2012-06-07

責任の所在


東電女性社員殺害事件で無期懲役刑が確定していたネパール人男性マイナリ元被告の再審が認められたことについて思うことがある。
どう考えても当時の警察の捜査が彼を犯人に仕立て上げることに傾いていて、公正さなど微塵も無かったことは明らかだ。『とっととぶち込んじまえ』的な権力の横暴も甚だしく、その手法は治安維持法時代の特高と同じだ。そんな理不尽な扱いを受けて彼は15年もの長きに渡り牢に入れられていたのだ。その当時の捜査担当者は言う『彼が犯人であることは間違いない。そういう勘がしたのだ。捜査に勘は大事ですからね』と。そんなわけの分からぬ『勘』で15年もぶち込まれたんじゃたまったもんじゃない。
マイナリ元被告は今後無罪となるだろう。その時警察や検察はこう言うだろう『捜査は適切に行われた』とね。まったくムカつく奴らだよ。彼らが如何に横暴な情報操作をしても罪に問われることは無い。裁判官がミスジャッジをしても同様だ。だから思うのだ、冤罪が発生した場合捜査責任者や判決に関わった裁判官らを更迭するべきだし。それが難しいというのであればせめて氏名を公表すべきだ。それくらいしないと奴らの思い上がりは解消せんだろう。

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