2013-05-03

陶器祭り















今日は毎年恒例の土岐の陶器祭り初日だ。朝8時には家を出て9時半頃到着。例年この時間帯ならまだ駐車場にかなり空きがあるものの、今日は思いのほか埋まっていた。天気が良いから出足がいいのだろう。
会場に行くと人、人、人で溢れかえっている。いつもカートを持参するが、よほど気をつけていないと人にぶつけてしまう。それほどの賑わいだ。
そして今年もカートいっぱい(50点ほど)の陶器を買ったが、その半数は妻や義母がアメリカへ持参するお土産用で、僕が個人的に惚れて買ったものは自分でも驚くことに1点も無かった。我が家の日常使い用に妻と相談して買った花器2点や娘達用のかわいらしい陶器、そして割ってしまった皿や器の補充用に買ったものもそれぞれ気に入って買ったものだが、今回は惚れ込むものが無かった。惚れ込むと言ったって個人陶芸家ものはそれこそいいものが多いものの、一点二千円を超えるものは娘達が小さい今は買うつもりは無い。それ以下の中で遊び心のあるものや、こちらに声を掛けてくる皿や器と出会うのが陶器祭りのもっとも楽しいと思うところなのに、残念ながら今回はそんな陶器と出会うことができなかった。陶器との出会いも人との出会いと同様に『時と運』によるのだろうが、その点で言えば『縁』が無かったことになる。まあ、来年に期待しよう。

陶器祭りの会場を歩いていてふと感じたことがある。販売されている陶器の全体を見ればその時々の流行が見えてくるが、どうも最近の陶器は『うるさい』ものが多くなっている感がある。ようは皿や器が喋り過ぎなんだ。本来、皿や器はそこに盛られる食材や、その空間を引き立てるために無くてはならぬ脇役だと僕は考えるが、なんだかオレが!ワタシが!と騒ぎ立てるものが多い。主役然としてるんだね。
僕はハンパもんが好きだ。ハンパもんの中で埋もれている光る脇役を見つけたとき、喜びは一層大きくなる。それが陶器祭りだ。

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