2011-07-09

一帆風順


彼女は涙を流して娘達を抱きしめていた。
彼女が日本に来たのは10年前。その時はまだ22歳で日本語はまったく話せず、こちらの生活に慣れるのにも苦労をしていた。当時妻は英会話学校のネイティブスピーカーを束ねるマネージャーをしていて、ワーキングホリデービザなどで来日した右も左も分からぬ若者達の面倒をあれやこれやと見ていたものだ。そうか、あれからもう10年も経ってしまったか・・。多くの若者が次々と帰国する中、彼女は日本が大好きで留まり続け、いろいろ会社をかわりながらも英会話講師として子供達にすばらしい授業を続け、みんなから慕われていた。何より子供達に英語を教えるのが好きで、余暇のほとんどは授業で使う小物作りなどに費やしていた。いまも妻の英語クラスを助けてくれていて、本当に頼りになる尊敬すべき人なのだ。
その彼女が帰国を決断したのは半年ほど前のこと。日本は大好きで離れたくはないけれど、母国カナダには病身の父も居り、且つこのまま日本で英会話講師として生活していった場合、将来的に孤独になってしまう不安感もあって、新しく何かをやるなら今しかないと、かなり思いつめて決めたようだ。もし日本で誰かいい人が見つかれば定住という道を選んだのかもしれないが、良い縁にめぐりあうことはなかったようだ。こればかりは残念としか言いようがない。

長女や次女が赤ちゃんの頃から一緒にあそんでくれ、まるで叔母さんのような存在だった。別れ際彼女は涙を流して娘達をみつめ『わたしが日本に来た時は影もかたちも無かったのに、こんなに大きくなって・・』と言葉を詰まらせていた。
今はこれで『サヨナラ』だけど、彼女の郷はバンクーバーだ、シアトルからはそう遠くない。『日本で会えなくても向こうで会える』という彼女の言葉に、少し胸のつまりが和らいだ気がした。

彼女の新たな道が明るきものであることを願ってやまない。

僕達はあなたのことを決して忘れない。英語を教えてもらった多くの子供達もまたそうだろう。
長い間お疲れ様でした。そして心よりありがとう。

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