2011-09-07

それぞれの存在


ある朝、いつものようにJackieの散歩をしていると、長女の同級生のお母さんが地蔵さんに供える水と花を持って歩いて来た。このお母さんはいつも早起きでよく5時半頃にお互い挨拶を交わしていたのだが、今日はちょっと立ち話をする時間があったので『いつも娘がお世話になっています』という話から始まり小学校のことなどを話していたら、彼女が『実は私、ずっと体調を崩していたんです』と言う。
聞けば精神的に不安定になり、対人恐怖症になってとにかく人と接することを避けて来たとのこと、僕に対しても逃げ隠れるようにしたこともあったかと思うが、どうか許して欲しいと謝罪された。
それを聞いて僕はびっくりした。我が家と同じく3人の娘を持つ彼女はPTAの役員もしており、まったくそんなことを感じたことは無かったからだ。確かに早朝、遠くから姿を確認して挨拶しようとした時にすうーっと裏口から家の中に入ってしまうこともあったが、それはたまたまそういうタイミングだったんだ程度にしか感じなかった、しかし彼女は言う『毎朝こんな私に声を掛けてくれて嬉しかった』と。
僕は散歩中、出会う人には無視されようが変な顔されようが、こちらから挨拶することに決めている。ただそれだけのことをしていただけなのに『嬉しかった』と言われてしまった。こんな些細なことが悩める人の心に一石を投じることになろうとは想像だにしなかったことだ。
この朝の短い会話は僕にとっても何か大きなことを感じさせる、貴重な時間となった。

人とは、なんて複雑でおもしろいものだろう。

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