2013-11-19

記憶と現実















風呂に入るのがとても心地良い。それに炭酸ガス玉を投入すればポカポカだ。
湯船を出て身体を洗い、温かいシャワーを浴びていると思い出すことがある。僕と妻は25歳の時シリアの首都ダマスカスに居た。スーク(市場)の側にあった安宿の客のほとんどは買い出しに来たシリア人で、建物は薄暗い感じではあったが清潔だった。このホテルの大変良かったところは温かいシャワーがふんだんに出たことで、冬の乾いた空気の中をさまよい歩いて帰って来た身にはとても有り難かった。こういう有り難さはお高いホテルしか知らない人には分からないだろう。安宿にあっては湯がでること自体特別で、湯が出たとしてもごく僅かしか出ないことがほとんどだ。その湯のシャワーが浴びたいだけ浴びれるなんてことは久しくなかったことだから、その時の嬉しさと癒される感じは今でも同様の体験をすると思い出される。そのダマスカスが混乱を極めている。今やアサド政権側と自由シリア軍との闘いの構図は崩れ、一体何と何が争っているのかも分からないような状態だ。抜け道の無い泥沼の内戦に陥り、人々は疲弊しきっている。国連は機能せず大国の思惑だけが入り乱れ、その隙をついてイスラム原理主義者達が勢力を増し混乱に拍車をかけている。
いつかはアサド独裁政権に対する不満が噴出するとは思っていたが、ここまで収拾不能な状況にまで追いやられてしまうとは思いもしなかった。ただただ良いかたちでの内戦の終結を望むばかりだが、そのイメージさえも想像できないほど惨憺たる有様だ。
たくさんの人が死んだ。大切なものも破壊された。この上何をしようと言うんだい?

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