2008-02-12

ナムデムン


昨日ソウルで起きた南大門焼失事件の映像は衝撃的で、大量の放水を浴びながらも白い煙をもうもうと上げて崩壊してゆく様はとても言葉で表現できるものではなく、叫び声どころか声を発することも許さぬような、まるで南大門が炎と煙に包まれのたうち回りながら『おれの死に様をしかと見届けよ!』と言っているように感じられた。
600年近くの間、この場に端座し幾星霜を見て来た朝鮮王朝最古の木造建築も、心ない愚か者の手に握られた100円ライターによって灰燼に帰してしまった。積み重ねられた歴史の重みと、あまりにも身勝手で浅はかな犯行の動機との落差をどう捉えたらいいのか分からない。いや、そんなことよりも現実に焼け崩れ無惨な姿を曝している南大門に何を感じるか?ということが、いま韓国がおかれている状況を一番よく表すのではないのか?と勝手に思っている。朝鮮日報に載っていた『豊臣秀吉の出兵、清の侵攻、朝鮮戦争にも生き残った国宝を平和な時代に灰にしてしまった・・』という韓国の人々の言葉の裏にあるものは一体何だろうか?

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