2010-08-12

Religion


僕が現在特に傾倒している宗教は無い。ただしここで言う『宗教』の対象を例えばキリスト教・イスラム教・仏教のような世界宗教やヒンドゥー教・ユダヤ教・神道などといった民族宗教とするならの話だ。旅先ではよく『あなたの宗教は?』と聞かれたもので、そこで『無いんです』と答えようものなら相手は当惑し、『信じられない!』という驚きの顔をしたものだ。その結果『それはよくないことだ』と決めつけられて教会へ連れて行かれたこともあったし、シリアではモスクで『イスラム教徒にならないか?』と誘われたこともあった。
僕はそれぞれの宗教に対し畏敬の念を持っているし、敬虔な信者に対しては尊敬の念すら持っている。それに何より宗教世界の醸し出すその雰囲気が特に好きで、世界各地の教会やモスク、神社仏閣を訪れることは趣味以上の何かであり、強烈に惹き付けられる何かを感じるのだ。そういった『カミ』を感じる瞬間は日常においても様々な場面であり、空を見て感じる時もあるし草をむしりながらふと気付く時もある。
そう考えると僕は特定の『観念体系たる宗教』としては『信じるものが無い』と言ってはいるが、明らかにそれらでは説明できない違う宗教を持っていることは間違いないだろう。
だからこそ思うのだ。なぜ宗教で殺し合うのか?と。宗教は人を癒し、助けもするが、観念体系によって肉付けされ社会集団として組織化されたものは時に暴走し、その観念によって人を殺めるという悲劇を生んでいる。これは人類の歴史が繰り返して来たことでもあるが、最も愚かなことでもある。
だからという訳ではないが僕は特定の観念組織に加わるつもりは無い。僕は宗教を持ってはいるが、それは人を殺しはしないものだ。

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