2010-09-21

心の風景


9月も下旬だというのにまだ日中は30℃以上になり蒸し暑い。それに比べると北信州の涼しかったことよ。案の定妻は長野県に引っ越すべきだと言い始めたさ。まあ、連日こう暑いんじゃそう言う妻の気持ちも分かるけどね。

今回旅行した地方は特に風景が美しく、中でも人の生活と密着した里山の良さを実感できる所でもあり、初めて見るのにどこか懐かしさを感じるそんな癒しの空間でもある。ただ、今でこそそんなふうに里山だの癒しだのと言って満足していられるが、ほんの数十年前まではさぞかしここでの生活は厳しかったことだろう。道の便もすこぶる悪く、日々の糧を得るための十分な耕作地もないような山間の地が、いまは見直され脚光を浴びている。
不便だったからこそ残されたものが評価される時代になった。いつの時代も人々は便利さを追及して来た。それこそがよいことだと推し進められ、開発の名の下に様々なものが破壊されて来た。確かに今住んでいる環境は便利だ。しかし、ここで死を迎えたいとまで思える場所だろうか?どこかにそんな場所があるはずだとずっと思って来た。海外にも足を伸ばしてみた。その思いもいつしか忘れ去り、目先の現実の生活のみを追うようになってしまった。
なぜ人は里山を見て懐かしさを感じるのだろうか?ほんとにそれは懐かしさなんだろうか?そして実際に里山に住み、生活する気があるのだろうか?
『心の風景』とは何を意味するのだろう・・

0 件のコメント: