2012-10-15

クメールの末裔















カンボジアのシハヌーク前国王がこの世を去った。
カンボジアを訪れたのは1997年のこと。ちょうどフンシンペック党を率いるラナリットと人民党を率いるフン・センとの間で武力衝突が起き、その直後に首都プノンペンに入ったものだから、そこら中にカラシニコフやロケットランチャー担いだ兵士らがいて、ベトナムのホーチミンからの長距離バスも計16回もの検問を受け、その度に人相悪い兵士らにパスポートの提示を求められるような混沌とした状態だった。
僕はその後アンコールワットのあるシェムリアプにスピードボートで移動し、トンレサップ湖の船着き場で地元カンボジア人の客引き達に混じって、同志のPANALI氏・ASMT氏・YNGI氏を迎え、その後鉄人KUNO氏の合流を得て、ここにチェンラ組が結成されたのであった。
シハヌークを見たのはちょうどそんな時だった。『シハヌークが通るよ!』とゲストハウスのおかみさんに教えてもらい沿道に出ると、そこ此処にカンボジア国旗が掲げられてそれなりの準備は整えられていた。
しばらくするとシハヌーク国王夫妻がすーっと目の前を通り過ぎていった。思っていたよりもちっちゃい人だな・・というのがそのとき持った印象だ。
あれ以来カンボジアは落ち着きを取り戻し、中国の強力なバックアップのもと経済発展の道を歩んでいるそうだ。その当時、首都と言えども少し中心部をはずれると道は舗装されておらず、至る所にゴミの浮いたドブがあって悪臭を放っていた。『これじゃあマラリアが蔓延するわけだ・・』と感じたのをよく憶えている。
今はどれくらい変わっただろう?想像もつかないね。
僕達がアンコール遺跡群見学の基地にしていたシェムリアプのゲストハウスでは、夜になるとまるで遠雷のように遥か遠くから迫撃砲の着弾音が響いて来たものだ。あのアンコールワットでさえ、夕日が沈む頃には独り占めの状態だった。
アンコールワットの中央祀堂から望む、クメールの原野に沈んでゆく夕日の美しさは忘れ難い。

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