2009-10-05

パダンに在りし日々


今回のスマトラ島大地震で壊滅的被害を被ったパダンを訪れたのは10年程前のこと。確かに大きな街ではあったがパダン自体にはこれといった見所が無かったため印象が薄い。よく憶えているのはバスターミナルが大きかったことと、そこからそれほど遠くない所にあったゲストハウスに泊まる際に、宿賃を値切る作戦として『3日泊まるからまけてちょ!』と安くしてもらったはいいが、もともとニアス島へ渡る足がかりとして立ち寄っただけで、観光する名所も無く退屈したことだ。
そしてこれまた先の大津波で壊滅したニアス島にギシギシ軋むおんぼろ木造船で一泊2日(竜骨丸出しの船倉に雑魚寝して)かけて渡り、サーファーには名高いビーチでサーフィンするわけでもなく日がな一日砂浜をほっつき歩いたり、旧日本軍が駐留していたという丘の上の部落を訪れたりと、2週間程だったが実にのんびりした時を過ごすことが出来た。
あの時ニアス島の港で知り合った、熊本で働いていたというインドネシア人の友人はどうしているだろう?彼と防波堤に釣りに行き一匹も釣れなかったが、彼の語る日本での思い出や『熊本』という民宿をニアス島で開きたいという夢、たわいもない会話など当時ひとりぼっちだった僕にはそのすべてが楽しく、いい思い出となっている。

立て続けに起こる巨大地震に人々は翻弄され、心安まることが無い。先の大津波からの思いでもあるが、願わくば彼が無事でありますように。今回の地震で被害に遭われた方々の心が少しでも安まりますように。

ニアス島からパダンに帰った後、一泊しただけで中部ブキティンギへ移動した。この移動中のバスの中で身体の火照りを感じ、ブキティンギへ到着後しばらくして発熱発疹、そのまま一週間食事の時以外はベッドにぶっ倒れていた。体温計を持っていなかったからはっきりした数字は分からないが40℃近い熱があったと思う。幸い食欲だけはあったので一時的に熱が下がる頃を見計らって這うようにして外に出て、屋台の惣菜で食いつないでいた。後で分かったがその時僕はデング熱に罹っていた。その病気を媒介した蚊はパダンの薄暗くジメッとしたゲストハウスに潜み、僕にウイルスを注入したのだ。
そんなこともあってインドネシア、特にスマトラ島にはひとかたならぬ思い入れがある。

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