずいぶん変わるもんだな・・と思いながらサービスエリアを後にして目的地焼津に着いたのが10時だった。工事中と比べるとなんと2時間の差だ。そんな長い時間を先回、先先回と渋滞にイライラしながらただ車に乗って無駄に過ごしてしまった・・なんともったいないことだろう。
2時間も早く着いたおかげで仕事するにも余裕ができてほぼ午前中で作業終了。1時半頃に現地を出ると渋滞のない東名高速道を快適に飛ばし豊田JCTへ、ここから先はもう混むことは無いのでひと安心。その後、同僚を降ろし結局自宅に着いたのが5時少し前。いくらリフレッシュ工事が終了しすんなり移動できると言っても片道3時間はかかるんだな・・そりゃ疲れるわ。

2008-10-26

贅沢なる悩み


我が家の敷地外を開墾し畑にしたところは思った通り土が肥えていて、そこに播いた菜っ葉の生長がすこぶる良い。その成長速度は異常に早く、なにか菜っ葉が地面から一気に吹き出して来た!と言うような印象だ。それはそれで大変ありがたいことなのだがここに来てハタと気がついた。これじゃいくらなんでも混み過ぎだ、すぐらねばと。菜っ葉の種を地面に直播きするのは今回が初めてだったので、発芽しない種も結構あるのだろうと畝全体に満遍なく播き、少し種が余ったのだがどうせとっておいても古くなって発芽率が下がるので使ってしまえと、一度播き終わったところへ再度種をまいたので超過密状態になってしまった。しかも発芽率は相当良くまばらに発芽すると思っていたものだから、今のように手も入れられぬ程の混み様は想定外。これを見た妻からも『Oh,my god!』のひと言をもらい、もっとすぐるように!と命令されてしまった。この調子で菜っ葉が成長を続けると、よほどがんばって食べないと処理しきれなくなってしまう。アオムシ・イモムシ・アブラムシも参戦して頑張ってくれているが、菜っ葉どもの勢いはそんなもんじゃないさね。そんなわけで、今の主食は菜っ葉です。健康的か?

2008-10-25

2歳


今日は次女の2歳の誕生日。アレルギー体質に生まれ、口にできないものも多々あるがここまでは大きな怪我や病気をすることなく、小柄ながらも元気いっぱいに育ってくれて本当にありがたく思っている。アレルギーの方も不摂取療法を心掛けながら半年に一度ほどのペースでアレルギー検査を受けているが、大きくなるにつれアレルゲン反応も少しずつ改善されているようで、このままいいペースにのっていずれ無くなってくれないものか?という甘い期待を持っている。
卵、乳製品が口にできない次女のために妻が特別レシピを取り出して来て、対アレルギー仕様のチョコレート誕生日ケーキを作り、晩ご飯後にHappy Birthdayの歌を皆で歌いながら2歳の誕生日を祝ってあげた。このチョコレートケーキが次女が口にする生まれて初めてのチョコレートでもあり、それはそれは美味しそうにケーキ表面のチョコばかりを嘗めておったわな。

誕生日おめでとう。

2008-10-24

円急騰


いやあすごいね、1ドル90円とはね。これじゃあ輸出関連企業のダメージは相当なものだろう。と言っても反対に輸入品は値下がりするわけで、短絡的に見ればこちらの方が僕達にとっては恩恵があるような感じはするが、実のところ輸出の不調がめぐりめぐって僕達に悪影響を及ぼす可能性も高いわけで、このグローバル化されつつある世界経済にとってみれば、どこで?なにが?どのようにして作用するか予測もつかぬ有様で、最近の景気後退の勢いを見ると本当に大恐慌になってしまうやも知れず、日々大いに気になるところだ。
そういえば10年前、旅に出る時に用意したドル建てのトラベラーズチェック(今でも使う人おるんやろか?)が換金せぬまま結構な額分残っており、その当時1ドル116円の為替レートで購入したので今換金すると大損をすることになる。でもねえ、まさかここまで円高になるなんて考えてもみなかったな・・。僕の予想では今後日本は世界的な経済レースで競争力が低下してゆき、それに伴って円が売られ円安が進行すると考えていた。だからトレベラーズチェックも長年ほったらかしでもそのうち換金すりゃーいいや、なんて思っていたらご覧の通りだ。ま、別に今換金する必要も無いのでまた10年くらい置いておけばそのうち円安になる時も来るだろう。その機会を逃さずに換金するベえか。

2008-10-23

kids


子供達をお風呂に入れるのは僕の担当と決まっていて、毎晩ワイワイジャブジャブとやりたい放題!お風呂に入れると言っても湯船にはほとんど浸からず、水遊び感覚でおもちゃを一杯浮かべそこら中に湯をぶちまけている。下の子などは僕が頭を洗っているとニコニコしながら『Look!Daddy』と風呂の栓を見せるやんか!『だから抜いちゃーいかん言うとるでしょ』と、まあほぼ毎日がこんな感じだ。
上の子は幼稚園に行くようになってからいろんなことを学んで来るようになって、とんでもないことを言い出したりしてびっくりするときもあるが、今日もお風呂で『へんな神様の言う通り・・』と歌い出した。思わず『それって、天の神様の言う通りじゃないの?』と突っ込むと、『Daddy、テンなんて分からへんもん』とまた『へ〜ん〜な〜か〜み〜さ〜ま〜の〜』と歌い出した。ううむ、ある意味子供は鋭いな・・と思いつつ、なんか無性におかしくて一人でウケておりました。
下の子も明後日で2歳になる。あっという間に立派な子供になってしまったな・・。
今は子供と一緒に居るときが一番楽しいや。

2008-10-22

さあチャージ?


ここのところ原油価格の下落が著しく、それに伴ってガソリンもジリジリとだが値を下げている。一時期180円に迫ったのが今では145円前後だから、毎日通勤で往復70kmを走る身にとってはうれしいが、今までが石油バブルで高過ぎたのだ。実態経済に見合っていない価格の設定が異常であり、今は正常値に戻りつつあるという所だろうか。
全般的に値下がり傾向にある燃料費の中で未だに高止まりを決め込んでいるのが、燃油サーチャージだ。この根拠を伴わない航空会社がやりたい放題の不可解なシステムは、ひどい路線になると航空運賃よりも高く設定してある所もあり、しかも航空運賃に子供料金設定があるにも拘らず燃油サーチャージは子供も大人も一律に徴収されるという理不尽さ。今晩のニュースでJALの人間が『航空運賃の値下げは来年1月以降に行なう』と言っていたが、クリスマス時期から正月にかけてはいちばんのハイシーズンやんか!ハイシーズンが終わってから値下げだなんて、この期間中に儲けてやろうという魂胆が見え見えでそれがいちばん腹だたしい。
とにかく燃油サーチャージは即刻廃止すべき。

2008-10-21

弱者


あらゆる立場に於いて『弱者』は存在するが、その中でも経済的弱者の気持ちはよく分かる。長い旅に出る前の数年と帰国後の数年は派遣(その頃製造業に関しては派遣は禁じられていたので「業務請け負い」というかたちをとっていた。もちろん違法だ)社員として、正社員と何ら変わらぬ作業をこなし真面目に働いていた。受注が多いと納期に間に合わせるため連日連夜の作業が続き、それはそれで稼ぐことはできたが仕事が少なくなると3ヶ月ごとの更新がされず、『もういいよ』なんてあっさり仕事を切られることも何度か経験した。その時に感じた空しさは味わった者にしか分からないだろう。それまでは『頑張ってるね』とか『頼りにしてるよ』なんて言われていたのにそれがあっさりとクビなのだ・・。そりゃ、自分の能力を疑うさ。『オレは何もできない不必要な人間なんじゃないか?』ってね。会社のヤツらを呪ったよ。お前らにもいつかこの思いを味あわせてやるとね。僕は決して会社を信じない。忠誠などない。会社とは利用するものだ、と思っている。今でこそ派遣よりはいくらかましな身分になってはいるが、不安定なことには何ら変わりがない。会社は僕らを必要なときはちやほやし、業績が鈍って来たらクビを切るだろう。そんなことにはもう慣れた。失業し職を探さねばならぬ惨めさは考えるだけで辛いが、僕らは生きねばならないのだ。僕は今35だが、いままで一度も正社員になったことが無い。なりたいとも思わない。そんなことはどうでもいいことだ。自分を使ってくれるところを探しちゃいけない。自分が使えるところを探すんだ。しかしそれも最近の景気減速で難しくなっている。トヨタを支えて来た多くの契約社員が有無を言わせず職を奪われ路頭に迷い、その数は日に日に増すばかりだ。彼ら彼女らの空しさは、憤りはどこに向かうのだろう?行き場と希望を失った者達の叫びはネットカフェの闇に消え、とんでもないところで爆発する。その闇の力に方向性を与える者が現れた時、果たして歯止めをかけることができるだろうか。それが最も恐れていることだ

2008-10-20

急がば回れ


今日も三たび焼津へ向かう。しかし先週から始まった東名高速道路のリフレッシュ工事は今週も引き続き行なわれており、伊勢湾岸方面からから侵入を試みるも豊田JCTは凄まじい渋滞で全く動かずそうそうに見切りを付け、いったん東名を横断し豊田東ICまで出て高速を降り、そこから下道を走って再び岡崎ICから東名に乗るという小技を効かしてなんとか渋滞の直接の影響を避けることができた。
途中反対車線の下り線ではひどい追突事故が発生したようでトラックが一台大破しているのが見え、その後を未曾有の数の車が延々7kmほども続いていた。こりゃ〜今日もひどいことになりそうだと、現場での仕事はさっさと片付けて一路西へ向かう。先日と今日の事故風景の結果を踏まえ、なんとか渋滞に捕まらずに行く方法は無いものか?ということで、今朝と同様いったん高速を降りて下道を走り再び高速に乗るという方法を採用。結果的に下道の方が車の流れもよくイライラせずに問題区間をやり過ごすことができたので、まずは成功だな。ここの混雑を解消できたら後は怖いモノなし。と言ってもリフレッシュ工事中にはもう行かんだろうから関係ないか・・

2008-10-19

メダカ泳ぐ川


素晴らしい青空のもと、相変わらずどこへも出かけず畑の手入れやら、草取りやら、その他諸々の庭仕事を『手伝いたい!』と志願した上の子と一緒にひとつひとつこなしてゆく。最近上の子は虫取りに凝っているようで、僕が作業している手元から飛び出して来たバッタやコオロギ、ダンゴムシやミミズはたまたカエルまでもを捕まえては虫かごに入れて妻に見せに行く。虫嫌いの妻は『ギャー!』と騒いでいるが『これも通らねばならぬ道なのだよ』と澄まして言ってやると、噛み付かれたのは言うまでもない。
2週間ほど前に我が家の前にある川のススキや葛の生い茂った河川敷を切り開き、川面が間近に見える位置まで行けるようにしておいたが、今日上の子を連れて川の様子を見に行くと水深浅く、上流から流れて来たホテイアオイが繁殖しているその陰でメダカの群れを見ることができたのだ!最近まで水質の悪いことで知られたこの川でよもやメダカを見れようとは思いもせず、思わず昂奮して上の子に『あそこに魚がいるのが見えるかい?』なんて言ったら、『どこ?どこ?どこなの?』とキョロキョロしながら一所懸命探していたな。確かにこの川でオイカワやハヤを見るようにもなっていたので水質的にはずいぶん良くなっているのだろう。メダカなんて子供の頃にはどこにでもいて、さんざ捕まえて来たがこうやって川で泳いでいる姿を見るのは久しぶりだ。このまま水質が改善されてゆけばいずれ鮎も遡上して来るんじゃないかな。そうなるとほんと素敵だよね。

2008-10-18

木を育てること


拾って来たドングリから育て始めたクヌギの苗木も50cmほどに成長し、今では植木鉢を動かそうにも根が鉢を貫いて直接地面に張っているので簡単に動かせなくなってしまった。苗木はクヌギの他にモミジ・樟・モチノキ・欅・枇杷・メグスリノキなどいろいろあって、それぞれが30cmにも満たない大きさだが個性的で今後の成長が楽しみだ。苗木はドングリのように実生から育てたものもあるが、その他は山を歩いていてふと目についた木の、根元付近に生えていたその木の子孫と思われるものを採取して育てているもので、その時は何の木か知らず後で図鑑で調べて『この木かな?』と分かることもしばしばだ。
最近この苗木達を見ていて思うことは、十分に成長できる場を与えてさえやればぐんぐんと成長し、僕がこの世にいなくなった後も何十・何百年と生きるんだなあ、ということ。そう思うと何か寂しいような感じがするが、そもそも自分が生きている理由が『いのち(生命)をつなぐこと』だとすれば、しっかりと自分の役割は果たせたわけで自分を全うできたことにはなるな。とにかく育て始めたからにはすべての苗木にチャンスを与えたいが実際問題植える場所がないんだよな・・こうなったら堤防下の平場を更に拡張してそこにクヌギの森をつくってやろうかね。

2008-10-17

晩飯ひとり


今日も会議で遅くなり、家に着いたのは11時前。既に皆は寝て静まり返ったLDKのテーブルには晩ご飯がひっそりと置かれ、おかずの唐揚げは猫にかじられ皿から転げ落ちていた・・。ニュースを見ながらぽそぽそと冷や飯を喰らい、子供達のいない静かすぎる食卓に物足りなさを感じながら、いっぱしのサラリーマンになりきってしまっている自分に苦笑する。20代の僕からは想像できないような、今のある意味安定してしまった生活にどっぷり浸かってしまっている自分に『これでいいんだろうか?』と問いかけつつ、かと言って他の行動を見せる訳でもなく、完全に守りに入っている自分の変わり様に自分がいちばんびっくりしとるさね。

2008-10-16

リフレッシュ?工事


今日も焼津市への大遠征。ところが今は東名高速道路のリフレッシュ工事の真っ最中で大渋滞を覚悟しての出発となり、高速にのったのが8時過ぎ頃。まず豊田JCTの合流地点で大渋滞に巻き込まれ1時間をロスし、その後も断続的な車線規制で結局焼津に着いたのが家を出てから4時間半後の11時半。さかなセンターそばのこじんまりとした食堂で700円の豪勢なランチを食べ、さっそく任務に就くも仕事の段取り悪く思うように進まず現場が終了するギリギリまで作業して今日のところはいったん退却。焼津を4時40分に出発し西に向け快調に飛ばしていると岡崎の手前でこれまた大渋滞に遭遇し、全く進まない。僅か5kmを進むのに1時間以上もかかり、これでは歩いた方が早いかも。くたくたになって渋滞を抜けたのが8時過ぎで、我が家についたのは10時少し前。往復で9時間近くも運転していたことになり、ほんとげっそりしました。また月曜に出向かねばならず、そのときもリフレッシュ工事は続行されるようで今日の二の舞いの可能性も大きく、行きたくはないのだが致し方のないこと・・運を天に任せこちらはひたすら走るのみ、か?

2008-10-15

クメールの涙


タイとカンボジアが再び銃火を交え、今回はカンボジア側に2名の死者が出たという。これにより益々両国の関係は険悪化し、もっと大規模の衝突が起きる可能性も孕み事態は予断を許さない。先日もこのような銃撃戦が起きたばかりであり、今回のケースは予測ができたというものの両軍ともあまりにも短絡な行動と言わざるを得ない。そもそもこの騒動の発端は両国の未確定国境線上にあるヒンドゥー教寺院『プレアビヒア』周辺の領有権争いによるもので、お互いに相手国の国境侵犯と先制攻撃を主張し非難し合うと言う、まるで子供のケンカのような呆れた状態だ。カンボジアにしてみれば政局が混乱しているタイの隙を突いて寺院周辺を実行支配し、プレアビヒア一帯の領有の既成事実化を謀りたいのであろうし、タイにしてみれば混乱する政局に対する国民の目をそらすには絶好の機会と捉え、大義名分を謳ってプロパガンダを盛んに行なって来るに違いない。まあ、いずれにせよその昔巨大な王国を築いたクメールの人々の建てた一寺院をめぐって現代の両国が争うなんて、どうしようもなくくだらない話だ。

2008-10-14

診断結果'08


先日受けた健康診断の結果が送られて来た。去年のこともあるので少し緊張して封を切り、診断票を広げてみると『異常なし』という文字が踊っていた。安心して各項目の内容を1つずつ見てゆくと、どれもいい成績で来ているようでホッとした。ここ最近は以前のように現場に出て大汗かいて作業する機会もめっきり減り、どうしても運動不足になりがちだったので何かが引っかかるかも知れないとは思っていたが、毎週末に自宅の庭や畑で激しい修行をしているのが功を為して今回の好結果に結び付いたのだろう。この調子で適度な運動と普段の節制を続けてゆけば来年も好結果が得られる(得られれば・・)のではないか?と考えるが、それは幻想か?

2008-10-13

複雑怪奇


僕の携帯は上の子がまだ妻のお腹の中にいる頃に購入したものなので、そうだな使い始めてもう5年にもなる。さすがにこれだけの長期になるとバッテリーの容量が減り、2通話ほど話すとすぐにレッドゾーンに突入し会話中に切れてしまうこともしばしばだ。いくらなんでもこれじゃいかんわいと、久しぶりにショップに行ってあれこれ携帯を物色し見積もりを聞くと、昨年妻が機種変更した時と比べて携帯本体の値段が驚くほど上がっている。もちろん契約の種類によって値段の変動はあるが、例えば2年間使用したと仮定して計算すれば、2つの大まかな契約の種類の値段差はほとんど無い。それをベースにして考えても僅か1年でここまで値上がりするとは思いも寄らなかったことだ。確かに携帯本体の持つ機能から見れば平均4万〜5万する値段も理解はできるが、純粋に電話するだけにしか使わない者にとってはすべてが必要のない機能でその分安くしてくれと思うのだがね・・
僕の家族はたまたまauを使い始めたのでそのまんまauだが、いざauからsoftbankなどに鞍替えしようと思っても、様々な割引サービスの絡みなどでポンッと変えれるわけでもなく非常に不親切だし、そもそも契約そのものが複雑過ぎてどの方法がお得感があるかなど、わざと分からないようにしているのでは?と疑いたくなる。加えて各メーカーの機種も見て回ったがどうも僕は今流行のスタイルは好かんな。結局1つを購入候補にしたものの、機種本体の値段も5万近くもするため取り敢えず保留にしといて再度出直すことにした。
そうは言っても僕の携帯は日々劣化しつつありうまく繋がらんときもあるので、残された時間は少ないはずだ。

2008-10-12

ローン金利


この家を購入したと同時に膨大なローンを抱え、当初は70歳になるまで毎月返済し続けなければならない設定になっていたが、ある程度お金の出し入れの予測がつくようになってからは手元に置いておくお金は生活資金+緊急時の備えだけとし、残りはできるだけローンの返済に回すように心掛けて来た。昨日も久しぶりに銀行を訪れ幾ばくかのお金を追加返済して来たが、これで返済期間は2年短縮され今まで返済した分を含めて残り23年となった。これで60歳までにはすべてのローンが完済できる見通しとなり、そうなってくれればな・・と思う。
昨日銀行へ行った時に『僕らが借りた時に比べ金利はどうなっているか?』と聞くと、3%ほどだと言う。それなら僕らが借りたときとほぼ同じなので、今のところ借り換えの必要もなく良かったと話してはいたが、昨今の金融不安の動向次第ではどうなるか分からず余談は許さない。ただし、僕らがローンを組んだときは政府主導のゼロ金利政策が解禁された直後でもあり、そもそも金利は底値に近かったので今以上の大きな金利の下げは考えられず、その点では少しは安心できるかな?とも思っている。
それにしてもだ、携帯電話の契約内容と同じくローンの仕組みは複雑怪奇で、敢えてこんなに難しくして客を麻痺させて上で契約させているような気がしてならないが、どうだろう?

2008-10-11

娘とオープンドライブ


毎週土曜の午後はロードスターにガソリンを入れにいくことになっている。今日は珍しく英語のクラスを終えた上の子が一緒に行きたいとせがむので『よし、じゃあDaddyと一緒に行こうかね』と、助手席にチャイルドシートをセットして準備完了。そうだ、今日はお天気も良いのでオープンにして走ろう!と幌を開けると、娘は驚いた様子で『Daddyの車、屋根が開くの?』と聞く。そういえばまだ娘達を乗せてオープンで走ったことはなかったな・・う〜ん妻も無かったかも?などと思いながらMaroon5の曲を娘が乗っているのでおとなしくかけていざスタンドへ。秋の爽やかな空気の中、国道を西に向け流すとやはりオープンは気持ちが良い、娘も楽しいらしく両手を空に突き上げて何かを口ずさんでいる。ロードスターを買うとき、娘を隣に乗せてオープンで走れたらさぞ楽しいだろうなと想像していたが、それが今になってやっと実現できたことになる。普段は家族で移動するし安全面からもロードスターは避けて来たが、たまにはこんなこともあっていいんじゃないかな。それにしても2シーターの車にチャイルドシート載せて、しかもオープンで走っとるヤツはそうそうおらんだろう。だからこそ敢えてやるということに『遊び』があると感じるのは僕だけだろうか?何よりも娘が喜んでくれたのがうれしかったな。

2008-10-10

いろいろなことがあった日


平凡な日々の繰り返しに思える日常の中にも山や谷はあるもので、今日はそんな典型的とも言える一日だった。
まず先週に引き続き静岡県までの大遠征に向かうべく高速道路を走り始めた頃のこと、車線変更をした直後に『ガコーン!』と衝撃が走り『なんだ?!』とサイドミラーで左後方を確認すると、左後輪付近から白い煙が吹き出しとるやんか!一瞬タイヤがバーストしたか?と思い、すぐに路側帯に車を待避させ後続車に撥ねられぬよう注意しながら状況を確認すると、タイヤの下から針金というには太く鉄筋というには細い金属の棒が顔を出していた。コイツが衝撃の原因らしく信じられないことだが車のフレームに何万分の一の確立でこの棒が引っかかり、タイヤと接触してタイヤを摩擦で焼き切ろうとしていたようなのだ。立ち上った白い煙はこの時の摩擦で生じたもので、辺り一面ゴムの焼ける臭いが漂っていた。
同僚がJAFのメンバーだったため救援要請をすると、現場到着まで約50分かかると言う。車の状態はタイヤを交換すれば行けそうなので自分達でやるべく作業に取りかかるが、こんな時に限ってスペアタイヤの格納してある後部荷台はブルーシートなどの荷物が満載で、高速道路の路肩に荷物を下ろすことから始めなんとかタイヤの交換を終了した。被害のタイヤはバーストはしていなかったものの鉄の棒で表面は焼き切られており、この状態で静岡まではとても行けない。そこで一度会社に戻り後輪をスタッドレスに交換してリベンジの再出動。だいぶ時間的にロスをしたがなんとか静岡にたどり着き任務を完了することができましたとさ。
高速道路でこんなアクシデントに見舞われる機会は少ないので、今回のことは運は悪かったが良い経験にはなったな。

さて次は仕事帰りでのこと。往復500kmに及ぶ大遠征に疲れ果て家路を急いでいると、堤防下の側道で僕の前を走っていたワンボックスカーの前に突然猫が飛び出して、車も避けることができずに撥ねてしまった。もんどりうちながら猫が僕の車の前にも転がって来たがなんとか轢くのは避けたものの、上を通過するときは仰向けになった猫の足が車の底に当たったような感触がした。そのまま通り過ぎたものの心配になって車を安全なところに止めてから歩いて戻って来ると、その猫が道路上に横たわっていた。猫は黒猫でペルシャ猫のような長毛の美しく柔らかい毛並みを持ちまだ若い猫だと思うが、残念ながら既に事切れていた・・どうやら撥ねられた時の衝撃で全身の骨が砕けてしまったようだ。猫の様子を見るとおそらくこの近所の飼い猫と思われるので、そのまま路上に放置するのも忍びなく抱きかかえて道路の横のよく目立つ場所にそっとおろして、手を合わせて冥福を祈ってあげた。夜が明ければ近所の誰かが見つけて飼い主の手に戻ることができるだろう。僕ができるのはここまでだ。黒猫を抱き上げた時、そのむくろはまだ温かくその感触がいつまでも僕の手に残り無性に悲しくなって来た。何もあのタイミングで飛び出さなくても・・と思っても、もう遅いのだ・・

沈む気分を励ますべく大音量で音楽をかけながら家路を急ぐと、車に取り付けたレーダー探知機が作動していないことに気がついた。どうやら壊れてしまったらしい。年代物だからどうってことはないが、なんで今日なんだろ?

今日はほんとに長い一日で、いろんなことがありました。まったくもって疲れたよ・・

2008-10-09

突破


ETCのゲートを通過したことはまだ数回しかないというのに、今日はいきなりゲートを突破し、後続車に多大なる迷惑をかけてしまった。というのも現場に到着するまでの行程では何ら問題なく通過できており、しかもカードを差したままにしておいたので帰りの行程でよもやゲートが開かないなんて予想だにしていなかった。ために何の疑いもなく前を走る車に付いてゆくかたちで40kmほどの速度で侵入したところ、いきなり目前でゲートが降りて来たわけ。もちろん急ブレーキを踏んだが間に合うはずもなくバコーン!とゲートを弾き飛ばし、『何でや?!』と動揺しつつも車を端に寄せ、料金所の係員が出て来るのを待つ。すぐにスタッフが飛び出して来て慌てふためきながら倒れたゲートを直し(すぐに復旧できるように工夫されているようだ)、正常に作動するようにしてから僕の車まで通行券を持って来てくれた。こちらは『すんませんでした』と詫びを入れたが、この係員はとても人が良いようで『大丈夫だった?この通行券をETCカードと一緒に一般ゲートで出せば割引きくからねー』と明るく送り出してくれました。
さて、ゲートが開かなかった原因はと言うと、会社の車のETC車載機はダッシュボードの中に設置してあり、ここに現場周辺の地図をプリントした紙を入れていたのだが、何かの拍子にその紙が車載機のイジェクトボタンを押してしまいETCカードが抜けてしまっていたようなのだ。そういえばETCゲートに侵入直前に警告音らしき音が鳴るのが聞こえたが、その時はあまり気にしていなかったのでカードがセットされていないと気づくまでには至らなかった。まあ、そうは言っても車が傷ついたり何かを壊してしまったわけでもなく、後続車と係員に迷惑をかけたくらいで済んで『良い経験になりました』という程度かな。一度突破してしまえばゲートなんて怖かないさね。

2008-10-08

ドングリ病


どうもドングリを見つけると我慢できないな・・。今日もある現場の助っ人に出向くと、一面にぎょうさんのドングリが落ちているではないか!仕事なんかそっちのけで拾い集めていると、これがなかなかどうしてまんまるとした美しいドングリなのだ。さらにもっと美しいドングリを手に入れようとくまなく歩くがそんな粒ぞろいのものはそうそうありゃしない。そこで上を見上げると、まだ落ちていないものが結構残っている。ならばと幹を思い切り蹴り、いくらかは落ちて来ぬか?と期待するが大木を蹴ったところで自分の足が痛いだけ。そんな僕の姿をみて同僚が形のよいドングリがたくさん落ちている場所を教えてくれたのだ。さっそく見に行くと一分の隙もない豊かな形をしたドングリがそこ此処に落ちており一気にヒートアップ!バケツを持ち出して集め始めるとかなりの量になったな・・
家に帰り子供達にドングリを見せながら自慢してやると、上の子が『Daddy、なんでそんなにドングリとって来たの?』と聞いてくれたくらいで、下の子は何の反応も示してくれなかった・・。もちろん妻は呆れ返り『一体どーすんの?』と聞く程度。そうか、我が家族にはこの僕の喜びが分からないんだ・・と寂しくなったがそんなことはどうでもよい。僕にはこれからこのドングリを選別して育てるという使命が待っているのだ。
しかしこんなことを続けていると、そのうち我が家はドングリ屋敷になってしまうな。
ま、それもいいんじゃない?

2008-10-07

緒方拳、逝く


あれは僕が二十歳のときだったと思う。その頃僕は写真学校に通い、自分の作品作りに没頭していた。そんな時学校の近くの百貨店で緒形拳のシルクロードシリーズの個展が開かれると聞いた。学校の授業の一環として『復讐するは我にあり』や『楢山節孝』を観て、この俳優は凄いな・・と思っていた時期でもあり、作品制作を早めに切り上げて個展を見に行ったのだ。そして彼の個展を見ている時、なぜそう思ったのか今でも分からないが、急に自分の作品を緒形拳に見て欲しいと思い始め、だんだん呼吸も速くなり緊張感が高まって、こうなったらダメもとでぶつかってやろうと、たまたまその日来館していた彼に『写真を撮っている者だが作品を見てもらえないだろうか』と面会を求め、マネージャーか誰かが『今は忙しいので・・』と断ろうとしたのを彼が制止して『どれ、見せて下さい』と僕の作品にひと通り目を通し、舞い上がってしまっていた僕に『いいですね、頑張って下さい。また会いましょう』と声を掛けてくれた。
彼に自分の作品を見せてどうにかなるとは思っていなかった。彼の批評が欲しいとも考えなかった。ただ単に彼に自分の作品を見てもらいたい。それだけを望んでいた。それは何の根拠もない思い込みだったのは確かだが、その時の僕には欠かせない行動だったに違いない。

そんな懐かしいことも今朝のニュースで彼の訃報を聞くまではすっかり忘れており、今思い出しながらその頃の自分の野心に満ちた無鉄砲さに『ほんとにあれは自分だったのか?』という違和感を感じ、変に落ち着いてしまっている今の自分に対しては物足りなさを感じてならない。

アクの強かった個性的な俳優の死に  黙祷

2008-10-06

挨拶しない子供たち


小雨の降る中、いつもより少し遅めのJackieの散歩に出ると向こうから小学生のグループが歩いて来た。『そうか、今頃が登校する時間なんだ・・』と、そのままグループの方へ向かいすれ違う時に『おはよ』と声を掛けたが、こちらが小声だったせいか?はたまた子供達が傘をさしていてうつむき加減に歩いていたから気づかれなかったのか?それとも子供好きなJackieが誰彼構わず喜んで飛びつきに行ったから返事がなかったのか?ただ単に挨拶しなかったのか?いずれにせよ5〜6人いたのに誰1人として挨拶を返さなかった。いつもなら『こら!挨拶せんか!』と厳しく叱るのだが、なぜか今朝はそんな気にはならず黙って通り過ぎてしまった・・このことを今は非常に悔いていて、こんなもの申さぬ大人が更にもの申さぬ子供らを増殖させているのだと深く反省している次第。家に帰ってから妻にそのことを話すと『知らない人に声を掛けられても返事をしたらいかん!と学校で教わってるからじゃないの?』と、こともなげに答えていたな・・。確かにそれもあるかも知れん。
ただ、今朝の小学生グループはウチの近所の子供達だったはずで、それが叱り飛ばすのを控えた原因の1つでもあるが、その子供達の親や祖父母達もどちらかというとこちらが挨拶しても気持ちよく挨拶を返さぬ者らなので、親の影響が子供達にも少なからずあるのだろうな、と思ってしまう。そのグループにウチの子らも数年後には入ることになるだろう。そのとき自分だけでも必ず挨拶をするように、と教えてゆこうと思う。当然のことだが、その当然のことを勇気を持って行なうことが一番難しく、そんな些細な勇気さえも出せない人(精神的に病んでいる人は除く)で巷は溢れているのだ。

2008-10-05

再拡張


今週末も更に畑を拡張せんと妻のカボチャが占めていた辺りに鍬を打ち込み、掘り返してはススキとスギナの地下茎を取り除く作業に明け暮れる。雨は意外と早く午前中に降り始めて『まいったな・・』と思っていたが、雨脚は弱くしとしと雨程度なので濡れるのも構わずそのまま作業を続け、昼食後もなんとかできそうな案配なので日が暮れ手元が暗くなるまでひたすら鍬を振り回し、想定以上の仕事量をこなしてある種の達成感を感ずるとともに心地良い疲労感を覚えている。
今回拡張した畑の半分は法蓮草を播くことにして、残りの半分は僕がいろいろなところから集めて来た木の苗を植えて、その成長の過程を見守っていこうと思っている。まあ、見守ると言っても小さな苗だけでは一体どんな木になるのか見当もつかず、それがまた楽しみでもありやりがいでもある。

2008-10-04

城にありて思うこと


今週末で城山に張り付いた第一次工作隊は作業を終了し、素図として取り敢えずの成果を提出することになっている。作業が始まってからの
一ヶ月間ほぼ毎日城に登城し、城山を隈無く歩き回り、城の表の顔そして裏の顔を見て来たが、見れば見るほど謎は深まり往事の姿をこの目で見たいと言う願望が強くなるばかりだ。今は草木に埋もれ判然としない一つ一つの痕跡には古の人々の魂が宿っているようで、一見するとただの岩肌も敵が容易に登れぬよう鑿で丁寧に面取りを施し、横矢掛け、犬走りを設け防御力を高めようとした努力が散見され、鬱蒼とした森の中にひっそりと佇むこれらの遺構を前に1人鉈を片手に息を荒げていると、まるでその自分の息づかいが遠き戦国の世の武者らの息づかいと同調するような妙な感覚に陥り、これも6度落城したというこの城の持つ霊気よるものか・・と思ったりもするのだ。
廃藩置県に伴う城の破却や度重なる大地震により現在の姿となったこの城の、覆い隠された本当の姿はすべて森の中に埋もれている。極言すれば戦国の世の武者らの魂は今に残る天守や櫓の中などは存在しないのだ。彼らの魂は岩山を穿った堀切や竪堀、腰曲輪や犬走りといった目立たぬ場所に存在し、今でも城を守っている。我々に課された任務はこの城山に宿るこれらの魂を感じ取り、それらを図化し後世に残すことだ。

2008-10-03

バリウムの洗礼


健康診断の指示書に従い昨夜9時から断食修行に入り、10時の健診開始までは真面目に何も(水さえもだ!)口にせず検査に臨むという気合いの入れようで、あまりに気合いを入れ過ぎ緊張して脈が速くなったようなので待ち時間の間にセルフ式血圧計で測ってみると、案の定自分としては高い数値が出てしまった。取りあえずその測定結果はもみ消すことにして呼吸を整え気を落ち着かせることに専念する。
いよいよ検査が始まりベルトコンベア式に視力→血圧→身体測定→検尿→採血→触診→聴力→胸部エックス線→胃腸部エックス線とテンポよく進んでゆく。胃腸部エックス線室に入るとエックス線技師がこれを飲めと白い粒剤を渡し、すぐに水で流し込むようにと言う。技師が言うには発泡剤でゲップが出そうになるがこらえよ!とのこと。ウウップとなりながらエックス線照射台に上がり、今日のメーンイベントのバリウムに手をかけたところ、突然男が乱入して来て『57番よ(ここでの僕の名だ)しばし待たれい!』ときた。『そもなんぞや?』と聞くと、腹部検査の工程を飛ばして案内してしまったという。『バリウムを飲む前でよかったです。飲んだ後ではアウトでした。すいませんでした』と詫びを入れて男が立ち去った後エックス線技師が『すぐにゲップをしてガスを出すのだ!』と1分前とは正反対のことを言うやんけ!
腹に膨張感を抱えつつ腹部検査を終え、再び胃腸部エックス線室に入るとまたもや技師がこれを飲めと発泡剤を飲ませにかかる。またかいな・・と素直に飲んで、今度こそバリウムを一気に飲み干してエックス線照射台上でまな板の上の鯉よろしくぐりんぐりんと振り回される。
この検査にてすべてが終了、全行程で約1時間半。バリウムは飲むヨーグルトのようで意外と飲み易かったな。僕がバリウムを飲む直前、エックス線室から出て来たおばちゃんが口の周りを真っ白にして凄い形相だったので、こいつは・・と、ちょっとビビっていたのだがなんてこともなく無事?終了しました。検査結果は2週間後、去年のような深刻な内容(結局間違いだったが・・)でなければ良いのだがね。

2008-10-02

大長征


ある現場の救援要請に応えるため、車を一路東に走らせ静岡県の焼津に到着。いつもならこういった場合、雨男の本領を発揮して俄にかき曇り大雨を降らせるのだが、今日はよほど晴れの強い御仁が現場を支えておるらしく、空は清々しく晴れ渡り大変気持ちが良い。こんなお天気だと仕事するのをヤメてどこかへそのままドライブに行きたいところだが、そんな誘惑をなんとか押さえ込んで現場へ到着。早速仕事に取りかかり昼をまたいでおおよそ2時間ほどで作業を終えることができた。はるばるここ迄やって来たので何かお楽しみを・・と思ったが、すでに時間は15時を回り早くもタイムリミットに。急いで取って返し夕日に向かって車を走らせること約2時間半。大きな渋滞にも巻き込まれず、任された仕事も片付けまずは祝着至極。たまにはこういう遠征も良いもんだな・・と思った次第。でもさすがに長時間の移動はこたえるね。
明日は人間ドッグ。さあて、初バリウムのお味はどんなもんかいね?

2008-10-01

友、去る


友と言っても妻の友達のことだが、知り合ってまだ半年ほどしか立たぬうちに、いきなりの別れとなってしまい妻はたいそう落ち込んでいる。というのも彼女はバンクーバー出身のカナダ人で夫が日本人、2人の間には5歳と1歳の娘達がいてウチの子達とも年齢が近くいつも仲良く遊んでくれるし、妻も彼女と気が合うようでしょっちゅういろんなやり取りをする仲だった。それが突然の旦那の転勤で北陸へ行くことになってしまい、彼女の子らも『行きたくない!』と泣き叫ぶし、当然彼女自身も僅か1年でまた知らぬ土地に引っ越すことになり、誰も頼れる者がいないところでゼロからのスタート、しかも小さな子が2人居てだから心労のほど察して余ある。彼女の夫の仕事はよく転勤があるらしくこれで引っ越すことは4回目という。しかもそのいずれもが3年未満という短期で、やっとその土地に慣れて来て知り合いができ始めた頃に転勤という最悪のサイクルで動いているらしい。僕から見れば社員の家族に全く配慮しない会社のやり方には憤りを感じ、転勤しろと言われても家族のことを思い断るだろうし、それでもぐちゃぐちゃ言うようならそんな会社はさっさと辞めちまうがな・・
2年前、妻の親友がアメリカに帰国し、そのときもかなり落ち込んでいたが最近は彼女と出会うことができて本当にうれしそうだった。そしてこの結末。今日は彼女と子供達をウチに招待して思う存分遊んだらしい。最後の別れ際彼女の娘がウチの子にドングリと、お気に入りの石を2つくれたそうだ。僕が帰宅すると上の子が走り出て来て『Daddy,ニッキーのドングリ一緒に植えよー』という、聞くとこのドングリを植えて『ニッキーの木』として育てたいと言うのだ。ドングリを育てるのは僕の趣味でもあるし、得意とするところなので快く引き受け、週末に一緒に植える約束をした。
子供達は子供達でお互いの別れを敏感に感じているのだろう。親同士だけでなく子供同士でもやはり通ずるところがあって、より仲良くなることができたのだと思う。
こればかりは残念としか言いようがないが、友が次々と去って行ってしまう妻を思うと不憫でならない。『どうせ友達になってもみんな去って行ってしまうんだ・・』と、ネガティブな路線に落ち込んでしまいそうになるときもあるが、それだけは回避するようにうまいことやっていくしかない。