2007-12-15

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アメリカで立て続けに起きていた無差別発砲事件が、今回の佐世保での事件にどれほどの影響を与えたかは知る由もない。ただ、あるイメージを自殺した容疑者に植え付けていたのは間違いないだろう。狩猟をしないのに猟銃を3丁も持っていたということは、それほど以前から何か秘めたるものがあったということなのか?その引き金をたまたま何かの拍子に引いてしまったということなのか?いずれにしてもいきなり発砲され命を失われた人や大切な家族を奪われた人たち、傷を負った子供達はたった1人の身勝手な者のために人生を大きく狂わされてしまった。そこにはコロンバイン事件のようなイメージだけが先行し、現実を見つめることができなかった者の無惨な屍だけが横たわっている。こんな事件の報道を見るたびにやり切れなさだけがつのる。『なぜ、真っ先に自分を撃たなかったのだ!』と・・。そこまで気がまわるようなら人を撃ったりはしないだろうがな。
容疑者が自殺したのが地元の教会の敷地だったのが気にかかる。ここで彼と母親は洗礼を受け、彼が来ることはなかったそうだが母親は毎週ミサに参加していたという。とんでもないことをしでかした彼が最後にここに来て、自分の命を断ったということは彼自身救いを求めていたということなのか?自殺を禁じる教会で敢えて自殺することで何かを訴えようとしたのか?
また一つ永遠に解かれぬ心の闇だけが残されてしまった。

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