2007-09-28

あるジャーナリストの死


射殺された長井健司さんは『誰も行かない所へは、誰かが行かなくては』と言っていたそうだ。その考えに共感し、彼の死を悔やんでならない。常に虐げられている人々の立場から取材を行ない、抑圧者に対しては大きな怒りを持っていたという。銃撃されカメラを手にしたまま天を仰いだとき、彼は何を思ったのだろう・・残念でならない。
今僕はたまたま結婚をし、2人の子供を授かり、仕事に追われながらも、のほほんとした平穏な日々を過ごしている。タラレバ論を言っても仕方が無いが、おそらく妻に遇わなかったら僕は長井さんのようにカメラを片手にいろいろな国を訪れていただろう。要するに僕が言いたいのは今回射殺されたのはたまたま長井さんであって、ひょっとしたら自分が胸板を撃ち抜かれそこで息絶えていたかも知れないという思いがある。彼は厳しい抑圧の中、必死で生き、抵抗し続けようとする人々の姿を世界に伝えようとして命を落とした。『そこに伝えなければならないもの』があれば果敢に現場に飛び込んでいた彼の生き様は例え彼が死しても共感を生み、新たなジャーナリストを育てて行くことだろう。
一体自分はここで今何をしているのか?身動きの取れぬ自分に対して苛立が募る。伝えねばならぬことが数えきれぬほどあるというのに何一つ伝えようとはしていないのだ・・

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