2011-08-15

roots


先日亡くなった妻の祖母に、生前その娘の義母が尋ねたそうだ『何か後悔していることはあるか』と。
祖母は答えたそうだ『日本から出たことだ』と。
この答えにシアトルの皆は驚き、そして複雑な思いを持ったそうだ。もし祖母がシアトルに来なかったら、今のアメリカでの一族18人の生活が無かったことになってしまう・・
祖母は大正7年、移民としてアメリカに入植した両親の元に生まれた。しかし間もなく家族とともに日本に帰国し、広島で育った。そこで女学校に通い、その後祖父と結婚した。この夫の実家での生活は嫁姑問題などもあり、かなり辛かったそうだ。
それから夫とともにシアトルに渡り、アメリカでの生活が再び始まった。太平洋戦争前のことだ。
戦争が始まるとすべての財産を奪われ、アイダホの強制収容所に送られて過酷な生活を強いられた。子供だった義母もここでの生活を憶えている。

時を経て多くの家族に恵まれたが、祖母には家族しか無くいつも独りぼっちだった。親兄弟や友人の多くは日本に居て会う機会もなかなか無かった。
あの言葉は今まで決して漏らさなかった『心の思い』が思わず出てしまったものなのだろう。
まさに激動の時代を生き、多くのものを育んで祖母は逝った。

日系であるという意識はあるものの、いま孫の多くは何の疑いも無く『アメリカ人』として生活している。皮肉なことにいちばん日系ぽく見えない妻が日本人の夫を持ち、3人の娘を日本で産んだ。
『国』とは何か?と思う。
『国境』の、見えない線の深さを知った。

何年経とうが若かりし日の『思い』はずっと生きてゆくことだろう。ひょっとしたら齢を重ねるごとにその『思い』は強くなってゆくのかも知れない。

祖母の魂はこの盆、広島に帰ってゆくのだろう。

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