2008-07-23

だれでもよかった・・


だれでもよかった・・という、その誰かに選ばれ何人が命を落としたのだろう。ただその時たまたまそこに居ただけなのに命を奪われた人々の悔しさは如何ばかりだろうか。ニュースでは『だれでもよかった』と言った容疑者の理不尽さを何度も激しく非難していたが、ちょっと待てよ、この言葉どこかでよく耳にしないかい?耳にしなくても感じたことはあるんじゃないかい?僕のように派遣で働いた経験のある者には『誰でもいい』という言葉はよく耳にし感じた言葉だ。『お前の変わりなんていくらでも居る』そんなニュアンスで、この言葉ほど人を傷つけるものはない。そんな人と人との関係を断ち切るようなことを黙認し、利用し、さらに拡大させたのが大企業達なのだ。その流れは社会の隅々まで浸透し、人々の意識の中にも無意識のうちに蓄積され、それが人間関係の稀薄さを助長しているのは否めないことだ。『だれでもよかった・・』裏を返せば『あなたじゃないとダメなんだ』『あなたが必要なんだ・・』おそらく、無差別殺人を犯した容疑者が最も欲していたのは、心の底から求めていたものは、この言葉だったんじゃないだろうか。だれでもよかったなどと言って、たまたまそこに居た人を殺めた理不尽さは到底許されるものではない。しかし、理不尽さだけを捉えて容疑者を糾弾しても、無差別殺人予備軍は潜在的にどこにでも居るだろう。これらの事件の根は深いようで、実は極単純なことなのかも知れない。彼らは皆に自分の存在を認めてもらいたかった。『不特定多数の誰かさん』ではなく、自分として認めて欲しかった。話を聞いて欲しかった。それだけのことだ。しかし、今の社会状況はそんなあたり前のことすらもできないような、危機的な状態に陥っている。まずはそれを知らねばならぬ。

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