2011-12-07

ほんの70年前の出来事


真珠湾攻撃の日を明日に控え、先日録画しておいたNHK『証言記録 日本人の戦争』を見た。その内容の重さに改めて先人達が体験した地獄の苦しみと、戦後70年を経過した現在でも襲い続ける『戦争の記憶』の傷の深さを思い知った。
母方の亡くなった祖父も南方のトラック諸島に駐留し、そこで終戦を迎え生きて帰還したが、それ以外詳しいことは何も知らない。唯一祖父が白内障の手術で入院している時に『トラック島大空襲』の様子を少し聞いただけで、あとはその時に飢えをしのぐためサツマイモをさんざん喰ったので二度と喰わない、と言った程度のことを知っているだけだ。ネットで太平洋戦争中のトラック諸島について調べてみると、アメリカ軍の激しい空襲が何度も繰り返されたが、島にアメリカ軍が上陸することは終戦までなかったので、万歳突撃や玉砕といったことも起こらず、ゆえに祖父は生きて帰れたということが分かった。

祖父は戦争のことを自分から語ることはなかった。現在はミクロネシア連邦の一州でチュークと呼ばれるトラック諸島は当時それぞれの島が和名をつけられていたが、祖父が一体それらのどの島の防衛にあたっていたのかさえも知らない。いまでは手遅れだが、聞いておくべきだったと思っている。
なぜ知りたいか?
それは肉親が体験した戦争を、その口から聞き、子らに伝えてゆくことが大切だと思うからだ。僕はその機会を逃してしまった。悔やまれてならない。

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