2012-03-09
言の葉
唐突にだが、毎日いったい何人の人と会話するのだろう?と考えてしまった。
当然平日であれば仕事関係の人との会話がその大半を占めるが、それでも電話で仕事関係以外の人と話したりという機会も多い。特に『人と話している』という意識はしないものの、妻や娘達との会話もある意味『人との会話』となるのだろう。人と話しをするのが好きな僕にとっては『会話する』こと自体が自分にとっての大切な栄養分で、これが無いということはちょっと想像できないことでもある。人と話すことでその人を知り、自分を知ることが出来る。自分では考えもしなかったことを人は教えてくれ、悩んでいた扉を開いてくれる。時に慢心し、独りよがりになりがちな自分を修正してくれるのも人だし、心にしみる言葉を投げかけてくれるのも人だ。
昔こんなことがあった。
インドネシア・スマトラ島の北に浮かぶ小さな島に滞在していた時のことだ。その島では片言の英語が通じるだけで島の人のほとんどはインドネシア語しか話せなかった。ある日僕は小さな食堂で一人夕食を食べていると、向かいにインドネシア人のおばさんが腰掛けて来て僕に語り始めたのだ。僕はちょっと戸惑いながらも少しはインドネシア語が話せたので『へ〜』とか『ほ〜』とか言ったりして適当に相づちを打っていたのだが、彼女の語りは徐々に『あーなのさ』『こーなのさ』ってな具合に熱を帯び始め、結局1時間近くも話し相手になっていたのだが、話しの内容は何かの愚痴であること以外はさっぱり分からなかった。でも不思議なことに彼女の気持ちだけは十分僕に伝わったし、彼女も相づちを打ちながら聞いていた僕に満足して去って行ったようだった。このとき『言語』ではない『言の葉』の意味をうまく説明できないが直感的に理解できた気がしたのだ。
日々の生活の中でありきたりな存在になりがちな『言の葉』を僕は大切にしたいと思う。それは何もしゃべり言葉だけではない。メールにしろ何にしろ、自分の気持ちを発するものそのすべてが『言の葉』であり、自分自身でもあるのだ。
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